2008年04月29日(火)
 『Hey Jude』 Marta Kubisova

いいお天気の休日のスタジアムは、暑いくらいの陽気。
幸せだなー。

友達にデスノートの続きを借りて来る。
DVDまで付けてくれる。わーい。



捨てまくったら、物欲が沸いてる自分に気が付く。
何があって何がないか完全に把握しているので
いつもの『通りがかりに一目惚れすることがあれば』じゃなくて

こういう感じのバッグでいいのがあればとか
冷房対策の柔らかい上着が欲しいとか靴下を買わねばとか
南国のホテルのプールは気持ちいいと友が言うので水着買っちゃうか!?

あぁ、そんなこと言ったら夏物の可愛いカジュアルなワンピ欲しい、
タイで着るの。汗だくになってもじゃぶじゃぶ洗えるヤツ。
それこそ、象に乗っても大丈夫な感じのヤツ。
ワンピ好きだけど今手持ちはお嬢系のワンピしかないもん。

とかなんとかで、今日は安価で可愛いワンピをお買い上げ♪
ほほほー。
まだ片付け全部終わってないのに本末転倒かしらん。




『ドイツイエロー、もしくはある広場の記憶』(大崎善生)

本を渡された時はいまいちぴんとこなかったんだけど
開いたら短編集でそのひとつの題名が

『容認できない海に、やがて君は沈む』

お。これは興味深い、と。
そして4編全部興味深く読みました。
(でも3つはとても好きで、1つとても嫌い。)

このヒト男だよね?
なんでこれを書いたんだろう…なんか不思議だ。



彼女たちは様々な要因で不安定なのだけど、
居場所をみつけられなくても、友人と呼べるひとがいなくても
なにかしら自分の中に原風景というか拠り所みたいなものはあって、
ひとつをのぞいて、それは救いになる。未来に続いてゆく。
(だからそのひとつは、私は救いが感じられなくて嫌い)


彼女たちは部分的にとても私に似ているけれど、何かが決定的に違う。
私も、彼女たち同様にアイデンティティは希薄になりがちなのに
なんでだろう?何が違うんだろう?

そして自分のこれまでを振り返ったら、
私もグループや何かに属するのはずーっと苦手だけれど
幸いにもいつも自分の居場所をたくさん見付けることができて
しかも、いつでも完全な孤独ではなかったのだ、と気が付く。

孤立を恐れない強さを持ちつつ、幸いにも孤独ではなかった。
それは多分、私はすぐに好きになってしまうから。

私の中にある、彼女たちのキャトルセプタンブルや小さな三角形の海に
相当するものたち、それぞれが大切な何かに繋がっていて


あぁ、これが私のただひとつのちからなのだなーと思う。


私は目に映るたくさんの場所や物事を愛することができる。
てゆうかすぐ好きになってしまう。傷付くことももちろん増える。

それでも

私がみつけて、積み重ねてきた私の好きなものが、私をつくっている。
たくさんのひとに出会って、影響し合って、今の私が在る。



「容認できない海に、やがて君は沈む。
 それを、回避するな、と。」


噛み締める。

ぎゅっ。



何故かドイツで、私が一番惹き付けられた場所はベルリンだった。
森やら湖やら私が好きそうな美しい場所はたくさんあったにも関わらず。
(まぁでも、フランスでも結局はパリだった。なんでだろうね?)

ベルリンの路上で、すぐにベルリンの壁跡をみつけて
私は地図もなにもみずただひたすらに元々は壁があったという
地面のマーキングに添って、東西の境目を自由にうたいながら歩いた。

10代の頃から、いつか私はベルリンの壁沿いをピストルズの
「Holidays in the Sun」を歌いながら歩くんだ、と思ってきた。
(※そしたらまだ壁が残っている場所や博物館に自然に着きます。
当たり前だけど、その時全く理解していなかったから、
壁に行き当たった時には「うおーーー」ってなったよw)


そんな私なので、ドイツに行く前にこの本を読んでいたら
私は東ドイツからハンガリーとオーストリアの森を抜けて
西ドイツまで歩いて行く!とか言いかねなかったなーと思います。
(でも実際にはチェコにも行けなかったんだから、きっと日程的にムリ。
プラハへもいつか行く。あの通りを、Hey Judeうたいながら歩くんだ。)


今度図書館に行ったら、ヨーロッパピクニックについて
書かれた本を探してみよう。


2008年04月25日(金)
 

ユース代表に呼ばれていたあの頃のこと?
いい選手だなって思った、あの頃からだったの?


