日々の泡・あるいは魚の寝言

2001年01月30日(火) バンビーノ

という本を昨日から読んだわけです。
理論社の本です。
そう。今読んでいる、2000年度の国産児童書読書マラソンの途中で読んだわけですね。書いたのは純文学系の新人の方。

…今日、やっと読み終わりました。今さっき。

感想。

誰かこの本がいいたいことを教えてください(切実)。

いや。これは嫌みじゃなくて、今までいろいろ本を読んできた中で、ここまで意味が分からない本もめずらしかったもので。
ここまでわからないってことは、きっと私以外の読書力のある人は理解できるのかもしれないなあって。ものすごくハイブローなのかもって思っちゃって。

ふつう。
技術的なところで劣っている本や、作者の思想が浅い本は、「これはねえ」の一言ですむんですが、ここまでわけがわからないと、怖じ気づいてしまうのです。

なんか、私が間違ってるんじゃないかなあって。

そういうわけで。
「バンビーノ」のよいところや、鑑賞の仕方がわかる人は、教えてください。

…えっと。
個人的な趣味としては、主人公の「子どもになる呪いをかけられた大人」が、もろ、「名探偵コナン」にかぶるのがすごく目障りでした(いやきっと、キッチュな演出のつもりだったんだと思うけど)。もひとついうと、「ウサコ先生」ってやっぱり、月野うさぎちゃんなんでしょうか、元ネタは。

ひじょーに素直な感想をいわせてもらうと、こんなに苦痛な読書は久々でした☆
こんな本音は、論文には書きませんけれど。

同じ理論社の本でも、「天のシーソー」は本当によかったのになあ。
あれは、干天の慈雨のように心にしみる本だったなあ。
あと、十冊くらい読む本の中に、またあんな名作はあるんでしょうか?
あってほしいなあと、祈るように思います。



2001年01月26日(金) 昨日の追記

あたりはずれ、ということで。

あのあと、おもしろい本にあたりました。らっきーv

いや実をいうと、間違えて借りて来ちゃった、中学年向けの本だったんだけど。
「猫の手」なんとかという、金治直美さんという方の本が面白かったです。今ちょっと本が近くにないもんで、題名があやふやですが。ごめんなさい。
岩崎書店の本でした。
(追記・「さらば、猫の手」でした)。

あやしい自動販売機で、願い事を叶えてくれる謎の「猫の手」を手に入れた少年のお話なんですが、これが文章も構成もセンスがすごく良くて、ほのぼのとして読後感はいいし、いかにも「児童書らしい」テーマも持っているし(笑)、ユーモアはあるし、ばっちぐーなのです。
なんと、新人さんの一冊目の本らしいんだけど、これは確実に何かの新人賞を取るでしょうね。どれをとるかなv わくわくv
こぐれけんじろうさんのさしえもかわいらしかったです(とくに猫!)。

あのね、小道具の「猫の手」が、かわいいので(笑)、猫好きは読みましょうv
ああ、私もこんな猫の手が欲しい。
しかし、「猿の手」だと怖いのに、「猫の手」というとどうしてこうイメージ的にかわいらしくなるのかしらん?

さて、村山は今、さとうまきこ先生の「こちら地球防衛軍」(講談社)にとりかかっています。今半分くらいかな? 駅の伝言板に書かれた謎の予言の言葉。「一週間後に世界は終わる」突然の終末の予言にふりまわされ、影響されていくある小学校の一クラスの(六年生)子どもたち。
主人公のお兄さんがひきこもりなあたりがなんとなく、こないだのシリーズの「金八先生」を思い出させるんですが…でも、「似てる」わけじゃないです。
さすが、キャリアのある作家さんらしい、文章力で、情景が目に浮かんでくるし、すごく安定しています。
あとは、落ちだな。どういうふうに終わるのかなあ?
ちょっとだけ、心配です。

ところで、さとう先生は、HPをお持ちなんですね。ポプラ社のHPのリンク集からいけますので、興味のある方はどうぞ。
犬の写真がばーんとトップに飾ってあります(笑)。日記も犬ネタ多し。
さとう先生は犬派らしい(笑)。

