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2007年10月18日(木) 拝啓 P・クローデル様 賞賛返上



 先日、福田政権に替わり、俄に心情穏やかざる心地し、奈良での国民大行進(朝鮮からすべての拉致被害者を奪還する)に出かけた。近鉄奈良駅から、途中朝鮮総連の前を通り、JR奈良駅までを歩いた。運動が小さくなってしまうのではないかと心配で出かけたが杞憂に終わった。だから、大行進の話では無い。

 殆ど毎日、家に居て仕事をしているので、朝のラッシュ時電車バスの混雑時の人々の様子などはついぞ知らない。普段でかける時も、家に自家用車が無い代わりに、タクシーを利用するから出会う事が無い。
時たま、会合などで、大阪奈良などに出かけると、電車の中で大勢の人と一時を過ごす事になる。
 この日は土曜で、近鉄奈良線の停車駅からどやどやと男子高校生のグループが乗り込んで来た。学生の一人が横に座った。そして大きな手提げ鞄から、何やら取り出した。目の端に写るそれは、文庫本より少し大きめの鏡であった。その高校生は自分の頭をそれでじっと見ながら小一時間、毛繕いをしていた。隣の友達に、「眉毛これでいいかなぁ」と聞いている。
開いた口を閉めるのに一苦労した。嫌なものを見てしまったと思ったが、甘かった。

 次に、警察の先導の下に、病院近くでは声を落とし、遠慮がちに静かに通り過ぎるような、紳士淑女の大行進の人々に対して、中高年のばぁ様が、「もっと端を歩け!」とすれ違い様言ったのである。
確かにそこは狭い歩道であり、二列になって歩いていても一杯になる。もうちょっとものの言い方があると思うのだが、そう言い放って去った。あのばぁ様にとってこの行進は自分の邪魔になると言う迷惑行為としか映ってないのだろう。

 極めつけは、行進も終りJR奈良駅前広場で解散した後、電車の時間が少しあったので、近くを逍遙した。よくあるコンビニの前を通り過ぎようとしたその時である。薄暗くなった通りに明るい店内の光が歩道を照らしているその明かりの端に栄養の良さそうな生白い足が見えた。
絶句した。制服にしては妙に短いチェックのスカートをはいた女子高校生が二人、地べたに座り込んで、店の方に向かって半分膝を立て股を開き、足を投げ出して、なんと!どんぶり型のカップラーメンを食っていた。
まじまじと顔を見たが、何の羞恥心も持たないようであった。人の形をした獣を見た感じがした。駅のすぐ前には、先ほど解散した広場があり、ベンチも有る。
注意してどうにかなると言うレベルを超えている。
 衣食足りて礼節を知ると言うが今は、衣食足りすぎて礼節無し。どうしようもない精神の貧困の群れがいつの間にか存在している。
格差社会と言うが所得の格差より、精神の格差の方が日本人を滅ぼす。日本に大使(昭和18年頃)として駐在したフランスの大詩人ポール・クローデルは、親友のやはり大詩人のポール・ヴァレリーに「私が滅びないように願う一つの民族がある。それは日本民族(大和?)だ、これほど注目すべき太古からの文明を持てる民族を他に知らない。・・・彼らは貧乏だ。しかし高貴だ。
この賞賛は返上しなければならない。

「親の顔が見たい」という言葉が近頃、しみじみと理解出来る。










2007年10月12日(金) 主権より国連のお騒がせ



 国連決議を待とう、国連の査察を継続…、国連で戦争回避?…。

 これを見ていると、国連はまるで戦争をしないように働いている組織のような、平和団体のような錯覚がある。そうだろうか? 国連とは、第二次大戦中、日独伊(を枢軸国と言った)と戦った「連合国(The United Nations )」をいう。これからも解るように。「国連」は「連合国」という軍事同盟から生まれたものだ。世界連邦や恒久平和を目指しているというのは幻想である。

 1945年4月に国連憲章(連合国憲章)を作るために、連合国(米ソ英中)は各国に参加招請状を出した。参加条件は「1945年3月1日までに枢軸国(日独伊)に宣戦布告をした国」という条件が付けられていた。この時、枢軸国(政治的活動の中心国)の日独は戦っていた。だから、あわてて枢軸国に宣戦布告したりした国もあった。中立を国是としているスイスが対象外なのは当然だろう。

 だから国連は、枢軸国に宣戦布告した「国際連合国」というのが本来なのだが、それが解るのを嫌ってか、日本では「国連」とした。そうするとあら不思議!
平和のために世界が集まっているような錯覚に陥る。
多く日本人は思っているだろう。

 そこでさらに追い打ちの一撃。
 国連が平等でないことは、成り立ちから枢軸国に対してできた連合だからあきらかで、中心五大国(中ロ米英仏)は、拒否権を持つが、それに反して、当時の枢軸国(日伊独)に対しては国連憲章の「敵国条項」と呼ばれる第107条で縛っている。

