日記...マママ

 

 

ううううう - 2005年03月30日(水)

お腹が痛い。

2日前にハバネロ一気食いしたのがいけなかったのか。
さらにその後コタツで寝たのがよくなかったのか。
そもそももうすぐ4月なのにまだコタツを出しているのがよくなかったのか。
だからコタツで寝ちゃうんだよ。

お腹が痛い。


前勤めていた会社の同期に赤ちゃんが産まれた。
いやー。おめでたい。
お母さんに似て、きっとかわいい女の子になるだろうと思う。
赤ちゃんが産まれたというニュースは、やはり無条件で嬉しいことだと思った。

ちょっと年を感じます。



結局病院は変わらず後任のお医者さんに引き継いでもらうことにした。
月曜日は、1月からお世話になった先生に、今までありがとうございましたと儀礼的な挨拶をして病院から帰ってきた。
なんかほんとに儀礼的だったな。

「チェックしてみたところ病状はあまり良くなっていないみたいで…すみませんでした」
と言われたのだが、1月に比べたら今のほうがずっと楽だ。だいぶ良くなってきていると自分では思う。
そう伝えたんだけど、力不足だと感じていたみたいだった。
て言うか、医者の目で見ると今の私は「あまり良くなっていない」のか。

何をもって「良くなった」とみなすのだろう。よくわからない。
前から疑問だったので何度か尋ねているのだけど、いつも
「そういうことを考えるということは、まだそんなに良くなっていないということなんですよ」
と、なんだか禅問答のような回答が返ってくる。

多分、医者にできるのはそこまでなんだという気がしている。

「ご自分では元気になったと感じていても、しばらく治療を継続して様子を見たほうがいいと思います」
と言われたので通院は続ける。




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マジですか - 2005年03月23日(水)


千葉県の高校生の4.7%が「教師からセクハラ受けた」と回答

割合高すぎ…。
質問文を読んでみたい。
こういうのって、一つ言葉が変わるだけで回答率が激変したりするしなぁ。

成績や進路を盾に接触や性的関係を迫られたという回答が191人って。
なんだか、何を信じたらいいのかわからなくなる数字だな…。

確かにされた方がセクハラだと感じればセクハラは成立するのだけど、こういう風潮の中で言いたいことも言えなくなっちゃう先生がいるとしたら、それはそれでちょっと寂しい気もする。
あとスキンシップもねー。難しいよねこれは。
年頃ですから。

歴史の先生が、現代との文化的相違と絡めながら昔の人のシモネタ話をいろいろと披露してくれるのが楽しくて、そういうときだけは起きて興味津々で聞いていたものですが、そういうのも自粛ムードになったりするのかしら。それはまた違う話なのかな?


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テレビの力 - 2005年03月22日(火)

久々に「爆笑問題のススメ」を見て大笑いした。
今日は過去の名場面集だったので、より面白さが凝縮されていててよかった。

ここ数ヶ月、そういうことを思うことはほとんどなかったのだが、ふいに「横に、一緒に大笑いできる人がいてくれればいいのにな」と一瞬普通に思ってしまった。
以前、一緒に生活していた人の記憶がするすると芋蔓でよみがえってきた。

唯一私が一緒にいて疲れなかったあの人は、私と一緒にいて疲れていたのかな。
なんだかそんな気がする。
別れ際に「もう今までみたいに接するのは無理」と言われたのはそういうことだ。多分。
無理してたんだと思う。
だから私はあんなに居心地がよかったんだ。

私の頭は蛍光灯で、今落ち着いて考えているのがおととしの9月のこと。
まだ別れてない部分がある。

寂しい。
寂しい。

いつになったら、また一緒になれるのかな。
もう、だいぶ変わったよ。私。
今はまだ無理だけどね。

また一緒になろう、って約束とか何もしてないんだけど。

多分、本物はこれひとつだった。
もうこれだけでいいと思うんだよ。

あなたに見せていたような心からの笑顔が、別れてから誰の前でも出せないのです。
自分が自分でない感じが、ずっとずっと続いています。
体の中から何かがなくなったの。マジで。

