2001年05月26日(土) |
猫日記〜その後の猫ども |
りやは生後半年になりました。 「モッテコイ」が完璧にできます(笑)。<犬ですか(笑)。
とにかく、いつどんなときでも、投げたものをもってくるというところがすごい。 もひとついうと、投げたあと、私がほかの部屋へ姿を隠すと、私の姿を探し回って、ボールをわたしにくるあたりもすごい(笑)。 母親が投げても、私の所にボールをもってくるのも、笑えるけど、すごい(笑)。
実は、「投げたものをもってくる」とか、「おもちゃをくわえてくる」というのは、室内飼いの猫でできる猫はわりといるんです。めずらしくないの。 でも、「いつどんなときでも」もってくるというのは猫としては偉いなあと思う私って、もしかしなくても、ただの猫馬鹿です(笑)。わかってます、はい。
しかし、アメショーがいくら持来(じらい。モッテコイのこと)ができようと、フリスビー犬じゃあるまいし、なんの役に立つというんでしょう? こうなったら、正式のモッテコイみたいに、「ボールをもってきたあと、私の後ろをまわり、左隣に座って、ボールをてわたす」ところまでしつけてやろうかと思わないでもないです(笑)。
…でも、猫に、往来で人に見せられない芸をいくら教えてもまったく意味がないんだよー(笑)。りやはどうしてシェルティーじゃないんだろう(爆)? まあそのうち、もっと見栄えのする芸を教えて、「さんまのスーパーからくりテレビ」にビデオをだして、百万円(だっけ?)を獲得しようかと思ってます(笑)。 少なくとも、春休みとかにある、「芸ができる猫の特番」にでてくる猫よりは、りや子のほうが、現時点でも芸達者だもーん(笑)。
りやはアメショーでアメショーは大型猫なので、以前予防注射の時に、猫女医さんが、「この猫は大きくなりますよ、ふふふ♪」と、うれしそうに予言したとおりに、みるみるでかくなってきました。もちろん巨大縞三毛レニよりはまだ小さいけど、冬には同じスケールになってるかも。ちょっと楽しみ。
レニは、りやの台頭にちょっとむっとしているみたいです。 「モッテコイ」の芸も、自分がボールをとろうとすると、足が速い、りやにとられちゃうし。 私はりやもかわいいけど、レニが愛しいので、一日に何回か、りやをケージに入れて、レニに思う存分甘えさせています。夜もレニとだけいっしょに寝て、りやはケージでねせています。…お昼寝は、りやとしたこともありますが。 冬くらいまではこのままでいこうと思っています。
それが、りやにいくらからまれようとたえているレニへの愛だと思うので。 レニは、りやがかみついてきたり、抱きついてきたりしても、だまって寝そべってるだけで、ほっといてるんですよ。 なめてやることはめったにないですけどね。でも、そこまでしなくても、わたしは今のレニで満足しています。レニ、あんたは偉い☆ 完全な人工ほ乳だったのに、子猫とつきあえるんだもの。
さて。 29日のサイト更新で、猫の部屋を増築したんですが(笑)、新企画のひとつとして、「ランコの親戚を捜そう」というのをスタートします。 これはランコの血統書をみているうちにひらめいた企画なんですが、血統書に書いてある、ランコの両親や祖父母、曽祖父母の猫の名前をネットで書いたら、ひょっとして、ランコの親戚の猫を飼っている人と出会えるかもしれないと思ったのです。なんかね、そういうの、夢があるじゃないですか(^^)?