今日は、ランコの十歳の誕生日でした。
生きていたときと同じに、ささみをゆがいてあげて、ケーキを食べました。



2001年01月25日(木) あたりはずれ

ほぼ毎日、昨年出版された国産児童書を読んでいるわけであります。
そう。「日本児童文学」の小論文のためですね。

実は、ここ数日読んだ三冊のうち、二冊があまりにもあれだったので、けっこう、いやになってきてます。一冊は今も、読んでるところ。現在進行形。
ああもう、これ、よむのやめちゃおうかな?
ここまでで、作者のレベルわかったし、とか、性格わるい独り言をいいたくなってしまうくらい、つまんない本を今読んでいます。

装丁は、かわいいのになあ。

文章は、順当です。
構成も、順当です。
でもなあ。つまらないの。よんでて寝てしまいそうになるの。
はあ。ため息が出てしまいます。
こりゃ、子どもが読んだら、たちまちあきるだろうなあ。
売れない児童文学の典型みたい。
テーマが前面に出過ぎてるのも、いやらしいし。
いらいらしてきたので、最後を読んで、落ちがどうなるか知って、いよいよ読み勧める興味をなくしてしまいました。

どの本か特定されるのはいやなので、あまり詳しい内容は書けないので、なんのこっちゃと思われるかもしれませんが、あああ、な、今夜の私なのでした。
…やっぱりもう、読むのやめようかな、この本。



2001年01月24日(水) ストレスの波とか、着メロサイトとか

ストレスの波とともに、ざわざわとやってくるのが頭痛だったりする(笑)。

困ったものです。
でも今日はね、比較的、元気です。

論文を書くための本を、蚕が桑の葉をはむように、はしからくずしていってますが、なかなか終わりまで遠いものですね。
ちょっとやになってきたら、ほら、頭が痛くなるし。
でもまあ、論文がどんなかたちにかきあがるか大体想像がついてきたので、気分は明るくなってきてはいるのです。

で。
論文を書きながらの、いい気分転換が、携帯の着メロサイト巡りだったりします。
あちこち、マイメニューに登録して、ダウンロードして、ききくらべて、気に入らなかったら、マイメニュー削除。
そのくり返しで、いい着メロサイトを選ぶという。
…実はひまなのか、私は?<いや、違う。多分現実逃避だ。

今のところ、気に入ってるのは、「Melody Clip」と、「ポケメロJoyサウンド」、それに、「セガカラiメロディ」です。
この三つのサイトの着メロは、元の音楽にすごく近くて、なおかつ、電子オルゴール代わりに、きいて楽しめちゃう。曲によっては長いし。なんか、「この着メロで、俺の職人芸をみせてやるぜ」みたいな、作った人の心意気を感じさせます。

着メロサイトにもいろいろあって、アレンジが、「もろエレクトーン」みたいなとことか、「コード進行が同じならアレンジはどうでもいいよね」みたいなのとか、「とにかくサビだけ」とか、あるですよ。
どうきいても、これは元の曲と違うよなあ、という曲にもぶつかりました。

上の三つのサイトは、村山おすすめですv とくに、「メロディクリップ」!
「草原のマルコ」は、ぜひぜひ、きいて欲しいです!!!
ただ、「メロディクリップ」は、ファミ通のサイトなので、ゲーム音楽中心なのがちょっと残念なところです。

ちなみに今の村山の着信音は…と、ないしょv

着メロサイトは、今後もさすらって、いろいろさがしていく予定です。
いいサイトをごぞんじな方は、教えて欲しいなあv
ちなみにうちのは、F209i(ドコモ)です。
四和音。ドコモも早く、十六和音が標準の時代にならないかな?



2001年01月22日(月) 頭痛もち

朝から、頭痛が来てます。
痛いです。
ううう。

「オードリー」で、二階堂樹里ちゃん(主人公のライバルの売れっ子女優。最高な性格。境界性人格障害の典型)が、脳内出血で死んでしまうシーンを見たりしたので、なんかよけいに痛くなったりして。
私も死ぬときは脳内出血だろうか?

「桜の花はね、散るときも美しいの」
とか、樹里ちゃんみたいに、うそぶいて死にたいもんですねえ(笑)。

私には理想の死に方があります。
これは昔からの夢なので、以前からおつきあいのある方は耳たこでしょうが、「たたみのうえで」死ぬのはいやなんです。
仕事しながら、机で死にたい。
ひとりで死んで、あとで発見されたい。
病院のベッドで、家族や友人知人に取り巻かれて、というのは、いやなんです。

あと、あんまり悲惨な死にかたして、「かわいそうに」とか、ひとがきいてなくようなのもいやだなあ。
それにはやはり、仕事をしながら死ななくては!

