日記
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2001年11月30日(金) キラキラしてるものや高いところや温泉が好きなんです。



横浜って、好きです。
全然、詳しくとかはないんだけど。
「横浜」って言っても、
実際行くのは桜木町とか、中華街の方なんだけど。
横浜駅周辺自体は、買い物くらいしか、することないしねぇ。
でもそごうや丸井で働いてる友達がいるから、
たまに顔出したり、ご飯食べたりはするんだけど。

一昨日、桜木町に行ってきました。
海を見ると、せつなくて幸福な気持ちになる。
風がどんなに冷たくても。
先週も行ったんだけどね・・・・。最近横浜に引き寄せられる??

クイーンズスクエアのツリー、華やかで美しいです。
着いたのが、丁度午後5時で。音楽に合わせて、キラキラ光り輝く。
(確か4時からの1時間毎に、あるのよね。)
ああ。
先週も見たのに、今週も見てしまった。(あれ?なんか言葉がおかしい?)
一緒に行った相手が違うからいいのだ!
ぼーーっと見惚れてました。

前回の発言を訂正

飾り付けるのは12月24&25日だけでいいのよ!
1ヶ月も前から飾り付ける必要なんてないよ!


いやーまあ、たまにはいいかな、と。(なんて変わり身の早い。)


私はキラキラキラキラしているものに弱いのです。

でも! ツリーってセンス問われますよね!
ただ適当にもみの木に飾りつけりゃいいってもんではない!!

街に溢れる色とりどりの悪趣味な色の組み合わせの洪水は
なんだか胸焼けを起こしそう。



余談ですが私の部屋には、高さ26cmの、
ガラスのツリーがあります。
無色透明。「飾り」は、てっぺんの透明な星ひとつ。
かなりの、お気に入りです。
「これ」以上に私の心がくすぐられるツリーに、
出逢ったことはないくらい!!

部屋の明かりを落として、
キャンドルに火を灯す。
反射して屈折してちりばめられる、キラキラ。

どんな華やかな色の組み合わせも、その光には敵わない。

などと、毎年飽きもせず思っております。



コスモワールドの観覧車にも乗ったよ。(先週も乗った。)
やっぱり観覧車は夜だよねぇ。夜景綺麗。
ジェットコースターにも乗ったよ。2回も。(これは先週乗ってない。)

ジェットコースターって、
最初に急な傾斜をカタカタカタカタ上っていくでしょう?
その時、上っていく前方に、月がくっきり見えていてね。
そのまま空まで吸い込まれそうだったよ。
夜のジェットコースターもいいもんだね。
八景島以来だったよ。



今日はゼミの他に 卒業アルバムのクラス写真撮影もあり。
大学って「クラス」ってくくりが有名無実なところだから、
半分は知らない人だったけど。
何ヶ月か振りに、会う友人達も、たくさんいて。
なんか寝てないのに(寝てないから)やたらハイテンションで騒ぎすぎた。
あの異様な盛り上がりはやはり皆の心に重く圧し掛かる
卒論の重圧の裏返しに他ならないのであろうか?!

卒業旅行とは別に、みんなで温泉に行くことに急遽決まった!
あ、勿論同じクラスとか、全然関係なく。いろんなつながりで。
今のところ20人以上集まりそうな勢い。多分もっと増えそう。
宴会だー。露天風呂だー。枕投げだー(?)。

さあてちゃんと卒業できるものやら・・・・・??
(努力次第・・・・。)



さすがに40時間以上起きてると思考が混乱します。
いや、いつもだけど。
夜飲みに行った店の名前も飲み食いしたものの名前も忘れたー。
(でも美味かった。)

ねむいんだかねむくないんだか。






      ↑投票ボタンなのです。

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2001年11月26日(月) イエティって憶えてます??




さっきケーキ屋のドラマビデオで見たけど
今回はあまりケーキの出番がなかった。
回を重ねるごとにケーキの存在感が減っていっているようで
とても悲しい。哀しい。
ミスチル挿入歌は耳障りではなくなってきた。
曲数も抑え目になってきている模様。
やっぱさすがに視聴者の声とか尊重せざるをえなかったってことかしら?
タッキ―はどうでもいいです。
『魔女の条件』あたりからなんだか顎が突出してきたのですよね。
下顎の成長だけを密かに見守りたいと思っております。
でもジャニーズだからあれ以上出てきたら削るんだろうなぁ。
痛そうだ。
てゆーかずっと思ってたんだけど一時期より顎引っ込んでません??
気のせい?触れちゃいけない?
タッキ―の下顎変化について語り合ってくださる人募集中。(いるか)
あと、ドラマで
あの白い文字がカチカチカチカチ出てくるのだけはなんとかなりませんかね。


文章がなんかおかしいのはやさぐているからです。
卒論行き詰まり状態。
今日は友人との待ち合わせ時間まで渋谷のダイソー&ドンキー内を
ぐるぐるぐるぐるまわっていました。
今、先週の出費を頭ん中でかる〜く計算してみたらとりあえず6万超えてました。
人によってはたいした額じゃないだろうけどとりあえず今の私の収入には
見合ってない額です。自制しましょう。自省も。
袴にはやっぱりぞうりですか?それともブーツですか?
エレガントで美しくなおかつ品があるのはどっちですか?
決めかねています。
現在のところ4:6でブーツ優勢。
随分前に送られてきたまま封開けてなかったピーチ・ジョンのカタログ
今更ながら開封し隅々まで眺める。
(下着を中心とした通販カタログ)
美しい下着を身に纏っているとなんとも優雅な気分に浸れるものです。
冬は透けたりしないから派手な色でもOKですしね。
女の子の特権ですね。
男性は無闇に派手な下着を着けてはいけません。私の個人的好みとして。
ボクサーパンツは好きですね。