もちろん、血統書というのが、いくらでも偽造が可能だということは知っているんですが(ペットショップが勝手に発行する血統書というのもあるそうで…)、それがわかっている上で、一つのファンタジーとして、先祖猫の名前を公開してみようと思ったわけです。 できることなら、反響があるといいな。ランコに似たどこかの猫の写真がほしいな。 その猫が、幸せに暮らしているという話も聞きたいな…。
そういえば、「来世は獣医さんになりたい」熱は、だいぶおさまりました。 獣医さんサイトの、通称「裏」掲示板の方で、ある獣医さんが、そう、あれは、獣医になるための動物実験についての話をしているときだったかな? 「辛いことも苦しいことも、私たちが引き受けますから、飼い主さんたちは、ただ、犬猫をかわいがってください、といいたいのです」という書き込みをなさったのです。
それを読んだとたんに、「憑き物」が落ちました。 そうか、私はただの飼い主でいいんだな、と。 なんかね、理屈じゃないんですけど…。 自分がなんとかしなくちゃ、と、がんばる必要がないことも世の中にはあるんだなあって思ったのです。誰かがやってくれることも。人に任せていいことも。 それは不幸なことじゃなく、幸福なことなんだって…。
人の言葉には、魔法の力があるんだと、あらためて思ったものでした。
とにかく、29日の開設一周年に更新しなきゃと思って、ちくちく作業して、今日で何日目だろう? あっちをいじりこっちをいじりしていたら、これがおわらないおわらない。 夜中まで起きてるのにおわらない(笑)。
でも、今日でとりあえず、一段落はしたみたい。 あとは、アップロードしてから、リンクミスがないかどうかチェックだ…。
なんか、背中が痛くなっちゃった(泣)。
年ですかねえ…。
そういえば、「パスワード探偵団」を一冊、こないだ読んだ…という話はしましたっけ? いい雰囲気の話で、おもしろかったです。 ただ、私が読んだ巻では、トリックに無理があるように思えました。 (ちょっとネタバレですが、小学生の女の子がひとりで、一瞬のうちに和服を脱いでほかの服に着替える、なんてことができると思いますか? 無理ですよねえ)。
あと、ラストで(これもネタバレだけど)、別れた父親が少女を誘拐するような形で(少女が望んだことですが)つれさって、「ふたりはスイスに行って幸せに暮らしているらしい」というおちがついてくるのですが、そういうことが可能でしょうか? どっか南海の離れ小島ならともかく、スイス。 いやそもそも、どうやって、娘を連れて国外にでたというのか???
一番の問題点は、少女は「神隠しにあった」という噂が立って、少女の保護者であったところの祖父母が「山に少女を捜しに行った」とかそういうエピソードがでてくるんですが、実際問題、いくらオカルトに見える出来事が起こったとしても、祖父母はまず、誘拐の可能性を考えるのではないでしょうか? そもそも少女の父親は、少女が行方不明になるその寸前に、「少女を自分が引き取りたい」と、祖父母に申し出て、追い返されているのです。 私が祖父母の立場にあれば、絶対に父親を疑いますけど…? たとえ、目の前で少女が消えるところをみても、すべての理屈を超越して、父親がいとをひいていると確信すると思います。
そういう部分の詰めが甘いと、けっこう、私は気になってしまうのです。 「子供だまし」になってるんじゃないかって。 子供だましをすれば楽なんだけど、それじゃいけないでしょう、児童書は。
でも、本としては、なんだか魅力のある本でした。 キャラクターがかわいらしいし。 探偵団の団長さんが、喫茶店の女店長さんというところも風流でなかなか。 それになんだか、後を引く話なんですよ。いつまでも余韻が残るの。
それにしても、主人公の子ども探偵たちは、なんと今時「パソコン通信」をしてるんですよ〜(笑)。もちろん、ネットで電子メールとかも送ってるんだけど。 シリーズがスタートした時点では、まだまだパソ通の時代だったんですね。 で、パソコン通信探偵団の話だから、そういうシーンは残したいんでしょうね。 なんだか、時の流れを感じるなあ…。
パソコン通信。昔すごく憧れていたんですが…。
…いや、もう、十年くらいやってるような気がするんですが(笑)。
HPはじめる前って、なにをしてたっけ? もう、思い出せないですね。昔の日常。
やなことより、楽しいことの方が多かったから、当分続けるだろうと思います。 これからもよろしくお願いします。
ここ数日、サイトの改装だの(地味な)、更新だのの準備をしているのですが、ちくちく手芸をしているようで、あっというまに時間がたってしまいます。 気がつくと、二時三時とか。 …昼間から作業してて、その時間になってるのだ〜!!!
思えば、去年の今頃は、やっぱりぶっつづけて、作業していたなと思ったり。 開設の時に、お世話になったみなさま、とくにすず猫さん&夏緑さん、ありがとうございました。
それにしても、かもめ亭。 参加者が増えただけで、スタート時のメンバーでいなくなった人って、ほとんどいないんだよ〜。みなさん、ありがとうございます!
