橋本裕の日記
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ボルツマンによると、温度(気温)は空気中の気体分子の運動エネルギーの平均値になっている。つまり分子速度vの二乗に比例するわけだ。そして熱というのは、この力学的エネルギーの総量である。
しかし、この説明は問題点をふくんでいる。たとえば温度計を野外に持ち出し、黒い紙で覆ってみよう。そうするとたちまち温度計の目盛りは上がる。私たちも白い服より黒い服を着ているほうがあたたかく感じられる。これは黒の方が熱を多く吸収するからである。そしてその温度は気温よりも高くなる。
屋根の上に取り付けられた太陽温水器から供給される温水はたとえ最高気温が10度しかない真冬でも十分にあたたかい。さて、その熱は何処からやってくるのだろうか。それは気体の分子運動からではない。太陽から、日光というかたちでやってくる。
月の沙漠をはるばると 旅のらくだが行きました 金と銀との鞍おいて 二つ並んで行きました
ごぞんじ「月の沙漠」の歌いだしだ。これについて、らくだの背中に金や銀の鞍をおいたら、たちまちそれは高温になって、とても人は乗ることはできないし、らくだも丸焼けになるだろうと心配する人がいる。たしかにこの心配はもっともだ。金や銀の鞍は歌の世界だからロマンチックなわけで、実際には実用にはならない。
日光にあたると金属はとてつもなく高温になる。それは金属は自由電子を多く含み、これが太陽光線のエネルギーを効率よく受け取るからだ。金属に限らず物体は真空中でも光を当てることで熱することができる。実際にアメリカでロケットを使って行われた温度観測結果を紹介しよう。
地上0メートル・・・・27℃ 地上10km・・・・・−58℃ 地上50km・・・・・0℃ 地上90km・・・・・−83℃ 地上400km・・・・727℃
温度は高度が上がるに連れて波を描いて下降するが、地上90kmで最低温度1−83℃を記録した後上昇に転じ、地上400kmでは727℃の高温になっている。そしてその後は、この高温が一定にたもたれる。この実験では727℃だが、使用する温度計によっては、もっと高温になることが予想される。
宇宙空間には空気は存在しない。しかし、太陽からとどく輻射エネルギーで、物体はおどろくほど高温に状態におかれる。常識離れしていて想像しにくいが、宇宙空間はかなり過酷な炎熱地獄になりうるのである。
(参考文献) 「なっとくする熱力学」 都筑卓司 講談社
(今日の一首) サイエンス学べば解ける謎多し されども残るこころのふしぎ
気温が上昇すると、水の体積がわずかに増え、これが海面を上昇させる。これが主な原因になって、これからの100年間で地球の平均気温が4度上昇したとき、海面が40センチほど上昇するのだという。
水に限らず、ほとんどの物体は温度が上昇すると膨張する。気体の場合だと、圧力が一定の場合、体積Vは絶対温度Tに比例する。比例定数をkとすると、次のように書ける。
V=kT
これは1787年にシャルルによって発見された。ここでT(K)は絶対温度である。これは摂氏温度t(℃)を使って、次のように書ける。
T=t+273.15、(t=T−273.15)
絶対0度は約−273℃である。そして、シャルルの法則を見て、気付くことがある。絶対零度で気体の体積が0になってしまうことだ。もちろん気体分子それ自身の大きさはあるわけだから、気体の体積が完全に0になることはない。しかし、この式はある重大なことを示唆している。
それは絶対零度よりも低い温度は存在しないということだ。高温はいくらでも存在できるのに、低温のほうに限界がある。これはどうしたことであろうか。実はこれが大きな謎だった。
この謎は、温度が分子や原子の運動エネルギーだとわかれば理解できる。つまり絶対0度では分子や原子は完全に静止し、運動エネルギーも0になってしまう。つまり絶対0度というのは、あらゆる運動が死滅した死の世界なわけだ。
もっとも、これは古典力学が描くミクロの世界で、実際の世界は量子力学の「不確定性原理」によって記述される。そこでは絶対0度でも原子や分子は位置が決まらずに、量子的なゆらぎで「0点振動」をしていると考えられる。
そして原子や分子のもつ「波動」という量子論的な特質があらわになる。極低温で実現する超流動とか超伝導とか呼ばれる独特な興味深い量子現象がこれである。しかし残念ながら、これについて今ここでくわしく説明する余裕はない。
いずれにせよ、温度が高くなると、分子や原子の運動がさかんになり、これによって気体の場合はあらたな圧力が生まれ、これが外界の圧力と拮抗するところまで膨張する。シャルルの法則はこうして説明できる。気体ばかりではなく、液体や固体もほぼ同じ理屈で熱膨張すると考えてよい。
(今日の一首)
すれちがう人の言葉もなつかしく 国のまほろば大和しうるわし
2007年11月28日(水) |
地球温暖化は悪いのか |
温暖化が進んでいるらしい。この100年間で平均気温は0.74度上昇した。理由は人為的なものが9割で、その大半は二酸化炭素ガスによる温室効果だという。あと何十年かすると北極の氷がなくなる。シロクマやアザラシなど、生存があやぶまれている。
もっとも寒がりの私は、地球温暖化はありがたい。もう何年も前から冬に福井に帰省しても根雪がほとんど見られなくなった。スキーができないのは残念だが、北陸で生活する人たちにとって、雪との戦いはつらいものだ。
ところで「北極の氷が融けると海面が上がる」と考えている人がいるようだが、これはまちがいだ。北極の氷は水中に浮いている。氷は解けると水になるが、その分体積が減少する。したがって氷がいくら融けても海面は変らない。氷を浮かばせたコップの水があふれないのと同じ理屈である。
それでもこの100年間で海面は7センチほど上昇している。この海面の上昇はなにによってもたらされたのか。アルプスなどの氷河が融けた影響もあるが、一番大きいのは海水の熱膨張だという。これで海水の体積がふえ、海面が上昇したと考えられている。
今後の見通しについて、ICPP(地球温暖化に関する政府間パネル)の予測では、このまま予防措置を講じなければ、今後100年間で4度ほど上昇するという。これはこれまでにくらべると、かなりハイペースの気温上昇だ。
平均気温が4度上昇すると、海面は40センチほど上がるらしい。もっともこれで日本中の住宅や学校が水浸しになるということではない。潮の満ち干きで生じる潮位の変化は200センチにもなる。また夏と冬の海水温の変化による海面の変化も40センチほどある。
その他、都市部では地下水のくみ上げによる地盤沈下の影響が大きい。すでに大阪ではこの100年間に260センチも水位が上昇しているという。これにくらべれば地球温暖化による水位上昇は、取るに足らないものだといえよう。
私は地球温暖化は世間が騒ぐほど気にしていない。それよりももっと深刻なのは、空気や水の汚染である。二酸化炭素の規制よりも、工場や車から排出される窒素酸化物など、公害の規制や対策を優先して欲しい。
(参考文献)
「環境問題はなぜウソがまかり通るのか」 武田邦彦著 洋泉社
(今日の一首)
もずがなくしげみの上の青い空 風もさわやか山辺の道
先週の3連休は全国的な好天で、絶好の旅行日よりだった。最高気温が17度ほどもあったらしいから、この季節にしてはかなりあたたかかった。
ところで、私たちは「あたたかい」とか、「冷たい」ということを、温度計の目盛りで測っている。この温度計を最初に発明し、「温度」という概念を着想したのはガリレオだといわれている。
ガラス管に空気をいれて、水に逆さに入れる。そして管の底をあたためると、空気が膨張して、ガラス管の中の水位を下げる。その下がり方で「温度」を測ろうというわけだ。もっともガリレオの温度計は気圧の影響などをまともに受けて、使い物にならなかった。
長さや広さを物差しで計るところから文明は生まれたといわれる。しかし、「あたたかさ」などという目に見えないものを計るというのは、簡単ではない。熱によって物体の容積が変化するということは知られていたが、これで「寒暖」を計ろうと考えた彼の着想はユニークだ。
この着想を受け継ぎ、実用的なものに改良したのが、デンマークのオーレ・レーマーだった。彼は1702年に水の沸点を60度、水の融点を7.5度とする温度目盛を作成した。現在ではこれがさらに改良され、赤い色を付けたアルコールや水銀などが試験媒体として用いられている。これらはいずれも熱を加えると物体は膨張するという性質を利用したものだ。
その他、金属の電気抵抗や絶縁体の誘電率の変化を利用した電気式温度計もある。あるいは温度の違う二種類の金属を接合させたとき発生する電流を測定する「熱伝対温度計」などもある。
いずれにせよ、温度によって変化する物体の性質を利用したものだ。なかでも、物体の膨張に着目した「膨張式温度計」は原理も簡単で、温度を目に見える形で直接見せてくれるので、私たちにはとてもわかりやすい。
