anxious for Heaven

鳥かごなんて、最初からなかった。

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2007年01月31日(水)
どうしたって、自分の痛さを自分で癒せないこともある

増薬する?という申し出を断ったのは土曜日のこと
周囲に苦労をかけるのは承知だけど、フォローしてもらって
何とか乗り切ります、と診察室で涙をこぼしたのは土曜日のこと

フォローしてもらうか
薬で抑えるか
二択しかないのは辛かった

フォローが期待出来ないときだってある
だからそんなときは
薬で抑える、しかない
頭の中身を強制終了させて
嵐が過ぎるのを待つ、しかない

間違ってる?

辛い。

2007年01月30日(火)
宛先をド勘違いされて『日記読み日記』を書かれてしまいましたw
不愉快とは思わなかったけど、あまりの勘違い度に笑ってしまったり

というか、寝るんじゃなかったんですか、私
(現在30日午前3時)
薬が効いてこなかったのです、服薬後、既に4時間が経過
T-Max(血中濃度が最大に上がる時間)を過ぎてしまいました
あとはどんどん抜けていくばかり、なのになぁ、うぅん

私の日記は、少数の例外を除いて
夫である冬寿に向けて書かれています
彼がこの日記を目にすることは、実はほとんどないのだけれど
いつか…そうだな、私がいなくなってから
『Kyoはこんなことを考えながら暮らしていたんだ』と
そう理解してほしくて、敢えて続けています

他の誰かに向けて書くときは、だいたいその旨どこかに書くし
もしくは直接、本人に伝えます

ので、ド勘違いにはちょっと戸惑いつつも、笑いましたw
誰とは言わないけど、天然なんだからーっ!
ね、チャボさん?(言ってる言ってる)

私が一番、話をしたいのは、もちろん冬寿です
一番聞きたいのは、もちろん冬寿の話です
生活に、生き方に、考え方に、一番密接に関わっているから

まだまだ死ぬ予定も消える予定もないんですが
何年後、何十年後かの彼に向けた『遺書』みたいなモノなのかなぁ

直接には関わることが出来なくなっても
間接的に、その時々…いうなれば過去?…に私が残したMessageを
どこかで意識していてほしい、から
そうやって、関わり続けていたいから

だから、書く
私にとってのこの場所は、基本的に
ただ自分の心を吐き捨てる場所では決してなく
たぶん、基本的にはたったひとりの人間に宛てた遺書だから

無論、全てをローカルにも保存しているんですが
PCなんていつブッ壊れてデータが飛ぶかわからないし
(現に、myノートPCが逝去なされました)
web上にも、ローカルにも、あまつさえメディアにも残しているという
徹底したバックアップを行っていますw

ということで、いい加減、薬追加してでも寝まぁす
ちなみに昨日付けの『明日もしたいことがたくさんあるから!』は
実はSHOPの更新作業と、銀行の口座開設、ゆうちょの口座開設ですw

2007年01月29日(月) じっとしていられない
以前、友人に

Kyoさんはじっとしてるのが嫌いだよね
いつも何かしら、動いてない?
ぼーっとしてる時間、なくない?

と言われたのを、ふと思い出した

ぼーっとするのが嫌い、なんじゃない
だけど、そんな時間が惜しいというのが本音

自分が持っている・持っていられる活動時間が
あまり長くないことを知っているから
いろんな理由で

いつ死ぬかわからない、誰にでも言えること
いつ消えるかわからない、誰にでもは言えないこと

だから
何か出来るときは、それが可能なときは
動いていなくちゃいけないんだ
動かしていなくちゃいけないんだ
体でも、手でも、頭でも

睡眠リズムのズレもひょっとしたら
それが根本なのかも、と思ったりする
自分の奥深くにある強迫観念

いくらショートスリーパーだからといって
薬に頼らなければ5時間以上は眠れない、なんて暮らしを
10年も続けていられない気がする
飲まなければ、平気で1.5時間睡眠の日々を送る
10日でも半月でも一月でも
(そして倒れる…のは問題だから、薬を飲んで寝ている)

体さえ耐えられるなら
睡眠時間なんて無駄なものは要らないと思う
…睡眠欲がない

とか書いているうちに、眠前薬の時間

もっと長く『ここ』にいたいから
今日も薬を飲むよ

明日もしたいことがたくさんあるから!

