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2011年10月23日(日) 放射能の事は女将に聞け 2/2  



放射能発見から現在まで。



1890年〜 放射線研究黎明期
レントゲンがX線発見、後、ベクレルがウラン化合物から放射線が出ている事を発見、キュリー夫人はトリウムからも放射線が出ている事を発見発表。物理学も論理的研究の時代
その前後から顕著な健康障害が出始める。

1927年 マラー博士がショウジョウバエを使って放射能の影響について研究発表。放射線は一ミリたりとも浴びてはいけない。子々孫々影響を受けると、ショウジョウバエの遺伝研究を元に発表。ノーベル賞。
この説をLNT学説といい亡霊として現在も残る。(後にショウジョウバエの成体は遺伝子レベルで自己修復をしない、やられっぱなしの数少ない生命体である事が判明)

1945年 広島長崎に原爆落とされる

この間にDNA の構造解明 

1954年 ICRP(国際放射線防護委員会)勧告「可能な限り最低のレベルに」

この間に
生物のDNAは例へ放射線にやられても自己修復する事を発見

1984年 ラッキー博士によるアポロ宇宙船乗組員の宇宙での栄養被曝調査。放射線はある値までは健康増進になると発表、ホルミシス効果と命名

1985年  第一回オークランド会議開かれる。 ラッキー博士の論文を日本の服部禎男博士が真偽を巡り米国の専門家に質問、これがきっかけで専門家が世界中から百数十名参加。結果はラッキー博士の論文が圧倒的多数により承認

1989年 「放射線ホルミシス研究委員会発足」世界中から衝撃的なデータ収集

1994年 ワシントン会議 ホルミシスの成果を発表世界に衝撃を与える

1996年 ポリコーブとファイネンデーゲンが、DNAの修復論文を発表

1997年  セビリア会議 マラー学説を基とするICRPに科学者が問題提起

1999年 ブリッジ会議 政治の世界と科学の世界の間の意思疎通をはかるもICRPは、「五十年前のマラー仮説は誤りがあるが、いろいろな本教科書に載っているのでいまさら変えられない」と主張
現在に至る。

2001年 ダブリン宣言 チュビアーナ博士、「自然放射能の10万倍以下では癌にならない」

2005年 「国際ホルミシス学会」発足
服部禎夫博士、バンガード賞(ホルミシス概念を世界に広め認知させた)受賞

2006年 ヴィレンチック博士論文発表
「自然放射能の300万倍までDNA自己修復可能」

いつの間にか放射能怖いが主流となっているが、実は確実に人を死に至らしめるものがあり、それは活性酸素と呼ばれる。これがDNAを破壊する、それを自己修復しても仕切れずやり残しの傷跡が皮膚に残る。これが皺であり、この蓄積を老化と呼ぶ。激しい運動、例えばオリンピックの柔道で優勝戦まで行く選手に、発生する活性酸素をシーベルト換算するとDNAは致死に至る破壊を受けるが、人体の自己修復機能のおかげで死なずにすんでいる。

 反対にマウスに数分間250ミリシーベルトの放射線をあてるとなんと、人年齢65歳相等のマウスは、SOD(細胞のミトコンドリア内に存在する酵素)、GPX(活性酸素消去酵素の一つであるグルタチオンパーオキシダーゼ) が飛躍的に増えて細胞膜、角膜の透過性が上がり、人年齢6歳と同じレベルになった。
他に、がん抑制遺伝子、p53の活性化、免疫系の活性、LDLコレステロールの減少、各種ホルモンの増加など害があるどころか、活性酸素と対抗する強力な味方が閾値内放射線と言う事が出来る。

結論 宿の女将の言葉
かってウランの産地の人形峠(採算が合わないうえ、品質が低い事もあり採掘は中止。)にあった放射性廃棄物はみなレンガにして売った。健康増進のためにとてもよいので飛ぶように売れた。

ホルミシス効果と名付けたラッキー博士のベット下にはぎっしりと放射性物質が敷き詰められている。現在97(1919年生現在92歳 -2011/11訂正-)歳。現役の学者である。


