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前原誠司新代表誕生! 2005年09月17日(土)

 総選挙での民主党惨敗の責任を取って岡田克也代表が辞任表明をした。それを受けて、今日、民主党の代表選挙が行われた。従来、2年に1回の代表選挙(昨年9月は岡田代表への対抗馬が出ず、無投票再選。)は党員・サポーターも投票するが、今回のような緊急時には議員のみでの投票。
 一昨日、真っ先に前原誠司衆議院議員が出馬表明の記者会見を行い、昨日、菅直人前代表が出馬表明した。出馬が噂されていた小沢一郎氏は出馬を見送り、2人の一騎打ちとなった。
 民主党には自民党のような派閥は無い。マスコミ上でよく書かれる「グループ」としては、鳩山グループ、菅グループ、旧民社党グループ、旧社会党グループ、前原・枝野グループ、野田グループというように分類されることもあるが、これは勉強会で、どこにも所属していない議員もいれば、いくつかの勉強会に所属する議員もいる。自民党の派閥は、カネも含めた親分子分関係であり、民主党のグループとは決定的に違う。私は、前原氏を応援した。
 2人の立候補演説。菅直人氏は従来と変わらないトーンであったのに対し、前原誠司氏は「敗戦に打ちひしがれている余裕は無い。一緒に闘おうではありませんか」という力強い訴え。両者の演説を聞いて決めるという議員が20名ほどいたようだが、かなりの議員が前原氏に投票し、わずか2票差で前原氏が勝利。
 43歳の新代表の誕生だ。イギリスのブレア首相もアメリカのクリントン大統領もロシアのプーチン大統領も就任時は40代。日本でも、この激動の時代を乗り切るには40代のリーダーが必要とかねて思ってきたので、本当に嬉しい。
 巨大与党に対峙する厳しい船出となるが、私も前原新代表を支えるべく頑張りたいと思う。


民主党大敗/97,330 vs 116,045 2005年09月12日(月)

 民主党は大惨敗を喫しました。自民党が296名(うち新人83名)と大躍進。公明党31名と合わせると327名。衆議院議員480名の3分の2を超える議席を与党が確保。一方、民主党は177名から113名へ。同期の議員は60名から33名に。
 選挙戦を通じて、私は小泉旋風をそれほどは感じませんでした。解散直後から、お会いする方のほとんどに「郵政民営会についてはどう考えるか?」と聞かれるようになり、小泉首相の影響力の強さは感じていましたが、選挙戦において街宣車で回っている際の反応(すれちがう車や家からの手を振ってくれる人の数)は、公示初日でも、前回選挙に比べてはるかに良く、日増しにさらに良くなりました。
 私の97,330票に対し望月義夫議員は116,045票。前回の76,865 vs 102,761と比べると、私は約2万票上乗せし、差も約6000票詰めることが出来ました。都市部では東京で1議席(菅前代表のみ)、千葉で1議席(野田佳彦議員のみ)、神奈川は全滅というような小泉台風の中で、この結果は、ひとえに支援者の皆さま、スタッフ、そして妻が死に物狂いで頑張ってくれたお蔭です。心より感謝申し上げます。共産党候補が出なかったこと、望月義夫議員が郵政民営化法案で棄権をしたため党公認が遅れたことも、私にとってはプラスに働いた、いわば「運」とも言えます。
 静岡県で見ると、5区の細野豪志議員と6区の渡辺周議員は選挙区で当選し、1区の牧野聖修前議員、2区の津川祥吾前議員、8区の鈴木康友前議員、3区の平島候補、4区の阿部卓也候補は落選。中部に民主党衆議院議員は私1人、私より西側に民主党衆議院議員はいなくなりました。
 私の「自民党政権のままでは日本はダメになる。財政も破綻する。それを救うのは民主党の政権交代しかない」「小泉首相は国民をだましているだけ」という思いは変わりません。残された民主党衆議院議員として、責任は一層重いと自覚しています。応援して下さった方々のご期待を決して裏切らないよう国会で活動するとともに、地元では次期衆院選で必ず選挙区で勝てるよう、引き続き必死に頑張っていきます。

 


当選! 2005年09月11日(日)

 いよいよ投票日。
 午後6〜7時頃に、マスコミ各社の出口調査によると、全国で民主党が大苦戦していて、自民党が300議席を超える勢いという話を聞きガクゼンとする。
 9時すぎから開票スタート。私と妻は富士宮のホテルで、選挙特番を見ながら待機。10時すぎに望月義夫氏の当確が出た。富士宮事務所に出向いて敗戦の弁。そして清水へ行き、御門台事務所で敗戦の弁。その後、いったん事務所を出る。後は比例がどうなるか。午前1時頃までには私の票はほぼ確定し惜敗率は84%。民主党比例東海ブロックの議席数は7つで私は9番手。
 落選を確信して再び御門台事務所に戻ったところ、後援会の方々が「まだ分からない」と言う。半信半疑だったが、比例東海ブロックの民主党の議席数が8に増え、そして私が9番手から8番手に上がって、1時40分頃、テレビで当確の報。
 最後まで残って下さった支援者の方々と抱き合って喜んだ。万歳三唱。前回は繰り上げ当選だったので、開票日という意味では「初」当選。支援者お一人お一人のお力をヒシヒシと感じた。富士宮事務所にもどったのは2時すぎ。そこでも万歳三唱。
 帰宅したのは4時頃だった。


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昨日 明日

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