日記...マママ

 

 

オタ婚活 - 2010年11月29日(月)

「らき☆すた」ゆかりの神社で、オタクを集めた婚活パーティが開催されたらしい。
内向的なオタクたちに配慮し、じっくり時間をかけて仲良くなれるようなシステムで執り行われたとのことで、これはいい、すごくいい。正直行きたい。
アニメには疎いが性格がオタク傾向の強い人間なので、ぜひとも似た傾向の人と知り合いたい。
疎いと言っても一般人に比べると知識は豊富だと思う。
「らき☆すた」は「けいおん!」みたく女子高生のありふれた日常生活をゆるく描いたアニメだということは知っている。
「かがみん」とか「こなた」とか、出てくる人の名前も知っている。
「かがみん」は長いピンクの髪を二つ結びにしてる子で、「こなた」は口が猫みたいになってて眠そうな垂れ目で、髪の毛がぼさぼさしてる人。ぼさぼさヘアーは、「こなた」が女子高生にしては身なりに無頓着であることを表すものらしい。
あとは誰だ。
かがみんの双子の妹で、頭にリボンを結んでいる人がいる。
妹の名前はなんだったっけ。みゆき?違うな。
姉の「かがみん」はツンケンしてるけど、妹のほうはおっとりしている。
あと、メガネをかけた優等生キャラがいる。
考えてみたらすごいよく知ってる。
アニメそのものを見たことは一度もないのに。
主題歌のタイトルも知っている。
確か「もってけ!セーラーふく!」というタイトルだ。タイトルだけ聞くとおニャン子クラブの歌のようだ。
それと、誰かの大好物がチョココロネなのも知っている。
このぐらい知っていればきっとなんとかなる。
あと「ハルヒ」も知ってる。
アニメについて自ら語ることはできないが、話を聞くことならできるはずだ。それに加えてわたしのドラクエ&FF談義に付き合ってくれれば言うことはない。オタ婚活すばらしい。ぜひ参加したい。九州でもやってくれないかな。


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起きた - 2010年11月28日(日)

いくらなんでも今日は起きよう、と決めて、普通に8時ごろ起きて朝ごはんにホットケーキを焼いて食べ、掃除洗濯をしながらこないだ買ってきたPS3の初期設定をした。
中古屋を数件回り、いちばん初期に出たやつ、したがってPS2およびPSのソフトも動かせるやつを選んで買って来た。無線LANがないのが痛いけど、まあネットはいつも使うわけじゃなし、使うときだけケーブルでつなげばなんとかなるだろう、と考えた。問題は容量である。20GB。これが原因なのか何なのか、今調査中なのだけど、いっしょに買ってきたFF13が何度やっても、ホープ(だよね?あのほっかむりの少年は)の母ちゃんが落っこちてしまった後、天井が開くムービーの「パージ対象者に告ぐ!パージ対象者に…」ぐらいの所で処理落ちしてしまう。ソフトが悪いのかハードが悪いのか。やはりたったの20GBだからなのか。でも本体の電源そのものが落ちるって、いくらなんでもおかしい。どうなんだ。一回目のときは演出かと思って、真っ黒の画面を見つめて5秒ぐらい待っていた。やっぱりケチらず新品を買うべきだったのか。以前使っていたPS2は諸事情により手放してしまったため、買うならPS2とPS3を両方買わなければならないのだ。やってられるかー!ということで初期型をあえて選んだのだが、それがいけなかったのか。とにかく原因をはっきりさせよう。


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おかしい - 2010年11月27日(土)

