土曜に会社に行って、外堀通り沿いを歩いていたら、就活スーツを着た女の子とすれ違う。泣いていた。
何とも言えない気持ちになる。私は就職活動を、まだ忘れられない。
暗礁に乗り上げた仕事を前に、ため息をつく。家に帰ってトイレに行ったら、血尿が出た。今、踏ん張りどころだと思う。今を乗り越えたら、また新しいことをつかめる気がする。
2006年09月29日(金) |
ペクチンが完成したそうです |
寡作アーティスト、ナカガワ大先生のニューアルバム『ペクチン』が完成したそうです。 ↓(クリックすると絵が拡大されます) http://www.h7.dion.ne.jp/~naka17/pectinindex.htm
絵が天才的(詞は……よくわからん。「俺がいるから 光るから ペクチン」とか。ロックらしい)。本人は別に宣伝とかせず「できた」とかもごもご言ってるのが好きなんだと思うけど、ぜひ見てください。
仕事で提出した原稿に、殺人的修正が戻ってきてしまった。ひとまず10月いっぱいくらいは死に物狂い(←大げさ)で働くことになりそう。今年(社会人3年目)は会社に人生をささげると決めたのでまあ付き合ってやろうかと思っている。原稿を読む、書く力を安定させることと、実用書の進行をおぼえるのが目標。
実は2週間ほど前に、ゲド戦記を見た。感想を特筆する必要もないと思い、書かずにいた。
身近な人には感想を言った。「ネットで評判が悪いのは、多分ストーリーに抑揚がないからだ」「駿だったら映像で見せることを、わざわざ言葉に出しちゃってる。それがつまらないって言われる原因じゃないかな」……好き放題批評した。
ところが、数日経っても、数週間経っても、この映画を忘れられない。ストーリーも台詞も頭から抜けた後に、それでも体に映画を見た感覚が残っている。
見る前と見た後で、何かが変わったと思う。
友人2人がホームページ&ブログを始めたそうなので、リンクさせて頂きました。(リンクも整理しました。) ↓ http://www.geocities.co.jp/PowderRoom-Rose/5169/link.html
■roomhigh amusement
http://roomhigh.blogspot.com/
大学時代からの友人、ともちん先輩のブログ。草野マサムネくんに似てて、ヒジョーにおしゃれなんですが、なぜかモテナイ28歳(失礼)。お互い振られまくってた大学時代、よく励まし合ってました……。あ、ブログは肩の力が抜けてていい感じです。
■TOMITAKU PHOTOGRAPHY
http://tomitaku.net/index.html
女心(おんなごころ)大学名誉教授のトミタク先生のサイト。といっても本人は吉川ひなのに夢中で現実のオンナゴコロに興味が向いていないみたいです。こんなにカッコイイ写真を撮るなんて、本当に驚きました。すごくいいと思います。弟子入りしたいです。
2006年09月18日(月) |
湿気の日は調子が悪い |
祝日。布団から起きられずに寝ていたら、朝の9時に両親から電話。家に来るという。虫の居所が悪く、母にあたってしまう。2人が帰ってからも自己嫌悪。落ち込んだのでネットを見る(さらに自己嫌悪)。
湿気が気持ち悪い。
インターネットの日記から、黙って知らない人の人生をのぞく。ある人は恋人に振られて同棲を中止し、先日恋人と別れたある人には、新しい恋人ができている。ある人は仕事の愚痴を言い、ある人は今日もご飯をつくっている。
少しベッドにごろんとなって、金原ひとみと綿矢りさ受賞のときの文藝春秋を読む。今日ブックオフに本を売るため整理した時に出てきたのだ。2人のインタビューが載っていて、面白かった。金原ひとみがけっこう好きかもと前に書いたが、この人は若いのにけっこう大変な恋愛をしているせいか、「ついていきます」と言いたくなる大物感がある。小学校4年生から不登校。彼氏と同棲して家にもろくに帰らず、パチスロで生活していた時期もあったそうだが、父(金原瑞人)は何も言わなかったとか。
* * *
