Land of Riches


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 2010年08月29日(日)   Answer 

余計なものがそぎ落とされて、やりたいことだけやる状態に。
ただ、欲するがままに。



だって、しょうがない。
私の「今」は、北関東、栃木県宇都宮市あたりにあるんだもの。
雷が鳴る街でも。

そして、もう一つ―「ひとつ取り戻したぞ」って存在が。
ボランチやってるって?



人として生まれたものにとって、「永遠」は幻想であり、単なる概念。
命を授かって生まれた以上、全ての人間は時間を一方的に流されていく。
「永遠」に憧れ、それが本当は壮絶な苦しみなのも想像できてしまう。
なんて人って、知的で、かつ感情的な生き物なんだろう。


 2010年08月22日(日)   理想ではなく人を救う 

「覚えておくがいい。英霊は、今を生きるものに力を貸す」

JR鹿島線でプレーしたEXTRAには、そんなセリフがあったのを、カシマの2階席で思い出した。
前世紀、5年近く応援した…ゴール裏にもいたアントラーズは、私にとって『古巣』的存在。
アントラーズの、20世紀より存在している一部チャントは、揺りかごに注がれる子守歌だ。
効能は正反対だが…記憶をゆさゆさと揺さぶり倒す。

EXTRAのアーチャーは、自分を過去の亡霊と呼んだ上で、文頭の言葉を口にする。
自分は、カシマスタジアムにおいての過去の亡霊みたいなものだ、と感じた。

では、私の今は、どこにある…?
考えれば、すぐ分かる。ここまで、何かにつけ縁を感じる、誰かのそば。

諦めずに何度も行くのが正解だと、思い出したのだ!


 2010年08月20日(金)   カレイドスコープ 

『あらゆることをそつなくこなしながら、ここ一番では必ず失敗する』
紅茶を飲みたいと思った理由が“赤の主従”だったのが、発端だったのかも。

悪いことが起これば、「呪い」だと言って関係ない事象をリンケージし、
良いことが起これば、「ジンクス」だと言って、やはり関係ない事象を繋いで、
実在しない、けれども当人には“感知”できるリンクをありがたがるという。

変動し続ける時代、加齢を一人の例外なく重ねていく魂と肉体。
流転する3次元世界にあって、過去からの継続性を認知できる“何か”。
変わらないことは、人の心をほっとさせるものがある。
知らないものは恐ろしく、知っているものは恐ろしくないから。

平均寿命の半分にも達してないけど、生きてきて、後悔もたんまりあって、
取り返せない失敗を語ることも何十回とあるけれども、ほんの少し前に比べたら、
日常の繰り返しが退屈で色褪せたものにも感じられるぐらいには、幸福、なのでしょう。
ならば、リピートする毎日を、しっかりと凝視して大切にすべきなのです。

半永久に刺激を与え続けてくれる魂に触れてみたいと思うのです。
どれだけ観ても…観察しても、ウォッチしても、見尽くした感じを覚えない、
エンカウントごとに違った感慨を私へ残してくれる万華鏡。
長く付き合ってる人って、きっとそういう要素を持ってるんだろうな、と
はちみつグレープフルーツティーをすすりながら、分かったのです。
そういうのを、すぐ“確信”へ昇華させるのは、悪い癖だけれども。

フットボールには興味はない…ボールを蹴っているそのスピリットをつかまえたい。

知らないもの(有機・無機問わず)だけが与えてくれる高揚感。
知っているものだけが与えてくれる安心感。
観続けても果てのない人は、その両方を兼ね備えているのです。

勝ちも負けも稼ぎも愛も、必要ないのかもしれません。
綺麗な何か、美しい何かだけを探して、それに酔って、それを紡ぎたいだけなのです。

ただ、絵も描けないし、写真も撮れないから、乱雑に単語を並べるしかなく。

限界や我慢を知らず、欲し続けることは、多くの悪や破滅を呼び込むのでしょう。
だけど、欲しなければ、望まなければ、描かなければ、手に入らないし、叶わないのです。

長い長い時間は、全てを叶えるすべを知っている。
創造衝動と破壊衝動の狭間でたどり着く場所は、みな同じ。
ならば、その道程だけに、意味がある。

「自分は何なのかを知っている人は少ない。
 答えは出すものではなく、足跡として残るもの」
アーチャーにそう言わせた奈須さんは、ずっと似たものを、手を変え品を変え
書き続けているんだと、「らっきょ」を読んでいると分かります。
たとえば、本物と偽物の境界線。それはあるのか、本物は偽物より偉いのか?