(今日の一首)
秋の野をしみじみ歩く赤き実が 日差しのなかでよろこびのうた
昨日は妻と二人で、山辺の道を、桜井から巻向まで歩いた。桜井駅からかなり歩いて、泊瀬川を越えると海石榴市である。ここから山の辺の道が始まる。20年ほど前に来たとき、こんな短歌を詠んだ。
海石榴市に残る石碑に歌垣の をとめの姿ほのかに想ふ
山は紅葉のさかりだった。大神神社の大杉の前で足を止めて、やはり20年前に詠んだ歌を思い出した。
蛇の棲む三諸の杉に手を触れて 祈りし人に我もなぞらふ
大神神社の境内を抜けて、ふたたび山辺の道をたどる。途中、柿やミカンを売っていた。私たちの一袋100円のミカンを買い、口にほおばった。玄賓庵を過ぎたあたりの眺めの良い石のベンチに腰を下ろし、妻と二人でおにぎりをほおばった。
桧原神社を過ぎたあたりで、すでに12時近くになっていた。はじめは天理まで歩くつもりだったが、後半はまた来年の楽しみに残しておくことにして、そこから巻向駅に向かった。
山辺の道は何度か歩いている。8年前からはじめた「万葉の旅」も最初が「山辺の道を歩く」だった。そのときはとくさんやひらさんもいて、天理の石上神社から巻向までを6人で歩いた。
その前はもう20年近くまえになる。このときは万葉集片手に一人で歩いた。そして短歌をたくさん作り、旅の記念として「明日香風」という歌集にまとめた。上に引用した二首もそのときのものである。
山辺の道にはところどころに万葉集の歌碑が立っていて、その前にたたずんでいると懐かしい気分になる。万葉集が好きな私には、何度でも訪れたいところである。
(今日の一首)
いにしへの人も通いぬ山辺の 道のもみじは美しきかな
昨日は長浜を中心に観光をした。長浜は秀吉が築いた城が破却されたあとも、大通寺の門前町として、或いは琵琶湖貿易や北国が街道の要衝として栄えたようだ。大通寺を中心に古い町のたたづまいを見て回った。
お昼に4人で名物の「親子どんぶり」をたべたあと、長浜駅で2時頃解散した。このあと私は、奈良を経由して、途中高田で妻と落ち合い、そこで夕食にそばを食べた後、旅館のある大和五条に向かった。
私がいつもの天然ボケを発揮して、JRに乗るべきところ近鉄に乗ったため、大和五条に着くのが大幅に遅れてしまった。それでも妻は上機嫌だった。天候に恵まれ、妻も素敵な旅をしたようだ。私も旧友と再会し、とてもたのしい一日だった。
(今日の一首)
古里の紅葉の山にいつしかや 満月のぼり妻と見ている
昨日は岐阜で北さんと落ち合い、米原へ行った。北さんと会うのも久しぶりである。車中、会話が弾んだ。例によって空海や道元の浮き世ばなれした話である。これがたのしい。
米原でペコちゃんと合流し、ついで彦根でeichanと合流した。駅前通にあるラーメン屋で昼を済ました。
そのあと4人で彦根城に行った。好天に恵まれたせいか、たくさんの人出である。まず玄宮園へ行った。紅葉にはすこし早かったが、広々とした池やその周りの樹木の眺めがよかった。
彦根城は犬山城、姫路城、松本城と並ぶ国宝のお城である。天守閣に上ろうかと思ったが、待ち時間が1時間半だと聞いてあきらめた。
天守閣に登らなくても、琵琶湖が見えるし、眺めはいい。日当たりのよいベンチに腰を下ろし、北さんからいただいたミカンを食べながら、1年ぶりに再会したeichanやペコちゃんとの会話がはずんだ。
eichanはこの12月で、ペコちゃんは来年の3月で60歳になり、定年退職だという。それぞれにいろいろな定年後の夢があるようだ。北さんはあと2年と少しで、私も3年とすこしで退職である。退職が待ち遠しい。
彦根から長浜にきて、駅前でタクシーを拾い、ホテルルートインに5時ごろついた。朝食と夕食のバイキングつきで6500円である。個室も快適で、浴場も広く快適である。ロビーではコーヒーも飲み放題で、食事の後、私たちはつもる話に時間を忘れた。
今日は5時起床。さっそく大浴場で朝風呂である。一人でのんびりと湯につかり、「荒城の月」を大声で歌った。声がよく響いて、われながら自分の美声にうっとりとした。
(今日の一首)
庭園も天守もすがし彦根城 近江の海にいにしへ思ふ
最近の日記は、科学の話題ばかりだ。書き出すと、書いておきたいことがたくさん押し寄せてくる。しかし、たまには違う話題も書いてみたい。
今日から2泊3日の旅にでる。2000年の10月から毎年行っている「万葉の旅」だ。これまでの様子は、HPの「なんでも研究室」に「万葉の旅」としてまとめてある。
2000年:明日香 2001年:湖北、広隆寺 2002年:和歌山、白浜 2003年:法隆寺、浄瑠璃寺 2004年:高野山 2005年:犬山城、明治村 2006年:若狭小浜 (2007年:彦根)
http://hasimotohp.hp.infoseek.co.jp/tabi.htm
今年は彦根に一泊する。メンバーはいつものとおり、北さん、eichan、ペコちゃんと私の4人だ。eichanとペコちゃんは、もうじき停年退職だそうである。久しぶりに会って、いろいろと積もる話をしたい。
2泊目は奈良だ。ただしこれは妻と二人で泊まる。天気がよければ妻と二人で山辺の道を歩いてみたい。近江路や大和路の紅葉が楽しみである。それでは行ってきます。
(今日の一首)
万葉の旅と称して年年に 友とたのしむ古里の秋
太陽や月や星は光っている。物が燃えたり、金属が熱せられたりすると光を出す。あるいは、蛍のような生き物も光を出す。あるいは稲妻があたりを明るく照らし出す。
光は植物の成長や、私たちの生活になくてはならないものだ。しかし、光の正体が何かということについて分かってきたのは、この百年あまりのことである。
ニュートンは光を粒子だと考えていた。しかし、光が粒子だとすると、干渉とか回析といった現象をうまく説明できない。これらは光が粒子ではなく、波であると考えるとわかりやすい。
波はたくさんの粒子がひしめきあい、それらの振動が伝わってできる現象である。水面が振動すればそこに水の波が描かれる。空気の振動が伝わったものが音である。
それでは光は何が振動してできる波なのだろうか。光は空気がなくても伝わる。波が宇宙空間のような真空に近いところでも伝わるということは、光を波だと考えると理解できない。何もない空間を波が伝わるということがあるものだろうか。
しかし、光が波であるという証拠は、意外なところから現れた。それは電気と磁気との研究が進んだ結果である。1883年にイギリスの物理学者マクスウエルが電気と磁気を統一する方程式を発見した。ところがよく見るとマクスウエルの方程式は波動を表しており、これを解くと、電界と磁界の複合した波が存在することがわかった。
しかも、この波(電磁波)の速度は光速度に一致している。そうするとこの電磁波こそ光の正体ではないかということになった。電磁波は空間に生じる電気と磁気によって生みだされる波だから、力学的な粒子の振動ではない。光が真空を伝播できるということも、光が電磁波だと考えれば、理解しやすくなる。
マクスウエルの予言した電磁波は4年後、ヘルツによって実際に実験室でたしかめられた。ヘルツは放電で電気火花を飛ばして、そのとき発生する急激な電場と磁場の変化が、遠く離れたところにまで伝播している事実を確かめた。
ヘルツと同じ実験を、私は30年ほど前、高校の物理の教師になった年に、学校の理科室で生徒たちを前に行ったことがある。静電気を使って高電圧を作り出し、これを瞬間的に放電させる。そうすると、教室の端に置いた放電管が光った。私や生徒たちが自分たちの目で電磁波を検証した瞬間だった。
ただし、この実験にはおもわぬ付録がついていた。当時、私が通販で買ったキットのコンピューターが、この実験のあと誤作動するようになった。調べてみると、せっかく組んだ機械語のプログラムが失われていた。実験の成功の喜びもつかの間だった。
(今日の一首)
木枯らしもはじめて吹いていつしかや 日向ぼっこの恋しき季節
金属が光沢を持つのは、その表面で光が反射されるからだ。それではなぜ金属は光を反射するのだろうか。これも私が生徒や友人に好んでする質問なかの一つである。この質問に直ちに答えられる人は滅多にいない。
そんなこと考えたことがないという人もいる。あるいは、「それは金属はそういうものでしょう」と答える人もいる。頭から興味がないよ、という顔をする人もいるし、身を乗り出して、答えを聞きたがる人もいる。人それぞれの反応が面白い。
まず音波の場合を考えてみる。個体に音波が当たると、その力学的エネルギーで個体の表面近くの原子を振動させる。そしてこの原子の振動が気体分子の振動をひきおこし、これが反射波となって跳ね返ってくるわけだ。だから入射波と反射波の振動数や波長は等しくなる。
それでは光が金属の表面に当たったとき何が起こるのだろう。音波とちがって電磁波は直接の力学的な波ではない。大切なことは、光とは電磁波だということである。それは電気と磁気の波である。だからこれによって揺さぶられるには電荷を帯びた粒子である。
