目次 |過去 |未来
2007年03月31日(土)
なかった、沖縄の集団自決強制
「沖縄の集団自決」に関して民放のどのニュースを見ても真相は分からない。この事に関して「教科書記載七社全記載が変更…」て、後の一社はどうなんだ。報道しない。全部で教科書は八社ある 。(訂正;04/01 高校の日本史なので10種のうち七種) 沖縄の集団自決軍強制はありえない。この辺の詳しい事は、曾野綾子さんの著書や、今度スカイバーフェクTV の767chから、ハッピー241chの無料放送に移行した、チャンネル桜の詳しい検証放送を視聴したら、無かった事がよくわかる。 民放はサヨクもどきの洗脳ばぁさんやじいさんの意見ばかり取り上げて(人は嘘をつく)、なぜ教科書がそれを改めたかに着いて、客観的に取材をしようとしない。 「自殺した者は国の戦後年金保証対象外」の事情から、軍が強制した事にすれば、島民に年金保証が得られる事から、軍の責任者が、みんなが助かるのだったらと、そういうことにした事がわかってきた。これは住民の方達が明かした事である。民放はこの事をしってかしらずか報道している。 当時の住民に今のような反日的な日本人はいなかった、みんな一丸となって戦った。だから米国に捕まるくらいだったら自決するというのが島民自身当然持っていた意識だった。 軍は自殺を「軍人ではないのだから」となんと反対している。 詳しく真相を知りたいなら、チャンネル桜のアーカイブ で検索「沖縄」で有料(100円くらい)だが「桜沖縄スペシャル− 集団自決の真実!軍命令はなかった(1〜4)」で映像で見られる。かなり詳しくインタビュー形式で取材している。 納豆で放送免許取り上げるのどうのこうの言うんだったら、再三に及ぶ、真実を伝えない民放特にTBS、朝日NHkの偏向下請けおまかせにこそ、放送免許取り上げすべきだろう。 「従軍慰安婦」について、加瀬英明さんがニューズウィークに反論を掲載した。日本語版は来週発売なので読んでいないが、内容は手に取るようにわかる。占領軍が日本で起こした強姦暴行の件数(神奈川だけで一ヶ月だけで二百数十件 、*訂正4/6 二千九百件。占領期間七年間の間に三万件)を知り、他国の女を傷つけないために自前のプロの慰安婦を用意した日本の事情を知れば、米国他外国人にとって黙るしか無いだろう。自国の事を胸に手を当ててよーく考えてみよう。* 歪曲報道 高山正之 →2002年の今日のたん譚 「桜とお花見」
2007年03月27日(火)
世界の民に The Rape of Nanking !?
この前の日曜に大阪護国神社にて映画「南京の真実」(仮題)の製作を* 支援する集いに行って来た。盛況で何よりであった。ここに「南京の真実」(仮題)の11カ国語訳がある。多くの外国人を友に持つ人に紹介して欲しい。 (Eine Fälschung) Der Raub von Nanking ( Informationen Kriegsführung ) Nanjing Blutbad ( Reklameanzeige der Lüge ) ( Uma falsificação ) A violação de Nanking ( Guerra da informação ) De massacre Nanjing ( Propaganda da mentira ) ( Подлог ) Изнасилование в Нанкине ( Информационная война ) Нанкин массовые убийства ( Реклама на ложь ) ( مزورة ) اغتصاب نانكينج ( حرب المعلومات ) مذبحة نانجينغ ( اعلان من كذبة ) ( 捏造 ) 强奸的南京 ( 情报战争 ) 南京大惨杀 ( 广告说谎 ) ( 날조 ) 강간·오브·난징 ( 정보 전쟁 ) 난징대학살 ( 사기의 광고 ) ( Una falsificazione ) La violenza di Nanchino ( Guerra delle informazioni ) Massacre di Nanjing ( Pubblicité della bugia ) ( Una falsificación ) La violación de Nanking ( Guerra de la información )Masacre de Nanjing(Anuncio de la mentira ) ( Un faux ) Le viol de Nan-King ( Guerre de l'information ) Massacre de Nanjing ( Publicité de mensonge )「南京の真実」(仮題)の11カ国語訳
↓
* 主催:さくら草莽会 河内国民文化研究会 →2003年の今日のたん譚「値違ひ奇にして今宵寝違ふ」
