Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2007年08月30日(木) |
銀杏BOYSの「あいどんわなだい」。 |
ケニー・ホイーラー■の『All The More』1(Soul Note)1997■は、『Music For Large & Small Ensembles』(ECM)1990、『Kayak』(ah um)1992の延長線上に位置する彼の音楽性発露の主線上にある作品。リリースするレーベルがあちこちでかわいそうな気もするけど、出世作となったジャレットらとの『Gnu High』がどこかホイーラーとしてはジャレット、ホランド、デジョネット組に持ってかれた感があって、本来の音色主義者然とした特異性は、デビュー作である『Windmill Tilterウインドミル・ティルター』から綿々と不変だったことがわかる。
カエターノ・ヴェローゾがスーパースターになってからのアコースティック・ライブ『ポートレイトCircurad Vivo』。『シルクラドーCircurad』が出るまでカエターノを聴いたことがなかったわたしです。カエターノを聴くとチーズケーキを食べたくなる。マイケル・ジャクソンの「Black or White」をイントロに、反アメリカをつなぐヴェローゾは、性的アイコンとしての優越を誇示するように声で戦うのだ。
こないだ前橋の群馬県立図書館で見てあわててアマゾンで購入した『トロピカーリア:ブラジル音楽を変革した文化ムーブメント』、細川周平の「トロピカーリアはヴェルヴェット・アンダーグラウンドの実験性とビーチ・ボーイズのスター性とフランク・ザッパの諧謔性とボブ・ディランの饒舌とラットルズの笑いを兼ね備えたような存在だった。」という解説文。
銀杏BOYSの「あいどんわなだい」。 がなりたてる求愛ソングの系譜はあるだろ。2007年だから、マンキツで叫ぶのが純情なのだ。「東北新幹線はチヒロちゃんを乗せて」、こんなふうにして、たぶん駅前の雨の中の野良犬みたいに誰かをいとおしくて想って、いまの自分だけを賭けて呼吸をできる、そういったティーンエイジャーだけの特権が、空気が封印されている。
2007年08月29日(水) |
ワインライト。エリントン。仲里効著『オキナワ、イメージの縁(エッジ)』。 |
この10年でもっとも重要なポップ・アイコン、ルーファス・ワインライト。■ 今年新作が出ているようだけど、未入手なり。前作『Want Two』を聴く。前々作『Want One』より薄味かな。 ルーファス・ワインライトを聴くと、いつも20畳くらいのリスニングルームで大きな300まんくらいする舶来スピーカーで聴きたいという欲望を持ってしまう。こんなしょぼい練馬のアパートの6畳間で干された洗濯物と蚊取り線香の煙にまみれて聴くのはやだー、と。
冷やし中華を2玉、たまご焼きをのせて食べて、だけなのに、ゴージャズな気分になったので、 エリントンの『ライヴ・アンド・レア』3CDを聴く。ほんとは『エリントン・ミーツ・ホーキンス』を聴きたいのだけど持ってないし。 60年代以降の演芸場のノリに終始したエリントンを責めたところで、なぜか昭和を感じていたりする、月も踊りだす夜だ。
仲里効著『オキナワ、イメージの縁(エッジ)』(未来社) ゴザ騒動のときに小学生だった同僚の話がリアルだったので、それを手がかりに、抵抗運動をしていた文体、を、読むことになった。エリントンの音楽は止めるよ。
2007年08月28日(火) |
スーパードンキーコング2 オリジナル・サウンド・バージョン |
スーパードンキーコング2 オリジナル・サウンド・バージョン
次男がCDを欲しがっているのを調べてみたらヤフオクで4まんとか6まんとかのプレミアになっているゲームミュージックだという。 だいたい幼少期からゲームをしながらそのゲームのコンピューターミュージックを刷り込みされていたわけだから、この上なく心地良い音楽になってしまうのは、おまえらがゲームをしている姿を見ながらおれは未来を予見していたけどな。
おまえらにとって、この音楽は第2の故郷でさえあるのだろう。
で、そういうまったく新しい種族の耳といったものが、まったく新しい音楽を生み出す感性となることも予想している。
おれもこのゲームミュージックを聴いたら、幼少期のおまえらを思い出して懐かしいんだろうなあ。
どうでもいいけど、はやく再プレスして発売せんかい、ポリスターさんよ!
