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2009年06月19日(金) 究極のデモ二つ



 先週の土曜日、京都市役所前、四条河原町で二つのデモで行われた。

どっちに参加したい?

午前中に四条河原町で開かれた集会

遠目に日の丸?、よく見ると日の丸の日の部分が雲古マークになっている。さらに大きな旗の方は、赤い日の部分になぜか寺の地図記号が描いてある。



ハーケンクロイツ


のつもりなんだろうが、小学生に笑われるデ。(もっとも裏から見たらハーケンクロイツにはなる。)そのナチもどき雲古日の丸を、土足で踏んだ靴跡が描かれている。この旗をなんと地べたに引きずって行進し、その主張するところは「外国人を差別するな」「外国人日本人を言う前に人間である」「ファシスト!!(午後のデモグループに対して浴びせられた言葉)」
河原町四条の北西角ではハワイアンダンサーのような場違いな女が全面に出て、訳の分からない踊りで何事かを主張。
午後のデモのグループにかなり執拗にくっつき英字(日本人に主張するのに英語で書いてどうするんだ)で書かれたプレートをアピールしながらついてくる。朝鮮人とおぼしき初老と若者がけんか腰で、やはりずっとついてくる。警察官に終始遮られるもずっと妨害行動を取った。爆竹は鳴らすわ、特製の金ぴかの張り扇で、午後デモのリーダ格の一人、通称ドロンパ演説中の頭を張るわで大混乱させた。

午後、市役所前で開かれた集会

 言っていること主張は至極真っ当。在日特権、外国人参政権の反対。不法入国の外国人への情緒的同情のマスコミへの批判、など。まったく正論。
 デモ行進直前、場違いな二十代と思われるモデルのような綺麗なお姉さんがミニスカートで登場、大きな日の丸を持ち参加している。何でも「右翼や」と片づける人々にはかなりインパクトを与えたのではないか。
ところが行進が始まり、シュプレヒコールが、「朝鮮人はでていけー」「犯罪外国人をたたきだせー」これ以外に、たぶんインターネットで集まって来た連中が、各自叫ぶシュプレヒコールは、かなり過激で汚いものもあった。

 午前の左巻きの連中が掲げているプラカード「外国人を差別するな」と午後の真っ当派の中の一部が叫ぶ、「朝鮮人(犯罪及び特権享受を略している)は出て行け」の怒号が町行く人々の頭の中で呼応して、誤解を抱かせる。その時居合わせて聞いた人達は、左巻きの掲げている旗印に共感しただろう。

午後の部に参加したが、一回目の NHK抗議の時に話しかけてきた居酒屋経営の人が今回も大阪から京都に来ていて挨拶を交わした。
この人が、「シュプレヒコールこれ過激やなあ」「言えんなぁ」思わずもらしたように、ある種の言葉はちょっと普通では言えない。
だが見ていると「空気」で品の良い婦人も一緒に気勢を上げていた。
こちらは言葉を選んで言っても良いと判断した主張だけを叫んだが、道を行く人々は十把一絡げに映ったに違いない。

さあ、これからどっちに参加する?

夜半、近くのバーに立ち寄り、昼の市役所前集会のことを知っているかと尋ねた。バーテンが

「ああ、右翼の集会でしょう」

ま、世間はこんなもんです。









2009年06月04日(木) 岳すれば 岳なるものと知りながら 山に山れぬ 山と魂



 後輩の遭難の追悼文を五月末日にようやく仕上げて、故郷にある後輩が所属していた山岳会に送った。つい先日も、産經新聞東京版に、山岳事故の異常な多発の記事が載っていたが京都でも思い当たる事があった。
 
 今年の始め頃、友人と実に10年ぶりくらいに京都の愛宕山に行った。ここは学生時代から足慣らしと登山靴調整のためによく登った。人ごみが嫌いで、なをかつ好き勝手に行動してしまうので、中々友人と一緒には行けないし、迷惑をかける。だから、殆ど一人で行っていた。勿論土日も外す。そういう山行きが普通であった。

 今度同行した友人はサラリーマンだから当然土日しか休暇はない。だから、土日に山行き の選択しか無い。
朝、烏丸丸太町で友人をひろい、清滝の麓までタクシーで行く。朝といっても、もう十時近く、終点清滝バス停に来るわ来るわ老若男女、ある人は我々と同じようにタクシーで、また自家用車で、バスで続々とやって来る。

過去、土日に山に入った記憶は無かった。
朝の静かなバス終点でコーヒーを飲みちょっとしたもの食べ、 ゆっくりと歩き始めようと言う思いは見事に砕けた。
清滝の日頃閑散として人もまばらな場所に、町中のにぎわいが出現した。百人はいたのではないか。

 人ごみの中それでもコーヒーを飲みながら、各、山人の足下を観察する 。十数年は履き込んでいると思える見事なまでに手入れの行き届いた登山靴を履いている初老がいる。登山には楽なニッカ−ボッカを履いている人もいる。いづれも中高年が目立ち、若者は目立たない。
かってここを何度も登っていた頃は、普通の日の朝、人に会う事はまれであった。世間の休日がこれほどの登山人口を持っている事にびっくりした。
それにしても多すぎやしないか。
朝からバス停のトイレに並んでいる光景は、初夏の上高地のバスターミナル、スイスのツェルマットを思い起こさせる。
それでも、三々五々、人々は各自のペースで愛宕山頂上に向かって登って行った。
 