別の人と1年間付き合いましたが、結局埋まりませんでした。
あなたと別れる間際に宣言したとおり、カッコよくて甲斐性のある人をうまく捕まえました。
その人と私は一緒にいてもしかしなぜか非常に気が重く、何をしていても上の空で、本当は、その人のことがあまり熱烈に好きではなかったのかもしれません。あんなにカッコいい人なのに。

カッコよくて甲斐性があってスポーツマンで、さわやかで明るくて前向きな人よりも、
深夜までゲームに熱中してて、服装も適当で、髪の毛はたまにしか切らないし、メガネのフレームもどうでもよさげだし、優しすぎてちょっと怒るとすぐ引いてしまうし、転職した会社が潰れちゃうし、そういうあなたでなければ。
ダメだったんです。

ささいなことですぐに泣いたり怒ったりしていた当時の私を、めんどくさがりながらもちゃんと面倒見てくれていたこと、そういうことはもうできないと言っていたけれど、できなくてもいいよ。
ささいなことですぐに泣かないように私が変わったから。
あなたを過度に疲れさせないように。自分自身のためにもね。
あなたが空気のようにそばにいてくれることが必要だと思った。
それがあれば、前とは違ったかたちで、私は私でいられる。

なんていろいろ考えているんけれど、実際のところ、メールを打っても返事は来ず、電話をしても手動で留守録に切り替えられるのは間違いない。
別れた相手にはすべてそうやって対応する人なので。

やっぱ無理か。


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地震が - 2005年03月20日(日)

地震が来た。
新潟の地震のとき送ろうと思ってかき集めるだけ集めて結局何もしなかった衣類が役に立つようなら改めて送ろうかと考え中。
隣の県だとやっぱりちょっと感情の入れ具合が変わってくる。

地震が来たときは寝ていた。
目が覚めて「なんかいつもと違うな」とぼんやり思ったもののそんなに焦りもせずまた寝たんだけど、ニュースを見てあの状況で焦らなかった自分に焦った。
震度4だったのか。
特別な被害はなかったにせよ、その後またでかいのが来る可能性もないことはないわけで、もうちょっと防災対策をしっかりしとかんといかんなぁと思った。
後で買い物に行こう。


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あれ - 2005年03月19日(土)

小出しにするはずだったのに微妙に日が開いてしまった。
一日ずつ書こうと思ってたんだけどなー。
書くことがないんだよな。特に。

本を読んでいても途中で疲れてしまうのか気が付いたら寝てるし。
ブログをちゃんと機能させてホームページを改めて作ろうと思ったりもするんだけど、枠組みを具体的に考えたりタグを習得したりするのも結構体力がいる。
気力もだけど、体力がいる。
そう。体力だ。多分体力が足りないのだ。

先日、振り込め詐欺への注意喚起のために「ふりかけても振り込むな」とか「食卓を囲んで家族の絆を深めてほしい」とかいった趣旨でふりかけを配ったというどこかの県警の話がヤフーのトピックスに載っていた。
面白かったのでもう一度読んで日記に書こうと思って「ふりかけ ニュース」で検索したら「アフリカ系」でヒットしたらしく、言語学とか文化論とか英会話スクールのページがたくさん出てきた。
ついさっきまで、当初の目的がふりかけだったことなどきれいに忘れ、英会話の無料お試しレッスンの申し込みフォームを熱心に読んでいた。

そんな毎日なので、毎日日記をつけると言っても実は特筆すべきことがない。


そもそも、数日前のニュースなんだから、検索せんでもリンクをたどっていけばよかったんだよな自分。

あったあった。これだ。
「ふりかけても振り込むな」
かわいい。




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いろいろ - 2005年03月17日(木)

この前の日記、「きのこの里」じゃなくて「きのこの山」もしくは「たけのこの里」でした。
合体してた。
私はきのこの山のほうが好きだ。
どうでもいい。


この前、郊外のショッピングモールでトイレに入っていたら、2,3歳ぐらいの男の子がうんちを漏らしてパンツを汚してしまったようでお母さんがひどく叱る声が聞こえてきた。
まぁこういうところのトイレではよくある光景。