寝床に入ってから本を読む習慣があり、連日面白さのあまり明け方6時過ぎまで読んでいた。朝六時過ぎ頃になると北隣の家の白梅の木辺り?に鶯が数日前から同じような時間帯にやって来て、鳴き始める。間断なくさえずっているのだが、何だか変なのだ。 ホーホケキョ・ケキョ・ケキョ・ケキョ・ケキョときて、またホーホケキョまたは簡単にホーホケキョと単音節?で鳴くのが常道なのだが、白梅の鶯はどーも新参でさえずりの練習をしているとしか思えない鳴き方をする。ホーホー、ホーホキョ・ホキョ・クキョ。キョッ・キョッ、聞いていて思わずガクッとずっこける。ホーホーキョッ、ホーキョ。ホーキョはないゾ。ケはどうしたケは! ケが(怪我)無くてよかったね何て言ってる場合ではない。お前はほんまにウグイスか?おもわず独り言ちてしまう。 本当に下手で三日めもまともに鳴けなかった。聞いていて、もしやこいつは、父(てて)無し子かも知れないと思うに至った。 うぐいす(他の鳥達も)は放っておいて「ホーホケキョ」と鳴けるわけではない。産まれてすぐにカラスの側に置いておけばからすのカーカーの鳴き声になる。先生が必要なのだ。普通は親が先生だ。 中学生の頃うぐいすを飼っていた。いい鳴き声に育てるには、いい鳴き声の鶯の横に置けと教わった。 きっと今来ている鶯は、教わる前に何かの事故で親を失ったかどうかしてちゃんと教わらなかったのに違いない。鳥には鳴き方が、地鳴きとさえずりの二通りあって、唄うように鳴くさえずりはどうも機嫌のいい時のようなのだ。 うぐいすの普段の鳴き方(地鳴きという)は、人が舌打ちする時の「チェッ!」と言う音を連続して繰り返すような音で、これをやると山で鶯を呼べる。 20世紀初頭フランスの作家で映画監督だったマルセルパニョルと言う人がいた。マルセイユで幼い頃過ごした。父は小学校の教師、当時の進歩的教師で宗教を信じなかった。幼児のマルセルはこの父が教壇に立っている間、教室の最後列の席に子守りも兼ねてか置いておかれた。 ある日、生徒達に黒板に書かれた綴りを読めと書いたそれをマルセルは読んでしまう。誰も教えていない。それなのにいつの間にか覚えてしまって学習していた。 それからと言うもの、家では本と言う本、意味も分からず手当り次第に音読していたらしい。親が本を取り上げる程であったと言う。そういうことがあってやがて作家になり監督になる。 この事からも周囲の環境が子に与える影響は絶大でへたをすると将来が決定されてしまいかねない。それも自我の芽生える前が肝心なようだ。無尽蔵な受容器を持っている。音楽学習などはまったくそのように思える。 そんなことをこの音痴の鶯君から思った。 うぐひすのなく早旦ごとに聞てみれば うつろふ囀(てん・さえずり)に露(つゆ)ぞ吹きける 詠み人知らず(古今集)か? *家人に、うぐいすの子供は子指くらいで、孫はもっと小さくて小指の先ほどで、並んで止まっている図はとてもほほえましいとでまかせを以前言ったのを、最近までずっと信じていたらしく詰問された。本当はウグイスの若鳥は見場も成鳥と同じ。 うぐいすとめじろをその色から混同している人が多いので色見本を示しておく。ちなみに、梅の木に蜜を吸いにくるのはめじろで、うぐいすはあまり高い木には止まらない。せいぜい身の丈くらいの低木に止まる。英語でも、Japanese Bush Warblerといい、直訳すると、日本の低木Bush にいるさえずるように唄う人(アメリカムシクイ)Warbler。→2002年の今日のたん譚「男女平等の怪」 →2003年の今日のたん譚「国連てなんだ」
2007年03月09日(金)
生きたるきけぇ(又はききゃぁ)
最近つまらない映画、とくに日本製の映画は何だか漫画と連動してガキ相手の私小説的なスケールの小さい物ばかりで、いくら日本映画の世界はバブルと言えどもあんまりだと思っていたら、大当たりの映画に出会った。 予告編を見ていて、直感的に面白いと思っていた作品で、後数日で終了だというので泡食って出かけた。おまけに一日に一度きりの上映時間で夕飯の時間帯だったが、無理して出かけてよかった。 この映画のすごい所は、事実は小説よりも奇なりを感じさせる事に加へ、見ていると自然に「国を愛する」ということはどういう事かと言う事が理解出来る事だ。静かなる感動で別に涙の場面ではないのに泣ける。* 「泰平(たいへい)の眠りをさます上喜撰(じょうきせん) たった四はいで夜もねむれず」 という狂歌で始まる。これは黒船が日本に来て慌てふためく様子を謳ったもので、* 上喜撰とは茶の事で蒸気船にかけた言葉。 この「長州ファイブ 」という映画、 明治維新前夜、伊藤俊輔(伊藤博文)野村弥吉(井上勝)山尾庸三 遠藤謹助 志道聞多(井上馨)の五人の物語で、英国の新聞は彼等の事をそう言った。 