金属の場合は豊富な自由電子が存在する。電磁波は金属表面のこの自由電子に作用する。自由電子は電磁波を吸収して、これを大きく揺すぶられる。そうすると今度は自由電子から同じ振動数の電波が放出される。こうして金属の表面から飛び出してきた電磁波の集団が反射波なわけだ。
音波はどんな物体でも跳ね返すが、電磁波はそうではない。金属が電波をよく反射するのは、それが自由電子をたくさん含んでいるからだ。そしてこの自由電子の働きによって金属は光沢を持つ。鏡に私たちの顔が映るのも、自由電子のおかげである。
(今日の一首)
甘柿をたらふく食べてしあわせを かみしめている妻とふたりで
OECDの行った学力調査で、日本の小学生や中学生の理科の成績はいつも上位に入っている。ところが、18歳から69歳の約2000人を対象にした面接調査では、その成績があまりかんばしくはない。たとえば「電子と原子とどちらが大きいか」という設問に対する正答率はわずか3割だ。他の設問についての正答率も書いておこう。
○ごく初期の人類は恐竜と同時代に生きていた。(×40) ○電子の大きさは原子の大きさよりも小さい。(○30) ○レーザーは音波を集中することで得られる。(×28) ○男か女になるかを決めるのは父親の遺伝子だ。(○25) ○抗生物質はバクテリア同様ウイルスも殺す。(×23)
エンピツをころがしても半分は正答が出る○×式の二択問題で、この成績はちょっとなさけない。ちなみに日本の大人の科学理解力はOECD加盟国のなかで最下位に近い51位だという。日本の大人たちも中学生のときに、原子の構造について習っている。そして質問されれば、「原子は原子核とそのまわりにある電子によってできている」と正しく答えたはずだ。
ところが大人になると、これらの科学知識はすっかり蒸発してしまう。原子から分子や化合物ができるしくみについて尋ねられても、多くの大人たちは何も答えられないのではないだろうか。
原子は原子核のなかの陽子の数と、そのまわりにある電子の数が等しい。これで電気的に中性になっている。しかし原子の中にはさらに電子を獲得して陰イオンななりたがる塩素のような元素がある。また、一方では、電子を放出して陽イオンになりたがるナトリウムのような元素もある。
魚心あれば水心で、この両者が出会うと、ナトリウムから塩素に電子が移動し、それによってそれぞれの原子はプラスとマイナスの電荷を帯び、お互いに引き合って結合する。これがイオン結合である。
また、酸素と水素のように、両者とも電子を求める場合は、その両者で電子を共有して結合することでお互いの欲望を満たす。酸素は2個の電子をほしがり、水素はそれぞれ1個の電子がほしい。そこで、1個の酸素原子が2個の水素原子と結合する。これが水分子である。分子はこうしてつくられる。これを共有結合という。
このほか、鉄や銅のような金属原子はそれぞれが一部の電子を供出して、これを全体で共有することで結合する。これを金属結合という。全体で共有された電子は自由に金属の中を動き回ることができる。そこでこれらを自由電子という。
金属の中には、自由電子が大量に存在する。金属といえば、電気の良導体であることが大きな特徴だが、これは自由電子が存在するためである。電圧をかければ、この電子たちがいっせいに移動を開始する。この電子の流れが電流である。
金属はいずれも熱伝導率が大きい。これも前に書いたように自由電子が効率的に移動することで熱を運ぶためである。これでなぜ電気伝導度の大きな物質ほど熱伝導率が高いのかも説明がつく。このように、金属に特有な性質にはいずれも自由電子が関与している。
たとえば、金属はいずれも特有な光沢を持っている。この金属が特有の光沢を持っているのは、光を反射するからである。それではなぜ金属は光を反射するか。これも自由電子で説明できる。明日の日記に答えを書いてみよう。
(今日の一首)
一日で真白になりし雪山に 光あふれるさわやかな朝
散歩道から御岳が大きく見える。雪の御岳を正面に見ながら、木曽川の堤の上で腕振り体操をする。御嶽山のほうに腕を振り上げ、その神々しい霊気をありがたくいただいている。
最近はめっきり寒くなってきた。散歩をする時間もしだいに遅くなり、ときには九時をすぎるときもある。セーターの上にチョッキを着て出かけていたが、これからはジャンパーが必要かもしれない。それでも帰ってくる頃には、からだがポカポカしている。これは筋肉の運動によって、私の体の中で熱が発生しているためらしい。
散歩に出て、寒いときには、無意識に両手をこすっているときがある。こうすると摩擦熱であたたかくなる。原始人は木片をこすらせて火を起こしたらしい。マッチを摺って発火するのも同じである。ものをこすり合わせることで、熱が生まれる。
熱とは何かということについて、200年ほど前までは、熱素という物質(カロリックと呼ばれた)が存在すると考えられていた。たとえば海水がしょっぱいのは、そこに塩分が含まれているからである。どうように、物体が熱いのも熱素が含まれているから考えられた。
海水と真水をまぜると、塩分が平等にいきわたり、中間の塩っ辛さの溶液ができあがる。湯に水を加えれば温度が下がるのも、熱素がいきわたり、薄められた結果だと考えればよいわけだ。確かに「熱素」を考えることで、かなりのことは説明できる。
しかし、熱素説で説明できないこともある。それが摩擦熱の発生だ。なぜ手をこすり合わせるだけで熱が生まれてくるのか。熱が物質だとすると、物質が無から生まれることになる。しかも、物体は熱せられても質量はふえない。
そもそも熱素が塩化カルシウムのような物質なら、単独で取り出せるはずである。しかし、熱素の結晶をなどだれも見たこともない。こうしたわけで、熱を物質だと考えることはどうも無理らしいとわかってきた。
それではどう考えたらよいのか。物をこすり合わせると、表面の原子どうしがぶつかり、その激しく運動するようになる。このことに注目して、熱はじつはこの原子たちの運動と結びついているのではないかと考える人があらわれた。そのもっとも熱心な代表がボルツマンである。
彼は熱は物質を構成する原子や分子の運動エネルギーだと考えた。そうすると物体の温度も、「原子や分子のもつ運動エネルギーの平均値」として定義できる。たとえば気体の温度は、そこに含まれる気体分子の運動エネルギー(速度の二乗に比例する)わけだ。彼の説は学会で反発を受けたが、彼が自殺した後、正しいことが実験でたしかめられた。
彼によれば、熱の伝播とは、原子や分子が衝突して、その運動エネルギーをお互いにやりとりすることで成り立つ過程である。気体中で分子は1秒間に何十億回も衝突している。これによってエネルギーがやり取りされる。個体や液体の場合も同様である。
分子が熱を伝える気体に比べて、液体や個体のほうが熱を伝えやすいのは、原子がはるかに稠密に存在しているからだろう。そして固体の中でも金属は熱伝度が大きい。その理由は、金属の中に自由電子が大量に存在することがあげられる、この自由電子が効率よく動くことで、熱がすばやく移動できるわけだ。
(今日の一首)
散歩道ケリの家族を見つけたり 苅田のなかで夫婦よりそふ
水面に木片を浮かべ、これを上下に震動させると、そこから同心円状に波紋が広がる。これは木片によってかく乱された水面の振動が次々と周囲に伝播して行った結果だ。
このときできる山と山の間の距離を波長という。波が1秒間に伝わる距離を波長で割ったものが振動数である。これは木片によって水面が1秒間に上下する回数に等しい。また、上下に震動する幅の半分を振幅という。
水面の波は目に見えるので分かりやすいが、私たちが耳にする「音」も空気中を「波」として伝わって来る。たとえば、太鼓を叩くと、皮が振動し、その近傍の空気を振動させる。この空気の振動(密度の変化)が次々と周囲に伝播したものが空気中の音波である。
この空気の振動はやがて私たちの耳に到達し、鼓膜を振動させる。私たちの神経はこの鼓膜の振動を電気信号に変えて脳に送る。そして脳のなかで電気信号が意識に変換されて、私たちはそれを「太鼓の音」として認識するわけだ。
水面の上下でできる波は、水面が進行方向に垂直に振動しているので横波という。これに対して、空気中を伝わる音波は進行方向に平行に空気が振動している。そこでこれを縦波と呼んでいる。このように波には横波と縦波の二つがある。
音波は空気の振動が粗密波として伝わる現象だが、これを「原子論」の立場から眺めるとどうなるか考えてみよう。まず太鼓の振動によって、その近くの気体分子が弾かれる。しかしこの分子がそのまま飛んできて、私たちの鼓膜を振動させるわけではない。
じつのところ、気体分子は常温常圧の状態で、1秒間に10億回も隣の分子と衝突している。平均して0.00001mmも走れば隣の分子に衝突する。衝突された分子もすぐにその隣の分子を弾き返し、この衝突が次々と伝播して、ついには私たちの耳に飛び込んでくる。