「もーなんしよっとね!ほら一緒に新しいパンツ買いに行くよ!」
「えぇー…」
「そがんおちんちん丸出しで歩けるわけなかたい!」
「えっと…」
「じゃぁお母さん戻ってくるまで絶対ここにおれるとよね!?」
「えーっと…」

お母さん大パニック。
連れて行くのか置いていくのか言ってることがいまいちわからない。
それに振り回されて動揺する息子。

そこに状況を察したらしい通りすがりの女性が「よければ私がしばらくついていてあげましょうか?」と声をかけるのが聞こえてきた。
それでお母さんも冷静さを取り戻したようで「すみません…!急いで下着買ってきますので、それまですみません」と走って出て行った。

「マスクしてるね。今日はお風邪なの?」
「ううん、違うの。お医者さんがしなさいって言ったの」
「そうなの、お医者さんにマスクしなさいって言われたのね」
「うん、たーくんはマスクしなさいねって言ったの」
「どこの幼稚園かな?うちにも5歳の男の子がおるとよ。○○幼稚園でね」
「たーくんは○△幼稚園」
「そっかー。お母さん、すぐに戻ってくるからね。大丈夫だよ」

ほのぼの。

たーくんのお母さんもいつもあんなふうにテンパッてるわけじゃないんだろうけど、子育てって大変なんだなぁとこういうのを見ると改めて思う。


「入眠剤」のおかげか、何とか昼間起きて活動することはできるようになった。
何か軽く運動したほうがいいな、と思った。
体力をつけなくちゃ。



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ゴミを出すのを忘れるくらいに - 2005年03月15日(火)

眠い。
マジで眠い。
夜になると活動的になる。

これが続いていろいろと困る状況になってきたので、お医者さんに「とりあえず昼起きて夜寝る生活に戻したい」と相談して「入眠剤」を処方してもらった。
「睡眠薬」はまだ一般的なことばだけど「入眠剤」って言うとなんか一気に専門性が高くなる気がする。
なのであんまり使いたくない。できれば「睡眠薬」で通したい。けど性質が違うものだからやっぱり正しく「入眠剤」と言わなければいけないのだろう。

さらに私はこれが大嫌いなのだが、闘病サイトの掲示板などでよく患者同士が入眠剤とか睡眠剤のことを「眠剤」と略して情報交換をしている。

どうしてうつ病患者というのは皆こうも薬の知識が豊富なのかと前は不思議だったのだけど、多分豊富にならざるを得ないのだなというのが最近ちょっとわかってきた。
今まで病気や怪我をしたときは医師の言うことに従順に従っているだけでよかったが、今回はそれではいけないみたいだ。
自分から「この薬が自分に合ってるみたいだからこれを処方してください」とか、逆に合わない薬の処方を避けてもらうとか、いろいろ患者側から自発的に働きかけなければいけない状況が多い。
合わない薬を処方されたときはほんとにきつくていやになるし。
だから、薬の知識をきちんと頭の中に入れておくことは必要かもしれないと確かに最近思うようになった。

でも入眠剤のことを「眠剤」とか言いたくはない。
なんていうか、自分も大して変わらないところにいるくせに偏見なのかもしれないが、入り込んで抜け出せなくなる気がして。
そんなさ、「じゃがりこ」とか「きのこの里」とかじゃないんだから。
言ってる意味が我ながらさっぱりわからんけど。
お手軽な響きがなんか嫌なの。「眠剤」とか。もうイヤほんと。もう。

かなりネットに密着した生活をしてきたけれど、今回はちょっと遠ざけてる。意識的に。
全部がそうとは言わないが、ネットのうつ病コミュニティはちょっと独特の雰囲気があるところが多い。ような気がする。
そういうとこに染まるぐらいなら本とか雑誌で普通に情報を集めたほうがいいや。