吉田松陰の影響を色濃く受けた長州藩の志士達は高杉晋作の命で、品川に出来た完成まぢかの英国大使館を焼き打ちするも、その虚しさから、信州に佐久間像山を訪ね孫子の兵法「敵を知り己を知れば百戦危うからず」を説かれ、 それを機に英国渡航を決心しついに文久3(1863)年、まだ数えで二十一歳だった伊藤等五人は長州藩に秘密裏の援助を受け、英国へ密航した。片道数ヶ月の航海である. 物語は、山尾庸三を主人公として描かれている。山尾は後の工部大学校(現東京大学工学部)の設立に尽力し、聾唖教育の普及、日本で初めて手話を紹介した。 五人は上陸後、石で出来た建造物蒸気機関車に肝をつぶす。圧倒される。 これは硫黄島の栗林忠道中将も米国留学の際に抱いた西欧諸国への畏怖と同質の物であった。志士達は気がついてないが、文明も文化も既に日本にはあったのだが自覚が無かった。それが後の鹿鳴館時代のような極端な西洋化を行ってしまった事にも現れている。江戸後期、江戸人は地動説なんて一般人でも知っていたし、医学などもシーボルトに見るように知っていた。黒船蒸気船も最新式ではない事も知っていた。驚かなかった。だから、江戸から発の改革が興らなかった。それは今も変わらない。ただ、志士達は田舎者で純粋であった。あっと驚いてしまったのだ。 印象に残った場面を書いてみる。
左前 井上馨27才 左後 遠藤謹助27才 中央 井上勝20才 右前 山尾庸三26才 右後 伊藤博文21才 英国に住み始めて二年目に下関戦争(馬関戦争)の予兆を英国の新聞で知り、伊藤と井上(馨)は「攘夷」を止めるべく急遽帰国する。残った三人は、「生きたるきけぇ(長州なまりで、機械の事)」となって尽力すると決意する。現今「産むきけぇ」でがたがた言う世の何と愚かな事か。 現代に大和撫子がいるとしたら、人口減少化を止めるため「産みたるきけぇとなって尽力する」と公言する女が居てもいいと思うが、寡聞にして知らない。 ある時酒場で残った三人が飲んでいる所に、正式に渡航して来た薩摩藩士達と出会い、長州が英国にした事に対し、藩同士の対立から喧嘩になる。山尾がなだめて後、和解。山尾は造船技術の大事を言うが、金銭的理由でまだ出来ないともらす。 その後がすごい。そこにいた薩摩の志士達が、山尾に金をそれぞれ握らせる。藩同士の争いに終始している場合ではない* 「国」のために貸すのだと言って手渡した。現在の額で100万円くらいで、これを元に山尾はグラスゴー(工業都市)に向かい、生きたる機械となって造船技術を学ぶ。 当初「日本野郎」と蔑んだ船長も、志士達の礼節勤勉と品格を感じ、ついには自分達と同じかそれ以上の存在として扱うようになる。 ある時、山尾が懇意になった女友達を暴漢から救うべく割って入るが、ボクシング発祥の国、殴り倒されるがそこに一本の棒切れ。 ここで山尾は武士に戻る。まげを切って武士を捨てて来たが、ここから示顕流の剣術が見られる。まったく無駄の無い動き、的確に相手を立てなくする。「剣道」とは違う剣術の動きが見られて興味深い。間違っても面や胴はとらない。 創作話だと、喀血した遠藤なんかは、英国で客死にすると残念無念で話も劇的要素を帯びて来る所だが、遠藤は 死病と言われた病に倒れ志半ばで帰国するもどっこい生きて、英国で見た精巧な紙幣に感心、日本でも作りたいとおもったのか後に大阪造幣局長を務めた。「桜の通り抜け」はこの遠藤の発案。 野村弥吉(後の井上勝)は、鉄道の研究に励み、後に日本で初めて新橋横浜間の鉄道を開通させ鉄道の父と呼ばれた。 乳製品で有名な小岩井牧場の名は創設した三人の頭文字の合成でなっていて、日本鉄道社長「小」野義真、三菱財閥の「岩」崎弥乃助、最後の「井」が井上勝である。 伊藤俊輔(後の伊藤博文)は都合三度の渡航をしている。二度目は明治維新後の明治四(1871)年から明治六(1873)年にかけて岩倉使節団の一員として。三度目は明治十五(1882)年から明治十六(1883)年にかけて日本の憲法制定にあたり、列強各国の近代憲法を自ら学ぶために渡欧。ドイツを模範(条文憲法・シヴィル・ロー)とし日本初の憲法制定、内閣制をつくり、初代総理大臣になった。 志道聞多(後の井上馨)は、下関戦争(馬関戦争)の通訳、開化政策を薦める。明治政府の外務大臣。伊藤と共に鹿鳴館時代をつくる。 小説なら、密航した五人が五人とも功成り名遂ぐなんて、ちんけで如何にも嘘くさくなり、物語として成り立たない。ここが事実は小説より奇なりと言う所以である。 中学生高校生大学生一般人皆に見てもらいたいと思った。この映画監督は「兼高かおる世界の旅」や「地雷を踏んだらサヨウナラ」の五十嵐匠。* 萩市内の民家で見つかった吉田松陰直筆とされる「燕都流言録」では アメリカガのませにきたる上喜撰 たった四杯で夜も寝ラレズ となっている。* 上喜撰…お茶の商標。 平安初期の歌人、喜撰は、京の茶の名産地山城の人で、後に宇治に隠遁した。それにちなんで商標としたのだろう。茶はカフェインが強い。上等のと言う事だから玉露の事と思われる。飲み過ぎると眠れなくなる。* 「国」のために貸す…。この借りは現在に至るも返してないらしい。