前回の事件報道の後も、キミに貰ったTシャツは大切にしていて
かげながら応援していたし、代表候補に選ばれるところまで来て
がんばったもんねーって、うれしく思ってた矢先なのに。


私は信じていたのに。


悲しい。


2008年04月18日(金)
 『眩暈』 鬼束ちひろ

うん、やっぱりそうだ。

今週みたお芝居は、なぜか2つとも「掃除しろ!」と
かなり主張していて(笑)私はみにつまされたけど

散々色々考えて、よーーーくわかった。
しみじみ自分がモノを溜め込むタチだってことを痛感したよ。
Jドリームで、鷹くんがミルクやお砂糖を溜め込んでいた心理。
貧乏性、育ち方の影響、時代が時代なら「清貧」でw

本当はそうやって数少ないものを大切にして生きていきたいんだと思う。

でも貰えるものだけでも部屋が溢れる現実。


スタンプとかシールとかレターセットとか文房具とか
ネイルの道具とか、医薬品とかは実にきれいに収まっていて
よく使っているけれど、そんな細々したものたちは
ちゃんとあるべき場所にあって散らかることもなくすこともなくて


結局この机の上に作ってしまう地層とかしまえない洋服とかって
「あるべき場所」をきちんと作ってあげられないモノなんだよね。
ぎゅうぎゅうにしまえばなんとかしまえるけれど、
そうすると使い辛いので、出しっ放しになってしまうんだな。


モノに愛着執着する私に、使えるものを処分するって性質は、ない。

友達に言われてみまわせば、確かにもう着ないものは意外に結構ある。

でも、まだ着れるんだよー。柄は幼い感じだからもうずっと着てない
浴衣とかもさー全然キレイなの!!!

でも、でもばっかりだけど、例えば今年の夏浴衣を着る機会があったら…
もう一着のもっと気に入ってる方を着るし、
そろそろもっとシックなの買いたいなぁ。。。と思うのだ。


結局そういうことなんだよね。


私は、まだ着れるって工夫したりして手持ちをかなり活用してる
方だけど、なぜかあるモノに自分の方を合わせてしまう性質があって
本当に着たいものを着ていなかったりする。

お気に入りだけ着ればいいんじゃんねぇ。
いやそこそこ気に入ってるものしか実際持ってはいないんだけどさ
趣味も変わらないし。でもがんばって工夫して活用するより、
その時に好きなお洋服だけ着る方がいいんじゃんねぇ。

今でもキレイで着れるお洋服と、着たいお洋服は少し違うんだ。

なんで気が付かなかったんだろう。。。

似合うか似合わないかは考慮していたし
似合わないものやサイズの合わないものは諦められたけど

あー

今回のことで、やっと思いきって色々処分できそうな気がします。
極力捨てないで、あげる方向や再利用の道で行くけど。

あると便利かも、と思ってたけど、買ったら使わなかったバッグとか
サルで景品で貰ったものの一度も着てないTシャツとか

捨てるのももったいないけど、使わないものでスペースをうめてるのも
すごいもったいないことなんだね。部屋狭いんだからさー。


でも私は、モノに愛着を持って、大事にする自分が割と好き。
だから今後は、よりいっそう、自分にとって必要ないものを
増やさないように気を付けて、丁寧に選んで、気に入ったものだけを
お部屋に連れてくるってことを徹底しなきゃなって思います。




