仕事(おさぼりサラリーマン)で東京ビッグサイトに行く。帰り道は国際展示場から新橋まで、生まれて初めてゆりかもめに乗った。土を盛ってつくられた寂しい島が、曇天の下で夕暮れを待っていた。高層マンションには灯がともり始め、その対岸ではコンテナと重機のライトが、赤く光った。マンションの間から、東京タワーが見えた。
誰が何を考えて、この土地を作り出したのかを、私は知らない。ベイサイドがなんだ、夜景がなんだ、高層がなんだ、鳥じゃあるまいし。と、思う。ビルの谷間に現れる小学校の、緑の校庭が悲しい。サッカーをする男子が見えた。
上から眺めると、グレーの空を背景にした人工物たちには無機質を通り越した美しさがあった。水が、そのわざとらしさをうまく何かに変換しているようだった。
汐留の通信社の、巨大ビルが見える。遠くにいる友人のことを思い出す。
君の仕事の日記を読めなくなるのは悲しいけれど、これからも遠いところで同じような一日を送っている人の記録を読めるならそれでいい。それが事件や事故の話でなくても。家の中にも事件はある。それを知っている人だ。彼女が仕事を辞めるのに、私はなぜ仕事を辞めないのだろう。自分勝手に愚問を繰り返しては引っ込め、“日本のマスコミ”に彼女がいたことを感謝する。新聞記事から見えてくるものと、今日の夕食の肉豆腐から見えてくるもの。違うように見えるけれど手触りさえ忘れなければきっと同じだ。自分に言い聞かせるように、須賀敦子全集のページを繰る。ふたりの姿が、なぜか重なる。
■コストコ
彼の先輩の家(新浦安のオーシャンビューマンション・やや千葉風味)にお邪魔した帰り、フ夫妻にコストコに連れていってもらう。
「コストコ」って、みなさん知ってました?
私は幕張のアウトレットが夜の8時過ぎまで混雑しているだけで驚いたのですが、その近くにこんなに面白いものがあったとは……。恐るべし埋め立て地、ちば。 http://www.costco.co.jp/
大量のパン、大量のハム、大量の林檎ジュースなどを購入。全てが大量パッケージ、カートも大型。ここで買い物をし続けていれば、たぶん誰でもアメリカ人になれそう。
※余談だがフさんの車、ドアの所に「自動ドア」というシールが貼ってあったり、「シートベルトをお締めください」とプレートがかかっていたり、完全にタクシー仕様になっていて笑いました。車好きにしては、なんとなく“鉄”の香りがしました。
■上質
千葉に行って少し思いだしたので書く。 “上質”とことばにすると薄っぺらで悲しいが、結局自分が日々考えて実践したいと思っているのはこういうことではなかろうか、という気分をすくいとってうまくまとめたムック(セオリーシリーズ)が出ていたので購入。でもやっぱり上質というと恥ずかしい。そう考えると『考える人』は(今さらですが)とても良いタイトルだと思う。
■ようやく
須賀敦子の全集で唯一文庫化されていなかった3巻が出ていた。『ユルスナールの靴』をようやく読めて嬉しい。夏に行ったヴェニスの旅が忘れられない。3月、休みが取れたら中部イタリア・アッシジか、フランス・アルザス地方を訪れたい。
■京都
年末に、彼ぴと京都に行こうということになったのだが、なんか「修行したい」とおっしゃる方がおり、一筋縄には行かない予感。宿坊に泊まったことのある方、京都情報お持ちの方、ぜひ情報お寄せ下さい。
積もってきた日々の汚物を、湿気がそっと包む。 音はない。
足が濡れたので跪いたら、 塀の向こうに古い体育館を見つけた。 学生が二人、バスケットボールをしている。 コンクリートの校庭にも、リングがある。
路地が光る。
混雑したバス、 曇った窓、 雨の降る川、 暖房。
泣いている私、 曇天、 行き止まり、 澱み。
少しずつ少しずつ、私へ降りていく。
学生時代の友人と、長い間ブログを読んでいたBookさんを交えて鍋をした。語っていたら夜も更けて、友人の家で朝まで。久しぶりに学生時代のようで、楽しかった。
学校教育の話、家族の話、人はなぜ恋愛をするのか(別れてしまうのか)、どんな働き方が幸せか、高野文子『黄色い本』、耳垢が乾いているかぬれているかについてなど。
お題目もとりとめがなくて、本当に学生時代のようだった。くだらないことをまじめに、しがらみなく話せる場所を、大人になっても持っていたい。
「本が好きなことと、本をつくれることは違う」と多くの大人が就職活動中にアドバイスしていたことを、社会人4年目になって切実に実感するようになった。学生の頃は、半分精神論だと思っていた。大人には、もっと具体的なことを教えてほしかった。
切実に実感するというのは、とても薄い内容の、タイトル一発で少し売れてしまった、つまり普段自分だったら絶対に手に取らない類の本も、つくりを見てみるとそれなりに勉強になるということ。それに、少し売れている時点で何らかの点が人を引きつけたのだからそれなりに意味があるのだろうとも思えるようになった。
転職し、今後書籍づくりで勝負していこうという気持ちでいる。35歳くらいまでに、なんとか「売れたね〜」という本をつくりたい。切実に考える。
目の前の現実は、ライターさんからあがってきた原稿をひたすらリライト、リライトの嵐。とても面倒だが、やるべきことをひとつひとつやらないと前には進まない。
今日は、スケジュールが遅れたことをデザイナーさんに謝る電話をした。 「申し訳ないんですが最悪の事態を考えてください。●日にお渡ししたいんですけど、さらにずれる可能性もあります」。 神経質な声で伝えたら、 「最悪の事態って何ですか?」 と素直に聞かれる。確かに、最悪の事態って何だろう……。 「私心配性なんです。すみません」 「僕B型なんで、まあ大丈夫だと思います。あ、社長はABです」 謝るつもりが、終わってみたら励まされて電話を切った。
仕事のやりがいだとか、気持ちいいだとか、『働きマン』みたいな大きなことは、あまり考えなくなった。「誇れる仕事」とかいうけれど、そんなことはけっこうどうでもいいことだと感じる。代わりにどうしたら目の前のことをうまくできるかについて、ちまちま作戦を練っている。
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