金曜の夜は仕事から帰って1時ごろには寝たはずで、土曜の朝は9時に一度目が覚めて、休みなので大好きな二度寝をして、二度目に目が覚めたのが12時ごろで、それから布団の中でPSPをしていたらまた寝てしまい、はっきりと目が覚めた今、日曜日に日付が変わったところである。
予定では、今日はどこか黒川にでもドライブに行って温泉に入ってから帰って来るはずだった。あわよくばそのまま泊まってもいいかな、なんて思っていた。
あれか、二度寝がいけなかったのか。
二度寝しなければ、黒川に行けたのか。
そして二度目に起きたときに布団の中でPSPなんてやるからいけないのか。
起きる気ゼロだったとしか思えない。
黒川に行くのもいいのだけど、洗濯をまだしてない。
ツタヤから借りてきたDVDも観てない。
考えてみたら先週の週末もこんな過ごし方だった。
睡眠というものをどうとらえるべきか、実はいまだによくわからない。
寝ていていいのであれば、本当にいつまででも寝ていられる。今の季節は特に。
皆そうだと思うけど違うのだろうか。
食欲より睡眠欲のほうが強い。
おなかが空いて目が覚めることもあるけれど、すぐにまた寝る。
そうしていつまででも寝続けて、月曜日の朝になる。
気がついたら二日間、何も食べてなかったりする。
食べるより寝ていたい。
と思いきや、早い時間から出かけなければならない用事があるときには、どんなに睡眠時間が短くてもぱちっと目が覚める。緊張感とプレッシャーが二度寝を許さない。人との約束があるときはそうだ。
問題は、自分が一人であれしよう、これしようと思っているときにはそうはならない、ということだ。
何かしらプレッシャーがないと起きられないらしい。
こうして日記を書いているときも、まあ困る人はいないからいいか、ぐらいにしか思っていない。洗濯は明日でもできるのだし、DVDも明日観ればいい。たぶん明日も寝続けるんだろうけど。こうして細かいToDoリストがたまっていく。どうしたもんか。起きればいいんだよ、起きればな。うん。





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父親の性向と家庭の雰囲気、大学芋がおいしい - 2010年11月24日(水)

とあるご家庭。お父さんの帰宅を待って夜からにしましょう、ということで、両親とわたしとの3人での面談を8時から約束していたのだが、来たのは父親だけだった。
お母さんとは先日ちょっと立ち入った話をしたところで、そのとき、わたしから言われた内容について、口では言わないけれども明らかに気分を害していて、もしかしたらそれで来なかったのかもしれない。
わたしの中では、父親に伝えるという形を取りながら実際に話をしたかった相手は母親だったので、非常に残念だった。
このお父さん、以前から気になってはいたのだが、今日じっくりと話をする中で単なる推測が少しだけ確信に近づいた。
たぶんこのお父さんは、仮に専門家の診察を受けたならアスペルガーと診断される人だ。
頭の回転が非常に速く、話が次から次へと紡ぎ出されてゆくのだけれど、脈絡がなく、相手の話を最後まで聞くことは難しい。
他者の言動を評価するときのこだわりや思い込みの強さも尋常ではない。
子どものこととなるとどんな親でも感情が先走って盲目的になるのは当たり前だけど、それとも違う独特の固執の仕方が、アスペルガーを強く匂わせるものだった。
もちろんそんなことわたしからは言えないし言わないけれども、ご自分でも思うところはあるようだった。
自身の中にある社会への不適合性を自覚し、苦労を重ねながら着地点を模索してきた過程を、それとなく話してくださった。
わたしは、中学生にしては大人びたアンニュイな雰囲気を漂わせている娘さんの心を思った。
娘が自分の考えを素直に話してくれない、とお父さんは嘆いていた。
思春期の女の子はみんなそんなものです、教室ではしっかり話してくれていますから大丈夫ですよ、と月並みな答えを返しながら、このお父さんには、きっと話したくても話せないのだろう、と思った。
お母さんは、お父さんとは対照的にいつもはきはきと元気のよい方で、理屈っぽく物事を考え込むことを好まない。
娘さんも、お母さんには比較的いろいろなことを話すらしい。
けれどお母さんに言わせると「あの子は、わたしの言うことなんて聞きませんから」「あの子の考えてることは、わたしにはわかりませんから」と、妙に投げやりな、諦めきった口調になるのがやはり気になっていた。

当の本人はどんな子なのかと言うと、正直、あのお父さんの子どもだなあ、と思うのだ。
こだわりが強く、そして面と向かって誰かと話すのがとても苦手だ。
「会話をするときは相手の目を見て話しましょう」と幼い頃からいろんな人から言われてきているだろうし、わたしと話すときも目を見ようと努力はしている。
けれど、目を合わせるのが非常に苦痛なようなのだ。
その苦痛さ加減が、「他者と視線を合わせるのが苦手」という自閉症の子どもに広く見られる特徴と重ならずには見られない。
勉強の出来は決して悪くない。むしろいいほうだ。
顔立ちは整っていてかわいらしく、運動も割とできる。
そんな彼女は、自己評価が非常に低い。
それがまた、他者との交流をより一層困難にしている。
妙に投げやりで諦めきった、あの母親の口調をそのままなぞったかのような人生観が、中学生の彼女の言動からすでに見て取れる。
こんなに将来有望な要素をたくさん持っているというのに。