音がつたわるのは、気体分子がこのように激しく衝突を繰り返しているからだ。気体分子が希薄になると、衝突の回数が減って、音が聞こえにくくなる。真空中では気体分子が存在しないので、もちろん音は伝わらない。反対に水中では物音がよく聞こえる。これは水分子の密度が大きいためだ。伝播速度も大きいので音源が近くに感じられる。
(今日の一首)
愛犬と歩いた道の柿の木が 色づきにけり今日も青空
2007年11月17日(土) |
なぜ日焼けをするのか |
私は皮膚がよわいせいか、すぐ日焼けをして真っ赤になる。中学生の頃は、ただもう色が黒くなりたくて日光浴をしたが、そのたびに真っ赤になり、辛い思いをした。しかも、そんなにつらい思いをしても、私の皮膚は因幡の白兎のように赤くはれ上がるだけだった。
もっとも、まったく黒くならなかったわけではない。背中や肩にそばかすのような黒い点が一杯できた。それは年をとるにつれて大きくなり、今は黒いしみのようになっている。若い頃の日光浴のおかげで、私の皮膚はすっかり老化してしまった。まったく馬鹿なことをしたものである。
それはともかく、なぜ日光にあたると日焼けをするのだろう。一般に言われているのは、日光に含まれている「紫外線」のためだという。紫外線は光の中でも波長が短く、振動数の大きな電磁波である。そして波長が短く、振動数の大きな電磁波ほど、おおきなエネルギーを持っている。このエネルギーが私たちの皮膚を変化させるわけだ。
これと対照的に、赤外線は波長が長く、振動数が小さいので、あまり大きなエネルギーを持っていない。これは実感とは違う。赤外線は熱線ともいわれ、ストーブなど高温の物体から大量に放射される。これにあたると、あたたかいし、ときにはやけどをする。しかし、紫外線のように私たちの皮膚を小麦色に日焼けさせはしない。それは赤外線の持っているエネルギーが紫外線に比べて小さいからだ。
同様の効果が金属に光を当てたときにも起きる。金属にある波長よりも短い光を当てると、金属の表面から電子が飛び出してくる。これは「光電効果」とよばれ、飛び出してくる電子を「光電子」と呼んでいる。
問題は、振動数が小さく、波長の長い光をいくら強く当てても、電子は飛び出してこないことだ。必ず、ある振動数よりも大きな光が必要である。振動数の小さな光でも、強く長時間当てていれば大きなエネルギーを金属の表面に与えることができるはずである。ところがそうはならない。これが100年ほど前の科学者たちにとって大きななぞだった。
アインシュタインは1905年に発表した「光電効果」の論文で、この謎を解いて見せた。光がその振動数に比例したエネルギーをもつ粒子(光量子)だと考えればよい。彼の説によれば、振動数νの電磁波はE=hνというエネルギーを持つことになる。ここでhはプランク定数である。実験によると、その値は次のようになる。
h=6.626×(10のマイナス34乗) (単位はジュール・秒J・s)
振動数の小さな光量子は、エネルギーも比例して小さい。エネルギーのたらない光量子がいくら大量に金属の表面の電子にぶつかっても、一つとして電子を外にはじき出すことはできない。それぞれの光量子にそれだけの仕事をするエネルギーがないからである。
これで光電効果の謎が解けた。そしてまた、なぜストーブで日焼けをしないのに、紫外線で日焼けをするのかという謎も解けた。私たちの皮膚にメラニン色素を作り出す化学変化は、紫外線のようにエネルギーの大きな光量子によって生じるわけだ。
ちなみに、私が名古屋大学物理学科の大学院を受けたとき、面接試験に出された問題が、「プランク定数hを測定するにはどうしたらよいか」というものだった。面接官の先生たちを前に、私は黒板を使って、少し緊張しながら「光電効果」の実験のあらましの説明をした。これが成功して、私は大学院に進級できたわけだ。
(今日の一首)
若き日の日光浴のかたみかな 背中も肩もそばかすだらけ
小学校の4年生のとき、顕微鏡を買ってもらった。これで身の回りのいろいろなものを観察した。アメーバーやゾウリムシもこのとき初めて見た。見ていると時間が経つのを忘れた。顕微鏡で見るミクロの世界は、ほんとうにすばらしかった。
中学生になってから、さらに性能の良い顕微鏡を買ってもらって、これで釣りがね虫など、いろいろなプランクトンを観察し、色エンピツで写生した。これを冊子にまとめて夏休みの課題として提出すると、理科の先生が授業のときにみんなの前で紹介してくれた。とてもうれしかった。
接眼レンズと対物レンズを組み合わせると、物が大きく拡大してみえる。人の目ではせいぜい0.2mmくらいまでしか識別できないが、この光学顕微鏡を使うと、その数百分の1(数ミクロン)まで見える。しかしこれで原子や分子まで見えるかと言うと、そうはいかない。それは原子や分子の大きさがそのまた千分の1(ナノ)ほどしかなくて、可視光線の波長よりはるかに小さいからだ。
物を見るというのは、光の波を物に当てて、その反射を見ているわけだ。たとえば池の岸で波を起こすと、その波は池に浮かぶ岩に当たり反射してくる。この反射してきた波によって、私たちは岩の存在を知ることができる。また対岸にいる人も、岩の後ろに波の影ができることによって、岩の存在を知る。
ところが岩が波の波長より小さいと、波は岩の後ろに回りこみ、波は岩を飲み込んでしまう。そうすると波は反射しないし、岩の後ろに影も作らない。岸辺に到着した波を観測しても、岩の存在を知ることはできない。
これと同じ理屈で、波長が原子の半径の数千倍もある可視光線では、とうてい原子や分子は見えない。バクテリアやウイルスでさえ見るのが難しい。しかし、もしさらに波長の短い紫外線やx線を使えば、より細かなものを見ることができる。もっとも波長の短い電波はエネルギーも大きいので、これを当てると、小さなものは破壊されるかも知れない。私たちもうっかり被爆しないように注意しなければならない。
しかし、原子や分子を見ようと思うと、x線でもその波長に限界がある。そこに登場したのが電子線を使った顕微鏡である。電子は原子よりも小さく、その波長も短い。だから、これを当てればさらに細かい世界の様子がわかる。実際に現在では原子や分子の写真も撮られている。原子や分子の姿を見ることができる時代になったわけだ。
http://blogs.yahoo.co.jp/star_warker/35653219.html
電子顕微鏡についてはひとつ思い出がある。今から30年ばかり前に、教員になったばかりの私が大学の研究室に遊びに行くと、「橋本君、電子顕微鏡をやろうか」という。研究室で最新式のものを買うことにしたので、現在使っている装置は廃棄することになったのだという。
見せてもらうと、部屋をまるごと占拠している。これを高校まで運ぶのも容易ではないし、どこに置くかも問題だ。それに電力もかなりかかりそうだ。しかし、電子顕微鏡がただでもらえるのは滅多にない機会だ。高校に帰り、さっそく事務や教頭に相談したが、色よい返事はもらえなかった。電子顕微鏡でミクロやナノの世界を探検するという夢は、こうして費え去った。
(今日の一首)
原子まで写真でみえるこの不思議 ウイルスたちも素顔を見せる
2007年11月15日(木) |
微粒子の不規則な運動 |
1827年、イギリスの生物学者ロバート・ブラウンが、顕微鏡で水中の花粉を観察していたところ、ふしぎな現象にであった。花粉は水を吸収し、やがて破裂する。そして水中に無数の微粒子を放出する。不思議なのはその微粒子の運動だった。
顕微鏡で観察すると、その微粒子は何かに突き動かされるような不規則な運動をしていた。どうしてそんな複雑なジグザグをするのか、その理由がわからなかった。それだけにこの微粒子の独特の運動は人々の注目を浴びた。科学者はこれに「ブラウン運動」という名前をつけた。しかし、長いこと、この謎を解く人物は現れなかった。
この謎解きをしたのが若きアインシュタインだった。スイス特許局の下級役人だったアインシュタインは、1905年に論文を発表して、「ブラウン運動の原因は水分子の不規則な熱運動である」という説を唱えた。ちなみにこの年、アインシュタインは「特殊相対性理論」と「光電効果」の理論を発表している。
この3本の論文はどれも物理学の歴史を変えるような革命的な価値のある論文だった。したがって現代の物理学者はこの1905年を「奇跡の年」と呼んでいる。もっとも、これらの論文は当時はほとんど注目されなかった。まだその価値がわからなかった。
すべての物質が原子や分子からできているという「原子論」は現在では小学生でも口にするが、100年前までは、学者でさえこれを疑っていた。たしかにこのころボルツマンは統計的手法を駆使し、「温度や圧力といったものは、原子・分子といった粒子が、ニュートン力学に従って、衝突などの運動をしていることによって起きている」と力説していた。
