日々の泡・あるいは魚の寝言

2001年10月26日(金) このごろのいろいろ

☆鹿児島のイベントの時、夜、ホテルで、掲示板常連の小夜ちゃんと、お友達にあって、若さにふれて、懐かしかったこと。
小夜ちゃんは高校生、お友達あ〜やちゃんはネット友だちで、やっぱり高校生。
学校で創った漫画同人誌をもってきてくれて、おみやげに黒砂糖とか小物入れとか、何より嬉しいイラストももらってしまいましたよ〜。
時間ができ次第、アップする予定です。シェーラご一行とハヤミさん。

で、ほんと、あの高校生の持つ、きらきらって、なんなんでしょうねえ。
未来があるということ。自分がこれから成長していくものだということを、無意識に感じているということ。未知の世界に乗り出す時がきていて、そのことへのおそれと憧れが、常にこころのうちで震えているというか…。
たぶん、本人たちにはわからないんでしょうね。まだ。
気づくときには、おとなになっているから。

☆福岡の講演会で、頭痛に襲われて大変だったこと。
朝から頭痛がすごくて、でも、頭痛薬をもっていってなかったので、ホテルでもらったら、なかなか効かなくて、講演会スタート時にはまだ半分死んでた…。
まじで、主催者の人たちは、青ざめてました。
よく話せたもんだと自分でも思う。

今回は、講演の原稿がまにあわなくって、カシオペアFIVAを宿にもっていき、ぎりぎりまで執筆していたのです。で、当然、印刷してる余裕なんてないから、FIVAを抱えて講演会場へ。
座って講演するという約束は事前に取り付けていたので、机の上にFIVAを置いて、原稿をみながら、講演しました。
これがねえ。よかったんですよ。
まず、いつもそばにあるもの(FIVA)が、目の前にあるので、落ち着くことができた。ていうか、心強かった。
そして、紙の原稿だと、どこまで読んだかわからなくなっていたのが、パソコンだとカーソルで動かすことができるので、実にわかりやすい。
フリーの時計ソフトをいれているので、時間がわかる。

講演は、あまり受けないことにしている私ですが、もし、次にやるとしたら、やっぱり、FIVAをもっていこうと思いました。

☆私ってなんなのかなーと、思ったり…。
ネットをはじめた理由の一つの遠因に、人付き合いが上手にできる人間になろう、というのがあったんですよね。

わたしは人を信頼するのが下手だから、人に心から甘えて、信頼することができる人間になろう。辛いときは辛いといえて、泣ける人間になろう。
ひょっとして、ネットの世界では、人との出会いを通して、それができないだろうか?

で。
ネット歴、もうすぐ二年の今。
どうなってるかというと…。

だめだめですね、まだ。

見よう見まねで、いろいろしてるけど、私には無理みたい。
ここ数日は、自然体で生きていようかな、という、悟りが開けてきました。

いいのよ。私はひとりで生きていけるのよ。
優しい人の手を、はらいのけるのが私なのよ。<不幸なやつ

いいや、それでも。
わたしは人に信頼されるのと、人を甘えさせるのは、好きだから。
私のことを少しでも必要としてくれる人がいるなら、このままでも、生きていけるよね?



