橋本裕の日記
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2006年06月30日(金) 富豪の慈善事業

 株式投資の世界で神様といわれ、長者番付世界第二位のウォーレン・バフェット(75)氏が、約370億ドル(約4兆3000億円)を慈善事業に寄付するという。そのうち310億ドル分は世界最大の慈善団体であるビル&メリンダゲイツ財団に贈与されるという。

 ウォーレン・バフェット氏は一代で440億ドル(約5兆1130億円)もの富を築き上げた。その85パーセントを寄付するというのだからすごい。世界長者番付1位のビル・ゲイツ(50)氏もつい先日、あと二年後には経営者として第一線を退き、慈善事業に専心すると発表したばかりだ。

 ケイツ氏は2000年にマイクロソフトの最高経営責任者(CEO)の座をスティーブ・バルマー氏に譲り渡し、メリンダ夫人とともにゲイツ基金を立ち上げた。アフリカなどの発展途上国に対する医療援助を中心に行う同基金の資産総額は現在、約291億ドルに達しているという。

 こうしたゲイツ氏の姿勢にバフェット氏は好感をもったのだろう。彼の親族が運営する財団がありながら、彼はその大半をゲイツ財団に寄付するわけだ。彼は「税金を払って財務省に任せるより、夫妻の財団はお金の効用を最大化してくれる」と語っている。

 アメリカにはこうしたよきお手本がある。例えば鋼鉄王といわれたカーネギーがそうだった。以前に日記で紹介したが、彼は「死んだとき財産を持っていることは恥だ」と考え、生前に財産を全て慈善事業に使い切った。世界中に図書館を作り、天文台や大学を作った。実際に彼が死んだとき、金庫の中はほとんど空だったという。

 バフェット氏はブッシュ政権がかかげる遺産税廃止など、相続負担を減らす動きを批判してきた。経済格差を助長し、資産家の子供を甘やかすからだという。西洋には「銀のスプーンを口にくわえて生まれる」という言い方があるが、日本でも生まれながらの長者はいる。

 例えば平成4年度の長者番付をみると、なんと17歳の高校生が全国で第6位に入っている。これは相続した土地を売ったからだという。アメリカのように途方もない大富豪を生み出すシステムも考えものだが、日本も同じ様な不平等格差の現実がある。そうした中で、一部の富豪が「社会貢献」を通して財産を社会に還元する慈善事業が注目を集めているわけだ。

 日本にも資産家による財団はある。中でも有名なのは元京セラ会長の稲盛和夫(74)さんが設立した稲盛財団だろう。稲盛さんは1984年にこの財団を作り、「京都賞」を設けた。この賞は、世界の科学技術や思想・芸術などに貢献した人に毎年贈られている。稲盛さんはこの財団を設立するために、京セラの株を200億円売却したという。

 先日放送されたNHKの番組「知るを楽しむ」のなかで、稲盛さんは「お金持ちになったのは巡り会わせで、富は社会からの預かりものです」と述べていた。預かりものの富を、社会にお返しするのはあたりまえという感覚である。

 稲盛さんは27歳の時7人の仲間と「京都セラミックス」を作った。そのとき血判状をつくり、「世のため、人のため」という社是を書いた。そして零細な町工場を、稲盛さんは独自の技術と経営手腕で世界の「京セラ」に育て上げた。

 オイルショックなど会社の経営が傾いた時期もあったが、「会社は従業員の生活を守るためにある」という信念のもと、一人のリストラも出さなかったという。多くの企業を吸収合併したが、それもすべて相手から求められてのことで、そのときも一人もリストラしなかったという。

 NHK番組では、「会社が株主のものだというのはまちがっています」とはっきり語っていた。会社を創り、従業員を抱えたとき、稲盛さんは「これから彼らと彼らの家族の生活に自分は責任があるのだ」と考えて、その重圧で眠れないこともあったという。

 稲盛さんは65歳の時、潔く会長職を退き、剃髪して仏門に入った。「自分の魂を磨き美しくすることが人生の目的」だと考えたからだという。そして現在は「盛和塾」を作り、若手経営者の育成にも務めている。稲盛さんは経営者としても人間としても、ほんとうにすばらしい。ビル・ゲイツと並ぶ世界の偉人ではないかと思う。

 ビル・ゲイツは第一線を退くことについて、「これは引退ではない。私の(人生の)優先順位の組み替えだ」とコメントしている。彼にとってお金を稼ぐことが人生の目的ではなく、むしろ手に入れた富をいかに「世のため、人のために使うか」ということが重要なのだろう。

 私たちの人生もかくありたいものだ。財産を残して死ぬのは名誉ではなく恥だと考えたい。そういえば西郷隆盛も、「子孫の為に美田を残さず」と言っている。 


2006年06月29日(木) 世界こそわが家

 今年は私たち夫婦の結婚25周年である。25年間いろいろなことがあった。夫婦喧嘩もよくした。しかし、いつまでも根に持たないところが、私たち夫婦のとりえだろう。私も妻も人間が単純にできている。

 私は妻を日頃は「おかこちゃん」と呼んでいるが、ときどき「おかすけ」とか、「おかすけちゃん」とふざけて呼ぶ。そうすると、妻はすかさず、「どうした、とんすけ」と呼び返す。そういうおかしな夫婦である。

 二人の娘に恵まれた。それからローンで思い切って家を買った。子育てと家のローンの二十数年間はわが家の倹約時代である。海外旅行など夢のまた夢で、家族旅行も青春切符を使って倉敷まで行った。とまった旅館も、地震が来れば一気に潰れそうなおんぼろ旅館。しかし、これも貴重な思い出になった。

 妻は部屋に電灯がつけ忘れてあると、雷を落とす。私も娘たちもよく叱られた。そんなケチケチわが家も、去年長女が社会人になって少し楽になった。それで初めて飛行機に乗り、一家4人でタイに行った。来年、次女が卒業すれば、経済的にさらに楽になる。今度は家族でローマにでも行きたいと思っている。

 家のローンはまだ1千万円あまり残っているが、ローンの残高が家の資産価値と釣り合ってきた。家を売れば借金がなくなるわけだから、これからのローンの返済は一種の貯金である。長いトンネルを抜けた思いだ。

 子育ての間は倹約第一の生活が続いたが、精神的に貧乏をしたわけではない。二人の娘もまともに育ったところをみると、多少貧乏なくらいが子育てに良いのかも知れない。我慢をすることを体で覚えるし、格別お金がなくても人間は幸せになれるのだということを学ぶからだ。

 来年になれば次女も社会人として巣立って行くだろう。私もお小遣い倍増で随分ゆとりが生まれるが、ストイックな生活スタイルは変えずに、余剰のお金をさらなる精神的な充足のために使いたいと思っている。とりあえずは、英語の学習や海外旅行だが、待望の世界放浪の旅にも出たい。世界をわが家と考え、ディオゲネスのような「天下の住人」たることが私の夢である。

 子育てについては、実は3人目を育てたいと思っている。プイリピンの貧しい少年に個人的に奨学金を出して、立派な人材に育て上げたい。精神的にも大いに援助して、自分の「息子」にしたいと思っているが、これはまだ私の楽しい白昼夢である。


2006年06月28日(水) 今年もセブで英会話

 来月の今頃は、フイリピンのセブにいる予定である。今年は3週間滞在する。現地の英会話学校に通いながら、みっちり英語の勉強をするつもりだ。フイリピンの人にも積極的に話しかけてみようと思う。

 学校には韓国の若者が多い。彼らとも英語で積極的に交流したい。韓国の若者のまじめでひたむきなところが私は好きである。「笑うカイチュウ」などの著作で知られる寄生虫学者の藤田紘一郎さんも、週刊現代の7/1号に、こんな文章を書いている。

<フイリピンの観光地・セブ島に行って驚いた。ここにきている若ものは韓国人がほとんどで、日本人はまばらにしか見えなかった。その韓国人の若ものは男も女も、髪を染めているものは一人もいなく、一方、日本の若ものといえば、特に男性は、だぶだぶのジーパンを腰から落ちそうにはいていて、「汚なく」て、「だらしない」恰好に見えたのだ>

 学校に通う日本人の若ものは、「だらしない」恰好をしているわけではない。人物的にもしごくまともであり、親切で紳士的(淑女的)である。ただ韓国の若ものと比べると、やはり「遊び」が優先しているような印象はあるが、それはそれでいいのだろう。

 前回は書店でフイリピンの女性に声を掛けた。お茶でも飲みながら英会話を愉しもうと思っただけだが、妻や友人に私の動機が疑われた。そこで今回は青年に声をかけてみようかと思う。もっとも、フイリピンはゲイが多いらしいので、これはこれでまた別の疑いを持たれるかもしれない。

 今年は海水パンツを持って行って、セブの珊瑚礁の海で何日か泳いでみたいと思っている。ダイビングの国際免許を取得するつもりだったが、これは金欠病のため、今回も見送りになりそうだ。

 現在私は毎月4万円ちょっとお小遣いをもらっている。年間にすると50万円ほどになるが、セブに行くと旅費、滞在費、学費だけで25万円ほどかかる。毎月2万円ずつ貯めるのはなかなか大変である。

 そこで散髪は自前でする。本もビデオも図書館で借りる。旅行は青春切符でしかしない。友人との交際はできるだけなくして、レストランや居酒屋へもなるべく行かない。家でも盃に一杯以上は酒を飲まない。休日は夕食を抜き、1日2食にする。ケチケチ人生である。

 もっとも、来年の3月には次女も大学を卒業するので、わが家の家計もずいぶん楽になる。二人の娘が扶養家族から離れると、100万円以上は出費が減る。私の小遣いも一気に倍増である。セブの他に、アメリカやヨーロッパに飛んでいける。お金がすべてではないが、お金があると行動半径が広がることはたしかだ。


2006年06月27日(火) 国債が増加した理由

 国の借金がふえたのは、一口で言えば、政府が高所得者から減税したからだ。そして不足分を、国債を発行して賄った。小泉政権は4年間で290兆円もの国債を発行したが、これは本来ならば、裕福層が収めなければならない税金である。

 ところが、今、政府は借金が増えたという理由で、増税をしてこの借金を返そうとしている。これは、高所得者が本来おさめるべき税金を低所得者に肩代わりさせようという、国債を使った巧妙な金持ち減税政策である。

 しかも、国債に投資した機関投資家やお金持ちは、このゼロ金利政策のもとで、かなりの利息を手に入れている。これは二重の意味で、裕福層への富の移転だ。彼らは減税によって所得の減少を免れたうえ、その穴埋めに発行された国債を買うことによって、さらにその利息を得るという、二重においしい思いをしている。こうした仕組みについて、ビル・トッテンさんはこう書いている。

<国が借金をしなければならない原因とは、まずは税収の不足である。現に米国でも日本でも、富裕層に対する税金や法人税を減税したことによって減った税収分を借金で賄っているのだ。しかし借金はいつか、利子を付けて返さなければいけない。借りた金額以上を支払うのだから、さらに借金は増えていく。

 日本の十八年度の国債費の内訳をみるとそれがはっきり分かる。償還費が十兆円で利払い費が八兆六千億円、そして事務費が千億円となっている。借金の元金そのものが減らないのも当然である。では、借金の利子にあたる利払い費は誰の手に渡っているのかといえば国債を買った人だ。それは一般庶民ではなく、富裕層の個人や銀行や投資会社である。つまり減税という恩恵を受けている富裕層や企業が、政府にお金を貸すことでさらにもうかる仕組みになっている>

 もちろん彼らは国債を買っているだけではない。06年版通商白書は「日本は投資立国をめざすべきだ」としている。すでに、去年から日本は対外資産の利潤が生む利益が、貿易収支を上回っている。2005年の貿易収支の黒字が10兆3500億円なのに、所得収支は11 兆 3600億円ほどもある。

 これは日本が投資大国になりつつあるということだ。通商白書はこの投資収益率を上げるために、もっと投資効率の良いインドや中国への投資を奨めている。裕福層の税金を下げ、彼らに金融資産をプレゼントし、そのお金が海外に投資され、貿易収支を上回る利潤を稼ぎ出している。

