| 2003年07月28日(月) |
私にだって守りたいものや義理立てしたいものがある。 |
これはこの間の続きみたいなものです。 朝、事務所の男性に言われたこと。
「合宿へ行った人は、瞑想に来なくちゃダメだよ」
知るか! そんなこと!!(怒)
あーもう信じられませんでしたよ。 そんなこと言うか。 あはは、と笑ってごまかしましたが。 まさかそんなこと言われるとは思ってませんでした。 何? もしかして、私もそこの教義に心酔して 信仰すると思ったわけ? それともなに? 義務なの?? それこそ掃いて捨ててやるーーー!!!!
あくまで自主的な活動と聞いていたんですがね。 強制なわけ?義務なわけ? そんな義務なんか捨ててやるって!! くあーーーー!! たかが瞑想、されど瞑想。 アタシは確かに合宿には参加したよ。 だって会社の研修としての命令だから。 けれどそれ以上の活動はやらん!! だいたいなんで参加したからって出なくちゃいけないのよ。 しかし困ったことに いいところだよ、いい教えだよ、といってる人たちは 本気でそれを良いと信じ込んでいて、 絶対勧めた人も満足できるとか幸せになれるという 善意で言っているので、これまた厄介というか なんというか…、余計なお世話??(涙) あとですねー。 あの、うち一応生まれつきというかなんというか 神道を信仰しているので、 いくらそちらが万教帰律(字あってる?)という 広い門を広げていても、 こっちのほうは元々に義理を立てなくてはいけないのですよ。 それが筋ってモンでしょう。 そこんとこわかってくれないかなー。
つか正直なところは
ただでさえ憂鬱な 毎週月曜の朝に、 合掌して瞑想している いかにも胡散臭さ200%の中年のオッサンどもに、 囲まれるそんな空間1秒だって居たくないね!!!!!(怒)
…です。 おわかり??
| 2003年07月21日(月) |
軟禁たますだれ。(違) |
10日から20日まで、K府U市に滞在してました。 と、言っても観光ではありませぬ。 会社の研修で一種、隔離された生活を送っていました。 一応、会社の研修の一環でそこに滞在していたのですが、 なんつーかまーぶっちゃけ、 研修というより、合宿みたいなものでした。
あのたまたま、これ読んでる方で 関係者の方がいたら申し訳ないんですけど。
平たく言ってしまえば。 とある、大手の宗教法人の合宿です。 そこで、10日間にわたり、 そこが出版している本をテキストにして抗議を受け、 一日中そこの教義漬けになっていたわけですよ。
以前から私の日記を読んでいる方は ちょくちょく眼にされていると思うんですが、 私の勤めている会社全体がほぼそこの信者さんで構成されているんですよ。 別にそれはぜんぜんかまわなかったんですが。 今までは現場の男性、それも結構勤務年数の経った方ばかりが 派遣されていたんです。
が。
昨年末に先代が急逝し、新社長の体制になった途端。 異常なまでに社外教育に派遣する回数が増えまして。 はっきりいってそれは、 現場や事務に軽く混乱をきたすほどの勢いでした。 それを気に若手、および今まで免除されていた事務の女子までもが そこが主催する合宿に参加することを余儀なくされてしまいました。
それで女子の参加の特攻つうか、 皮切りになったのが私でした。(涙)
もー、…濃ゆかった…。 まず、現場に着いた途端に、場違いなところに来たなー…と 眼がテンになりましたよ。 だって。 60、70歳代のおばあさまが。 そして中高年のおじさまが。 うろうろしてるんです。 一瞬老人ホームに来たかと思いましたよ。
でもそれだけじゃ私の驚きは収まりませんでした。 朝は4時45分にカッコウワルツたたき起こされ、 その15分後には瞑想。(ちなみに一時間…) 15分間の掃除のBGMはなぜか 某有名SF映画のテーマソングに、キャッツのメモリー。(何故!!) 随時館内に妙な聖歌は流れるわ、聖典と称した本の数々。 朝、7時半から始まる講義は、 テキストのない人のために、職員が売り歩き。 休憩を挟んで行われる、笑いの練習。 講義はその団体の教義を中心に行われ、 そこから先祖供養や水子の供養、にまで話が及びます。 (というか、ほぼ半分はこの話に費やされたような…) 夜、9時30分まで連日行われる講義に加え、 10日間の間に、先祖供養祭、水子供養祭 (後ろで人が変な呻き声を上げて倒れて、痙攣していた。←感応したか、寄ってきたか。)、 稲荷神社の月次(つきなみ)祭、 献労と称する清掃活動、写経 (と、言っても写すのは仏教などのお経ではなく、 その団体の経典を写経する)、 笑いの大会(練習の集大成として。)、 などなど、盛りだくさんです。
