2003年05月31日(土) |
ゲーム、チューリップの写真 |
☆ゲーム 昨日のベビーシャワーのパーティーで3つゲームをしたらしい。
1.赤ちゃんの顔描きゲーム 紙のお皿を頭に載せて、そこに赤ちゃんの顔を描くゲーム。頭の上で描くので、描いた絵はとても面白いものになるらしい。それで一番よく描けた顔のお皿をアンがもらい、赤ちゃんが生まれたらそれを見せることになるらしい。
2.語順並び替えゲーム 赤ちゃん関連用品の単語の言葉がシャッフルされているので、並び替えるというゲーム。ネジャーティは6つのうち3つ正解だったらしい。英語だったので、アメリカ人には有利だったのと、外国人にとって赤ちゃんがいないと知らない単語が多いので不利かも(例えばおむつが「diaper(ダイパー)」とか、よだれかけが「bib」とか)。
3.哺乳瓶で飲むゲーム 哺乳瓶に3オンス(約100CC)のりんごジュースを入れて、4人で競争して飲むというもの。これは男子学生が4人選ばれて競争することになった。ネジャーティもその1人になったらしい。優勝したのはユーゴスラビアからの留学生で、ごつい体つきのいかにも男々している学生だったので、勝った時のことが想像できた。ちなみに、哺乳瓶のキャップをきつく締めると、空気の関係でジュースが出にくいので、ちょっとゆるめた方が飲みやすかったかも。
☆写真 すっかり季節はずれになったが、チューリップを撮った写真ができたので、ここでご披露。
いろんな種類のチューリップが入っているものを買って植えたのだが、結果的には同じ種類のものばかりが咲いた。
2003年05月30日(金) |
ケニアと言えば・・・ |
ケニアからの留学生、アンのベビーシャワーが学校であるというので、ネジャーティはこの前買ったプレゼントと昨日のうちに用意したサラダ巻きを持って学校に行った。パーティーではサラダ巻きががあーっと、あっという間になくなったらしい(好評でよかった、ホッ)。ゲームも楽しかったみたい(というわけで明日ゲームを紹介)。
☆ケニアと言えば・・・
1.高校時代の先輩 高校時代の先輩が母校の大学の大学院から交換留学でケニアの大学院に留学した。在学中に日本に里帰りの折に、先輩の同期の人や私たち後輩で飲み会を開いた。当時私も日本で院に行っていたので、お互いに大学院に行くとは思わなかったね、などと話に花が咲いた。
そして、ケニアのナイロビで撮った写真をみんなが見せてもらったが、町には高層ビルとは言わないまでも、建物が連なっている。先輩曰く「みんな、ケニアいうたらライオンとか野生の動物がうろうろしていると思てたやろ。」ギニアのサンコンさんさえ、ライオンを日本の動物園で初めて見た、という具合だから、アフリカのサファリーのイメージが全部なわけではない。また、アフリカの北部はエジプトやアルジェリアなど、違った文化や人種がいて、私たちがいうアフリカというのはサハラ砂漠から南の地域を指している。
ちなみに先輩はケニアでの留学が終わって、母校の大学でアフリカの政治を専門として教鞭を取っている。
2.留学生 アメリカにはケニアからの留学生が多い。ネジャーティの研究室にいるアンもその一人だが、フロリダ時代も何人かケニアからの留学生がいた。
ケニアからアメリカの大学院に留学できる人というのは、ケニアではよっぽどのエリートなんだろうなと思うが、フロリダ時代、ある授業でのこと、ケニア留学生(男性だったと思う)が、ぶつけどころのない怒りを授業でもらしていた。日本も含めてアメリカの先進国では出産施設というのはおそらく充実していて、自宅で出産という方法を選ばなければ、だいたいが病院など医療施設での出産となる。ところが、ケニアでは医療施設での出産というケースはアメリカや日本のように病院へのアクセスなどはよくないので、自然の中で出産する人もいるようだ。
ニューハンプシャーで梨奈が生まれた時も、お世話になった病院のバースセンターの充実ぶりにネジャーティさえ驚いていた。ニューハンプシャーの病院では私が滞在した短い2、3日でも1日に2、3人出産の割合なので、個室が全部埋まるということはない。そして、個室で入院から退院まで過ごし、付き添いも泊まれるようになっている。アメリカの病院がずっとこうだったわけではなく、昔は大部屋だったらしい。
いずれにしても、夏には男の子を出産予定のアン。今日のベビーシャワーは楽しかったようでよかった。
2003年05月29日(木) |
グリーンティー@パネラ |
買い物の途中、パネラに寄った。パネラはこの日記によく登場し、シンシナティーに引っ越してきた何日かもパネラでお世話になったところだ。ニューハンプシャー時代もショッピングセンターにオープンしたのでよく行っていた。パネラはベーカリーコーナーも充実してるし、サンドイッチもおいしい。コーヒーもハウスブレンドものなら店内にいる限りお代わり自由だ(ちゃんとポットが置いてある)。
そして、カウンター内にはレモネードの小さいタンク(何ていえばいいんやろう?)があるのだが、その横の小さいタンクの中身は緑のものだった。もしかして、と思ったら、アイスグリーンティーだった。パッションフルーツとパパイヤで少し甘くしてあるらしい。そして、もう1つ、フローズンの飲み物に新製品のI.C.ハニーデューグリーンティーが出ていた(写真)。説明を読んだら、「2種類の緑の味が楽しめます」とあって、一つはグリーンティーと分かるが、もう一つは何だろうと思っているとハニーデューメロンだった。メロンって、、、。そして、その上にホイップクリームがのっているというもの。
3ドル払って当たりかはずれか微妙なところ、、。
ところで、夏場に京都に行くと、お店で冷たいグリーンティーを売っている。グリーンティーと言うと冷たいものと決まっているのか知らないが、抹茶との違いはグリーンティーは甘いこと。飲んだら余計にのどが渇いた、という落ちがついた。