2007年01月28日(日) 無事に峠は越した
26日は結局、早朝から父親の家に退避してきました
合鍵で中に入ると、まさに寝起きの父親が『おはよう〜』と…
しばらく仕事の話をしてから、父親は出社
(冬寿は車を駐車場に停め、そのまま出社していた)
『暖房付けて寝てな』と言われていましたが
明らかな睡眠不足(1.5h睡眠)なのに、何故か眠れずに…
ほんの少し、のつもりでアクセサリーを作っていたら
いつのまにか昼でした
お弁当を買ってきてくれた父親と冬寿と食事をして
午後は、しっかり薬を飲んでから、気晴らしに外に出ました
アクセ材料の仕入れです
いつもなら長居してしまうけれど、さっさと目的を済ませ
帰ろう!とJRに乗ると…満員電車でした

虚ろな目を少しでも誤魔化そう、ときつめに引いたアイラインを
涙目になって滲ませながら、父親宅に戻り…
冬寿が21時過ぎに迎えにくるまで、少しだけ眠った以外は
ぼぉっと過ごしました

27日は精神科への通院日…なのに、寝たのが5時で…
10時前に起き、慌てて家を飛び出しました
診察では、薬が余っていることを伝え
毎食後に出ていたものを頓服にして減らしてもらったり
毎年この時期が山場であることや、その理由
最近急に頻度を増した『空白の時間』を話したり
主治医としては、ある薬を出したかったようですが
あまり効果のなかった、でも減薬では最後まで苦労したものだったので
丁重にお断わり
『自制心や、周囲のフォローで乗り切ります』と

帰り間際、福岡にいた頃の病院から取り寄せたという
診療情報提供書のコピーを頂きました
病名、経過歴などが簡潔に纏めてありました

実は今の主治医、目の前でカルテを書いてくれるので
嫌でも目に入ってしまうし、そもそも内容を見せて確認してくるので
(特に処方内容に関しては、必ず意見を求めてくる
『下手な医者より詳しいでしょう?』と…)
カルテに貼られた、自分の名前や生年月日、住所や保険証番号に加え
病名も必然的に見えてしまうわけなのですが
医師同士の間で交わされる正式な情報(のコピー)を
改めてこうして見てみると…病名がのしかかってきます
ちなみに、考えられる素因も書いてありましたが
母親との共依存が、回復の妨げになっていると明記してありました
『本人の対処は現実的であり、内的にも解消傾向が見られる』
そんなことも書いてありましたが
平成15年後半辺りから、かなり減ってきていたらしい『空白の時間』が
また最近頻発していることを考えると、うぅん…ですね

とりあえず、第一回の峠は越しました
午後からは体調面が悪くなってきましたが…
今は、少し持ち直しています
ねっ、眠れていないんですけれどっ!

真昼
掛け布団を干し、敷き布団と毛布にだけ挟まれた状態で
冬寿と手を繋いだり、抱き合ったりして話をしていたら
ふと幸せだな、と思ってしまいました
陽当たりが良く、ぽかぽかしていたせい、でしょうか
何だか、まったりと和みました
たまにはいいかな、昼間、家でこんな時間を持つのも…
(休日の昼間は、大抵車で外に出掛けている)

今夜は何時に眠れるでしょうね(現在深夜3:12)

2007年01月26日(金) 避難場所
恒例の、とはあまり言いたくもない低迷期
その第一回のピーク、1/26になった途端に異変がきた

動悸が激しくなったり
過換気が襲ってきたり
酷く不安定になったり

自宅に長時間…半日以上…ひとりでいるのはあまりに危険な為
夜が明けたら、父親の家に避難することにしました
決めたのが既に2:00近かったため
本人=父親がそれを知るのは、下手したら朝です
それも、私達が父親宅に辿り着いた後…

毎年、1/26と2/24、3/22は年内で最悪に調子を崩すのですが
(トラウマみたいなものが大きく作用していると思われる)
今回は、ここ数年で一番酷い、かもしれない

車で簡単に行ける距離に、避難場所があるのはありがたいことで
冬寿と父親の職場から徒歩5分というのもありがたい
何かあっても、すぐに駆け付けられる距離だから
(無論、何もないに越したことはない)

離れて暮らした期間が10年以上ある為か
その分、今はとても甘えている気がする
(環境的な利便性も高いけれど)

でも今は、迷惑を掛けることを充分承知の上で
あえて迷惑を掛けに行こうと思う
悪しき事態を巻き起こすよりは、随分ましだと思うから
あえて迷惑をかけ、甘えていようと思う