 第107条…この憲章のいかなる規定も、第2次世界戦争 中に、この憲章の署名国の敵であった国(日本やドイツ)に 関する行動で、その行動について責任を有する政府がこの戦 争の結果としてとり又は許可したものを無効にし、又は排 除するものではない。


 また国連は平和裡に手を打つ組織ではない。ちゃんと、第42条に「国際の平和及び安全の維持又は回復に必要な空軍、海軍、陸軍の行動をとること ができる。」と、武力行使を認めて、絶対戦争反対の平和組織ではない事がわかる。それに発足当初、独自軍隊を持つことも検討されていたが、米ソ冷戦中の事で、共同軍事行動など不可能であったことから見送られた。

 国連憲章は、各国の個別的自衛権(国家グループでの同盟関係…NATOや日米安保)と、集団的自衛権を認めている。 国連は、主権国家を認め、その間の調停を目的とした機関なのであって、何か世界連邦的なものの為の期間ではないのだ。

 我が国日本は、国連の、主要五カ国中二カ国、中・旧ソ(現ロシア)の多大な援助国である。自立できていない国が主要国に二国有り、経済大国で自立した国が国連の敵国である。

 この「敵国条項」を破棄しようとすれば、憲章を変えねばならない。そうすると各国が修正要求を次々出してきて、憲章自体が崩壊してしまう。だからいまだに、この107条を日本国政府が撤回せよという、要求をしているにも関わらず、国連は出来ないでいる。国連は矛盾の上に成り立っている組織で、それは当の米国が一番良く知っている。

イラク問題の後、米国は国連の主要国からフランスをはずし、日本とインドを入れようとする話も今でている。そうすると泣いて頼んで入れてもらったフランスはどうするのだろうか? 

どちらにしても今の国連は矛盾に満ちている。

 
 お騒がせ国連を、金科玉条とす一臘誤てり。


 2003年03月16日(日)国連てなんだ? より、再掲載









2007年10月09日(火) これは事件か?



 見たことも聞いたこともない、タレントの女の子が傲岸不遜だとか「謝罪」?したとか騒いで新聞も載せていた。何のことか分からなくて、やがて了解した。
いつだったか、町内で映画のロケがあった。「映画の名はクローズドノートといいます、ご迷惑かけます」と回覧板が来ていた。直接見たわけではないが、晴れの日に雨降らしたり撮影も大変だと思っていたら、主人公?も世間に迷惑かけたらしい。
何でこんな事が新聞に載るのか。スポーツ新聞か何かに載せてくれ。騒ぐほどのことか。インターネットで検索アクセス数が、第一位であるという、マスコミは乗せられたんじゃないか?










2007年10月03日(水) 沖縄で十一万人? と法廷ライブ



 あの秋田の信じられない事件、我が子が魚を見たいと言うので、橋の上まで連れて行った際、欄干に腰掛けさせ、背中を押して川に突き落とし溺死させたあの事件、後日近所の子供に見られた?と思い、その子も殺した、新聞が書くところの「鈴香」容疑者の、法廷ライブを産經新聞のweb版でやっていた。
傍聴した記者が、速攻でネット上に証人、被告、裁判官弁護士のやり取りを書いていた。

 我が子我が家族に手をかけるという異常事態は、この前大阪地裁で傍聴した沖縄集団自決、軍が命令したかどうかの裁判、の出張裁判が先月沖縄(非公開)であったが、その時の証人、軍命令があったと主張する金城重明(当時、島民)という人の事を思い出した。この人の言い分では、軍から手榴弾が二個づつ配られ、一つは攻撃用、残りは自爆用だと言われたという。この人は、家族が死にきれないので、自ら家族に手をかけて殺した。
 戦後、人間の最も深刻な葛藤、結局自分は生き延びてしまった事へのどうしようもない苦しみからだろうか、確か牧師になっていた。昔読んだ本にはそう書かれていた。

 特攻隊として出て行った赤松隊が、現地の人達に指し図したり、まともな迎撃用の迫撃砲や、手持ちの銃さえない隊が、住民に手榴弾を与える事自体不自然だと思っていた。やはり、この前の沖縄での裁判で、この金城(重明)証言がかなり怪しいものだと解って来た。生き残った人で手榴弾を実際に受け取った人が見当たらないらしい。( 訂正10・4 →軍命令ではないと言い切る、集団自決で生き残ったもう一人の金城(武徳)さんによると、どこから持って来たか、手榴弾は二十人に一・二個もらったと言っている。手榴弾が島民の手に渡っていた事は事実のようである。ただし金城重明発言は微妙に違う)。
最後は「軍の命令」が、渡嘉敷島だけに降りたと主張したようで、普通は「手榴弾で自決せよの」命令が、渡嘉敷だけに限定されるなんて、軍のネットワークから見て、ありえないし、どちらにしても記録に残る。
さらに「天皇陛下万歳」を言って自決した事は、軍の命令と同じだと言っている。なんか滅茶苦茶な言い分である。