2007年08月27日(月) |
Two Miles A Day / Sacks, Opsvik, Maneri, Motian (Loyal Label 001) 2007 |
Two Miles A Day / Sacks, Opsvik, Maneri, Motian (Loyal Label 001) 2007 Jacob Sacks p, Eivind Opsvik b, Mat Maneri vla & vln, Paul Motian ds
うひゃあ。 マット・マネリ、ポール・モチアン。このふたりの共演盤ははじめてだぞ!ピアノ、ベースとのカルテット編成。 マットとポールを使って自分たちのカルテットを世に問うヤコブ・サックスとエイヴィン・オプ・・・(読めない!)、このふたりのコンポジションで占められているという作品。Eivind Opsvikはニューヨークで活躍するノルウェー出身のベーシストで、このLoyal Labelを立ち上げているということで、本作はカタログ1番の作品だ。
抽象世界に飛躍するエネルギーを内包したマネリ、タイムスパンを獰猛に開放しようとするモチアンというふたつの猛獣を、あくまで内省的な中心点に繋ぎ止めながら楽曲を構成するという知性的なヤコブとエイヴィンの覚悟は想像以上に成功している。
2007年08月26日(日) |
サニー・マレイの『サニーズ・タイム・ナウ』(DIW) |
サニー・マレイの『サニーズ・タイム・ナウ』(DIW)を聴く。 むかしディスクユニオンから3500円で出ていた盤なので、後に4曲目のトラックが追加されたものではない。
アルバート・アイラー、ドン・チェリーをフロントに、ヘンリー・グライムス、ルイス・ウォーレルの2ベース、そして、サニー・マレイ。65年録音。 アイラーとサニー・マレイというと前年『スピリチュアル・ユニティ』である。 黒人のパルスと護摩焚きを合体させたかのような、サニー・マレイのタイコ世界。黒人ジャズは密教の護摩焚きとも通底する世界性を獲得していること、と、書いてもあまり意味がないかな、音が発生する始原としての共通性を感じる、というくらいにしておこう。
1・2曲目「Virtue(10:56)」「Justice(12:42)」、ちょっと大きめのスピーカーで鳴らすと、沸騰するような2ベースが地響きをたてているもので、ほんとうにすごい迫力がある。 3曲目「Black Art」はリロイ・ジェンキンス(Tシャツのブランド名ではないぞ)の、朗読というよりアジテート、が、主役になっているナンバー。
このCDは杉山和紀さんが制作している。 この杉山和紀さんの名前はジョン・ゾーンのレーベルにもあちこちで見かけた記憶があるけど、前衛音楽ファンにとっては超重要人物。杉山さんに取材をしたり手記を著作にしたりインタビューすることはこれからの音楽にとって必要なことだと思います。 ネットでググっても、「80年代のJazzLife誌の杉山和紀のニューヨークレポート」がある、とか、「早大理工学部出身で「日本にいた頃は『ホットクラブ』という年齢層の高いレコード鑑賞サークルに参加して」いたが、ボストン大アメリカ黒人文化研究科に留学」、とか、断片的な情報しかありません。
2007年08月25日(土) |
ナイト・ソングス / フェレンク・レメテ (Dreamers Collective Records) 2007 |
Night Songs / Ferenc Nemeth (Dreamers Collective Records) 2007 Mark Turner sax, Chris Cheek sax, Aaron Parks p, Lionel Loueke g & vo, John Patitucci b, Ferenc Nemeth ds マーク・ターナー、クリス・チーク、アーロン・パークス、リオーネル・ルエケ、フェレンク・レメテ。
くー。たまんねー。 ディスクユニオン新宿店の中古査定20%アップに42まいのCDを持ち込んだ2Fから、階段をおりて1FですかさずCDを買っている。 ゼニがないのに、あしをくうたこの気分、は、おいといて。 試聴機に「マーク・ターナー、クリス・チーク参加!」とあったのだった。 リーダーは白人のタイコだという・・・。ま、ひと聴きでよしあしはわかるな。 試聴機のヘッドホンを耳にあてて。最初の15秒で購入を決意し、42秒でこれは今年を代表するコンテンポラリー・ジャズだとドキドキする。