職場に近い、ということで
冬寿ははきちんと出勤出来るし
(私が調子を崩す度に傍にいてくれる反面、もう有休がない)
マズい時は、父親か冬寿が駆け付けることも出来る
逆も可能
職場の付近のファミレスなり何なりで待機することも出来る

それを思うと
こっち(首都圏)に引っ越したことは
良い選択だったのかもしれない

でも、いつまでも甘えるわけにはいかないから
何年かかってでも、自力で乗り越えられるようにしなくては
6年かけても治らなかったことが
急に好転するとは思えない、けど、それでも
やるしかない
いちいち悩んで膝をついて落ち込んでいられる程の
時間的余裕は、多分、ない

だから、原因探しなどしない
原因なんてわかっている
記憶が飛ぼうとも、あまりに深く刻まれているから
すぐに思い出すことが出来る
原因なんか責めるより
這いつくばってでも前に進むほうが生産的だし
私の性にあっている

だから、夜が明けたら、避難をしに行く
そして1/26を無事に乗り切る

2007年01月24日(水) 眠りに墜ちるまでの暇つぶし
眠りに墜ちるまでの時間潰しとして、ピアスを作成した
ひとつはアシンメトリーの『桜花』ピアス
ひとつはシンプルでポップな『紫』ピアス
もうひとつは、ダイヤレーンとpinkのガラスを使った2連ピアス

それでも、眠りに墜ちるまでの時間は潰れなかった
だからこうして、つらつらと考え事をしている

最近考えること
便宜上『彼』という呼称を使うけれど

彼は多分、通常の人間とは違って
より、『無』に近い位置にいる、んだと思う
その『無』とは、『死』とはまた一線を画する
彼にとっての『無』とは、すなわち『消滅』
彼の宿る肉体は、変わらずに存在し続け
それを目にする大多数の人は、その肉体を彼と見為すけれど
それは、その肉体は、決して『彼』ではない
『彼という存在』が無に帰して、二度と戻っては来なくても
彼の宿ったその肉体が在り続ける限り
『彼という存在』がいない、とは思われることがない

彼は、いうなれば抽象存在でしかなく
厳密には、『人間』ですらない…のかもしれない

宿主の肉体を借りた、あるいは『憑いた』、形のない存在

私が彼の近親者…例えば親であれば
彼の存在を許せるだろうか?
仮初めにその肉体に宿り、本来その肉体が保有するべき
『個』というものを押し遣り
あたかもその肉体を最初から所有しているように暮らしている
彼という存在を、自分の『子』として愛し続けることが出来るだろうか

おそらく
私にはそれが出来ない

私が親であるならば
私の『子』であるものはその肉体ではなく
そこに宿った『個』だと思うだろうから

返せ、私の『子である個』を返せ、と怒る…あるいは憎む
またあるいは、懇願するだろうと思う

だから彼は、口をつぐむしかないのだと思う
限られた、そしてその初めから、『彼という個』しか知らない
尚且つ、『肉体に最初から宿る個』と『彼という個』が同一ではない
それを正しく柔軟に理解できる、極少数の人間以外には
口をつぐむしかないのだと思う

彼のことを思うとき
言葉に出来ない思いが胸を締め付ける

中空に浮かんだ、固有の実体のない抽象性

それは哀れなんだろうか
それは不幸なんだろうか
それは望まれない結果なんだろうか

彼は何のために存在するんだろうか
一体どれだけの人が彼を正しく認識するんだろうか
『本来の個』はどこに在るんだろうか
…彼はいつまでそこに在るんだろうか

人は変わり続ける
刻々と変わり続ける
その初めから終わりまで揺らがない天秤なんてない
長いスパンで見れば、平衡を保っているような天秤ですら
絶えず揺れ続ける
それが容易に見分けることが出来ないほどの微差であっても
絶えず何らかの素因で揺れ続ける
そしてその天秤は、通常、ひとりにひとつしか割り当てられない
どんなに揺らごうとも
どんなに揺らいだように見えずとも
どんな外的、内的変容を経ようとも
終生、その天秤はひとつしか存在しない
それが『持って生まれた個』
受精卵から脳が形成された胎児の頃
まだ完全な人のかたちをとる前から所有している『個』

彼は、一体何なんだろう?