参考文献

      本当は怖いだけじゃない放射線の話 大朏 博善 
      他ホルミシス効果資料
      放射能を怖がるな  T.Dラッキー
      分子生物学資料(分子栄養学) 三石巌 他
      放射能は怖いのウソ。服部禎男



→2001年の今日のたん譚
→2002年の今日のたん譚













2011年10月21日(金) 放射能の事は女将に聞け 1/2



 鳥取県の大山に行った。
友人達は曇天の中、頂をめざして登って行ったが、山頂には一緒に行かなかった。三十数年前に登った時、既に山頂稜線のがれ場は、踏み込んでは行けない程の崩落が進み、風景は殺伐としていた。ただ秋の風に乗って無数の赤トンボが待っていた事が記憶に残った。
登って面白い山と、眺めておくだけにした方がいい神々しい山がある。前者に対してはいろいろあると思うが,後者に対してはたった一つ、それは富士山である。
あれは登る山ではない眺める山であるとずっと思っている。大山は一度登っただけだが、何度も登ろうと思う程惹かれるものはない。

 登って行った二人を見送り、橋の袂の駐車場の直ぐ横の谷にクレーンブルドーザーが入り、作業しているのをしばらく見ていたら、昨年の新穂高温泉の谷の治山治水工事と重なった。
ここでもシジフォスの神話が現実となっていた。過去復旧工事九回、渓間堰二百数カ所、他工事二十数カ所と書かれた工事説明があった。日本の多かれ少なかれ山谷を持った地域はまったく目立たないが、ここと同じような果てしない工事をやっている事が想像出来た。
ある意味、山海に自然なんて存在しない。人が何らかの形で自然をコントロールして日本はある。

 友人達が無事下山後、山道を抜け年間十ミリシーベルトを出し続けている三朝温泉に向かった。日本で同レベルの放射線を出している場所に富士山がある。
ICRP(国際放射線防護委員会)の今となってはその根拠となる学説は完全に崩壊しているにもかかわらず、未だ公式見解は年間一ミリ〜二.数ミリシーベルト以上浴びると危険だと根拠のない強弁をしている。
日割り換算してもそれの十倍を今回は浴びる事になる。

ここに人は約千年前の昔から住んでいる。人々は腹の中で笑っているだろう。
ラジウムはラドンガスにして深く肺に吸い込んだ方が体には効果的だと言う事は、近所にある岡山大の医療研究センターの調査等で解っている。
この界隈の癌罹患率は日本各地の平均の半分で、九十百歳の人も多いと宿の女将が話していた。
 驚いた事に、京大の原子力関係者や反原発の社民党等がこの地に来て何事かを講義に来るというのである。講演に来て、ここの水で調理された料理を食って温泉につかって帰ったとしたら、完全な分裂病のあほである。

 過去営々とこの地でラジウム温泉の宿を営み続けて来た人々、ここで生き、生計を立てている人々に対して、この度の福島をきっかけにこの地に警告を発しに来たと言う。
あ・ほ!

 福島原発事故に関して不思議な事がある。
人は自身の健康状態等を普通、誰に見てもらったり、適切な判断をしてもらうのだろうか、医者だろう。
科学者に自身の生死に関わる事をゆだねはしないだろうに、なぜか放射能に限って、科学者の意見ばかりを信じてマスコミは報道し、医者の意見を聞かない。
医者で福島原発の放射線量で騒いでいる人はまずいない。
そんな事を思いながら、岩風呂に入って思い切りラドンガスを吸った。


 新田次郎の小説、八甲田山死の彷徨で有名になった青森歩兵第八師団第五連隊の津川謙光連隊長はこの事件(雪中行軍で9割が遭難死)後責任を取って辞任を申し出たが、戦争が近いので却下され、日露戦争で任務を果たし戦傷退役後、この地に住み三朝のために尽力した。

…続く。

放射能の事は女将に聞け 2/2










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