日記
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「投票ボタン」の色のバリエを考えるのは結構楽しかったんだけど いい加減面倒臭くなってきた・・・・(飽きっぽい)。のでやめ。
そーいえば最近洋服を買っていない。
下北のモスでお茶してその後ふらふら散歩して新宿で飲んで帰った日。 終始なごやかなおだやかな時間がながれたゆたう日。
先週親から物資が届けられたのでお菓子にはとりあえず不自由してない。 親から送られてくる食べ物って自分では普段選択しない種類のものが 結構多かったりするので新鮮である。でもたまにとんちんかんなものが 入れられてたりしてぎょっとさせられたりもする。 それもまた一興。 むしゃむしゃ(擬音)。
マニキュアが指先から剥がれかけているかんじ。 でもなんか、「どーでもいーやー」とか、思ってしまっている。 こーゆー時ってよくない。いつものわたしらしくない。 いつものわたしってどんなわたしかなんてわたしもわかっちゃいないけどさ!
2002年01月26日(土) |
久々の雪空。東京の夜空は晴れてる方が断然いい。 |
松浦亜弥の新曲『桃色片想い』@ティセラ には思わず画面に釘付けに。 なんかスゴイ。どんどん「アイドルオーラ」がパワーアップしていく。 いや、あーゆー「いかにもアイドルアイドルしてます」みたいなアイドルって、 (死語で言うなら「ブリッコ」)あんまり好きじゃないんだけど、 だからデビューした時も、あー久々にアイドルっぽいのが出てきたねぇ、 くらいにしか思わなかったんだけど。 なんかもうあそこまでいくとほんとすげーなーとしか。 いや、かわいいっすよね。(好みじゃないけど。)←誰も聞いてないって。 でも、自分のことを「あやや」と呼ばせようとすんのはいかがなもんだろう。 いくらなんでもそれはどうだろう。 あそこまでかわいかったら何しても許されるのかもしれないが 私的にはどーしても「あやや」は受け入れ難い。 そもそも呼ぶ方も呼ぶ方だ。どうかしてるってば。
好きじゃないのにドキドキしてしまう自分こそどうかしてるってば。 (実は新曲が出るたびドキドキしてます。ほんと自分がわからなくなります。)
今日、久し振りに雪を見ました。 冬は晴れてる方が断然いいっす。
来週は卒論発表らしいので少々憂鬱ですわ。 ってゆーかもう書いた内容なんて全部忘れたさ・・・・・。
この後に及んで「卒業できない」なんてオチがつくのだけはマジで勘弁。
雪がすっかり雨に変わった頃帰宅して、 それでも肌寒くてホットココア飲みながら雪苺娘食べながら ボーーっとしていたら立て続けに「泣きながら電話」が2件。 全くの別件でそれぞれ。1人は仕事がらみ。もう1人は男がらみ。 みんな人生色々で大変なんだなーーーーー。 私はなんとなく平凡に過ぎ行く毎日。 それでいい。 こんな毎日がずっとずっと続けばいい。
でも、それはきっとない。 そんな風にはうまくいかない。
2002年01月25日(金) |
なぜオーブはどんどん安っぽくなっていくのだろうか。 |
いや実際安いんですけどね。 春の新色発売されてから、見掛ける度常々思っていたことなんですが。 どうにも可愛くない!ちゃっちい(方言?)。おもちゃみたい。 特にマニキュアなんか100円ショップで売ってるようなかんじ。 昔は好きだったのになーーーーーってこーゆーかんがえかたはいかん。 「商品」は常に「新しく」なくちゃ、なっていかなくちゃ売れない。飽きられる。 その「進化(変化)」が、「良いこと」か「良くないこと」か つまり「成功」か「失敗」かはその受け取る人次第であり、 多くの人に受け入れられればブランド戦略としては成功である・・・・・。 どーでもいーけど。
しかしアレが「かわいい!」と思う感覚っていうのはつまり「若い」んじゃ ないかな、とふと思ったんですがどうでしょう。 つまりワタシは若くないってか。 (まぁ若さの基準て一概には言えないけどあの化粧品の対象年齢は 見たとこ10代からせいぜい20代前半までだよなぁ。どう見ても。)
さすがにブランド実名はまずいかしらん。まぁ日記だし企業名出してないしな。
日記のデザインを半年振りくらいに変更してみた。 なんだか落ち着かん。 なんか、12月中旬から(帰省中を除く)週5〜6個は雪苺娘食べてる。 1日に2個食べる時もあります。まぁ毎年恒例ですわ。 そんなわけでほかのひとの日記に雪苺娘が出てくるとひどく嬉しかったり しているのです。とここで告白。