『どん底』

私は、ナターシャがとてもよくわかる。

あの瞬間、彼女は「腑に落ちる」んだよね。
悲しいけれど。やっぱり大切にされてこなかった人間は
最後のところで自分を愛することや、自分を信じることが難しい。

色んな箇所で、あぁ『どん底』だなぁ、と思う。

わかってしまう私は、やっぱり育ちがよろしくないってことなのかな。

「好きって言えば喜ぶから」

はぁ。

ため息がでるな。

そんな心理は、つい最近まで知らなかった。
できれば一生、知りたくなかった。


セットが、シンプルなのに丁寧でとてもきれいだった。
トタンやらの屋根のパッチワークが、かわいいきれい。
あぁいうのもセンスよねぇ。


私は、現実世界で近くにいたら苦手なタイプなのに
なんでか江口くんとか、大きい男のヒトの所作にドキドキしてしまう。
その代表がオダギリジョーなんだけど、あれはなんでなんだろう。
好きなのか嫌いなのかも判らないのに。

あ、それはまんまナターシャの台詞だな。。。

私を好きになってくれた男の子たちは
実に粘り強く私に愛情を示してくれていたなぁ。
感謝感謝だ。


すっごいおもしろかったです。
やぱケラさんすげー。
誘ってくれてありがとう。


2008年04月15日(火)
 『ロストワールド』 ELLEGARDEN

ところで、ここのところ悩んでいたのである。

部屋が片付けられない。

いつまで経っても片付けられない。

引越してこのかた、私が納得する「片付いている状態」になったこと
なんか、ただの一度もないのである。



実は先日一念発起して片付けに取り組んだ。
3日くらい、ものすごくがんばった。

片付かなくて泣きそうになったが、今よく考えたら一番がんばった
片付けはチケットのファイリングと写真をアルバムに入れることだった。
そりゃ部屋全体は片付かない。


もう着ない冬物をじゃぶじゃぶ洗った。
しかし夏物を出さなければ、しまえない。
衣替えをするには、オープンスペースが必要なのだが
このじゃぶじゃぶ洗った冬物の山が障害になって、しまえない。
コートのボアのヤツとかさー洗ってもしまえなくて
冬物はまたものすごーくかさ張るワケですよ。


あー洗濯している間に、衣替えするべきだったんですね。
今ならわかる。

でもそんなことは思い付かず、私は一生懸命ちまちまと引き出しの
整理やこと細かいファイリングに取り組んだ。
冬物の山ができたことで、実はよりいっそう部屋は雑然とした。


あんなに必死で片付けに励んだのに…


まぁそんな調子であまりにも片付かないので、
自分の片付ける才能のなさにがっかりして、もう、いやになった。
挫折すると、自分がまた無能でダメな人間に思えて仕方がない。


一応言い訳すると、えーと、テレビに出て来るようないわゆる
汚部屋というものにはなりません。幸いにも匂いに弱いので
ゴミをまめに出さない訳にはいかないし、ものすごく換気する。
埃で咳が出ちゃうのでクイックルしない訳にもいかない。

しまうものの量より、出すものの量の方が多いということだ。
とにかく「お片付け」が苦手で、気が付けば散らかっている。
この「気が付けば」がまたくせもので、どういう訳だか出しっ放しが
気にならなくなっちゃうの。意識がいかなくなっちゃうのさ。


ここのとこ日記を書いて、なんか引っ掛かることがあった。
実はそんな訳なので昨日も日記を書いてみた。

なんだかダメな自分と、この片付けられない自分がリンクして
ネットをうろうろしたら、いやなものを見付けてしまった。


注意欠陥障害。


あれー…


私、病気???