誰にも等しく答えが出せるのは、数学だけだと思います。
でも、それは数字は真理の分解された破片だという前提があってこそのもの。

美しさに共通回答はないのです!!


 2010年08月18日(水)   心+童=憧 

アフィさんの占いは相性悪いけど、↑はいい言葉かもしれない。

帰り道、公園で手持ち花火に興じる若い女性4人組がいた。
別に…大人になったら遊んじゃいけないなんてルールはない。
童子のような心で、無邪気に遊べばよい…なぜ、それに違和感を覚える?



検索エンジンは必需品。ないとwebの海を彷徨えない。溺れられない。
分からない「もの」とぶつかったら、間違いなく検索する。
google派ではないけれど(苦笑)

指摘されるまで、自分が検索バカだと気づかなかった。普通だと思ってた。
検索して繕った膜なんか、とっくに見透かされてたわけだ、webの澱みの百戦錬磨には。
あの頃は子どもだった。孤独だった。構ってくれれば、なんでもよかった。
それが、目に見えず、触れることもできない対象だろうと。

あれは、甘やかなロールプレイングゲーム。
現実と虚構の境界線を見失った私は…千葉県柏市へ落下した。

落下して、埃にまみれて、どれだけの歳月が流れただろう。
固定概念は、自らに課した檻は、いつしか重荷へと変貌し。

この夏、私は左へ右へと、ありえないぐらいの蛇行運転で、
いろんなものを振り落とし、本当に大切なものだけ抱えたい…と願うようになった。

書きたい日も。
書きたくない日も。
読みたい日も。
読みたくない日も。
見たい日も。
見たくない日も。
体が言うことを聞かない日も。

wikipediaは魔物だと思う。読んでいると時間を忘れる。
その分野を知る人からすれば、間違いだらけの薄っぺらい記述だけど。

知らなかったことを知ったかのような錯覚が、快いのだ。
だから、「wikipediaみたい」と誰かの観戦記を形容するのは、
褒め言葉でもあり、同時に、嘲笑を意味もしている。

知れば知るほど「不幸」になるのに、無知が最も純粋な幸福なのに。
知ろうとして、知った気になって、喜んで。

知りえる世界・概念と、把握・実感できる世界・概念はイコールじゃない。
後者は前者を、ごく一部だけ乗り越える。そこに、個々人の人生がある。

感じ取れないフィールドなんて、要らないとまではいかなくとも、
人生全体からすれば、オマケでしかないのだ。
オマケに振り回される必要など、どこにあるのだろう。


 2010年08月17日(火)   天王星魚座=レイソルU-18、疑惑。 

あまり使いこなせていない「ほぼ日手帳」へ、思いついた言葉をメモしている。
今日は仕事中に「日常」「非日常」「非現実」の定義について綴った。


2児の母を送る会で感じたのは、育児や旦那操縦法の話題に全くついていけない現実。
そういう人生を選んで…いや、望んで今日まで来たのは紛れもなく自分自身。
家族は、あまりに近すぎて、自分自身の時間や労力を消耗する存在でもあります。
(自分の)家族がなんで家族か分からない。永遠の命題かもしれません。

それはさておき。呑み会の前に「らっきょ」の文庫版上巻を買ってしまいました。
AA J→Blaze of Lifeという変な入口からFateへ入って以来、ノベルスも文庫版も
手に取ったことは何回もあって、それでも買わずにここまで来たのに…悪いのは
EXTRAのアレだと思う。アレは知ってるけど、表面上の知識でしか知らないから。