とかいって(笑)。
問題は、未来のそのときに、私がまだ現役で作家を続けてられるかどうかというところにあるような気もします。ははは。

なんか暗い話ですが、頭痛もちのたわごとと笑って許してやってくださいね。




2001年01月20日(土) 世界で一番美しい物語を書きたいな

正確に言うと、「世界で一番美しい猫の物語」を書きたいです。

ランコが死んでから、ずうっとその思いにとりつかれています。
リアリズムじゃなくて、絵本じゃなくて、冒険もので、できれば猫の一人称で、ものすごーく、魅力的なペルシャ猫ががんばる話を書きたいのです。
で、献辞でランコの名前を入れる。
これで、永久にランコの生存の記録は残せますしね。へへへ。

ランコは、けっして完璧な猫じゃなかったけど、人様に自慢できるようなペルシャ猫でもなかったけど、でも、「猫」としての美質は備えていたと思います。
あの猫と暮らした日々の中で知った、猫のよい部分を、思い切りほめそやした作品を書いてみたいと思っているのです。
(それを自伝にしないのは、まあ、性格なんでしょうね。
本にするなら、「猫への愛」以外の部分でも読める話にしたいし、読者の子どもたちに歓迎される話にしたいと思うのです。それに。
自伝にすると、かえって嘘や美談がまじってしまいそうで、いやなんです)。

で。今頭の中は、2月中旬〆切(でも予定としては、1月下旬アップ)の「日本児童文学」の論文と、「ルルー番外編」の構成と、猫の冒険もののプランでごった煮状態なのであります。
長毛種の猫が活躍する話って、数としては少なそうなので(私は、日本の児童書だと斉藤洋さんの、「猫に翼のある国で」くらいしかしらないなあ)、ここは一つ、私が書いてやろうとよけいに力が入ってみたり。

しかし、いつも思うけど、「新しい話を書きたいなあ」って、頭の中がぐるぐるしてる状態の時って、精神状態がいいときなんですよね。
復活してきたかなあ? よきかなよきかな。
みなさま、励ましてくださって、ありがとうございました。



2001年01月18日(木) 相場の話(きのうのつづき)

昨日書いた通信講座の相場の話ですが、投稿小説に関してはちょっと年季の入ってる、森江さんから、「良心的な価格設定なのでは?」というご指摘をいただきました。
詳しくは、掲示板の134番あたりのスレッドをご覧くださいね。
森江氏の分析は鋭いのであります。ううむと思いました。

まあ結局は、作家としての性格の違いということなのね。

私は小説の書き方教えるなら、たしかにただの方が気が楽なタイプです。
某先輩作家の方は、教えるということに伴う責任をすべてしょいこむ覚悟ができてるから、「短編の通信講座、添削一回で一万円」って、書けるのかもしれないし。

そこのHPは掲示板がまだないので、いずれついたときにでも、ちょっと質問してみたいな、と、思っていたりします。

#ふと思ったけど、「一万円」という価格に過敏に反応したのは、その価格設定が、作家にとって「余技」から「商売」に変わるラインだからのような気もします。
多分私は、「作家志望の無辜の人々」相手に、「商売」してほしくないんでしょうね。いやはや、青くさい正義感であります。ちょっとかっこわりい。



2001年01月17日(水) まいばーすでい

誕生日、なのです。
また一歩、大台に近づいてしまった…。

ま、それはいいとして、1月17日が誕生日というのは、なかなかに祝いにくい。
なぜって、あの、大震災があった日ですから。
たくさんのみなさんの、命日なんですよねえ。
でもまあ、私の気持ちとは裏腹に、年はとりました、はい。

昨日は、福岡から来た麻生さんと、長崎のお友達、マルモトさん大槻さんと、
新年会をいたしましたv 居酒屋でお食事して、カラオケ♪
友だちと会うのは、楽しいですね。おしゃべりも、うたうのも、楽しい。

今日は帰宅する麻生さんを長崎駅で見送って、今は遊びすぎて疲れてます(笑)。
帰ってきてパソコンを開くと、掲示板はお祝いのメッセージでいっぱいv
なんて、幸福なこと! 毎年誕生日を迎えるごとに、「今年の誕生日は今までで一番幸福だった」と思うのですが、今年もまた思ってしまったり。
そうして、今はネットのお友達のみなさんとこうして「対話」しているし、さっきは家族と笑いながらいろんな話をしたし、弟夫婦からは猫の写真集をもらったし、これから、愛猫といっしょに、あんかで暖めたふわふわのベッドで眠れるし。
もう私ったら、ほんとに、幸せだなあ。