街はすっかりクリスマス一色ですね。
クリスマス、別に嫌いじゃありません。特別嫌な思い出もないですし。
世間がオメデトウって言ってる時はとりあえずオメデトウって言っとこー。
って性格なんで。でもね、飾り付けるのは12月24&25日だけでいいのよ!
1ヶ月も前から飾り付ける必要なんてないよ!
クリスマスソングも耳障りなんだよ!
去年ゲーセンでバイトしてましたが10月20日くらいには店内飾り付けしてました。おかしいです。早すぎます。店長に「早すぎてうざいよ!」って抗議しましたよ。でも聞き入れてもらえませんでした。店長 (25歳馬好き。競馬好きと言うよりむしろ馬好き。馬好きが高じて新婚旅行は北海道馬めぐりの旅だった。競馬を引退した馬がたくさん余生を送っているらしい。新婚旅行のくせに奥さんと撮った写真はたった3枚。残り300枚以上は「馬」もしくは「馬と俺」。でもお土産は大量のタラバ&毛がに&ホタテ&海老だったのですべてよし。私が「白い恋人買ってこなかったら口きいてやんない。」って言ったらちゃんと買ってきたしな。)  曰く、「どこよりも早くクリスマスにするんだ!!!」だって。わけわからんですね。
3メートル以上あろうかとおもわれるツリーの飾り付けしたの私です。電飾1個ずつはめてくのかなり大変だったの!そしてそれを巻き付ける作業の大変さといったら!!生まれて初めて脚立に上りましたよ!
まぁ私以外の人達は機械の大移動等でかなり重労働だったようで何倍も大変そうでしたが・・・・・。
そうそう、そのツリー。今時ありえない装飾。
なんと、「白いわた」!!!(わかりますよね?)
絶対これはやばいから止めた方がいい!って言ったのに―。
これも聞き入れられず。古臭いのにー。ださいのにー。
そんなわけで苦労した割にはなんともしょぼい仕上がりでしたとさ。
余談ですがその店長と私はもともと仲悪かったのよね。
付き合いは半年程度(途中から店長になった。それまで同じ会社内でも他の仕事してたので私は面識なし。私よりバイト歴長い人達はそれなりに付き合いもあったみたいだが・・・。)なんだけど、初対面でいきなり喧嘩売られたので。
いや私はバイト先ではおとなしいキャラだったんですよ?
人間関係が鬱陶しくなるのが嫌でわざと希薄にしておきたかっただけですが。
それなのに。どうやら本性?見抜かれたみたいで。
なんか挑発してきやがったのでふーんおもしろいとか思って乗りました。
ええ見事にはまりました。乗せられました。
周りの人達、固まってました・・・・。

まぁその後時を経て和解しましたけどね・・・・。(表面上)
ってか食べ物につられた。よくケーキとかドーナツとか買ってきてくれたし。
ただ私だけ最後まで「さん付け」で呼ばれてたなぁ・・・・。
その他全員呼び捨てだったのに。
かなり扱いに困ってた様子ではありましたが自業自得ってやつです。

ちなみにクリスマスのゲーセンは常連とカップルで埋め尽くされてます。
それ以外の人は足を踏み入れてはいけません。
ってか自分も入ったことないけど。仕事は当然お休みでしたので。
ゲーセンの常連はいつも同じ服です。
ゲーセンの常連は名前を憶えてもらえないと機嫌を損ねます。
知るか!お前の名前なんて!私は必要ない人間の名前は憶えないんだよ!



あーーーーーー卒論の息抜きに書き始めた日記でしたがなんだかとんでもなくまとまりつかないですね。しかも改行めんどくさくて殆ど無視してるから読み難いったら。

イエティは我が家にいます。タテ21cmヨコ21cmのぬいぐるみが!!
そう、これは確か小学校6年生の誕生日。転校する前の小学校の一番仲良かった友達が送ってくれたのですよ。宅急便で。嬉しかったなぁ。箱開けてイエティが出てきた時の驚きと感動(そしてなんともいえない笑い)といったら!それはもう。
一人暮らしする際、殆どのぬいぐるみは実家に置き去りにしてきましたがそれでもこいつとトトロ(大)(小)だけは持ってきたのです。
その後ミッフィーやらたれぱんだやらいろいろ増殖して結局いつまでたってもどことなく少女趣味な部屋から抜け出せずにいる自分。
でも捨てられないの。


そーいえばあの銀行合併したらミッフィーはどうなっちゃうんですか?
一応通帳持ってるんで気になるところです。
私のメインバンクはキティの銀行ですがキティは嫌いです。

もう午前5時ですね。ハァ・・・・・・・・・・











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2001年11月23日(金) 不正アクセスって。不正アクセスって。

なんだろね。
表示されるたび、わけわかんないのでおびえてしまう。


今日は
明太子スパをつくった。
しめじをバターで炒めてパスタ入れて明太子と混ぜて。
刻み海苔をぱらぱら。
簡単で美味しくていい。

大根の煮物をつくった。
おかめ大根。
やわらかく煮て、とても美味しい。
大根だけ?
うん、大根だけ。

茄子の煮物もつくった。
なんで大根と一緒に煮ないの?めんどくさいじゃん。とか
言わないように。(誰が。)

茄子の煮物は温かくても冷やしても美味しい。
大根は温かい方が断然いいね。


あと雪見だいふく食べた。(これは作ってない。)
あとファミマのティラミス食べた。(これも作ってない。)
あと林檎食べた。蜜がいっぱいで、さっぱりすっきり甘い。


以上、本日の晩飯。
こんな日記でいいのか?!


ANNA SUI限定ネイルはとてもいい(輝きっぷり)。
にやけています。

幸福です。



私はAIBOなんて絶対欲しくない。欲しくない!!
茶色くてむくむくしてる犬なら欲しい。
まっ白な猫もいい。
まっ黒な猫もいい。
ぶちぶちもようの、「いかにも雑種」な猫もいい。
なでなでしたくてたまらない。

Mステ観ながらそんなこと考えてたよ。













☆My追加☆



2001年11月21日(水) 『 なにかを感じてもらえたらうれしい 』


今日は高速で時速100kmぶっとばしてきて
爽快でした。(にっこり。)

しかしあれです。
教官は手のひらにプツプツつきの白い手袋で
運転中の生徒の手をなでなでする新手の敵でした。
素手もキモイけどプツプツもキモイ。


私は今日あまり機嫌が良くなかったので

「その手袋プツプツしてて気持ち悪いですね。」 (←真顔で。)