2001年10月20日(土) 寂しい夜景とあまーいケーキ

そういうわけで、赤崎鹿児島市長臨席の上で、椋鳩十賞受賞者と審査員の先生方による、「鹿児島市の教育を考える会議」が始まったわけです。
場所は、海辺のホテルの一室。
新聞記者さんたちや、「教育を考える市民会議」のみなさまがメモをとる中、鹿屋教育大学の先生を進行役に、会議が始まったのでした。
椋賞の審査員は、たかしよいち、長崎源之助、西本鶏介、三木卓、の四人の先生方です。あ、お名前は、五十音順に並べております。
集まった受賞者は、石原てるこ、風野潮、みおちづる、安東みきえ、私の五人でしたが、うち風野さん(USHIOさん)、みおちづるさん(チルチルさん)は、ネットでの友だちですので、なんだか楽しい会議でしたね。
とくに、審査員の先生方は熱心に発言されて、私たち受賞者も、それについていく感じで、会議は盛り上がっておわりました。進行役の方々の話のもって行き方も、心配りがされていて、発言しやすかったなあ……。
みおさんが、「子どもは居場所を求めている」という話をして、私はそれに続けて、「インターネットの活用で、それができないだろうか」という話をしたのでした。
うちのサイトの、子ども用掲示板をみていても(うまく管理ができていれば、という前提の上でのことですが)、バーチャルな世界であっても、居場所があることは、子どもにいい影響を与えるような気がしているので…。
小学校や中学校の先生が、しっかり管理をしさえすれば、学校と学校をつないだ、「鹿児島子どもネット」みたいなバーチャル世界が創造できそうな気がします。
(なんて話をしていたら、奉職先の高校の中で、掲示板を運営しようとしているといってた、monakaさんの顔が頭に浮かんだり。うーむ。私って本当に、風の丘から頭が離れないのね)。

で、会議が終わったあとは、楽しい懇親会があり、ちょっと顎関節症が和らいでいて私は、魚介類食べまくりでした〜♪
でも、お料理がありすぎて、食べきれなかったですね。ちょいと残念。
赤崎市長さんは、私が椋賞をいただいた七年前と、全然変わっていなくて、元気そのもので、でもちょっと人格がおだやかになった感じでした。いい方です。
大体、この不況の世の中で、あのお金がかかる椋鳩十賞を続けているというところが、すごいものです。
薩摩切り子のトロフィーだけで、いくらかかっていることやら……。

みんなにお酒が入って、場がにぎわったあとは、私もお酒が入った「ふり」をして(笑)、西本先生にふだんいえないようなこと(!)をお願いしたりしちゃったりして〜。まあ、ああいう席もいいものですね。
しかし、みおさんと風野さんが、お酒に強いのはびっくりでした。私がウーロン茶を飲むスピードで、ふたりはワインや焼酎を飲むんだよ〜!

懇親会が終わったあとは、「女の子同士」(笑)の、二次会を、ホテルの一階の喫茶店で行いました。
安東さんは初対面だったんですが、私の好きな本、「天のシーソー」の作者さんなので、おあいできるのが楽しみだったのです。
これが、おあいしてみると、お金持ちそうな、香水(フルール・ドー?)をつけた美人の方で、押しが強いし、はきはきしてるし、ひえ、と思ったんですが、話しているうちに、「猫好き」という共通項があることがわかってきたりで、あっというまに、お友達モードに移行しました。
安東さんも私の本を好きでいてくれたということもありまして…。
あの夜も誓いましたが、今後、「天のシーソー」を酷評するサイトがあったら、私が反論しにいくことを約束します(笑)。>安東さん

石原てるこさんは、アダルトな感じの美女でした。
実は、私とUSHIOさんは、かもめ亭常連の小夜ちゃんが、お友達といっしょに会いに来てくれたので、途中で二次会を抜けたのですが、その間、みお、安東、石原の三人の間では、ちょっと大人なノリの話が続いていたらしいです〜♪

その後、私、みおさん、風野さんの三人は、最上階にある大浴場に、真夜中の入浴にいきました。週末ではないから、お風呂はすいていて、私たちはのんびりと、お風呂を独占したのでした。
お風呂のガラス越しには、少しだけ寂しい夜景が見えました。

夜景って、どうしてあんなに哀しいのでしょうね?
東京の、星がさざめくような夜景も、鹿児島の海辺の夜景も、誰かと笑いながら見ていても、心の奥がうずくような寂しい気持ちがするものですね。
ひょっとしたら、子どもの頃、暗くなったからもう家に帰らなくてはならないと思った、あの日の記憶がよみがえるのかもしれません。
でも、もう大きくなった私には、帰る家はなく、無邪気に甘えられた存在も、もうどこにもいなくなっているのです。もはや、他人にすべてをゆだねられるような無邪気さは、もちあわせていないから。
そのことが、悲しいのかもしれない。

しかし、同業者三人で、お風呂にはいる、なんて機会は初めてなので、楽しかったですねえ。私も風野さんも、お化粧落としをみおさんに借りたりして(笑)。
「OL三人娘ミステリーツアーって感じだね」と私がいったら、二人とも笑いころげてたっけ。うん。ほんとう、いい夜だったな。