彼女には、高機能自閉症の弟がひとりいる。
彼は本当に典型的な自閉症の子で、むしろ「わかりやすい」。
自閉症の子と付き合うためのハウツー本は巷にあふれているし、それに書いてある通りにやれば、基本的にはうまくいく。

でも、姉の彼女はどうだろう。
彼女は自閉症ではない。
だから周囲は彼女を「普通の子」として扱おうとする。
でも、彼女は実は「普通」ではない。
第三者のわたしにははっきりと見てとれる。
わたし自身に、似たところがあるからなのかもしれない、とも思う。
彼女の父親はわたしの父親ととてもよく似ていて、そして彼女も、中学生の頃のわたしと、とてもよく似ている(運動神経は似てないけど)。
最近思うのだけど、家族とは、その善し悪しにかかわらず、ただ「性格」とか「癖」とかいう言葉にとどまらない、「魂」とでも言うべき目に見えない何かを受け継ぎながらつながっていく存在なのではないだろうか。
自閉症の発現に、医学的な意味での「遺伝」がどれほどつながっているのか詳しくは知らない。父親が広義の自閉症に似た特徴を持っている人間だから娘や息子もそうなる、と単純に言うことなどできない。
だから、医学的な意味での「遺伝」なのかもしれないし、そうでないのかもしれない。それはわたしにはわからない。
でも確かに、彼女は父親の「魂」を受け継いでいる、というか、受け継がされている。そして「普通の子」であるはずの、娘のこだわりや偏屈がどうしても理解できず、心理的に距離を置かざるを得なくなってしまっている母親。

最近流行のスピリチュアルどうたらとかパワースポットでどうとかいうのも、たぶんこの感覚がつながっているのだろうと思う。
スピリチュアルが好きな人は、こういう「よくない魂」の呪縛から抜け出したいのだろう。なんだかよく知らないけれど詳しそうな人にいろいろと手間をかけてもらってその末に「もう大丈夫、あなたの魂は解放されました」というような意味のことを言われたら、確かに、ああもう大丈夫、とすごい晴れ晴れした気分で心機一転、明日から元気はつらつで過ごせそうな気がしてくるだろう。今これを書きながら想像しただけでそんな気がしてくる。

わたしは、年齢的には彼女の両親と彼女との中間にいる。
それぞれと15歳ずつぐらい離れている。
でも心は圧倒的に彼女に近い。
自分がまだ親という立場に立ったことがなく、接する機会が多いのは彼女のほうだから、というのもあるし、それに何より、かつての自分と重ねずにいられないからだ。
お父さんは
「娘は小さい頃から、嫌なことを『嫌だ』とはっきり言えない子だった」
ということを、何度も繰り返し言っていた。
彼女を「嫌」と言えなくしたのは、お父さんであり、お母さんだ。
対話のできない父親と、対話を諦めている母親が、彼女を自己表現の苦手な子にした。
でもそのことを認めるのには、お父さんにもお母さんにも、途方もない心の痛みと、時間が必要だ。
一番うちと似てるなあ、と思ったのが、誰もが互いに「親がうるさいから…」「わたしは違うと思うんですが、女房がこう言うもんで…」「わたしはどうでもいいんですが、旦那がこだわってて…」と、責を誰か自分以外の人間に問おうとするところだ。その心理も痛いほどよくわかる。一度自分の非を認めてしまったら最後、家族全員からの永い永い糾弾と制裁に見舞われ続けることになるのだ。
感情に任せて言うのであれば、わたしはきっと、お父さんとお母さんのそういう態度こそが彼女をそういう子にしているんですよ、と言っていたと思う。それは多分、わたし自身の叫びでもあるんだと思う。お父さんとお母さんのせいで、あたしはこんな風になっちゃったんだよ。同様に、父には父の、母には母の言い分があることをわたしは知っている。お前のせいで俺はこうなった。わたしはあなたの被害者。お互いに誰も自分は悪くないと思っている。わたしも含めて。そのどれもが正解なんだろう。誰もが責を逃れるために必死に自己弁護をしている。それぞれ内心で反省点はあるものの、そのそぶりを見せてしまったらもう最後なのだ。