しかし、当時の学会の主流はこれに懐疑的だった。たとえば当時の指導的な物理学者で哲学者であったマッハは、「原子や分子は実際に観測されていない。実証されない仮説は非科学的なドグマであり、排斥されるべきだ」と主張していた。
こうした学会の雰囲気の中で、ボルツマンは1906年に謎の首吊り自殺をしている。その二年後の1908年、ペラシがブラウン運動の精密な観察を行い、アインシュタインの予想が正しいことを実証した。これによってボルツマンの考えの正しさも次第に認められて行った。
たしかにどんなすぐれた顕微鏡でも原子・分子を直接見ることはできない。しかし、私たちは顕微鏡で微粒子のジグザグ運動の不規則性を見ることで、そこに水分子の実在を実感できる。アインシュタインの「ブラウン運動」の理論は、原子・分子の存在を直接的に分かりやすく示すものだった。
そして、アインシュタインはこの「ブラウン運動」の論文で物理学博士号を取得している。アインシュタインの論文でこれまでに一番引用される回数が多いのもこの論文だ。アインシュタインと言えば「相対性理論」が有名だが、意外なことに、彼がノーベル賞を受賞したのは「光電効果」の研究によってだった。革命的な理論は、学会でもなかなか受け入れられないものだ。
(今日の一首)
目に見えぬ水の分子のいたずらか 顕微鏡下の微粒子踊る
2007年11月14日(水) |
コップの水はなぜこぼれない |
小学校の頃、理科の時間がたのしみだった。それは先生が理科室でいろいろと不思議な実験をしてみせてくれたからだ。たとえばコップを水で満たして、その上に紙を載せる。そして、私たちにこんな質問をする。
「これをK君の頭の上で逆さまにします。どんなことが起こると思いますか」 「コップから水がこぼれて、K君の頭は水浸しになると思います」 「先生は、K君の頭は大丈夫だと思うよ」 「どうして?」 「とにかく、実験してみましょう」
実験台にされたK君は緊張している。事前に「絶対大丈夫」と先生に言われていたのに違いない。それでも不安そうである。
さいわい先生の言うとおり、コップを逆さまにしても、水は落ちなかった。水ばかりか紙もコップについたままである。水がこぼれてK君が水浸しになることを期待していた生徒たちもいたが、多くの生徒はほっとしている。私も「逆さまのコップから水がこぼれない」という不思議な現象を前にして首をかしげた。
先生はその理由をしばらく考えさせてから、ひとりずつ当てていく。しかし、だれも答えられない。私も考えたが答えがうかばない。先生は得意げにこの手品の種明かしをする。これは空気の圧力のせいだという。大気の圧力は10メートルもの水柱をささえる力があるらしい。
ストローでグラスからジュースが飲めるのも、ポンプで水が汲みあがるのも、すべてこの大気圧を利用しているわけだ。植物が根から水を吸い上げるのもそうらしい。だから空気が存在しない月面や宇宙船では、ストローやポンプは役に立たない。植物も育たない。
ところで空気の圧力とは何か。それは「原子論」で考えれば、気体の分子の衝突の力を合わせたものだということになる。逆さまになったコップの水がこぼれないのは、この無数の気体分子がさかんに紙に衝突して、これが落ちてくるのをふせいでいるからだ。
そう考えると、目に見えないはずの分子の活動が見えてくる。見えないものをありありと見る想像力が、科学の理解には大切である。科学が苦手だという子どもや大人は、この想像力や空想する力が乏しいのではないだろうか。
(この文章を書くにあたり、私は台所に行き、コップと新聞紙の切れ端で実験してみた。そして見事に成功した。久しぶりに懐かしい感動がよみがえった)
(今日の一首)
あらふしぎコップの水がこぼれない 空気の圧力手品師のごと
朝永振一郎さんと一緒に量子力学の「繰り込み理論」でノーベル物理学賞を受賞したリチャード・ファインマンは、物理学の優れた啓蒙家であり教育者でもある。その彼が、「科学の歴史を一文に集約すれば、すべてのものが原子でできているということに尽きる」(ファインマン物理学)と述べている。
「すべてのものが原子からできている」という「原子論」の考え方は、古代ギリシャからあった。デモクリトスが「原子論」の始祖だといわれている。しかし、古代の原子説(アトム説)は空想の産物でしかなかった。またこの原子説から実りのある新しい学説が生まれることもなかった。
近代の原子論は古代の原子説とは違って、ずいぶん多産である。世の中のあらゆる現象を、ことごとく説明できるほどそれは強力な武器になった。科学者は「原子論」という武器を手にすることで、たくさんの獲物を獲得することができた。原子論は近代科学の基礎であるばかりではない。それは科学を育てる豊穣な土壌でもあった。
今では小学生でも「物質は原子からできている」ことを口にする。しかし、残念なことに、ただそれを知識の一つとして知っているだけで、その思想の恐るべき豊穣さについては十分教えられていない。それはその凄さを教えない教師の責任でもある。
さいわい私は中学生のときにとてもよい教師にめぐり合った。私の家にたまたま下宿することになった物理学科の学生の井上さんである。彼は原子論がわかれば、森羅万象がことごとく説明できるのだという。彼のこの言葉を聞いて、私はすっかり「原子論」のとりこになった。
(今日の一首)
さだかには目に見えねども風吹けば これも分子の体当たりかな
物体の上面と下面にかかる水圧の差が浮力を生み出している。そして水圧は水の重さによって生じると考えると、浮力(圧力差)は、まさにその物体と同じ体積の水の重さに等しいということになり、アルキメデスの原理が証明される。
水圧は水の重さによって生じるが、気圧は空気の重さによって生じる。地上から大気圏の外まで伸びる空気の柱を考えると、その空気の全重量はおおよそ10メートルの高さの同じ断面積の水柱の重さに等しい。つまり、水中に10メートル潜るたびに、私たちが受ける水圧は1気圧ずつ増えていくことになる。
もともと1気圧あるわけだから、水中に10メートル潜ると2気圧の大きさの水圧を受ける。海面から100メートル潜ると、11気圧もの圧力を受ける。潜水具でもなければとてももちこたえられないわけだ。
水の場合は深さで密度がほとんど変らないので、10メートルごとに1気圧ずつふえていく。しかし、気体である空気の場合は、地上と高い山の上では密度が違っている。高度があがるにつれて空気は次第に希薄になる。したがって水圧が深度に比例するような単純な比例関係は成り立たない。
それでは気圧と地上から高さの関係はどのようにして求められるのだろう。私は中学3年生の頃、この問題を考えたことがあった。私がそのとき採用したアイデアは、空気を立方体の塊に分割し、その小さな箱を地上から順に積み上げるという方法だった。
このときそれぞれの立方体の壁にかかる圧力は、その上に積み重なっているすべての立方体の重量である。さらに、それぞれの立方体には体積は圧力に反比例するという授業で習いたてのパスカルの原理を適用する。そうすると、同じ質量をもつ立方体の体積は、上に行くほど大きくなり、その中の空気の密度は希薄になる。
ここまで考えて、中学生の私は行き詰ってしまった。この後どんな計算をして気圧を求めればよいかわからなかった。そこで、当時我が家に下宿していた井上さんに助けを求めた。彼は福井大学の応用物理科の学生である。彼は私の話を聞くと「君のアイデアはすばらしい」と褒めてくれた。
彼によると、私が採用した「細かく分割して足し合わせる」というアイデアは、アルキメデスが円の面積を求めたり、ニュートンやライプニッツが発明した「微分・積分」の考え方と同じものだという。そして、彼は「分割と足し合わせ」の考え方を使って円の体積を求める方法を教えてくれた。
微分・積分は高校の2年生で習うが、私はこうして中学生のとき、そのエッセンスを知った。それは今思い返しても知的スリルに満ちたすばらしい体験だった。しかしこの後、井上さんが私に語ってくれたことは、私をもっと驚かせた。
彼によると、圧力が水の重さによるという説明は便宜的なもので、本当は目に見えない無数の水分子の運動によるのだという。水や空気の分子が激しくぶつかるその衝撃力こそが圧力の正体なわけだ。私はこれを聞いて、あっと思った。
私がお風呂につかっているとき、私を取り巻く無数の水の分子は、おそろしいスピードで私の皮膚に体当たりしている。それらの分子たちの衝突する力を、私は水の圧力として皮膚に感じているわけだ。また、同様なことは気圧にもいえる。これは気体分子の運動の結果なわけだ。
世の中のすべての現象は、目に見えない原子や分子の働きから説明がつく。そう考えた瞬間、霧が晴れて広大で美しい景色が眼前に広がったように感じた。科学は面白いと思った。そして私も井上さんのように、大学で物理学を専攻したいと思った。
(今日の一首)
目に見えぬ原子分子が見えてくる 世界を変える科学の心
2007年11月11日(日) |
浮力の生まれるメカニズム |