信者ではない私にとって最初はかなり苦痛でしたが、 講義の内容などは、そこの教義中心ではありましたが、 神道、仏教、キリスト教、イスラム教など、はては心理学の 思想や用語、考え方を交えて展開されるので、 なかなかに興味深いものでした。 ただ最後の2日間くらいは、 さすがに勧誘が混じってきたからうんざりしましたが。 (会員になりましょう、とか普及誌をとりましょうとか、 年代別の組織に入りましょうとか…。 強制じゃなかったからいいんですけど。)
最初の3日間は全然やる気なかったですね。 寝泊りする部屋で延々寝ていたこともありました。 (日頃の睡眠不足をここで解消・笑) ただ3日目の夜におじから 「スパイして来い」と密命(爆笑)を受けたことと、 (おじは神道の神官で、知識向上とさまざまな宗教の勉強、 さらにぼこぼこに凹んでいた私を励ますためにこのような 冗談を言ってくれたんだと思います。) そこで働いているYさんという女性、そして同じように合宿に参加していた 16才のMちゃんという女の子と、車椅子の男性のお陰で、 20日までなんとか乗り切れました。
そこにいらっしゃる方は大なり小なり、 過去、また現在に至るまで悩みや問題を抱えた人がほとんどでした。 具体的には、 家庭不調和、家庭内暴力、ギャンブル依存、てんかん、鬱病、 ひきこもり、癌、覚せい剤後遺症、分裂症、いじめ、リストカット、など。 どれもその人だけでは克服できない、 またその人ひとりが原因ではないものばかりです。 YさんもMちゃんもそんな悩みを持ち、 今も戦っている人たちでした。 彼女達は大変暖かく、優しく、明るかったです。 最後まで名前がわからなかった車椅子の男性は、 ちゃんとお話したことがなかったけれども、 (私の言っていることはどれほどのレベルで理解していたかは不明ですが、 彼は私の言っていることに対して「うー」「あー」と声をあげ、 笑い、反応はちゃんとしてくれました。 彼は手足の筋組織が未発達なうえ硬直しており、 明らかに自分ひとりでは日常生活を送ることは不可能な方でした。 それゆえ、常に彼のお母さんが付き添いで何もかも介助し、 常に車椅子に乗っていました。) 眼が合えば、微笑みかけてくれました。
その人たちにとってココは恐らくすばらしいところ、 希望の光のある場所なのでしょう。
けれど、私から見れば、 そこは大変良いところですが、長く居てはいけないところだと感じました。 簡単です。 そこが隔離された、いわば恵まれすぎた場所だからです。 そこにだって人間関係があるので、 聞いたところ多少の摩擦はあるそうですが、 皆さん仲良くやっているそうです。 けれど、そこを卒業して外へ出て。 無事社会復帰して、適応していける人は決して多いとはいえない、と 聞きました。 そして再び戻ってきてしまうそうです。
刑務所を出た囚人が、社会に適応できずに再び犯罪を犯し、 刑務所に戻ってくるように。
そこは刑務所ではありませんし、 この例えはそこの方たちを侮辱していると取られてしまっても 仕方がないことですが。 この例えの根底にある問題は、先に述べたことに流れる問題と 全く同じものです。 その方たちは真に、問題を解決できたか言えば、 私にはそうとは思えません。
ただ。 そこがあったから、助かった。 いきてこれた、という人がいることは、 目の前を見れば明らかでした。 そして、眼を輝かせてそこにいる人たちが要る限り、 それは救いであり、唯一絶対の真実であることには間違いないのだと 考えます。
何はともあれ、 この10日間は賛成、反対、不満、満足、 さまざな感情をごった煮にして缶詰にしたような日々でした。
でも、そこは私に必要ないものです。
だから。 2度とそこへは行かないと思います。 もし、必要なら再びめぐってくるはずですから。
…さんざん迷っていたわりには、 あっさりとお迎えすることが出来て少々戸惑ってます。
やっと薫のメイクの方向が決まって (…一ヶ月以上ばらけたままだよ。・爆) これでやっとメイクも終了ね!!と安堵してた所為でしょうか。 あとなんか行きたくもないところに行かされる羽目になって キレたんだか、なんだかわかんないんですが。
…男の子をお迎えしてしまいました…
うわーーーー!!(汗) いえ、あの、確かに欲しいなーとは思っていたんですよ。 だからさりげなくチェックを入れてたことも オークションに参加してたことも認めます。 けれどお迎えできるなんで思っても見なかったんだー!!!!