染まりやすいから自衛しなきゃ。ってことなんですけどね。要するに。
コミュニティに罪はない。うん。




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小出し - 2005年03月14日(月)

久しぶりに日記を書くと、本当にどうでもいいとりとめのない長文を書くのにものすごいエネルギーを使っていることに気付いた。
書いてるうちに消耗して投げやりで殺伐とした気分になってるのに、必死になっていろんなことを吐き出そうとするので非常に疲れます。
知らない間に溜まって溜まって突如大爆発。
といっても、自分で溜めてるつもりはまったくないのです。
溜まってることに気付かない。
エネルギーの溜まり具合がちゃんと数値になって見えてくれればどんなに楽かとアホなことを思ったりもします。
爆発したとき、溜まっていたことに初めて気付きます。
そういうのが疲れたのでもうちょっと小出しにしていこうかと。

担当医が3月いっぱいで異動になった。
一緒についてって新しい病院に通うか、引き続き同じ病院で後任の人に診てもらうか考えてくださいと言われた。

やっと普通に話せるようになってきたのにまた別の人と新たな関係を築いていかねばならんのかと考えると疲れてきたので「よければついていきたい」と言ってたんですが、通院に片道で今より1時間ぐらい余計にかかるところに異動になったらしい。
加えて後任の人は病院内で非常に人望の厚い優秀な医師らしく、薬剤師さんからはその人にかかることを強く薦められた。

今日たまたまその人を遠目に見ることができたのだが、なんかえらくチャキチャキして体育会系で江戸っ子な感じの人だった。どうしよう。第一印象としては正直苦手なタイプだ。ついていけるかな。でも優秀なお医者さんならその人のほうがいいかな。春は出会いと別れの季節だよほんと。こんなところで季節を感じるとは思ってなかったけれど。あぁ。考えると疲れる。


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うーん - 2005年03月11日(金)


お酒に酔って強制わいせつ罪を犯してしまったということで

「一生お酒は飲まない」

ってコメントするのは何となく違うように思った。
「自分が罪を犯してしまったのはお酒なんてものがこの世にあるからだ」って言ってるように最初は聞こえてしまった。
お酒そのものが悪いんじゃなく、理性が飛ぶほど飲みすぎてしまった自分の分別のなさが悪いんだろう。

覚せい剤とかなら「一生やらない」でいいんだろうけど。
お酒だとどうにも違和感が。


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何を書こうとしたのか途中で忘れました - 2005年03月10日(木)

小学校の先生が子供達との日々のやり取りを淡々と綴った日記サイトを見ていて、テストの迷回答やらふいに向けられる鋭く哲学的な質問についてのコメントに笑わされながらも、一方で純粋な子供らしい感性に感動させられ、なにしろサイト全体に漂う子供達への静かで愛情に満ちた眼差しを感じて暖かい気持ちになった。

ただ哲学的な質問については、子供は子供なりにこういうふうに考えて質問してきたのかもしれない、というところに対する洞察をしないでただ嬉々として大人の視点から突っ込んでる様子はどうかと思ったりもしたが。
まぁ何気ない会話のたびにいちいち深く洞察するような性格だったらやっていけない仕事なんだろうな。
なんつっても1対40だし。うへー。


こういうのを見てると小学校の頃を思い出す。
どこかのブログで「小学生の頃に悪ぶって万引きしてたやつを見てバカだなと思ってたけど、そういうやつらは今になってみるとみんな成功してる」みたいなことを前に読んだんだけど、なんとなく私もそれはあるなと思っている。
それなりの成功を手に入れている人の小さい頃の話を聞いてみると、意外にワルなエピソードがいっぱい出てきたりすることって結構ある気がする。


本人同士で連絡を取ることはもうないけれど、親同士が遠縁の親戚なので(血は繋がってないけど)たまに近況を聞く機会のある同窓生がいる。
彼を思い出してみても確かにそうだ。
悪いことを隠れてやるのが得意で、異様に要領のいい子だった。
地元の名家の御曹司で、小6当時「俺が跡を継ぐのが当然」みたいなことを言っていたが、どうもそのまま順調に行ってるらしい。
そろそろ若社長ぐらいになってるのかもしれない。