お風呂につかると体が軽くなる。これは浮力を受けるからだ。浮力の大きさは水面下にあるからだの容積に等しいだけの水の重さと同じである。これはどうしてそうなるのだろう。
職員室で理科の先生にこの質問をしたとき、「それはその分だけ水を押しのけて持ち上げているわけだから、その分の水の圧力がかかっているのでしょう」という答えが返ってきた。なぜ押しのけた水が浮力を生むのか説明不足だが、浮力が水の圧力に関係があるというのは正しい。このことを単純なモデルを使って説明してみよう。
今、お風呂に漬かった場合を考えてみよう。ただし自分の体が円筒形の肉の塊だと想像する。そうすると、円筒形の上の面は水面から少しだけ出ているので、水に漬かっている側面と下の面だけが水圧を受ける。
ところで側面に受ける水圧は四方八方から平等に受けるので打ち消しあってしまう。そうすると円筒形の体にかかるのは下の面にかかる水圧だけである。そしてその向きは垂直に上向いている。じつはこれが浮力である。
次にこの円筒形の物体に余計な力を加えて水に沈めたとする。そうすると、この物体は上と下と両方の面に水圧を受ける。しかし、この場合は上の面に受ける水圧よりも下の面に受ける水圧の方が大きい。だからその差が浮力となって物体を上に持ち上げようとするわけだ。
そこで次にその浮力の大きさを調べてみよう。そのためには浮力の原因になっている水圧について、それが生まれるメカニズムを知らねばならない。一般に私たちが物を肩に背負う場合、その物体から圧力を受ける。その大きさはその物体の重さに等しい。
水圧の場合も同じで、ある深さの水の圧力は、その深さより上にある水の総重量だと考える事ができる。たとえば水面下100センチメートルの水圧を考えてみよう。水は1立方センチメートルあたり1グラムの質量をもち、それが100個つみあがれば100g重になる、したがって、100センチメートルの深さでの水圧は、1平方センチメートルあたり、100g重である。
このことから、円柱の底面にかかる水の圧力の合計は、水面下にある円柱の体積分の水の重さに等しいことがわかる。上面が水没している場合は、上の面と下の面の圧力差が浮力を生み出している。しかしこの場合もその圧力差(浮力)はその部分の体積に等しい水の重さなわけだ。
今は円筒形の物体で考えたが、これは別に円柱でなくて直方体のような角柱でもよいことはあきらかだろう。しかし、押しのけた体積分の水の重さだけ浮力を生むというアルキメデスの原理は、球形の物体や、人間の体のような複雑な物体でも等しく成り立っている。
その厳密な証明はむつかしいが、ここではどんな物体も縦に千切りすれば角柱の集合体として扱うことができるとだけ述べておこう。いずれにせよ、アルキメデスの原理は一般的に成り立っている。浮力の生まれるしくみがわかれば、この原理について理解が深まるはずだ。
(今日の一首)
何ごともしくみを知れば面白し 学ぶたのしみ尽きることなし
水中では体が軽くなる。お風呂に使っていて気持がいいのは、全身があたたまることの他に、体が浮いて、重力から自由になった解放感もあるのだろう。
アルキメデスは「水面下に沈んだ分に相当する体積の水の重さだけ、その物体は浮力を受ける」という有名な法則を発見したが、これも入浴中だった。彼はうれしさのあまり、浴場から飛びだして、何か叫びながら、裸のまま街を走ったらしい。
水より軽い物体はなぜ水に浮くのか。「軽いからだ」というのがこれまでの答えだった。アルキメデスはさらにつきつめて、「軽いとなぜ浮くのか」と考えた。そして「浮力」を発見した。
これはニュートンがリンゴが木から落ちるのを見て「重力」を発見した話とよく似ている。それまでの人は「なぜ物が地上に落ちるのか」ということについて、「重いからだ」としか答えようがなかった。ところがニュートンは「重力」のせいだと考えた。そして「重力」は「万有引力」だと見破った。
さて、浮力が存在することは、水に体を沈めてみればわかる。それではこの浮力はどういうメカニズムで生まれるのか。これはかなり難題である。物体はなぜ水面下に沈んだ分に相当する体積の水の重さだけ浮力を受けるのか。科学の得意な人でも、これについて満足できる説明を与えることは、なかなかむつかしいのではないだろうか。
(今日の一首)
あたたかき風呂につかればしあわせが 羽衣のごと我が身を包む
2007年11月09日(金) |
なぜ氷は水に浮くのか |
私はときどきとてもプリミティブな質問をして、生徒や友人の困った顔を見て楽しむという悪い癖がある。たとえば、「なぜ氷は水に浮くのか」と質問する。この質問に答えられない高校生がたくさんいる。同僚の教員でさえ答えられないことが多い。
水は冷えて氷になると体積が増える。だから、寒い地方では水道管の中の水が凍り付いて、菅が破裂することがある。水は結晶化したときかえって分子の間に隙間ができてしまう。だから水は液体のときよりも固体の方が体積は大きくなる。当然比重も軽くなる。だから氷は水に浮くわけだ。
こんなことは小学生の頃、理科の時間で習ったはずだ。しかし、高校生になるころには大方忘れている。大人になるとなおさらだ。「氷が水に浮くのはあたりまえだ」とこう考えて、それ以上は考えることを拒否してしまう。
ところで、「氷の方が水より軽いからだ」という正解を答えた人も、まだ安心はできない。私はすかさず、「なぜ、軽い物体は水に浮くのか」と問いかける。そうすると、「そういえば、昔、浮力というものを習ったぞ。それはたぶん浮力のせいだ」という答えが返ってくる。
たしかにアルキメデスは「水面下に沈んだ分に相当する体積の水の重さだけ、その物体は浮力を受ける」という有名な法則を発見した。この原理を思い出した人は相当の秀才である。物が浮かぶのはこの浮力が物にかかる重力とつりあっているからだ。
こう答えられれば、まずは大正解ということになる。しかし、私の質問にはまだまだいくらでも先がある。そもそも浮力はどうして生まれるのか。そもそもアルキメデスの原理が正しいことはどうやって説明できるのか。興味のある方は、アルキメデスになったつもりで証明してみてはどうか。
(今日の一首)
幼子の我を見つめて笑ひたる なにやら楽し秋の一日
民主党代表の小沢さんが、一旦発表した辞意を撤回して、代表を続投するのだという。福田総理との2回にわたる会談で、自民党との大連立に傾いた小沢さんを、民主党はそのまま続投させるようだ。小沢さんがいなければ民主党は次の総選挙に勝てないということらしい。
小沢さんは11月4日の辞任記者会見で「民主党の政権担当能力はいま一歩」と発言した。この5日間を眺めていると、たしかに政権担当能力を疑われても仕方がない。これまで民主党に期待していた国民の多くも、この騒動にがっかりしたのではないか。
小沢さんは福田総理と二人きりの会談を持った。党首会談が悪いわけではないが、やるならもっとオープンに行うべきだろう。これでは国民不在の密室政治、あるいは談合だと批判されてもしかたがない。
そもそも小沢さんは小選挙区制を通して、政権交代可能な二大政党政治を実現したいと主張してきた。小沢さんの今回の行動は、こうした彼の持論と整合するのだろうか。これらの点について、小沢さんは記者会見でこう述べていた。
<民主党はいまだ、さまざまな面で力量が不足しており、国民の皆さまからも「自民党は駄目だが、民主党も本当に政権担当能力があるのか」という疑問が提起され続け、次期総選挙での勝利は厳しい情勢にあります。
その国民の懸念を払しょくするためにも政策協議を行い、そこでわれわれの生 活第一の政策が取り入れられるならば、あえて民主党が政権の一翼を担い、参議院選挙を通じて国民に約束した政策を実行し、同時に政権運営の実績を示すことが、国民の理解を得て、民主党政権を実現する近道であると、私は判断いたしました>
これを読んでも、「政策協議」がどうして「大連立」にまで飛躍するのか理解できない。北大教授(現代政治)の山口二郎さんも、「大連立の話に乗ったところで、小沢氏の政治生命は終わった」ときびしい。
小沢さんは民主党の代表であって、オーナーではない。したがって、そもそもこうした大胆な路線転換をするなら、まず党内でのコンセンサスつくりを優先すべきだろう。そして政治家としての説明責任を自覚して、国民にも理解を求めるべきだろう。いきなりトップダウンで命令し、役員会で反対されたからやめるというのでは思慮の足りない駄々っ子のようである。
今回の騒動を通して多くの国民は、小沢さんが思った以上に器量の小さい凡物であり、旧態依然とした談合政治屋の一人かも知れないと気づいたのではないだろうか。小沢神話が崩れたことは、長い目でみれば民主党にとってもよかった。できることなら民主党は新たな代表の下で、次の総選挙を戦ってもらいたい。
(今日の一首)
政治家は二世三世あたりまえ これでよいのか我らの暮らし