最近勢い余ってweb書店(?)でもやっちゃおうかしら、などと 密かに企んでいる。なんてゆーか、 人に本の紹介をする、なーんて 大それたことはとても出来ないけど(たいして本も読んでないし・・・・) 自分が気に入ってる本を並べて自分が喜ぶ(つまり自己満足の)場所があったら 楽しいかなーーなんてね。
ここ数日随分と歩き回りすぎて脚と足が痛い。
念入りにマッサージ。
卒論追い込み時期〜〜〜年末年始にかけて、 録り溜めに溜まった(ってほどでもない)ビデオ7本が なかなか消化できぬまま放置され続けている。 困ったもんだ。 正確には、時々細々と消化しているつもりなのだが、 やっと1本始末したぁ〜と思ったら新たに別の1本が発生するという堂々巡り。 そして心情的に新しいものがやはり観ようとするこころを誘うので、 古いものは後回しにされ放置されてゆくという構図である。
まぁありがちな話ですわね。
2002年01月22日(火) |
そんなわけで、 『ポプラの秋』 の感想などを。 |
そーいえば此処に書きそびれてましたが先週自動車免許無事取得しました。 結構嬉しかったです。
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感想というものは少なくとも一晩置いて静めておけば少しは感情的なものに支配されていた状態よりはまともになるものだ。つまり、冷静になるものだ。例えば夜中に書いた手紙を次の日改めて読んでみると顔から火が出そうになるほどこっぱずかしい言葉でいっぱいだったりとか、そーゆーのに通じるところがある。(あるか?)例えば、いろんなものが混ざった水の入ったコップを、一晩そうっと置いておけば大抵の目に見える不純物は沈殿し少なくとも見た目は澄みきった水になる。しかし沈んでしまうのは「不純物=余計なもの」だけとは限らなくて。あああなんだか何を言いたいんだか。 つまり一晩置いて冷静になってしまうと良いこともある反面素直な感情に身を委ねる事など出来なくなってしまったり。
だから感想なんてうまく書けません。 別にうまく書く必要ないんだけど。 そんなわけでこれから書くのは感想というより・・・。
読んだのは 湯本香樹実さんの 『ポプラの秋』 という本です。 新潮文庫になってます。
私は記憶力があまり優れていない人間なので小学生の頃の記憶って曖昧です。ところどころ、くっきりと鮮やかに蘇る映像は頭の中に刻まれているけれど。それでも。転校する時「わたしたちの事、絶対にわすれないでね。」と涙を流してくれたたくさんの友達の顔や名前さえ、随分とぼやけてきてしまいました。(トシですかね。) 4年生までを過ごした小学校の校庭には、大きな大きなポプラ並木がありました。さすがに数は憶えてないけど6〜7本はあったと思う。ほんとうに大きな大きな木でした。現在では30mを超える高さを誇っているみたいです。10年前だから、それよりは勿論低かったはずだけど。それでも、20mくらいはあったのかなぁ。(誰かポプラの成長スピード教えて。) わたしのこころにしっかりと刻み込まれた風景がある。例えば、白い綿毛が舞う季節とか。例えば、全ての葉を落とし裸になっても堂々と聳え立っていた存在感とか。夕暮れに長く長くどこまでも長くのびている影とか。 わたしはポプラの木が好きだった。と、言うよりむしろその小学校そのものが大好きだった。小学校のスローガン(?)が「ポプラのように 強く たくましく」とかいうものであったことからも、いかにポプラが小学校にとって大きな存在であったかがうかがわれるようだ。
・・・・・「うかがわれるようだ」ってアンタ。 自分で書いてて失笑するしかない。うーん結局感じたことをことばにするってとっても難しいことなのです。そんなわけで、今の私には、どうやら無理みたいです。
例えば、主人公と自分とを重ね合わせてしまう部分もあった。勿論、境遇や考え方、感じ方など違うところも多かったけれどそれでも何かを感じたのです。 そして同時に母のことを。 「おだやかでおっとりと育ったお嬢さん」だった母が変わったのはやはり父の死を前後してのことだったようですが。(by祖母談) まぁ残された6歳と4歳の子供を女手ひとつで育てていくというのはそれはもう私の想像も及ばないほどにきっと大変なことがたくさんあったのでしょう。彼女は20歳の時に父親を亡くしているんですがそれとは全く異なる状況や立場。責任の重さ。きっと辛かったんだろうなぁ。当時の私は幼すぎ、自分のことで精一杯でした。責任感の強さ(幼少時のみ。)ゆえにわたしなりに母親を気遣っていたつもりでしたが、それでも。もっともっと、してあげられることはたくさんあったはずなのに。まぁ実際は4年後に再婚してますので、たいして長い期間ではなかったのですが。今思えば。しかし、現在もその時に築きあげられた気性の激しさや逞しさはしっかり健在です。人類の99%が滅びても彼女はきっと残りの1%に入っているに違いない、と私は大真面目にそう思ってます。