気持ちがおさまらないのでお米を炊く。
インターネットで、本の雑誌のウェブに町田先生のインタビューを見つけた。↓ http://www.webdokusho.com/rensai/sakka/michi52.html
長編の場合はある程度枠組みを作って、到達する先も考えて取り組むという。作家なのだから当たり前だが、改めて、この人の「行き当たりばったり」なイメージとは対照的な緻密さを感じた。
一方で、 「ただ長編の場合は、いくつも道筋があって、わりと険しい道を行くか、素直に真っ直ぐ行くかで分かれてくると思うんです。真っ直ぐに、いろんな人がすでに通った道を行けば、早く確実に安全に着くし、途中で道の駅とかがあったりするのだけれど(笑)、そんなことをやっても面白くもなんともない。誰も通っていない険しい道を行き山の中に入っていくと、道無き道を行かなくてはなりませんが、そのかわりカモシカに出くわしたりする。真っ暗な道で雪崩に押し流されて行けなくなって終わりそうになって、でも行くとやっぱり面白かった…というようなことだと思います」 とも。
極めてまともな人だ。ただ、カモシカに出くわす才能、カモシカを見るためのがんばりが、常人とは違う。同じインタビューで、絲山秋子も町田康の『パンク侍〜』を褒めていた。
絵を見せてもらった。高円寺にある画材屋で、絵の具とスケッチブックを買ったという。
「ジブリ」と言って開いたページには、これまでのジブリ映画のキャラクターたちがところせましと並んでいた。黒いエンピツの陰影だけで表現した、生き生きとした表情が迫ってくる。映画の場面場面を思い出す。こんな大作、いつの間に描いたんだろう。
誕生日が近いので欲しいものを聞くと、「A4のスケッチブック」と答える。「スケッチブックじゃ安すぎるよ。もっと何かないの?」と笑いながら返したら、黙ってしまった。悪いことをしたかな、とこちらも黙る。迷っているのではない。物欲がないのだ。不思議な人だ。
自動車が嫌いだという。それでもたまに、ドライブに連れて行ってくれる。仕事の帰り、家の前で拾ってもらいそのまま真夜中の首都高へ。1周たった700円で、光り輝く東京タワーを見た。レインボーブリッジも見た。人生を生きているとこんなにワクワクすることがあるのかと、心から思った。
仕事に行きたくない前の夜には、よくギターを弾いている。サニーデー・サービス『夜のメロディ』を一緒に歌う。私は音を外しながら、それでも一生懸命歌う。たまに笑う。こちらも嬉しいので同じことを繰り返す。また笑う。
週に何度会っているのか、手はつなぐのか、何と呼び合うのか、指輪は必要なのか、どの指に付けるのか、何回目のデートでどこに行くのか、服の趣味はどの程度合わせればいいのか、ディズニーランドに何度行ったか、おごってもらうのかおごるのか、相手の携帯電話の中身を見るのか。「付き合う」って何なのか。人と分かり合うとは何なのか。私が与えられるものとは何なのか。数年前まで気にしていた多くのことは、全く意味のない問題だと知る。
2006年09月10日(日) |
阿部謹也が死んでしまった |
土日出勤して、夜中に朝日新聞の三面記事を開いて驚いた。歴史学者の阿部謹也が、亡くなった。急性心不全。71歳だという。すうっと体の力が抜けた。死ぬと思わなかった人が、死んでいく。
一昨年の冬、石牟礼道子のシンポジウムで初めて阿部謹也の講演を聞いた。彼の十八番である「社会」と「世間」の話。面白かったので、その後ぽつぽつ本を読んだ。『ハーメルンの笛吹き男』『「世間」とは何か』最近はエッセイ『北の街から』を買って積ん読にしていた。
熱烈なファンというわけではない。でも、書店に行くと「ああ新刊が出ている」「文庫になっている」と発見して通り過ぎる。そういう作家は数多くいる。
私には、未読の阿部謹也の著作が山ほど待っている。彼が生きていようと死んでいようと、事実上は変わらないはずだ。それなのに、突き放されたようなこの気持ちは何だろう。
