日々の泡・あるいは魚の寝言

2009年04月23日(木) …近況日記

「最近、日記の更新がないということは、お忙しいんでしょうねえ」と、いろんなひと(主として担当さんたち)にいわれて、はたと気づく、日記更新してなかったー!

えーと。
大体、前の日付の日記と引き続き同じような日々です。
忙しいですよ。なんだってこんなに忙しいんだ。
でもとりあえず、歯医者さんの治療は終了しました。
わあいv ありがとうございましたv>担当のお医者様v

お仕事関係の現状としては…

☆五月の新刊、新シリーズ「くるみの冒険」再校終わりました。
絵師さまの美麗な絵も、時期的にいって、できあがってるはず。
五月中旬予定で、一巻が本屋さんに並ぶはずです。
童心社フォア文庫「くるみの冒険1〜魔法の城と黒い竜」よろしくです。

小学校高学年向け、元気な女の子が、現代日本を舞台に(ていうかいつもの風早。今回は西風早の方なので、ちょっと町並みが違います)、魔法の杖を手に戦います。「ツンデレ」な黒猫のメイドさんがでてきます(^-^)
とっても、「いまどきの子ども向け文庫」してます。いろんな意味で。
たぶん、できあがった本を手に取ったら、わかるひとはわかるでしょう。

ただそれ、「わざと」やってます。
「楽しんで」やってます。
もともと、「魔女っ子バトル」で、「少女趣味で、女の子の熱い友情もので、ガールズトークあり」「お花とお菓子と雑貨の世界」「素敵なパパとママ」「素敵な街」みたいな話が好きだったということもあるんですが、ここまで「今風」な話を、それでいて、「典型的」で、「ベタ」な話を、「いま」「真面目に」書いて、どこまで子ども読者に好きになってもらえるのか…
うんそう、ちょっと、というか、かなり真面目に書いてみました。

こういうことかくと、「売れ筋を狙ったんでしょう」とか、「狙って書きましたね」とか、いわれそうなのでいやなんですが、微妙に魂が違うってことは、あらかじめ、この日記に書いておこうと思います。
前にも、同じ趣旨のことをたぶん書いてるけど。でもまた書く。

以下、自慢話をちょっと書かせてください。
「くるみ」の担当氏は、長いつきあいの編集者さんなんですが、彼が、猫のような、のんびりした笑顔を浮かべていったのは、
「いい具合に力が抜けてますよねえ」ということ。
「ほんとにこういう話が好きなんだなあ、と思いました。楽しんで書いているのがよくわかります。よくある『こういう話』って、無理に作っちゃってたり、狙ってたりするでしょう? そうじゃなくて、読み比べるとたぶんわかる、人口調味料じゃない、手作りのおいしさ、本物の味わいみたいなのを感じる物語、になってると思いますよ」
(記憶に頼って書いたので、言葉のニュアンス違ってたらごめんなさい。>Hさん)。

まあ、そういう本なんです(^-^)

☆ええと、あと、「たそがれ堂2」引き続き執筆中です。
七月刊行をめざしています。…がんばるしかない(涙)。
今度の二巻は、ジャイブさん刊行です。文庫でスタートです。
最初から、一般書(大人向け)なので、ちょっと楽に書いています。…楽に、というと語弊があるかな?
普通に自然に、大人の活字好きとしてのわたしが、面白いと感じる視線優先で書いているというのか。
その辺、既刊とは「余裕」が違うので、ノリもちょっと違うかもしれません。わたしという人間の個性が強く出ているかもしれない。
わたしは今度の本も好きですが、一巻が好きだった読者さんは、読者さんによっては、「前のがよかった」というかもです。
かわりに、「一巻と似たような本だった」とはいわれないかな、と思う。
今度の二巻の方が絶対すき、という読者さんもいると信じています。

☆そんなこんな忙しいですが、あいまに、東京で桜見たりもしました。新宿のヒルトンのそばにさいてる八重桜が、童話みたいできれいでした。
あとはいい年して、イベントだいすきなので、遅れたホワイトデーで美味しいお魚料理いただいてきたりとか。いつも思うんですが、イベントって、ひとりじゃ盛り上がれないので、いやがらずにつきあってくれる人の存在は貴重だ…

こういうのって、イタいのとお洒落との狭間なところにあるセンスだと思うのですが、わたしは、自分がどれだけ年取っても、そのうちおばあさんになっても、バレンタインとかクリスマスとか、お誕生日とか、そういうほんわかしたイベントは、大事に楽しみたいな、と思っています。
…まあできれば、他人から見て、客観的に、イベントごとが似合って、かわいい、とかいってもらえるようなキャラクターをたもってられればいいなあ、と思ったりしますが。
こういうのは、努力したって、イタくみえちゃうときはイタイだろうしなあ。でもまあがんばります。人生何事も努力!