明日からはこの幸せを抱きしめて、論文書きにいそしむことといたしましょうv
あの論文、短いわりに、たいそうな論文ですし、がんばろうっとv
おっと、論文書きながら、掲示板にレスつけなきゃv

それはおいといて。
以下、「ひとりごと」ですが(笑)。
某先輩作家さんのわりと新しいHPで、「短編の添削教室指導一回が一万円」というコーナーを見つけてしまいました…。
高いと思うけど? 相場ってそんなものなのかなあ? ううむ(^^;)。
ほかの作家さんのなさることの妨害をする気は「ない」ですが、「風の丘」にいらっしゃってる方に「だけ」は、私の意見をこっそり、お教えしておきましょう。

「短編の添削教室指導一回が一万円」は、私は「高すぎる」と思います。

…少なくとも、私はそんな料金設定はしないなあ。
長編一本を完成までつきあうとかなら、一万円ってのもわかる気がするけど。
それとも私が「常識」を知らないだけで、「短編添削指導一回一万円」が、「業界の常識」だったりしたら…。
その常識が、間違ってると私は思う。

どこをどう添削しようと、短編は短編なんだし、一回添削してもらったくらいで、「一万円」という価格に釣り合うだけのレベルアップができるとも思えない。
少なくとも私はおそろしくて、一万円なんてもらえない(^^;)。
大金だよねえ。一万円!

でもなあ。
その先生は、昔から書いている作家さんだし、ファンの人たちなら、一回きりの指導に一万円くらいだしても、惜しくないのかもしれませんね。
キャリアのある方ですから、高い価格設定でも、勝算がおありなのでしょう。
たぶん。

ただ、なにもいわないけど、もっとHPのデザインをどうにか…。

いえ。よけいなお世話ですね、たぶん。はい。

ちなみに、その先輩作家さんには、どちらかというと、面識はなくても、好意は持っていたのですが、HPを拝見して以来、ちょっと、うーんと、思うところもあって。その「価格設定一万円」が一番、がっかりだったんですけどね。はあ。



2001年01月13日(土) FUS(猫の泌尿器症候群)のこと

なるべく冷静に書こうと思います。

うちのランコは、子猫のころから、泌尿器系が悪い猫でした。
いわゆる、泌尿器症候群だったのです。
気候が寒くなったり、ちょっとストレスがたまったりすると、おしっこがでなくなったり、血尿が出たりしていました。
おしっこがでなくなると、トイレに何回も行って、しゃがみこんで、それでも一滴か二滴しかおしっこがでなくて、それは辛そうな顔をするので、そこは室内飼いの強みで、いつもすぐに異変に気づいて、動物病院につれていっていました。
猫は尿の成分が犬よりも濃縮されているため、尿がとまっている状態で放置しておくと、数日であっけなく尿毒症になって死んでしまうのです。
「おしっこがとまっている!」と気づくと、わたしはいつもその日の仕事をおいて、猫をかごに入れ、タクシーにとびのったものでした。

FUS対応のキャットフードに変えてから、いくらかよくなってはいたのですが、本当に何度も、ランコを連れて、病院に行ったものでした。
泌尿器症候群は、雄猫によくある病気だそうですから、雌にも関わらず泌尿器が弱かったランコは、生まれつき、そのあたりが弱かったのかもしれません。

さて。
ここで重要なのですが、泌尿器症候群の持病のある猫は、6,7才になったら、血液検査をして、腎臓の働き具合をせめて年に一度はチェックしなければならなかったのですね。年をとると、腎臓は弱っていくからです。
腎臓が弱るにつれて、猫はやせてくるそうです。

ランコの場合、ここ一、二年で、すうっとやせてきていたので、本当は血液検査をするべきだったのでした。
もしもっと早く、腎臓の働き具合がわかっていたら、腎臓が弱っているとわかっていたら、そちらの治療をできたのに、と、残念に思います。
慢性腎不全は完治は無理なのだそうですが、薬による延命は可能らしいので。

ランコに関しては、老後の世話が大変だろうなあとか、ガンになったらどうしよう、とか、そういう心配しかしていませんでした。
こちらが困るくらい長生きしてもらうつもりだったのに。
残念というか、今も、かなり無念です。



2001年01月10日(水) 働く作家

長崎県立図書館に行って、山ほど本を借りてきました。
2000年度に出版された国産児童書のうち、高学年から中学生向けのグレードで、おもしろそうな本をまとめて。
貸し出し中の本もあったので、読みたかった本全部ではないけれど。