アメリカのスーパーでも、大手紅茶メーカーは緑茶を売ってるが、オリジナルのほかに、レモンフレーバーだの、フレーバーがついていて、周りの日本人には評判が悪かった。やはりお茶はお茶として飲みたいものだ。
2003年05月27日(火) |
食器洗い+乾燥機&写真 |
☆食器洗い+乾燥機 アパートについている食器洗い+乾燥機を使おうとスイッチを引っ張ったら動かなかった。何回かして動いたが、もし調子がおかしければ取り替えてほしいなあ(、、と、以前ニューハンプシャーの大学アパートで冷蔵庫が動かなくなり、新しい冷蔵庫に取り替えてもらった経験あり)。
☆写真 5月の初めにシンシナティーのトルコ人会で行われたトルコの子供の日を祝うパーティーの写真。トルコの国旗の色(赤と白)の服を来た子供たちが歌を歌っている様子。
2003年05月26日(月) |
テニス& Taste of Cincinnati |
☆テニス 今日はメモリアルデーで休日。アパートの敷地の中のテニスコートでテニスをした。今年になって初めてだ。
テニスというと、大学の体育の時間にテニスをした時のことを思い出した。疲れで扁桃腺が腫れている時があって、その時にちょうど体育の時間にぶつかり、テニスの後体がほぐれ、扁桃腺の腫れが引いて、のどが痛くなくなったのを覚えている。
最近は疲れで扁桃腺が腫れることは無いが、一番ひどかったのは中学2年の時で、唾を飲み込むのでさえ痛く、声が出せないぐらいだった。そして、体育の時間に、当時学校で新しくできた学校の準備体操を1時間練習し、授業が終わってびっくり。扁桃腺の腫れが引き、痛みも無く、声も普通に出るようになっていた。
今日は久しぶりにテニスをしたので、すぐに体力を消耗してしまった。月に2度ぐらいはしたいね、ということになった。
☆Taste of Cincinnati シンシナティーのダウンタウンで「Taste of Cincinnati」というイベントがあった。毎年メモリアルデーの連休に行うようで、いつもお世話になっているHPの掲示板でたまたま知った。今日が最終日ということで、テニスをした後、ネジャーティを学校に降ろし、ダウンタウンに向かった。
夜の9時までしているということで、あと2時間しかなかったが、通り沿いのメーター付駐車スペースはほとんど置いてあり、ぐるぐる回るうちに1ヶ所スペースを見つけた。メモリアルデーの休日はお金が要らないとメーターに書いてあった。いいところを見つけてよかった、よかった。
シンシナティーの町を歩くと、アメリカの都市らしい様相を見る。郊外に住んでいるとなかなかそうは思えないのだが、70年代以前かもしれないデザインを施した店舗や、ニューヨークでよく見られる非常階段(プレティーウーマンの最後のシーンで出てくるような黒いはしご)がついたアパートを見ると、アメリカといって浮かぶイメージ通りの街並みだ。
歩行者天国になっている通りまで行くと、カントリー歌手のコンサートや出店で通りは賑わっていて、こんなに人を見るのは久しぶりだ。イベントの名前通り、シンシナティーのいろんなお店が出ていて楽しかった。
歩行者天国の一帯ではビールやワインも売っていて、それを片手に歩いている人たちもいた。普段ビールを飲まない私でさえ、おいしそうに見えた。そして、バリケード内では許されていても、バリケードには「ここから向こうにはアルコールを持ち歩くべからず(No Alcohol beyond this point)」と書いてあった。
こういうイベントは楽しいなあ。
今日はネジャーティとイズマイルと一緒に(もちろん梨奈もいるけど)デートンへ行った。
2人はデートンの町を回ったことが無く、航空博物館はきっと2人には楽しいところだろうなと思っていた。
今日は日曜で混みそうだったので、初めに航空博物館に行って、大統領機などの見学ツアーに申し込んだ。私は今回1人で公園を散策したかったので、ネジャーティ、イズマイル、梨奈の3人だったが、ネジャーティたちの申し込みが終わったら、あと6人ぐらいしかツアーに参加できなかった。2、3分でも遅かったらツアーに参加できないところだった。危ない、危ない。
ツアーの待ち合わせ時間まで3時間あったので、ライト兄弟の自転車屋に行った。今日は開いていて、ベルを押すと中から開けてくれる、という仕組みになっていた。係員の人がいろいろ説明をしてくれた。
その後、ライト兄弟の弟の方と、妹が住んでいた豪華な旧邸宅を見に行った。
お昼ご飯を食べて、中途半端な時間だったので、3人を博物館で降ろして、3月に行った時に地元の人に聞いた時も分からなかったWegerzyn Gardensという公園に行ってみた。
イベントも行われていたが、私が見たかったのは庭園で、ちょうどバラが咲き頃だった。他にもいろんな花が咲いていて、一番いい季節かもしれない。
バラ庭園を出ると、橋が見えたので歩いてみると、木が水中から生えていた。フロリダならマングローブという木が水生するのだが、他で見たのは初めてだった。
橋を渡り終わり、アーチをくぐると、そこにはまた別の庭園が広がり、とても感動的だった。その中に白い桔梗のような花があり、とてもかわいらしかった。ここは後で、ネジャーティたちを連れて来ることができた。
帰りはネジャーティが運転したが、後ろで一眠りして目が覚めると雨が降っていた。日中雨が降らなくてよかった。
2003年05月24日(土) |
クロワッサンとトルコチャイ |
週末の朝、または朝昼兼用で、ネジャーティも揃ってご飯を食べるのが楽しみだが、パンに飽きてしまっていた。一時期パン焼き機を買って自分で作ろうかなとも思ったが、やはり同じパンに飽きそうで買うのをやめている。そして、昨日、クロワッサンの生地を買っていたので、ただ封を開けて三角の生地を自分でクロワッサンみたいに丸めてオーブンに10分ぐらい入れればいいので、それを作ってみた。そして、トルコチャイ(トルコの紅茶)を用意した。
