目次過去未来


2007年12月31日(月) 大晦日



 昼過ぎから、窓を拭き,庭に吹きだまった落ち葉を掃き、今となっては違法の落ち葉焚きをし、天井のすす払いをして、夕刻蕎麦を打ちお節を少しもらって、ビール、酒、障子を開け放して、除夜の鐘が聞こえる頃には、ロゼのシャンペンで酩酊。鯛の子の爆ぜ煮は何にでもよく合う。
今年も過ぎていく。二度とこの平成十九年は来ない。
後の世の人達がこの年を歴史としてみるとき、何が鍵となって残っているのだろう。
今年も無事過ごせたことに感謝し、こんな三文画家の日記を読んでくださっている皆様にも感謝します。良い年を共に迎えましょう。

深夜12時を待って玄関先に国旗を揚げ、就寝。


→2002年の今日のたん譚


→2003年の今日のたん譚


→2005年の今日のたん譚









2007年12月21日(金) ラヂオ体操



 フィルターのかかった放送を多く流すNHKにしては、珍しく日本の良き点を留学間もない外国人にレポートさせ、いくつかの候補の中からクール(かっこいい)と思うものを選ばせて、最後に日本人司会者が選ぶと言う内容のクールジャパンと言う番組がある。BSの1か2か、だが、これが面白い。とにかく留学してすぐの日本だから、彼ら外国人にとって日本は想定外の驚きの国なのが見ていてよく分かる。自然や建築、文化にしても、生活にしても「驚き」なのだ。
先日、友人と酒を飲んでいて「ラヂオ体操」の話がでて、このクールジャパンの番組を思い出した。町行く人を引き留めてこのラヂオ体操の曲を流してみる。日本人なら当然のようにサラリーマンもおばちゃんもじいちゃんも、体が曲に合わせて勝手に動く。
確か、ピンクレディという二人組が歌って踊ってヒットしたUFOと言う曲も、町行く女の子、女の人に曲をかけると殆どが踊れたのを見たことがあるが、これは、ヒットした一時期に影響を受けた人(主に女)に限られて普遍的には行き渡っていない。

 このラヂオ体操出来るかチェックを、留学生君はあらゆる所で試み、誰でも即座に出来るので心から驚嘆したようで、これぞ共同体を培うものの一つだと評価していた。他の学生の一人は信じられないとも言った。
この無意識の「和」は日本独特のものだろう。
そう言えば、小学生の頃夏休みの早朝、学校にラヂオ体操をしに出かけて、帳面にはんこをついてもらった記憶がある。行かねばならないと思っていった覚えはない。たん譚は田舎が徳島なので、二時間目と三時間目の間だったか、全員が校庭に出て、阿波踊りを踊る時間があった。だから、全員が踊れた。今はその学校も、各学年二クラスくらいしかないらしいので、その行事がどうなっているのか分からない。これでは全員と言ってもしれている。

 アメリカの保険会社が、顧客がはやばやと健康を害して死んでもらっては商売あがったりなので、長いこと生きてもらうために始めた?のが原型で、アメリカでは廃れたが、日本では、1928年に当時の逓信省簡易保険局(現かんぽ生命保険)が制定し、同年、昭和天皇が京都御所で即位した、御大典記念事業の一環として放送を開始した。正式名称は国民保健体操。
照宮成子内親王もラヂオ体操に御執心なりと言うことが伝わり、当時ラヂオ放送と言うこともあって、アナウンサーはパンツいっちょうで体操をしていたのが、翌日からは蝶ネクタイに燕尾服で以後行ったという笑い話のようなほんとの話が伝わっている。
 今、放送されているのは、ラヂオ体操第一と第二で、戦前のベートーベンの曲で行われた第三は戦後新しく第一第二が出来て廃止された。
第一は、昭和26年(1951)に服部正、第二は翌年團伊玖磨によって作曲された。
第一は、小学校から、職場まで幅広く行われ、主に事務職向けの体操だと言われている。一般的にはラジオ体操と言えば、第一体操を言う。
 第二体操は主に、小学校から高等学校などで行われ、作業などを行う現業向けの体操だと言われている。
このラヂオ体操は、休止されたことがほとんど無く、1989年1月7日、昭和天皇危篤の臨時ニュースの時、同年、1月8日、前日の昭和天皇崩御に関連した特別番組放送のため休止した。
また、2006年7月5日、北朝鮮のミサイル発射ニュース放送で、2006 FIFAワールドカップ準決勝「ドイツ×イタリア」が総合テレビから教育テレビに移され、それが延長戦に入ったため、テレビ体操も5分遅れで放送された。