って言ったらその後は私だけ触られなくなりました。


あ、ちなみに生徒は女3人でした。

高速道路からの帰り道、
教官(推定55歳。)は身の上話をちょこっと始めました。
私を含め全員が大学4年生で春からは就職だからでしょうか。

「わたしはねぇ、去年までダ○エーにいたんだ。
 でもリストラにあってねぇ。ははは。それで今の仕事に就いたんだよ。
 人生なにがあるか解んないけど、大丈夫だよ。なんとかなるから。ははは。」


うん。
オッサンもいろいろ大変だね。
そりゃたまには若い女の子の手くらいは触って
元気出して頑張ってよ。
(でも自分がされるのはいやだ。)



今日はとってもいい天気だったね。






投票ボタン。
というものがある。


意味や捉え方って、ひとそれぞれだと思う。

「共感。」とか、「うんうん。」とか、「読んだよ。」とか、「あはは!」とか、

ひとそれぞれで、いいと思う。


投票ボタンに、
短いメッセージをのせているひとも多い。



私はずっと、「投票」のままでいた。
シンプルでいい。

最近は、少し変えている。
「意味」は同じでも、
なんとなく押してくれる人との間に 一方的ではない
「コミュニケーション」が 生まれるような感覚がして
だからきっと、変えてみる人ってみんなそんな感覚なんじゃないかな?と
そんな風に思う。

だから私は、どちらも好き。
「投票」でも。
「文字が変わるボタン」でも。

「ぽち」って押す時の「気持ち」は変わらないものだから。



色々な人が「自分なりの」ことばを、さりげなく。




『 なにかを感じてもらえたらうれしい 』


こんなことば(気持ち)を、のせているひとがいる。
私は、凄く凄く好き。
ああ、まさにこんな気持ちなんだなぁ、と思ったのだ。
7月頃かなぁ、丁度私も、投票ボタンになにか短いメッセージでも
のせてみようかな?なんて思っていたところだったのだけれど。

これを見て、
「ああ、かなわないなぁ。」
と思った。
このことば以上に、
私の伝えたい気持ちに勝ることばは、ないなぁ、って。


 なにかを感じてもらえたらうれしい


これは、たかが私の日記(ひとりごと)でしかなくて。
それでも、何かを感じてくれる人が
いてくれたなら、それは、私にとって・・・・・・。


だから、それっきり長い間、投票ボタンはそのまんま。


私は無闇に人真似をするのはあまり好きじゃないのだけど、
大好きな人、尊敬してる人、
そういう人の「真似」をするのはとても好きだ。
空気の片鱗に、触れられるような気がするからかな?
例えば、本とか。映画とか。時として言葉とか。

私自身が、無趣味で言葉も知らなくて、うすっぺらい人間だからね。


彼女のことが、とても好き。
だから、この「ことば」も、

真似しちゃおっかな?というきもちも、
なきにしもあらずという感じ。
なのだけど。

実は今でも。(笑)


それでもわたしは、
「自分なりのことば」を、
見つけたいなぁ。

イヤ、ただのちっちゃいボタンなんだけどねぇ。



なんとなくね。
ふとそんなことを考えてしまう時もあったりして。



相変わらずなかなか前進しない毎日。
明日も晴天。
ANNA SUI限定ネイルでも買いに行こうかと。
美味しいランチを食べて。
夜は卒論とにらめっこ。

  ぐるぐるぐるぐるぐるぐる           ぐるぐるぐるぐるぐるぐる





そんなわけで。
今日だけちょこっと、
お借りしちゃいます。











☆My追加☆



2001年11月17日(土) 『蜃気楼の見える街』



富山県に住んでいたことがある。
もうずっと昔のことだ。


「蜃気楼」って、御存知の方も、きっと多いかな。
コムズカシイ仕組みとかは、良く憶えていないけど。

富山湾って、ぐいっと深くえぐれているのだけど
春になり海面の気温が上昇して
その上に立山連峰の冷たい冷たい雪解け水が流れ込み
海面に急激な温度差が生じて
大気中で光の屈折が起こり

遠く対岸の街並みが


突如海の上に浮かび上がる。


あたかも其処に「存在」するかの如く。



一度だけ
その蜃気楼をこの目で見た。
今でもおぼろげに、頭の中に残る記憶。




「仕組み」を知っていても
そんな知識意味をなさない不思議な感覚。



時折こうして思い出す。

「もう一度、見てみたい。」
そんな風に思ったりもするけれど。
きっと唯一度しか見たことがないから
本当に偶然の「出逢い」だったから
だからこうして大切な記憶になっているんだろうと
そんな風に感じている。



つまり


人生は一期一会ってこと。




あれ?論点がずれてる?




明日の夜(正確には11月19日の午前2:30頃かな。)
しし座流星群、見に行く人は多いかな。
私も、都心から遠く離れた場所へ出向いて行く予定です。
(イヤ私の住んでるとこからして既に都心ではないのだけれども。)
綺麗に見えるといいな。
晴れるかなぁ。雲がないといいのだけど、微妙なところかな?

メテオストーム。

深夜は冷えるので、あったかくして行きましょうね☆


2001年11月16日(金) 卒業(予定)とか衣替え(完全版)とか登録とか。

卒業旅行はハワイになる方向。
70%位の確率で。

「なんかあってもどうせ日本人だらけなんだから。なんとかなるだろ。」

といった理由で。
安いし。
でも世界情勢は日々変化しているのでまだ未定。
あーヨーロッパ行きたかったなぁ。


卒業式に着る袴の色もそろそろ決めないといけないのよね。
んー赤×濃紺ってのがやっぱ渋くていいかなぁ。

カタログはパステルカラーの組み合わせで溢れてるけど理解不能。
別にいいんだけど。みんな一緒じゃつまらないしね。




私ってば。
・・・・・・卒業できるつもりでいるようです。無意識のうちに。
まぁ。なんて能天気な。



夕方帰宅したら

急激な吐き気に襲われて倒れるようにうずくまってそのまま寝込んだ。

誰も聞いてやしないのに一応説明しときたいんだけどつわりじゃありません。

単に徹夜したくせに昼飯バクバク食ったからです。

2時間くらい、寝て起きたら

コンタクトレンズが目に張り付いてて痛くて。うう。

で、超おなか空いてたので閉店間際のスーパーへお買い物に。





そういえば「衣替え」が中途半端だったの突然思い付き
今更ながら衣替え完全に終えました。
急に寒くなった時慌てて冬服引っ張り出したけど
中途半端に夏服仕舞いそびれていたのですよ。
ついでにもう2度と着ない服まとめたり。
でっかい衣装ケースの中身全部出して詰め直して。
もう絶対に着ない服って、いつもまとめて実家に送り返してます。
殆どトップスばかりだけど。
ボトムスって、そんなに流行の移り変わりが激しくないというか。
サイクルが短いから、すぐに復活したりもするし。定番モノも多いし。
完全に姿を消してたミニも、最近復活してるみたいだし。
(私は殆ど履けないと思うけど。)