風野さんとははじめてあったのですが、なんていうのかな、いちいちすることがかわいらしくて、つぼにきてしまいました。
「りぼん」とかの、少女まんがの、ヒロインみたいなんですよ〜。
「明るくかわいくて、でもほんとは繊細な少女」って感じなの。ときどき、ぽろぽろって、小さな失敗をしたりするんだけど、それがみんなかわいいの〜。
そばにいて、世話を焼いてあげたくなるの。
ショートカットの茶髪も、眼鏡も、似合ってて、かわいかった〜。

みおさんは、もう三回目くらいかなあ。あったのは。
彼女とは同人誌でもおつきあいがあったので、もう古いなじみですね。
あいかわらず、蒸留水みたいな透明感と、純粋さのある人でした。
クリスマスに、ポプラのパーティーで会いましょうね☆
…そ、それまでには、いくらなんでも、「海賊少女」を読んでるからね!

次の日は、朝早く、鹿児島を発ち、長崎に帰ってきました。
帰ってきたら、ネットの動物友だちのSHOWさんから、手作りのパウンドケーキやクッキーの詰め合わせに、読みたかったペットロスの本がとどいていて、わーい、と思いました。
ちょうど弟の奥様と姪っ子がきていたので、いっしょに食しました。

ちょっと疲れた脳に、甘くて柔らかいケーキはしみて、私はそれを堪能したあと、かもめ亭をチェックして、一度眠り、そして夜中におきて、みなさまにただいまの挨拶を書き込んだのでした。




2001年10月19日(金) イルカの日

…昔、そういうタイトルの映画があったのです。
イルカを訓練して、敵国の潜水艦に水雷をしかけにいかせようとする悪役がでてくるという映画でしたが、主題曲が素敵でしたねえ。

ガラス越しですが、イルカさんと向かい合う機会に恵まれました。
鹿児島の水族館です。

昨日のことですが、椋鳩十賞の歴代受賞者と、審査員と、赤崎鹿児島市長が、「鹿児島の子どもの教育について考える」という企画がありまして、それに参加してきました。そう。私はあの賞の第四回受賞者なので。
(あ、かもめ亭にそのことを事前に書かなかったのは、一日二日ネットを離れるくらいの時は、掲示板に書かない方が、掲示板が安全かしらという判断があってのことでして。ごめんなさい。もっともうちには、かのかもめ亭管理組合さまがいらっしゃるので、心配はいらないのですけどね〜。ありがとうでした>組合さま)。

で、会議の前のあいた時間に、鹿児島市の方に、水族館と維新記念館につれていっていただいたのです。
どちらも、館長さん直々のご案内と解説付き。
「童話作家になって良かったあ!」と、何度もかみしめましたねえ。

維新記念館は、西郷隆盛と島津斉彬の記念館といった感じでした。すごかったのは、コンピュータで操作されているロボット西郷さんや勝海舟のでてくるお芝居が上演されていることでしょうか。
部屋の中に、ちいさなコロシアムのような円形の舞台が作ってあって、その中央に、西郷さんロボット(歯まであります)がせりあがってきて演技、舞台の奥にある、部屋の壁のスクリーンには、いろんな情景が映り(明治維新を駆け足で説明するシナリオなので、やたら血しぶきが散る…)、話の展開に沿って、舞台のあちこちから、坂本龍馬人形やら、大久保利通人形やらが、せりあがり、せりふをしゃべるのです。当然、BGMつき。聞き覚えのある音楽がでてきた(「音楽畑」の中のどれかだったと思う)ので、音楽はありものを使ったのかも。
シナリオはちょっと盛り込みすぎていて駆け足で、日本史に興味のない人には不親切でしょうが、ロボットをみてるだけで、楽しかったですね。
でも、個人的に苦悩したのは、ナレーションの女性の声が、マイクを通したときの私の声とかーなーり、似ていたことです。私は、しゃべるタイプのアルバイトをいろいろしてきたので、機械を通したときの自分の声を知ってるんですよ。
で、気持ち悪かった……。甘ったるいしゃべり方までにててイヤ……。
うう。ごめんなさい、ナレーションしてた人。
ちなみに制作は東京の会社で、制作もメンテナンスも、途方もないお金がかかってるらしいです。
ああ、そうそう。ホログラフィーを使った、ドールハウスみたいな展示物のコーナーもありましたよ。歴史上のイベントシーンが切り取ってきたみたいに、立体化されて、飾ってあるの。登場人物が、動いたり、しゃべったりするの。

