本日のグチ。
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2000年09月28日(木) 帰ってきました。(旧掲示板)

やっとだよ・・・。
今月の3日に父親の方の祖母が亡くなってから、今月はついてないねー。
就職ダメだったし。
26日の午後8時38分、目の前で今度は母の祖母がいっちゃった。。心電図の機械を取り替えに看護婦さんが来たあと、願書を書きながら笑って母と話してたら、いきなり医者が何人かの看護婦と一緒にどかどか入ってきて、呼吸が止まりましたって。
いわれるまで全然気がつかなくて。
なにがんだかわからないまま心電図の機械が運ばれてきて、不規則な波形が弱まってきて、24、17、9、0・・・と・・8時38分です・・いわれてから、ああ死んだのか・・・と。
母さん、約束守ったよ、一人で行かせなかったよ・・・って泣いてる母を見るのは、なんだか変な感じだったかな・・。
返ってそっちの方が辛かった。
誰も親族は来なくて、体が悪い母に替わって旅支度をした。
足袋を履かせて、手になんかつけて、立正校正会の信者だからと数珠も組み直して、三途の川を渡るためのお金を胸に入れて、それから3人掛かりで棺に担ぎ入れて、聞き手の足下に杖を入れて、浴衣を着てたから上に死に装束をかけて、ドライアイスをいれ、ふとんをかけて。

でも6時間後に来た親族は誰もどんなふうに亡くなったかは興味がなくて。
線香をあげると近くで酒盛りをしながら自分の子供の自慢話。

さすがに切れてうちの家族は通夜もせず帰ってきてしまったし・・・。まあ、ある意味10人ぐらいの人に吊るし上げられていたからね。

大人の世界ってこんなもんなのかね・・。


2000年09月04日(月) ついてない・・・。(旧掲示板)

昨日、夜の7時頃に親宛の親戚の電話。
母親でも父親でもどっちでもいいっていうから、なんだか変だなーとは思ってたのだけれど。
まさか祖母が死去するとは・・・。
調子が悪いとの電話だったのだけど、今日の朝息を引き取ったとのこと。
よく死は生の一部だとし、死ねる事は生物に許された幸福なのだとまるで言わんばかりのテレビドラマや映画があるけれど、結局それは感情を持ってしまった人間の逃げでしかないような気がする・・・。
最も不幸なのは忘れられた女だと誰かはいっていたけれど、御託並べたところで世代が変われば必然的に忘れざるをえないんだから、死んだ人間みんな不幸ですっていってるのと同じじゃん。
たかだか年しか一緒にいない私の母親は、もう自分の死ぬ事を考えて、遺言めいたことをちらほら話したり、酒屋の店長は病気が見つかるのを恐れて会社の定期検診をなんとか逃げまくったり。
現実はかえられない。
それでも。
それでも時間はすすむわけで。
マヤの人々は時間には終わりがあると信じていた。でも世界の崩壊のあと、彼等が何を見ていたのかはわからない。
いや、答えはきっとない。
闇と虚無と死。
無限に広がる安息の世界。
頭でっかちの現代人は言葉で良いように表現するけれど、さけられない恐怖を迎える準備を熱心にしているだけだろうか。

食費にすら困っていた両親に、さりげなくおもちゃでも買っておやりとお金を握らせてくれたという祖母。
幼稚園から帰ると必ず御褒美のアイスをお帰りといいながら私に握らせた祖母。
自分がまだらにぼけはじめたとき、母に自分が着てた着物を形見にもらっておくれと突然やって来た祖母。
姉にけがさせてふるえの止まらなかった私に黙って頭に手を乗せてそのあとずっと側で裁縫をしていた祖母。
一緒にかたずけ物をしていた母に天国にいったら幸せを祈っているよと言い残して文句も言わず養老院にはいった祖母。

すぐに忘れられてしまうとしても。
恐怖に襲われても。
時という抽象物にされてしまった存在亡き者は、これからもそのありえない重みを感情動物にひっさげてついてくるような気がしてなりません・・・。


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