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2010年03月31日(水) 台湾ゆ〜らりぶ〜らり。4/4 完結 



 

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 台湾ではスーパーマーケット、百貨店の地下、料理屋などによく行く。
そこで売られている疑似日本食品に書かれている珍日本語が相当面白い。以下、スーパー、料理屋土産物屋で拾ってみた。

栄養豊富ビタミ入り(ビタミン?)をはじめ、
「ホットケーモ」ホットケーキのつもりなのだろうが、ただただ笑ってしまう。
「えび入 アーモンド いわし」 海産物桜えびの袋、?

料理屋で
▽青椒肉絲の説明 「ピーマンの牛肉でした」?
▽「頂級牛 肉」(「最高級牛肉」の意味)が、「頂 いた級の牛肉」?
▽丸花生猪蹄 (醤油煮の豚の足でした。及びピーナツ)
▽orange juice →オワンジー

元の料理名は不明だが、印象に残った日本訳
●ヌードルを持つスポンジひょうたんのハマグリ?
●半分筋肉半分肉?
●ビーフ米?
●米を持つ茎のタラの魚?
●日本様式は米を持つ魚を揚げ?

町の看板
○全身マッサーヅ→全身マッサージ?
○修脚皮・修指甲 ネグいクマ??
○全身油推 エツソセブヤリマる??
○bienvenue (ビァンブニュ−フランス語・英語のwelcomeと同)→いらっしゃいませ。?

この直訳とも思えない破壊的な日本語はどうして出来たのだろうか。謎である。


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 外国から帰って来る度、空港施設を通る度に、日本はすごいと思う事毎度である。どこがとてつもなくすごいか。
案外日本人は気がついてないが、食文化の異常とも思える多彩さ。これは、世界中の空港、香港でも、パリ・シャルルドゴールでも、食の小フランスと言われる、ベルギーでも、ドイツオーストリアオランダイタリアでもイギリススコットランド他、どの空港でも絶対にあり得ない光景が、食べもん屋の、種類の多さ。
関空の中だけでも、以下、

たこ焼き屋、お好み焼き屋、ラーメン屋、蕎麦屋、洋食屋、トンカツ屋、天ぷら屋、うどん屋、寿司屋、スバゲティピザ屋、豚まん屋、居酒屋、中華料理屋、カフェバー、カレー屋、サンドイッチ屋、ブラッスリー、オムライス屋、丼専門店、創作料理屋、和洋甘味処、ファストフードハンバーガー屋、釜飯屋、喫茶店、他、二十数店がつぶれる事なく商売し、これらが重複して存在する。
言うまでもなく、フランスを例にとっても、有名なフランス料理屋の出店一軒、後ブラッスリー、ファストフード店カフェ、いずれも似たようなもの(フランス料理基準)である。ロンドンのヒースロー空港内にある、生ガキを出す丸カウンターバーがちょっと異色な存在で目立つ位である。

 渡辺 京二の「逝きし世の面影」の中に、江戸時代の各店舗の多岐にわたる職種の専門店の多さに日本に来た外国人が驚き、売られている物品のその芸術性の高さにも関わらず、個人名を表記していない事にまた驚き、後のヨーロッパのアールヌーボーのきっかけになるほどに影響を与えたが、ある意味日本のそうした良さは明治で滅んだ、みたいな事を書いていたが、何の、未だ先に書いたように、食一つとって見ても、世界に例を見ない現象が依然として我が日本にはある。

200年を越える老舗をヨーロッパ中で集めて集うエノキアン協会と言うのがフランスにあり、百七十四の会社が候補に上がった。しかしそれに値する企業は、日本一国だけで少なくとも二百社以上あるのである。こんな国は地球上探したって日本しかない。

旅の終りに、台湾に旅しても、欧州に滞在してもつくづく、日本人に生まれて来て本当によかったといつも思う。



→2002年の今日のたん譚









2010年03月09日(火) 鳩、鳥っく2



これが一番最近の鳥っく。

永田町にいる鳥、最新情報
日本には謎の鳥がいる。
正体はよく分からない。
中国から見れば「カモ」に見える。
米国から見れば「チキン」に見える。
欧 州から見れば「アホウドリ」に見える。
日本の有権者には「サギ」だと思われている。
オザワから見れば「オウム」のような存在。
で も鳥自身は「ハト」だと言い張っている。