 その動かぬ証拠が、1500兆円にもなる厖大な個人金融資産の存在である。これはイギリス、フランス、ドイツのEU主要3ケ国の合計よりも大きい。一方で国債を買うどころか、郵便貯金さえできない貯蓄0世帯が増えてついに25パーセントを超えた。日本はアメリカに迫る超格差社会になろうとしている。

 国の赤字が増えた主な理由が金持ち減税のせいだとすれば、これを「国の借金」だとして一般の国民に肩代わりさせるのはまちがっている。むしろ、金持ち優遇の減税政策で、彼らがふところに収めた厖大な個人金融資産から徴収するのが筋である。

 前にも書いたように、国の借金は裕福層の個人金融資産をふとらせる。しかし、政府はお金持ちの資産には手をつけようとしない。そうするとどうなるか。ふたたびビル・トッテンさんに語って貰おう。

<国が借金を抱えるとどうなるのかというと、日米政府をみれば分かるように、赤字を理由に一般国民へのさまざまなサービスが削減される。財政赤字だから教育や医療、住宅に向ける予算がないというのが常とう句である>

<国を借金漬けにすることで、一般国民には「自己責任」という名のもとさまざまな福祉を切り捨てながら、国債の発行によって下から上へ富を再配布させてきた小泉構造改革。この四年間で小泉内閣は二百九十兆円もの国債を発行したことを考えると、富の再配布のための改革だともいうことができるのである>

 経済政策からしても、借金を返すために一般国民を巻き込んだ増税をしたり、公共投資や福祉を切り捨てる大幅な節税をすることは好ましくない。なぜならこれによって、国民の消費能力が減退し、需要が減り、経済が破綻するからだ。それでは、どうしたらよいのか。ビル・トッテンさんの提案に耳を傾けてみよう。

<国家の借金を減らすための方法はある。まずは、現在富裕層や企業に与えられているさまざまな控除を大幅に減らすことである。そしてそれと同時に、富裕層をさらに富ませるだけで新たな雇用の創出になっていない大企業などへの補助金を削減する意味でも、所得税率、法人税率の累進性を高める。これだけでも大幅な税収の増加になる>

 私の考えでは、いま政府に求められている有効な経済政策は次の通りだ。

(1)累進課税の強化、相続税の見直し、選択的な消費税の導入による、企業や裕福層を中心にした大幅な増税。
(2)中、低所得者を対象にした大幅な減税。
(3)国民の教育・福祉改善に向けての大幅な公共投資。
(4)社会保険庁や天下り財団の廃止などによる、無駄な政府支出の大幅な削減。

 つまり、(1)と(4)を原資として、(2)(3)によって需要を喚起し、経済の活性化をはかるわけだ。これが国民全体をしあわせにし、日本国をほんとうの意味で豊かにするために残された唯一の道ではないだろうか。

(参考サイト)
「富の再配布のための改革」ビル・トッテン
http://www.nnn.co.jp/dainichi/column/tisin/tisin0606.html#22 


2006年06月26日(月) 何でも見てやろう

 小田実さんが1961年に「何でも見てやろう」という本を出している。書棚からその本を取りだして、少し読み返してみた。それはこんな風に始まっている。

<ひとつ、アメリカに行ってやろうと、と私は思った。三年前のことである。理由はしごく簡単だった。私はアメリカが見たくなったのである。要するに、ただそれだけのことであった。・・・

 アメリカのもろもろのなかで、とりわけ私が見たいと心ひそかに憧れていたものが三つあった。話があんまり単純で子供っぽいので、ここに書くのがいささか気がひけるくらいだが、それはニューヨークの摩天楼とミシシッピ河とテキサスの原野であった。

 というと、なるほど、おまえは要するに大きなものが好きなんだな、とうなずかれる向きもあろう。そのとおりであった。私は、自然であれ、人間がこしらえたものであれ、大きなもの、それもばかでかいものが大好きなのである>

 小田実さんは、メキシコへ行き、やがて中近東からヨーロッパ、インドへと足を伸ばす。ギリシャのアクロポリスでは荘厳な夕日を眺め、こんな文章を書いている。

<私はパルテノン神殿の巨大な大理石の円柱のかげに立ち、エーゲ海にまっさかさまに落ちていく太陽を望見した。息詰まる美しさとは、あのような美しさを言うのであろう。美しさを通り越して、それは荘厳であり崇高でさえあった。太陽が姿を消すと同時に急速に寒さが加わってきたが、私は身じろぎ一つしないで、残照の空と海を見比べていた。その色、それは往古、ホメーロスがブドー酒の色になぞらえたものであった>

 エジプトではピラミッドやスフインクスをながめ、感動を通り越して「お手あげ」の気分に襲われる。こうして世界中の巨大なモノを見て歩き、感動しまくる、無名の貧乏な一青年の好奇心豊かな、破天荒な紀行記ができあがった。

 この本は小田実を一躍有名にした。この本は私たちの世代にとって、ある種のバイブル的存在だった。この本を読んだ青年の多くは、彼のように身一つで世界を放浪してみたくなったのではないだろうか。

 私もそんな青年の一人だった。夢はいつか現実の中で忘れ去られ、日常性の中に埋没していく。しかし、完全に忘れ去られることはなく、今も私の胸底に埋火のように燃え残っている。

 小田実さんは「大きなもの」が好きで、これを見たさに旅に出たと書くが、これは青年らしい健康な好奇心だ。しかしその小田さんも、次第に小さなものに目を開かれていく。絢爛豪華な宮殿の美ではなく、世界の片隅でつつましく生きている庶民の生活の美しさに感動するわけだ。そして、最後にこう書く。

<世界をまわってみて、小国の国民であることがどんなに幸いであるか、私はよく判った。・・・私は小国の国民であることをうれしく思った。誇りにさえ思った>

 小田さんは「大きいもの」に引かれながら、たどりついたのは、「小さなもの」の輝きだったのだろう。そこに小田実の「何でも見てやろう」精神のすばらしさがある。

 私の世界放浪の旅は、「小さなもの」をめぐる旅になりそうだ。例えば、フイリピンの片田舎の、みすぼらしい教会から聞こえてくる賛美歌に何となく耳をかたむける。あるいは、町外れのバス停で往来を行く人たちを眺めて、いつ来るともしれないおんぼろバスを待ち続ける。そんなあてもない、ぼんやりとした旅がしてみたい。


2006年06月25日(日) 人生の優先順位

 昨日の日記について、長野県で小学校の先生をしてみえるMさんから、メールをいただいた。M先生は私と同年輩のベテラン教師だが、やはりクローズアップ現代の番組を見て、「定年まで勤められるか?など心配になるような事が出てきて、やはり他人事ではなくなってきました」と感想を書いてみえる。学校で悪戦苦闘されている様子がうかがえたので、さっそくこんなメールをお返した。

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 M様、

 貴重な休日です。M先生はまた山にでもお出かけでしょうか。こちらはいいお天気ですが、暑いのでステテコ姿です。出かける気力もわかず、少し景気づけに、ドヴォルザークの「新世界」をCDで聞いたりしています。この曲、高校時代から大好きなのです。これを聴くと、心が爽やかな霊気に満たされて、活力が生まれます。

 先生のメールを読んで、職場の大変な様子、伝わってきました。NHKの番組でも、「戦場」のような学校の現状がレポートされていましたが、戦略や戦術という言葉が飛び交うほど、現在の学校の現場は教師にとって厳しいものがあります。

 番組の中でプロ教師の会の河上亮一さんが、すべてに全力投球すると玉砕してしまう。「優先順位」を持つことが大切だと「生き残るための戦略・戦術」をアドバイスしていましたが、私もこのことはとても大切ではないかと思っています。

 要するに「力を抜く」ということです。そして完全主義を捨てる。90点、100点ではなく、80点をめざし、60点でもよしとする。そして他人にも、生徒にもパーフェクトを求めない。そんなふうに、のんびりと心にゆとりを持てたらいいなと思っています。

 私の父は満州で一兵卒として戦いましたが、「死んだふり」をしたことがあると言っていました。その戦いで寝そべっている父を乗り越えて、勇敢に前進していった戦友はみんな死んだといいます。玉砕するのが馬鹿らしくて死んだふりをした父は卑怯者ですが、そのおかげで余計な殺生をしないですみ、自分も命がたすかりました。

 父が死んだふりをして寝そべっていたおかげで、私が今、ここに生きているのだと思うと、なんだか不思議な気がします。そして、私はときどき父のこの話を思い出して、「死んだふり」をします。つまり「仮病」を使うのです。嘘も方便です。教師を長くやるためには、いろいろなテクニックが必要ですね。

 お互いに何とか無事定年を迎えることができたらいいですね。あとしばらくです。優先順位を考えて、ぼちぼち、がんばりましょう。まずは自分のために、家族のために、そして、可愛い生徒達のために。校長や学校や県教委や国のために頑張るのはあとまわしです。

     2006,6,24   橋本裕

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 昔は「仮病」を使って学校を休み、遊びに行ったりしていたものだが、そのうち、血圧が180を越えて、本物の病気になってしまった。「死んだふり」ができればよいが、小心者の私にはなかなかむつかしい。日本は毎年3万人以上が自殺している自殺大国だ。教師の自殺も結構多いのではなかろうか。


2006年06月24日(土) 教師の定年前退職

 定年前に職場を去っていく教師が増えている。先週水曜日のクローズアップ現代でも、この問題をあつかっていた。それによると、公立の小中学校では約6割もの教師が定年前に退職しているということである。

 広島県の場合は、この5年前はこの割合が4割だった。それが05年には7割にもなったという。とくに多いのは40代、50代のベテラン教師だという。好んでやめていくのではなく、教育現場に失望してやめていく人がほとんどだ。

 精神的に追いつめられ、体調を崩し、自信を喪失してやめていく教師も多い。番組に登場した元教師たちも、口々に「無念だ」「口惜しい」と言っていた。子供が好きで、子供からも慕われて、教育に生きがいを感じていたベテランの教師が、こうして淋しく教壇を去っていく。

 なまじ真面目で、教育熱心な教師ほど、その挫折感は大きいのかも知れない。番組でも「本当に現場にいて欲しい先生や校長がやめていく」という広島県の教師の声が紹介されていた。

 公立高校に勤務する私の周りでも、かなりの人が定年前に退職している。たとえば、7年間勤務した前任校の場合を思い出してみると、ざっと12,3名退職した中で、定年まで勤めた人は5,6名ではなかっただろうか。

 悲しいことに、在職中に2人がなくなっている。二人とも50歳代前半の働き盛りだった。国語科のA先生は声が出なくなって休みが増え、そのあげく退職した。数学科のB先生も私と同年代だったが、「もうやっていられません」という言葉を残して、学校を去っていった。

 教師の置かれている環境が年々厳しくなっている。規律を失い我が儘な子供たち、それに輪を掛けたような自己中心的な親たち、そして毎年増え続ける雑務や研修。こうしたなかで意に染まない「愛国心教育」もしなければならない。評価制度の導入で、職場の雰囲気がなにか刺々しいものに変わりつつある。こうしてストレスがいやでもたかまる。

 教育委員会はこれを「教師が時代の変化に対応できないためだ」と見ている。そこで、教師の力量を高めるために「研修」を充実させるのだという。ところが、これがまた、教師のゆとりを奪い、ストレスの種になる。研修よりも、必要なのはゆとりである。少人数学級への移行や、福利厚生の充実であろう。

 ところが新聞報道によると、政府与党は教員の給与を一般職並に引き下げようとしているそうだ。これではますます、優秀な人材は教育界に集まらないだろう。私の娘は大学の教育学部の4年生だが、教員試験は受けないという。私もあえて、娘の選択に異を唱えなかった。教員になって苦労することはないと思っている。

 私自身、学級崩壊を経験するなど、つらい思いをした。教師を辞めたいと思ったことは一度や二度ではない。それでも続けられたのは、よき同僚に恵まれたからだと思う。辛いとき、私を温かく支えてくれる同僚の無言のはげましほど嬉しいものはない。


