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2010年05月31日(月) どっ血や、血島とウイルヒョウ  2/3



 十九世紀に既に骨髄造血説の考えはあったが、二十世紀の初頭アメリカの学者三人が、骨髄の中で血が作られたという実験結果を発表、追試し確認したと発表し現在に至っている。 
 ところがその追試が何だか変なのである。鳩と鶏を十日ほど断食させその後に観察したとある。  
 この時、骨髄で血が出来ているのを確認出来たと報告している。
これを補強するように、さらに二十世紀中頃、カナダの学者が致死量の放射線をマウスに照射後、他のマウスの骨髄からとった骨髄細胞を被曝したマウスに注射したら、死なずに生き延びた、そしてその被曝マウスを解剖、観察すると脾臓に血液細胞の塊が見つかった。
 血液細胞は放射線に非常に弱く照射されると真っ先に死滅する。ところが先に書いたように、他の骨髄を注射したら、生き延びておまけに脾臓に、死滅している筈の血液細胞が見つかった所から一挙に「骨髄造血説」が定説化されて行った。 これが今日の骨髄移植の根拠になっている。 

 ところで、何故十日近く絶食させたかと言うと、日常的状態の骨髄の中には、血などはなく、脂の塊しかないのである。だから、ここでよく認識しておかないと行けない事は、鶏と鳩君の体の非常事態に置いて、初めてその骨髄細胞の中に造血的なものが観察出来たという事実である。 
 日常の状態に置いての骨髄には、脂肪が充満しているため誰一人として、血液細胞の存在を観察実証をしている研究者はいない。  
 あくまで、非日常状態において、造血的な現象が出現したという事である。 

ここに簡単な問答がある。人の血液が骨髄で作られるとして(60kgの体重の人なら、およそ4.5リットル)その大量の血液はどこで具体的に作られるのか?
質問に答えた医者は、
「大腿骨である」と言っている。足の太もも部の骨を中心に作られるという事らしいが、『五体不満足』を書いた乙武 洋匡(おとたけ ひろただ)は、両足が付け根からない。そうすると血液の大半が足の骨髄から作られていると言うなら、乙武さんは生きていられないことになるが、生きている。

 このくらいの事を医者は当然勉強していると考えるが、果たして先のような特異状態においての追試を妄信したまま、当人達はそれを基本として現代医学の道を歩んでいる。
大学の医学生になった所で、ゼミで教授達に研究のヒントらしきものを与えられ、それを研究して学位を取り卒業と言う手順だから、自ら研究テーマを探しての研究と言うのはまずないのだそうだ。  
千島博士も、師事した教授に血とは関係のないテーマを与えられていたが、教授の移動があり、テーマ解消となり空白の半年間が出来て「血」の研究に偶然入ったと書かれている。


 ここで、高校時代に生物で習った細胞分裂の話を思い出してみる。
最初に結論として、(日常状態に置いて)細胞は分裂しないというと、そんな馬鹿なとみんなびっくりする。でも、常態においてはない。
 細胞が分裂すると確信犯的に言い出したのは、ベルリン大学にいて、後にあのビスマルクの政敵(英雄的野党政敵と言われた)となり、シューリーマン(先史歴史家)の朋友であった、ウイルヒョウ(ドイツの病理学者。細胞分裂説。 存命時、大変な人気があった。その言動は多くの人に影響を与えたから、始末が悪い。現代医学の基礎理論として現代も君臨)と言う人だった。この人の学説が今日の細胞病理学の常識となっている。

→続く(3/3完)


→2009年の今日のたん譚











2010年05月09日(日) どっ血や、血島とウイルヒョウ  1/3



 血はどこからくるのか。
現代医学では、血は骨髄で作られるということになっている。果たして本当か。
 この前、京都で「がん呪縛を解く」の著者のセミナーのようなものがあったので聴講した。前半面白く(千島学説の話)、後半煙に巻かれて匙(鉛筆)なげた。
 その後半は、カタカムナ(神戸六甲山中で楢崎皐月という満州で陸軍の製鉄所所長を務めた人が平十字という元カタカムナ神社の宮司であったと言う猟師から手渡された巻物)の話で、それは上古代からのものだという。上古代とはいつぐらいかと会場から質問有り。
講演者答えて曰く縄文時代からさらに遡った二千五百年前位にあった文明?だという。その巻物は丸と直線で作られた幾何学的な文字で出来ているそうで、それを楢崎先生が超感覚で、これはこうそれはこうと超翻訳?してしまったのだった…。

ここではたと困ってしまうのである。
千島学説(血は小腸の絨毛で作られる、細胞は分裂増殖しない。6つの形態で新生する。がんは血液から生じて血液に戻ると提唱)はれっきとした、千島喜久男博士が顕微鏡で血を細胞を観察し記録した学問の集大成である。確かに博士の「気・血・動」の内」八大原理の八番目にあたる部分は、かなり現代の唯物論的世界観を持つ医学とは違うが、その前の章の流れは、ただただ観察観察の世界である。立派な学問である。
その流れの中で、治癒に置いて「気の持ちよう」とか「プラシボ的効果」を言う場合にはあまり違和感はないが、「カタカムナ」と言われるものに結びつけるのは少し牽強付会だと感じる。少なくともカタカムナはその出発において学問ではないと思ったからだ。 
さぁそうなると、一挙に興ざめしてしまい、「がん呪縛を解く」の著者には申し訳なかったが、ノートを取るのを止めてしまった。

 本であれば、がんと血液の話から、量子力学のゼロポイント・フィールド(エネルギー?)に持って行こうとする章は、ぽーんと飛ばす事が出来るが、講演ではそうはいかない。途中退席は映画館ではよくするが、講演会では礼を失するので最期まで聞いた。

 せっかくのコペルニクス的展開の書、「がん呪縛を解く」も、著者の思い入れのあまり、量子力学の、零ポイントフィールドの章はSFまがいで、その欠点は、今最新の物理科学の学説と結びつけ、つじつま合わせをする事で、この学説が究極のものでもなく、いくらでもひっくり返る可能性があると言う事を忘れている。

 地球がまだ丸くなかった時代、須弥山(しゅみせん。古代インド バラモン教、仏教、ジャイナ教等の世界観の中で中心にそびえる山)で世界を説明しようとしたのに等しい。多くの読者は、最期に煙に巻かれてしまったような読後感が残るだろう。

 ところで二昔前には、千島博士の学説を世間は事実上認めていた。どういう事かと言うと、癌研究会癌研究所と京大ウイルス研究所、さらに国立がんセンターの3つの機関の五人は、少なくても30年前、高松宮妃癌研究基金学術賞を受けている。当時「読売新聞」一面トップに載ったその内容(「赤血球からできたガン細胞が、再び正常な赤血球に戻ることを発見した)たるや、千島学説の完全なる踏襲だった。存命だった博士は、3グループ五人に質問状を送ったが、どこからも返事はなく、千島博士の研究は完全に無視された。

続く(2/3)









2010年05月04日(火) お知らせ



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