「カッコウ」だけは一人前に付けようとするが
お「フクロウ」さんに、「タカ」っているら しい

それでいて、約束をしたら「ウソ」に見え
身体検査をしたら「カラス」のように真っ黒、
疑惑には口を「ツグミ 」、
釈 明会見では「キュウカンチョウ」になるが、
頭の中身は「シジュウカラ」、
実際は単なる鵜飼いの「ウ」。
「キジ」にもなる 「トキ」の人だが
日本人にとってあの鳥は日本の「ガン」だと。


→2007年の今日のたん譚 生きたるきけぇ(又はききゃぁ)


→2008年の今日のたん譚 南京の真実(虐殺など無かった)を伝える映画  京都上映














2010年03月02日(火) 台湾ゆ〜らりぶ〜らり。4/4 の前半分



 台北駅の向かい新光三越の南、かって台湾で歴史上唯一のお城(台北城)があった跡地に、二二八和平公園がある。ここの北側に国立台湾博物館があって、 入口は襄陽路(じょうようろ)に面している。博物館に向かって左側歩道脇に何と、明石元二郎総督墓地鳥居と、乃木希典母堂墓地・乃木夫妻御遺髪奉納地にあった鳥居が道路脇にむき出しになって設置されている。普通は鳥居をくぐると神社があるが、ここはベンチなどを設置して公園のようになっているが鳥居の意味も何も無い。ただぽつんと「立っている」。
この鳥居はもともと、晶華酒店(グランド フォルモサ  リージェントホテル)裏の、旧共同墓地跡(現、変わった形をした噴水のある康楽公園)にあったのが現在の場所に移されたようだ。

 案内板らしきものはあるが、公園の門がわりのひどい扱いである。乃木大将の母堂は、乃木台湾赴任時に、大変な地に一人やらして家族が日本でのほほんと過ごす訳にはいかないと、一家で台湾に引っ越して来るも、その後数ヶ月で現地の風土病だったマラリヤに倒れ亡くなり、後に祀られ建立されたものだ。

 二二八祈念館では、高年の紳士が日本語で話しかけて来た。今日は一緒についてお話し出来る時間が所用で持てないと言いながらも、手短に自分の兄がやられた事、自分も危機一髪で殺されそうになった事、などを流暢な日本語で話してくれた。
 知識が増えるにつけ、頭の「バカの壁」が取っ払われて、以前見えなかったものが見えて来る。今回は、黄文雄と言う現在日本にいる評論家で作家と同姓同名で、あの蒋介石の息子、蒋経国(中華民国第6期総統、別にロシア名を持つほどの共産党員だった。ロシア名はニコライ・ウラジーミロヴィチ・エリザロフ、正式のソビェト共産党員)を暗殺実行しようとした、実の妹の結婚相手の身代わりとなって実行(未遂)し捕まった、黄文雄逮捕時の写真も展示されていた。

 祈念館を出て、となりに併設されている喫茶店の庭にあるテーブルの席に着き、家人が注文しに席を外している間に、老人が家人の椅子を持って行こうとしたので、「もう一人来ますので」と、つい日本語で言ってしまった。
と、「君は日本人か」と聞かれ、その人は王さんと名乗った。

 それから実に二時間、日本時代がどれだけよかったか、同胞(王さんはそう信じていた)なのに同胞を殺した白色テロの話、少数民族の話、こちらの次の予定の時間が来ても話は絶えなかった。次の時間の予定があると告げて初めて、また会いましょうと言う事になって分かれた。王さんにとっての二二八白色テロは、まだ生々しいついこの間の事のようだった。

 王さんは、やはり戦前の日本時代に郷愁を持ち、戦後のへなちょこ日本を恨んでいた。話を聞き終わって、日本人として本当にすまなく情けなく思いながら、やっつけ仕事で日光東照宮の左甚五郎の仕事の足下にも及ばない、園内のアリバイ工作用支那まがいもん建築を横目に、公園を後にした。

 歩いていると裁判所横では、台湾建国派が、緑と白地に台湾の地図をデザインした「国旗」を掲げてストをしていた。出くわした時はわずかに数人だけだった。大きな運動にはなっていないんだなと言う実感だった。


→続く4/4後半











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