再婚してくれて本当によかった、と。こころからそう思っています。 父はとてもやさしい人です。母は、なんだかんだ文句も言いながらも結構幸福そうです。少なくとも、わたしにはそう見えます。 わたしも今は、「親孝行したい」と思っています。 ただ、一緒に住む(ひとつ屋根の下で暮らす)ということは、無理だと思います。ありえないです。少なくとも、今は100%有り得ないです。ただ、いずれ両親が老い、どちらかが先立った時には、のこされたどちらかの面倒はみるつもりではいます。まぁこんなこと考えるようになったのはごくごく最近のことですが。 昔から、父の面倒はみるつもりでいました。それは、単に「恩をかえしたい」とかいうだけのものではなく。わたしにできることはなんだろう、一体わたしは父になにをしてあげられるんだろうか。ことばでは言い表せない感謝とか大好きだって感情とか、一体どうやって伝えることなどできるだろう、などと色々考えた結果当然のようにすぅっと導かれた答えのうちのひとつであったわけです。 ただ、母に対してはまだまだ消えないわだかまりが大き過ぎて。いくら血の繋がった母親だろうが世話なんてするつもりさらさらありませんでした。でも、これからわたしもゆっくりと大人(ほんとうの意味での)になっていく過程できっと、大きなかたまりも少しずつ少しずつ溶けていくのではないかな、と思うようになったわけです。 まぁ、「世話」なんつってもまだ2人とも40代なわけですし。当分先のことになるわけで今はなんとも言えませんけどね。大体、「世話」なんて言葉自体なんか恩着せがましくないか??なんか偉そうでやだな。つまり「一緒に暮らす」ってことなんですけどね。 私には一応弟もいますがあいつはまぁいないようなものだから・・・・・。
そんなわけで結局まとまりのないまま終わる。
2002年01月21日(月) |
4年前のセンターの事なんてもう殆ど憶えてないけど |
ラーメン食って帰った事は憶えてる。(2日間とも)
1日目は、何ラーメンだったか憶えてないんだけど。
2日目は、前日とは違うラーメン屋で 「海鮮あんかけラーメン」みたいなのを食べたんだ。 うん。 それでそのままカラオケへ流れ込んだ。(息抜き!)
当然、高校の友人達圧倒的多数はバリバリ国立志望で そんな浮かれた雰囲気など微塵もなく、なんだかピリピリしてて 傍から見ててもなかなかしんどそうではあった。 そんなわけで私立専願である地元の友人と羽根を伸ばしてた。(息抜き!) 大体私、国・英・社しか受けてないし。 もし運良く点数取れたらセンター利用入試やってる私立受けられるな、 くらいのもんで。何の気負いもなく。 しかしそんな密かな密かな期待は2日目の朝刊で自己採点して 見事に打ち砕かれる。 英語最悪!史上最悪!それまで受けた全ての模試の中でもこれより 悪いことはなかったんじゃないかってくらい最悪。 確か102点とか105点とかそれくらい。200点満点なのに!! 半分じゃん!あー終わった。って感じでしたとさ。 (確かセンターの平均点って7割前後よね?) まぁ、元々英語は苦手科目だったからあまりショックではなかったけど。 ああこんなもんか。くらい。(そんな免疫いらねーよ。) 毎月受けさせられてた模試でも、国語と英語の偏差値差、20あったし。 私立専願で英語ダメって致命的よねぇ。理系でも文系でも英語は必須。 よほど特殊な入試(定員少ないやつ)でもない限り。 国語は普通に9割取れてた。
上で「英語は苦手科目」云々ぬかしてますがそもそも私の 「苦手じゃない科目」って国語と家庭科しかなかったんだよね・・・・。 あーあと政経は何故かテストの点は良かったような。 国語の中でも、現代文は一番好きだったし 漢文は、勉強しなくてもフィーリングでパズルみたいに組み立てることが 出来るところが結構楽しかったりしたんだけど、 古文はかなりの勢いで嫌いだった。 「何で昔の言葉なんか今更やらなきゃなんねーの?」ってかんじ。 ただ、今にして思えば昔の言葉って結構、趣があって解れば楽しそうで もうちょっとちゃんと勉強するべきだったとは思うけど・・・・・。