トルコチャイをおいしいと言ってくれたのでよかった。例えば日本茶ならおいしいかどうか分かるセンスがあるが、トルコチャイを飲んだ回数が少ないので、どのように入れたトルコチャイがおいしいのかというセンスがない。
ニューハンプシャーに住んでいた時に、近所に住んでいたトルコ人のフィリズも、ラマザンと結婚する前にラマザン家族がうちに来た時に、トルコチャイを作ってお出しした、と言ってて、やはりおいしいトルコチャイを作れる人でないといけないらしい。日本も一緒だよ、とフィリズに言ったが、そういうのはどこの国でも同じらしい。
明日デートンに行く予定なので、今日は昼からネジャーティが学校に行った。
夕方ジャングルジムズに買い物に行って、帰ってきたら、PENSKEのレンタルトラックが来ていた。こっちの人はトラックを借りて結構自分で引っ越す人が多い。トラックといってもトレーラーじゃないので、大型免許でなく普通の免許で借りれる。
トラックから降りてきた女性はヒスパニック系黒人で、首から携帯電話を下げて、見た感じ、やり手だなという人だった。
お昼ぐらいにも黒い車が芝生に乗り上げて、空きになっている隣まで来ていたから、隣に引っ越して来たんだなと分かった。
しばらくして、裏庭で遊んでいる女の子が2人いた。どうも、隣人の女の子たちで、梨奈より少し大きいかな、というぐらいだった。慣れたらきっと一緒に遊ぶかな?
友人がニューハンプシャーに来た時にマヨネーズの容器の大きさに驚いていたらしい。
こちらのマヨネーズはビンに入っているものがほとんどで、最近はチューブに入っているのもあるが、チューブの容器は日本のマヨネーズのチューブよりも硬いので、最後まで絞りきれるかどうかわからない。そしてビンでもスプーンを突っ込んできれいにするのは難しい。
アメリカ人は脂肪分にも気にするようで、マヨネーズにもちゃんと「Lite」と55%脂肪分カットや50%カロリーカットと書いてある。私もちゃっかりLiteのものを買っている。
おそらくこの脂肪分の少なさからか、アメリカに滞在する日本人には日本でマヨネーズというとこれ、というマヨネーズを買っている人が多い。私がいつも買い物に行くジャングルジムズにもちゃんと売っている。もうすぐ日本とアメリカの滞在歴がほぼ同じになるという友人でも日本のマヨネーズを使っているようだ。
私はそのマヨネーズを実は日本でも使っていなかった。同じ企業のマヨネーズだと白いキャップのハーフとか、サラダ用のマヨネーズ、また、他社の少し薄めのマヨネーズを買っていた。
ところで、マヨネーズというと、小学校の給食でゆで卵が出たときには、塩ではなくマヨネーズが出ていた。フロリダにいた時にその話になって、話していた限りでは、マヨネーズが出ていたという人はいなかった。
誰か給食でゆで卵にマヨネーズが出たという人はいませんか?
2003年05月19日(月) |
「聖斗士」は日本語で・・・他 |
☆「聖斗士」は日本語で・・・ 先週の金曜日に中国人のマギーが言っていた「聖斗士」というのは、いか老師によると「セイント星矢」らしい(いか老師、謝々)。そうか、なるほど。
☆鳥の巣 昨日巣を見てみると、ひなが2羽いた。親鳥がえさを与えているところを偶然見ることができた。
☆税金 今日銀行口座に連邦税の税金の超過分が返っていた。結構いい金額なのでネジャーティと喜ぶ。
☆写真 今月初めに再会したメメット達の写真ができた。左からメメットの奥さんのフィリヅ、メメット、ネジャーティ
2003年05月18日(日) |
ベビーシャワーのギフト登録 |
ネジャーティの研究室にいるケニアの留学生アンが8月に出産予定だ。
金曜日にアンを見たが、そんなに目立っていなかった(最後の1ヶ月できっと大きくなるかも)。
今月の最後の金曜日に、学校の一室を借りて、ベビーシャワーをするらしい。ベビーシャワーというのは、出産を控えている人のためにパーティーを開き、ベビー用品をプレゼントとして渡すものだ。フロリダにいる時に、日本人家族に赤ちゃんが生まれるというので、アメリカ人のジーンが「ベビーシャワーをしようよ」といって、何それ?とその時初めて知った。
それで、ネジャーティがアンからもらった招待状を見ると、最後に、「JCPenneyとTargetで登録しています」と書いてあった。JCPenneyはモールに大体入っているデパートで、TargetはKmartのようなお店だ。アンは2つのお店でギフト登録をしているようだ。
この登録というのもアメリカらしいなあと思うが、とりあえず今日、JCPenneyの方に行ってみた。「Gift Registry(ギフト登録)」のコンピューターが置いてあって、まず登録をするのか、登録してある人の検索をするのか、というので後者を選択。次に、「結婚」「赤ちゃん」などの項目から「赤ちゃん」を選ぶ。そして、下の名前の一文字(アンだからA)と苗字の最初の4文字を入れると、それに該当する名前の人のリストが出てくる(オハイオだけでなく全米の人のリスト。こりゃすごい)。そして、アンの名前を選ぶと、ギフトリストが印刷される。
リストにはアンが登録したほしい品目と値段が載っている。そのリストを赤ちゃん用品コーナーへ行って、品定め。そして、一つ選んでレジに行くと、レジの人がリストにあるバーコードと製品タグのバーコードをピッとスキャン。そしてお金を払って終わり。ギフト用の袋がタダでもらえるというのでもらった。
一人一人が買うとそんなに高くない値段でも、一人で全部買うと結構な金額になる。必要なものを前もって知らせておけば、その中から選んでくれるし、万一サイズが間違っていたとか、気に入らなかったとかだったら、ギフト用のレシートをもらっているので、それを持っていけば交換してくれる。ギフト登録は面白い。