というように、自分が「家族」という組織に不向きであることをなんとなく再確認しながら帰宅。
両親が自家菜園で育てたさつまいもで、大学芋を作った。
これがうまい。超うまい。
大学芋とはこんなにうまい食べ物だったか。
調子に乗ってどんどん作り、どんどん食べた。
それでも余ったので、明日、仕事で会う母におすそ分けをすることにした。
きっと喜んでくれることだろう。

件の彼女も大人になればこのような着地点をおのずと見いだしていくのだろうけれど、それまでの彼女の苦難を思いやると、わたしは涙が出そうになる。
彼女は幸いにもわたしほど変に理屈っぽい性格ではないので、精神的になんだかどうも調子が出ないなあ、というときでも、なんとかやり過ごすぐらいの柔軟性は保てると思う。
せめて、同世代のよき理解者が早い時期に現れてくれることを願うことぐらいしか今のわたしにはできない。それをとてももどかしく、不甲斐なく感じる。



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テレビ生活 - 2010年11月20日(土)

長らく、テレビと縁のない生活を送ってきた。
見ようと思えば見られるのだけど、わざわざ別室に移動して見なければいけないのが面倒で、見ないで過ごす日のほうが多かった。
最近見ていたのは、朝食時の「ゲゲゲの女房」だけだった。
「てっぱん」はなんか痛々しくて、途中でチャンネルを変えてしまう。
今日は主人公のお好み焼き屋さんの開店の日だったが、果たしてどうだったのか。たぶんうまくいかなかったんだろう。なんかそんな流れだった。

一人暮らしを始めて一番変わったのが、テレビを毎日見るようになったことだ。
最初はテレビを置かないつもりだったのだが、動くものが自分以外に何もない環境というのが予想外に寂しく、それを紛らわせるために結局買った。
32型のブラビアが、なぜだか知らないけれど目玉商品でもないのにとてつもなく安かったので、それを買った。
毎日、家にいるときは朝から晩までテレビをつけている。
結構新鮮だ。
先日は、アメトークをはじめから終わりまで初めて見た。
今週末はテレビタ感謝祭が開催されているそうで、その模様がKKTで放映されている。モッちゃんの清和文楽が意外に上手だった。美香ちゃんの天草ハイヤも艶っぽく、大変よかった。
きっと彼らは最初にこの話を受けたとき、ニュースキャスターの自分たちがなぜこのようなことをやらされるのかと当惑したことだろう、と思ったりした。
お遊びではなく、その道の達人の下に弟子入りし、芸名までいただいたりして、長期間に渡って本格的に修行を積んできたということだった。
確かに、そうだろうと思った。
でないと、上級者に混じっても遜色ないあれほどの芸を披露することなどできないと思う。
休日もないほどに練習に明け暮れたのではないか。
テレビに出ているとは言っても、ただのサラリーマンの彼らにそこまで求めるものなのか、最初から上手な人を呼んで芸を披露してもらえばいいのではないか、と、見ながら思っていた。確かに、地域民に日頃から親しまれている彼らがあえて郷土芸能に挑戦する、という点に価値があるのもわかるのだけど。
でも最終的には、郷土芸能への愛着と先人たちへの敬意を胸に抱き、前向きな気持ちで今日の舞台に臨んだのではないか。
「なんでこんなことしなきゃいけないんだろう」と思ったときがあったとしても、終わってしまえば充実感と新たな境地で満たされた気持ちだったのではないだろうか。
って本人たちの話を聞いたわけでもないし全然知らんけど想像だけで書いた。


まあテレビタ感謝祭はいいとして、何曜日の何時からどの番組が放送されているのかがだいたいわかってきて、ドラマをちゃんと連続で見る機会も出てきた。
それで今日思ったのが「Q10」はなぜ登場人物が善人ばかりでも違和感がないのかというと、たぶん人間の総数が少ないのと、ロボットがクラスメイト、というものすごい非現実をまず問答無用で見る者に押し付けることが、多少の違和感ぐらいでがたがた言わせなくする作用を持っているのだと思う。
今週は同級生の藤岡(個人的に好き)が家の事情で学校を辞めてしまうという悲しいことになってしまったのだが、失意の彼を勇気づけ、伝えられなかった「さよなら」を伝えるためにどうこう、というくだりが、まず普通はクラスでまとまって藤岡のために何かするとかいう発想にはならないはずなのに、ごく自然にそのへんをやってのけてしまうのも、クラスが多分全部で20人ぐらいだというのが、なんとなくそれでよしとしてしまう理由なのかもしれない。
毎週見ているうちに、知らない顔がいなくなってしまうのだ。
こないだの金八先生は毎週見ていたにも関わらず、わたしはクラスの面々をほとんど覚えていなかった。優等生といじめっ子を兼業していた男の子しか覚えていない。あと、広末が女囚役をやったリップスティックも確かほぼ毎週見たが、広末以外の子の個性をわたしは全然覚えていない。なんか「個性豊かなあまり社会からはみだしてしまう、根は悪いやつらじゃない集団」みたいな描き方だったように思うのだが、逆に皆そのくくりでしか描かれていないのですごいステレオタイプな人ばかりだったような気がする。ちなみに彼氏にそそのかされて援助交際をしていた子のことだけは美人だったので覚えている。