展示物のコーナーをみていて、「あ、これすず猫さんに見せたいなあ。どんなリアクションするかなあ?」とか、ロボットのお芝居をみてて、「これはミーシャンさんは興味深いだろうか」。島津斉彬の名前をみれば、あきさんを思い出したりと、なんだかかもめ亭の常連の名前が浮かぶ、維新記念館でありました(^^)。

で、水族館。
館長さんを独り占め、質問しまくりのVIP待遇…。
これもまた、生きてて良かったと思う瞬間でした〜。あ、でも、ここは、お魚大好きなkekoさんにみせたいなあと思ったのです。私ったら本当に、頭が風の丘から離れられないらしい(^^;)。

日本で四番目に新しい水族館だそうで、飼育もうすぐ一年のジンベイザメなんかが、巨大な水槽の中を、ふにょーっと、泳いでおりました。それもかわいかったけど、とにかく魚はみんなかわいい! 海星も海月もアメフラシもかわいい!
「あっ、あれは、カイロウドウケツですか?」
「いえ、あれはその近縁種なんですよ」
「ああっ。鰹だ、カツオ!」
「ほう。生きているカツオをみて、カツオだとわかる方はめずらしい!」
などという楽しい会話を続けるうちに、お魚には興味なさそうな、鹿児島市の職員さん一名(なんていうかな、随行員さん?)は、徐々にひいてゆき…。
「あ、あのう、館長、そろそろイルカショーの時間では? 村山さんはショーを見るという予定になっていらっしゃるんですけど…」
「このお嬢さんは、相当お魚がお好きみたいですから、イルカショーより、魚の解説をじっくりした方がいいと思います」
「あ、私もその方がいいです!」
「……はあ」
しょうがなしに、ミズクラゲの水槽をうつろな目でみる市役所職員さん。
その横でなおも盛り上がる、私と館長さん。
「うわあ、エフェラだ、きれいですねえ!」
「海月って、ふわふわしているようですが、こんなふうに海底に張り付いている時期もあるんですよねえ」

あとで、市役所職員さんが笑顔でいった一言。「村山さんみたいに、水族館を喜ぶ方はめずらしいでしょうから、館長も嬉しかったと思いますよ」

そうそう。それで。イルカなのです。
イルカショーが済んでから、イルカを見に行ったのです。
すると、手持ちぶさたみたいにプールを泳いでいたイルカが、私の姿を見るなり、プールの上に上がってきて、あざらしのように寝そべって、鳴いたのです。
館長さん曰く、「あれは、自分に注目を集めようとしてますね」
…受けをねらうか、イルカ。君は関西人か(笑)。
そのあと、イルカプールの下の部分とガラス越しに接しているという地下へいきました。
すると、さっきのイルカが、背泳ぎしながらやってきて、ガラスすれすれに泳いでいくのです。大きな水族館に行ったことのない私にとっては、はじめての経験でした。イルカは大きくて、大きくて、背中がとっても広々と見えました。
表情のある目をしていました。
私たちがイルカをかわいいと思うように、イルカも人間が好きなんじゃないかなと……それは本当に都合がいい想像なのかもしれませんが、そう思いました。
三頭いた(?)イルカは、交互に私のそばにきてくれました。
うち一頭、耳が悪いというイルカがいて、いつもそのそばには、仲良しのイルカが好き沿っているのでした。