2006年06月23日(金) 伊丹万作の不安

「愛国心」などというものが登場して、だんだんと窮屈な世の中になってきた。しかもグローバルな規制緩和や市場主義、小さな政府を持論にしている小泉内閣がいうのだから、なんだか可笑しい。

 しかし、これは自己矛盾でも何でもない。昨日引用した坂口安吾も言っているように、天皇や国家というものを崇める人間は、その権威を利用して自分の我を通したいのだ。マッカーサーさえ、天皇を利用して日本を「民主化」しようとした。これなど、とんでもない矛盾である。

 さて、板垣恭介さんの「明仁さん美智子さん、皇族やめませんか」(大月書店)には、伊丹万作さんの「戦争責任者の問題」というたいへんすばらしい文章も載っている。少し長くなるが引用しよう。

<多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。おれがだましたといった人間はまだ一人もいない。民間のものは軍や官にだまされたと思っているが、軍や官の中にはいってみれば、みな上の方をさして、上からだまされたというのだろう。

 上の方に行けば、さらにもっと上のほうからだまされたというにきまっている。すると、最後にはたった一人か二人の人間が残る勘定になるが、いくら何でも、わずか一人や二人の智慧で一億の人間がだまされるわけのものではない。

 このことは、戦争中の末端行政の現れ方や、新聞報道の愚劣さや、ラジオのばかばかしさや、さては町会、隣組、警防団、婦人会といったような民間組織がいかに熱心かつ自発的にだます側に協力していたかを思い出してみれば直ぐにわかることである。

 だまされたものの罪は、ただだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも雑作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己のいっさいをゆだねるようになってしまった国民全体の文化的無気力、無自覚、無責任などが悪の本体なのである。

「だまされていた」という一語の持つ便利な効果におぼれて、いっさいの責任から解放された気でいる多くの人人の安易きわまる態度をみるとき、私は日本国民の将来に対して暗澹たる不安を感ぜざるをえない。

「だまされていた」といって平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによってだまされ始めているにちがいないのである。(略)

 我々は、はからずも、いま政治的には一応解放された。しかしいままで、奴隷状態を存続せしめた責任を軍や官僚にのみ負担させて、彼らの跳梁を許した自分たちの罪を真剣に反省しなかったならば、日本の国民というものは永久に救われるときはないだろう>(「映画春秋」1946年8月号)

 伊丹万作さんはこの文章を書いて数ヶ月後に亡くなっている。寝たきりの苦しい病床で、日本国民への遺言のつもりで書いたのではないだろうか。ちなみに、伊丹さんは戦争協力の映画を一本も作らなかった。しかし、それは単に体調が悪かっただけで、「自分が戦争協力映画を作らなかったのは偶然にすぎない」と謙虚に述べている。

 坂口安吾の「堕落論」「続堕落論」も、伊丹万作の「戦争責任者の問題」も、全文を「青空文庫」で読むことができる。是非、みなさん一読してみて下さい。

「続堕落論」
http://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/42619_21409.html
「戦争責任者の問題」
http://www.aozora.gr.jp/cards/000231/files/43873_23111.html


2006年06月22日(木) 坂口安吾の思い出

 坂口安吾の「堕落論」に出合ったのは、高校三年生のときだ。受け持ちのA先生が脳溢血で倒れられて、そのかわりに大学出たてだという若いW(渡辺)先生が、私たちの国語の授業を受け持つことになった。

 この先生の授業は、知的でユーモアがあり、とても楽しかった。そこで、もっといろいろ話を聞きたいと思い、葡萄酒を一本持って、先生が一人暮らしをしてるアパートを訪れた。先生の部屋は沢山の本であふれていた。

「何か面白い本を推薦して下さい」というと、「坂口安吾の堕落論が面白いよ。これを読んでみてごらん」と一冊の文庫本を貸してくれた。家に帰ってさっそく読んでみたが、これがまた最高に面白かった。

 最近、元宮内庁記者の板垣恭介さんの書いた「明仁さん美智子さん、皇族やめませんか」(大月書店)という本を読んでいて、そこに坂口安吾が引用されているのを発見した。少し引用してみよう。

<いまだに代議諸公は天皇制について皇室の尊厳などと、馬鹿げきったことを言い、大騒ぎしている。天皇制というものは日本歴史を貫く制度であったけれども、天皇の尊厳というものは常に利用者の道具にすぎず、真に実在したためしはなかった。

 支配者たちは、自分自らを神と称し絶好の尊厳を人民に要求することは不可能だ。だが、自分が天皇にぬかずくことによって天皇を神たらしめ、それを人民に押しつけることは可能なのである。そこで彼らは天皇の擁立を自分勝手にやりながら、天皇の前にぬかずき、自分がぬかずくことによって天皇の尊厳を人民に強要し、その尊厳を利用して号令をしていた。

 去年終わった戦争だって、軍人が戦争を進めるという自分達の意志を、神に祭り上げた天皇の名のもとに人民に号令していたではないか>(「続堕落論」新潮社)

 坂口安吾の「堕落論」は私に「読書とはこんなに面白いものだ」ということを再認識させてくれた。同時に、先の大戦や、天皇制の問題を考える契機を与えてくれた。あらゆる権威から自由になってものを考えることの大切さを、その痛快さを、私は坂口安吾を読むことで学んだように思う。

 W先生の家にはその後も何度もお邪魔した。いつか、私の中でW先生が坂口安吾に重なっていた。それにしても大学受験を目前に控えながら、塾に通うこともなく、受験勉強に追われることもなく、贅沢な読書をし、人生や社会の問題をいろいろと考えていた。少し風変わりな受験生だった。

 私が大学を卒業するときには、「母校に帰ってこないか」と、W先生には就職の心配までしていただいた。そのころ、W先生から何度かいただいた手紙はいまも大切に持っている。青春時代によき教師に出会えた私は幸せ者だった。


2006年06月21日(水) 医療改革にアメリカの影

 先日、クローズアップ現代でもとりあげられていが、公共医療制度の後退によって、地方では今すさまじい医療崩壊が生じている。公立の病院が医師不足で閉鎖され、都市部と地方の医療格差がひろがってきている。

 安くて良質だと言われた日本の医療が、市場原理優先の小泉改革によって、ずいぶん変わってきた。そして、そのしめくくりとして、先日、医療制度改革関連法が参院本会議で可決された。

 この法案が成立したことで、現役並みの所得がある70歳以上の高齢者は、10月から医療費の窓口負担が2割から3割に引き上げられる。一般的な所得の人も、2008年度から70から74歳は、窓口負担が原則1割から2割に引き上げられる。

 慢性の病気などで療養病床に長期入院している70歳以上の高齢者は、10月から食費や居住費が原則として全額自己負担となる。平均的なケースでは、月額約3万円の負担増となる見通しだという。

 ところで、国民一人当たりの医療費出費が世界一高い国はアメリカである。国民一人当たりの年間医療費は59万円をこえる。これだけ高額な医療費を支払っているのだから、さぞかし医療サービスの質がいいのかと思ったが、そうでもない。出産千人当たりの乳幼児死亡率は、6.9人と、日本の3.2人の2倍もある。

 WHOの2000年の報告では、アメリカの総合医療評価は世界15位と低迷している。これに対して、一人当たりの医療費が31万円と、アメリカの半分しかない日本の総合評価は堂々世界一だった。

 つまり日本は安い医療費で世界一の質の高い医療サービスを国民に提供していたわけだ。その理由ははっきりしている。日本は「国民皆保険」制度の下、公共医療のシステムがしっかり確立していたからだ。こうしてアメリカの半分の医療費で、世界一の長寿を実現していたわけだ。

 こうした日本の優良な医療システムをアメリカは見習ってはどうかと思うのだが、事実はあべこべで、日本の方がアメリカから医療改革せよと要求をつきつけられ、日本がアメリカの医療制度を取り入れつつある。事実は小説よりも奇なりとはこのことだ。

 アメリカがこうした理不尽な要求をするのは、その背後にアメリカの保険業界の意向があるからだ。つまり、製薬会社や病院ビジネスはもっと自由に日本で金儲けしたいと思っている。そのため、医療分野の公共サービスを廃止して、市場原理でやるべきだというのである。

 このアメリカの意を受けて、日本の医療制度改革を推進してきたのが、規制改革・民間開放推進会議の宮内義彦議長(オリックス会長)である。村上ファンドの産みの親でもある市場優先主義者の彼は、かってこんな談話を発表している。

「現在は医療産業が30兆円に押さえられているが、規制改革ができれば、50兆円、70兆円になる」

 宮内氏はオリックス生命を傘下に率いている。外圧を使って、外資をもうけさせ、同時に自分も儲けようというわけだ。しかし、医療はたんに産業ではないし、事業家や株主の金儲けの手段であってよいわけはない。アメリカの悲惨な現状を見ればこのことはよくわかる。

 アメリカの業界の利益のために国民の命を犠牲にする政治家や官僚は、愛国心が欠如しているといわれても仕方がない。日本の医療制度にもいろいろと問題はあるが、「改革」という言葉に騙されて、これ以上間違った選択をしてはいけない。結局、つらい思いをするのは私たち国民なのだから。 


2006年06月20日(火) 初心株日記(6)

 株を始めて6カ月がたった。この間、日経平均株価は大きく変動した。4月6日には5年9月ぶりの高値1万7489円を記録した。

 しかし、その後急落し、6月13日には1万4218円になった。これは5年前に小泉政権が成立したときの水準(01年4月の1万3943円)に近い。

 その後も株価は低迷して、6月19日現在の日経平均は1万4795円である。これを受けて、私の持ち株も大きく下げた。19日現在の損益は次の通りである。

 SBIホールディングス  −20650円
 ヤマハ  14500円
 スターバックス  ー16400円
 豊田合成  6000円
 ヤクルト  33500円

 これに、すでに終了したライブドアの

 ライブドア  −55900円

 を加えると、現時点での損益は次のようになる。 

 損益合計  -38950円

 この1ヶ月で5万円以上下がり、また大幅なマイナスになってしまった。100万円投資して、現在の投資残高は96万円あまりである。一時は20パーセント以上値上がりして、6万円あまりの利幅をかせいでいた豊田合成が大きく崩れたのが大きい。

 この株安は、原油価格高騰による米国の景気減速が主な原因だと言われている。小泉首相も、「株安には米国や世界の経済の影響があるのだろうが、日本経済は回復軌道に乗っている」という。

 たしかに、株価は世界的に下落している。ニューヨークのダウ平均株価は5.9%、ナスダック市場は5.9%、ロンドンで7.0%下げている。しかし、欧米主要国の下げがいずれも1桁なのに比べて、日本の日経平均は16.7%、マザーズに到っては54.4%も下げている。これはインドやロシア並みの大幅な下げである。

 週刊現代(7月1月号)の記事「弱者切捨て恐慌はすでに始まっている」によると、日本経済は小泉改革で蘇ったというが、これはどうもあやしい。地方の金融機関では粉飾決算も見られ、不良債権も解消していない。

 三菱UFファイナンシャルなどの一部のメガバンクは空前の利益をあげたが、これによって地方の銀行との格差がひろがり、地方発の恐慌が今静かに進行している。日本経済はここから破綻する可能性が大きいという。

 安部官房長官は「日本は民需中心に穏やかな回復基調を続ける見込みだ。自民・公明同盟が続けば、小泉改革が続く」と強気の発言をしている。

 しかし、政権がこの5年間の小泉改革の成果として発表する華々しい「景気回復発言」はあまり信用できない。一時の株高ムードは、地方切捨て、弱者切捨ての上に咲いた、一時の徒花にすぎないのではないか。その虚飾が剥げ落ちようとしているのではないか。

 小泉改革が続くことは、弱者切捨ての格差社会が加速するということである。しかし経済格差そのものが、需要を冷え込ませ、経済を不活性化する。そして、やがては日本は衰退し、国民は富を喪失させる。こうした認識が今、地方に広がり始めている。