ところで今日モールの中で、この近郊の警察署がイベントを催していた。各町のパトカーが展示されていたり、シールが置いてあったり、いや〜すごかった。もちろん各町の警官も来ていたので、今日は誰も悪いことはできないだろう。
昨日偶然見つけたのだが、アパートの前にある緑いっぱいの木に鳥の巣を見つけた。
ここのアパートは6戸一で、6世帯が2階建ての1つの建物になっている。屋根近くに鳥が巣を作っているらしい、というのは鳥が音を立てるのでそう思ったのだが、下の部屋から気を見上げた時に巣があるのを見つけた。
そして、今日ネジャーティが、2階の部屋から巣があるのに気が付いた。巣は2階からだと見下ろす形だ。私が見つけた同じ巣だったのだが、下から見てひなだと思っていたのは実は親鳥で、ひなを温めているらしい。ひなだとわかったのは、親鳥が巣から離れることがあって、戻ってくるまで1分とないのだが、その短い間に巣の中を見ると、卵ではなく、生まれたばかりのひなが見えたからだ。親鳥がすぐ帰ってくるのでいいが、今日は雨が降っているので、温めてやらないとひなには寒くて死んでしまうかもしれない。
これから毎日様子を見ようっと。
夕方から、研究室に1年の予定で来ているジョンの家の裏庭でバーベキューがあった。
ネジャーティを学校に迎えに行って、ジョンの家に着いた時には研究室の教授などすでに大半の人が来ていた。
ジャーティを迎えに行った時は、中国人のマギー(中国人留学生はだいたいがニックネームを持っている)とトルコ人のイズマイルも一緒だったが、ジョンの家に着いても、マギーといろいろ話をした。
彼女は湖北省の武漢出身で、中国語で「ウーハン」と聞いて、武漢というのが想像できたが、いつも中国の人と話すと、日本で漢字が使われているというのに驚かれる。意外に知られていないらしい(といっても、12億分の何人かの人としか話してないけど、、、)。こうなると、紙と鉛筆で、漢字の話で盛り上がる。
「中国では日本の漫画がとても人気があるんですよ」と、紙に「机器猫」と書く。「机」は「機」の簡略字なので、「機器猫」ということになるが、これはドラえもんのことだ。ドラえもんに出てくるしずかちゃんは「静宜」となっているらしい。
他にも、「聖斗士」という漫画が人気があるらしい。「聖」は簡略字では「怪」のりっしんべんでないつくりの方だが、う〜ん、なんだろう? 北斗の拳だったら、北斗的拳となるだろうし、セーラームーンだったら、月という言葉が入っているだろうし。ドラゴンボールだと龍玉かな?我不知道、、、、。いか老師、ふうこ老師、請教給我解答。
8時ぐらいにお開きとなったが、学生やジョン家族と近くの公園に向かい、野球とサッカーを始めた。9時にはすっかり暗くなったが、芝生に座って、今度キャンプに行こうよ、とか来週映画に行こうよ、とか、ネジャーティの研究室の人って仲がいい。7月になると、この時間帯は蛍が飛んでいる。今蛍が飛んでいたら、と想像しただけで楽しくなった。
今晩は月食があった。
ほぼ満月の月だったが、私が見た時はすでに半分欠けていた。だんだん欠けて、ほとんど真っ暗になり、また端から明るくなっていた。気が付いた時にはすっかり戻っていた。
晩は母と電話で話していたので、月食があるよ、と言おうと思ったが、その時は日本はお昼間なので見えるわけがない。
2003年05月14日(水) |
Old Manよ永遠に@ナンバープレート |
今日の一大イベントは何と言ってもオハイオ州の車のナンバープレート(英語ではライセンスプレート)を入手したことだ。
5月はネジャーティの誕生月だったこともあるし、ニューハンプシャーのナンバープレートを今月中に変えておいたほうがいいと、今日オフィスに行ってきた。
他州から引っ越してきた場合、どのような手続きを踏むかというと、
1.住居の管轄の郡(County)のBMV(Bureau of Motor Vehicles)のオフィスで「Out-of-State Vehicle Inspection」の手続きをする。手数料は$3.25。車の権利書(Title)を持っていき、それを見せると、オフィスの人が用紙に記入していく。実際に車を見せて、終わったらそのコピーをくれる。
2.それを持って、Title Divisionのオフィスに行き、オハイオ州のTitle(車の権利書)を発行してもらう。
3.オハイオEチェックセンターに行き、車をチェックしてもらう。所要時間は10分程度。手数料は$19.50。私が住んでいるハミルトン郡(Hamilton County)には6ヶ所ある。
4.チェックを終えてパスし、用紙と権利書をBMVに持っていき、ナンバープレートをもらう。手数料は登録料とナンバープレートで$44。
というわけで、無事オハイオのナンバープレートを入手。
オハイオは今年州の200年記念で、おとどしの9月から新しいプレートになっている。古いプレートだと、プレートのフレームをつけたときに、州と郡の名前が隠れていたが、新しいものだと真ん中にオハイオの文字が入っているので大丈夫。私もプレートを変える時に、フレームをつけようと思っている。
ところで、新しいプレートには英数字が混ぜて使われているが、ニューハンプシャーでは6桁の数字だった。
土曜だったか、ネジャーティと梨奈が2人で出かけたときに、近所に遊びに来ていた年配の人に声を掛けられたようだ。その人によると、オハイオのロータリー(くじ)で、私たちのプレートの数字を使ったらしく、どちらかの3桁で500ドル、もう3桁で700ドル当たったそうだ。ちょっと、ちょっと、それ、なんぼか使用料をもらわなあかんなぁ。
2003年05月11日(日) |
新喜劇の人の意外な出身地 |
梨奈は水戸黄門のビデオを見ると、登場する女の子を自分にあてはめている。
