机を買った - 2009年12月29日(火) 27日からずっと部屋を大改造し続けている。 具体的に何をどう動かしたのかをいちいち書くのもなんだかもう疲れてしまっていてどうでもよくなってきているのだが、とりあえず今日ついに、はるばるダイヤモンドシティクレアの家具屋まで出向いてあこがれのコーナーデスクを買った。 北欧風のダークブラウンのやつ。 早くもかなりのお気に入りです。 先日無印で買ったアロマ加湿器が良く似合う。 クレア1Fのよその雑貨屋で1300円ぐらい(冬物一掃セール)で買ったリーフ柄のラグもよく合っている。 ブラウンには緑だね、やっぱり。 椅子は帰り道にナフコで買った、その名も「プレジデントチェア」。 座り心地がよいので決めたんだけど、組み立てが異様にめんどくさくて、そのわりに大事そうなところの接続が甘かったりして、さすがナフコと思った。ごめんナフコ。 座り机よりこっちのほうが断然作業がはかどる。 滞っていた各種事務処理や教材解法も、これでだいぶはかどることであろう。 - 雑記 - 2009年12月19日(土) ・年賀状を買いに行こうと思っているうちに日が暮れたのでまたにした。 デザインと名簿だけは今夜作っておこう。 ・ここ数週間、仕事以外の時間帯ほぼすべてを費やしてひたすら睡眠を取り続けたおかげか、やっと通常の元気とやる気を取り戻した。高校のころ、保健の先生に戯れに調べてもらったバイオリズムがかなり真に迫ったものだったので今でも何となく信じているのだが、もしかしたらここ最近の体調の浮き沈みも、そのバイオリズムの一環なのかもしれない。 ・体調が悪かった時期に片づけなかったぶん、部屋が散らかっている。 部屋の片付けって、やり始めると中途半端で終われないので困る。 何日もかけて徹底的にやりたくなる。 今年の年末は部屋片付け特集か。 26日から正月まで仕事は休みになるので、おせち料理の手伝いが29日と30日として、3日間で終わらせることになるのか。 終わるかな…。 家の大掃除もあるし。 ・来年度から教室のいろいろを刷新しなければならない。 その計画とマニュアル作りもまだ全然進んでない。 ・確定申告の準備もそろそろ本格的に始めなん。 ・年度末提出の教材もまだ全然解いてない。 ・自主研の教材も解いてない。 ・ヤフードームでのB'zのライブのチケットが当たった。 まあどうせ無理やろう、と軽い気持ちで応募してそのまま忘れていたら当たっていた。 どうしよう。 2枚買って誰か誘えばよかった。 1枚しか買ってない。 がんばろう。 ・わじゃわじゃしてるのに我慢できなくなって、陰毛を全部剃った。 丁寧に、かなりすみずみまで剃った。 とてもさっぱりした。 すごくうれしい。 しかしときどき、ふっと、へんな不安感に襲われたりする。 ああ、なんかやっぱり、守られてなくて不安なんだな、と、種の存続にまつわる本能の頼もしさに感心する。 たぶんわたしは赤ちゃんは産まないと思うけれども、まあわたしがどういう人生設計をしてようがそんなことは彼らに影響しないだろうし、本人たちなりに焦っているのだろう、再生がものすごい早いのにも感心する。 「彼ら」「本人たち」とは毛のことです。 でもそういうのじゃなくて、もっと後天的で社会的な、成人女性というひとつのアイデンティティを示すシンボルを失ったことに対する寄る辺なさなのかもしれない。 まあ基本的にはさっぱりして気分爽快なのでどうでもいい。 ・ナベアツの奥方は、同じような動機で頭髪を剃ったこともあるらしい。 本当は真似してみたいけれど、さすがにそこまではできない。 まだまだわたしも一般人だ。 - アンダードッグ - 2009年12月07日(月) 「恋愛と結婚は別よね」と世間ではまことしやかに囁かれておりますが、実はそうでもない、ということを最近発見した。 すなわち結婚とは、十二分に濃密で縁の深い恋愛関係からの連続でなされるべきことなのだ、ということだ。 今週末は陽一君が来てくれた。 いろいろと煮詰まっているわたしを元気付けてあげたい、と言って、急遽飛行機を取り、予定を空けて来てくれたのだった。 ありがたいなあ、と本当に思った。 幸せの形とは人の数だけあって、例えばこれを読んでいるあなたの幸せとわたしの幸せの形はおそらくだいぶ違う。 30歳になってから改めて「結婚」を自分の人生の中でどう捉えるべきか考える機会が増えた。 あなたの幸せとわたしの幸せは、きっと違う。 結婚したあなたが幸せだからと言って、わたしも同じことをして幸せになれるかどうかはわからない。 逆に結婚してあなたが不幸になったからと言って、わたしが同じことをしたときに不幸になるかどうかもわからない。 独身を貫いたあなたは今後悔していないが、それはきっとあなたが強くてかつ幸運だったからだろう。 だからわたしには安全策として「できれば結婚したほうがいいよ」と話してくれるのだろう。 というようなことを、周囲のたくさんの人たちとのかかわりの中で考えてきた。 でも先週末、無心にふたりでいる時間を楽しみ、あっという間の2日間が終わって今いちばん強く思っているのは「この人と、ずっと、ずっと、いつまでもいっしょにいたい」ということで、人間は欲深い生き物でさらにわたしはその中でも特に欲深いほうなので、他にもいろいろあることはある。 たとえば今の仕事を辞めたくはない。 両親や弟たちに認められ、祝福されていっしょになりたい。 この土地でいっしょに暮らしていきたい。 毎回毎回ホテルを予約するんじゃなくて、ふたりで生活していきたい。 全部をいっぺんに叶えることができないのは知っている。 でも何も特別なことはしなくていい。 そばにいてくれたら、たぶん当分は満足。 人間のなかでもことさらに欲深いわたしは、気をつけているつもりでも次第に要求が増えてきてしまうかもしれないけれど、そんなわたしを諭してほしい。 そして初心に帰って、またふたりで仲良く生活していきたい。 ここのところずっと鬱屈している何よりの原因は、もしかしたらこれだったんじゃないか、と思った。 陽一君がそばにいないのはいやだ。 遠距離はいやだ。 本当はいやだったんだ。 いやだけど、言ったってしょうがないから、納得したふりをしていたのだ。たぶん。 自分でも気がつかなかったけれど。 無理やり「ない」ことにしていたのだ。 つくづくこの性格に腹が立つ。 なぜもっと自分の感情を柔軟に受け止められないのだろう。 こういう傾向が周囲の人と自分との間に軋轢を生む原因にもなっているのも知っている。 でも本当にわたしにとっては「ない」のだから、認識しようがないのだ。 我慢していることにすら気がつけないのだ。 そういうことを思いながら、ぼんやりとした夢を抱いている。 陽一君といっしょに生活をすることは、確かに不可能ではないのだけれど、それを実現するにはお互いに失うものが大きすぎて、だから現状維持がいいんだろうね、って話だったはずなのだ。 それで納得してたはずなんだけどな。 今こうして泣きながらキーボードを打っている横に陽一君がいてくれたら、たぶんそれだけで、わたしは欲深な人間だから、そう思えるのはほんのちょっとの間だけなんだろうけれど「他には何もいらない」と思えるんだろう、と思う。 -
|
|