あ、ピンク色のスカートが11枚もあって自分の事ながらびっくりしました。
大学1年から、大学3年の夏くらいまでの期間のものですけど。
なんだかキラキラしてるのやらパッキリした色のスリット入りタイトやら。
眩しいです。思わずずらっと並べてみたら目がチカチカしました。

多分もう、そうそう着る機会はないでしょうね。



本日購入した


ボルドー のコーデュロイジャケット(MORGAN) と
ブルー×ホワイト のニット と
渋めのパープル で
スウェット素材のオフショルダー型カットソー(とでも呼べばよいのだろうか) と
ベージュ のほっそい2連ベルト と
エメラルドグリーン のロンマフ と


ベッドの上並べて嬉しがってました。

ロンマフってロングマフラーですよ念の為。
私、
ロンマフって嫌いなんですけど。
だって長々しくて邪魔くさいじゃないですか。
でもうちには3本もあります。なんでだ。
だってキレイな色のロンマフ見るとついつい。

てゆうか多分私の身長があと10センチメートル高かったならば
きっと好きになっていた筈。

だって私の体型だとどうにもアンバランス。
なにぶらさげてんの?みたいな。

だから嫌い。でもちょっと好き。


ほんとはロンマフよりパシュミナが好き。
でも今年は息を潜めていますね。どうしたのでしょう。

去年買った濃いブルーのパシュミナ
一昨年買った淡いピンクのパシュミナ

とてもやわらかくて、綺麗な色で。
大好きなので流行じゃなくても時々使ってしまいたい。






私はとても意志が弱く自分に甘い人間なので
何かに追われてると別の事に逃げたくなったりします。
そんなわけで最近エンピツ内を徘徊。
面白い(と一言で表すわけにはいかないのですが。)日記さん発見しては
一人密かに喜んでます。
そんなわけでこっそりひっそり登録しちゃおうかと。
さながら「Myエンピツ登録強化週間」?

何でこんなことわざわざ書いてるかっていうと、
私が登録させていただくと
礼儀正しくわざわざあちらからも登録し返してくださる方が
今まで何人もいらしたのでなんだかそれも申し訳ないわぁ。と。
思ってしまうのです。
つまり私はこっそりひっそり覗かせて頂くだけで充分なので、
ワザワザわたくしなんかの日記見てもらうのはなんとも。
ああ、なんだかスミマセンってかんじで。
そんなわけでこんなのがこっそりひっそり覗いてますけど
気にしないでくださいねー害はナイですから。
と、この場で変なご挨拶を。

そーいえば、登録してくださった方に自分からも登録する、って行為は
どうなんでしょー。
あのね、自分が「してもらう」側だと、申し訳ないながらもなんか嬉しいような
気がするものなのですよ。
でもね、自分が「する」側となると。なんだか。
出来ないのですよ。
だって、なんだか軽い気持ちでうっかり登録しちゃっただけかもしれないしー。
イヤになって「読むの止めよう」って思っても、
相手(つまり私。)からも登録されちゃってると
うかつに自分から削除できにくくなりそうだしー。
まぁそんなかんじ。
そんなこと考えるのって変かしらね?
でもさ、BBSに書き込んでくださったり、メールくださったり、
してくださる方々には、
少なくとも自分と言葉を交わしたことがあるのだから、
こちらからも登録させてもらってもいいかな?
って思うのですよ。だからそうさせて頂く事にしますね。
あのね、ただ単に「登録されたから返しただけ」って思われたくなかった
っていうのもあると思うのですよ。
だって、自分で見つけることは出来なかったかもしれない
面白い日記さんに、たくさんであえて。
とても喜んでいるのは、私の方なんですもの。


こーゆー「どーでもいいこと」で何故か考えちゃう小心者な私って。
ひねくれた物の見方しないで、スッとあたりまえのように行動できてしまう
スマートな人ってなんだか憧れちゃいますね。



最近発見した日記ばかりでなく、
結構以前から読ませて頂いていて、
でもしそびれてた方もいらっしゃったりするのですよ。
私ってば、現実世界もネット上でも、社交的になれない。変われない。
自分から挨拶、とかって、あんまり出来ないかなぁ。(勿論ネット上で。)
あ、でもたまにするけど。ね。
っていうか、しちゃうんですよ。どうにも言葉を交わしたくなってしまう人に
出逢うといくら非社交的な私でも。



まぁ大体こんなようなこと随分と前にも書きましたよね。
んー私ってほんとなかなか進化していかないのだわ。
ま、無理に作って変えるのって嫌だから結局これでいいんだけど。




ちなみに →【随分と前に書いたこと】


2001年11月14日(水) そんな「つながり」 まやかしですわ。


寒い季節に熱く燃える男達を愛でるのもよろしいかと。



これ昨日の感想。

試合は素晴らしかった。
その後の飲み会でも久々にはしゃいでしまった。




秋ってとても好きな季節なのだが今年は違う。
とても寂しくて切なくて追われていて辛い。苦しい。
元凶はどうやら卒論だけではないようだ。



最近初対面の人間に立て続けに
「ひとりっこ??」
とか聞かれてマジでびびった。
そんな事言われたの21年間生きてきて初めてだっつーの。
大体その基準ってなんなんだ。
しかし世間一般では兄、姉は多少の我慢を強いられてきた経験を持つもの
なのかなーとは思うけれど、わたくしは
「おねえちゃんなんだから我慢しなさい!」等の科白は
親に言われた経験がないのです。
てゆーか良く出来た姉(多分10歳くらいまで。)だったので、
親に言われなくても自分で譲ってたってかんじ。
しかもうちの親は
「おねえちゃんの方が年上なんだからおねえちゃんが優先。」
て感じの人だったので。
その点ではほんと親に感謝。弟、ごめんよ。