あと、先生達からの評判はピカイチなんだけど、取り巻きを引き連れて陰でいじめをやってる女の子がいた。
この子のことを、なぜだか最近よく思い出す。

陰の部分を知る子からはものすごく嫌われていたけど、私はなんとなく距離を保ちつつも良好な関係を保っていたような気がする。
彼女と同じ英会話教室に通っていたってのもあるし、良くも悪くも私はいじめられるほど関心を持たれていなかったし、子分にできるほど御しやすい性格でもなかっただろうから(あまのじゃくだから)。

普段の彼女は、よく気が付く大人びた子だった。
いじめの実態を見たとき、他の子のように彼女を嫌いになることができなかった。
ひどいことやってるなぁと思ったし、嫌いになるのが普通の感覚だと思うんだが、なんというか、私の中で自然と彼女の二面性が許せてしまったのだ。
なんでかな、と考えると、やっぱり英会話教室で一緒に過ごした時間のことをい思い出す。

口コミで評判だった教室で、メンバーは若干の変動があったがだいたい3人から5人ぐらいをうろうろしていて、固定メンバーが私とその子ともう1人、やはり同じ小学校の同級生の3人だった。

本当に先生がよかったと思う。楽しかった。
今思うに先生は、英語に対する抵抗感や食わず嫌いをなくすことを最大の目的としていたんだろうと思う。
発音や文法、筆記体の体裁など細かいところまで結構みっちりと指導されたのだがそれで嫌になることは一度もなく、カードゲームやクイズなどで楽しんだ記憶ばかり出てくる。私の単語力はあのカードゲームに培われた部分が大きいと思う。(逆に言うとそこからあまり発展していない。)

帰り道には自転車で一緒にお菓子を買いに行ったり、ちょっと外れのおもちゃ屋まで寄り道したり、捨て猫にえさをやったりした。

その記憶の中の彼女がいじめの首謀者であったことは、今でも大したことではないように思う。
私にとっては表も裏もなく目の前にいる彼女が彼女その人でしかなかった。

彼女は6年生の2学期で、中学受験のために教室を辞めた。
もう一人の子も中学受験組だったのだが、私も3学期に入って引越しが決まってまもなく教室を辞めた。
それ以来連絡を取っていない。
年賀状ぐらい書いておけばよかったな、と今更ながら思う。


卒業文集にも英会話教室のことを書いた。
詰め込み教育の弊害により先生に褒められる文章を書くのが正解だと思っていた小学生当時の私は(言いがかり)、作文の時間はいつも先生の感性を基準にして先生を喜ばせることだけを狙った媚びた文章を書いており、当然褒められることなどなく納得のいかない思いをしていたわけなんだけど、この英会話教室についてはそういうことを気にせずに素直に書いたなぁと思う。
今読み返しても、当時と同じ気持ちでいろんなことを思い出す。



6年の3学期、中学受験組のクラスメイト10人ほどが学校にお菓子を持ってきて隠れて食べていたという事件があって、「金八に憧れて教師の道を志した」と素で言いそうな熱血教師だった担任はそりゃもう落ち込んだものだった。

ちなみに上記の御曹司といじめっ子並びにその取り巻きも10人のうちにいた。
つうか主犯格だったらしい。


暴力事件とかタバコとかじゃあるまいし、お菓子ぐらいで四の五の言うなよと当時思ったし今でも思っているが、そういう時代だったのか、うちの小学校が特殊だったのか、とにかく大問題になったらしい。どうでもいいと思っていたため実はよく知らない。

学級会の時間、受験を間近に控えながらどうしてそういう自己破壊的な行動に及ぶのかと、先生はその行為がいかに軽率なものであるかを涙を流しながら教え諭した。

流石に当事者達は(基本的に皆いい子なので)素直に「反省した」というコメントを発表し、それらのコメントは事件発覚時からの成り行きとともに先生の手によって編纂されて学級だより特集号みたいなのに載せられた。