というところまでで、鹿児島紀行第一回はおわり。
続きは明日付けの日記でね。今から書きます。




2001年10月11日(木) 哀しみのカリスマ

ずーっと、昔、小さい頃からのことなのだけれど、私は、人から好かれたり、嫌われたりが、激しいのです。

「私が」相手を好き嫌いするんじゃないのです。
相手から、好かれたり嫌われたりするの。

で、それが、まだ友人知人相手ならわかるんだけど、あったことも聞いたこともない(私のがわからすると)、人から、好かれたり嫌われたりするのですね。
学校に通っていた頃だと、よそのクラスの知らない女の子から、「実はあなたのことが、とても好きでした」(変な意味じゃなくてね)とか、いわれるのは、何回かありました。そこまでいかなくても、ほとんどあったこともないような子たちから、怖いくらい好かれちゃったりとか…。
嫌われるパターンも、つまり、同じくらいあったんですけど。

一言でいうと、目立つらしい。
なんでだろう?
いっちゃなんだけど、顔かたちは、普通だと思うのです。
浮いてしまうのは、やたら響く声と話し方くらい…だと思う。
なのに、なぜ、目立つ?

性格か? 性格だけで、こんなに目立ってしまうのか?

私自身は、あんまり人の好き嫌いってないんです。
いや…あるのかな? 倫理観のない人はダメだなあ。でも、それくらい?
でもなぜか、私に接近してくる人々は、いつも極端なのでした。

昔から、思っていました。
こんなに極端な人とのつきあいはしたくない。
「普通に」人から、好かれたり嫌われたりしてみたい…。
もう目立つのは、イヤだ。

そして今。
インターネットの世界にきて。

やっぱり目立つ。
本名を隠して、職業を隠して、ふだんと違うハンドルを使って、投稿していても、目立つ…。
ネットだと、声も聞こえない。姿も見えない。みんな文章だけで、同じ条件で、いろんな掲示板に登場しているのに、どうして私だけ、変に目立つの?
知らない人たちから、頼りにされちゃったり、嫌われちゃったりするの?

私はもう、そういうのが宿命なのでしょうか?
そういう、生まれつきなのでしょうか?
ああ、みなさん。
私と普通につきあってください(涙)。



2001年10月08日(月) 掲示板って

今日は、11月刊行予定の例のポプラ社の短編集の初校ゲラを、郵便局からだしてきました。明日必着の〆切なので、翌朝便です。これは便利だよね〜。とにかく、締め切りの時間までにだせば、翌朝の、出版社の担当さんが仕事を開始する時間にちょい遅れるくらいで、先方にとどくので。
もっとも今日は休日だったので、常なら午後二時や三時が〆切なのに、駅前の大きな郵便局に行っても、十二時半まで受付だとわかってたから、けっこう大変でした。長崎の街は、いま秋の大祭長崎くんちでにぎわってますが、そんなのを横目でみたまま、お昼ごはんだけお外で食べて、そのまま帰ってきました。眠くて。
(脳がほしがるから、牡蛎フライを食べようと思って、とあるお店に入ったら、牡蛎フライは好評につき、その日はもう終了だったそうで、でも今更立ち上がる気力もないんで、なんか適当なもの食べて帰ってきましたよ…)。

で。
以下は、風の丘通信から削除した、猫専門掲示板、森の猫掲示板の話題です。
この掲示板、HPでも、人目に付きにくいところにあったので、誕生してから消えるまで、気づかない人も多かったろうと思ってたんですが、いざリンクをはずしてみると、けっこういろんな人から惜しまれたりどうしてといわれたり、なんだかいまだにそういうのが続いてるんで、削除にいたった理由を補則します。
(理由を書くのは簡単なんですが、そういう行為は、どこかいいわけめいた発言になりそうなので、個人的には趣味じゃないんですが…。このままだと、何人かの人々を傷つけることになりそうなので。もっとも、以下の理由を書いたとて、私があの掲示板を冷たく切り捨てたという事実は変わらないので、しょうがないといえばしょうがないかなあともわかってはいるのですが…)。

一番大きな理由というか、直接の理由は、猫の部屋においている文章に書いたとおり(長文で重たい投稿が多くて、片手間に運営するにはレスをつけるのが大変になった)なのですが、もうひとつ大切な理由がありました。

