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2003年06月27日(金) 花と王様



 美人柳が、可憐で小さな山吹色の花を咲かせた。一週間前に最初の花が咲いたけれど、スコール見たいな雨にたたき落とされてしまっていた。
今朝見ると、四・五輪咲いていた。昨年冬からすべての鉢を留守中に枯らしてしまったと勝手に思っていたが、枯枝だけ残った鉢の山野草(和花)にそれでもなを水をやり続けていたら、この春、全鉢が蘇った。
三時草、美人柳、紫式部、うつぼ草、山ごぼう、ホトトギス草。
 山ごぼうは、秋につける実が余程美味いらしく、去年は山鳥が来て、すべてついばんで行った。
めじろは、庭の杜若(かきつばた)の蜜を吸いに来る。ならばと、庭のテーブルに蜜柑の半切りを置いて、呼び寄せたところをビデオに収めて、編集し、音楽をのせ、デジタル映像処理をして作品にした。
映像を個人がコンピュータである程度、どのようにも出来ることなど、つい最近まで考えられなかった。電子メールも届くと、「王様ぁ〜♪、手紙きましたぁ〜♪( ちょっと訛っている声
は自作)」と唄ってくれる。

来週始めからフランスに墓参り。しばしお休み。









2003年06月20日(金) ペイラントの不自由



 北朝鮮の元工作員が、ミサイルの部品などほぼ全部が日本製だと言っていた。そのすぐ後に、ミサイルのジェット噴出口の部品を朝鮮総連の幹部と通じて、北朝鮮に輸出していた会社の社長が逮捕された。さぞ、ペイラントの自由を言いたかったろう。
 自分の国を守るために、各国武器を作ったり売ったりしている。武器と言っても前にも書いたように、ワインも武器(2003年01月29日(水) 武器としてのワイン
になる。各部品、コンピュータ、知識(爆弾作りの方法)なども。
 日本も勿論武器を買っている。なぜか?自国を守るためにである。売ってくれる国がある。有り難い。

 ある人が言った。「拳銃は良くない。人を殺すためにだけあるから」と。 しかしまたこうも言える。「弱者が凶人から我が身を守るためにもある」
両刃の剣なのである。悪でも善でも、今ある最良のものを使って我が内なる正義を通そうとする。
それに勝ったものが「正義」となる。
 
 馬鹿と包丁は使いようというように、板前、猟師が何人集まっても、やくざ(暴徒)にはならない。武器を売る国を「死の商人」のような言い方をする人がいるが、ノーベル賞のノーベルだって、元をただせば、ダイナマイト発明で世界で大もうけした。が、これは武器にもなるし、山野を切り開いて町を作ったり、トンネルを掘ったりも出来るものだ。

人は勿論、ものの存在も常に二面的な要素を持つ。「私は何もしていないのに」と言う人がいるが、行き倒れで、死んでいる人は何もしていないし、これからも何もしないだろう。が、そこに自分の遺骸が存在し、すっ転がっているだけで、見た目や腐臭で「関係の無い」人に実質迷惑をかける。ましてや生きている人は言わずもがなである。
 どうやっても「関係」から切れることは、死んだ後でも出来ない。

腐敗と発酵、核爆弾と原子力エネルギー、日本刀と包丁、すべて人の扱い次第。
一つはっきりしていること。自分達の身は自分達で守るという事、悪の枢軸国と言われようが、親方アメリカ様といわれようが同じである。一人日本は、アメリカが守ってやると言ったと、先日報道で知った。恥ずかしい。


ペイラントの自由
  …ペイラントはオランダ商人で同胞がスペインに対して独立戦争を戦っているのに「商売は自由」と主張して、敵国スペインに大量の武器弾薬を売って大儲けした。









2003年06月11日(水) 講演会がある。



「国まさに滅びんとす」の著者で、京都大学総合人間学部教授・中西輝政教授の講演会があります。

 明治時代にベストセラーとなったスマイルズの「自助論」の続編に品性論というのがある。
「国としての品格は、その国民が自分は偉大なる民族に属するのだという感情によって支えられ、そこから力を得るものである。先祖の偉大さを受け継ぎ、先祖の栄光を永続させるべきだ、という風土がその国に出来上がったときに、国家としての品格が高まる」というような事を言っている。

 中西さんは大英帝国衰亡史という著書の中でこれに「精神の貴族」という訳語を当てられていた。
ドイツの観念的人畜有害に近い哲学者達と違い、このスマイルズはいい。これを基本にして国を世界を語る学者は安心出来る。ルソーやハイデガーなどはこれと対局にある。

 日本にも新渡戸稲造(にとべいなぞう)がアメリカ人の奥さんに日本人の事を、説いて聞かせる事がきっかけとなった「武士道」がある。

サミュエル・スマイルズ 英国人 著書「自助論(Self Help, with Illu- strations of Character and Conduct)(邦題『西国立志編』は日本の近代化の礎となり、多くの小学校で修身の教科書として用いられた。)

 

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        演題 「歴史観と日本再生の行方」

日 時  平成15年6月15日(日)
     午後1時30分開場   午後2時開演
場 所  京都商工会議所 講堂
     (京都市中京区烏丸通夷川上がる)(地下鉄丸太町駅下車すぐ)
入場料  1000円(学生無料)
主 催  中西輝政先生の謦咳に接する会
共 催  京都新樹会 日本会議京都 京都府神社庁 日本歴史修正協議会
     新しい歴史教科書をつくる会京都府支部
後 援  産経新聞社京都総局
お問い合せ先 高柳090-3056-2626  newhistory@ubugi-ya.co.jp