対して「Q10」は、顔つきとか髪型とか背格好とかしゃべり方とかが完璧に違う人間ばかりを寄せ集めてあり、ひとりひとりの差別化が非常にはっきりしている。「話を進めるために台本を読む」だけの人、すなわちモブキャラが、普通の学園ドラマに比べて極端に少ない。金八先生の仮面優等生みたいな個性や才能の突出した特別な人はおらず、なおかつありがちなスクールカーストをもさりげなく表現することでいくばくかのリアリティを付与することも忘れない。
普通ならスクールカーストの下位に位置するんであろう主人公の少年があんなイケメンではそもそも物語は成り立たないのだが、そこに突っ込むのはもはや野暮なのである。それもこれも、「Q10」がロボットだからだ。「いやそのしゃべり方はいくらなんでもドラマとして、ないだろう」と思っても、上記のようにふとしたところで絶妙なリアリティを混ぜ込まれながらあくまで正々堂々と押し通されると、だんだん「まあ、そういうもんなのかなあ」と思わされてしまう。何が言いたいかというとこのドラマは面白いということだ。脚本が上手に作られていると思う。




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弟が彼女を連れてきた - 2010年11月15日(月)

上の弟が、実家に彼女を連れてきた。
朗らかでよく笑う子で、とても話しやすかった。
がんばってくれてたんだろうなあ。
実は挙式の日取りまで考えてあるんだけど…と、二人に式場のパンフレットを見せてもらった。

「パパ」「ママ」と呼ばれてメロメロのデレデレの両親。
すごいなあ。すごい。
世界は変わるのだ。
彼女という存在が一夜にして我が家の世界を再構築してしまった。

まあ、彼が兄弟のなかで最初に結婚するだろうというのは目に見えていたのだけど、ついにそのときがやってきたのだなあ、と。
わたしも、どうにかせなんなあ。どうにか…。
めんどくさい…。


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婚姻活動 - 2010年11月07日(日)

イーモバの端末が十月をもって完全にお亡くなりになったので、携帯から書いている。
早くネット開通しないかな…。
仕事で使う物品の注文ができなかったりして、地味に困っている。
漫喫とかに行ってやればいいのだけど、今日の日本シリーズをなんとなく見ていて、場合によってはこれで勝敗が決まるとのことだったので、まあ終わったら漫喫に行ってそれから温泉に行こう、と思っていたらこれがなかなか勝負がつかず、延長15回の末に同点で終了、日本シリーズ史上最長の試合になったとのことで、わたしはついに今日は出かけず終わってしまった。
普段野球なんか見ないのに、日本シリーズとかどうでもいいのに、「家を出た直後に勝敗が決まったりしたらなんかやだ」というそれだけの理由で最後まで見ていた。しかも試合は引き分けだった。

さて婚活だが、大痛手を自ら被ってまで決意したのだから簡単にやめるのもいかがなものかとは思うのだけど、婚活そのものにまとわりつくめんどくささをわたしは全く克服できていない。しないならしないでも死ぬわけじゃなし、と自分に言い訳をして逃げているだけのような気もする。地道にかつ熱心に活動を続けた末に理想の相手に巡り会えた、みたいな体験談を読んだりすると、ああわたしは努力が足りないんだなあ、と思う。

しかし、しかしなのだ。
何度も書くが、人と人とが出会うのに、こんなに不自然な形態はないと思うのだ。

じゃーどうするの、という話ですが、もうこれはお得意の「流れに任せる」方式でいこうと思います。
いろいろ考えたところで最終的には、なるときに、なるようにしかならないのです。
たぶん。
と言いながらやはりめんどくささから逃げてるだけの気もするが。


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