私自身が掲示板に求めるものとあの掲示板との間にあるギャップの大きさです。
あの掲示板は、私の得意なタイプの掲示板ではなかった…のです。

私はインターネットをするようになってから、まだ二年たたない人間ですが、くるくるあちこち見て回るうちに、個人サイトにおいてある掲示板には、大きくわけると二つのタイプがあるのだなあと、気づいていました。

1.少数の限られた常連たち(時として、オフでもお友達同士)が、日常の会話を、わいわい楽しむタイプの掲示板。管理人もお友達モードで話題に参加していて、アットホームな感じ。中には入りにくそうだけど、常連同士は幸せそう。「世界に情報を発信している」という自覚はあまりなさそうなところが多いかも。
2.多数の訪問者が出入りしていて、お互いに相手のことはハンドルくらいしか知らない。いろんな話題が飛び交っていて、管理人は話題の管理もしている。1の掲示板に比べると、アットホームな感じは少ないかもしれない。でも、ここは公の場だという意識は、管理人も常連たちの多くも持っていることが多い。

1はわりと私的、個人的な掲示板で、居間か中庭でお茶会をしている感じ。
2は客観的(私的という言葉と対にするには抵抗があるけど、いまちょいと適当な言葉を思いつかなかったもんで)で風通しがいい、公園かお店みたいな感じ。

私が好きな掲示板は、2のタイプなのです。
そういうわけで、うちのメイン掲示板は当然のように、2の公園型です。
自分が遊びにいくときも、2のタイプのところが多いかもしれません。1のタイプの掲示板には、よほど管理人のキャラが好きでなければ足が遠のくかも…。

なんでそんなふうに自分が思うかについては、面白いので、また後日くわしく分析してみようと思っていますが、とりあえず、現時点でわかっているのは、たぶん…人間関係の距離の取り方の癖みたいなものが、掲示板運営にもでてくるのではないかなあ、ということです。

私はもちろん、人と温かなつきあいをするのも好きだし、優しい言葉のやりとりをするのも好きですが、どこかで…そのくり返しをすることに、疲れてしまう自分がいるのです。
ひょっとしたら、心の奥底に、なにか壊れたファイルみたいなものがあって、その部分が、誰かの思いやりと解け合うほど親密になることを、エラーとして認識してしまうのかもしれません。
私は、どんなに大好きな人との間でも、少しだけ、洋猫のように距離をとっておつきあいしているのが好きです。甘えてひざの上にのったりは…できないかも。

そういう私には、1のタイプの、中庭型掲示板というのは、憧れてはいても、維持するのにかなりの精神力を必要とする負担な掲示板になってしまうのでした。

でも、壊れちゃってる私にも、人の情愛はありますから、あの掲示板で感じたぬくもりは切り捨てるのがいやで、森の猫掲示板を存続させるためのアイディアは、考えました。
その一番良いアイディアだと自分で思ったのは、掲示板を大型化することでした。

森の猫掲示板は、外部とリンクをはっていませんでした。
これはつまり、森の猫掲示板は、ハンドル森の猫の時の私が、そもそも猫関係のコーナーの感想を聞くためのゲストブックとしてもうけたものだったからで、また、某動物系おっきなサイトでできた、お友達のうち、ごく少数の人々とのおしゃべりの場として、続いていた掲示板だったからでした。
というか…実はもう一つ、一番大きな理由がありまして…。

つまりその、ハンドルchaykaもわりときつめの人ですが、ハンドル森の猫は、chaykaよりもやや高慢で、偉そうで、喧嘩が好きな人だからで(意識してそうしたわけじゃありません。なぜこんなことに…)、大手動物サイトでも、言いたい放題だから、掲示板を表にだせば荒らされる自信が…あって…。
あちらの掲示板で書き込みするとき、風の丘や森の猫掲示板のアドレスを書けば、たちまちヒット数が増えるのはわかってましたけれど、正直、私は風の丘はそれほど訪問者が増えなくていいと思っていますし、なにより荒らされたくなくて…。