この病気の存在は、前になんかできいたことがあった。
だいたい「注意欠陥・多動性障害」と言われて、学級崩壊とかの
原因になる落ち着かない子供の話として取り上げられる。

私は多動性障害にはあたらないので、今までは引っ掛からなかったのだ。
それから注意散漫で集中力がない病気だとばっかり思っていたから、
私はものすごーーーく集中力あるから大丈夫だって思っていた。

でも、その時興味を持ったものに物凄く集中してしまうゆえに
それまでしていたことやしなきゃいけないことや周囲の状況に
思い及ばなくなってるんだと分かって、それは、私そのものだ…。
注意欠陥障害とだけ考えたら、心当たりがあり過ぎなのである。


えぇー…。


まぁでも、幸いにも日常生活なんとかなってるし。

机に向かって集中して事務作業することが苦じゃないので
私の集中力や妙な責任感は現状では仕事上プラスに発揮されていて
もーきっちり。自分で気にしてちゃんと休憩しないとやばいくらい。
そうか、数字苦手なのに経理やれるのは、このきちんとぶりのせいか…。
なぜか職場ではA型だと思われちゃうしな(うひひ。)

問題は多々あるけど、それでもお友達でいてくれてるひともいるし。


今まで向き不向きや得意不得意、性格、特徴みたいなモンかと
思ってたのが実は多分病気で、でも潜在的にこの病気なひとは
とても多いらしいので、なんてゆうか結局さして問題はない訳だ。


どーして私はこんなにダメなんだろうとか
規則正しくみんなができることができないんだろうと思い悩んでいたけど

もう病気なんだから、善処するしかないって話になった気がする。
なんてゆうか、不便だ。大丈夫なひとより、ちょっと生活が大変だ。
でも、えーと、それを言い訳にしないで、がんばるしかないのだ。


とはいうものの、自分が「普通じゃないかも」と思うのはとても不安だ。


今何よりの問題は、物や情報をたくさん溜め込むけど片付けられない、
取捨選択がうまくできなくて混乱してしまう、この部屋と頭と気持ちだ。


それで、とても片付けができる友達に、おもいきって相談してみる。


話ながら色んなことがどんどんわかる。


だから私なかなか物が買えないんだなーとか(捨てられないから溢れる。
幸いそれが自分の特徴として分かっているのでいいセーブ方法ではある)

新聞やニュースが苦痛なんだなーとか(全部脳内に納めようとしてしまう)


でも、片付けができている時もあるのだ。
大好きな部屋を、ちょー可愛く作っている時。
本当に雑誌に出せるような部屋っぷりだった。


じゃあ結局一番の問題は、部屋が気に入っていなくて
長く住もうと思っていないからなんだってことがわかる。

そーか、モチベーションの問題なんだな。

そして、多分私は物事を完璧にしようとし過ぎる。
完璧にできないならやらない。やりたくない。
それが、この片付かない部屋になっちゃう訳か。
片付けるなら、もうちょー可愛い大好きな部屋じゃなきゃやなんだな。


だからって言ってさぁ

可愛くできないからって言ってさぁ

この、人並み以下の状態はやっぱりよくないと思うのよ。

居心地がいいとは言えないもの。


そして一念発起して、でも片付かなくてへこんで、
目標が高すぎるからなのもわかった。だから挫折しちゃうんだ。
でもやるからにはこの部屋なりに最大限に可愛くしたいじゃーん。

あーうー



もう最終的には、気に入った部屋に引越すしかない(^_^;)

結局「やなものやだ、やっぱりやだ、好きなものだけがいい」
に逆らえないんだっていうことね。欲望のままか。ため息がでるな。


気に入った部屋ならできる。
物を捨てれば片付く。
キミは病気じゃない。


別れ際の友人のまとめ。すごい簡潔。


えーと、アドバイスから導き出した最初にすべきことは、
物が収納の許容量を超えているんだから、処分するしかない。

片付けに際して自分で自覚している何よりの障害は
「完璧じゃないといやなので、とりあえずぱぱっとができない」
(押し入れや引き出しの中はとてもきれいなんですよぉ)



捨てる。

目標は小さく。



近日中にどうせ衣替えはしなきゃなんだから、
衣類だけは時間を作ってあるべきところにしまいます。


おっきいゴミ袋一杯分以上の服を処分します!!!