ちなみにアチャさんでしか倒したことないけど、投影精度5を早々に確保して、
スキル発動が読めたたびに「熾天覆う七つの円環〔ロー・アイアス〕」で無効化、
あとは通常攻撃でちびちび相手ライフを削り続ける作業を繰り返しました…あひゃ。

それもさておき(くどい)。
「らっきょ」の10ページ目に、『幹也はいつも人の心の在り方を心配する』なる
文が出てきて、おお…と思いました。心の在り方、それはEXTRAでのアーチャーが
最弱マスターに期待し、彼or彼女が最終的に応えてしまった要素だからでっす。
要するに、this is きのこ節。

心の在り方に正しい or notがあるのかは、よく分かりません。
正義なんて私情だからね!(だからもう1冊買ったのは『正義のミカタ』)

…それは、アーチャーが「正義の味方」になるには丁度いい塩梅の在り方だったのです。


 2010年08月15日(日)   魂が燃え上がる時 

平日から頭痛の症状はあったけど、昨日の夕方あたりから一気に悪化。
熱は36度台後半をウロウロするばかり。家にある風邪薬や解熱鎮痛剤は
一通り投入してみたけど、全く効果なし。これは風邪なのか…?

空想の世界は、現実の世界より美しくすることが出来る(醜くすることも出来る)。
絶対肯定、殺人、善も悪も極度に許される。意思疎通不可の他者がいないから。

現実への興味が薄れていく…多分、身体と違って、精神の熱は下がり続けている。
これは、上がり過ぎたことへの反動に違いない。

twitterですれ違うだけの、擬似共有時間(TL)を過ごすだけの人よりも、
自分(だけ)にメールをくれたり、話しかけてくれる人の方が大切なのに…。


 2010年08月11日(水)   どんな「もしも」が 

もしダブルツカサで本当にアントラーズのCBが10年安泰だったら。

…間違いなく、柏へ“逃げ出して”きてはいない。
なんて無意味なif。

船山さんでも柳澤さんでもなく「一番好きなフットボーラーは羽田さん」と
頑なに主張するのは、自分では贖罪のつもりなんだ。
そう、強く悔いを残している。自分の選んだ道に対して。

サックスブルーの菅沼さんを見に行きたいと願うのも、後悔しているから。
かつての自分に対して。
同じ過ちは繰り返すまいと。

無念、って強力なエネルギーなんだなぁ、と。


 2010年08月09日(月)   webの海は深い 

自分ひとりが悶々と抱えていたのと似た感情を持ち、かつ表現して
発散している人々をたくさん見つけたので、安心しました(笑)

封印されていた優しさ開放、ってなんか素敵★


 2010年08月08日(日)   天の十字架 

サッカーを見たいとは思わなかった。
書きたいと思った。
…何を?

変わりゆく何かがある。
ただし、何かはまだはっきりと見えない。


 2010年08月05日(木)   涙 

今だから言えること。
UBWの劇場版、凜が士郎へ、自分を大切にと諭すところで泣いた。うん。

どんどん近く…自ら知覚できるものへの反応が激烈になり、
その分、サッカーという「遠い」ものへの興味が薄れてきている。

クラ選がヘビーすぎました。

それとも、天秤座に星がどんどん集まってきているから?


 2010年08月03日(火)   うつわ 

「ほんとうの正義というものは、けっしてかっこうのいいものではないし、
そして、そのためにかならず自分も深く傷つくものです」(やなせたかし)

Fate/EXTRAで「サバイバーズ・ギルト」という用語を覚えました…。


 2010年08月02日(月)   背番号5 

今年の3年生が好きだと改めて思った。
彼らと…特に相馬くんと一緒に笑いたい、とも改めて思った。

ずっと怒っている気がする。独り、中盤の底で猛烈な熱をばら撒いて。

長居で見た背中を重ねたのは、もはや病気なのだと思う。
ご贔屓さん=プレーを見る快感だけで十分な人とは違うのに、
追いかけ続けている唯一にも近い存在。

このままじゃ終われない、と。

高円宮杯、行きやすい会場だといいな。
札幌は行きたい土地ではあるけれど、この日程では無理不可能…。


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