今年の1月になくなった祖母にも、同じ思いを抱くことがある。祖母とは生まれたときから別居しており、最近はお盆や正月にも会う機会がほとんどなかった。老人ホームにも、ろくに見舞わないダメな孫だった。
直接話した言葉や、最近の思い出があるわけではないのに、突然、「寂しいな」という気持ちが襲ってくる。「あ、おばあちゃんもういないんだっけ」。デパートのエスカレーターを登るとき、大宮駅を電車で通るとき、それは来て、去っていく。
■壇ふみ
壇ふみ『父の縁側、私の書斎』を読む。壇ふみっていいな、と今さら気付く。もっと父親の威光や知性を笠に着た人かと思っていた。向田邦子より庶民的。石田千よりだらしなくて好感が持てる。まあ、とは言っても二世ですから……。この本にたびたび登場する壇一雄の『火宅の人』を読んでみたくなった。
それと、私は子どもの名前を考えるのが高校生くらいからの趣味なんだけど、今は「ふみ」か「ふみ子」にしたい。漢字なら「文(子)」か「史(子)」。「手紙」という意味。
■大学生気分
高円寺の4丁目カフェで話す。「9.11のあった大学2年から5年も経ったのか」と驚く。私が「まだ大学生気分を引きずって生きている気がする」と言ったら理由を聞かれた。
夜遅く帰ってきたり、朝ご飯を食べなかったり、仕事が忙しくなると洗い物をためたり、外食ばかりになったり。病気になると親に頼ったり、実家に帰ると眠ってばかりいたり。そういう一つ一つが学生時代と何も変わっていない。
「いつになったら地に足着いた大人になれるんだろう」。最近私はこんなことばかり書いている。
2006年09月05日(火) |
デカ足とrepetto |
私は私なりに自分がデカい女であること(169センチ)、いかり肩であること、顔がかくかく骨張って大きく、目鼻立ちがフェミニンでないことなどの一連の不幸と思春期からずっと戦ってきたので、それなりに自分の体とは折り合いを付けて生きているつもりだ。24歳の今になって「大きいのってコンプレックスなんです〜」なんてぶりっとしたことを言うつもりはないし、21歳のとき、「デカフェチ」というスバラシイ男性たちがいることも知った。(「バナちゃんデカいから合コンきてよ。kくんのオーダーなの」という依頼を受けたのだ。後から分かったことだが、あこがれの松尾スズキさんもデカフェチなんだって。)
しかし。我慢できないことがひとつある。
デカ足問題である。
私が買う靴のサイズは(きわめて25センチに近い)24.5だ。正直、自分がそれほど「デカ足」であると思ったことはない。体に比例しているためアンバランスではないし、別のそれを恥ずかしいと思ったこともない。高校生の頃にはいていたハルタのローファーには、ちゃんと25.0EEE(注:Eは足の甲の幅を示す。通常サイズはE)があったから、何の問題もなかった。足下がしっかりしているなんて、泰然としていてよいではないか。
……そう、思っていた。
ところが昨年、実にかなしい事件が私を襲った。私の乙女心を盗んだ靴、repettoとの別れである。
repettoといえば、あのゲンズブールもはいていたという究極の乙女靴。黒い革製の一足を買った次の日から、うれしくてうれしくてプリーツスカートに素足で会社に行った。「カレーさん、なんか今日少女ですね(ぷぷっ)」―職場での乙女ハラにも、アメリは負けなかった。アメリは思った。「みんな、あたしのこと分かってないわ。これだかtokyoは困るのよ。parisだったら、誰だってこのエスプリに気付いてくれるのに!」アメリはスカートのひだを風に揺らしながら、モンマルトルの丘(牛込中央通りともいう)を走ってパンを買いに行った。
坂の途中、「ズズズズズ、ビリッ」という鈍い音がアメリの耳に届いた。「何かしら」足下に目をやると、かわいいかわいいrepettoちゃんから、足の指が突き抜けている。一瞬、理解に苦しんだアメリは、得意のファンタジーで世界を埋めようとした。あら、アリスの穴だわ、ここから中に入ったら、きっとトランプ王国の世界が広がってるのね。意地悪ババアには負けないわよ。だってあたし……repettoをはいているんだもの!