社会は日本史を選択。別に日本史が好きだったわけじゃなく どちらかと言えば大嫌いだったような。 「大昔に起こった事なんか今更どーでもいーじゃん。」くらいにしか思わず。 これも、今にして思えばちゃんと常識的なことだけでも 身に付けておくべきでした・・・・・。 受験抜きに、知識として。 日本史の授業中、教科書を開いてることってまずなかったので 私の教科書はぴかぴかでした。定期試験はギリギリ赤点を免れてましたし。 しかし、こーゆー「やればそこそこ取れる」科目位しっかりやるべきだった。 後悔は当然先に立たないわけですが。 結局模試でも平均点取れるか取れないか、くらい。 肝心のセンターは確か平均とれなかったんじゃなかったかしら???(曖昧) 私立専願でこれじゃまずすぎ。 3科目しかないんだからー、5科目受けてる人達より点取れてなきゃ いけないんだよなーほんとは。 って今更思ってみてもねぇ。はぁ。
結局センター利用入試に1校だけ出したんだっけ。落ちたけど。 おー「もう殆ど憶えてない」とか言って結構色々憶えてるじゃん私。
まぁここまで読んでもらえれば解ると思うけどその後の私立入試はもう 惨憺たるものでしたとさ! 【『真理子のセンター試験』終わり。】
今日は酷い雨で嫌な天気だった。 でも用事があったので外出。横浜へと。 昼間友人と会ってゴハン食べて違う友人とも会ってあと色々用事があって、 それが無事片付いて、用事があるからーと早めにサヨナラして 関内に移動して某ファストフード店でひたすら読書。 関内でバイトしてる友人の仕事が終わるのを待つ。 で、夜ゴハン色々食べて飲んで話して〜〜帰宅。
なんか雨降ってたせいでいつもの軽く2倍はぐったり疲れた気がする。 あーあ地元から帰ってきて1ヶ月も経たないうちにこれだよ・・・・・ こっちでは冬って晴れてるのが当たり前なんだよねぇ。
風呂入ってから読み残した最後の数ページを一気に読む。 なんかうまくいえないけど結構じんときた。読んだ後になにかがのこった。 私の中の何かを想い出し噛み締めた。そんな本。
とある、エンピツですてきな日記を書いていらっしゃる方のHP上に 「web書店」みたいなもの、がありまして、 そこを覗かせて頂いたときからずっと、気になっていた本。
『ポプラの秋』
6歳の女の子。 父親を亡くした。 母親と、「ポプラ荘」に引っ越す。 庭に大きなポプラの木。 そんな風に物語は始まってゆく。
冷静には読めなかった。 感情移入しすぎてこころが揺らぐのはとても怖いことなのに。 わたしにとっては。 だからめいっぱい距離をおいて読んだ。
父親に手紙を書いたことがある。 けれど、それを「渡して」くれるひとなどいなかった。わたしには。 だからずっと後になって、自分で燃やした。 燃やせば空まで届くような気もした。 そんなことをしたのはたった一度きりだ。
わたしのこころのなかに、たからものみたいにたいせつに、 そしておぼろげながらも力強く、時には「支えて」くれさえもする そんな風景が、きっと生涯忘れられないものとして
存在している。(そこには大きな大きなポプラの木があるのです!)
そんなことについてつらつらと書き綴ってゆくときっと朝になってしまうので やめておいた方がいいのかもしれない。 猛烈に猛烈に眠い。 雨が私の生気も吸い取って流してしまったんじゃないかって思うくらい。
書けそうだったら、明日。 (しかしこの本を読んでない人にはなんのこっちゃさっぱりだろうなぁ。)
2002年01月16日(水) |
トイレットペーパーはいつも花柄。 |
別にこだわりがあるわけじゃないんだけど一人暮らし始めてから「真っ白なトイレットペーパー」は買ったことがない。なんでかな?あのね、だって買いに行くの私なのよ。うら若き乙女(のつもり)がトイレットペーパー。いや、別にトイレットペーパーごとき「恥ずかしい」なーんて思ったりはしませんわ。だって生活必需品なんだもーん。で、頻繁に買いに行くの面倒臭いからたくさん入ってるやつ当然買うでしょ。でも、なんか、特売の真っ白24ロール入り、とか、イヤなのよ。理由ないけどなんかイヤなのよ。所帯地味てるって感じが!!(?) 別にさー拭いてそのまま流しちゃうんだから柄なんてどーでもいいわけじゃない?トイレットペーパーに求められる最低限必要な条件って「痛くない程度の柔らかさ」それだけじゃん。でもね、真っ白はイヤなの。嫌なの!だからって「花柄」にこだわってるわけじゃないんだけど、大抵のスーパーorドラッグストアには「花柄」以外の柄のトイレットペーパーは置いてない。2年位前まで、近所のスーパーに「キティちゃん柄」と「ドラえもん柄」のトイレットペーパー(16ロール入り)が売ってて、私は一年間程キティちゃんで拭いてたわけなんですが。いつの間にやら店頭から姿を消してましたねー。なんでかな。結構気に入ってたのに。キティちゃんは別に好きじゃないけど。(どちらかといえば嫌い。)ただ、遊びに来る友人たちの評判(というかウケ)は、かなりよろしかった。男女共に。「トイレットペーパーにキティちゃん」という意外な組み合わせが受けたのかしらん。 結局何故「花柄」なのか、普段何も考えずに買ってるところがあるので考えてみるとよくわからん。ただ、「微妙なこだわり感」がいいのかもしれない。殺風景なトイレ周辺の空間を、「少しばかり華やかに演出してます感」がいいのかもしれない。