ターナー、チークの堂に入った不機嫌なトーン、余白を残した不敵な語り口、は、期待どおり、の、顕現。 ギターのリオーネル・ルエケ■、アフリカ中西部出身のギタリスト、こいつの音、へんに外してしるようでそれでいて感覚的にはいい具合にどもっているような心地よさ。 ピアノ、ベースは手堅く、必要十分に上手い。アーロン・パークス23さいはカート・ローゼンウインクルと来日してたりするのか。パティトゥッチはあいかわらず上手いだけという経歴もここでの貢献はプラスに働いている。 で、リーダーのフェレンク・レメテ、ハンガリーのドラマー。1曲をのぞいてすべての曲を作曲・アレンジしている、というのだから、やはり何ほどのことはあるのだろう。 楽器的にはターナー、チークのトーンとルエケのギターがサウンドの成功を導いているのだけど、このトータルな完成度、気持ちよさのプラトー状態は、やはりすべてのメンバーによるものだ。ずいぶんとまあ、稚拙なことをわたしは書いておるんじゃが。はは。
レーベル名は、Dreamers Collective Records、夢想家集団レコード、とでもいおうか。そのレーベルの作品番号1番が本作である。 メンバー写真に土星がプリントされてる。 土星だぞ。
ランボルギーニ自転車の後輪がパンクしているようなので、保証書をさがして車の中をかたづけていたら、地図にはさまって、去年きよちゃんが描いたとおぼしき日本地図のような世界地図、手書き、A4版、が、見つかった。
これが、あまりにも面白くて、炎天下に駐車場でひとりでつい笑ってしまう。
熱中症でおかしくなったか、と、近所のおばさんに思われたか。
熱中しやすく醒めにくい(!)、という、好きなCDのためにはメシ代けずる、デートはドタキャン(ほんとう)、深夜に独りで音楽聴き過ぎて止まらなくなって翌日有給休暇を使って仮病で会社に電話する、音楽好きのタイプとしては破産宣告率のもっとも高い、そういう、熱中症かもしれん。
トガシが死んだ。オンナにアシをササレて車椅子になったドラマー。おとこのこがダンディズムをつらぬく覚悟はとてつもない。
わたしが即興を感じはじめた頃、コントラバス奏者のジョエル・レアンドルとのデュオを埼玉ホールエッグファームで聴いた。あまりにも反応しない、という対峙で、演出する「あちら側」、と、聴いた。神社の闇、だ。生命体がゆらぐだけの存在に置いてけぼりをくらう。楽しいかどうかは、わたしゃ知らん。レアンドル、また演りたいと思った?
ポール・ブレイとのデュオ盤『エコー』が制作された。わたしはこの盤についてミュゼに書いたけど(手許にないんで誰かコピーください)、あの、ポール・ブレイが剥がされて冷たく炎上してしまっていた。あれだけブレイのピアニズムが裸にされてしまったレコーディングはないのではないのだろうか。
トガシというと。ジム・ブラックにインタビューして、「あなたにトガシを感じる」と言うも言ったりなセリフをはいたひとがいたのを思い出す。さすがに40すぎてからおまえのみみくさってると申し向ける機会をもたないようにしているけれども。
スピリチュアルネイチャーはすばらしい作品だった。ような気がする。音楽が時を越えるというのはたいへんなことだ。
後戻りできない今の悦びの耳。
トガシ、ピーコック、佐藤允彦というトリオを芝の増上寺で聴いた23さいのとき。あの時の録音は聴きたい。
2007年08月21日(火) |
ドン・コサック合唱団『ロシア愛唱歌集』 |
ジスモンチのライブに行こうと空を見上げたらこんな入道雲だったのでカサを持っていった。BGMはカーネーションの「オフィーリア」(2006)。
ドン・コサック合唱団が56年に来日して、日本に合唱ブームを起こして・・・という史実は知りませんでした。 65・66年に録音された『ロシア愛唱歌集』(グラモフォン)は、意外に納涼感あり。笑わずに聴くことのできる46さいになりました。ふっふーん。
図書館から一緒に借りたフォン・オッターとコステロの『フォー・ザ・スターズ』のほうは、ブライアン・ウイルソンの曲の良さにオリジナルを聴きたくなるばかりでした。コステロはもう音楽をなめてるとしか言いようがありませんです。いいですか、クラシック歌手はクラシックを歌っているように。コステロは原点にかえるように。
たとえばカーネーションの「オフィーリア」を聴くように!