2003年06月10日(火) まんけいほうとほととぎす



 眠る前一時間は本を読む。ここの所、朝四時頃にしきりとホトトギスが鳴く。「天辺(てっぺん)かけたか」と鳴くと鳥類図譜にはあるが、そう言う風にはどうしても聞こえない。。
 イメージの貧困なのか、あえてその声を書くなら「キョッキョ・キョケキョ」ウグイスの鳴き声、ホーホケキョのホケキョの部分が、ホトトギスのキョケキョの部分とほぼ同じ調子。

目に青葉、山ホトトギス初鰹

 大臣が万景峰号の発音で下がもつれて四苦八苦。テレビの報道アナウンサーもかんでいた。
あのね、どういう料簡かしらんがなんで日本語の漢字読みにない発音で言うの? そこまで言うのだったら、米国のAMERICAの Rは巻き舌にしてLと区別して読まなければいけない、フランスFRANCEのRものどチンコふるわせてもらおう。どうだ言えねぇだろう。マンギョンボンなんて言わなくていいのだ。我が国には我が国の読み方があって、それぞれ、アメリカ、もしくは米国、フランス、まんけいほう号で良いではないか。この時点でもうすでに対北に対して負けている。相手はにっぽん、もしくは にほんといってくれてるか?昔からイルボンと訛っているではないか。
 
 自民党の麻生という人が朝鮮併合時代の創氏改名は、強制ではないという当たり前のことを、どこかでぶって非難され、すぐに謝った。
すぐに謝るくらいなら、言うな!
どうしてちゃんと歴史的な事実を、説かないか。顔に似合わずやわな人である。多分どこかで聞き覚えた事を言ったのだろう。歴史観のない人が言うと、すぐばれる。









2003年06月05日(木) 徐福とくらげ



 秦の始皇帝は、東の国にあるという不老不死の仙薬を求め、薺の国の人、方士、徐福を蓬莱の国(日本)に探しにやる。 方士とは、呪術を操る人や仙人のことで、西洋の魔女や魔男にあたる。
 「史記」秦始皇本紀(BC二百十二年・二百十九年)、「漢書」伍被伝、「呉書」孫権伝に見る限り、始皇帝が全国から方士を集め、その中にいたのが徐福で、徐福は、国内で仙薬をついに見つけられず、窮して蓬莱の国にあるとでまかせ?を言って、日本に来たのだろう。不老不死の薬なんて、いくらこれがそうだと言っても、年を経るごとに容貌は変わっていく。すぐ嘘がばれる。だから徐福は日本に何千人もの人を従えて、逃げてきたのだろう。本当に見つけたところで、証明には長い時間がかかるし、もし効き目がないとなったら、すぐに殺される。なんで今更 秦に帰られようか。
かくて日本津々浦々に、徐福伝説が残った。

 近年、この徐福さんの探し求めていた不老不死の薬ではないが、生き物が発見された。
世界中の温熱帯海域に当たり前にいるべにくらげ(直径1cmくらい)がそうで、その中でもイタリアのサレルノ半島沿岸産のものだけが、遺伝子プログラム解明による「不老不死」の研究材料として確認されていた。が、日本でも鹿児島水族館の近くの海で捕獲したべにくらげにも確認された。普通死んだら、動かなくなり、海底に沈み溶ける。ところが、シャーレ上で実験したところ、溶けずに底に沈んで根状に変化し、約二週間で、若い成体になる以前の「ポリープ」と同様の形態を整え、半年後も群体を形成して成長を続けているという。

 死の概念は本来、一倍体細胞(バクテリア・藻類、酵母、アメーバー等の原生生物)にはない。これは無限に増え続け増殖する。
それに比して二倍体細胞(植物や動物)は、ある回数分裂して殖えると死んでしまう。「生者必滅」は二倍体細胞の生物に限られる。
ではなんで二倍体細胞は死んでしまうのか?
動物は酸素を摂取する。 酸素は細胞内のミトコンドリアでエネルギー源となる。そのとき電子が余り、活性酸素となり、この活性酸素がDNAを傷つけ、これを修復するのがSOD酵素で、傷が深すぎると治しきれずに残る。そうするとその傷ついたDNAが切断される。再生されるが、それ以上に細胞が死ぬ状態を老化という。全体におよぶと、これが(細胞)死である。

 一説に徐福の求めたものは昆布とか鮑(あわび)とか言われていて、海のものには間違いなかったわけで、支那料理に海月(くらげ)は昔からある。ただいくら食っても二倍体が一倍体に先祖帰りは(人が生まれる時に細胞レベルで通ってはくるが)、出来ない。

 古くはスィフトの「ガリバー旅行記」で、ガリバーが日本に来る前に立ち寄った国の不老不死の人間、手塚治虫の漫画、火の鳥中に出てくるロビタや、最近では映画のA.I.(/ARTIFICIAL INTELLIGENCE スピルバーグ)の中に永遠(不死)の概念が出てくる。人が求めて止まないものかも知れないが、やはりぞっとする。死は歴史をつくる。永遠の生が誕生したら、今度は人が自らを傷つけ、死を選ぶに違いない。永遠の生からは美も宗教も生まれない。
生者必滅会者定離、これでよいのである。
 










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