 人気の無くなったバス停を後に我々も登り始めた。山としての難度は「へ」みたいなもので、それこそ誰にでも手軽に登れる山である。
しかしである。手軽といっても高度は800m位ある。この次期、多分上の方はアイスバーンになっているだろうと思って登って行ったら案の定、最後の石の階段(多分百数十段ある)はアイスバーンになっていた。多くの年寄った人々にとっていったん滑ったら只では済まないだろうと思っていたら、普段起きる時間帯に行動しているせいか、こちらの太ももがつりそうになってあわてた。
これは、きっと転んでけがをする人が出ると確信に近い思いを持ったが,周囲では滑る人を見かけはしたが、訓練されているのか寸での所で踏みとどまっていた。
 人ごみが嫌なので少し東に路を辿って行くと立派な標識がかなり離れている地点からはっきり見えた。近くに行って驚いた。この標識は多分、高齢者のためと思われた。異常に文字と図体が大きい。はっきりくっきりこれっきりと言うくらいに書かれてあり、こんなものが北アルプスにあれば、強風で吹き飛んで跡形も無くなる代物で大きければ良いと言う物ではない。

 群衆から離れた静かな場所で、茶を沸かし、三十六穀米が入った玄米お結びを食べ、シャンペンで乾杯した。行動途中だから、当然コッブ一杯分位の瓶詰めを友人と半分にしての乾杯だ。
 昔はなかった地蔵谷の小径を下る事にして、残雪の雑木林を楽しみながら下って行く途中、バラバラとヘリコプターが頭上を旋回しはじめた。やがて旋回範囲が窄まり、下降し始め姿は森林の中に見えなくなった。さらに下山をつづけていると、その音はますます近く大きくなって、自分たちの進行方向から十時方向の地点にいると思えたので、二人してそこ目指して真っすぐよじ登ったら、小径に出て、その小径は少し上の森林を伐採して作ったと思われる空き地に続いており,そこにヘリが着陸していた。
見ていると4.5人のオレンジ色の服を来た隊員が担架を持って今まさに出動せんとしている。其れを見てああやっぱりと言う思いがした。あれだけいて、簡易アイゼンも用意せず、高齢者がアイスバーンの路、階段を歩いて無事なわけが無いのである。

 登山口に付くまでの林道の様子も昔とは様子が変わっていた。下に降りて、途中至る所に半休(仮名)旅行社の紙の指示標があった事の意味が分かった。旅行社が中高年ににわか登山者を募り、商売しているのである。
これで、こんなに混んでいるわけが解った。
山はベテランであろうが、非日常状態になれば命に関わる事は同じで、その事態を考えて行動するのがベテランである。にわか登山者は非常事態になるとパニックになる。
携帯電話を誰でも持っているので、簡単に救助を呼べる、今回のヘリもよばれたのだろう。あんな所にヘリの発着出来る場所が確保されていると言う事から考えて、もうこういう事態は常態となっているのかもしれない。

 この山は4000回登山記念の個人の石碑が建っていたりして驚く。四千回と言えば毎日登って10年ちょっと掛かる。あんぐり…。

 亡くなった後輩は冬山で遭難した。
遡る数十年前、*谷川岳の某沢、岩に取っ付くまでのアプローチで、遭難してまだ未発見の三人だったかの情報を胸に、雪面を登っていた時、ピッケルの先に、シュラフかヤッケの切れ端がひっかかってきた。嫌な思いの中、ルートを誤り、遭難寸前となりそれでもなんとか稜線上に出て下山し、引きつけられたのか、遭難碑のある所へ行った。そこには拙い字で「お兄ちゃんさようなら」といつ書かれて置かれたのかはわからないが、黄ばんだ紙切れが石を重しにして置かれてあった。
あの時はじめて、「無常(梵… anitya)感」と言う物を経験し、持った。何のために生きて、何のために死ぬのか。疲れ切った体と心にこの置き紙はこたえた。考えてみればあの時以来、本格的な冬山は、少しの山スキーゲレンデスキー以外は行かなくなった。


*谷川岳
1931年(昭和6年)から統計が開始された谷川岳遭難事故記録によると、2005年(平成17年)までに781名で、世界のワースト記録である。ちなみにエベレストの遭難事故死は178人




→2003年の今日のたん譚












2009年06月01日(月) 日韓伝統文化の側面?



 四日前の五月二十八日は、旧暦の五月五日端午の節句だが、いつの間にか端午の節句を韓国は朝鮮起源、発祥地として「世界無形文化遺産」としてユネスコに申請してそれが認められてしまった(端午の節句は中国が起源)。これは今に始まった事ではなく、何でもかんでも朝鮮起源にしてしまう性癖は、別名朝鮮 ウリジナル(Uriginal 朝鮮語で「私たちの」を意味する「ウリ=우리」とかけて「ウリジナル」)と揶揄されている。

 日本の端午の節句は能狂言にも曲があり、それを調べていて下の映像に出くわし久しぶりに大笑いした。新石器時代から朝鮮に伝わる舞踊と日本の能を文化的側?から淡々と映像にして比較している。朝鮮の言い分は勿論能狂言も朝鮮起源らしい。







無意識的抽象(幼児期の絵)やがて稚拙な具象(児童の絵)→高度な具象(大人の絵)→再び意図的な崩した形の具象(漫画など)
   ↓
    →意図的な高度な抽象
    

この映像の朝鮮舞踊タルチュムの面の表現形式は、児童レベルのものでないとしたら意図的な崩した具象化(漫画化)なのだろうか。そうするとそれに到達するまでには、必ず高度なリアリズムの過程があり、それが残っているはずである。無いとしたら…。朝鮮のあの面は新石器時代からずっとあれなのだろうか。おもろい国や。


→2008年の今日のたん譚 


→2002年の今日のたん譚 











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