中学受験ってのはやっぱり皆が経験するものではないし、プレッシャーとかストレスとか友達と競争しなきゃいけないという葛藤とかいろいろあって彼らも捌け口がほしかったんだろうと思う。多分。
例の女の子が同じ中学を受けるライバルの子を急に仲間はずれにしただのされただの、そういった噂話が急に増えた時期でもあったような記憶がある。
何が本当なのか、今となってはわからない。

先生って仕事は本当に大変だなぁと本当に思う。
私なら、あんなふうに涙を流してまで彼らのささやかな反抗を嘆き、諫めることなどできない。
中学受験を目前に控えてるんだからバカなことをするな、と言うことはできる。
受験に不利益になり得る行為であるとは思う。

じゃ子供が「ほんとは受験なんかどうでもいい」って言い出したら?
なんて言う?
親と話し合ってみることを勧める。自分も相談に乗る。
本当に受験したくないのか?意地を張ってるだけ?
受験するのは誰の意思?
自分の意思?親の意思?
自ずとそういう問題にぶつかる。
どう答えを出す?

でも大人にそうやって気持ちをぶつける子供はまだかわいげがあるかも。
一緒に考えることで、親や先生も成長できるだろうし。
何も言わないでその思いを抱え込んでしまった場合がこれはもうまずい。
でも思春期の入り口って急にものの感じ方が変わって何かと戸惑いがちな時期だし、自分の気持ちを上手に表せなくなる子も結構いると思うんだよな。

難しすぎるよ12歳。



彼女達も、今はそれなりに成功してるんだろうか。
してるんだろうな。知らんけど。


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勘違いヒロイズム - 2005年03月06日(日)

バイク少年刺され重傷



うちも以前暴走族が非常にやかましいところに住んでいて、夜中によく目が覚めたものでした。

で、この事件のおっさんみたく、父が金属バットや木刀を持ち出して
「今日こそバイクのヘッドライトを叩き割ってやる」
などとアンポンチンなことを言いながら出て行こうとしたことがあるのを思い出しました(3回ぐらいあったかな)。

家族が眠くてまともに相手をしないでいるとそのうち黙って自室に引っ込んでいたのですが、そこで
「お父さんやめて!そんなことしたらお父さんが死んじゃうよ!」
などと必死に止めていたら、変なヒロイズムに駆られた父は本当に暴走族に喧嘩を売り、ヘッドライトを叩き割るどころではなく自分が袋叩きにされていたかもしれません。

あのとき必死にならなくてよかった。




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鈴木ちゃん - 2005年03月05日(土)

怪我人が出てるので笑っちゃいかんのだけど、どうしてもコミカルな情景を想像して笑ってしまう。

「係長こそセクハラじゃないですか!」ビビンバ鍋で殴打

Yahooが補足として石焼きビビンバ鍋の紹介ページに普通にリンク張ってるのも何かツボに入ってしまった。
必要なのはわかるんだけどさ…。
ビビンバ鍋も災難なことだ。

どの程度のセクハラだったのか知らんので憶測だけど、多分セクハラで注意しただのされただのというのは表層にすぎず、水面下でじわじわと深まっていた確執がついに表出したのがこの事件だったということなんじゃないかと思うが。


どうなんだろうか。



市民課の看板娘こと鈴木ちゃん(仮)と、いつものように他愛もない雑談で盛り上がる係長。
その光景を嫉妬のこもった眼差しで睨み付けるビビンバ男。


ちくしょう係長のやつ。今日の会議でも俺ばっかり目の仇にしやがって。

そもそも俺も係長と同じように鈴木ちゃんに話しかけてるだけなのに、何で俺の場合はセクハラになるんだよ。
鈴木ちゃんはお前だけのものじゃねぇんだよ。
勘違いするなよまったく…ブツブツ(お前もな)



「係長こそセクハラじゃないですか!」の後には、もしかしたら

「だいたいね、デスクトップを子供の運動会の写真にしたいだの何だの、そんなことでいちいち鈴木ちゃんを呼んでないで少しは自分で調べてみたらどうですか!鈴木ちゃんだって忙しいんですよ?あとこないだの戸籍謄本の件ですけどね(市民課らしいので適当に想像)!ありゃ僕の責任じゃないと思ってますからね僕は!」

みたいなセリフが続いていたのかもしれない。
積もり積もったやり場のない不満。暴走する怒り。
なんで俺じゃダメなんだよ、なんでだよ!