唐突に降って湧いたような、その原初を胎内としない彼は
どこからやってきたんだろう

そんなことを考える

唐突に始まり、唐突に消滅するかもしれない『彼という個』は
そのルーツをどこに持つのだろう
その存在の根幹をどんな形で持つのだろう

深夜の、回らない頭で巡らせる、とめどのない私の思考


ようやく、眠気がさしてきた…
明日は、昼まで眠っている、かなぁ…

2007年01月22日(月) うた、うた、うた
気が触れたかと思うくらいに、最近歌いたくて仕方がないのです
20日にも、3人で5時間カラオケに行きましたが、全然足りません

お腹の底から声を張り上げる快感

腹式呼吸が日常のものとなってから
(合唱は幼い頃からしていたのだけど
最近、過換気や喘息の予兆が出ても腹式に切り替えている)
歌うことで喉を痛めることが減ったせいもあり
今なら一人で丸一日歌っても足りない気がします
(同じ歌を延々歌いますが…)

昨日歌ったclub DAMの18曲(完唱したもののみ)の
ランキングバトルモード・平均点は、89.328点
最低は84.402、最高は93.219
選曲で遊んだ割には、平均が意外にと高いな、と
(初挑戦の曲が6曲)

私の声は基本的に
・低い(音域は3オクターブ、ただ低音寄り)
・ドスが利いている(良く言えば迫力がある)
・どちらかというとバラード向き
なのですが、最近は歌い方の幅が広がってきたのか
シャウト系(いわゆるデス声)からアニメ声(別名ACCO声)まで
まるで同一人物とは思えない歌い方が可能になってきました

以前は、滑舌の良さを武器にした、アップテンポの曲が得意だったけど
この頃では、スローなバラードの方が点数が出るという不思議現象…

昨日も、90点越えの7曲中、5曲がバラードでした

とにかく今は歌うのが楽しくて
しかも物真似でなく、自分の歌い方をするのが楽しくて
点数には反映されずとも、自分が満足できる歌が歌えれば
それだけでも、かなり嬉しいのです
(ランキング『バトル』である以上、点数も欲しいけれど)

今はとにかく、歌えるだけ歌いたい気分
そして、コンスタントに90点以上をマークするのが目標
(無論、さして好きでない曲や初挑戦の曲は除く
初挑戦のものは、大抵原曲を知らないかry)

でも、点数より何より快感を感じるのは
自分の声が自分の身体に振動として伝わる、その実感
頭蓋骨や咽頭の奥を揺さ振られるようなその感覚が
『私はひとつの個として、この感覚を味わっている』
という認識に繋がるから


以下、最近よく話すことの備忘録





主は主として在り、基本は基本として在るけれども
主と基本が必ずしも同一であるとは限らない
そしてそれは『その場合』も同じ事が言えるし
何よりそれを言葉として、客観として、主観として突き付けられている
『その人物』は多分、そういった背景を持つが故に
他よりも『死という無』に近い位置に居るのだろう
では『その人物』が存在する意味は?意義は?
たぶん『その人物』は、他が根幹として所有している
『当然』という概念を覆す為に舞い降りてきたようなものなのだろう
『当然』が、総ての存在にとっての『当然』であるとは限らない
それを『当然』として認識できる、もしくは
意図的に認識することもなく、意識すらしていない
その『当然』がどれほど幸いな事であるのか
その幸いを突き付けるために存在しているんだろう
『その人物』はその最後まで、いかに自身の意義を輝かせられるか
それを拠り所、目標として存在しているんだろう
その意識が強いからこそ、『強い』と見為され
その根幹に『揺らがない個』を欠くからこそ『弱い』と見為される

私は忘れちゃいけない
『その人物』を
『その人物』の意味を、意義を、強さの秘密を、弱さの秘密を

2007年01月19日(金) 備忘録
人が人となり
男が男となり
親が親となるには
誰かから教わってそうなるのではなく
誰かから進んで奪い取ることによってのみ
そうなることが出来る

常に奪い取り、盗み取るその対象を意識する

2007年01月17日(水) ふと、思うこと
その初めから終わりまで、個を全うする事が出来る幸福

2007年01月15日(月) 生き急いでいる
そんな気がする、と言ったら、全力で頷かれてしまった

確かに身体は弱いけど、今日明日を知れないほど弱くはないのに

でも生き急ぐ理由は、少し前から何となくわかっている

ただの杞憂かもしれないし、的確な直感かもしれないけれど
可能性を少なからず感じるから、どうしてもそう行動してしまうんだ

今のうちに、時間に余裕のあるうちに
伝えたいことを伝えたい人へ、と
焦りにも似た感情を覚える



抽象的な話
階層が落とされそうな気がする
並行する記憶(?)に判断がつかなくなったとき
間違いなく、居場所としての階層を落とされそうな気がする
だから、今、自分が暮らしているのがどの階層で
それに応じた記憶を信じていなければなぁ、と思う