2007年08月20日(月) |
ジスモンチのライブ@第一生命ホール |
ジスモンチのライブ、観てきました。16年ぶりの来日。勝どき駅から徒歩数分、晴海トリトンスクエアにある第一生命ホール。入り口で待ち合わせをしていたら、ECMTシャツの「フリー・アット・ラスト」を着た若者を見かける。この組み合わせに、その若者の音楽愛の深さを感じるオジサン化したわたしである。
ライブの1部はギター、2部はピアノ。ギターが始まる。音が奏でられると同時に、えも言われぬヴィジョンが脳内に映り出す。ジスモンチにしか出せない、瞬間的なパッションが構成するこの速度。この速度である。おそらく、ジスモンチのこの日の演奏を聴いて、速度を感じないでいられることは不可能だと思う。のっけから、レッド・ツェッペリンの「The Song Remains The Same」を聴かされているような疾走感、そして脳内に映る真っ青な空、・・・陳腐な表現ですまない。静かに圧倒された。ギターのボディを叩きながらコードを押さえるとああいう音になるのか、CDでは聴きなれたサウンドの奏法に新発見。最初の3曲はコンサート・ホールのりの拍手であったが、ギターの部の最後の拍手ののりは熱風のようで、おれはこの拍手にも感動してしまった。
ピアノも代表曲を連打する大ヒット大会。しかも。おれは確信したのは、この70年代プログレ感。旋律、構成、変拍子、技巧、が、相互に引き立たせる配合の音楽。もちろんジスモンチが変拍子であるはずはない。音楽の流れを、自在に曲線を回転させたりデフォルメしたり、で、ライブ感を引き出すことが、ジスモンチのジャズ観なのであるから、かつて、ジスモンチがハンコックの前でどうだとばかりに弾いたあとに「それのどこがジャズなのです?」とハンコックに返されたというほほえましいエピソードも、双方あんたが大将だとそばで誰か言ってやればよかったのだ。ジスモンチは70年代プログレをギターとピアノでやっていたのだ。
16年前の来日では、わたしはピアノの演奏しか憶えていない。今日のピアノよりずっと調律がなっていなかったけれど、当時はもっとソリッドで激しかったようなところがあった。ジスモンチは1946年生まれというから、16年前は45歳、今年は61歳。自然なことだし、演奏の優劣はない。ジスモンチは28歳でパスコアールとヴァスコンセルスと共演したところをアイヒャーにスカウトされたのだった。数々の名盤を想う。
わたしはジスモンチのことを話すとピアノの美しさのことばかり話してきた。ジャレットが嫉妬したピアニズムだ、『Solo』を聴け、『Alma』を聴け、美しさと速度に痺れろ、うんぬん。わたしはブラジルEMI盤『Alma』が出たとき、スイングジャーナル誌に「こんな美しいものはないので、カセットに録音してあげますから連絡ください」とECMファンクラブとしてお知らせを出したことがある。著作権もなにもあったもんじゃない。音楽愛だ。日本各地の6・7人から連絡があって、わたしは結婚したばかりのよしみちゃんがLPレコードの中にあった楽譜をコピーしてそれをパッケージにして送っていたかわいい姿に人生の頂点を感じていたのだった。
90年代にはすっかり欧州即興リスナーに身を落とし、95年にはニューヨークジャズ沸騰シーンリスナーとして目がすわったようなわたしなので、ジスモンチの音楽はほんとうに青春を感じさせるばかりだった、と、ジャズを拠り所とした書き手として書くには通りはいい。しかし、この深夜になっても耳に鳴り止まないジスモンチの速度と美しさ。わたしには、この素晴らしさを伝える使命があるのではないだろうか。
『Alma / Egberto Gismonti』ECMから増補再発されたピアノソロ。 ブラジルEMI盤の柔らかい音質のほうが好きだけど、やはりピアノ聴きにはマストアイテムだと思います。
2007年08月19日(日) |
megの岡村靖幸との共作したデビューシングル「スキャンティ・ブルース」 |
岡村靖幸の復帰は秋なのだっけ、と、思いながら。 megのシングル「スキャンティ・ブルース」、2003年の旧譜だけど聴くの今日がはじめて、 サウンドのトリートメントが当時まだ辛うじて新鮮な音響派テイストなのはもはや懐かしい、でも!タブラの挿入がさりげなくグッド、 この曲、megにとってデビュー曲で、岡村靖幸との共作だという! Megはフリッパーズの「グルーブチューブ」をカバーしたシングルもその翌年に出していたのだし(megを注目している理由はこれ)、 かげろうのような存在感、音作りスタッフの職人わざにも拍手。拍手。