#かもめ亭といえば、掲示板を変えようかなと思っているのですが、ここはどうだろうと思ったところは、リンクバナー必須だったりで、ちょっと困っています。 今日は午後、「ただものではない」(無料掲示板とかの情報が載ってるサイト)にずーっと、はりついて、掲示板のサンプルを見たんですが、だんだん頭がぼーっとしてきて、何がなにやらわからなくなってきました(笑)。 …あ、頭が痛い(笑)。
どなたか、kentwebのスクリプトを使っている貸し掲示板で、サポートが充実しているところって知りませんか? 有料でもいいです。
今朝起きたら、とても疲れていたので、猫二匹を寝床に連れ込んで、朝寝としゃれこみました。
すうっと寝て、そうしたら、夢を見ました。 ランコが、死んだ頃より少し若返って、台所にいるのです。 いつもごはんをもらっていたところに、たって、こちらを見上げている。 のどを鳴らして、「ごはん〜」と、鳴くのです。
「あれ、ランちゃん生きてたの? かえってきたの?」 と、いいながら、だっこすると、ふわふわで、重くて、ちゃんとランコなのですが、匂いがしないのです。 ランちゃんは、いつも、濡れたウールのような匂いがしていたのですが、その匂いがしないのでした。 それで私は、 「ああ、やっぱり死んでいるから、匂いがしないんだねえ」 と、納得したのでした。
そこで、目が覚めました。 ひさしぶりで、ぽろぽろ涙を流して泣きました。
すると、りや猫が、おきあがってきて、私の胸の上に乗っかって、しばらくのあいだ、顔をなめてくれました。で、また元の場所にもどっていって、寝ました。
ちょっとメルヘンな話を書いてしまいますが(ま、私って童話作家だしご寛恕ください)、りやとペットショップで出会い、目があったとき、私は心の中で、 (わたしは今うちの猫が死んだあとで、ものすごく悲しいんだけど、キミはうちに来たら、私を慰めてくれるのかい?) と、たずねたのでした。 すると、りやは顔を上げて、こちらをみて、すうっと歩いてきて、にゃあと鳴いたのです。 で、「ランコの49日がすぎて、まだお店にいたら、うちのこにしようね」と 約束して、その場を離れ、そうして、みなさんご存じのように、りやは私の猫になったのでした。
子猫がにゃあと鳴いたってことくらい、ただの偶然だと思うのですが、それを偶然と思うことは、つまらないことだと私は思うのです。 あれは、一種の誓約だったと、そう思うことが、私には必要だった。 てか、その方が、楽しいじゃん。
りやは誓約どおり、私を慰めてくれるし、レニは相変わらず利口でかわいいし。 私は猫に恵まれているなあと思うのですが。 でも。 やっぱり、ランコがいなくなったのは悲しい。 この悲しみだけは、一生癒えることがないように感じられてきて、ちょっとだけブルーな日曜日の朝なのでした。 夢であえたのはうれしかったけど、目が覚めたあと辛いなあ。
#ここんとこ、「仕事で忙しい」のと「猫の死のトラウマ」で、一日が終わってしまう。こりゃやばいんじゃないかと思いつつ、たちなおれないぞ〜。 あうあうあう。 客観的にみれば、何やってるんだ、村山、って感じなんだけどね(^^;)。
2001年05月10日(木) |
日本児童文学5.6月号 |
今日、とどきました。 例の、「子どもの文学この一年」が、のっている号です。 胃が痛いので、みるのやめようかなと思ったけど、怖いもの見たさでみちゃって、読んでみたら、それなりに、まあいい出来だったんじゃないかな、とか、思うようにしちゃおうかななんて思って(高橋源一郎か私は)、本を閉じました。
準備期間がけっこうかかったし、危篤状態の猫の横で、読む本のリストアップをしたし、猫が死んでペットロスの一番すごかったときに、延々と本を読んだし… とか、思い出の多い作業でしたが、いざ文章にして発表してみると、なんてことはない、ほんの数ページの文章なのでした。
でもたぶん、一生忘れない仕事になると思う。
不出来な小論文かも知れないけれど、とりあえず私はできるだけやったんだ。
と、思いつつ。 もう二度と、こういうめんどくさい仕事はしないぞ、と、心に決めた村山でした(笑)。こんなん、しょっちゅうやってたら、本業が滞ってしょうがないもん。