別に、読書がしたかったわけじゃなく、雑誌「日本児童文学」の、年に一度の特集記事、「子どもの文学この一年」の高学年向けグレードの筆者が、村山早紀なんでありますよ。そうですよ、業界の人は誰でも知ってる、あの、一年の総括みたいな、たいそうな論文を書く仕事の依頼を、去年引き受けていたのですよ。
「えっ、わたしなんかが書いていいの?」と、一瞬ひいたものの、どなたかしらないわたしを推薦してくださった方のことを考えて、引き受けることにしました。
(もし、次郎丸さんたちがあみだくじで筆者を選んでたら、怒るけど(^^;))。

それにしても。
あーあーたった9枚の論文のために、どーしてこんなにたくさん、本を読まねばならないのでありましょう? って、読むべき本をリストアップしたのは、自分だったりするしね。ふっ(自暴自棄)。ランコの看病をしながら、こつこつとリストづくりをしたのですよ。いい気分転換になりました。ほんと。助かった。

読むべきだとわたしが目星をつけた本は、30冊を超えてると思います。
〆切2月15日。
ま、メールを使えば、その日までぎりぎり原稿書けるけど。

9枚なんて、枚数ともいえない枚数だし、その気になれば本なんて30冊も読まなくても、評論書いちゃう人もいそうですが、手が抜けない体質の自分がいやだ。
少なくとも、ちゃんとした…今の自分にできるだけの論考をしたいので、手抜きをせずに読書をしたいと思っています。
明日から、マラソンのような読書の日々が始まります。
がんばろう、自分。

図書館の帰りに、銀製のロケットペンダントを買いました。
ペット霊園で「お守りになるからどうぞ」といただいた、ランコの形見の爪をいれるためのものです。
死んだ猫の爪をペンダントにするなんて、よその人には気持ち悪いでしょうから、アクセサリーやさんには事情を話しませんでしたけどね。
それとは別に、アンティークの細工物で、表に写真、裏に髪の毛をいれるデザインのペンダントが出ていたので、「来週買いに来ます」といっておさえました。
表にランちゃんの写真、裏にはしっぽの毛とひげをいれるんだい♪

ううう。こういうことを書いたら、気味悪く思う人もいるでしょうね。
ちゃんとわかって書いてますので、安心してください(笑)。
これはわたしなりの、喪の儀式です。



2001年01月08日(月) さよなら、ランちゃん

いまはまだ、きちんとしたことを書く気力はありませんが、記録のために、少しでも彼女のことを書いておこうと思います。

ランコが死にました。
あと少しで10才になるクリームペルシャでした。
死因は、腎不全。尿毒症です。
最期は、もうだめだとわかったので、うちで見とりました。
死ぬ前の一日ほどのあいだは、もう、金色の目が見えなくなって、精一杯に目を見開いたまま寝ていました。でもたまに顔を上げて、その目で、私たち家族の方を見つめていました。さがすように。声をかけると安心してまた寝るのです。
わたしと母が少しそばを離れて、台所で話していたら、よろめきながら、でもすごい速度で台所の方にやってきて、倒れたりしました。
ランコは、苦しくて不安で、私たち(というより、わたしの)そばにいたかったのだと思います。

耳だけは最後まで聞こえていたようです。
わたしと家族のあいだの会話の中の「水」という言葉に反応したので、もしかしたらと思って、水をくんできたら、ぺちゃぺちゃと飲んでくれました。身体を支えて飲ませたのです。とてものどが渇いていたようでした。
でも、そうやって、何回か飲んだあとに、水を吐き出して、そうして死にました。
最後に、「かわいい、ランちゃん」(この猫は「かわいい」といわれるのが好きでした)「楽しかったね」と、耳に口をつけて、いってやりました。

ふわふわの猫だったので、死んだあとも見た目は変わらす、ぬいぐるみのような姿のままでした。お気に入りのバスケットに入れて、好物のカリカリをいれて、おやつもいれて、好きなおもちゃを持たせて、お花を一杯飾ってあげました。ちょうど咲いていた雪割草も、一輪いれました。いつもどおり眠っているようでした。
そのまま、首輪ははずさずに、ペット霊園で、火葬にしました。
思い出に首輪も名札も残したかったけど、はずすとうちの猫じゃなくなるから。