 世代を越えて伝承されるもの、きっかけは何でもいい。親子三代で歌える歌。祭り、行事、日本は箸の上げ下ろしから何から、これらの集大成の国である。
奈良の法隆寺は遺跡ではない。仁徳天皇陵も遺構ではない、天皇家は現存している。
こういった大きなものではなくても、日本人が無意識に取り入れて、知らぬ間に定着したものは大切にしたいと思う。留学生の何人かは持ち帰って広めたいと言った。









2007年12月12日(水) アリマキとブフネラ (2/2)



               ****

 予定がすべて終わり、帰国するに当たってわけあって数人が一日よけいに台北に残った。その日、一人であちこち歩いた。町には新聞をにぎわしていた駅前のNOVAのような語学学校が台湾では駅前の日美語である(日語は日本語、美語は英語)。

 行き当たりばったり歩いていると、突然一角が日本の昔の長屋商店風の風景が現れる。わずかに日本が残っている。言語にもそれがあって台湾語となった日本語が多くある。
英単語の中の六割近くフランス語が残るがそれほどでないにしても、歴史のあかしとして残っている。

 流行の居酒屋、和民はあるは、ローソン、セブンイレブン、吉野屋他、歩いていて、ヨーロッパにはない安堵感、異邦人ではないと感じる心地よさがある。

 ここに日本から来ている留学生は幸せだ。日本語を解する人々がいて、人々は親切で同じ顔をしていて、根の所で日本人に対する深い憎悪がない(まだ、まったく相反する人に会っていない)。今回行動を共にした留学生に聞いた。語学留学なら、当然台湾語かと思ったら違った。そのいう北京語だと分かって少しがっかりした。北京語は中国の北京で話される方言である。標準語という意味で使われているかもしれないが、あれは東京弁みたいなもので、日本やフランスで使われている標準語という意味の語ではない。なんで台湾で北京語なのだ。それなら北京に留学した方が手っ取り早い。
 それはさておき,日本の若者がTシャツの胸に横文字を入れることがかっこいいと感じるのと同じように、台湾では、日本語を入れることがかっこいいと思う感覚があるらしい。

 去年、懇意になった高砂族のおばちゃんのやっている茶舗を迷い迷い歩いて訪ねた。高金素梅は悪い高砂族と言った事で意気投合親しくなって、今回、李登輝さんの後左横(はじっこにいたのをカメラマン氏のもっと真ん中にとの声で、西村先生が引っ張ってくれた)で厚かましくも記念写真が撮れたのを見せようとおもった。
一年ぶりなので、世間話をして、来年の総統選挙の話から、李登輝前総統の話になった。写真を見せた(写真は次の日にはラミネート加工されて手渡された)。ところがである。言下に「李登輝大嫌い!」と吐き捨てるように実に憎々しげにいうのである。てっきり「よかったわね」とか何とか、話の糸口を見つけて話をしようと思ったのが予想外の展開となって、こっちも後には引けない。性格的にも場所的にも、ああ、そうですかとお茶を濁して(茶舗だけに)終わりというわけにはいかない。