ところで、水戸黄門の話の舞台が関西地域になると、吉本新喜劇の人がよく出てくるが、今年のシリーズには関西以外でも吉本の人が出てきて、梨奈はなかやまきんに君がお気に入りだ。名前の通り、隆々の筋肉が売り物で、新喜劇でも筋肉を使ったネタを出している。久しぶりに見るさわやかな人で、まだ新喜劇の舞台で緊張していたりして素人っぽいのだが、またそれが受けている。
そして意外なのが、新喜劇の中でベテランの域に入っている人で関西以外の出身の人が多いことだ。私はてっきり関西のこてこての人かと思っていたら、そうでもなかった。桑原和男は九州出身で、いとしこいしさんの付き人をしていたというのを、新聞のHPの連載記事で初めて知ったし、浅香あき恵も九州だったのでびっくりした。そういえば三代目の博多淡海を以前襲名した木村進も福岡だった。なかやまきんに君は関西弁を話さないのですぐに関西ではないとわかったが、福岡の出身だ。末成由美でさえ、もともと関西出身でないみたいで、それも驚いた。間寛平だってもともと高知だから、大阪圏ではない。
私の親の世代は西日本の地方から出てきている人が多いが、関西弁でなくても、多少の共通点があるのと、関西弁はインパクトがあるからか、マスターしやすい。以前静岡の塾で教えていた生徒が遊びに来た時も、たった3、4日なのに、関西弁が耳についたらしく、イントネーションをうまく真似ていたぐらいだ。
関西人のネイティブが聞くと、関西弁を話している人がネイティブかどうかというのは区別つくが、区別つかないぐらいマスターするというのは大変だ。新喜劇のベテランの人たちの関西弁が、ネイティブの私でもわからないぐらいだったから、やはりすごいことやなあと思う。
ちなみに、少し前に亡くなった関西の喜劇者の代表みたいに思われるみやこ蝶々も、もともとは東京の人だったし、いとしこいしさんも小さい頃関西に移られたそうで、関西は言葉を含め、やはりインパクトのある土地柄なのかもしれない。
2003年05月10日(土) |
ヨーロッパの写真を見て |
昨日の夜は雷雨が激しく、なかなか寝付けなかった。今日も3時ごろ、激しい雷雨があって、外に出られる状態でなかった。
昨日寝付けなかったときに、ネジャーティに先日あるものをスキャンしてもらうように頼んだなあと思い出し、スキャンしてもらいたい写真があるから明日探してみようと思っていた。そして、その写真を見つけて、ネジャーティにスキャンを頼んだ。
写真にはヨーロッパに行った時の写真もあったのだが、「これって映画の舞台にもなったところだよね。」とある写真を見て言った。それはローマのスペイン広場のもので、日本ではとても知られている映画、「ローマの休日」でオードリー・ヘップバーンがアイスクリームを食べているところだ。
ジャーティの研究室でそこを訪れた人が写真を他の人に見せていたのだが、ネジャーティが映画の舞台にもなったよね、と映画のタイトルとメインキャストを思い出せずに、映画の内容を説明したらしいのだが、アメリカ人の誰もが言い当てられなかったらしい。あの映画は日本の映画に例えると、黒沢映画になってしまうのかなあ。
ちなみに、ローマの休日は「ローマン・ホリデー(Roman Holiday)」と言います(もちろんそのまんまやねんけど)。
ジョンのうちであるバーベキューは来週の金曜日だと昨日わかり、ジャングルジムズに今日は行かなくていいようになった。
昨日は歯医者での治療で神経が高ぶったのか、なかなか眠れなかった。
最近は湿気が多く、雨がふりそうな天気が続いている。湿気でじと〜っとしても、その方が肌にいいと思って耐えている。シンシナティーは夏でも湿気が多いと引っ越して間もなく聞いたが、湿気が多い関西出身の私は湿気が多くても何とか耐えられる(でも好きと言うわけではない)。
ところで、オハイオのクリーブランドにあるCase Western Reserve Universityという大学で発砲事件があったようで、実家から電話がかかってきた。クリーブランドはオハイオの北東の端っこで、ここは南西の端っこで4時間ぐらいかかるところで、大丈夫だ。オハイオにいる私の方が事件を知らなくて、日本でニュースが流れてるって、、、、。
最近食料品や日用品などの商品に2ヶ国語、たまには3ヶ国語で説明が書かれているのをよく目にする。
2ヶ国語の場合、英語は当たり前として、もう1ヶ国の言葉はスペイン語、3ヶ国語だと、フランス語で書かれている。
もちろん、これまでも電化製品とか、自分で組み立てる家具の説明書には英語とスペイン語で書かれていたのだが、食料品(お菓子とか)は今まであまり見かけなかったと思う。初めて食料品のパッケージの外側に書かれているのを見たのは、ここシンシナティーに本社がある会社の製品のポテトチップス(缶に入っている)とか、同じくそこの会社が作っているコーヒーだ。
スペイン語やフランス語を本格的に習ったことはないが、それがスペイン語かフランス語かぐらいはわかるもので、英語と見比べてみると、よく似た単語もあったりして、ずるいようなあ、と今までにもネジャーティにもらしたことがあるが、ネジャーティには、それは日本語と中国語で書かれている漢字みたいなものだよ、と言われ、そうかなあと思っている。
確かに、中国から取り入れた言葉はたくさんあるし、特に2字単語だと、数え切れないほど同じ物はあるだろうなあ。たまに同じ言葉でもちがう意味になってたりするが、それはどちらかというと日常生活で使われる言葉が多いかも。例えば、「公共汽車」が「バス」の意味だったり、「手紙」は「トイレットペーパー」(中国語で手紙は「信」)だったりする。でも日本人が中国語を学ぶ時に、漢字はほとんど問題にならない。大陸の中国語は簡略字なので、例えば、ごんべんがどのように略されるかとか、どの文字がどのように略されるかを知っていればいい。「車」という字でさえ、中国では略される(本来の意味がわからなくなっちゃうよ〜)。ちなみに、ネジャーティに漢字を見た感想を聞くと、とても不可解らしい。それは漢字を使わないアメリカ人もそうで、語学学校にいた時も、どうやったら漢字を見て区別できるのか、と聞かれたことがあったぐらいだ。