クリスくん…が…今…箱の中に…眠ってるでござる…(大汗)
判ってる!! 判ってるってば!! はるばる広島から彼が入り婿に来たってことは!! 多分私と薫に縁があったってことだろうってことは!! それにね!! あさってから11日間いないしね!! そんな時に封を開けたら、 気になって夜も眠れないナイト。(古)
だからまだ蓋はあけないよーーーん。
つーことで。 彼が日の目を見るのはまだ等分先になりそうです。
彼の封印を解くのは、一体誰か!? (薫にあけさせるつもりではいるけれど。) 乞うご期待!!(爆)
あの頃の俺には、マジで君だけだった。(本気と描いてマジとよめ。)
FC設立元年からずっと更新し続けていた ヒロのFCを6月いっぱいでやめちまいました。 会員期限満了で、更新しませんでした。 忘れて至って言うのもあるんですが、 もはや私にとって、ヒロは過去の男になってしまったようです。(笑)
在籍8年? あと二年で10年だったことを考えると惜しい気もしますが、 最近はわたくし、FCと同じ方向が向けないわ〜って感じでしたし。 会報も年4回って割にはばらばらと来ていて、 一体どんな活動してんのかいまいちわからなかったし。 4回来てたのかも妖しい…。(私が知らんだけか。) アクセス再会して忙しいのはわかるけど、 ソロはどーしたんだよ、地区ショー!!っていう不満もあったし。 (…すごく期待してたんだよー…) FCの応対に腹立てたことあったし。 (郵便事故でチケ優先来なくて、せめてDMだけでもくれませんか? とメールしたら、ご丁寧に「一人一人に応対は出来ないから、 普段からまめにインフォチェックしてくれ」っていうメッセージ つけてDM来て、なんか腹たったことがあった。 おっしゃることは判りますが、そんなメッセージ要らなかったなー…。) アクセススキだけど、なんかもういいやって感じだし。 (あの雰囲気というかスタイルにはもうおなかいっぱい)
でも、本当に好きだったんですけどね。
いろいろありました。 初めて県外遠征したのも、ヒロのライブだったし、 県外の知人を作れたのも(濃密だった分反動ですぐ縁が切れたが。) 彼の応援を通してだったし。 音楽が好きになるきっかけを作ったのも彼だし。 マジで惚れた歌声でした。 ミュージカルが面白い、と気付かせてくれたも彼の舞台だったし。 大学時代むちゃくちゃしたけど、やっぱりおもしろかった 彼のツアー追っかけ。 一週間学校休んで家飛び出して、 ライブハウス回って、楽しかったし。 イベントで握手できたし。(多分気持ち悪がられていたと思うが。) 凹んだり盛り上がったり、いろいろありました。
ここ2年くらいは離れつつあったので、 親しくしてくれていた知人からも離れ、 (意図的な部分とそうでない部分半々ずつかな。) いつも親切にしてくださっている方たちとも イベントとライブくらいでしか挨拶しなかったし、 結構不義理かましていたり。 もうここらで潮時と思ったら、 更新するだけの必要性と魅力がなかった。 チケットならぴあやサンデーフォークみたいな興行会社の会員でも 充分取れる。(しかもジャンルは多彩だし取り扱いは豊富だし。)
会報で自分参加しても無い去年末のライブレポ今頃されても、 遅すぎてわかんねーよ。(本音)
ということで。 今入ってるFCはK山さんのみとなりました。 そのうち「四季の会」や「スタジオライフFC」に入りました、とか 日記に書いたら笑ってやってください。(笑)
ちなみに今興味があるFCは。 やっぱ「劇団四季」かな。
?