編集CDRを作成するのが、わたしの地上での使命、なのに、活動休止状態。なむさんー。
編集CD-R sumita’s selection 2006.7.17 【 魔法のコトバ 】 1 ポール・サイモンwithブライアン・イーノ/アナザー・ギャラクシー(2006) 2 スピッツ/魔法のコトバ(2006) 3 レッド・ホット・チリ・ペッパーズ/ユニヴァーサリー・スピーキング(2002) ★ほ、ほんとにこのサウンドはブライアン遺伝子だー。宇宙だ。 4 グレン・キャンベル/ゲス・アイム・ダム(1965) ★ブライアン書き下ろし、ペットサウンズ録音時にリリース!もろに、宇宙。 5 グレン・キャンベル/恋はフェニックス(1967) 6 ロルフ&ヨアヒム・キューン・カルテット/チアレスキューロ(1966) 7 ローリング・ストーンズ/シーズ・ア・レインボウ(1967) 8 ローリング・ストーンズ/2000光年のかなたに(1967) 9 ボストン/モア・ザン・ア・フィーリング(1976) 10 ジョン・フルシアンテ/プロスティチューション・ソング(2003) 11 ジョン・フルシアンテ/フォーリング(2003) 12 ウォーカー・ブラザーズ/太陽はもう輝かない(1966) 13 スコット・ウォーカー/クララ(2006) 14 映画「ハチミツとクローバー」/魔法のコトバ〜インスト版(2006)
2007年08月18日(土) |
浜田真理子『Love song』 |
8月15日、平和記念式典で正午の黙祷を、NHKラジオで炎天下のクーラーの壊れたグランディスに乗り込んで、自販機の麦茶のキャップをあけたときに、開始の案内、に、数秒あるとっさに撮った武蔵野公園駐車場から見てた光景写真。
戦没者に黙祷をささげて、思いながら麦茶を飲みました。
このロヴァ耳日記、およびミュージサーカス、を、中国語に翻訳してくれる音楽好きな友だちができないだろうか。 中国の現代音楽に関心があるひとっていないのかな。そんなサイト、ある?あるのかな。ないのかな。
なにかの拍子で、現代の音楽をエアチェックしていたころに、中国の現代音楽って、創造のエネルギーというか、すごい滋養成分が含まれている、と、感動したことがあって、手詰まり感とか最先端意識とかクールな戦略といったものがないところが美しいと思った、ことを思い出した。
さっき喫煙所で「うー、コルトレーンのインパルスコンプリートボックスを聴かされたくらいに疲れたー」とエリントンマニアの音楽ライターに話しかけてさぼっていたら、シェップの『シー・オブ・フェイセズ』がいいという話になり、買った記憶は残っているけど音楽を忘れてしまった、ほんとそういうのばっかりなぼくは、こんどはCDで手に入れなきゃ、と、思うものであった。
それにしても。大田原温泉。こんなつやつやしたお湯はない。絶品。宇都宮から足をのばす価値はある。サービス券をつかって平日600円。源泉そのまま飲めるし。
株価続落。
さっき車の中のゴミを出していたらCDのかたまりが60センチ出てきて、その中に浜田真理子『Love song』があった。持ってんじゃん、おれ! あ、6月28日の日記は浜田真理子のことでした。まちがいまちがい。 1曲目、サックス菊地成孔、こういう演奏させたら、その意地のはりぐあいが母性本能をくすぐるくらいに良いのだ。ベース船戸博史、おお、ふちがみとふなとカルテットの!芯があってとがっているようで包容力がゆるがないほんといいベースを弾く。だけど、この作品は浜田真理子のベストではないだろう、彼女自身の歌と演奏がうまくこの録音に収まりきっていないように感じる、どこか彼女らしくないよそゆきがある、しかしながら力量の具合はしっかりわかるからこれは誰のせいでもない、音楽を録るというのはむつかしいものだ。しいていえばジャケの絵と登用された文字ロゴの意図ぐあいにあらわれているかな。
2007年08月17日(金) |
ひかる ひかる 東芝 |
ひかる ひかる 東芝 まわる まわる 東芝 うたう うたう 東芝 みんなみんな東芝 東芝のマーク