あーでも私趣味変わらないし、まだ着れるものばっかりだよー。

とか言っててはいけない。

こないだ靴下ヨロヨロではずかしかった、そういえば(^_^;)

女子力の低いモンを中心に処分するのだ。おー。



ちなみにおもしろいことに、洗濯物は溜らない。
お洗濯は大好きだから、どんどんじゃぶじゃぶ洗う。

干す。取込む。畳む。

以上。



畳んだものが山になるんだな。
それでまた洗濯するから、どんどん畳んだ洋服が溜るんだな。
きちんとそれぞれの箇所にちゃーんと仕舞わないとやなんだもん。
出し入れしやすくて、きれいに揃ってないとやなんだもん。

それが今、私にはとてもむずかしい。

で、洋服しまう量より出す量の方が多くなる。
私が望む通りの収納をすることが、現状では困難なので後回しになる。


捨てる。
うん、捨てるよ〜(泣)




保留にしてた物事も、今日は少し進展。
まだ整理はできていないから早急にやる。

今週はイベントが集中しちゃって忙しいから、
来週の平日の晩に一週間がかりで衣替えるかー。



ちなみに文章を書いていたら猛烈に気になって
ちょっと言葉の意味を調べてみた。



掃除:はいたりふいたりして、ごみやほこり、汚れなどを取り去ること。

片付け:散らばっているものをきちんとした状態にすること。
また、ごたごたしている物事を整理すること。

整理:乱れた状態にあるものを整えて、きちんとすること。
無駄なもの、不要なものを処分すること。

整頓:きちんとかたづけること。また、きちんとかたづくこと。整うこと。


[用法]整理・整頓

「部屋の中を整理(整頓)しなさい」「書棚をきちんと整理(整頓)する」
など、整えるの意では相通じて用いられる。

◇「整理」は、「交通整理」「感情の整理がつく」のように、
混乱しているものをきちんとした状態にする意。
また、無駄なもの、余分なものを除く意もある。
「人員整理」「蔵書を整理する」など。

◇「整頓」は乱れているものの位置を元にもどし、整えること。
「教室の机を整頓する」「乱れた資料の順序を整頓する」



はぁはぁ、なるほど。

すると私は、掃除と整頓はできるけれど、
極端に片付けと整理が苦手ということか。
整理さえ付けば、整頓は好きなのに、今そこに到れない訳か。




今日のお芝居、すっごいおもしろかったーーー☆
やっぱり古田新太は最高だぜ。

めちゃめちゃみやすい最高の席でした。
誘ってくれた片付け上手な愛する友に感謝!



明日はナビスコカップ。
MXで水曜どうでしょう。


2008年04月14日(月)
 『明日があるのさ』 エレファントカシマシ

さいきん、写真を撮るはもちろんだけど、
撮った写真をどうするか、が楽しい。


今日は封筒で作る簡単なフォトブックを工作してました。

写真の枠切って、裏から写真貼って、まわりにコラージュとゆうか
雑誌の切り抜きとか外国の切手コピーしたのとか英字新聞とか貼って、
スタンプ押したりシール貼ったりして、遊ぶ。

それをホチキス止めして、表紙にレースペーパーなんか付けて
ブックスタイルにして、麻ひもでくくったりする。
チープで簡単だけど、安価でできる割には可愛い。

これを読んでる「いつか写真をあげるべき」幾人かは
(↑まぁ撮った写真くれとかみせろとか言ったひと、
 あげると言われてるひと、私に撮られた自覚のあるひと+わんこ)
その内強制的にプレゼントされるので気長〜にw お楽しみに。




保留にしているやるべきこと考えなきゃなことがたくさんなのに
工作なんかしている場合ではないのに、今この瞬間に自分が
楽しいと思うことばかりしてしまう。本を読むの後回しにしろと
自分に言いたい。いやなんか本当にこう、考える回路がね
うまく働いてない感じがするの。TO DOってんですか。ダメだ。