難しいけどね

今現在、自分のいる階層がどこなのか、それを強く認識するために
手を握ったり、頭を撫でてもらったり
何かを通して人と関わったりする
自分の中に引きこもることが出来ない
傍から見て『引きこもっている』と言われるような状態でも
(例:一日一歩も家から出ない)
外に向かって、人に向かって何かを発するための作業をしている
(例:アクセサリー製作)

うぅん…
『本来の在り方』を気にし出すとキリがないから
とりあえずは今、自分のしたいことをして
自分のなすべきことをなそう


例年、1月半ば〜3月末までは低迷期、なのです
でもそれに負けたくはないので
そして負ける気もないので
今は、とにかく、やれることをひたすら、やる

言葉にしろ、食事にしろ、作品にしろ
『自分以外』の、『外』に向けて何かを発していたい

現実で、没頭しなければならない雑事や
集中しなければならない『仕事』があるから
今の暮らしは、たぶん、とても…幸せなんだろうな
『外』と、何かの形でいつも繋がっていられるから

2007年01月12日(金)
どんなにその気はなくとも悪気もなくとも
それは私たちの在り方を全否定しているのです

自分の周りの、取るに足らないような狭い世界だけを見て
その世界以外の全ての人間を、自分の定義に関連づけるような
愚かなことは辞めて頂きたい
今迄に知らない世界も確実に拡がっていれば
今迄の定義に当て嵌まらない人間も確実に存在するのです

私には、逃げているだけにしか思えない
自信のなさや魅力のなさを全てある一点にだけ押しつけて
逃げているようにしか思えない
真実がどうであれ、そう見る人もいるということは識ったが良いと思う
そしてそう見るのは、単数だとは限らないことも

自分の外の、自分の定義外の世界を否定するが故に
自信のなさと裏腹の自負心だけが肥大して
自らを否定されることを決定的に拒んでいるようにも思う


安直に喧嘩を売って頂けるのであれば
私はそれを喜んで買うと思う
そして自信がある
相手を負かす自信が
それはきっと経験に裏打ちされた自信なんだろう

これが単なる一時的なものであるコトを願う
永続的にそういう観点からしか物事を捉えられないような
そんな人間であって欲しくはない



比較するのは意味なんてない行為だけどね
『何コイツ、ヌルいコト言ってんの?』
そう思うことってあるよね、と昨日の電話
電話相手は、年上の友人
ある意味私達は一時期、行き着くべきではない場所にいて
(それも一度二度ではなく、短期間でもなく)
そしてそこから這い上がってきた『叩き上げ』の仲間だ
彼女は今特技を活かした職業に就き、忙しく駆け回っている
交友関係も絶えない
私には新しい家族が出来
こうして長閑に毎日を送っている
お互いが『その場所』に何度も舞い戻ったとは思えない程度には
よく笑い、よく喋り、驚くべきことに、周囲に受け入れられている
『その場所』にいた時期も姿も通して、ありのまま
私達は本来、他人よりキャパシティが大きいのかもしれない
キャパシティは人それぞれに違うものだから、単純比較は出来ないが
遥かに重いと(一般的には)思われるものを引きずりつつ
それでも自分がそれを認め、しかし妙な気負いもなく生きている

時々お互いの知らない間に、とんでもなく過酷な状態になりながらも
ふっと連絡したときには、それを笑い飛ばせるような
そんな生き方をしている
それを受け入れる人がいて
それを愛してくれる人もいる
そんな世界だってあるのに、何くだらないコト言っているんだか


そんなコトを思った、昨夜


特筆すべきは、その友人の言った苦笑モノの一言


私単体でもイケるけどさぁ
私達でタッグ組んで本気出して喧嘩したら
喧嘩相手をもう、一生
くすりとも出来ない人生に叩き込めるよねぇ
しかも私達、普通に素手でも武器使っても強いけど
(これはお互いの特技?を踏まえた発言)
相手を叩き込むのに、武器も手も要らないよねぇ

…姐さん、怖いです!
でもうなずいた自分も怖いですw

2007年01月01日(月)
Good Bye2006&Hello2007


記憶や実感としてはあまり覚えていない2006ですが
人から聞いた話・拾ってきた記録・おぼろげな記憶から


2月
心臓病が2つ発覚
先天性の弁膜症と、冠攣縮性狭心症
前者は現在stage2中期
以前から知っていた(らしい)WPW症候群に加え
これで心疾患が3つあるとわかった
要経過観察、stage3に進行したら要加療