まぁーずっと弟大嫌いだったけどね。
凄く仲良くなったのは私が高1で奴が中2の時。



今日帰宅したらTVで「携帯依存症」がどうの、とかやってた。
あれですね。馬鹿馬鹿しいですね。
私は結構ケータイで人を判断しているところがあるかもしれません。
常に新機種出る度買い換える奴とか着メロ毎日のように変えてる奴とか
まぁーその人の勝手ですけど。私は好きじゃないっす。
なーんかアホまるだし、って感じ。
てゆーかそれはたぶん逆で、
たまたま私の嫌いな人間にそーいう人種が多いだけかもね。

私の中で、
「トイレにまでケータイ持って入る人や月額料金3万円越える人」で
仕事で使ってる人とか遠恋中の人たち 以外は
ちょっと変〜〜とか、思ってしまいますね。
私の身近では、弟がまさにそんな感じでしたけど。



「つながっていたい」という キモチ

わかんないわけじゃないけどさ。
現代人のココロのスキマを埋める小道具ってやつ?


私は用がなければケータイメールは送らないので。
用がなくても何かと送ってくる友人はたくさんいますが・・・・。
みんな、メール好きよねぇ。
基本的に、気が向いたら返信するようにはしているつもりなのですが。
「用事」でもない限り、そっこー返信、て事には大概ならないのです。
だってケータイに注意払ってないし。
大概気付かないし。
しかも返信に困る内容多数。
てゆーかぶっちゃけどーでもいー。

さすがに私の反応の悪さに気付いたのか
最近はメールの数も以前よりは減ったような。
いいですいいです。用がある時だけメールしてください。


あれですね、例えば用事があってでも電話で話せないとき。
授業中とか、電車の中(ほんとはいけないよね?)とか。
確かに、便利です。メール。




あ、メールはメールでも、
普通のメール(パソコンで)は、割と好きなんですよ。
私の中では別のモノです。




「つながっていたい」という キモチ

わからないわけじゃない。
と、思う。

高校生の時。
ベルは手放せなかった。
いつでも連絡が取れる。それが堪らなく嬉しかった。
用事なんてなくても。送っていた。送られてきた。
寝る時は枕元。
今思えば電話で数字打つのなんてめんどくせ〜!!ってかんじだけど。
ほんとはケータイ欲しかった。
田舎だった&うちの親厳しかった、ので。無理でした。
高2あたりからちらほらピッチ持ち始める子もいたけど、
うちの学校はせいぜいクラスに3〜4人、くらい。
高3になっちゃうと殆どの子は受験でそれどころじゃないし、
地味で真面目な校風&そういう人が多かった、ってことで
バイトとかもあんまりやってる人いなかったし。
私も一時期ピッチ持ったけど、(正確には持たされたと言うか、借りた。)
すぐに返したしなぁ。
でもさすがに今年教育実習に行った友人の話では、
「クラスのほぼ全員がケータイ保持者。」
だったそうだ。
当たり前だけど。時代は流れるってことよね。
あの頃は通話料とかも今よりずっと高かったし。
父親がケータイ持ってるの、凄く羨ましかったかな。
そんな私も高3の終わりにやっとケータイ買ってもらって
ワーイって喜んでました。ははは。 




お仕事してるわけじゃないのに、
ケータイのメモリ500件とか600件、な人とか。
「そんなかであなたの本当の友達は何人?」って
聞いてみたくなりますね。

私は200件ちょっとですけど。まぁ少ないほうなのかな?
その中で、私の生活とか日常とかに「必要」な人は
多分20〜30人くらいでしょうね。
大学2年生くらいまで、ケータイのメモリー消すのが好きでした。
なんかね、100件超えるとちょっと気持ち悪くなってきて、
150件近くなると、一気に50人くらい消すのよ。
だってもう二度と会わないんだもーーん。
(そして忘れた頃に電話かかってきて「誰?」てなり焦ること多数。)
・・・・・その行為はその行為で、何となく
「現代社会における希薄な人間関係」を表しているようないないような。
最近はそんなこともしなくなったので微妙に増えすぎです。私の中では。
近々大掃除をしてしまおうかと。



たまに聞くんですよ。
メモリ500件超えてる友達とかに。
「そんなにたくさんうざくない?邪魔じゃない?消したくならないの?」とか。
「必要な人だけで充分じゃない?」とか。
でも、
「なんか友達たくさんって感じで嬉しいから。」とか
「全部必要なのっ!消せないのっ!」とか言われましたけどね。
あれですかね、やっぱり

 ワタシにはこんなにたくさんの「つながってる」ひとがいるんだわ。

って感じなのでしょうか。
まぁ、他人の事なのでどーでもいいんですけどね。




なんでこんなどーでもいーことを延々と書き綴っているかというとですね。

「逃避」 以外のナニモノでもありません。

あーもうこの辺にしときましょ。



2001年11月12日(月) 雨上がりのシモキタ。

片方の目にしかコンタクトレンズを入れていないと非常に危険です。
当たり前。
ものもらいは大体治りかけていたのですが昨日目を酷使したら
なんだか再び悪化しかけたので
今日は右目のコンタクトを外して行動していました。
危ないですね。でもゴミが入ったの何だので、よくやります。
シモキタで井の頭から小田急乗換えのとき階段踏み外しそうになりました。
コワイコワイ。


帰宅してお洗濯しながらワイドショー見ながらお菓子食べて
それから4時間くらいお昼寝して(目が痛かったから。目が痛かったから。)
晩御飯にはキムチ鍋を作ったのだけれど
キムチ鍋じゃなくてキムチ風味の豚汁になった。

えっと、原因は
うっかり何も考えずに味噌を入れてしまったから。
そして入れ過ぎてしまったから。
キムチ鍋の素より味噌の味の方が勝ってしまった。


キムチ風味のトン汁でもなかなか美味しかったのでよし。
デザートはハーゲンダッツ。


まぁたまにはそんな日もあります。


明日は、
高校時代の同級生に、
「最後の試合だから、どうしても観に来て欲しい。」って言われてて。
うーん青春(?)してるのねー。


観に行ってやるから、負けんなよ。


2001年11月10日(土) 目が!