ビビンバ鍋はこの男の憤懣やるかたない気持ちの収束かと思うと男が哀れな気もするが、しかし殴られた係長と鈴木ちゃん(仮)がその何倍も気の毒であることは言うまでもない。




どこからどこまでが妄想かわからなくなってきた。
なにぶんビビンバ鍋ときたもんで、つい悪乗りしてしまいました。
ごめんなさい。


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「素晴らしい事実」 - 2005年03月02日(水)

先日の「拳銃ください」の人のブログみたいな悩みを抱えている人がたくさんいて、それに対して「気持ちはわかるが甘ったれるな世間知らず」と大人達が一喝してそうなサイト(2ちゃんの哲学板なんだけど)を見てたら、ひとつものすごく印象的なレスがあった。

社会の在り方とか人間の存在の虚しさ、もう自分しか信じない、みたいな、まぁ拳銃の人と似たようなありがちな悩みを、わざわざスレ立てて切々と訴える青年に対して
「ほぼ全面的に賛成だが、なぜそんな素晴らしい事実を述べるのにそんな荒んだ言い方をするのか」
って。

スレでは何か流されてるけど、こいつすごい。なにげにすごい。
2ちゃんで啓蒙されてるあたり私という人間の底の浅さを表してる気もするが、これって結構有効だ。
くるっとひっくり返された感じ。

「荒んだ言い方」が当たり前になっちゃってるもんね。
言われるまで、気付かなかった。



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イヤンな感じ - 2005年03月01日(火)

やばい。無為にネットをさまよう時間が最近多すぎ。
比例して2ちゃん滞在時間も増えてる。多分。
こわいこわい。あんましこの世界に浸かり過ぎないようにしよっと。

ネット依存症の人はネガティブ思考になりやすいという話をずっと前に聞いたことあるけど、確かにそうかも、と自分を顧みて思う。

ネットのあちこちに転がっている膨大な情報の渦に飲み込まれて、そこからどうすれば脱出できるのかを探そうとして、またネットを徘徊したりするのだ。これって単なる悪循環だったりする。
そういうときって別のメディアで解決法を探したほうがいいんだよね。多分。

ネットがあるから新聞はいらないと思ってた時期もあるけど、新聞はやっぱり必要だし、本屋さんで買える紙の本も必要だ。
どんなにネットが便利になっても、むしろ便利になればなるほど?必要だと思う。


一人でいるときが一番自分に正直でいられる。
誰かと一緒にいるときは孤独を感じなくてすむけれど、その代償としてひっきりなしに自分に嘘をついている気がする。
方便だけではなく、不必要な、いやむしろ、ひとりの人間としての自分の尊厳を自ら貶めてしまうような、決してついてはいけない嘘までも。

「ホントの自分がわかんない」という苦悩ではない。
今ここにいる自分がホントの自分だ。それ以上でもそれ以下でもない。

普通に生活していれば、ことを荒立てないために小さな嘘をついたほうがいい場面が山ほどあるし、そういうことをいちいちほじくり返して悩みたいわけではなく。

別に嘘をつかなくたっていい場面、利害関係を超えて人として本当のことを言ってもいい場面、言わなければいけない場面で、嘘をつくのだな。

全然好きじゃない人に大好きだと言っちゃったりね。
で、不本意に付きまとわれて猛烈に面倒になったりね。

そんな嘘つきライフがなんだかもう板についてしまってる。

たまに開き直って「善人面した腹黒キャラ」を貫こうと思っても、こうやってふいに自責の念に駆られたりするのでだいたい3日で頓挫してしまう。

あー。めんどくさ。


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