たん譚 「どうして?」

店主 「李登輝は自分が国民党にいたときから、民進党のために金を使っていた、私腹を一杯肥やしてはなもちならんわ」

たん譚 「日本人で台湾のこと関心持っている人だったら李登輝のことみんな好意を持ってるよ」

店主 「ああ、でももう過去の人、だめよ」

たん譚 「じゃあ中国と台湾の関係をどう思っている?」

と聞いてみた。そしたら

店主 「台湾は中国に任せるの、それが一番」


たん譚 「そんなら次の総統選は馬英九(台湾にいて台湾語が喋れない)指示か」

と聞いたら、否定はしなった。

試しに

たん譚「ハンサムでかっこええしなあ」

と言ったらにこっとした。

人は、昔から見てくれとマスコミに弱い。



←比較的ましな(と言われている)台湾自由時報 07/11/18/星期日(日曜)
   (写真は西村眞悟代議士と台独連総本部主席黄昭堂氏
    記事の上段の民主党…は、無所属の誤り)

 台湾のTV・マスコミは中国系、国民党系に牛耳られていて、非常に偏っている。例えばホテルに泊まっている間に見た、政党コマーシャル?で,かって民進党にいた議員で犯罪を犯した人の顔と、懲役年数などを縦横十人十列くらいに並べて、最後に民進党とロゴが大きく出て終わる。
これを初めて見ると、いかに民進党に犯罪者が多いかという事を知らせる反宣伝工作に乗せられてしまう。毎日毎日これをやられると、無意識に反民進党になるおそれがある。
多くの人は、民主主義の國だから、政治は投票で政治家に任せていて、後はマスコミ、メディアを通じてしか情報のつてはない。インターネットだって黙ってつないで本当のところが何かがわかるわけでもない。これが大陸よりの特定メディアに握られていると、世間は自然そういう空気になるのは日本も同じである。

 日曜の朝に、たまたまつけたテレビ映画は反日映画であった。舞台は上海か?日本の兵隊達が、仮病院みたいなところに来て、医師?に乱暴狼藉を働こうとしたとき、健気なイギリス少年が出てきて土下座して許しを請うと、ちぇっと言う顔して引き下がる。この少年は、後に勇敢にも日本軍の陣地に忍び込んで、イギリス兵士達に喝采を浴びるのだ。朝からこれでは、日本人として気分が悪かった。
他方、実生活のホテルには、日本語専用回線の電話があって、夜中の二時でも無線LANのパスワードを部屋に届けてくれる位、日本人に対してのサービスは、抜群である。



 ここの高砂族のおばちゃんは、インターネットで、今年の冬茶の販売開始を知らせてきた。いくらインターネットが出来ても、政治の局面,何がどうかを探り当てる能力は別物である。
腹立てた上に茶葉代は目玉が飛び出る位とられた。茶が高いのは分かっていたが、くそ!婆さん、高金素梅ぼろくそにいうもんだから、てっきりいい高砂族だと贔屓にしようと思ったのに、「大陸指示やったら*熟蕃やないか!」と思ったが、口には出さず茶舗を後にした。

 最後に、気がついた事がある。国立師範大学(日本の教育大学にあたるという性格もあるが)構内には見る限りの学生誰一人、台北駅前新三越前の雑踏の中にも若者の金、茶髪は見かけなかった。いくら日本に影響されているといえ台湾の若い人はまだ正気を保っている。
 夜十時頃、台北駅、新三越横にある、スターバックスに行ってまたびっくりした。男同士、カップル,顔つき合わせて何かしている。大きな話し声は聞こえない。よく見ると、なんと殆どの若い客は勉強していた。三階建ての最上階は、喫煙客のために窓なし!の所が用意されていて、そこでも本を開いて勉強している姿があった。京都のスターバックスで見かけるのは、喋っているか、コンピュータを使っているかで、大半が勉強をしているといった、図書館のような雰囲気はない。それと関係あるのかどうか、12/05の産経新聞に 台湾、数学的活用力世界一(OECD国際学習到達度調査),地域の努力値で台湾は三位、日本十五位と出ていた。