ずっと調子悪いせいにしてたけど、どうもそうじゃないらしい。
最近チケット取りやらプランニングとかさえひとまかせでいかんなー。

とりあえず、もう1ヵ月なんだから、タイ行きと豊田行きと
仕事のことだけはちゃんと考えてやらなきゃなのにー。なのにー。


しかし、いまや趣味はチケ取りなきららちゃんではなくなってしまった。

すっかり情報に付いていけてないし、このPCでは闘えないし。
こんな調子でフェスの宿取りに挑めるんだろうか。

チケ取りに関しては闘えない→やる気がでない→保留→闘わない
と、悪循環になってる気がするな。
イベントたくさんでチケット取らなきゃなのに。
コンビニで買えるものも買ってないしな…。


明日は、少し頭を整理しよう。
仕事でやってるみたいに、やるべきことを書き出してみるか。
なんだか連日明日って書いてるな。


でも明日はお芝居をみにゆくのだ〜楽しみだな〜。


そうなの。

ダメ人間は、なんだか毎日お気楽で楽しいんだよなー。

電話水没させたけど、それもなんか「きーーーっ」ってなる感じ
じゃなくて、ゆるゆると「困ったなぁ。。。」みたいな。

やっぱりこう、なんか、考える回路がちょっとこわれてる気がする。


瞬間の感情だけで動いてます。




それはいつもか。


あ、明日はプロダクションIGと秘密!
忘れるからメモっとこ。


2008年04月13日(日)
 『いとしのエリー』 サザンオールスターズ

いまにも雨が降り出しそうな、曇り空の日曜日。


元気にはなったものの、走れば咳が出るのは必至だし
病気じゃない体調不良だし、外は寒いし、来週忙しいから休養も
しなきゃだし、朝方までダービーの放送みちゃったし(笑)

で、結局チームの大会には行かず、お昼過ぎまでおうちでウトウト。

のんきに午後にチェックしたら、大宮公園は見事にアウェ−側ばっかり
売れていてちょっと笑いつつ、困る。さて、どこを買ったものだろう…

そんななので、大宮のプリンスリーグ→埼スタのカシマ戦をハシゴする
ことも平塚までJ2をみにいくこともバレーボールの応援に行くこともせず


何も考えずのーんびりして


ようやく出掛ける気になって(腹痛が治まって、かな)
友達の家で浦和×鹿島戦をテレビで観て、昨日新しモノ好きな
心やさしい東京仲間に使わなくなった携帯を頂いたので
DOCOMOさんに行ってデータを移行して貰ってくる。


コツコツためたピタゴラの着メロや画像が使えなくなってしまった
のが今になってちょっと悲しい。新しい携帯は、無機質でなんだか
冷たい感じがする。それで、せっせとカレンダーを変えたり
小窓に表示される画像を用意したりして地味にカスタマイズして過ごす。
だいぶきららしくなって、なんだか安心する。


夜になって、早急に考えなきゃいけないことがたくさんあることに気付く。
ダメだなぁ(笑)

まーお腹痛い日のきららはしゃーないっす。使えません。明日考える。


ただでさえ遅いメールの入力がまたしばらくよりいっそう遅いです。
まーこの1週間に比べれば全然安心して長文も書けますが。
(すみません、今週はやけにそっけないか返事がないか電話で…)

注意深く使っていたせいもあると思うけれど、でもこの週末はあのコも
一度も落ちなかったので、最後にあの携帯からメール送った後は
なぜだか妙に名残惜しい気持ちになる。

ちっちゃいから弱いし、機能は最小限だし、多々問題はあった。
でもね〜これはやっぱり私の選んだ、とても私らしい電話だったと思うの。
今も開けば誇らしげにブルーを身にまとったニッポンがいて
ドイツでの思い出や2006年から2007年の記憶がたくさん詰まっている。

なんだろう、この感じ。

でも、なんか、やだな。

こうして私はものごとを愛し過ぎてしまう。
いくら好きだって、実際には(ドイツで以外は)不便な電話だったのに。
この1週間だって、何度電源入れ直すはめになったことか。
書きかけのメールが消えるのはともかく、FOMAカード認識してくれなくて
1試合分の時間を丸まる電源切っては入れるを繰り返したり…