私たちは六道の浮世に暮らしている。六道とは「地獄」「餓鬼」「畜生」修羅」「人」「天」である。私たちの心はこの6種類の境涯をいそがしくかけめぐっているらしい。日蓮聖人はその主著「観心本尊抄」にこう書いている。
<あるときは喜び、あるときは瞋り、あるときは平らかに、あるときは 貪り現じ、あるときは癡(おろか)現じ、あるときは諂曲なり。瞋るは地獄、貪るは餓鬼、癡は畜生、諂曲なるは修羅、喜ぶは天、平らかなるは人なり>
地獄というのは地下の牢獄のような世界だ。そこに体を縛られ、拷問を受けている状態を考えればよい。人間にとってこれ以上の苦しみはない。しかし、こうしたことが私たちの人生で起こらないとも限らない。現に多くの人々が無実の罪で獄につながれ拷問を受けている。
また、会社でリストラされたり、学校でいじめを受けて、死を思いつめている人の心も、ある意味でこの地獄界に囚われているのだろう。死ぬことでしか逃れられないと思いつめるのも、地獄の苦しみである。心を閉じ込める見えない牢獄も恐ろしい。
餓鬼というのは、飢餓感に駆り立てられ、貪る心に支配されている状態だ。「あれも欲しい、これも欲しい」と飢餓感は募るばかりで、肝心のものは手に入らない。餓鬼道に落ちた人は、子どものように地団太踏んで、物を欲しがる。物だけではなく、地位や名声を貪る人も、餓鬼道に迷う亡者である。
畜生は犬や猫のように本能のまま、欲望の赴くままに生きている状態だ。自分が何をしているのか自覚もなく、将来のことを考えようともしない。その日その時を、これという思案もなく、欲望に支配されて生きている。
これでも地獄や餓鬼道に堕ちている人からみれば、まだしあわせな方であろう。私も犬や猫の境遇をうらやましいと感じたことがあった。動物の自然な生き方を「愚か」と決めつけて侮ることができようか。空高く舞う鳶を見れば、彼らの自由で自然な生き方に羨望をさえ覚える。
人間は動物と違って、状況を判断したり、思案したりできる。たしかにこれが文明をつくりあげたが、この文明が築きあげた富は争いごとも作り出す。他者を蹴落とし、勝者になるために、修羅たちは驚くほどの情熱を傾ける。そしてこの世界を争いと弱肉強食の修羅場と化す。これが世界の現実である。
さて、仏教ではここまでの「地獄、餓鬼、畜生、修羅」を四悪道と呼ぶらしい。「束縛、飢餓、蒙昧、争い」に満ちた人生は基本的に「苦の世界」だ。これに対して、健康や財産・地位に恵まれた「天界」は、光に満ちあふれた「喜びの世界」である。
美しい妻を娶り、社会的に成功して巨万の富を手に入れ、お城のような邸宅に住む人は天界の住人だといえよう。多くの人がこうした夢のような生活に憧れる。しかし、この浮世の幸せも永劫に続くわけではない。
人はいつ業病に襲われるかもしれない。死もまた必然の運命である。巨万の富も、株価が暴落すれば、莫大な負債に変身するかもしれない。このように人生は無常である。天界の住人も転落と死の不安から免れることはできない。浮世はたちまち憂世と化す。
人生に苦楽はつきものである。日蓮は「平らかなるは人」だという。「平らか」というのは、「苦と楽」の平衡点ということだろう。この水準面を境にして、私たちは時には地獄界にまで深く落ち込んで絶望したり、天にものぼるよろこびを味う。この浮き沈みが人生だ。
こうした浮世のありさまを、私たち日頃あまり認識しない。たしかに他人の有様についてはよくみえるのだが、こと自分のありさまはよくわからない。しかし、仏教をならうとそんな自分の姿が見えてくる。日蓮は「観心本尊抄」にこう書いている。
<観心とは、我が己心を観じて十法界を見る。これを観心とはいうなり。たとえば、他人の六根を見るといえども、いまだ自面の六根を見ざれば、自具の六根を知らず。明鏡に向うの時、始めて自具の六根を見るがごとし。法華経等の明鏡を見ざれば、自具の十界を知らざるなり>
日蓮は法華経を鏡として、そこに自己のありのままの姿を映してみよという。そうすると、六道に迷い、苦しんでいる自分の姿がよくわかる。「観心」を通して、四聖の世界が見えてくると、この苦界から救われたいという思いも湧いてくる。
<四聖(声聞・縁覚・菩薩・仏)は冥伏して現われざれども、委細にこれを尋ぬれば、これあるべし。問うて曰く、六道において分明ならずと雖も、ほぼこれを聞くに、これを備ふるに似たり。四聖は全く見えざるは如何。答えて曰く、前には人界の六道之を疑ふ、しかりと雖も強ひてこれを言って相似の言を出だせしなり、四聖もまたしかるべきか。試みに道理を添加して万が一これを宣べん。ゆえに世間の無常は眼前に有り、豈人界に二乗界無からんや。無顧の悪人も猶妻子を慈愛す、菩薩界の一分なり。ただ仏界計り現じ難し、九界を具するを以って強ひて之を信じ、疑惑せしむることなかれ>
浮世(六道)にも浮世のたのしみがある。浮世の出来事に一喜一憂し、絶望したり、ときには人と争い、そしてまた仲直りしながら、泣いたり笑ったりして生きていくのもひとつの人生である。しかし、そうした生き方に安住せず、そこから解脱する人生も悪くはない。しかし、私たちがいかなる人生を歩むか、これもすべては仏縁ということであろう。
(今日の一首)
人生は浮き沈みあり波乗りと 思えばこれもたのしみのうち
朝早く、妻が私の部屋に来て、「血圧をはかってください」という。最近は起きぬけに眩暈がするのだという。はかってみると、上が146.下が98もある。私以上の高血圧だ。
眩暈がするのは最近、朝食にご飯を食べるようになってからだという。朝、昼、晩と三食ご飯を食べるようになって、かなり体重も増えたようだ。やはり体重の増加が高血圧の原因ではなかろうか。
「朝と晩は半分にしたほうがいいよ。そうすれば一日二食になる。自然に体重が落ちて、高血圧も改善するのではないかな」 「つい食べちゃうのね。ご飯がおいしすぎるのよ」 「そこをなんとかしなくちゃ」
私は夕食は学校の給食を食べるが、これも半分しか食べない。妻も夕食はほとんど食べなかったという。ところが次女が警察学校を卒業して、この10月からは家から通いだした。そして朝食や夕食を一緒に食べるようになった。そのせいで妻もつられて食べてしまうらしい。
妻は午(うま)年の生まれである。朝食のとき、おいしそうにご飯を食べている妻を横目で見ながら、「天高く馬肥ゆる秋だね」と冷やかすと、妻はおどけたように「うま、うま」と言いながら笑っている。これでは体重を減らすことはぞめない。食欲があり過ぎると言うのも、困ったことだ。
(今日の一首)
新米をうましうましと平らげる 妻は午年我は寅年
2007年11月05日(月) |
算数できぬが思索はたのし |
私の先日、喫茶店で360円のコーヒーを妻と二人で飲んで、私がお金を払った。千円札と20円を出して、300円のおつりをもらった。これがどうも腑に落ちないので、妻に「釣りは300円であっているのか」と念を押した。
妻は心配顔になって、「あなたやっぱり病院に行ったほうがよいわよ」という。「私がついて行ってあげるから、是非行きましょう」と今にも連れて行きそうなので、「まあ、そう、あわてるな。学校で授業ができなくなったら行くよ」と、とにかくその場を切り抜けた。
妻に言わせると、最近の私はどうも普通ではないのだという。私はもともと天然ボケの嫌いがあったが、最近、この傾向が著しくなってきたようだ。たとえば地下鉄の名古屋駅で降りるべきところを、その手前の栄駅で降りたことがあった。地下の改札口を出て、JR駅に続く階段を探したが見当たらない。
ふつうなら、改札口をでる前に気づくべきである。ところが出た後も、このことに気づかず、あちこち探しまわって、どこにも階段が見当たらないので、頭の中が真っ白になってしまった。これは4ケ月ほど前に起こったことだが、このときは我ながら情けなかった。
数週間ほど前には、馴染みにしている近所の図書館にたどりつけなかったことがある。しかもその前を通りながら気づかない。通り過ぎても気づかない。そして結局自分がどこにいるのかわからなくなって、これもパニック状態になった。
そして先週の金曜日には、時間を間違えて、1時間も早く学校を早退してしまった。JR木曽川駅に降り立ったが、妻の迎えの車が見当たらない。しばらく待ったあと、家に電話をかけた。ところが電話の声が見知らない女性に聞こえた。
おもわず、「どちらさまですか」と訊いてしまった。「そちらこそ、どちらさまですか」と訊かれて、「橋本です。そちらは橋本さんではないのですか」と訊いた。「何いっているのよ。大丈夫?」と返されて、はじめて電話の声が妻だと気づいた。しかも、そのあとがいけない。
「今、君はどこにいるの」 「どこって、家に決まっているじゃないの。あなたこそ、どこにいるの」 「木曽川駅だよ。どうして迎えに来てくれないの」 「あなた、今何時だと思っていの」
妻に言われて、いつもより早い時間だと気づいた。そういえば、職員室を出るとき、教頭をはじめまわりの人たちが怪訝な顔をしていた。きっと「こんなに早く帰るなんて、職務怠慢だ」と思ったことだろう。そこであわてて学校に電話し、教頭に事情を話し、無断早退を詫びた。