どうでもいいんだけど。
今年の年賀状はかなり好評だったらしい。 (わざわざPCや携帯のメールに反響があった。)
と言っても、とりあえず貰った人達の中から「どうしても出さなきゃまずい人」を綿密に選別した上で出したので、結局書いたの7枚だけなんですけど。(こうして年賀状だけで繋がってるような人が年々減っていく。) 全部手書きにしたの! このPC全盛時代に全部手書き!そりゃー誰でメッセージくらいは手書きでしょうけど。私は宛名もうまの絵もメッセージも太字で主張する「A HAPPY NEW YEAR」やら「謹賀新年」やらまで全部手書き!これもまぁ7枚しか出さないからこそ出来た技なんですが・・・・・。(去年はPCで作った。) 私のところに来た年賀状(20枚くらい)も、親のところに来てた年賀状(90枚くらい? 3日までに来てた分しか知らないけど。)も、全部が手書き、なーんて人、一人もいなかったなぁ。全部、PCか写真屋で作ったっぽいのとか市販の絵付きのハガキ。そりゃ年末のくそ忙しい時期に、そんな暇な人間いるわけないんだけどね。 私は正月なんて忘れ去られた頃にひとつひとつ手書きしてたわけです。暇人まるだし。イヤ、遅れに遅れたせめてものお詫びのしるし・・・・?ってことで。 絵柄も一枚一枚変えたりしたんですよー。今年が午年でヨカッタヨカッタ。うまって描きやすいから誰でも描けるよね。何か妙にリアルな馬を色鉛筆で描いてみたり、マンガっぽい崩した感じのとか、色々。楽しかった。絵なんて描いたのも久し振り。これが「たつ」や「いのしし」なんかだったら、ちょっと困っちゃったわ。描けねーよ。
でも昔は、全部手書きだったんだよね。当たり前だけど。 小6〜中2、の頃が、一番ちゃんと年賀状書いてたかなぁ。50枚以上。手書きで一枚一枚。転校が多かったから、割とたくさん年賀状貰ってたのかな。当時通ってた学校の友達に出す分より、以前の学校の友達に出す分の方が、ずっと多かったし。
はっきり言って全部PCの年賀状って、作るほうはもうとっても楽しんでるんだけど、貰った方はそれほど嬉しくないものよね。自己満足の世界。 まぁそれでも、メッセージだけでも手書きにするのは最低限のマナーとしても、できれば宛名も手書きが望ましいとは思うのですが、なかなかね。面倒なのよね。だってPC使えば一発じゃん。超楽だし。 小学校1年生から3年生までの担任だった先生がね、未だに年賀状くれるのよ。私、何度も住所変わったりしてて面倒臭いのにね。でも、私もその先生のことほんとにほんとに大好きだったから、嬉しいの。宛名、綺麗な字で手書きなんだよね。学校の先生なんて、何百枚も年賀状出さなきゃいけなくて、大変だと思うのに。でもほんと、嬉しいんだ。私も字が綺麗だったらきちんと筆ペンで書きたいのですが・・・・。下手なんだよな。
余談ですが実家の年賀状は毎年戌年状態です。犬なんです! 今年も、父母が楽しくPCで加工しまくった愛犬君がでかでかと。(しかも2種類。母曰くかっこいいバージョンと可愛いバージョン。) これって送られるほうはどう思ってるんだろうか。まぁ毎年毎年「我が子の写真」みたいなのを飽きもせず送り続ける人間は世間にも大勢いるし(当然送られてきたほうは楽しくもなんともない典型)。しかし、人間と違って犬は何年経っても顔や体型が劇的に変化する事はないのだ。だから送られてきたほうも「2002年」とかちゃんと書いてないとうっかり他の年のと混ざっちゃったりなんかしたらもう困っちゃうだろう。ああ4年後は(父母)念願のイヌ年だね。しかし肝心の犬はそれまでちゃんと生きてるかな・・・・・。生きていて欲しいのです。そうしたら私も犬の年賀状作れる。
2002年01月09日(水) |
トシ考えろよ、って話とか。 |
”いいトシしてカワイイものがスキな女”って、 なんか 「カワイイものがスキな自分が好き!」 って感じなんだろーなーとしか思えないっすよね。 現実逃避っつーか。
でも私はカワイイものが好きだ。 大好きだ。 しかし!