幼少期に、世界に出会うように、ブラウン管で見つめていた東芝のコマーシャル。 放電管をまわるひかり。男性コーラスのうた。 そのときに感じたことは、 未来というのは過去と同じくらいになつかしいものだ、と、あとから思い出すとそんなことばになる、のか。 輪廻してまたここにやってくる、という安堵感。 だけども、40ねんぶりにそのブラウン管があった場所に訪れてみると、そこはただの空き地になって、おどろくほど小さくなっていて、 あれだけおいしかった「こうらいさんのラーメン」が、 記憶に残るおなじオッサン、当時は若い兄さん、今は日焼けした爺さん、が、作っていたもので、 たしかに同じ味だとは思うけれども、なさけないくらいにおいしくなくて、それでも何台も車でお客が乗りつけているのだけど、 そうだよ、あの空き地の空間が、ぼくは若い時分に首がうどんを食べている夢をみた場所だったんだよ。 ラーメンをすする。 ブラウン管は、いま地球のどこをめぐっているのだろう、廃棄物となり燃やされ分子レベルで世界に偏在す。
健康診断。血圧112-68。白血球数値が昨年の倍以上の数値となっており再検査。
線路の高架下で、暑苦しい夜空を見上げて、線香のにおいがした、こんな感じで死期を悟るのも、それがこたえか、と 暗がりの松の枝や草むら、 ここは関東大震災あとに千人単位でひとがころされた場所、 つながる? つながる 灯りのともった運動会のテントが見えたので歩いてゆくと寺で葬儀。
2007年08月15日(水) |
クリス・ポッターの『リフト』。 |
府中試験場へ免許の更新に出かける。 試験場の駐車場がいっぱいなので隣接する武蔵野公園の駐車場に入れる。 かなみが自転車に乗れるようになった公園だったな。 惣田谷くんがさいごに東京に来たときに、深夜だべって過ごしたのもこの公園だった。
クリス・ポッターの『リフト』。■ まさに、レビューワーが書いているとおり、の、「内容はとてもポップでストレートな変態である」は、いい表現だ。 1曲目のハモンドオルガン、音のダサさがタッチのセンスの抜群の良さを引き立てていて、こういうのを、カッコイイという。あまたのグルーブ系ジャズをストレートアヘッド変拍子で寄せ付けない貫禄を示すすばらしいライブだ。 当時マイケル・ブレッカーが2人のサックス奏者、マーク・ターナーとクリス・ポッターに注目していたという史実は本盤のライナーで初めて知ったけど、耳は良かったんだなブレッカー、しっかり誰に負けているかを自覚していたのだ。
2007年08月13日(月) |
田村満さん製作10弦ギター・渡邊格メモリアルセミナー |
20日のジスモンチのコンサートが迫っているのに、なのに、この猛暑、夏バテ、更年期障害、缶ピース中毒。
ぐんまのさとうさん、さっぽろのいとうさん、当日お会いできますよう。
『Gismontiの使用している10弦ギターは田村満さんの作品です。 私もびっくりくりでした。Gismontiの「Montreal Jazz Festival 1998」のDVDの中で、サウンドホールがアップになる場面があります。そこで中のラベルが読めます。「MITSURU TAMURA」とはっきり読めます。実は日本のギターはいいものが多いのです。』
ジスモンチのギターは日本人が製作したものなのだそうです。
そ、それはさておき、ジスモンチのコンサートの当日に、こんな、イベントがあるそうです。 荒川修作と利根川進。
渡邊格メモリアルセミナー■ 荒川修作×利根川 進
日時=2007年8月20(月) 時間=午後4:00〜6:00(開場3:30) 会場=霞ヶ関ビル33階 東海大学校友会館「阿蘇の間」 交通=東京メトロ銀座線「虎ノ門」徒歩3分 参加費=2,000円(当日会場受付会場までご持参ください) ☆お席に限りがございますので、事前にご予約をお願いいたします。
セミナー講演者: ・荒川修作(コーデノロジスト) ・利根川 進(マサチューセッツ工科大学教授) 司 会:青木 清 ((有)DNA研究所代表・上智大学名誉教授)
『このセミナーは分子生物学者である渡邊格(平成19年3月23日に急逝)のメモリアルとして開かれます。渡邊格は、生命科学の目標は「豊かな生命の時代」を切り拓くことだと考えており個体としての生物の謎解きだけでは不十分で地球全体に息づいている生命圏としての、いわばマクロな生命体の探求が必要だと提言して来ました。明日のサイエンスを担う皆様方、本セミナーで科学と芸術其々のトップレベルにある講演者と共に豊かな生命体としての人間の存在について考えてみませんか。』
ちなみにわたくしめ、20日は夕方まで仕事の可能性が大なり。 な、なんだ、このクリス・ポッターのヴィレッジヴァンガードライブ『リフト』は!まさしく現代ジャズシーンの王道まいしんライブじゃないか!
