Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2008年06月24日(火) |
トリフォニーでセルゲイ・シェプキンのゴルトベルクを聴く |
新宿ピットイン昼の部で、「平井庸一&Gypsy'08」を聴く。
ガボール・ザボというギタリストはソフトロックやポールモーリアとも類縁度の高い音楽性を濃厚に漂わすのだ。 平井庸一グループ「Cool Jazz」はついにデビューCD発売が決定し、この秋以降はCD発売記念ライブが続く予定であるため、ガボール・ザボにトリビュートしたライブは今しかないと判断し、今日のライブとなった。 ゲストにアルトサックスのマイスター級のふたり、宮野裕司と増田ひろみを招いたのは、なんと「禁じられた遊び」をザボ流に演奏してみたいがためであったという。なんとも大胆な。
日置寿士というギタリストがこのジプシー08に参加しており、平井の兄弟子だという。これが途方もなく良かった。 平井と日置の2ギターを中心にしたバンドを作ってみたら?どんな音楽もできるにしても、すばらしいはずだ。
日置のサイトでこんなテキストを読んだので備忘コピペ。 「で、なぜポルトガル・ポリフォニーなのかという要因は、当時の中央たるイタリア半島から遠く離れているにもかかわらず、―応ヨーロッバ文明圏内で、モンテヴェルディによる汚れたパロック様式の伝播が遅れたことによる、パレストリーナを頂点とするフランドル=ローマ楽派が、このイペリア半島で昇華された歴史地理的背景に負うところが大きい。」
夜は錦糸町のすみだトリフォニーでセルゲイ・シェプキンのゴルトベルクを聴く。 このピアニスト、90年にサンクトペテルブルク(ロシア)からボストン(アメリカ)へ移住した経歴で、 マイナーレーベルへ録音したゴルトベルクが評判となり、昨年3月の来日公演の衝撃から、熱病のごとき待望の公演だったようす。 ここに動画>■ まさにグールドスタンダードを40年ぶりに更新する演奏だ。 解像度、スケール、技術、動き、速度、フレキシブル、これはもうハイヴィジョンのゴルトベルグだと言っていいものだった。 いやー、このような歴史の断層に立ち会えるコンサート体験、に、ただただ感謝の気持ちしかない。
2008年06月23日(月) |
はじめて「ふくらはぎのこむらがえり」を体験する |
はじめて「ふくらはぎのこむらがえり」を体験する。 あたたた、ひだり足のふくらはぎに手をあてて、ガチガチに収縮しているふくらはぎ、 いてーいてーと言えば言っただけ硬くなっている、 どうしようもできないまま痛みで全身がふるえる、 水泳中なら確実におぼれるぞ、辛うじて右ひざを手をあてているふくらはぎの上から押し付ける、 が、それでもどうしようもならんし、あぶら汗かいて耐えるばかり。 今夜でかける予定にしていたコンサートには行かれず、さらに2時間睡眠をとった。
痛みに耐えるのにあちこちの筋肉にちからが入ったものかあとから腰や背中が筋肉痛。
うー。トシだ。
明日は新宿ピットイン昼の部で「平井庸一&Gypsy'08」を聴くことにしよう。 平井庸一,日置寿士(G)高野ヒロオ(Ts,Fl)蛯子健太郎(B)井谷享志(Ds,Per)ゲスト:宮野裕司,増田ひろみ(As) 「平井が最も影響を受けたギタリストの一人である“ガボール・ザボ”にトリビュートするライブ。ザボのリーダー作のみならず、チャールス・ ロイドやポール・デスモンドとの共演盤からのナンバーもお送りする予定です。」とある。
そのあとは売ったCDですみだトリフォニーへゴルトベルクを聴きに行く予定。
ニューヨークで活動する友人のピアニストが最近録音していたドラムレス!のトリオの音源をマンフレッドに送ったらCDにしたいとの申し出があったという。 3ねんまえのピアノソロもまだリリースされてないけど。
ちょっとおれの耳もジャズのほうに戻すかな。