さらに、フロリダで日本語のTAをしていた時に、言語を専門としている他のTA曰く、「日本人は日本語を読むときに、漢字を右脳で読んで、ひらがなは左脳で読んでるから、日本語を読むときにはそれぞれの脳が働いてるんだって。」
そんなの意識しないで読んでるなあ。
ここ最近よく雨が降る。でもずっと降っているのではなく、降っては止み、止んでは降っている。雷も遠くで鳴っている。
金曜日から週末にかけても天気はあまりよくないらしい。土曜日には今1年の予定でネジャーティの研究室にきているジョンの家の裏庭で研究室のみんなとバーベキューをすることになったので、雨が降らなければいいなあと思っている。メインの食べ物はジョンが用意するから、他の人はサイドディッシュを持ってきて、ということになって、巻き寿司を作ろうと思っていたら、私の割り当ては餃子になったらしい(フィリピン人の女性が、私が餃子をネジャーティのお弁当に入れていたのを思い出して、そうなったらしい)。
明日は歯医者の予約が入っていて、虫歯を治すことになっている。
2003年05月06日(火) |
鉛中毒に用心 in the US |
前の日曜日にマクドナルドに寄って新聞を読んでいたら(新聞を読むために行ったのではないが)、鉛中毒にかかった子供とそのお母さんの写真が載っていた。アメリカでは子供が鉛中毒(Lead Poisoning)にならないように注意を呼びかけている。
日本ではほとんど問題にならないのに、なぜアメリカで注意が必要なのか、というのは後にして、まず子供が鉛中毒になると脳に影響が出る。日本でも昔はおしろいに鉛が含まれていて、頭の弱い殿様は乳母のおしろいで鉛中毒になったのではないかと言われている。昔、歌舞伎役者にも鉛中毒になってしびれを起こしたらしいから、鉛は本当に気をつけないといけない(もちろん今の化粧品には含まれていない)。
アメリカで鉛中毒に一番気をつけないといけないのは、家の壁だ。日本だと洋間でも壁紙を使ったりするが、アメリカの内装はペンキが使われていて、古い家だと、昔塗られたペンキには鉛が含まれているらしく、プロにちゃんとそのペンキをはがしてもらい、鉛が含まれていないペンキを塗らないと、ただ上塗りしただけではダメらしい。
読んだ新聞記事にはシンシナティーと近郊の町、近隣の郡の鉛中毒の情報が出ていた。シンシナティー市内は古い建物が多く、築100年という家もある。学校も例外ではない。私が住んでいる町は厳密に言うと市内ではなく、Forest Parkという比較的新しい町なので、築100年というような古い建物はない。ちなみにこのアパートは築30年で、一応アパートのオフィスから鉛に関する手紙をもらっている。ちゃんと情報公開しないといけない義務になっている。
ニューハンプシャーにいた時も、出産後も通っていたクリニックから、州の鉛中毒救急センターの電話番号のシールをもらっていて、ちゃんと電話機に貼るように言われていた。そのぐらい、鉛中毒にならないように注意が呼びかけられていた。
それから、水道水の配管も昔のだと鉛が含まれているのもあるので、気をつけないといけないらしい。フィルターを使うと大丈夫だそうで、うちはニューハンプシャーにいる時からフィルターを使っている。
住むところには気をつけないといけない。
2003年05月05日(月) |
ニューハンプシャーのシンボルが、、、、(つづき)。 |
昨日の日記の続きとなっているので、そちらをまだご覧になっていらっしゃらない方は、そこからお読みください。
それから、日本の友人が、日本のCNN放送でもニュースが流れたよ、と言っていたので、CNN日本版のサイトをチェックしたら記事がありました。
昨日、面白い意見をある方から伺った。崩れた後の写真では目と口が大きく開き、空を見上げているように見える、と言われていて、確かにそのように見える。新しいシンボルにしてもいいかも。
ニューハンプシャーの地元新聞を見ると、最初にOld Manの岩が崩れたのを発見した2人の女性職員の話や、長年にわたってOld Manの保全に携わった人のインタビューなどが載っていて、Old Manに対する思い入れの強い地元の人は家族を失ったような悲しみだと口々に言っていた。
1989年にNielsenという人が保全を引退し、息子さんが跡をついで、それ以降ずっと保全に力を入れていた。2001年にお父さんのNielsenさんが亡くなって、去年だったか、Old Manの一部でいたいという遺志によって灰の一部をOld Manの左眼のところに納めたらしい。しかし、瓦礫とともに去った。家族の方はより複雑な思いだろう。まさかNielsensさんもそんなに早くOld Manが崩れるとは思っていなかっただろう。
保全にはワイヤーや接着剤など、力を入れていたが、どうしても岩に入ってしまう水との闘いがずっと続いていたらしい。ネジャーティの解説によると、岩の隙間に入った水が冬場に凍ると、その氷となって膨張し、隙間を広げるらしい。そして春になって氷が解けて、それの繰り返しらしい。隙間にセメントやコンクリートを流し込んで、岩に水が入って凍らないようにしたらよかったのではないか、とネジャーティは言っていた。
再建するかどうか、それを考えるのに人々はまだまだ時間を必要としている。
2003年05月04日(日) |
ニューハンプシャーのシンボルが、、、、。 |
オハイオがSARSにどのように対処しているかシンシナティーの新聞のサイトで見てみようと思ったら、小さく載っている全国の記事の一覧にニューハンプシャーの文字と信じられない文が。えっ?と思ってクリックすると、、、、、
そこにはニューハンプシャーのシンボルだったOld Manの横顔の岩が崩れた写真が載っていた、、、。
え〜っ!!!!!!!