えっと、
右目が「ものもらい」になりました。


痛痒いです・・・・・。



この日記の記録によると、

6月9日(参照)
 にも「ものもらい」になっていたらしい。

いつもくだらないことばかり書いている日記であっても、

こうしてたいそう忘れっぽい私の記憶を微妙に助けてくれたりするのですね。




そんなわけで、

今日は教習所に行くつもりだったのですが、

なにしろ右目が半分しか明かないのに運転は危険だろうと、

しかもこの不細工な顔で外に出るのは嫌だという乙女の羞恥心が

当然圧倒的に勝利したので、

おとなしく夕方まで家でごろごろ。寝てました。




眼科行け、ってかんじですが。

(土曜日でもやってるところあるのかしら?)





そうしたら夕方、母からメールで




「もう免許取れたー???
 この間送った柿と梨おいしかった?」




とか聞かれたりしたので、

あ、うちの母親は今年の2月に初携帯(iモ)を持って以来、
1〜2週間に1回くらいの割合でどーでもいいメールを送ってくるのですが。






「タイトル”ものもらい”

 右目がものもらいになったから教習所休んで家で寝てた。
 免許はまだ取れないと思う。大丈夫。多分卒業までには取れるから。
 柿と梨は美味しかった。」





と返したのですが、




そしたらまたメール送られてきたのですが、
その内容を一字一句違わず掲載してみます。







「Re:ものもらい。

 ばかだねー薬局へ行って、ものもらい用の目薬買って差せばよかったのに。
 私なんて、10年も前に買った目薬冷蔵庫に入れてあって、この間も
 痒かったので差した。 あんまりひどくなったら、医者に行った方が、
 いいのかな?早く言えば良かったのにー。  」












・・・・・・・・・。









お母様、あなたは、









10年も前の目薬を使っていらっしゃるのですか?????












そこで私は母に再びメールを送った。




「Re:Re:ものもらい。

 お母様、10年も前の目薬は、あまり目に良くないのではないでしょうか?」






 



母から再び返信。





「Re:Re:Re:ものもらい。

 さっき冷蔵庫の中見てみたよ。
 ○○○○(メーカー名)の、▲▲▲▲(商品名)ってやつ。
 93年が有効期限。1000円だったよ。
 真理子の話聞いたら私もなんだか目が痒くなってきたから、差しといた。」












・・・・・・・・・。



あの、私の質問に対する解答に、なっていない気がします。








私はまたもやメールを送りました。






「Re:Re:Re:Re:ものもらい。

 今は2001年ですよ!!!!!!」









そして母から返信。






「Re:Re:Re:Re:Reものもらい。

 知ってるよ。」








馬鹿馬鹿しいのでもうそれ以上何も言わないでおこう、と思いました。

そして私は、すっかり日が落ちて暗くなったのを見計らって、

近所の薬局に行き、

母親愛用の目薬の最新版を購入してきました。

ちなみに、10年も経つと、さすがに同じメーカーながら

商品名は微妙に変わっていました。

有効期限は2004年4月です。

私は有効期限をきちんと守りたいと思います。








こんな母ですが、一応大学は薬学部でした。

でも、20歳のときに父親が急死して、

結局大学3年で中退したから薬剤師の免許は持っていないんだけどね。






ただ、母の兄が薬剤師で、薬局等(その他色々。)を経営しているので、

我が家(実家)には色々な薬があります。

よく送られきたり貰ったりしてるので。

風邪薬や胃薬なんか、各メーカーのものが取り揃えてあって、

よりどりみどり。選び放題です。






それなのに。











アンタ、兄貴に目薬くらい送ってもらえよ!!








ってゆーか、いい大人なんだからそれくらい自分で買うべきですな。






えっと、来週母親の誕生日なのですが、
プレゼントはもう決定です。





皆様、目は大事です。
大切にしましょう。

おわり。



(卒論は今日も進まず・・・・・。)