でも、森の猫掲示板に、外部からたくさんの人を呼び込み、常連さんの数を増やせば、掲示板が2のタイプに変貌していって、私にとっては管理が楽になるのではないかと思ったのです。私がマメにレスしなくても、常連同士で盛り上がってくれるでしょうし。
まあ、人が増えると面倒なこともあるでしょうが、軽いおつきあいで人とつきあうのは、嫌いなことではないので、なんとかなる自信はありました。
それに、猫についての井戸端な話や、レベルの高い話、いろんな話ができる大きな掲示板を育てるというのも、なかなか楽しそうなことに思えたのも事実ですね。

でもまあ、ちょっと、やはり自信がなかったので、こういうときにいつも相談する、気がつくとながーいおつきあいの(笑)すず猫さんにアドヴァイスを求めたなら、反対されたので、やはり、やめました。
…ま、すっぱり決断できたわけでもなかったですけどね。
でも、やめちゃった。

というのが、今度の掲示板削除の理由の補足なのでした。

…実のところ。「やめるのやめにしようかな」と、思ったこともあったし、やめてからも、「なんとかして復活しようかな」と思ったりもしたので…まだ、お名残惜しい掲示板なのは、事実です。
でもやっぱり、本業が精神力を削っていく仕事である以上、でもって、自分で営業も企画もやっていかなければならない状態である以上、自分の「運営」は自分でしていくしかなく、従って、必要な決断だったのだと思うようにしています。

#結論。やっぱり、人間、キャラにあわないことはするもんじゃないですね(^^;)



2001年10月02日(火) 夢みる木馬

アカネヒメ物語2が、先日やっと書き上がったところです。
無事出版されますと、12月はじめ配本の本になる予定だったと思います。
…ばりばりにクリスマスネタなので、なるべく早くでてほしいです(笑)。

今回、岩崎書店編集部に、私が最初に送ったあらすじは、こういうものでした。

「公園に捨てられた古い木馬の夢は、サンタクロースのそりを引くことでした。
一方、ある若者は、サンタクロースになることを夢見ていました。
二人の夢を、アカネヒメとはるひが叶えます」

…こういう曖昧模糊としたアイディアを提出されて、GOサインをだしてくれた、岩崎書店さんは、偉大です(笑)。

でまあ、もっと細かいあらすじを考えた上で、原稿を書いていったのですが、すると、途中で、木馬のエピソードが変わっていって、木馬はただの小道具になってしまい、「サンタクロースの子孫である」(と、はるひに自らを語る)大学生メインの物語になっていっていました。
アカネヒメは、50枚の話なので、ゲストキャラがふたりは多いのです。

で。木馬は中心じゃなくなったんだけど…。
雰囲気とごろがいいので、タイトルはそのままでいくようですね(笑)。

今回の物語には、例のアメリカのテロの事件が影を落としています。
いや、私の心の中に、影を落としていたので、しっかり反映されました。
そう、私は自分の心の傷を、無意識のうちに、トレースする作家なのです…。
傷をなぞって、自分で納得させないと、立ち直れない作家です。

あのテロ事件は怖かったです。
いろんな意味で怖ろしかった。

身にしみて怖かったのは、友人知人が、死にそうに思えたことでした。
最愛の弟子椎名かえるさんのご主人が、あと少しで助かったこと。
かもめ亭のMeatianさんが、当時中東にいたこと。
どちらも、心が凍るほど、怖かったです。
無事でよかった、という言葉をここで書くのは、亡くなった方々のことを思うと、無神経に思えますが、でも、本当に、おふたりが死んでしまっていたら、どんなに悲しかったかと思います。

結局、テロのあとは、まる一週間も、仕事ができなくなったのですが、そのあと、少しずつ物語を完成させていったのが、「夢みる木馬」でした。
書くのがつらくて、ストレスで顎が痛くなってしまって、食事もろくにとれないような状態になって、やっと、書き上げた作品です。

私にとって、また一作、大切な作品が描けたと思っています。

画家の森友さんが、原稿を読んで、とってもよかった、やっぱりうまいねえ、と電話でほめてくれながら、一言いいました。
「ずいぶん、苦闘して書いたでしょう?」
…鋭い人なのでした。

おっと。明るい話題。
今度のアカネヒメは、右ページ下のカットが、森友さん入魂のパラパラ漫画ですよ〜♪ うさぎさんのアニメです。乞うご期待!


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