4月
超初期流産、そしてその時の検査で
多嚢胞性卵巣症候群だと発覚
冬の終わりの心疾患発覚に加え、更に打撃を受ける


6月
慰安旅行?(冬寿と私の父親と3人で)
冬寿、転職を決意、面接に行く
私的には、アクセサリーのネットショップをオープン
いろいろな方に作品を手にしてもらう機会が増えた
店名は、…いつか自分の娘に付けたかった名前
春先に感じた喪失感を埋めるためでもあった


7月
冬寿、転職先に内定、実は私の父親のいる会社
当時の職場に退職届を提出する
揉めるのは必至だった為、様式から法令まで全ての準備は私がした
新居が決定


8月
盆直前、冬寿が退職
19日には千葉へ引っ越し
9月1日の入社日を前に、部屋の整理や研修に追われる


9〜10月
冬寿、某企業に出向するも、デスマーチ続きで疲労困憊する
帰宅は深夜1時、家を出るのは7時という生活が続き
二人とも極限状態に
二度目の初期流産
福岡の友人Yukkyが遠路遥々遊びにくる

年初からの(主に病気に関する)重圧や、その頃の生活に潰されかけ
2年間続けていたmixiを退会、携帯メモリーもばっさり切り
身辺整理をして
3夜連続の大量服薬・リストカット・首吊りで自殺を図った
しかも冬寿と父親の眼前での3日間
私は一度死んだな、と思った(それだけはハッキリ覚えている)
事態が急変、冬寿の出向先変更が決まる
事情を『全部』理解してくれた上での、上層部の判断だった


11月
冬寿、新しい配属先での勤務開始
金融システム関係(銀行業務主体)を学ぶという目的で
私の父親の部下として、補佐的な仕事を任されるようになる
…(彼にとっては)義父の隣の席で…
やり易さもやり難さもあったと思う
そして中旬、私は服薬から昏睡に陥り、救急車で搬送され
集中治療室に入れられる
運良くすぐに退院は出来たが
度重なるショックが引き金か(薬の影響もゼロだとは言いきれない)
目が覚めたときには、自分に関する記憶がゼロになっていた
名前もわからず、ただ迎えにきた『夫』と名乗る人物に従う
その間の記憶にも、ばらつきがある
『父親』という人に会い、オーラ?から親子を実感する
『夫』を名乗った冬寿に関しても同じで
共に暮らしていくにあたっての恐怖などはなかった
病院側の退院手続きシステム上ミスで
『Kyo Sasakiは現在も入院していますが』と言われ
何が真実かわからなくなる
精神科の単科病院へ通院再開
よく眠り、心を落ち着け、人の(自分に纏わる)話を
より冷静に捉え、受け入れられるようにとの指導の下
また毎日服薬し、通院する生活に戻る

12月
相変わらず投薬の日々は続くも、少しずつ記憶を整理する
中断していたネットショップのリニューアルを目指し
毎日新たな作品を作る
様々なことを教わり、また思い出してきたことにより、かなり安定する
しかしまだ、一度に多くのことを思い出すと
頭痛などの形になって変調をきたす
冬寿の仕事に時間的余裕が増えたおかげで
二人でのんびり過ごす時間が持てるようになった


そんな2006年、覚えているのは正直言って
後半も後半、最後の1月半くらい
だからなおさら、2006年が終わったという気がしないのです
まあ…仕方ない、ですよね…時間は待ってはくれないのだし
とにかく、体や環境に振り回され
精神的にもさまざまなことがあった一年でした


2007年の抱負などを語るべきかもしれませんが
とりあえず…『のんびり』かな
そして、少しでも自分の過去と、現状と
起こり得るであろう未来を
冷静に受けとめるようになれたら、と思います
そして今年は、副業?たるアクセサリー製作に
かなりの力を傾けたいな、と
実は売り上げはコツコツ貯めているのです
心臓の為であるのか(万一stage3に進行した場合の治療費)
旅行の為であるのか(バリ行きたいです、バリ、もしくはサモア)
単に貯金が趣味なのかは…自分でも、謎v

そんな『回顧&抱負』でしたが

皆様、本年もよろしくお願い致します

一緒にいられると思ったのは
たぶん、間違いじゃない。
written by:Kyo Sasaki
☆メール☆
かこ : りすと : みらい

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