ファミコンが今年の9月で生産中止になるそうです。
ニュースを見て最初の一言が
え? まだファミコンって生産してたの!?
でした。
…もうとっくに生産中止になったと思ってたよ。 思い返せばうちにファミコンが来たのは 私がまだいたいけな小学1年生のころでした。 あのころはまだ弟も街を歩けば女の子と間違われるほど可愛かったのに…。 今はオタクなオッサンだもんなー。あ、やだやだ。 ってそれは全然関係なくて、 誰が買ってきたんだか判らないんですが、 箱を開けたときに眼に飛び込んできたあの小豆色?を今でも はっきり覚えています。 あれを…メカ音痴の母親が苦労して四苦八苦しながら、 テレビの裏に接続していたのを思い出しますよ。 しみじみ。
もちろん、ソフトはスーパーマリオでした。 あのおなじみの音楽に心がおどったものです。 私は基本的にゲームは下手だったんですが、 一番ゲーム機に触っていたのがあの頃ではなかったかと思います。 何一つとしてクリアーしたことがないんですけどね、 ファミコンのソフトって。(笑) マリオで一番最初の面で一番最初に出てくるクリボーを ジャンプでよけようとして、 ぶつかって死ぬくらい下手ですから。(笑) でもいろいろやりました。 アイスクライマー、ツインビー、ペンギンがでてくるやつとか、 プロ野球ゲームもやったし(渋い…)、 マッピー、ロードランナー、ドルアーガの唐、 高橋名人の冒険島、BUGってハニー(この二つは結構出来たな)、 ドラクエ�掘↓検吻�,�兇呂笋辰討覆ぁ�)、 FF�掘覆海譴發泙伸機↓兇笋辰討覆い鵑世福次� ぐーニーズ、ぷーやん、チャレンジャー、おばQ、 縦スクロールの忍者のアクションゲーム(影の伝説っていうそうです。) アトランチスの謎(アトランティスじゃないのね…)、
いろいろやったよ…。
で、今懐かしくってYAHOO!で検索かけたら 出てきた、出てきた。 あれもやっと、これもやったっていうのが。 で、タイトルがわからんかったのがわかったりして かなりすっきり。 マリオが出てきてビルを解体するゲームがあったんですが 「レッキングクルー」というんですね!! あと友人の家でお約束のようにやっていた シューティングゲームはなんだろうー?と悩んでいたら 「スパースターフォース」というタイトルだったり。 (コレで私は連射が得意になった…。) そういや東海道五十三次なんていう渋いゲームもあったとか、 迷宮組曲とか(音楽良かった。)、 なんでかプレイしていると切なくなったドラえもんとか、 なんであんなにむきになっていたのかわからない「火の鳥」…
あー、すっきり!!
こうして思い出すと、結構遊んでいますな。 けれど、ある一定の年のラインナップからは全然遊んでない。 なぜか。
答えは簡単。 私が自分で遊べるソフトに制限があったから。 それは自分が繰り返し遊んでいるものだったり、 友達から借りてたりとか、 ソフトが高すぎて変えなかったとか、 面白そうなのがなかったとか。 いろいろあるんですけどね。
でも、まー。 やっぱり、私くらいのトロいやつには ファミコンが一番あってたのかもしれません。
いまならまだ生産しているみたいだから、 ハード買っとくか。(爆)
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