2006年06月19日(月) 村上ファンドを支えた人々

 日銀の福井俊彦総裁が村上ファンドに1千万円投資し、数百万円のキャピタルゲインを得ていたらしい。小泉首相も日銀当局も、これは何等問題がないと言う。しかし、これは私たち庶民の感覚とはずいぶんかけはなれている。

 共同通信社の世論調査によると、日銀の福井俊彦総裁が総裁就任後も投資を続けていたことについて、「問題ない」は10.7%にとどまり、62.4%が「問題だと思う」と答えている。そして49.2%が「辞任した方がよい」と回答している。

 村上ファンドの村上世彰代表(46)は、阪神電気鉄道やTBSなど上場企業の株式を大量取得し、「モノ言う株主」として経営改革を迫った。ライブドアの堀江とともに新時代を担うホープ、改革の旗手として期待されていた。

 しかし、村上ファンドはいつか出所の明らかでない出資者から資金をあつめ、時間外取引などの手段をつかい、株ころがしと言われる強引な投機的売買で巨額の利益をあげるようになった。そして、ついに6月5日、村上代表はニッポン放送株の取引についてインサイダー取引の疑いで東京地検に逮捕された。

 日銀が定めた「日本銀行員の心得」には「世間から些かなりとも疑念を抱かれることが予想される場合には、個人的利殖行為は慎まなければならない」とある。日銀のトップに君臨し、日本経済の舵取りの責任者である総裁が、こうした年率20パーセントという投機的なファンドで資産を運用していていいいのだろうか。

 アメリカのグリンスパンFRB前議長は、金融政策によって価格が大きく変動する金融商品(株式や長期国債)は持たず、短期国債や銀行預金で資産を運用していたという。金融政策の責任者が株を持つことがすでにインサイダーであり、まして投機的ファンドに手を出すなど、ふつうの常識では考えられない。こうしたことが再発しないようにするには、日本もアメリカのように日銀総裁の資産を毎年公開すべきだろう。

 福井総裁はもとより村上ファンドの生みの親の一人と言われている。村上ファンドに投資した理由を、「勇気ある青年を激励するために、仲間とともに金を出した」と述べている。仲間というのは、99年に席を置いていた富士通総研の人たちらしい。彼は2002年にも「彼のやろうとしていることは正しい。私は全面的に応援している」(日経ビジネス2002年2月28日号)と発言している。

 村上ファンドには他にも有力な守護神がいた。オリックス会長で、規制改革・民間開放推進会議議長の宮内義彦である。村上は97年に通産省官僚として、企業買収M&Aの法律の整備を担当しているが、その頃から宮内会長とは「師弟関係」を結んでいた。

 官僚を辞めて、村上ファンドを立ち上げるときも、宮内会長から資金を出してもらっている。村上ファンドはオリックスの別働隊だといわれるゆえんだ。

 村上は官僚として法律を作った立場の人間だ。それは自分のかかわった法律を利用して、金儲けに走った。プロを自任し、法律はこのように利用するものだよとお手本を示したつもりだったのかもしれないが、考えてみればこれも究極のインサイダーだといえなくもない。

 村上といい、堀江といい、時代の寵児としてマスコミにもてはやされた。しかし、検察が動くと、掌を返したように、その巨悪を報じ始める。多くの情報を持ちながら、これを国民の前にあきらかにせず、検察が動かないと報じないというのはどうしたことか。

 彼らを「改革者」として祭り上げ、ライブドアや村上ファンドを支えた張本人は、テレビや新聞などの大マスコミであることを忘れるわけにはいかない。 


2006年06月18日(日) 国債償還の危険なシナリオ

 昨日の日記では、国債を償還する現実的な方法の一つとして、1500兆円の個人金融資産を原資にする方法があることを述べた。これらの金融資産が形成された背景に、巨額の国債発行があった。

 国債発行は国から国民への所得移転である。これを一部、国に返却してもらおうというわけだ。しかも遺産相続というタイミングであれば、現役世代が不利益を受けるわけでもない。不動産や有価証券をこの対象から除けば、必要な遺産は相続されるわけだから、遺族側にも不満は起こらないだろう。

 国債は国から国民への贈与である。この贈与は、国民からすれば一種の「投資」であった。その投資はおおむね成功し、国民はこれによって巨額の個人金融資産を形成した。したがって、恩恵を享受した人たちは、いままさに国を去ろうとする時、その一部を国に返却してはどうだろうか。これで日本の未来は一気に明るくなる。

 しかし、現在政府が考えているのは、負担を国民全員に押しつけ、あくまで税金で国債を償還しようという方法である。これもまた一見まともなことのように思えるが、これまで述べてきた経済学の知識を活用すると、如何に危険な方法かわかる。

 家計であれば借金を返済するために、倹約をするのは当然である。しかし、国の経済と家計とは違う。これを同一視するところに錯誤がある。国民や政治家だけではなく、高名な経済学者や、財務官僚までこの錯誤に迷い込んでいる。

 緊縮財政のもとで政府支出を減らせば、その分の国民所得は減少する。さらに国債や地方債を返済するために増税をすれば、その分の国民所得も減る。一部は預金の取り崩しで埋め合わされるだろうが、それはほんの一部でしかない。

 国民所得の減少は、購買力の減少となり、企業の売り上げは落ち、経済規模は縮小する。このことが税収の減少を生むので、政府はさらなる倹約と、支出の抑制に追い込まれる。そしてこの過程が再生産され続ければ、国民経済は破綻し、政府は国債を償還するどころではなくなる。

 国が倹約して支出を切りつめた上、増税までして巨額の借金を返済しようとすれば、国民経済はカネ不足に陥り、国家破産という危機的なシナリオも現実味を帯びてくる。ところが、おなじ増税でも、株式を除く金融資産に限定した相続税の強化であれば、国民経済上こうした混乱はおこらない。

 国民の貯蓄が取り崩されても、もともと凍結していたカネだから、国民経済に与える影響はない、これによって企業の売り上げが減るわけでも、国民所得が減るわけではなくて、ただ銀行口座の数字が書き換えられるだけだ。

 さて、相続税強化の他に、国債償還の有効な方法はないだろうか。実はもうひとつ、ずるい方法がある。それは国債を日銀に引き取らせることだ。つまり、中央銀行が国民にかわって政府の借金を引き受けるのである。中央銀行は国民の所有する国債を引き取り、その額の紙幣を印刷して渡すわけだ。

 紙幣の安易な増刷は円の価値を落とし、インフレーションを亢進させかねない。政府の借金は帳面の上だけのことで、もはや返済や利払いに苦しむことはなくなる。それだけに、政府による安易な信用拡大に道を開き、モラルハザードの原因にもなりかねない。この副作用があるので、政府もよほど追いつめられなければこの劇薬は用いないだろう。

 しかし、私は現在でも一部の国債は日銀が引き受けてもよいのではないかと思っている、たとえば90兆円の外貨準備高などは、他国と同様に、日本でも中央銀行(日銀)が管轄すべきものだろう。これを政府が管理するのは、外交上のとりきめで経済を縛ることになり、市場経済の原則にも違反している。


2006年06月17日(土) 相続税強化ですべて解決

 私の父の墓のある福井の田舎は典型的な過疎の村である。しかし、その村にもダムができ、立派な道路が建設されている。皮肉なことに、ダムや道路工事による自然破壊で清流は涸れ、村は重要な観光資源を失った。そしてこのころから、過疎化が加速された。

 もっとも、私の家の親戚は、ダムや道路工事で土地を徴収され、その見返りとして数億円規模の現金収入を得た。正直に言うと、わたしの実家も数百万円の現金収入を得た。これによって、家を改築し、弟の結婚費用や父と祖母の葬式代をまかなうことができた。

 私の実家の場合は、所有する山林のほんの一部が道路建設で徴収された。しかし、本来の計画では道路のインターチェンジが置かれることになっていて、その場合は数千万円から1億円の現金が得られるはずだった。ところが一人の地主が反対したため、路線が変更され、わが家の山林は守られたが、現金収入を減じられたわけだ。

 ダム工事で丸ごと山を手放し、数億円を手にした親戚は、その後、田舎を離れ、福井市の近郊に大きな家を建てたと聞いている。その頃は私の周囲でも、そうした土地成金の話が持ちきりだった。私の実家もあと一歩で土地成金の仲間入りをするところだった。そうなっていたら、私も今頃は名古屋市内に一戸建てを持っていただろう。

 今では考えられないが、たとえば1991年の高額納税者上位100人をみると、そのうち86人までがなんと土地長者でしめられている。勤労所得よりもこうした不労所得の方が大きかったわけだ。

 不労所得が大きいと、経済的に大きな問題が生じてくる。それは勤労所得に比較して、不労所得の方が「貯蓄」にまわされる傾向が大きいからだ。借金は経済を活性化させるが、たんなる貯蓄は支出を萎縮させ、経済を停滞させる。

 バブルが崩壊したあと、GDPは低迷した。しかし、1990年代に410兆円も個人金融資産が拡大している。これはどうしたことか。秘密をとく鍵は、この間に政府の発行した360兆円もの「国債」である。つまり、政府の「借金」がそっくり、国民の財産へと転化している。「政府の借金は国民への贈与である」といわれる所以だ。

 こうしたメカニズムに国民が気付ば、どうしたら国の借金をなくすことができるか、その処方箋は自ずと明らかだろう。国家から国民に贈与されたこの「金融資産」を、ふたたび国家に返納して貰うのである。

 それでは、どうやって? その為に必要なのは、法律を変えるだけである。つまり、相続税を強化するのだ。1億円の金融資産を残して死んだら、その8割程度を国に返還してもらう。1500兆円の8割は1200兆円で、これではとりすぎだから、国内上場企業の株式に関してはこの基準を大幅にゆるめればよい。そうすれば、日本企業の株価も大いに改善するだろう。

 現在、日本で上場されている企業の株式時価総額は600兆円である。これは17年前の1989年の水準とかわらない。この17年間で世界の株式時価総額は4倍になっているから、日本のプレゼンスは1/4になったわけだ。企業買収の時代、時価総額の見劣りは国内企業にとっては致命的である。相続税の選択的課税強化は、国債償還だけではなく、株価対策としても優れている。まさに一石二鳥の妙手だ。


2006年06月16日(金) 国債の償還は可能か

 国債は借金ではなく、国民の国家に対する投資だと書いた。しかし、国債には株のような有価証券と違って返済義務がある。この点について、渚のバラードさんが掲示板で疑問を呈して下さった。まずは、これを引用しよう。

<「国債は国民の財産論」についての一連の日記ですが、橋本さんの解説の中では、「元本の返済」に関する原資の手当てについて明解な説明が無いのです。

 確かに、元本の返済を無視すれば実質的なゼロ金利状態の今、自転車操業ながら国家財政は何とか回ります。税収も上方修正のようですし、この状態が続くならば短期的には利払いも心配なく、国債依存度も現状維持は出来ると思います。ところが、問題は数年後に来る国債の大量償還です。国内金融機関なら、全額ではないにせよ、政府の要請で再度購入に応じるでしょうが、個人や外資系機関投資家なら高金利を求めて資金の国外移転はあり得ます。

 米国の場合は、圧倒的な軍事力に裏付けられた国としての安全性への信用で、資金の流入は止まることがないでしょうから、経済が不振になっても資金が逃げて行く事はないのです。逆に、日本は安全性に対する不安度が米国よりも大きいですから、日本国債の暴落リスクは相対的に大きいのです。

 こう考えると、国債償還の原資を如何に見出すかの明解な回答がない限り、「国債は投資であり、国民の財産だ」という説には納得が行かないのですが>

 この疑問はもっともなことである。国債は株式のように発行してあとは市場に委ねていればいいというわけではない。毎年の利払いがあり、最後は返済しなければならないという意味では、これはまぎれもない「借金」である。いずれ返済しなければならないとしたら、その原資をどこに見いだすべきか。

 現在は国債を償還するために、あらたに国債を発行し、その場をしのいでいるという状況である。こうした自転車操業がいつまでも続くわけではない。郵政公社が民営化されれば、これまでのように郵便貯金に頼ることもむつかしくなる。それではどうしたらよいのか。