高金素梅…元俳優・歌手で現在無所属の中華民国立法委員で有名人らしいが、日本では、靖国神社の前で、国内にいる反日的な日本人と共に、靖国反対を叫んだ、お騒がせ女である。
かって台湾が日本だった時、戦時先頭に立って活躍した高砂義勇兵の顕彰碑を、大日本帝国を殊更賛美していると碑撤去運動を近年起こし、ついに撤去させた。
父は外省人(中国本土の人)で、母は高砂族のタイヤル族、本人は北京の民族大学を出ている。下半身スキャンダルで有名で、マスコミには「誹聞天后」(お騒がせ女王)と揶揄されている。

台湾語となった日本語…。「きもち」「べんとう」「とうさん」「おじさん」「おでん」「すみか」「運ちゃん」他多数   参考文献 台湾における日系借形語の一考察 研究生:徐宗 指導教授: 林玉惠 銘傳大學應用日語學系碩士班)

*熟蕃…
台湾島の平地に住み漢(大陸)化が進んだ原住民を「(へいほばん)−平埔蕃−」と呼び、特に漢化が進んだ原住民は「熟蕃」と呼ばれた。同時期に、漢化が進んでいない原住民を「生蕃(せいばん)−高砂族(たかさごぞく−)と呼んだ。



→2004年の今日のたん譚 ついに猪出没す









2007年12月05日(水) わが通る道はありけり(2/2)



 上高地から穂高の中継点の涸沢に行くまでの行程は、少しだけ政治家の気持ちが分かる。バスターミナルのあたりはそうでもないが、会う人会う人さすがに握手はしないが、軽く頭を下げつつ、「こんにちは」を繰り返す。夏場だと、数百人行き交う人と挨拶を交わす。正直うんざりするが向こうもおなじ、とにかく挨拶する。帰りなどは一挙に降りてくるのでへとへとだが、会えばもう声を出すのも面倒で、軽く頭を下げるだけになる。それでも挨拶をする。政治家だとこれに握手したり、抱擁(これは無いか)したりしなければならない。有権者にしたら、支持者の握手は嬉しいに決まっている。が、握手は一回である。政治家は来るものを拒めない。選挙の時などたぶん手は腫れ上がるのではないか。
山に入るときくらい、政治やイデオロギーはちょっと置いておきたいと思うが、今回唖然とするものを見た。写真を見てくれ。




徳澤に続く道から、徳本峠の分岐を少し入った山の中の登山路沿いの木に貼り付けてあった。

「なんやこれ!」

なんで「戦争」が突然出てくるのか。果てしない単細胞を感じた。
山と人命大切に? 何で「人命」なんだろうか「命」ではないのだろうか。
 
 美しい自然を壊すのは「戦争」ではなくて、この醜悪な看板そのものだ。
断定的に「戦争反対」といったその後半突然優しくなって、「空き缶、ゴミ、良心(??)は持ちかえろうね」と、まるで子供に向かっていうような文章。こういう文章は本当に気味が悪い。

自然が美しいなんてのは嘘で、確かに自然を美しいと感じる感性を持つ人もいるが、人工的な都市の夜景を美しいと感じる人もいる。
そして自然は美しいより何より、過酷で怖い。台風、落雷を平気だと言う人はいないだろう。美しいと思える森林や沢筋も、人間が環境を整え手を加えてきたのだ。猿や鹿は自然が美しいなんて露程も思ってないだろう。日々の糧を得るためにただ走り回る所なのだ。

 自然に「美」は存在しない。人の心にだけある。なぜか。それは人間の存在が不自然そのものだからである。

 これを書いた奴の頭の中では「戦争は絶対悪」との思いがあって、何にかこつけても、これを言いたいがために、書いたのだろう。別に山でなくても自然でなくてもいいのだ。「戦争」がいやなのだ。いくら戦争がいやでも、病気と同じで無くならない。地球から例へ消えたとしても、今度は宇宙間戦争としてまた、始まることだろう。
病気絶対反対と言っても詮無い事で、反対をいうより備えを考える。普通の人はそんな事くらいとっくに知っていて、健康保険に入って、もしもの時に備えている。

書き換えてやろうか。

「山と人命を大切に
自然を壊す元凶、全ての人間の入山に反対」

したらどうなるか。山は荒れ放題になる。美しくなくなる。










myrte21 |MAILHomePage