 気になるのは、、アメリカ軍は善で、日本軍は悪だという空気でものを言っている(戦後発刊の鉄の暴風の論調も)事だ。
 戦時、ろくに装備も持たない島に対して、硫黄島のごとく、島民が居るにもかかわらず無差別に砲弾を雨霰と落とした米国に対して文句を言わず、元々は特攻隊として命令を受け、ベニヤ板の船に爆弾を抱え、夜闇に乗じて島から米国船隊に体当たりの任務を負った赤松隊に対して、鬼畜のごとく糾弾するこの金城と言う人は、異常事態下において、自分のやった行為の責任転嫁の形で赤松隊長以下を糾弾しているとしか思えない。特殊状況下に置いての責任なんて誰にも追求出来ない。金城さんを誰も責めない。同じように赤松隊を名指しで特定し責める事も出来ない。自発的な死は尊厳死として島民の崇高な精神としてこちらに訴える事は氷雪の門と同じであるのに無理矢理命令でというのは事態として醜い。

 赤松隊特攻の夜は、隣の島から来た上官の沖縄本島への送還の命を受け、最後のチャンスの攻撃を断念し島に残る。後、降伏、敗戦。

 戦後、わずか二人の証言を元に、沖縄タイムスは集団自決を含んだ「鉄の暴風」というかなり怪しい本を出す。この二人は、実際その場に居た人ではなく、すべて聞き覚え、噂の域を出ない証言を元に鉄の暴風は編纂されている。おまけに内一人の証人はそういうインタビュウを受けた記憶が無いと否定している。これが、全ての始まりで、後はこの本(厳密には三冊ある)の孫引きで作られていると言ってもよい。  

現在沖縄で十一万人?が集まり、沖縄集団自決が教科書から消えた事に対して、反対している。間違えてはいけないのは、集団自決が「あった」事と、「軍命令があった」事とを混同してはいけない。
裁判の争点は、「軍命令有りや無しや」なのであって、集団自決有無の争いではない事だ。
いくら、何万人集まっても、例えば2+3=5なのであって6にはならない。人数は関係ない。この集められた人々は、自分で書物一つひもとく能力はないのだろうか。最近どんどん事実が分かって来て、軍命令はないと言う事が解り始めて、強制性(あの従軍慰安婦で強制はないと解った時点で出て来た)という概念をまたも持ち出そうとしている。

 沖縄集団自決訴訟なども、記者がライブで法廷の様子を伝えてくれるとありがたい。先月、大阪地裁に傍聴に行った時も、午前中の赤松隊の知念副官証言はもとより、午後、用意してもらって居た席が一杯で、前半は図書館で過ごし、後半だけ傍聴出来たが、半日つぶれてしまった。ネットでやってくれると本当にありがたい。途中からの傍聴は、流れに追いつくのが大変だった。


本件で争われているのは、渡嘉敷島の赤松戦隊長と座間味島の梅澤戦隊長(原告梅澤)から自決命令が出たか否かであるという点。大阪地裁で被告側証人にたった宮城晴美さんは、自分の著書を書き直してまで(自分の母親が言った「軍命令はなかった」、座間味村史の中では、軍命は確認出来ず、と言う事に関して)「隊長命令」があったように持って行こうとしている、母は嘘をついていると言うのである。聞いていて自分の母親を信じていないのは、悲しく思った。

氷雪の門
北海道の北端、樺太の対岸に位置する稚内西側の小高い丘陵にある稚内公園「氷雪の門」の傍らに、昭和20年8月20日、樺太の真岡電話局で、9名の若い女性電話交換手が、迫りくる戦火の中、崇高な使命感のもとに職務をまっとうし、ついに青酸カリで自決した事実を知らせる慰霊碑「九人の乙女の碑」がある。

碑文

「戦いは終わった それから五日 昭和二十年八月二十日 ソ連軍が樺太真岡に上陸を開始しようとした その時突如日本軍との間に戦いが始まった 戦火と化した真岡の町 その中で交換台に向った九人の乙女らは 死を以って己の職場を守った 窓越しに見る砲弾の炸裂 刻々迫る身の危険 今はこれまでと死の交換台に向かい 「皆さんこれが最後ですさようなら さようなら」 の言葉を残して静かに青酸カリをのみ 夢多き若き尊き花の命を絶ち職に殉じた。戦争はふたたびくりかえすまじ 平和の祈りをこめ尊き九人の乙女の霊を慰む」



→2001年の今日のたん譚 亡国の建築













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