「キャーー!かーわーいーいーー!!」
となんでもかんでもその甲高い叫び声一言で片付けてしまうような女には なりたくないし、嫌いだし、うざいし。みっともない。 だから私は騒がない。 でもこころのなかでひっそりとときめいていたりする。 それでこっそりと買ってみたりもする。
そもそも「いかにも少女趣味」みたいなもんは私の嗜好には合わないし、 外見にも合わない(らしい)上に、 人前で「カワイイカワイイ」を連呼することも滅多に無いということで、
うちに遊びにきた友人にびっくりされたことも度々。
シンプルな空間を愛しているのだ。 私の部屋は、家具はシルバーとブラックで統一されている。 絨毯やベッドカバーやカーテンはブルー。
それなのに。その「シンプル」と「カワイイモノ」は、相容れない。 部屋の片隅や、棚の一部分には明らかに異彩を放つ空間があり。 ミッフィー(シリーズ)やらたれぱんやらすしあざらしのタマゴやら。
あと、チョコエッグの「ペットシリーズ第二弾」に 実家で飼ってる犬の種類がいたこともあって、去年一時期大人買いに走った 動物たちもたくさん並べてあるけどこれは少女趣味ではないから良いとしても。 (あのね、目的の犬は、なんと最初に7個買った時点で2個も!出たので 目的は果たされたはずだったんだけど、その後同じシリーズの 「日本猫」がどうしてもどうしても欲しくなってね、結局25個くらい 買っちゃったんだよね・・・・・。見事フルタの策略にはめられた私。)
あと当然トトロもしっとりしろたんもイエティもいます。 うん、でも自分で買ったものよりは貰ったものの方が多いかなやっぱり。
自分では、なるべくモノを増やさないよーにしよう、しよう・・・・、と 心がけてはいるので・・・・・。(買うときはなるべく小さめのモノを。)
こないだの日記の続きみたいになっちゃったけど。 続きついでにもうひとつ。
私は逆男女差別の激しい女だと思います多分 あまり良い事ではないんでしょーけどね。 「オンナノコなら許せる」みたいなのけっこうあるんですよね。 「あけおめ」だって、オンナノコが使ってる分にはまだ、 かわいーじゃないですか。男が使うのはいかん。 なんで「あけおめ・ことよろ」メールであんな憤慨したかって、 その元旦に送られてきた3通のうち、2通が男からだったからですわ。 その時私は友人たちと例年の如くカラオケオールしてて、 まぁそれなりに明るく楽しく新年を迎えていたわけです。 立て続けにそんなメールが入ったもんだからもう。なんじゃこりゃ!と。 大体「ことよろ」ってなんだよ!(去年もそんな事で憤慨したな。) 最早流行りことばってゆーより定番の挨拶になりつつあるって ゆーのもわからんわけじゃないが。
日本男児たるものそんな軟弱で良いのか!
などと少々見当違いの怒りがこみ上げてきたりなんか、するわけです。 せいぜいゆるされるのは10代まででしょー。 20代それも後半の男が、若いつもりで使うのってみっともなさすぎだよな。
しかし「オンナノコなら許せる」って思考自体もさ、 つきつめて考えれば大きな疑問にぶつかるわよね。 そうやって固定されてしまった思考をほぐしていくのってさ、難しくない? まず、疑問にすら感じないんだから、怖いよね。 「まず、何に対しても疑問をもってみること。考えてみること。」 大切なんだね。きっと。 私もまだまだまだまだ、甘すぎるよなぁ。(主に自分自身に対して。)
私は「なんでもかんでも男性と平等に!を声高に主張する女性」ってのも あんまり好きにはなれないんだが。 あ、その思想自体を否定するつもりはさらさらなくってよ。 実際に「対等」を望んで、努力して実現させていこうとする女性の姿、 逞しくていいですよね。 そして「声高に主張」する女性達を否定する気も勿論無い。 だって私には実際に社会に出て体験していないことだからわからないんだもの。 何も知らない女があれこれ言う資格ないでしょ?
でもさ、その話はおいといて。 私は「女性らしさ」「女性だからこそできること」なんてものも、 とても大切なものだと、思っているからさ。
しかし、自らの思考に「何の疑問も抱かない」ってのは、こわいことだ。 それって世の多くのバカオヤジ共と何ら変わらんじゃないか。 (世の男性全てを指してるわけではもちろんありませんよ。)
あとねぇ、私は 「中途半端なフェミニスト男」は嫌い。大嫌い。 中途半端に理解があるつもりになって、自己満足してるやつら。 それなら、いっそ 「昔ながらの頑固一徹オヤジ」みたいなほーが、よっぽどましよ。 まぁ、程度にもよるけどさー。あまりに古臭過ぎるのも、考えもんだわよね。 今時そんな奴もいないだろーけど。
一例挙げましょうか?