こんなことがあるので、妻が「あなた、アルツハイマーかも知れないわよ。最近、どうもおかしいわよ。病院に行ったほうがいいわよ」としきりに言う。たしかに、道に迷ったり、物忘れが激しい。しかし、自分ではアルツハイマーだとは思っていない。
瞬発的な思考力はすっかり衰えたが、哲学の本も数学の本もまだまだ読める。持続的な思考力は何とか健在だ。まあ、この日記が書けなくなったら、そのときは妻に連れられておとなしく病院へ行こうかと思っている。
(今日の一首)
ときとして道に迷い物忘れ 算数できぬが思索はたのし
私が仏教に興味を持ち始めたのは、県立高校の入試に失敗して、浄土真宗系の私立高校に入学したためだ。そこで仏教に出合った。それまで科学や文学を愛好する少年だったが、これを契機に精神的なものにも目が向くようになった。
そして科学や文学のみならず、哲学や宗教に大きな関心を持つようになった。仏教ではこれを「仏縁」という。私もこうした縁に恵まれなければ、いわゆる「縁なき衆生」として宗教には関心がもてなかったかも知れない。
もっとも、私は地獄極楽や死後の世界は少しも信じていない。葬式も必要ないし、墓もいらない。宗教に関心はあるが、仏も神も信じていなくて、ただ「仏性」のみを信じている。かなり変わり者の仏教徒なわけだ。それでも私は「仏縁」には大いに感謝している。
なぜなら、仏教を学ぶことで、私たちが生きている世界が「地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天」からなる六道の世界だと気づいたからだ。私はこの迷いの世界で、何とか他者に優越しようとして、あるいは落ちこぼれないように、あくせくと生きていた。利害打算と欲望に振り回されていながら、そのことにさえ気づいていなかった。
仏教は現実がこうした迷いの世界であること教えてくれた。しかし、それだけではない。そうした修羅世界のただなかに、もうひとつ違った叡智の世界があることを気づかせてくれた。それが「声聞、縁覚、菩薩、仏」の「さとりの世界」だ。
欲望と打算の修羅世界だけではなく、愛と叡智に満ちた安らぎの世界がこの世に存在する、それも私たち一人ひとりの心の中に「仏性」として生き生きと存在する。このことに気づかせ、私を生まれ変わらせてくれたのが仏教だった。若い頃にこの教えに出会えたことは幸運であった。
(今日の一首)
ありがたき仏縁ありてみ仏を 心に抱けば風もさわやか
私は高校の頃から仏教が好きで、親鸞、道元、日蓮をはじめ、いろいろな人の著作を読んできた。そして五十数年生きてきて、さまざまな体験をし、人生について自分なりに自得するところがあった。これについては自伝や日記にいろいろと書いた。
そんな私が最近しきりに考えるのは「仏性」ということである。仏教はやはり「仏性」が眼目ではないかと考えている。そこで今日は「仏性」からみた「さとり」のあり方について、思うところを書いてみよう。
私は「さとり」も、「六道輪廻」を解脱しながら、声聞、縁覚、菩薩、仏と、小乗的なものから大乗的なものへと、しだいに境地が深まっていくのではないかと考えている。これを「さとりの4段階説」と名づけておこう。
(1) 他者の仏性に気づく。(声聞のさとり) (2) 自己の仏性に目覚める。(縁覚のさとり) (3) あらゆる人々に宿る仏性に気づく。(菩薩のさとり) (4) 森羅万象に仏性を感じる。(仏のさとり)
宗教書や聖典を読んだり、すぐれた人に師事したりするのは、「声聞」の段階である。このレベルに固執すると、新興宗教の教祖に絶対帰依している人たちのようになる。教祖や尊師や聖典を絶対化し、そこにのみ尊い真実(仏性)があると考えていては、このレベルから抜けられない。
他者に帰依し、自己を謙虚に保つことは大切なことだが、もっと大切なことがある。それは自分の中に仏性を見出すということである。他人の恵みで生きるのではなく、自己の中に湧き出る泉を発見し、その清らかな「命の水」を自らの杯で飲む必要がある。
しかし、自己の中に仏性を発見したとして、この「小乗のさとり」のレベルにとどまっていてはいけない。その同じ仏性が他の人々の中にもあると気づいたとき、大乗仏教が教える「菩薩のさとり」にいたる。さらにその先に、「山川草木悉有仏性」の「仏のさとり」の世界がある。
<念佛の行者は智慧をも愚癡をも捨て、善惡の境界をも捨て、貴賤高下の道理をも捨て、地獄をおそるる心をも捨て、極樂を願ふ心をも捨て、又諸宗の悟をも捨て、一切の事を捨てて申す念佛こそ、彌陀超世の本願に尤もかなひ候へ。
かやうに打ちあげ打ちあげ唱ふれば、佛もなく我もなく、まして此内に兎角の道理もなし。善惡の境界、皆淨土なり。外に求むべからず。厭ふべからず。よろづ生きとし生けるもの、山河草木、吹く風、立つ浪の音までも、念佛ならずといふことなし>(岩波文庫「一遍上人語録」)
仏性はすべての人々の中にある。しかし、それだけではない。他の動物や植物、山や川にさえ存在する。すなわち宇宙の存在の一切が仏性である。「よろづ生きとし生けるもの、山河草木、吹く風、立つ浪の音までも、念佛ならずといふことなし」と感じられれば、これこそがまことの「仏のさとり」であろう。
さとりには小さなものと大きなものがある。安心立命を求めて自得しているのは、利己的な小さなさとりだ。私たちはここに安住することなく、宇宙の森羅万象と心を通わす、広大無辺のさとりを目差したい。
(今日の一首) 稲架ちかくかおりただようさわやかに 鳶も悠々秋晴れの空
妻や娘と山の紅葉を見ていて、「ああ、極楽だな」と感じた。そのことを「恍惚として極楽浄土」と、短歌にも表現した。そう表現したくなる美しさだった。
小学生の頃から、「秋の夕日に照る山紅葉……」と歌っていて、紅葉を眺めるのは好きだったが、年齢を加えるほど、その美しさが、なんともいえない情感を伴って心を満たすようになってきた。
これは紅葉だけに限らない。春の花といい、夏雲の姿といい、冬の雪景色といい、あるいは道行く人の何気ない仕草といい、人生のあらゆる出来事が、しみじみとした情緒とともに、味わい深く心に触れてくるようになった。つまり「人生の感触」がより深く、ゆたかに感じられるようになってきた。
さまざまな先入見に囚われ、意地や欲望に囚われて、すべてを自分の利害打算を中心に眺めていては、ものごとの真実は見えない。これでは、人生そのものが色を失い、微妙な感触を失ってうすっぺらなものになる。そしてその殺風景で灰色であることさえ気づかない。
ところが、そうした利害打算の欲望を離れて、無心に人生を眺めてみると、この世はにわかに信じられないほどの精彩を帯びてくる。そして幼い頃に感じていたなつかしい「人生の感触」が生き生きとよみがえってくる。
道元は禅の極意を「眼横鼻直(がんのうびちょく)」と喝破した。人生をより深く感じるためには、むつかしい理屈はいらない。ありのままを眺めればよい。そうすればその鏡のような心に、森羅万象が生き生きと見えてくる。そのとき心は法悦とも言える清清しさで満たされる。
私たち日本人はこの魔法をよく知っていた。そして自己を空しくすることで得られる人生のゆたかでさわやかな感触を、短歌や俳句、詩文として数多く残してきた。
その代表は西行であり、芭蕉や良寛である。私もこの美の伝統の中に生きて、豊かな感触と色彩に染められた人生の曼荼羅を、自らの言葉の糸で紡いで行きたい。
(今日の一首)
歳をへて心ようやく落ち着いて 風の音まで美しきかな
昨日は飛騨美濃の山里へ、紅葉狩りに行ってきた。朝起きるとお天気がよく、たまたま次女も休みの日だったので、朝食を終えるとすぐに7時半頃、「さあ、行くぞ」と妻と次女を促して出かけた。
看護婦の長女にも電話をしたが、午後3時から勤務が入っており、夜勤明けということもあり、一眠りしたいということだった。午後から勤務があるのは私も同じである。だから早く行って、正午過ぎには帰ってこなければならない。
妻の車も次女の車ももうかなりの「ご高齢」で、高速道路や山道を走ることはできない。そこで長女から車を借りて、でかけることにした。妻の運転で一宮のインターから北陸自動車道路に入り、郡上八幡からは「せせらぎ街道」を高山まで走った。
「せせらぎ街道」は郡上八幡から明宝を抜け、清見町へ馬瀬川沿いに続いている。ここの紅葉が今見ごろですばらしかった。休日だとたいへんな人出らしいが、さいわい平日なので人ではそれほどではない。渋滞もなく、スムーズに走ることができた。
途中、紅葉の名所で車から降りて写真を撮ったり、二つの「道の駅」で買い物をしたりした。それでも11時半ごろには高山西インターに着いた。そこから私の運転で高速道路に入り、一宮市まで一気に帰ってきた。木曽川には1時頃についた。
(今日の一首)
山里を彩る紅葉の木漏れ日に 恍惚として極楽浄土
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