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2009年03月29日(日) 天才及び天災(1/2)



 昨日、淀屋橋界隈にある大阪倶楽部に、衆議院議員の西村眞悟さんの話を聞きに行った。今年になって今引っ張りだこの航空自衛隊の田母神俊雄元大将、を大阪堺の眞悟の会が招聘したのにも出かけ(ものすごい人、開場入り口階段まで人があふれ、帰った人もいた)、年始めの新年会にも出かけたので、これはもう芸能人の「おっかけ」に似たものである。何でそうなったか。
「話がおもろい」
ただおもろいなら、ヨシモト漫才のおもろさもあるけれど、あれとは違うのである。
  優れて見事な絵画音楽建築や、文章、論に出会うと立ちすくんでしまうような戦慄が走って虜(とりこ)になってしまう性癖が昔からあって、絵画で言うと、1974年に発表された、 Franz Gertschの一枚の作品、「バーバラとギャビー」の絵葉書を見た時の衝撃がそうだった。かって見た、スペインプラド美術館のベラスケス、パリルーブルのダビンチ、オランダ近代美術館のレンブラント、ウイーン美術史美術館のフェルメール、どの作品よりもびっくりした。
 まだドイツが東西に分かれていた頃、それを西ベルリンのナショナルギャラリーに確かめに行った。どうやったらこんな写真としか思えない作画が出来るのかひと目本物を見たいと思ったからだ。当時西ベルリンは陸の孤島のようで、米英仏ソ4ヵ国のベルリン占領地と言う事になっていた。西ベルリンに向かう途中列車は、ある区間窓のブラインドを下ろせと言われた記憶がある。

 そこまで苦労して行ったナショナルギャラリーはスト祝日などが重なり開いていず、一週間近くただ待った。歴史的建造物に弾痕残る公園に居ても、どん詰まりの落書きだらけの「壁」近くに行っても、頭の中はその繪の事で一杯で観光する気にもなれなかった。

 ようやく開いたと聞き、勇んでその展示室に馳せ参じたらなんと!!、海外貸し出し中の張り紙…。全身の力が抜けて頭から血の気が引いてくらくらし、思わず天を仰いだ。
結局その日から現在に至るも、このオリジナルには縁がなく見る機会がないまま来ている。その後、年を経て此の天才画家の超具象は行き着くところまで行ってしまったのか、抽象画家に転じたと聞いた。此の画家の作品が無くても、今の自分の作風に向かった事は間違いないが、自分がやりたいと漫然と思っていた事をやっている具体的な先人が同時代にいるという嬉しさがあった。



Franz Gertsch  Barbara und Gaby 1974
NATIONALGALERIE・ BERLIN


 これと似た事が、政治家にあった。政治など、アメリカの属国の後は、中国の属国になるのだから、誰がなっても同じだと諦観していた。ところが幽霊作家の多い政治家の本の中で、日本の文明起源から説く政治家が居た。気に入ると文学でも全部読まないと気が治まらない。たちまち全部読んでしまい次は、ご本人の話を聞きたくなる。そうして講演などに足を運ぶようになる。

 大体一・二回聞くと、本に書いてある方が面白い、講演は本を越えるものではないと思った講演者は結構いた。産経新聞産経抄の石井英夫、ソウル支局の黒田勝弘、ワシントン支局の古森義久、文学者では加藤周一(この人などは知識の垂れ流しに近く、学生時代は読者だったが、講演を聴きに行き途中撤収、以後亡くなるまで興味対象外)他評論家など、結構たくさんの人々の話を聞きに行ったが徐々に行かなくなった.本を読んだ方が充実していると悟ったからだ。
 
 西村さんの報告会・講演はとにかくおもろいのだ(生きてきかた?も面白いが)。至極真っ当な事を言っているのに世間の一部ボンクラは極右だとか、右翼だとかで片付けるが、世界的視野に立つと、いっそバランスに翔んだ考え方をしていると感じる。その上に洞察に翔んで、毎回面白い.はっとする考えの道筋(日本と台湾の関係と英国とデンマークの関係の近似性など)がある。で、何を長々書いているかと言うと、政治の世界での「天才」だと思うからである。

続く…。










2009年03月25日(水) 撤収…。



 去年の暮れ、福田恆存原作の劇団四季「解ってたまるか」を観劇した。最初から強い違和感があり、前半を終へ休憩時間を待って京都劇場から撤収、あっさり帰(けえ)った。内容以前の事で、この原作が出来た時代に、既に憲法九条をチンケなものとして茶にしている福田恆存のすごさは伝わったが、それ以外は改めて西洋演劇の不思議を感じてしまった。
 例えば、取調室のシーンで、滑舌が、おばちゃん合唱団みたいに発声を妙にはっきり意識して喋るのがいるかと思えば、なぜかここに二十人近くもの刑事が出演し、その大半は無言で主要役者の後ろにおっ立っている。
さらに狭い舞台にあれやこれや舞台道具がしつらえてある。カウチや背景を使わなければ芝居が出来ないのだろうか。遠近感を出すためだろうか、壁が極端にデフォルメされ歪んでいるので、最初SF劇かと思ったくらいだった。