ここんとこクラシックのライブを聴いているけど、なにがこまるって、なつかしの歌謡曲とかフォークとかJポップの楽曲構造が透けて見えて、その骨格に耳がつっかかるようなところがある。骨格の甘さを断ずるような、そんな耳のスケール(判断基準のものさし)をつい適用させて、評価してしまいたくなる。その評価が血肉化して、身体反応として「いい」「わるい」と感じてしまう。
たとえばぼくの大切な曲、リンゴ・スターの「想い出のフォトグラフ」を聴いたら、かつての感動を取り戻すのに耳の調整がけっこう大変だった。
90年代ECMの代表盤であるケティル・ビョルンスタらの表題音楽『海』もまた無残なすがたをあらわしていた。
2008年06月09日(月) |
「天使たちのシーン」の映像 |
はたちのむすめがしゅうかつがあるのでスーツを買ってというので、 すいみんじかんを4じかんはんにして品川へ向かう。
待ち合わせの1時間まえに着いてしまって車の中で漆原朝子と韓伽耶(かやはん)のCD(素晴らしい!)を聴いていたら、 遠くに駅から歩いてきたむすめが見えた。
ふうん、おまえはひとりで歩くときはそんなふうに歩くんだ。
秋葉原にアニメグッズの買い物に行っていたという。昨日だったらたいへんだったよと話している。
「天使たちのシーン」を聴いた夏に、彼女の幼稚園の遠足に付き添いで出かけたっけ。
夕方4時すぎの中央線快速のぼりの車両を貸切状態にしてしまってあちこちにころげて眠りこけている幼稚園児たち。 陽のひかりが動く車両と子どもたちを照らしてつづけていた。
昨夜はきよちゃんが林間学校ではじめての外泊学習。
田柄第二保育園の園児がお散歩で住宅地を歩いている。
ゆうべ雨の中で友だちと天使たちのシーンのことをケータイで話していた。 この映像のことを話していた。あしたも今日がつづきますように。
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2008年06月02日(月) |
RE:ぼくらが旅に出る理由 |
「とおくからとどくうちゅうのひかり まちじゅうでつづいてくくらし」
こういうのを聖書のことばに匹敵するだろう、 空海や泉鏡花や三島由紀夫や谷川俊太郎や高橋源一郎といった存在に続いて日本語であらわしたコアなものだと思う。
オザケンが旅に出て遠くから示していることがらは反グローバリズムやエコロジーといったくくりも適用可なのだけど、
社会性を身につけるとか礼儀とか、経済性とか、伝統でも革新でも、所与の文脈の枠組みよって、 哀しきかな、感覚まで痛々しく変容しなければ生活することに満たされないでいるわたしたち、を、照らすことなのだ。
イエスの磔、ルターの宗教改革、マルクス、マックス・ウエーバー、ジョン・ケージ、ビートルズ、公民権運動、ポストモダン、911、 一過性の革命のかずかず
音楽だけが重要なのではない。
よどみなく話すひとはおのれをあざむいているとは思わないのかな。
上田閑照「非神秘主義−禅とエックハルト−」岩波現代文庫に鈴木大拙の写真が載っている。
2008年06月01日(日) |
きのうはすみだトリフォニー |
おとといはサントリーホールへ日フィル第600回演奏会でドイツ・レクイエム。241にんの合唱団。月会費4せんえん、ブラウス9300えん。 結論としてはつまらない曲なんだ、ということで、ブラームスの浮かれ具合、不用意さ、余計な第7楽章、を、責めるのが穏当か。
きのうはすみだトリフォニーへ新イタリア合奏団11にんの響きを。これがまたすばらしい響きで。響きを吟ずる語彙がないぞよ。 共演女性3にんがなー。
あさっては杉並公会堂で邦人現代音楽作品、あさって文京シビックホールでシベリウス、しあさって東京文化会館でメシアン20のまなざし。 きんよう新国立劇場ヴェルディ椿姫。
杉並図書館で。 そういえばアルディッティSQのグラマヴィジョン盤1989年なんての、ありましたね。作品はいんだけど録音いまいちなの。
安藤裕子の新譜に「ぼくらが旅に出る理由」のカバーがあるらしい。 あとで息子に聴かせてもらおう。
明日のエクスドット公演■、ちょっと楽しみ。みんな出かけよう!
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