 私の答えは、現在の規模の国債を容認する。そして、その上で償却や利払いの原資を1500兆円の個人金融資産に求めるということだ。なぜなら、これまでも書いたように、貯蓄と借金は双子の関係にあり、その一方の減額は、もう一方の減額と見合っているからだ。

 したがって、国債償還は基本的に個人金融資産を活用し、これを効果的に運用して得られる利益をあてるのが、もっとも合理的であり、社会正義にもかなっているのではないかと考えている。しかし、言うは安し、実際にそんなことが可能なのだろうか。私はこれが可能だと考えている。(続く)


2006年06月15日(木) 貯蓄と借金

 国債は借金ではなく、投資だと書いた。その是非を明らかにするためには、経済学の基本となる「借金と貯蓄の関係」について押さえておかなければならない。簡単に言えば、この両者は双子の関係にある。

 お金を余分に持っているひとがいれば、かならず足らない人がいる。収入が支出を上回る人は、その差額分のお金を貯蓄する。そして、その反対の人は借金をするわけだ。お金は決してなくならない。その量が一定だとすれば、借金と貯蓄はほぼ見合いの額になる。つまり、貯蓄のあるところ借金があり、借金があるところ貯蓄がある。

 卑近な例を出せば、私たちは将来のために倹約をして銀行に預金をする。そして銀行はこれを必要な人に貸しつけるわけだ。マイホームが欲しい人はローンを組むし、あるいは借金で子供を大学に通わせる人もいる。

 国民が充分な貯蓄をしていれば、それだけ借金もたくさん借りられる。借金によって企業は設備投資をしたり、個人は消費を拡大することができる。貯蓄は支出を減らすから、消費が落ち込み、国の経済を縮小させるが、それを借金をする人が埋め合わせて支出することで、国の経済は成り立つわけだ。

 もし、世の中が貯蓄をする人ばかりだったらどうなるか。たとえば、国民が毎年すべて収入の5パーセントを貯蓄したとしよう。そうすると翌年は消費が95パーセントに落ち込み、その分企業は売り上げを減らす。とうぜん国民の収入も5パーセント減る。

 これを十年間続けると、貯蓄の総額は最初の収入の4割強になるが、収入は58パーセントになる。国の経済規模が6割り程度に落ち込んでしまうわけだ。つまり、典型的なデフレになる。

 支出を減らせば貯蓄が生まれるが、この貯蓄がすべて借金に変身して別のところで支出に化けてくれば問題はないのだが、そうでないと、つまりタンス預金などをして貯蓄が投資に結びつかない場合は、ここに必然的にデフレ圧力が生まれる。

 貯蓄が経済の発展を阻害するものであることは、すでにケインズが「貨幣論」のなかで、「社会が投資をこえる貯蓄を続ける限り、我々は損失を受けるだろう」と指摘している。そしてやがて全員が餓死する状況もありうると警告している。

 しかし、私たちはこの「貯蓄」の弊害を知らない。むしろ、蟻とキリギリスの例を持ち出すまでもなく、倹約は美徳であり、貯蓄に励むことは正しいことだと思っている。ところが、個人のレベルで正しいことも、社会全体の利害で考えるとそうでもないわけだ。

 世の中が倹約家ばかりだとしたら、商品は売れなくなり、企業が倒産し、失業者があふれ、自殺者や餓死者が生まれる。だから、倹約家は個人の富を蓄積することで、社会の未来の富を収奪していることになる。個人の美徳は社会の悪徳であり、反対に借金をして浪費をする人は、社会経済の維持に協力しているわけだ。

 現在、日本には1500兆円ほどの個人金融資産がある。いいかえればこれだけの貯蓄があるわけだ。しかし、なんとか国の経済が成り立っているのはどうしてか。だれかが途方ない借金をしているからに他ならない。もうおわかりだろうが、その借金の主は国や自治体である。

 銀行の貸出残高は1997年には533兆円もあった。ところが6年後の2003年にはこれが135兆円も減少している。毎年平均して23兆円ものお金が返済され、消費生活の表舞台から消えていったわけだ。これはGDPにして4.5パーセントのマイナス効果である。

 ところが、この6年間で政府は135兆円を上回る国債を発行し、この経済縮小の穴埋めをした。それによって、DGPの減少を1パーセントに抑えたわけだ。もちろん、政府の使ったお金が十分に効果的に働いたかどうか疑問だが、経済原則として貯蓄が増大するとき、だれかがこれを埋め合わせる「借金」をしなければならないのは事実である。それが政府ではなく、企業であればいいのだが、企業にその余力がないとき、政府がこれを支えることになる。

 以上述べたことは、ケインズ理論の骨格であるが、今日これを認めない経済学者もいる。その実証例として、日本の経済発展をあげる人が多い。たとえば、ドラッカーは「未来への決断」のなかで、「過剰貯蓄が、不況の原因どころか、高い資本形成をもたらし、経済繁栄の決定的な要因となった」と書いている。

 たしかに貯蓄が資本形勢に導く場合がある。しかしその場合でも、国民は倹約して支出を減らしていても、一方で誰かが支出して消費を支えているはずである。そうでないと、消費が落ち込み、経済活動が破壊されるからだ。

 戦前、戦中の日本の場合は、政府が軍事に厖大な支出をした。そのために巨大な国債を発行した。これによって軍需産業を中心にまがりなりに経済が回転したわけだ。政府は軍事支出を可能にするために、「欲しがりません、勝つまでは」と国民に倹約を奨励し、「贅沢は国民の敵」だと思い込ませた。

 敗戦で国債は紙屑になったが、戦後はこんどは国土建設に重点的に支出するために、ふたたび国民に質素倹約を求めた。国民は安い賃金で身を粉にして働き、質素倹約をして貯蓄に励んだが、その分、企業や政府がそれを拝借して支出に励んだ。これによって企業は設備投資を充実させ、政府は高速道路などのインフラを整備したわけだ。

 ドラッカーが言うように、貯蓄はそれが全額投資に活用されるシステムが存在する間は、国民経済にむしろ有益に働く。しかし、過剰な貯蓄はこのシステムをしばしば機能不全におちいらせる。そしてこのシステムが崩壊したり、時代遅れになったりしたとき、国民経済に大きな重石になりかねない。現在の日本がまさにそうである。

 政府の770兆円の「借金」は、国民の1500兆円の巨大な金融資産に見合っている。どこの国でも、これだけの金融資産を持っている国民はいない。しかし、この資産が形成される裏側で、巨大な国債が生まれた。国債を減らすにはどうしたらよいか。それはこの巨大な国民貯蓄をどう解消するかという問題である。

 貯蓄だけあって、借金はなしという虫の良いことは個人のレベルでは可能でも、国民経済の立場では理論上のみならず実際も不可能である。逆に現在の巨大な金融資産をある程度温存し、これを積極的に活用することで打開をはかろうというのであれば、それに見合った国債の存在を認めるしかない。

 そのために必要な思考のパラダイムを私は提起した。それは非常にシンプルで、ただ国債を「投資」と考えることである。ものの眺め方をマイナスからプラスへと180度転換させるわけだ。国民の合意のもとでこれを容認し、こうした新しい見地に立って、現状に即した合理的な経済政策を実施すれば、ここに新しい日本の将来が開かれるだろう。

(参考文献)
「日本を滅ぼす経済学の錯覚」 堂免信義 光文社


2006年06月14日(水) 国債は国民の財産

 昨日は、国や自治体の経済活動や財政は家計にたとえるのではなく、企業と比較すべきだと述べた。その理由を書けば、家計は「消費活動」が主になるが、国や自治体はさまざまな「生産活動」をしているからだ。

 国は公共事業を行い、道路や橋や学校や病院を建設する。それからさまざまなサービスを国民に提供する。そしてその見返りとして国民から税金や手数料を徴収する。その活動は企業とあまり変わらない。だからこそ、「民営化」という発想もでてくるわけだ。

 会社の場合は従業員がいる。国や自治体にも従業員がいて、公務員と呼ばれる。国も又企業と同様、公務員に給料を支払い、彼らの家族の生活を養っている。その数は国家公務員が約95万人、地方公務員が約304万人。公社も含めれば500万人を越えるだろう。

 企業は株式を発行して資金を市場からあつめる。国もまた国債を発行して、資金をあつめる。そしてこの資金で道路や橋をつくり、公共サービスを作りだして、国民に提供するわけだ。その発行残高は国と地方をあわせると、770兆円である。

 株価時価総額でみると、トヨタは約22兆4000億円、米エクソンモービルは46兆円である。これに比較して、538兆円という国債残高は余りに巨大だが、問題はこれだけの資金を調達して行われている活動が、十分に生産的で、国民の利益になっているかである。

 これに対しては厳しい評価も可能かもしれない。現に非効率であるとして、これを縮小しようという「民営化」の流れができつつある。基本的に私はこれに賛成なのだが、これはあくまでも国民の利益を重視して行われなければならない。現在の民営化にはこの視点が稀薄で、このままでは公共サービスの大幅な低下をまねき、ひいては国民経済にも悪影響を及ぼしかねない。

 問題の根本は、国債を家計でいう「借金」と見なすことである。そして国民も政府も「借金は悪だ」という思いこみに支配され、自縄自縛に陥っている。たしかに家計だと借金はないほうがよいが、企業の場合はそうでもない。トヨタでも10兆円の借金をして、積極的に世界的な事業を展開している。

 国債を「借金」だと考えると、これを減らすために、どういう方法があるかということになる。だれでも考えるのは倹約して支出を減らすことである。さらに増税をして、収入を増やそうということになる。

 しかし、国債を「借金」と考えなければ、ここにもう一つの方法がある。それは支出を減らすのではなく、支出を増やす方法である。倹約ではなく、国債を発行して減税し、さらに消費を活性化させる方法である。そうすると景気がよくなり、必然的に税収が増え、国の収入が増大するわけだ。結果として国債の償却も可能になる。

 増税して倹約するというのが、緊縮財政路線である。小泉内閣はこの方針をとったわけだだが、これは日本の常識であって、世界の常識ではない。なぜならこれをすれば景気が後退するからだ。結局税収が減り、いわゆる「借金」も増える。そこでさらに増税することになり、悪循環に陥る。

 しかし、日本は700兆をこえる「借金」をかかえているが、個人金融資産も1500兆円ある。この他に企業の資産や、国や自治体が保有する厖大な資産がある。たとえば国は90兆円もの外貨準備をはじめ、総額500兆円もの金融資産を持っている。

 政府が建設した公共インフラもまた国民の大切な資産である。これがあるからトヨタなどの民間企業も巨大な利益を出すことができるわけだ。まや日本の優秀な公的教育システムは、企業に多くの優秀な人材を輩出してきた。

 これらを度外視して、個人の金融資産だけで見ても、国民は国や自治体に700兆円投資して、その2倍の1500兆円もうけたのである。公共事業にお金を使うと、まず、地主に莫大なお金が行く。建築業界も、そこで働く人も収入を得る。そうしたお金がつもりつもって、1500兆円もの個人金融資産になっているわけだ。

 日本は国債を国内で賄っている。アメリカのように2兆ドルもの国債を外国に依存しているわけではない。それどころか、日本は世界一の海外資産をもつ債権者でさえある。これを可能にしたのは、国民が「国債」を買うことで国に巨大な投資をしてきたからである。国債を国民の「借金」とみずに、これを国への投資と考え、国民の「財産」と見る視点はとても大切である。

 国民は国債を購入することで、国にお金を貸し、その見返りをいっぱいもらっている。100万円国に投資して、200万円もうかったのだから、文句ばかりも言ってはいられない。しかし、国がまちがった観念にもとづき、間違った選択をしようとしているとき、これを大いに批判するのは私たちの権利であり義務でもある。

 郵便貯金や年金を通して間接的に大量の国債を買っている国民は、いわば国の株主である。株主主権がいわれているが、国はもっと国民の利益を重視した政策を実行すべきだろう。また、国民も株主として大いに国の経済活動に注文をつけ、これを監視していく必要がある。