「僕は君が働きに出たいって言ったから、賛成してあげたんじゃないか。 共働きになって、僕も家事を手伝ってるじゃないか。 ゴミ捨てだってしてるし、風呂掃除もしてる。 これ以上一体何が不満なんだ?! それなら君が仕事を辞めれば済むじゃないか!」
とか言い出すような男よりは
「男は外で仕事。(=責任) 女は家を守る。(=責任)」
みたいなほーが(古いけど)、よっぽど好感持てるって感じかな。 まぁどちらも極端すぎるけどねぇ。
私の周りにも、「将来は当然ダンナに食わせてもらう。」って 考えの女、たくさんいるってことは紛れも無い事実だし。 つまり男性側の責任だけじゃないってことですよ。 私もその考え方は別に嫌いじゃないし否定もしないし。
(ただねぇ。終身雇用制もガラガラと崩れ落ちてる時代に、 そんな呑気な事ばかりも言っていられるのも今のうちだけだろ、 とは、思ったりもするけどさ。さすがに。 危機感がなさすぎるのも考えもんだわね。)
それにさ、結局本人達が良ければそれがどんな形であろうと バランス取れてるわけなんだよね。
こんなことつらつら並べ立ててる本人(私)だってさ、別に 「キャリアウーマンになりたい!」だとか(これって死語よねきっと。) 「男性並みにバリバリ働きたい!」だとか(男並みにって考え方自体古いな。) 微塵も思ってないわけでさ。 ただ単に今は何にも考えられないってだけでさ。 将来のことなんてね。
こーゆー話について語りだすと、長く長くなってしまいそうなので ひとまずこのへんにしときましょうか。ふぅ。
(もし不快に感じた男性の方いらしたら、ごめんなさいね。あ、女性も。)
しっとりしろたん と ゴマちゃん(@アシベ) ではどちらがかわいいだろう。
男の家に長い間おきっぱにしてたしっとりしろたんを引き取りにいってきた。 おかえりしろたん。
実は今日タイムリーにどっかの洗剤のCMであのゴマちゃんが 画面の片隅にのぞいていたので凄く気になった。 でもかわいさではやはりしろたんの方が上で。 でもゴマちゃんの声は私のこころをくすぐる。
ちなみにゴマちゃんは持ってないけどイエティならいるよ。
今年はぬいぐるみ買わないぞーーなどと思ってもみるものの、 実は11月に見かけた ”しろたんマット” が欲しい私。 でも年末品切れだったのよね。多分今度見掛けたら買うんだろうな私。
地元から戻ってきてみれば東京の寒さなどなんでもない。 もう二度と「最近寒くて凍えそう」なんて書きませんよ。 (多分すぐ忘れるけどね。うん。)
さすがに4年近くもここにいると身体が順応してきてしまったんでしょうねぇ。 でも友人たちのあいだでは、割と寒さに強い方らしい。 厚着嫌いだし。 ミニスカも生脚よゆーです。(地元じゃさすがに厳しいが。) つーかミニスカで分厚いタイツなんか履いてる奴ってどーなの? そんなん意味ねぇよ!無理すんなよ!とか突っ込みます。心のなかで。 だって見苦しいよ。パンツ履いとけ、ってかんじでしょーか。 あと、しましまのスパッツとかもわけわかんねぇー。
新年早々、イヤーなことがあったんですよね。(だから口調が荒れてる。) 多分去年のこの時期の日記にも書いてる筈だけど、 私 「あけおめ・ことよろ」 どーしてもダメです。 それでも去年はまだ、流行りことばみたいなもんだから仕方ないかなー位には 思っていたのよね。今年はもうほんと存在許せません。 それなのに!そんなメールがケータイに3件も届いた元日。 お願いだから!やめて!頭悪すぎだよお前らほんと!!!
そんなわけでそのまま無視して返信してません。 こーゆーことしてるからただでさえ少ない友人(&知り合い)の数が 減少していってしまうのでしょうが、 別にいーですよもう。 社会にうまく適応出来なさそうなこの性格も別に嫌いじゃないです。 (だからダメなんだな。)
冬に 地元から帰ってくると強く感じる 空気の違い
東京の空気はいつも 「におい」 がある。 不純物のにおい。 自然界に存在しないにおい。
夜の空気は澄んでいる。(少なくとも昼間よりはずっと。) 東京でも、星は見える。
わたしは夜明け前の 空の色が好き。 ゆったりとうつりかわりゆく色が好き。
それでも、 あの、 ぴん と張り詰めた 痛いほどの透明感は やはりここにはない。
だから何ってことでもないんだけど。
幼い頃から このことばが好きだった。 この漢字の持つ 強さ 潔さ うつくしさに 惹かれた。
このことばが 似合うような人間でいたい なりたい そんな風に。
ずっと思っていた。
日本語の ことばの持つ意味はとても深くて 美しくて あたたかく (私は日本語以外の言語については全く無知だけど。) 日本語って世界で一番素晴らしいとか勝手に思ってる。
7ヶ国語くらい自由自在に操る人間が言うならともかく、 日本語すら不確かであやふやなオンナがこんな事言ってても 全然説得力無いんだけどさー。ま、いいか。
とりあえず2002年になったらしいけど 私の日々の流れにはあまり特別な影響もないし関心もあんまりない。 でもね、お年玉貰っちゃったからとりあえず喜んどかないと!ワーーイ!! 「今年まで」なので!!ワーーイ!!(寂しい・・・・)
年賀状まだ一枚も書いてないや・・・・・。(バカ!)