2001年11月09日(金) ゴキ来襲の悪夢に悩まされる日々。


えーと、
この日記で、
8月末から9月前半にかけての一連の「ゴキ騒動」を記していましたね。

そうです、生まれて初めて私の家にゴキが現れやがったのでした。

まぁ、今思い返すと笑える話ですが当時の私は恐怖に震えていました。



やがて騒動も一段落し、その後私は平穏に毎日を過ごしておりました。

吉祥寺のカラオケ店で巨大ゴキと遭遇したりはしましたが。





でもその「平穏」は、表面上の事。


























今でも現れるのですよ。










夢の中で。











そう、2週間に1回くらいではありますが。

今も
文字通り  「悪夢」  に悩まされる日々です。





「そんな、所詮夢なんだからたいしたことないじゃーん。」

って、思われるかもしれませんが、

いや確かに冷静に考えれば私だってそう思うのですが、

夢の中にいるときは夢が夢だと認識できていないわけでしてつまりは。

そりゃもう怖いのです。




つい2日前にも、

その日は彼氏と仲良く寝ていたのですが、

夜中の4時半に目が覚めました。

彼氏くん、
「大丈夫?凄くうなされてたけど。しかも何か、 揺れてたよ。」






・・・・・・大丈夫なわけありません。



ああ、起こしてしまったのですね。それほど酷くうなされていたのですね。

ちなみに彼氏との付き合いは結構長いのですが、

普段とても寝相が良く、寝言も言わない私なので

こんな事は初めてなのです。







夢の中でいつも私は

知らない部屋にいます。

知らない部屋なのだけれど、そこは何故か「私の部屋」という
設定になっているのです。まぁ不思議。

そしてゴキは現れます。

そんな大群でもなく、いつも4〜5匹くらいなもんです。

私は、ゴキスプレーを手にして、

そいつを吹きかけます。






現実世界なら、この時点でゴキは悶え苦しみ、死に至る筈なのです。

ところが、なにしろ夢なので、死にません。死なないのです。

そして私に向かってくるのです。

そして飛ぶのです。

私は実際にゴキが飛ぶところを見たことはありませんが、

夢の中で確かに奴等は飛び回っていました。




私は必死にゴキスプレーを吹き付けまくります。

そりゃもうひたすら吹き付けまくるのです。

そのうち、部屋中にゴキスプレーが充満して、

部屋は霧がかかったように真っ白になるのです。

私はもう苦しくて苦しくて、

窒息しそうになりながら、

飛んでくるゴキを手で追い払いながら・・・・・・






そこでいつも目が覚めるのです。






つまり、正確にはゴキに襲われたと言うより












ゴキスプレー(霧)に襲われた











という感じなのですよ。
まぁ、元凶はゴキなのですが。



夢じゃ、バルサン焚いて退治、ってわけにもいかないしなぁ。
その前に、今度はバルサンの煙で苦しむ夢になってしまいそうだ。





で、私今日ふと思ったんですが、

この夢は












日に日に重くのしかかってくる

卒論の重圧







を表しているのではないかな、




なんてね。







逃げ惑っても振り払っても私の周りを飛び交い

気休めのスプレーごときじゃなんの解決にもならず

むしろその気休めが私の首を絞めるかのような・・・・・・・。









考えれば考えるほど、ナルホドそんな気がしてくるのです。




そんなわけで、

卒論頑張ります。




無事提出できたら、もうあの夢を見ないような・・・・・

そんな気が、するのです・・・・・。







最近、
お洗濯したい、お布団干したい、そんな日に限って
雨が降るのでほんと困りますね。


2001年11月06日(火)   死んだ父親の写真

写真は

一枚しかなかった。

私の家には、ずっと。

会社のデスクで、笑っている写真たった一枚。



葬式で使われた筈の「遺影」も、 私には思い出せない。
きっと父親の両親の家にあるのでしょう。
もう縁を切った人達だから、わからないけれど。



「写真」は、本当はたくさんある。らしい。
死んだ父親が遺した家の、物置の中。

まぁ、理由は簡単な事。
「新しい父親」と、暮らしていく為。
全て其処に、「置いてきた」。母親がね。

それはまぁごく自然な事なのだろうと思うよ。



「写真」なんて、何の意味も持たないような気もする。
「写真」を、何かの繋がりの証明みたいに
後生大事にいつまでも何度でも見返して思いを馳せて、
そんな後ろ向きの行為は馬鹿らしいとしか言いようがない。

それでも、私は


「証明」が欲しかった。


触れた記憶も 言葉を交わした記憶も

どんどん遠くなっていく。

忘れたくないのに。



「甘えてる」 自分でもそう思う。
いい年して一体いつまで 子供みたいに。
いい加減にしろ、と。



高校3年生のときだった。
祖母が29枚の写真を 私にくれた。
昔の写真。
そのうち8枚は、両親の結婚式の写真。

「私が持っていても、いつ、突然死んでしまうかわからないし、
 そうしたら、この写真も、
 どこかに紛れて捨てられてしまうかもしれないから、
 真理子さんが持っていたほうがいいと思うのよ。」

そう言って。手渡された。
そこには、「父親と私」の姿があった。
そんな写真を見たのは初めてだった。

大きな手。背はあまり高くない。私を抱いて。笑って。

一緒に写った写真は、5枚あった。



弟は、少し可哀想かもしれない。
大概、第2子というのは写真が少ないものだ。
しかも、父が死んだのは彼が4歳の時だからね。
一緒に写った写真は、もしかしたら
「物置」のなかに、あるかもしれないけどね。

いつか、探してあげようと思う。


その29枚の写真の中に、かろうじて弟が写ってるやつも
3〜4枚はあったので(どれも私と一緒に写っているものばかりですが。)
見せてあげたのだけれど、
第一声はこうだ

「俺のお父さんって、こんな顔してたんだね。」

そう、家にあった唯一枚の写真も、
母親が戸棚の奥にひっそりとしまいこんであったものを、
私がこっそり見ていただけだったのだから。


顔なんて憶えていなくて当たり前だ。


「逢いたいね。」


弟の口から、そんな言葉が出るなんて意外だった。
でも、無理もない。
弟は、「新しい父親」とは、合わなかったから。
だから余計にきっと。



昔を想う。 なくしたものを、想う。
そんなの馬鹿げた事かもしれない。
建設的じゃないね。

でも、「思い出」がなきゃ生きていけない。
少なくとも、私はそうだ。
情けなくってもいい。



弟が、「結婚式の写真が一枚欲しい。」と言ったので、あげた。

何故、そんなもの欲しがるの?と、
他人は不思議に思うかもしれない。

それはきっと、あいつも
生まれてきた意味、とか
自分の存在の意味、とか
そんなものが、欲しかったんじゃないかな、って思う。
これは、想像に過ぎないけどね。
ずっとずっと母親に「お前なんか生まなきゃよかった」と
言われ続けて生きてきた弟なら、多分尚更。






私は

長く生きることなど有り得ないと思っていた。

ずっと。小さい頃から。
ぎりぎりで想像がついたのは、20歳くらいまで?
今の私でさえ、想像がつくのはせいぜい30歳くらいまでだ。

例えば、「結婚」とか「出産」とか
私には何の現実味も持たないものだった。
どうしても、私には何の関係もないもののようにしか見えなかった。
今も、変わらない。

学校の、文集の寄せ書きで
『将来の夢』を書くときに必ず
「長生き」だとか「100歳まで生きる!」とか
書いている人がいて、とても不思議に思っていた。
そういう「概念」を、持ち合わせていることに。