2006年06月13日(火) 国債は借金ではない

 日本の538兆円の国債は、そのほとんどを国内の投資家がもっている。民間の金融機関(銀行、信用金庫、信用組合、保険、年金)が33.2パーセント、政府(郵便貯金、簡易生命保険など)が40.4パーセント、日本銀行が16.6パーセントを保有する。

 これに、家計の保有分3.7を加えれば、国内の日本国債保有率は95パーセントを越える。つまり、日本国債の特徴は、海外保有分が5パーセント未満と、極端に少ないことである。国民が直接その資産で国を支えているわけだ。

 国民の個人金融資産はおよそ1500兆円ある。その多くは銀行や郵便貯金だが、国民はこうした機関投資家を経由して、間接に株式を買ったり、国債を買ったりしている。また、最近では直接投資をしている人もふえてきた。

 企業の株を買うのは、基本的にその企業に投資することである。企業はこうして資金を調達し、事業を展開する。そして従業員の給料を支払い、さらに余分な利益を生みだし、株主に還元するわけだ。

 企業の大きさをあらわすのは、発行株の時価総額である。これが少ないと容易に買収されしまうので、どの企業も時価総額をふやそうと賢明である。世界の企業でみると、ナンバーワンは少し前までGMだったが、今はエクソン・モービルである。トヨタは世界9位につけている。

 企業が株を発行し、資金を市場から調達するのはあたりまえである。株式は借金ではない。むしろ企業の財産の一部である、資本だとみなされる。そして資本金が巨大であるほど、その企業の価値は高いとされる。

 ところで、国債は国が発行する「株式」である。巨大な国債を発行しているということは、それだけ多くの資金を市場から調達し、事業を展開しているということだ。これは国にそれだけ信用があるということでもある。

 国もまた企業の一種とみなせば、国債は株式に相当する。そしてその巨大な発行残高は、資本金の巨大さであり、国の信用力の大きさをあらわしているわけだ。こうしたことは、国の財政を家計と比べていてはわからない。

 しかし、国の公共的活動を、企業の利殖活動と同じとみなすことに、異論もあるにちがいない。あしたの日記で、もうすこしこの点の妥当性を論じてみよう。


2006年06月12日(月) 国債は借金か

 風呂上がりに居間に行くと、テレビに谷垣財務大臣が出演していて、「現在国の借金の残高は年々増えており、平成17年度末の国債残高は538兆円にのぼる………」などと、得々と話していた。

 そして、テレビはこれを映像入りで説明する。一万円札は100枚で1センチになるように作られている。そこでこれを積み上げるとどのくらいになるか。「何と5380キロメートルです。日本からハワイ行ってしまいます」とナレーションが入る。

 これをみれば、だれでも日本は凄い借金をしているのだな、個人だったら自己破産するしかない。国も破産したりするのではないかと不安になるだろう。出演者の一人がそんな質問をすると、谷垣財務大臣がすかさず。「そうです。破産した国が現にあります。そうすると、その国は管理下におかれます」と答える。

「生まれたばかりの赤ちゃんまで入れると日本の人口は1億2000万人ですから、国民1人あたり422万円、4人家族の世帯だと1700万円の借金を抱えているという深刻な状況です。国の家計簿は大赤字、このままでは活力ある経済や社会の実現に向けて大きな足かせになってしまいます」

 妻が「いったい誰がこんな借金をつくったのよ」と腹を立てていた。その責任を担うべき財務省の大臣が、手柄顔に国の借金を持ち出し、「どうです、すごいでしょう」と得意顔に話しているのがしゃくにさわるわけだ。

 こうして、日本が破産し、他の国の管理下に置かれるのがいやなら、税金をあげなければならない、年金制度や国民健康保険も変えなければならない、これはもうやむをえないことだという世論が作られいくわけだ。テレビを見ている妻まで、すっかりその手管にかかり、不安になって洗脳されそうになっている。

「大丈夫、日本は破産したりしないよ。破産した国は他の国から借金しているが、日本は国民が支えているからね。他の国や国際機関の管理下に置かれることなどありえない。そもそも国債は借金じゃないんだよ」

「日本政府の国債は借金ではない。国民の国家に対する投資である」というのが、私の持論である。こういう立場に立つと、まるでちがった状況が見えてくる。もちろん政策も変えなければならない。明日の日記で、私が妻に語ったことをもう少し書いてみよう。


2006年06月11日(日) お金を稼いだ日

 小学校の6年生の頃、自動車に興味を持った。これを自分の手で作りたいと思い、同級生の前田君と村崎君、T君の3人に声を掛けた。さっそく私の家の裏庭に集合して、廃材をつかって、車体や座席を作った。いちおう4人乗りである。

 乳母車を拾ってきて解体し、その車輪を使った。ここまではお金を一銭も使わなかったが、このあと、車体を覆うブリキや心臓部のエンジンなど、ただで手に入れるのはむつかしい。そこで、4人で屑鉄拾いをすることにした。

 近所の屑屋でリヤカーを借り、4人で代わる代わる引いた。めざすところは川向こうの工場である。前田君のお祖父さんが社長をしているという会社である。日曜日で門が閉まっていたが、私たちはそれを乗り越えて侵入した。見つかっても、前田君がいれば不法侵入罪で警察に突き出されることはないだろう。

 途中から雨が降りだしたが、私たちは工場の敷地に落ちている屑鉄を拾い集め、ふたたびリヤカーを引いて帰ってきた。町中を小学生4人がずぶぬれになってリヤカーを引いて歩く姿は、すこし異様だったかもしれない。

 リヤカーを貸してくれた近所の屑屋さんで、それをお金に換えた。当時のお金で数百円の収入だった。みんなで銭湯に行き、パンや牛乳を買って食べた。そうしたら、お金は半分ほどになってしまった。

 しかし、自分たちで力を合わせてお金を稼いで得られたものは大きかった。自分たちでもお金を稼げるのだという自信ができたし、社会勉強にもなった。お金を稼ぐことは大変だということもわかった。はじめてお金を稼いだ日のことは、忘れられないものである。

(参考)
「少年時代」(6.屑鉄拾い)
http://home.owari.ne.jp/~fukuzawa/syounen.htm


2006年06月10日(土) 時計の思い出

 今日は「時の記念日」だ。「日本書紀」によると、天智天皇は水時計(漏刻)を作り、日本で初めて人々に時刻を知らせた。それが、671年4月25日だった。今の暦では、6月10日に当たるのだという。

 昨日、NHKの「おはよう東海」を見ていたら、時の記念日にちなんだ話題として、岐阜市柳ヶ瀬で「時計修理専門店」を営む中川立さんが紹介されていた。中川さんは長いこと時計屋をいとなんできたが、時代が変わり、100円ショップに時計が並ぶようになって、家業をいったんはやめたのだという。

 しかし、時計への愛着は捨てきれず、数年前にこんどは「修理専門」の店を開いた。使い捨ての横行する時代、客などこないと思ったが、予想外の修理の注文があるという。中には100年前の置き時計を持ち込む老女もいる。

 彼女自身、その時計が動いているのを見たことはないという。しかし、死んだ彼女の母親が嫁入りした頃はたしかに動いていたらしい。そんな古い時計でも、修理するとまた命を吹き込まれて、時を刻みはじめる。

 昔の時計は、ゼンマイを巻いても24時間しか動かない。そして、一日に数分は狂う。手間もかかるし、かなりいい加減である。しかし、そんなところがなんとものんびりしていてよい。年間に1秒も狂わない正確さを競う現代の時計にはないおおらかな味をもっている。

 私が高校生の頃まで、柱時計のゼンマイを巻くのは私の仕事だった。それが電池時計に変わり、私はその仕事から解放された。役目を終えた柱時計は、どこかに片づけられ、今その行方はわからない。

 しかし、今も私の指に、その柱時計のゼンマイを巻くときの頑固な感触が残っている。そしてあの時を告げるときの独特な音色も覚えている。幼い頃、私は時計に夢中になったことがあった。ボール紙でたくさんの時計を作ったものだ。みんな懐かしい思い出である。


2006年06月09日(金) 人生の補助線

 計算問題は得意でも、証明問題が苦手だという学生が多い。なぜ嫌いか聞いてみると、「そんなこと、思いつかないから」だという。公式を暗記し、練習問題をこなす忍耐力があれば、計算問題はだれでもできるようになる。しかし、証明となるとむつかしい。

 二等辺三角形の底角が等しい証明でも、中線が引くことが思いつかない。図形の証明問題は適当な補助線を引くことで解決することが多いのだが、この「適当な」というのがくせ者である。これをどう発見するか、理詰めではいかない。

 教科書をみると、「AならばB、BならばC、よってAならばCが成り立つ」ともっともらしく書いてある。たしかにその通りで、証明されてみれば、A→B→Cという流れは必然のように見える。

 しかし、これも多分にコロンブスの卵であり、最初から自明というわけではない。そもそもCを証明するのに、Bへ寄り道することが思いつかない。さらに複雑な問題では、この連鎖がもっと長くなる。A→B→C→D→Eというぐあいだ。

 A→B→Cの場合でも、私たちはBを発見するために、いろいろと試行錯誤を繰り返している。さんざん失敗したあと、Bを見つけて、天にものぼる気持になる。しかし、答えには試行錯誤の部分は書かない。ただ、A→B→Cとだけ、何食わない顔で書く。

 実は数学が得意な生徒は、この「試行錯誤」が面白いわけだ。あれこれ考え、ときには考えあぐねてあきらめるが、しかし何だかくやしくて、またいつの間にか、無意識にあれこれ考えている。そして、あるとき、何だか天啓のように解決法を思いつく。

 私は生徒たちに、「証明問題は答えがわかっているからありがたい」という。結論がわかっているのだから、そこから逆にたどることができる。実のところ私たちはA→B→Cのようには思考しない。むしろ、C→B→Aという具合に、結論から媒介項Bを類推する場合が多い。そしてBを発見したあと、A→B→Cと澄まして答えを書くわけだ。

 だから、教科書の解答をいくら眺めても、どうしてAからBが出てきたのかわからない。Aから考えると、選択肢があまりに多い。ところが、Cから眺めると、そうたくさん選択肢があるわけではない。試行錯誤の回数は少なくてすむ。

 これは人生でも同じだろう。私たちはたくさんの選択肢を持っている。しかし、目標を持つと、その選択肢は狭められる。目標から逆算して、現在すべきことがあきらかになってくるからだ。しかし、そのようにして定められた人生を歩むことが幸せにつながるかどうかわからない。人生には定められた結論がない。

 科学者の逸話を見てみると、彼らの偉大な発見も、多くは偶然の産物であることがわかる。つまり、一つの成功の背後には100の失敗や試行錯誤がある。失敗を恐れず、いろいろとやってみること、成功の秘訣は、この試行錯誤をたのしむことだろう。


2006年06月08日(木) 「なぜ」という問の由来

 二等辺三角形の底角は等しいということは、だれでも認めるだろう。それは一見して正しいように見える。ほんとうに正しいのか、実際に分度器で測ってみればわかる。しかし、このことは、分度器で測らなくても証明できる。

 まず、頂点と底辺の中点を直線でむすぶ。私たちはこれを中線とよぶ。そうすると、左右に合同な双子の三角形できる。なぜ合同かといえば、三辺が等しいからだ。そして合同な三角形は、対応する角も等しい。つまり、底角が等しい。

 つまり、中線で折り曲げると、二つの三角形はぴたりと重なる。二つの底角も重なるので、この両者は等しくなるわけだ。実際に紙を折り曲げなくても、頭の中でこれを行えばよい。数学者は実際そうしている。

 ふつう、私たちは「なぜ、二等辺三角形の底角は等しいのか」とは問わない。人間の手の指が10本あるように、それはそのようになっていると考える。私たちは経験的事実として、二等辺三角形の底角は等しいことを受け入れる。