 日頃、狂言を見慣れている目から見ると、もう情報過多で疲れてしまうのである。狂言には机椅子小道具は全然と言っていい程無い。わずかな職域を象徴する衣装、小道具は手に持つ如意錫杖刀などごくわずかで、酒席などでは扇がとっくりになったり盃になったりする。落語のあれと同じで、こちらで想像する。京の都も想像し歩く。「何かと言ううちに、はや五条でござる」、てなもんで舞台は京の五条となる。家並みも、武者の立派な屋敷も具体的には無いが、ある。
 喋りはもう狂言師の鍛えた腹から出る声を聞いている見物としては、劇団四季のあの発声は聞くに堪えない.ここに伝統と言うもののすごさがある。狂言師、歌舞伎役者は現代劇を演じる事が出来るが、現代劇の俳優に狂言歌舞伎は演じられない、は、肌で感じた。無理である。
 してみるに、あの異常なまでの人員動員は何か?狂言で十数人を動員する曲は、「唐相撲」(幸運にも過去二回見られた)しか思いつかない。
見ていて、はたと気が付いた。その他大勢無能役者は小道具大工他兼務しているのだろう、舞台を作る専属大工を雇うのは大変だ。しかし、木偶の坊(でくのぼう)を「役者」にしておけば彼らはプライドが保てる。喜んで舞台を作る下働きをする事もいとわないのに違いない。

 とはいえ、役者は舞台に立たなきゃ役者ではない。木偶と言えどもとにかく立たさなければならない。かくて、木偶達はずらっと主要役者の後ろに「出演」する(ヨシモトなら絵で描いて済ます)。何人かの有能な役者がこの木偶の坊達の生活費を稼いでいる。S席や SS席が何万円もするのはそういう事情からではないか。
かくて現代劇からさらに足が遠のく。

劇団四季的活路
劇団近死演技不可也延命策有只只黙可踊。
                  司馬ィ遷

(劇団の終焉は近いぞよ、演技は駄目だ。生き残る道は…、ただ黙って踊っとけ!)


→2003年の今日のたん譚









2009年03月18日(水) 悪貨は良貨を駆逐するを、身を以て知る。



 ある日突然…、空気のように使っていたTESLA日本語キーボードが壊れた。打っても頓珍漢な語がモニタに現れる。「あ」は「あ」で、「 a」、「ちゃ」は「ち」「ゃ」で「 cha」「 tya」ではないと思っているので、「かな」で打っている。これに慣れてしまうと、何でみんなローマ字で打っているのか分からなくなる。与えられたキーボード、外国様仕様のまま大人しく飼い慣らされているとしか思えない。 

そうむきにならんでもと、大半の人は思いその不便さを感じなくなるまで習得して、後は惰性で使い続けている人がほとんどだろう。
じゃあ、キーに表示されている日本文字で打てばいいではないかと思っても、今のキーボードに表示されている「かな」は四段に渡ってあり、とても指がついていかないし、覚えられるか!と、思わず口にしてしまう代物で、実用向きではない。おまけに間違いを消すのにデリートキーまでの距離は遠い。小指を右上にひゅーっと移動して消さなければならない。小さなぼっちの着いた人差し指のホームポジションから、人差し指を置いたままデリートキーを打つのは無理がある。

所が、このTESLAのニコラ配列にすると、両人差し指は、所定の位置、左 F、右 Jの位置に置いたまま、デリートキーだって、Lの右二つ横なので、小指をちょっと伸ばせば、十分届く。常に人差し指はFとJから離れることはない。表記は三段に全てある。
濁点(が・ざ など)、半濁点(ぱ・ぺ など)はキーの同時押しで一回で済む。俗に言う親指シフトを習得してしまうと、ローマ字打ち込みに戻った時、そのまどろっこしさに絶望する。
そこで、壊れた専用キーボードのメーカーに問い合わせたら、技術者勉強のため、もう五年近く経っているのに、無償で見てみたいとメールをくれたので、甘える事にした。
 ところが、以前の付属キーボードを引っ張り出してローマ字で入力を始めて呆然となった。初心者に完全に返ってしまって、全然打てない。JIS表示の日本文字は、表記位置が全然違うので使えない。
で、思案投げ首の末、キーボードを改造して、ニコラシフトを使えるようにした。

こんな事に時間をかけたくなかったが、仕方ない、何時修理出来てくるか分からないし、果たして修理できるものかどうかも分からないキーボードを待っていられない。必ずしも、最良のものが生き残るとは限らないことは、ビデオデッキの方式、コンピュータのOSなどを見ても分かるように、この日本文字打ち込み方式もほとんど拡がらなかった。
修理に出した機種は近々再発売されるようだが、今時の相場にしては数万円という設定で高い。
で、Mac用の以前のキーボード二つからキーを取り、スペースバーを外し、そこに短い右親指用のキーを,英数キーのところにコントロールキーを左親指用に加工してキー配列を変え、取り付けた。
だから、意味もなく長いスペースキーはなくなった。
日本人用専用キーボードとちがって、これは外人様用にできているため、各キーの間の距離が微妙に違うので慣れるまでしばしの時間がかかりそうだが、とても快適に打てている。こんな感じのキーボードになった。日記がしばらくかけなかったわけはこんな訳でした。


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スペースキーは無くなり、代用左右親指キーに変えた。キーボードのかなの印字とTESLAでの位置は全然違うが、ブラインドタッチが出来るので、大丈夫。このキーボードを前にしたら、配列が出鱈目なので、他人はまず使用不可。


→2002年の今日のたん譚 −韓国での心得(W杯によせて)−










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