暦の上で一年の始まりだからって 「今年の目標」なんて掲げるのも馬鹿馬鹿しいので (注:だってすぐ忘れちゃうんだもーーん!) そんな大袈裟な真似はやめておこうとは思うけれど。 まぁ目標なんてものは常々心がけていることが一番大切。 それを年初めにあらためて心に誓うのもそれはそれでよろしいのでしょう。 ひとそれぞれ。
私は50歳になったら *着物の似合う *お料理上手な 女になっている予定であると一応記しておく。 つーかそんな長生きする予定もないんだけどな・・・・・。 だからって「今年の目標」にするには無理がありすぎるし 期間を長めに設定しておいた方がよさそうだ、という気持ちの表れです。
いや、単に祖母から(一昨日) 「真理子さんも社会人になったら着付けとお料理の教室に通いなさいね。」 とやさしく諭されてしまって暫し眩暈がした、などということが あったような無かったような。いやあったんだけど。
着物を着てる女性を愛でる(眺める)のは好きだ。 あのなんともいえない色気がいい!茶髪不可! でも自分で着るとなると話は別・・・・・。 成人式で懲りた。着物は苦しい。辛い。 食べ物もろくに喉を通らないし・・・・・。
そんなわけで友人の結婚式やらに振袖で出席する気は全く無い。 料理食えないじゃん!!! だから私に着物は当分必要ないと思うんだけどさーーー。 そりゃ演劇や歌舞伎やらちょっとした集まり(?)なんかに着物でお出掛け! なーーんて優雅な生活、楽しいかもしれないけどあまりに現実味が無さ過ぎる!
しかし着物で生活してたら痩せそう・・・・・・。(食えなくて。)
若いうちって、いかにも「着物に着せられてる」って感じで 絶対似合わないって思うけど、 ある程度の年齢になって着物の似合う女性になれたら かなり格好良いかなーー、なーんて 憧れは、無きにしもあらず。
ま、これはあくまで長期的な目標のひとつということで・・・・・。
まぁ、言われたのが「着付けと料理」だけで良かったと思わなきゃなぁ。
祖母は昔お華の先生をやってたこともある人で、 母親も当然幼い頃から茶道華道書道みっちりお稽古通わされて 茶道の先生の免許も一応持ってる人だ。 着付けやお料理はある程度大人になってから通ったみたいだけど。
でも元来活発だった母親の性にはあまり合わなかったみたいで、 おかげで私は母親が「先生と相性が悪くてどうしても続かなかったピアノ」 だけを、通わされる(?)事になったから良かったのか悪かったのか。 その母親はといえば近年は40過ぎてから始めたテニスに没頭していて 試合とかも出てるし。 もうお茶もお華もほったらかしだけど。 茶道の延長で一時期はまっていた陶芸も、今は気分じゃないみたいで。 「テニスが出来なくなった時、あらためて楽しむ趣味。」にする予定らしい。
でも母親がそんな性格でほんと良かったんだろうなーきっと。 一応中学生くらいから時々、「お茶かお華始めてみない?」とは 言われていたものの「絶対イヤだ」と言えばそれ以上強要されなかったし 無理矢理通わされてたら最悪だった。ピアノだけで充分! 茶道だけは中学のクラブ活動でちょっとかじったけど 全然面白くなかったしもう忘れた。お菓子食べられるのが楽しかっただけ。
そんな私には日本人の雅なこころなど 理解するのはえらく時間のかかるはるか遠き道程のように思います。
とりあえず手近なところから。 「なるべく自炊しよう(和食中心で。)」 こんなかんじで。 うん。これならいつも思ってることだから大袈裟じゃなくっていいね!
この日記も、細々と続けていこうかなーと思ってます。 マイペースでね。
この場所(エンピツ)で出逢えた素敵な人への 感謝の気持ちも 別に年があらたまったからって わけじゃないけど いつも思ってることだけど
「ありがとう」を。
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