とっても悲しかった。
CNNのサイトにもあって、そこでは崩れる前と後の写真が載っていた。
Old Manは25セントのニューハンプシャー版、ナンバープレート、州道の標識などに描かれ、ニューハンプシャーと言えばOld Man、Old Manと言えばニューハンプシャーだ。
この先どうなるんだろう、、、、。
2003年05月03日(土) |
友、遠方より来る+行事続き |
☆行事1 昨日は結局メメットはこちらには到着しなかった。
いずれにしても朝早く起きようと思っていたが、目覚ましをいつものようにセットしていて7時ごろに目が覚めた。
布団の中でうとうとしていると、遠くでブラスバンドの演奏が聞こえてきた。今日は町全体でヤードセールをすることになっていて、どの通りのどの家で、どんなものを売る予定かというのがリストに載っている。この町はおそらく比較的新しい町で、町の東からほとんどアルファベット順に通りの名前がついている。だから通りの名前で町のこの辺にある、という想像がつく。
そして、町の真ん中を通る通りはWaycrossという通りの名前だが、今週に入って、土曜日の7時から9時は通行止めというお知らせが出ていた。
どうやらWaycrossの一番南で演奏が始まり、通りを移動していくらしい。このアパートはほぼ南にあるので、そのうち、ブラスバンドの演奏がだんだん近くなってきた。
通りには近所の人が出てきて、私も梨奈と一緒に外へ出てみたが、町のパトカーと消防車が先導し、ブラスバンド、続いてリトルリーグの子供たち、と続いていた。リトルリーグの監督か誰かが沿道の人に、手招きをしている。どうもリトルリーグの子供たちが沿道の人たちにキャンディーやチョコレートを投げている。アメリカのパレードはよく沿道の人たちにお菓子などを投げている。
パレードが終わった時点で通行止めも解除になった。メメットたちがいつ来るかわからないので、もう一眠りはできず、朝ご飯を食べることにした。
☆友、遠方より来たる 食後、メメットに電話をすると、州都のコロンバスからまだ北に1時間ぐらいのところにいるらしい。コロンバスからここまでストレートで来ても1時間半かかるので、早くて1時半ぐらいだろうなあと思っていた。
メメットたちが来るまで時間があるからとネジャーティが梨奈とお店に出かけた。なんでこんな時に出かけちゃうかなと思ったが、後の祭り。行ってしまった後だった。そしてシンシナティーに入る前に1回電話を受けて、高速の出口の近くのガソリンスタンドで待つように行った。
もう一度電話を受けたら、ガソリンスタンドにいるとのこと。時間は1時半。ひえ〜!、さすが、数学専攻。時間ぴったりだ。2、3分してネジャーティが帰ってきて、すぐにスタンド直行。私は家で待機。
無事、メメットたちが到着。約8年ぶりの再会だ。しかし、回数が少なくても電話やメールをしているので、8年ぶりとは思えなかった。
お昼ご飯を一緒に食べて、昔話に花を咲かせた。メメットは語学学校の先生のことは覚えていたが、クラスメートのことはネジャーティや私ほど覚えていないようだった。
3時からトルコ人会のパーティーが始まるのだが、ご飯を食べ終わってちょっとしたらすでに3時近くになっていて、学校で他のトルコ人を乗せてパーティーに行くので、家を後にした。メメットたちは、今度はここから2時間かかるインディアナの友人宅を訪れる予定で、パーティーにも行く時間がなく、シンシナティーを後にした。
☆行事2 トルコ人会のパーティー シンシナティー郊外のBlue Ashという町のSwaim Parkであるパーティー会場に着いたのはすでに4時を過ぎていたが、ちょうど子供たちのコーラスが始まったところだった。今日は子供の日を祝うパーティーなので、子供たちが主役だ。コーラス以外にも空手の形を取る子供たちやピアノ演奏を披露する子供たちもいた。
その後、コロンバスにあるトルコレストランが作ってくれた料理を食した。
参加している子供たちが3グループに分かれ、トルコの地図のジグソーパズルの完成を競わせるゲームがあった。2グループは地図の周りの人形の絵から組み立てていたのだが、もう1グループは地図に書かれている州の名前のパズルを見つけて真ん中から組み立てていた。おそらくその方が早くできるだろうと思ったら、1分あるかないかぐらいの差だったが、やはりそのグループが勝って、帽子をもらっていた。
梨奈は公園内にある滑り台に行きたいらしいので、遊戯具のあるところに連れて行った。今日はあいにく曇っていて気温も低いのだが、天気がいいと過ごしやすいところだろうなあと思った。公園内には遊戯具のほかに、テニスコート、バスケットコート、屋根の下にピクニックテーブルがいくつかあって、バーベキューもできるようになっている。また、池もあって、鴨たちがのんびりしている。日本で町にある公園というと、子供の遊戯具しかないが、アメリカでは家族や大人でも楽しめるようになっている。
こういう行事がないと知らない公園があるんだなあと思ったが、郊外も含めて公園めぐりをしてみるのもいいなあと思った。
それから、パーティーが終わって帰る時に、女性の会長さんに挨拶したら、「明日、神戸に行くんですよ。何か買ってくるものありますか?」と言ってくれた。会長さんが働いている会社が神戸に支社を持っているので、仕事で行くというわけだ。「いいえ、大丈夫です。旅行を楽しんでくださいね。」と返事をしたが、いいなあ、神戸。おいしいものを食べたいなあ。日本に帰ると何でもおいしい。日本ではおいしいものを当たり前のように食べていたんだなあ。お刺身食べたい、、、。