 しかし、今から2500年ほど前、ギリシャ人のターレスは「なぜ?」という問を発した。彼がこの問を発した背景を考えてみよう。つまり、「ターレスはなぜ、なぜという問を発したのか」ということだ。

 それは、彼が世界を「説明可能なもの」として捉えたからだ。なぜ、太陽は東から昇り、西に沈むのか。それは地球が自転しているからである。なぜ、突然太陽は光りを失って世界は暗黒になるのか。それは月が太陽をさえぎるからだ。こうしてタレスは日食を予言し、幾何学の定理をいくつか証明した。

 エジプト人は壮麗な神殿を立て、ピラミッドを作った。精巧な土木技術を駆使して大規模な灌漑をおこない、人々から年貢を集め、収穫量の複雑な計算もできた。彼らはまた、幾何学のさまざまな知識を持っていた。

 たとえば、辺の比が3:4:5の三角形は直角三角形であることを知っていた。実際この性質を使って直角を作り、土地の測量や建築をしていた。しかし、彼らはなぜ、特定の比をもつ三角形が直角三角形になるのか、その理由を考えなかった。彼らはそれを「説明可能なこと」だとは思わなかった。

 タレスがこの世界を理屈で「説明可能なもの」と見なしたのは、この世界を「ある仕組みをもつもの」として体系的にとらえたからだ。だから、彼はその「仕組み」を知ろうと考えた。世の中がどのように出来ているのか、自然界や社会の合理的な仕組みを知りたいと思った。

 タレスはギリシャの商人だったという。商人として世界各地を旅すると、土地によって風習も考え方がかわることに気がつく。何がこの変化と多様性をもたらすのか、旅先で経験したさまざまな出来事に、彼の好奇心はかきたてられたことだろう。

(おひまな人は、3:4:5の比をもつ三角形が、なぜ直角三角形になるのか、考えてみてください。これを証明することで、数学の本質が体得できます)


2006年06月07日(水) 三段論法と人生

 数学は思考力を養い、論理的な人間を育てるといわれている。たとえば、数学の基本に「三段論法」がある。これを私たちは学校で習う。

(A)「すべての人間は死ぬ」(大前提)
(B)「シーザーは人間である」(小前提)
(C)「よって、シーザーは死ぬ」(結論)

 これを使えば、私たちはA、Bという二つの命題から、Cという結論を導くことができる。A、Bが正しければ、Cもまた正しい。数学者にみならず、私たちもまたこうした手順でものを考えている。「三段論法」は私たちの思考が従っている法則を意識化したものだ。

 しかし、多くの人は、学校でこれを習ってもそれほど感激もしないし、驚かないだろう。「大前提」と「小前提」から「結論」が導かれると教えられても、「ああ、どうやらそのようですね」というくらいの感想で終わる。数学の他の定理とどうように、あまり、痛切に響いてこない。自分の人生と関係のないことだと思っている。

 しかし、アリストテレスは「学問は驚嘆から生まれる」と書いている。「三段論法」もまた、実は多くの「驚嘆」を含んでいるはずだ。この真理がどれほど有用な真実を私たちにもたらしてくれるか、その威力のほんの一端でもよいから、生徒に示してやるべきだろう。

 それにはちょっとした工夫をしてみればよい。たとえば、「三段論法」の例文を次のように書き換えてみよう。

(A)「すべての人間は死ぬ」(大前提)
(B)「私は人間である」(小前提)
(C)「よって、私は死ぬ」(結論)

 だれでも経験的に人はいずれ死ぬことを知っている。しかし、これはあくまでも「普遍的真理」であり、「一般的知識」である。このことと、「自分が死ぬ」という自覚の間には、大きな隔たりがある。

「三段論法」はこの溝を一気に埋めて、一般的真理を私たちの現実世界にもたらしてくれる。「三段論法」を体得することで、私たちは抽象的な真理を、現実のものとして具体的に掴むことができる。


2006年06月06日(火) 水道方式に学ぶ

 私たちの世代は、「水道方式」で算数を学んでいる人が多い。「水道方式」というのは、数学者の遠山啓(とおやまひらく1909〜1979)さんが開発した算数の合理的な教授法で、数の計算も頭ごなしに規則を覚えさせるのではなく、タイルを使ってその「仕組み」を丁寧にわからせる。

 たとえば、小さな正方形のタイルを10個縦に並べた棒状タイルは10、これを10横に並べてできた大きな正方形タイルが100である。これをつかうと、237+364=601などという計算がどういうしくみで可能なのかよくわかる。足し算だけではなく、かけ算や割り算も合理的に説明できる。

 また、この方式だと、「単位」というものをしっかり捉えることができる。「はじめに数ありき」ではなしに、「単位をもとにして、いかにして数が生まれるか」ということの本質が理解されるのだ。つまり、遠山さんは「数」から出発するのではなく、「量」から出発し、これを数量として表現したものが「数」だと考える。

 たとえば、面積を求める場合を考えよう。ある不規則な形をした図形の面積を求めるにはどうしたらいいか。それはそれをまず、小さな正方形に分割することである。そしてつぎに、その小さな正方形がいくつあるか数えるわけだ。

 もし、その図形にその小さな正方形が23個含まれれば、その図形の面積はその小さな正方形を「単位」として、「23よりも大きい」というふうに測定される。それではさらに、正確な面積を求めるにはどうしたらよいか。

 それには単位として使ったその小さな正方形をさらにもっと小さな正方形に分割し、これで残りのスペースを埋め尽くせばよい。たとえばもとの正方形の縦と横を10分割すれば、面積が1/100の微小正方形がえられる。のこりのスペースにこれが68個埋まれば、そのもとの図形の面積は「23.68」という風に計算できるわけだ。

 この方式はもちろん、直線の「長さ」を求める場合でも、物体の体積を求める場合にも使うことができる。そればかりではない。この方法がわかっていれば、「微分・積分」という高等数学がよく理解できる。

 なぜなら、まさに「微分・積分」はできるだけ細かく分割し、これらを足し合わせて面積や体積を求める方法だからだ。数学の本質理解に基づく「水道方式」はそのまままっすぐ高等数学への最良の入門にもなっている。

 遠山さんが算数・数学教育に関心をもちだしたのは、自分の子どもが算数嫌いになったためだという。そのとき算数の教科書を見て、「こんな教科書ではわからないのは当然だ」と考え、1952(昭和26)年に,数学教育協議会を結成し、数学教育の改良運動に身を投じた。

 こうしてあみだされた「水道方式」は日本の算数・数学教育を世界のトップクラスの水準に押し上げた。「水道メソッド」は海外でも知られており、現在世界の算数の教科書はほとんどこの方式に基づいているといって過言ではない。

 ただ、本場の日本において、まだまだ暗記による計算至上主義が受験数学の弊害として残っている。遠山さんは「数学入門」(岩波新書)のあとがきで、この点に触れてこう書いている。 

<数学嫌いをつくり出した原因のなかのもっとも大きなものは、ひねくれた難問にあるといっても過言ではない。そしてそのようなひねくれた難問をつくり出したものが、明治以来衰えることなく続いてきた激しい入学試験であることもたやすく理解できよう。・・・

 数学という学問の本当の姿は、素直でのびのびしたものである。ひねくれて見えるのは入学試験という歪んだ鏡に映したいつわりの姿にすぎない。しかも、そのように素直な数学こそが実際の訳に立つことを強調したいのである。人間がつくった問題はひねくれているが、自然のつくった問題はもっと単純でのびやかな姿をしているからである>

 遠山さんは、「教え方さえよければ、算数・数学が分からぬ子供はいない」という。そして、「算数の勉強は楽しい」ともいう。算数や数学に限らず、学ぶことは楽しいものである。算数・数学が苦手だという人、水道方式でもういちど、数学の世界に挑戦してみてはどうだろうか。

(参考サイト)
「水道方式とは何か」
http://www.jtu-net.or.jp/manabi/whatis_1.html


2006年06月05日(月) −かける−が+になる理由

 スタンダールは「負の数に負の数をかけたら、なぜ正の数になるのか?」という問題でつまずいた。彼が数学を離れたのも、教師がだれもこれに満足する解答を与えられなかったからだという。

 たしかし、マイナスを「負債」、プラスを「財産」だと捉えると、「負債×負債=財産」となってわけがわからなくなる。この式のどこがまちがっているのか。それは「負債×負債」というところだ。

 かけ算に限らず、数式というものには意味がある。意味を度外視して掛け合わせても意味がない。負債どうしを掛け合わせるということが、どんな意味があるのか考えてみる必要がある。

「負×負=正」ということを理解するには、意味のあるかけ算を考えなければならない。たとえば、「時速4キロで東の向きに2時間歩いたら、どれだけ移動するか」という場合を考える。東向きを正の方向に取れば、この場合は、次の式であらわされる。

 4km/時×2時間=8km

 答えは、東に8kmだけ移動するということだ。
 次に、西向きに2時間歩いたら、どれだけ移動するかという問題を考える。これは単位を省略して、つぎのように書けるだろう。

 −4×2=−8

 つまり、東向きとは反対方向(西向き)に、8km移動する。この例題から、「負×正=負」であることが説明できる。

 それでは、東向きに時速4キロで運動していた物体の2時間前の位置はどのようにして計算すればよいのだろうか。二時間前だから、これを「−2」で表すと、

 4×(−2)=−8

 となり、西向きに8kmの地点であることがわかる。これで「正×負=負」という式が成り立つことが理解できる。そうすると、お目当ての次の式の意味もわかるにちがいない。

 (−4)×(−2)=8

 この式は、「西向きに時速4キロで移動している物体は2時間前には東向きに8kmのところに存在した」と解釈できる。これで「負×負=正」がなりたつことが理解される。

  つまり、マイナスを含んだ加減乗除が可能なのは、数に向きを与えることができたからだ。そうすると、「時速×時間=距離」の公式が、マイナスの時速や時間も含めて成り立つ。「負×負=正」は無条件には成り立たないし、まして「負債×負債」など最初から意味のない式を考えるのは論外である。

 大切なことは、数式もまた言語であって、それぞれが何かを「物語っている」ということである。言語である以上、それは単なる規則ではなく、意味を持っている。このことを忘れると、数学はただ無味乾燥な計算問題でしかなくなる。スタンダールもこう説明されれば、数学を「偽善」呼ばわりしなかったのではないだろうか。

 公式を覚え、解き方を覚えればたしかに問題は解ける。しかし、数学をほんとうに好きにはなれない。数式を異国の言葉のように眺めている人には、数学はわからないし、面白くもないだろう。そしてそのような数学嫌いを大量に創り出したのは、現在の教育がまちがっているからである。



2006年06月04日(日) 母の入院

 昨日は、妻と長女と私の3人で、長女の車で福井へ行ってきた。まずは、田舎の墓参りをした。寺の近くの店で花を買うつもりだったが、あいにくそこに置いてなかったので、3人で野花を摘んだ。

 白と黄と赤の3色の花をそれぞれ3人が持ちよって、父や祖父の眠る墓の前に供えた。杉木立をわたる初夏の風に吹かれて、墓前の野花の茎がゆれ、清楚な花の香りが漂うようで、なかなか風情があった。なんとなく伊藤左千夫の「野菊の墓」という小説を思い出した。

 毎年夏に墓参りをしているが、母が福井大学病院に入院したので、今年はそのお見舞いをかねて早い墓参りである。墓の前で、一家3人が心をあわせて、「母の肝炎が治りますように」と祈った。墓の中の父も肝炎から肝硬変になり、最後は肝臓癌で死んでいる。母が入院したのも父と同じC型肝炎である。

 母のことを父にお願いしたあと、近々行われる次女の就職試験のこともお願いようかと思ったが、これはやめた。あまり一度にお願いすると父も大変だろうし、まずは母のことを優先させようと思ったからだ。次女のことは妻や長女がお願いしたかもしれない。

 墓参りのあと、福井市のヨーロッパ軒でいつものソースカツ丼を食べた。それから、丸岡町にある福井大学の付属病院へ行った。インターフェロンの治療を受けていたので、薬の副作用が心配だったが、母は意外に元気そうだった。