……ビリビリビリビリ。
現実に戻るアメリ。てか俺(あ、ゲンズブールの恋人だったらアメリじゃなくてブリジット・バルドーにしなきゃいけなかったのか)。急に坂を駆け上がったことで、窮屈に押し込められた足の圧力に、やわらかなやぎ革は耐えきれなかったらしい。アメリのかわいいrepettoは、購入からわずか3カ月でその短い生涯を閉じたのである。
一度は落胆した私だが、ドレステリアの店員さんの言葉を思い出して復活する。「repettoはもともと練習用のシューズですから。好きなだけはいてどんどん履きつぶしてあげてくださいね。私も今、3足目なんですよ」。そ、そうか! 履きつぶした私は2足目を買えってことね! しかし、2万円をはたいて得た幸福は長く続かなかった。2足目はスエードのかわいいピンク。これがすぐに薄汚れたグレーに変わり、ほどなくつま先に(1足めと全く同じ場所に)穴が開いた。
失恋(破損)を繰り返して分かったのは、つまり、repettoの「39」サイズ(24.0-24.5)が私の足には小さすぎるということ。きゅうきゅうに靴の中に足を入れるあまり、シンデレラのお姉さん状態、さらに言うなら中国の「纏足(てんそく)」状態になってしまっているのだ。
ところが、どのセレクトショップやデパートに行っても、39よりも大きいサイズは売っていない(ドレステリアで「40はもともと生産していない」なんて悲しい話もきいた)。
つらい現実だった。デカ足女は、乙女になれない。ゲンズブールにそういわれた気がした。私の乙女人生は、たった数ヶ月で幕を降ろした。
----------------- でね、でね、けっきょく何が書きたかったかというとね、今日仕事で南大沢に行ったの。そしたらアウトレットがあって、開き時間に何となくのぞいたわけ。
そしたらね、なんと!!!!
あるお店の中にrepettoの赤い箱が山積みになってるのよ!!!! で、全部半額なのよっ!!! 久しぶりにお買い物熱に火がついてね、店員さんに「もともと39までしか生産してないんですよね……」って諦め9割で聞いたのよ。
そしたらね、「あーありますよ」って、最も競争率の高い黒の「40」を出してきてくれたのよ!!! すごい!!! これなら今までのようにきゅうくつに足先を丸めて歩く必要もないわ。う〜れ〜し〜。これからも40を求めて、南大沢に通おうと思います。電車賃1000円しても、半額ならモトがとれるってもんだわ。
ついでにそのお店、マッキントッシュのトレンチも半額で5万くらいだった。すーごーいー。みーなーみーおーおーさーわー。おーやーすーみー。
2006年09月03日(日) |
ヨーガンレールに行く |
「江ノ島」の日記、気取ってアップしたら江ノ島に一緒に行った彼から突っ込みが入った。「バナちゃん食堂で食べてたのわかめラーメンだったでしょ。カツカレー食べたのは僕だよ。それと、蝉は自分で海に堕ちたんじゃなくて店の人がうるさいから放り投げたんじゃないか。そう書いたほうが(日記の質が)普通によくなる気がする」と。
よいリズムのために嘘をつくのが裏目に出た(えへへ)。で、今日はおされネタです。
かねてから気になっていたヨーガンレールの店が深川にあると分かったので行ってきた。門前仲町(または清澄白河)駅から徒歩で10分ほど。そんな辺鄙な土地にあるため客層は二分している。つまり私のようにわざわざ出向く客か、目の前にある清澄庭園に遊びに来たファミリー。今日は後者の方が多いようだった。
「ババグーリ(注:ブランド名)の秋服展」。「自然の染色」「手仕事」などのキーワードからして法外な値段を想像していたので、意外に安くて驚いた。昔のマルジェラくらい。手の込んだものは3〜5万。逆に使用している布が小さかったり、手仕事部分が少ない商品は1〜2万円台で買える。器やインテリアも、常識の範囲内の価格設定だと感じた。シンプルな小鉢なら1890円。OLに買えてしまう価格であるところが恐ろしい。
素敵なお店で、久しぶりに洋服でドキドキがきた。自分がすり減らない、ドキドキ。深い緑色のジャケット(4万)を着せてもらい、鏡の前で散々迷ったがストールだけ買って帰る(写真左)。で、写真右の赤い布は何かといえば、数週間前にむげん堂で買った600円のストール。かわいいでしょ。上で安いとかって書いたけどさ、の桁が違うんだよ、やっぱしな〜。
http://www.jurgenlehl.jp/
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