この女性会長さんは自分の方から挨拶をされる気さくな人で、パーティー中も私たちが座っているところまで来られた。初対面の人にも必ず挨拶をされて、それが会長の会員を知る役目と言えばそれまでだが、日本人会だとそうはいかないかもしれない。新しく来た人は会長のところまでいって挨拶をしないと話し掛けられもしないかもしれない。日本人が多い都市だと、職業や役職まで日本人会に持ち込むところもあるようで、奥さん連中の関係もそれで決まるらしい。自分自身がブランドになれないから、旦那の職業のブランドに頼るのか知らんが、旦那の職業が変わったら、自分たちの関係も上に行ったり下に行ったりするんかい、そういうのがないと不安なんかいと、関西人の私としては突っ込みを入れたくなるし、そういうのは許せない。
ふ〜、いずれにしても長い一日だった。
2003年05月02日(金) |
ひまわりの種と社会学 |
最初に、何人かの方にトルコ地震のことをご心配いただき、ありがとうございます。ネジャーティの故郷の地域ではないので、大丈夫です。しかし、被害に遭った方にはお気の毒に思います。
今日はメメットが来る様子がなかったので、おそらく明日来るのだろう。
ところで、アメリカに来てひまわりの種が食べられることを知った。
最初に食べているのを目撃したのはフロリダの学校のあるクラスだった。授業中ひまわりの種を食べている学生がいて、種が食べられるのを知った。
最近ネジャーティも種を買ってきたが、すでに殻は取ってあって、中身を炒ったもの(Roastedと書いてあった)なので、そのままぱくぱく食べられるものだ。そして、ご飯にかけてもおいしいよ、と言って食べている。ハム太郎みたいやね、といって笑っていた。
フロリダの学校で授業中ひまわりの種を食べていた学生とおとどしの6月にアトランタの空港でばったり会った。そしてその学生が話してくれた出来事に驚いたのだが、その話題となった教授の写真をネジャーティが見たいと言い出して、教授がいる学科のサイトに行って、その教授の写真を見せた。同じ学部には離婚した奥さんも教授としているので、よく同じ学科で耐えられるなあと思うが、個人的な理由で解雇はできないし、まして社会学部だからそういう教授もいてもいいのかもしれないけど、やはり大変だなあと思う。
ネジャーティと私の専攻は全く違っていて、ネジャーティは化学だから、実験すれば答は出るが(結果がうまくいかないことも多いが)、私がいた社会学部はこれといった答というのはない。なので、学期末には試験ではなくペーパーがほとんどだった。ネジャーティはそれを聞いて、それだったら自分でもペーパーは書けると言っていた(おそらくネジャーティは社会学系でもいけると思う)。
私がいたプログラムは人口統計なので、フロリダの郡別の人口から将来の人口の見積もりや、出生率、死亡率を出したりするのに、エクセルに数字を入れて計算していったりして(計算方法や式は決まっていて、なんでそういう計算方法なのかはわからなくていい)、時間はかかるが(アメリカ人学生も「time consuming」と言っていた)、ある意味答が出るので、そういうのも楽しかったなあ、と学生生活を思い出した。
2003年05月01日(木) |
試食+ネジャーティの誕生日 |
明日の夜にメメットたちがここに到着するかもしれないので、木、金とあるジャングルジムズの試食には今日行っておこうと思った。
最初にOld Navyに行って、来月で2歳になるメメットの女の子に何かプレゼントを買おうかなと思っていたが、車をすでにジャングルジムズの方に走らせていて、Old Navyは明日のお昼に行くことにした。
ジャングルジムズの試食は「Cinco de Mayo」というメキシコの独立記念日を祝うもので、ワインやお寿司の試食もあるが、メキシコの食べ物の試食がメインになっているようだった。
2時からだったが、着いたのは2時半頃で、ワインコーナーを通り過ぎたところで、この前の試食の時に初めてお会いした方にお会いした。そこからずっとご一緒して、店内を回っていった。お寿司は前と同じように生魚を使っていないカリフォルニア巻きだった。この前はお寿司が出たときにはばあ〜っと人が群がったが、今日は全体的に人が少なくて、誰も取っている人がいなかった。
メキシコのごはんとか、スペアリブもあったが、スペアリブって豚肉、、、、。私は気にしない。こんな時でないと食べられない、、、。
梨奈は日本人の方のお子さんと手をつないで歩いたりして楽しそうだった。
ジャングルジムズを後にして車を走らせて、Krogerに寄って帰ったら、その間に梨奈は眠ってしまった。
ところで、今日はネジャーティの誕生日。お昼ぐらいに自分の誕生日だと気が付いたらしい。そして、去年の今日はネジャーティがシンシナティーに来て面接を受けた日なのだ。1年経ったのかと感慨深げ。
晩ご飯は混ぜるだけのちらし寿司とチキン(ただオーブンに入れただけ)、サラダ、ミニ茶碗蒸し(とても簡単)と、手がかかっていないものばかりだったが、喜んでくれてよかった。
明日はメメットたちが来るかもしれないから、今日は早く寝ようかな、、、あれ? もう2時だ。
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