 母はずいぶん前に妻がプレゼントしたパジャマを着ていた。小さな携帯ラジオを枕元に置いて、音楽を聴いていた。感染症の予防のためらしく、マスクをしていたが、声がしっかりしていた。

「熱があんがい早くおさまってくれたの。食欲はあいかわらずちっともないのよ。でも、経過は順調だから、心配しないでね」

 妻と長女が衣類とお見舞いのお金を渡した。私も封筒に入れたお金を渡した。私の渡した5万円はこの夏にセブへ行ったとき、ダイビングの免許を取るために貯金しておいた分だった。出がけにそのお金があるのを思い出して、持ってきたのだが、母の笑顔をみて、よかったと思った。

 もう20年ほど前に、祖母が入院をしたとき、病室に入る前に、母は私に1万円札を出して、「これをおばあちゃんにあなたから渡してあげて」と言った。私は母に言われるまま、病室で祖母にそれを渡した。「こんなことしなくていいのに」と言いながら、それでも祖母は目に涙を溜めていた。

 私は自分の不人情が恥ずかしかった。考えてみると、社会人になってからも、私は母からはいろいろと金銭的な援助を受けたが、こちらからお金を渡したことはなかった。

「うちも、来年は次女が大学を卒業するから、だいぶん楽になる。これからは、少しくらいはお母さんにもお小遣いがあげられるからね」と言うと、母はうれしそうな顔をして、「それじゃ、せっかく長生きしないといけないね」と笑っていた。「風樹の嘆」という言葉がある。手遅れにならないうちに、少しは親孝行しなければと思った。

(風樹の嘆……樹静かならんと欲すれども風止まず、子養わんと欲すれども親待たず)  


2006年06月03日(土) 数学と偽善

「赤と黒」や「パルムの僧院」で有名なスタンダールは、50歳のときに、「過去の瞬間に自分はどのようなものであったかを知ろうとして、自分の楽しみのために」、自伝を書き始めた。彼は少年時代は、数学が好きだったと書いている。

 彼は偽善が大嫌いだった。とくに宗教を憎悪していた。たとえば彼の家庭教師の僧侶は、「教会に公認されているから」という理由でプトレマイオスの天動説を彼に押しつけた。真理よりも権威に忠実な大人たちが彼には我慢がならなかった。宗教や世俗の生活が偽りに満ちていた分、彼の心は数学の純粋さに傾いた。

<私が数学に熱中したのは、偽善に対する憎悪が主原因だった。私の考えでは、数学において偽善は不可能であると思われたからである>

<私を数学者だと定義するのはずいぶんうぬぼれがあるだろう。私は微分も積分もまったく知らない。しかし、ある時期には方程式をつくる術のことを考え、愉しんで日を過ごしたことがある>

 オイラーの「代数学入門」などを読み、心が動いた彼は、数学者グロのところに講義を聴きに行った。グロは彼の偽りに満ちた家庭教師とも、これまで彼が学校で出合った愚劣な教師とも、まるで違っていた。

<グロは勘のいい人物で、その説明は私にとっては、天がひらける思いがした。ついに私はものの道理がわかり、天から降ってきた薬局の処方箋のような公式で方程式を解くのではなくなった。私は面白い小説を読むのと同様の生き生きとした喜びを感じた>

<たとえば、彼は私たちに、つぎつぎと三次方程式の多様な解き方をしめした。カルダーノが最初どういうやりかたで試みたか、そのつぎにそれがどう進歩したか、そして現在の方法はどうであるか、というふうに>

 スタンダールは学校の数学の試験でも一等賞を獲得した。そして1799年11月に、エリート技術者や科学者を養成する名門校のエコール・ポリテクニクを受験するためにパリに行く。しかし、彼は結局、この学校を受験しなかった。彼はパリにも数学にも失望したのだった。

 数学について、彼はある疑問に捕らえられていた。それは「なぜ、マイナスにマイナスを掛けると、プラスになるか」という疑問だった。プラスを「財産」、マイナスを「負債」とみなせば、加算や減算は説明できる。しかし、「負債×負債=財産」を説明することはできない。

 スタンダールは、負数のかけ算について、合理的な説明を教師たちに求めた。しかし、彼らは説明できなかった。「習慣だよ」「規則だ」という呪文のような言葉を繰り返すだけだった。そして答えはどこにも書いていなかった。

<私が数学に熱中したのは、偽善に対する憎悪が主な理由だったと思われる。私の考えでは、偽善は数学においては不可能であった。そして少年の単純さから、数学が応用されるすべての科学は、みな同様であると思っていた。ところが誰も私に、どうして負に負を乗じて正になるか説明してくれないのだから、私はどうしてよいかわからないではないか>

 こうしてスタンダールは数学もまた偽善の上に築かれていることに気付いた。彼は受験をあきらめて、軍隊に入り、やがて地方の役人生活の傍ら、小説を書くようになる。彼の小説の文体の特徴は正確で透明なことだが、数学で満たされなかった明晰さを、彼は自分の小説世界に求めたのかも知れない。

 私も高校生の頃、同じ様な算術上の疑問に捉えられ、悩んだことがあった。そのとき、たまたま書店で手にしたのがラッセルの「数理哲学序説」(岩波文庫)だった。そこに、なぜ、「1+2=3」といった算数の演算は可能かということが論理的に書かれてあった。

 さらにラッセルの自伝を読むと、そこに興味深いことが書いてあった。彼はケンブリッジで数学を専攻し、優秀な生徒だったが、あるとき、「数学の基礎がまったく不確かなこと」に気付いて、その偽善にたえられなくなったと書いている。彼は大学を卒業すると同時に、数学を断念し、すべての数学書を処分したそうだ。

 しかし、数年後、彼は自分がその基礎を築いてやろうと考え始めた。こうして彼は数学基礎論という分野で大きな仕事をし、押しも押されぬ大数学者になった。スタンダールは数学者になりそこねたが、そのかわりに世界的な文豪になり、歴史に名前を刻むことになった。これも運命の悪戯かもしれない。

(参考文献)
 「数学を愛した作家たち」 片野善一郎 新潮新書


2006年06月02日(金) 偶然を科学する

 物理学者はこの世界がある限られた素粒子からできていることをつきとめた。たとえば、一個の陽子のまわりを一個の電子がまわってできているのが、「水素原子」といった具合である。

 しかし同時に20世紀の科学は、物質の世界の根底に「偶然」が存在することを発見した。量子力学の創設者の一人で、ノーベル賞を受賞したハイゼンベルクはこれを「不確定性の原理」という法則によってとらえた。

 たとえば、陽子のまわりを回っている電子の「位置」と「速度」を私たちは同時に正確に観測することができない。これは観測装置が出来損ないだからではない。自然の本性がそのような「不確実性」を帯びているからだと考えられている。

 たとえばここにウラン234原子が一個あるとする。これは放射性元素で、α線という放射線を出して、およそ25万年でその半分がトリウム230という物質になる。そこでこの25万年をウラン234の半減期とよぶわけだ。

 しかし、一個のウラン234原子に注目したとき、この原子がいつ崩壊してトリウムになるか、科学者は予言できない。それは今日かも知れないし、100万年後かもしれない。ただわかるのはウラン234が25万年後まで生き残っている確率は半分だということだけだ。ちなみにラジウム226の場合は1600年で、半分がラドンになる。

 これは原子の世界の話だが、私たち人間の場合も同様である。現在日本人男性の平均寿命は78歳だというが、これはあくまで「平均値」である。私は今日にでも心筋梗塞で死ぬかも知れないし、10年後にアルツハイマーで死ぬかも知れない。あるいは、あと44年生きて、100歳まで生き延びるかも知れない。

 アインシュタインは「神はサイコロを振らない」という言葉を残したが、現代の物理学者の多くは「神はサイコロを振っている」と考えている。サイコロで物事が決まるというと、何やらいい加減のようだが、実はそうでもない。たとえ偶然の産物でも、統計を使うと、この偶然性にも法則性が見えてくる。

 たとえば、サイコロを振るとき、何の目が出るかはわからない。しかし、1の目が出るのはおよそ6回に1回くらいだと予測がつく。つまりその確からしさ(確率)は、1/6ということになる。それでは、二個のサイコロを同時に振ったとき、目の和が10になる確率ははどのくらいだろうか。その答えは1/12である。

 なぜなら、2個のサイコロを振ったとき、その目の出方は6×6=36通りあり、目の和が10なるのは、(4,6)、(5.5)(6,4)の3通りだからだ。よって、3/36=1/12なわけだ。

 最初にこうしたアイデアを思いついたのはイタリアのカルダノ(1501〜1576)で、「サイコロ遊びについて」という本を書いた。この本に、サイコロを2つ投げて,その目の和に賭けるとすれば、7に賭けるのがいちばん有利だと書いてある。彼は優秀な数学者で、3次方程式、4次方程式の解の公式も発見しているが、この数学の才能を生かして、賭博で生計を立てていたらしい。

(参考サイト)
http://aozoragakuen.sakura.ne.jp/taiwaN/
taiwaNch01/node68.html


2006年06月01日(木) 出会いを愉しむ

 私たちの人生は偶然に支配されている。まず、どういう時代に、どういう境遇に生まれ落ちるか、これがまったくの偶然である。裕福な資産家の子供に生まれるか、その日暮らしの貧しい労働者の家庭に生まれるか、私たちの人生はその出発からして、偶然に支配されているわけだ。

 さらに、生まれ落ちたあとも、いろいろな偶発的な事件が私たちを待ちかまえている。私たちの前には無数の選択肢がひろがり、そのどれを選ぶかもまた、多くの場合、偶然の産物である。入学試験に合格するかしないかも、多くの場合偶然だが、これによって私たちの進路がまためまぐるしく変わったりする。

 人生は努力をしたからと言って、成功するとは限らない。正しいのは努力をした人の一部は成功するということだ。しかし成功した人の多くは、それを自分の努力のせいにする。そして「君たちは怠けていたから失敗したのだ」と調子のよいことを言う。

 もちろんこれは錯覚で、彼はただ「運が良かった」だけである。同じように努力した人はたくさんいる。しかし、彼らの努力はほとんど実を結ばなかった。一部の人たちは、ただ運に恵まれていたという、ただそれだけである。

 そして、運に恵まれた人は、努力しなくても成功する。彼が高学歴なのは、多くの場合、彼の父親が高学歴だからであり、彼が資産家なのは多くの場合、彼の父親が資産家だからである。そして、もう一度くりかえすが、これは努力の結果ではなく、運命という名前をした、ある種の偶然の産物である。

 しかし、人生をこのように偶然の産物と考える思想を、私たちはあまり歓迎しない。なぜなら、それはあまり教育的な思想だと思われないからだ。とくに運に恵まれて、この世でよい待遇を得ている人は、これを自らの地位や特権を脅かす危険思想だと感じるだろう。

 また多くの人々も、学校でこれとはまったく違う思想を、つまり人生は努力の結果であり、偶然ではなく、必然の結果だという思想を吹き込まれて洗脳されている。教師もこうした思想の影響下にあり、この固定観念から自由になれない。

 だだ、自分の人生を虚心に振り返り、自分のまわりの人々の人生や、われわれの現実をありのままに見つめたとき、この思想がたんなる幻想であることがわかる。私たちは明日にもガンになり、死の宣告をうけるかもしれない。もしくは、事故にまきこまれたり、会社が倒産するかも知れない。私たちはこうした不可抗力に満ちた、不確実性の世界を生きている。

 もっともこのことについて、何も不安になったり、悲観的になることはない。人生は一寸先は闇かも知れないが、また、その反対に光明かも知れないからだ。偶然は不幸を運んでくるだけではなく、幸運も運んでくる。

 兼好法師は徒然草に「世はさだめなきこそ、いみじけれ」と言った。ガリレオも同じ様な人生観を「天文対話」のなかで語っている。不確実性を恐れるのではなく、この偶然性に満ちた人生を祝福し、そこで遭遇するさまざまな出会いを大いに愉しみたいものだ。


橋本裕 |MAILHomePage

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