以前から購入してみたかった、猫用自然食フード、ソリッド・ゴールド(一部で有名)が、先日、手に入ったのです。 もったいなくて、封を切ってなかったのですが(だって、お高いんですもの)、今日、開けてみました。 うちはだいたい、メインが自然食フード、アボキャット、ニュートロマックスあたりを中心に与えているのですが、同じ自然食でも、ソリッドは食べるかな、と、おそるおそる差し出してみたら、縞三毛レニは、「えーなにこれえ?」みたいな顔をして、そっぽを向きました。意外なことに、「うわうわうわ、おいしそう。いい匂い」と、興奮して猫皿に突進してきたのが、アメショーりやでした。 レニも、アボキャットに混ぜるとだまされて食べることがわかったので、ほっとしました。せっかく買った長崎じゃめずらしいフードですもの、使いたい。
さて。いつもはドライフードの袋は、風通しのよい場所におくだけなのですが、ソリッドは、「初夏から夏にかけては、冷蔵庫に入れてください」みたいなことが書いてある。 「ま、それもいいかもね」と思って、冷蔵庫の野菜室あたりにいれたのですが、数時間後、母親が絶叫するわけですよ(笑)。 「この茶色いつぶつぶしたものはなに〜!!!」 「高級な自然食キャットフードだけど?」 「なんで、冷蔵庫に入っているの?」 「いれろって書いてあったから」 「そうじゃなくて、猫の餌でしょう、それ」 「だけど、別に変なモノが入っているわけじゃなくて、材料は、ラム肉とか大麦とかだよ。いいじゃないの、別に」 「猫缶の残りがはいっているだけで気持ち悪いのに! それに、冷蔵庫、せまいのに、野菜をいれる場所がなくなるでしょう! だいたい、いつも、お金がないとかいってるのに、どうして贅沢なもの買うの」 「猫に長生きしてほしいから。自分の稼ぎで買ってるんだし、いいじゃん」 「こんな汚い家に住んでいて、猫にだけお金を使うなんて…」 「私はうちにもお金使ってるよ。大体、その冷蔵庫買ったの私じゃない? 全自動洗濯機も、オーブンレンジも私が買ったでしょ?」 この時点で、母親、ぶちきれたので(笑)、その後、会話しておりません。 ああもう(^^;)。ふだん、レニ&りやのことを、かわいいとかいってるんだから(自分は世話なんて全然しないで)、冷蔵庫の片隅くらい使わせなさいってば(笑)。
…ところで、私には、母に言わなかったせりふがあります。 「お母さん。今更、ドライフードごときで、おどろかなくてもよかったのに。 だって、うちの冷蔵庫には、すでに、金魚用の赤虫のパックも、バクテリアも、薬品も入ってるんだから♪」
ごめんね、ママ☆
しかし、早いところ、家を出て、独立したいものですな。 世捨て人になりたい(しかし、ネットはする世捨て人ね☆)。 うちの母親、すごく話好きで、テレビとラジオが好きなので、一緒に暮らしていると、すごく耳が疲れるんですよ〜。 私は必要なとき以外は、音無しで暮らしているし、誰とも会話したくないんで。 とにかく、成人した女が実家で家族と同居しているというのは、おかしいと思うので、なんとかして猫といっしょに、独立するのが私の叶えねばならない夢です。
…それにしても、母親というのは、どこの母親もああ、エンドレスにおしゃべりなんですかねえ? 話の内容に同意できないから、うなずかないで無言で新聞よんでても、延々とひとりで話し続けるから、「その話はもう聞きたくないからやめてよ」というと、「内容に興味があるから黙って聞いてるのかと思った」とかいうし。 でまた、母親の語る話というのは、うわさ話とかいやな話とかで、暗いので、きいていて気が滅入るんですよね。私は明るい話や前向きな話幸せな気分になれる話を、そういうのだけを聞きたいし、自分もなるべくそういうネタで話すことにしているので、暗いうわさ話で盛り上がれる母親の精神構造が理解不能なのです。 暗い話が好きっていうのは、バスで乗り合わせたあの年代の女性同士が話すのをきいているとわかるので、その年代の女性の共通要素のような気もしますが。…何が楽しいんだろう? そういえば、「おもいっきりテレビ」の人生相談コーナーとか、ずっとつづいてるということは、「熟女はみんなよそんちの暗い話が好き」ってことなのかなあ?
とにかく、年とっても私は、絶対に、テレビの人生相談を楽しみにみるような熟女になるコースをたどるつもりはないですね。うん。 めざせ、浮世離れした、妖精のようなおばあさま、なのだ。
|