田中陽子の「陽春(はる)のパッセージ」の歌詞をききとって表現してみた。ひらがな表記が正しいと思う。 とにかく「たいくかん」と「えのぐ」にノックアウトされる。
はあとに わかばいろの だいありー あなたと はじえめてほほえんだ にゅうがくしきの たいくかん から おもいでは つづられています ★「たいくかん」だぞ! ゆうひの えきで まってたこと わすれて えのぐを かりたこと ★「えのぐ」だぞ! こいのよかん うちけしながら ときめきは つのってゆきます でもこんやは つづれない いましってる ことばだけじゃ もう たりない ★うおおお!この言い方! あせってひらいた じしょの 1ぺーじめに のってることばよ ★「あせって」なのかー だけど こわい まぶしい こんなきもちが きっと あい ね
あなたは みつき おとな だから ★みつき!おとな! らっしゅで ゆびが ふれたときも かわりのない ほほえみ くれる ★ほんとかよ! かおじゅうが まっかな わたしに ★「かおじゅうまっか」! だれでもきっと こいをして そのことばを まよいながら かんじるのね ★「まよいながら かんじる」! みんながしってる じしょの 1ぺーじめの やさしいことばよ だけど こえに ならない せつなさのなか ひびく あい ね
はるのひかり ゆらすのは いつかむねにまよいこんだ あおいがらす あせって ひらいた じしょの 1ぺーじめに のってることばよ だけど こわい まぶしい こんなきもちが きっと あい ね
2007年08月09日(木) |
山口孝せんせいの新刊『音の匙』 |
片平なぎさのデビュー曲「純愛」、超名曲!、のつまびくギターにものけぞる。
エリントンとホーキンスが演っている盤ですって?、そんなものがあるのか? あった、『デューク・エリントン・ミーツ・コールマン・ホーキンス』、インパルスだ。うええ。そ、それで、ホーキンスの鳴りがエリントンによって想定外なところを奏でるというのだ。
あにぃー、タワーレコード限定企画、松村禎三、武満徹、三善晃の各2枚組1500円、と、読んで、今日の炎天下、12分歩いて、新宿に立ち寄れたのでタワレコルミネ店に飛び込んで店員にきいたんだよ、はやくよこせ、と。9月発売なんだって。
わたしの心の耳の師、山口孝せんせいの新刊『音の匙』■が出ていることを知っただけでも、炎天下の歩行は意味と必然があった。アマゾンのカートに入れる。
ハルカリの新譜『サイボーグ俺達』をどこかになくしてしまう。1週間もでてこない。
長男がアルトサックスをやりたいという希望を持っているようだ。 あのな、楽器選びは重要だぞ。セルマーの80まんくらいするものじゃなければ道をあやまるだろう。 アルトか。とうとうそこまでやってきたのか。パーカーのボックスをやるから、世の中の怖ろしさを今のうちに知っておけ。
田中陽子の「陽春(はる)のパッセージ(1990年4月25日) - 作詞・森雪之丞 / 作曲・岡本朗 / 鷺巣詩郎」 しか、アイラーがコルトレーンの葬儀で吹いた「Truth Is Marching In」のその音源、に、接続して編集CDRに収録できる音楽はないではないか。
孤独なレースは続いてくー。
2007年08月08日(水) |
対談 作曲家松村禎三 交響曲二番に至る歩み 聞き手 助川敏弥 |
◆対談 作曲家松村禎三 交響曲二番に至る歩み 〜自分の中の真実をもとめて〜 聞き手 助川敏弥 ■ この対談は、1963年に創刊された『音楽の世界』のサイトに置かれている。企業のちからをかりないで継続された雑誌であるという。 はじめて知ったぞ、この雑誌。ネーミングがいい。
おれねー、クラシックほど、オーケストラほど、生で聴いたほうがいいと思う。 響きは生きものだよ。 ジャズもライブだと言いたいけど、ベストテイクをスタジオ録音でもライブ録音でも聴けるという点ではCDも捨てられない。 ロックやJポップはCDだけでいいです。 でも藤本美貴「ロマンティック 浮かれモード」はDVDで踊りを見ないとだめです。
2007年08月07日(火) |
作曲家・松村禎三さん、逝去 |
作曲家・松村禎三さん、逝去。■
伽藍を廻り漂う風、とか、曼荼羅世界、とか、とても聞き捨てならない形容詞を読んでいた、が、■ いつか蓼科の別荘で深夜に聴いた、この世からはみでたところで鳴る音とはこのことか、と、思わせた、あの「阿知女(あちめ)」を作曲した、 のが、この松村さんだったのか。