☆あと、これをよく読者さんに心配していただけちゃうので、書いておきますが、健康状態は良好ですよーv
長時間、パソコンを使うお仕事なので、首とか肩とかはさすがにこりますが、夜もよく眠れるし、じんましんもほとんどでないし。たまに風邪引いても、ビタミン剤で治るし。

うつ病の方は、いまはもう、病院にもほとんどいってないし。
数年前、いちばんひどかったときは、「重いうつ病です」とかいわれて、毎週病院に通ってたし、リタリン処方されてましたからね。
いまはもう、うつ病患者にはリタリンは処方されなくなってしまいましたが、当時はあれ飲まないと、動けなかったです。
うつ病とは、心のエネルギーが枯渇する病気で、ほんとに動けなくなってました。前にも何回か、この日記に書きましたけど、お風呂に一度入ると、風呂桶からあがれなくなったりしてました。すごかったよ。お湯が冷めても、湯船から立ち上がれないの。寒くても。

わたしの場合、ACがベースにあって、共依存に走りやすい(興味があって言葉を知らない方は、ネットで調べるといろいろわかります)、簡単に言うと、「笑顔で自分に無理をしてでも、他人を幸せにすることによって、自分の存在価値を見いだす」という行動に走りやすいのです。
で、自分に価値を感じていないこともあって、自分を大切にするぎりぎりラインの安全弁がない。
これって、一見、いいひとみたいですが、やりすぎると本人も苦しいし、「助けたり」「甘やかしたりする」対象の成長を阻害しちゃうんですよね。自分に頼らせようとすることによって、相手をだめにしてしまう。
それと、そこにある「仕事」をみんな引き受けることになりやすい。そもそも頼まれると断るのが難しいし、自分ががんばればなんとかなる、と、無茶なことを思ったりしてしまう。
でもそれって、健全なことではないので。

「自分の生き方がどうやらまずかったらしい」とか、「もっと自然に楽に居きられる方法がある」なんてことを学ぶために、心療内科に通っていました。いまもたまに通っています。

「あなたはひとのためにエネルギーを使いすぎる。自分のために生きていいんですよ。自分が幸せになるために生きていいんです。」
これを何回も何回も、主治医の先生に、いわれましたねえ。

いまはもう、思考法がわかってきたし、リアル生活が無理なく幸せになってしまったので、病院にいかなくてはいけない、という感じではなくなってしまいましたけど。
いまはなんだろう、先生への感謝と、現状の自分がいかに幸せか、報告するために通っているような気がします。
薬はもう飲んでいません。
たまに頭痛や肩こりがひどいときに、デパスを飲むくらいかな?
あと痛み止めのロキソニンと。
リタリンは、いまはもう手に入りませんが、もし気持ちが沈むことがあっても、動けなくなりそうになっても、普通に薬局にある、カフェロップとかで、十分に立ち上がれるようになりました。
うつ病、けっこう、治るものですよ。

いやほんと、ありがたいです、心の病院。
知的な好奇心も満たせますし、何かしらいきづらいという自覚がある方は、どうか怖がらずに、クリニックの門を叩いてほしいです。
恥ずかしいことではないですから。
むしろ、ひとりで追い詰められて、死んだりしたらもったいないから。
わたしも、数年前だったら、もし、仕事がいそがしくなかったら、まずかったかもしれません。とりあえず、締めきりがあるから、いろいろ面倒なことを考えている余裕がなかったんですよ(笑)。

You Tubeで、スーザン・ボイルさんの歌声とかきいていると、これは生命の歌声だな、と思います。
前向きな、勝利の賛歌のような声。
これを今日きいたという、その幸福な思いもまた、今日まで生きてこられたという喜びの中のひとつだな、と思ったりします。
元気に生きていて、仕事ができるというのは、とてもありがたいことです。
You Tube


 < 過去  INDEX  未来 >


chayka [HOMEPAGE]