好きだけでいいや、と退廃的(多分)な私はとても私らしいのだけど
モノや記憶がいつまでも捨てられない自分が、この頃は少し嫌い。




お気に入りの物書きさん(プロの小説家)の日記を読んでいる。
なんだかものすごーーーくこのひとの作文が好きなのだ。
彼女の書くものは、とても色気と味わいがある。
文そのものをとても愛おしく感じて、いいなぁとため息をつく。

このひとの作文を読むと、なんだか文学したくなるんだよ〜
と友達に話して、ちょうどひらいたところが興味を持ってくれそうな
文章だったので、ほんの数行の、某月某日の日記を、
みせながら音読する。友達はそっとため息をつき(たように感じた)

うまい。

という。

それだけで、とても伝わったことが感じられて、うれしくなる。
わかる?わかる?この味わい〜。


そういえばもうひとり、この味わいをとても愛しているひとがいた。

そういうひとが、そういうひとと話をするのが、
私はとても好きなんだなーと今さらのように思い知る。



勝利の余韻を味わいながら、のんびりワインを傾ける。
まーゆっくり、とゆうべ東京仲間のひとりが言った。

そうなのだ、のんびり酒をのんで語らい、時の経つのも忘れて
いつも私は最後の客だった。そこそこ呑むけど、ザルってほどじゃなく
旨い肴に目がないきららさんは、酒飲みにはあるまじきことに
まずお腹を落ち着かせて(笑)そこからゆるゆるのむのが好きだった。

メニューをみる。何が食べたいと言う。
相手の提案に「いいね〜」とこたえる。

そうしてつついている内に周りの椅子はテーブルに上げられてたり
ざわめきなんてすっかり静まり朗々と音楽が流れていたりした。

酔い覚ましにお散歩をしたりする。
ちょっと遠くの駅まで遠回りだったり、公園だったり、
ビルの合間だったり、多様な場所をゴキゲンで歩く。
そんな風に連れ歩かれるのが、とても好きだった。

やっぱり私は、みんなに甘やかされてきたんだなー。
何も考えなくても、とても好きな風に過ごして来れたんだなー。


最近は、なんだかせっかちな感じが多かった気がする。


時々登場する、お父さんの年賀状

「味よりも 味わい方に味がある」

あぁ、私のとーちゃんだ。


そのハガキは、味のある人間になりなさいと結ばれていて


もう年だなーと思うことがこの頃多いんですけど、
こういう観点からだと、私はまだまだ若いですね。
深みというものがない。


それこそよい作文を愛でる部分くらいかしら、味わい方に自信があるのは。
自分の作文は文学にほど遠いけど〜。


やっぱりなんていうか、ゆるぎのないほどほど、がいい。


2008年04月12日(土)
 『ワンダーライン』 YUKI

るるるるー。

今日はぁ、おさけをたくさんのみましたーーー。

あぁ、大竹くんが好き。
みてる時たぶん目がはぁと。
大竹くんが大好き。
今年はスタジアムに行くのが楽くてうれしい(>_<)☆


えーと、病気はだいぶいい感じです。1ヵ月近くあの状態で
放置してしまって心配されたので、今日は元気だ報告でした(笑)
運動やムリをしなければ咳もそんな出ないし。


日々色々あるし書きたいこともたっくさんなのになー
酔っぱらいだで頭まわらないだよw



それにしても今日のお酒は美味しかったにゃ。
盧花公園なんてめったに降りない場所だけど
ごちそうもおやつもおいしくて、まろやかなサングリアが◎



ピッチもスタンドも

スタジアムが熱かった。


はにゅーさんなんか、ダービーの歴史を学んでから試合に臨んだそうな。
そんなんきいてあぁやって働いてくれたら好きになっちゃうじゃないか。
でも「シャー」はわかってなかった。それもまたよし(笑)


来週は予定が盛り沢山。
なんだこの集中っぷりはって感じの楽しみなことがたっくさーん。


るるるるー。

ワンダーライン つなぎあって 生まれていく空〜。

遊ぶ today today today いえーい♪


このうた好き。


おやすみ!



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