タワレコ限定CD化『松村禎三の世界』■ 2枚組で1500円、て、利益出てんの?、ですけど。 内容は国宝級だというもので、なれば全音楽ファンにとってのマストアイテムだろう。
ううむ。もっとちゃんと出会っておきたかった作曲家だ。 よし、これから出会うファンになるぞ。それならおれが世界で一番早いだろ。
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スティーブ・ヴァイのファーストのジャケには明白なフリーメイソンのアイコンが配置されているよね。 ミュージック・マガジンの背表紙の真実を見つめる目もそだよね。 アーストワイルのローレンマザケインコナーズもそなのかも。
▼
原美術館。■ かなみが住んでいるところから歩いてゆけるすてきな美術館だよ。
はいはい。原マスミの単行本『こわくない夢』、おかあちゃんにかいましたよ。
海ほたるから東京湾方面をみる。とおくに見えるのが「風の塔」なのかな。おとといの写真は時間が止まっている感じがしてアートしてました。
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齋藤孝の『読むチカラ 「東大国語」入試問題で鍛える!』(宝島社)を読み。 ノブレス・オブリッジ、noblesse oblige、高い身分には道徳上の義務が伴う、という意味です。東大生に望まれる、と、齋藤先生はおっしゃっています。
名著『「アメリカ音楽」の誕生』、ぐぐってみたら麻布学園の図書館にも入荷している。麻布学園には佐野眞一が講演しに来るのか。■
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日本ジャズ史において最重要作は何かと問われたら、そんな問いするやつ、の、デリカシーのなさよ、成り立たない問いだろ。 解体的交感、と、念仏をとなえるように言ってはみるかな。じつはモスラ・フライトという隠し玉もおれなら相手によっては言ってみる。 そこまで。 それは誰の演奏ですかいつの作品ですか、とまできかれると、なんかこたえた自分がやになるのだから、「まあ、いいって、いいって、そんなの聴かなくって。自分で出会う音楽が自分をつくるんですよ」と、相手に聴かせない構えにはいってゆくのだ。 だったら最初っから言わなくていいのに、いつものわれながらのせこい言いよう。
おれの場合。 解体的交感に出会ったのは、師匠から当時中古で10万くらいの相場だったLP盤からコピーしていただいたカセットテープを、ウォークマンに入れて来日してピアノ・ソロ公演をギタリストのエグベルト・ジスモンチが演るときいて中央線あずさ13号に乗って松本に向かうにひとりで立った新宿駅のホームだった。そうか、あれから16年経ったのか。16年しか経ってねえのか?
これからジスモンチのピアノ・ソロを聴くという旅路と、解体的交感のスピード、の、美しさ、は、釣り合っていた。
釣り合うべくカテゴライズされているわけではないし、「美しさ」という一語でもない。
2007年08月05日(日) |
ザイトリンとフリーゼンのデュオ盤 |
前橋に行く。 クーラーが壊れたグランディスにこの炎天下の北関東は国道50号、窓をあけて 次男が選曲したチャットモンチーだかベースボールベアーだかマキシマムザホルモンだか を、音量をあげて走っているのって、どうなの? オズバルドプグリエーセと ザイトリンとフリーゼンのデュオ盤を聴きながら朝は涼しく走って。
ザイトリンとフリーゼンのデュオ盤を国内盤にした究体音像製作所■って、えらいぞー。 お、サイトからCDを注文するともれなくCDがもう1枚もらえるという、ありえねーキャンペーンを実施しているではないか。オレゴン『冬の陽』、スティーブ・ティベッツなぞ定価の倍払ってもいい作品もあるのに! みんなでこの機会にCDを買おう。
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前橋へは、長男のバリサク演奏を聴きに行ったのです。 もちょっと部員が多かったら迫力が増したと思うけど、なかなかよい演奏でございました。
会場では、息子を応援するためのラララライ体操を練習しようと思っていたのですが、 言い出したとたんにエクスワイフがマジギレしていたのでおとなしく聴いてきました。
おしまい。
県立図書館が充実していたです。食堂のおばちゃんがあさってでしたが。
横浜駅の早朝に。
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