多分、「ただの逃避」。きっと。
なんとなく、「長生きしたくない」って思いが、
心の何処かに、あったのだろうと思うしね。


それに、多分みんな同じだろうとも思う。今になれば。
だって、10代のうちから、40代50代の自分を想像できている人間なんて
殆ど、いる筈がないんだもの。


ただ、
私の父親は33〜35歳で死んだ。

何故曖昧なのかといえば、
私は、「父親が死んだ日」は知っているけれど
「父親が生まれた日」は知らないから。

母親との年齢差、を、何気なく会話の中で、聞き出したことがあって、
それで、おおよその年齢が、計算できただけのことだから。



私は、
父親より長く生きるかもしれない、なんて
想像もしなかった。

それに気付いたとき
感じたのは
「恐怖」だった。


私は、今のところ身体に何の不調もないし、
これからもずっとそのまま
なんとなくずっと生きていけば
いつのまにか「長生き」しているものかもしれない。


それがとても不思議で。
そして混乱した。



「当たり前」の ことなのに。




   明日 くたばるかも知れない


これは、椎名林檎の 歌の一節。

多分私はずっと自分の死を みつめてきた。
想像はつかないけれど、
人は誰もが死ぬときは 「ひとり」 だけれど、
怖いけれど、
私は、いつか、死ぬんだって。


忘れられてしまうのは、寂しいなぁ、って。
だから父親のことを忘れたくない自分がいる。

この2つの繋がりは、複雑なようでいてとても単純。



でもね、思うの。
「死をみつめること」に、逃げるのは嫌だな、って。
安易な現実逃避。まるで自己陶酔。

「生きていくこと」 その重さに気付いて、身動きが出来なくて、
立ち竦んでしまった時期が 永かった気もするけれど。

別に、私が立ち竦んでいようと、
「時間」は流れる。
それなら、私は私で前に進まないと。





   ひとりでも私は生きられるけど
   でもだれかとならば人生ははるかに違う



これは、中島みゆきの歌。

私は、「誰か」を見つけることなど 出来るだろうか?
そして、「誰か」にとっての「誰か」に なる事など。

少なくとも、今の自分では無理だ。



この歌は、最後はこう結ばれている。



   Remember 生まれたこと
  
   Remember 出逢ったこと
  
   Remember 一緒に生きてたこと
  
   そして覚えていること






何故、長く生きることが 怖かったのか。怖いのか。
忘れられてしまうことへの漠然とした恐怖と、そして
最近、何となくだけれど 解ってきた。

失いたくない 大切なもの  が私に、できて

そしてそれを失うのが
どうしようもなく怖いんだ。
  
耐えられそうにない。
今はまだ。



だから、そんなものは要らない。
今はまだ。



それでも、前に進んでいこうと思っているんだよ。
少しずつでもね。



余談ですが、
私は、
父親と母親と弟が 一度に死んでも
涙など流すことはないと思ってきた。
小さい頃からずっと、そう思ってきた。

「悲しくない」ということではないの。
ずっと何処かで「覚悟していた」ということに過ぎないの。



それでも、

祖母が死んだら、泣くだろうな。

最近、そう思う。
前にも、此処で、書いたことがあったかなぁ。

祖母は、特別なんですよ。

私にとっては。

ここで、「死んだら」なんて話をするのは縁起でもないので
止めておきましょうね。
長生きして欲しいです。


まだ、何も返せてはいないから。






私はいま、
「幸せ」なのですよ。

もし、この「幸せ」の基盤が崩れ去り全て跡形も無くなっても

「幸せ」は、何処にも売ってはいないので

私が 自分自身で「つくりあげて」いかなきゃいけないのよ。


つよいひと に なりたい。


「強さ」の基準を 穿き違えぬよう
ゆっくりと 自分なりに ね。


2001年11月05日(月) パソかりそめの復活と何故か『白線流し』・・・




なんにせよかりそめの一夜。
明日になればまたぶっ壊れているやもしれん我がパソ哀しきかな。




てゆーか、先程書き終える寸前だった日記が強制終了されたので
今更同じ事も書けやしないし何より猛烈に眠いのでもう寝ます。



てゆーか、殆どチョコレートとモー娘。のハナシだったので
どーでもよいんですがね。
(しかしかなり熱く語ったのだが。)




『白線流し』というドラマがありました。
96年冬に放送されていたらしいです。
私は高1だったようです。
高2の冬に見た覚えがある気がするのはきっと、再放送でも見たのでしょうね。


最近、3回目のスペシャルが放送されていましたね。

スペシャルとかって、基本的にあまり面白いとは思えませんけど。

まぁ感想とか書くには眠すぎるので。
いつか書くかもしれないけど。(可能性薄。)





ひとつだけ。





主人公の父親が死んでいました。
私の父親が死んだ病院でね。
だからといって特別な感傷など起こらなかったし
哀しくなったりもしなかったけどね。所詮ドラマ。
ただ、
あ〜同じ病院だわ。
って思っただけ。それだけ。





ただ、
信州の肌を刺すように冷たい冷たい空気が
少し懐かしくなったりしてみたりした。それだけ。







続きは書くかもしれないけど
書かないかもしれない。
てゆーか、絶対パソ直ってないし。
だから書かないってゆーより書けないのよ!!誰か直して!!!!!



・・・・壊れているのはパソではなく私の方のようです。



2001年11月02日(金) パソ絶不調ふたたび


またしても。
前回と同じ症状。
やはり根本的な解決にはなっていなかったということでしょうかねぇ。
てか、実は再セットアップしたんだけど。
(ウイルススキャンもウイルスバスターもオンラインウイルスチェックも
 なにも引っかからなかったのよね。難しいことはよくわからん。)
全部消して入れ直すのが一番手っ取り早いと思ったのよ。
それでダメならもーお手上げさ!



別に私の「生活」において
パソの存在は必要不可欠なもんでもないし
なくても困らないので暫く放っておこーかと。



そんなわけでこれは大学のパソから。



実は、今回の不具合が起こる少し前に、何名かの方々にメールのお返事を
出してしまっていたので、 何かご迷惑をおかけしていないかと
それがとっても心配だったわけなのです。
だからこうして、書いています。
とりあえず、日常で付き合いのある友人には、
何の問題も起こっていなかったようなので、安心したのですが。





ちなみに、webページの「閲覧」は、出来るのーー。
日本語変換機能がおかしい(?)みたいなのよねーー。
といっても、ムズカシイ事はなーんにもワカランのだけど。
「使用禁止ワード」がいくつもあってね、引っかかると、即強制終了。
だから、メールも書き込みも、勿論ワードも出来ないのよーー。不便ね。


卒論も大学のパソだわ。
ま、それはいいんだけど。最初からそのつもりだったもの。
だって家で卒論なんか書く気にならないもーん。




再セットアップ自体はそう面倒なことでもないし、
(時間はかかるけど。)
来週、暇な日にでも片付けちゃえばいーけど、

それじゃ根本的な解決にならないっていうのが解ったから、
結局無駄な労力よねぇーー。




誰か、詳しい人間に頼むしかないよなぁ。
イヤなんだけど。




あーーこれからゼミなのですわ。
図書館行くために早めに来たのにこんなの書いてる私って一体・・・・。
慣れない早起きで、眠すぎて
我ながら変なテンションだわ。






yuri |MAIL

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