ランコを死なせてしまったことに関しては、いろいろと悔やまれることもあるけど、わたしはいつだって、飼い主として自分にやれるだけの世話はしてきたし、勉強もしてきたつもりなので、後悔しないようにしたいと思っています。

ありがとう、ランちゃん。
あなたがわたしのことを大好きだったように、わたしもあなたが大好きでした。



2001年01月05日(金) ものさみしい夜とほ乳瓶

ペルシャ猫のランちゃんの腰痛は、治ってきました。
のそのそのそっと、ゆっくりの速度ではありますけど、また、歩けるようになってきました。
腰痛だという獣医さんの見立ては、正解だったわけですね。
さすが、K先生。

が。
わたしがうっかりしていたために、ランコはおなかを壊してしまいました。
彼女は今、仏間で一日暮らしているのですが、ホットカーペットをつけっぱなしのその部屋に、缶詰ごはんをだしっぱなしにしていたのです。
食欲がないランコが、一口でも食べるといいなあと思ってそうしていたのを、うっかりして片づけるのが遅れていたのですね。

昨日の朝、てきめんにおなかを下してくれました…。
もともと、おなかの弱い猫なのです。食べ過ぎたり、食事が古かったり、気候が急に寒くなったりしたら、まず下痢をする猫なのであります。
とりあえず、昨日はうちにあった乳酸菌の粉末を口にぬりこんでやりましたが、
それで下痢はとまったものの、食欲がもどらないので、今日は新年であいたばかりの獣医さんにいきました。
首に太い注射を二本、細い注射を一本打たれたランちゃんなのでありました。
でも、恐怖のあまりきれてしまったのか、診療台の上でのどを鳴らしていたなあ。

注射の効果で、いつか具合は良くなるのかもしれませんが、とりあえず、今日何か栄養をとらせたかったので、ペットショップに行って、子猫用ミルクを買いました。ミルクは子猫のためだけじゃなく、病気の猫の療養食にもいいと以前、本で読んだことがあったのです。
で、買ってきて、新生児の猫の一回分くらいの量をスポイトで口の横(犬歯の後ろ)から飲ませてみました。水薬が好きな猫なので、楽勝です。
ようすを見て、具合が悪くなるようでもなかったので、さっき(夜中の12時くらい)二回目のミルクを飲ませました。今度は前回の二倍の量です。
するとさすがに、半分くらいのませた段階で、前足が伸びてきて、「もういらない」と訴えるので、やめました。
明日もまた、新生児の一回分の量を一日に何度も飲ませるかなあと、今ぼんやりと考えています。

しかし、ミルクは完璧な総合栄養食とはあるといえど、スポイトで与えられる量には限りがあるので、早いところ、自分で食べられる程度に食欲が復活して欲しいなと考えています。

けど、猫が具合が悪いと、生活に張り合いがないというか、なんだかこっちまで世界が色あせて見えます。ほんと、これなら、わたしが病気になった方がよかった。
そんな中で、ほのぼの、としたのは、小さい方の猫、縞三毛レニちゃんに、今日出てきたほ乳瓶を見せたときの反応です。
この猫はほ乳瓶で育てたのですが、わたしがふざけて、そのときと同じ姿勢でだっこして、ほ乳瓶をレニの口に当てたら、赤ちゃんの時と同じ表情にもどって目をつぶって、口を開けて、ほ乳瓶からミルクを飲もうとしたのです。
おぼえているんですね。
ほ乳瓶を見せたとき、そして、猫ミルクを作っているときの、レニの反応が、なんだかわくわくするような、興奮しているような顔だったので、そんなふうな行動をするような予感はしていたのですが。
夜も寝ないでミルクを作って育てたころのことを思い出して、なんだか切ないほどうれしくなってしまいました。



2001年01月02日(火) 年賀状の恐怖

一月一日は、福袋を買いに行くのと、年賀状の印刷で終わってしまった…。
福袋は、今年は大枚はたいて一万円(!)のをひとつ、石と銀細工のお店で買いました。まあ、順当な感じだったかな? ラピスのネックレス(石がたくさんついているけど、ちょっと重い)がメインで、あと水晶の数珠とかトルマリンのちょっとついたネックレスとか、銀の指輪とか入っていました。
某すず猫さんの大好きなヘビメタグッズみたいな(笑)、どくろのアクセサリーも入っていたので、これは彼女に回そう。待っててね、すず猫さんv
(でもどうして、どくろものが好きなの〜? 謎だ)。

さて。年賀状です。今年は猫の写真を取り込んで、初めて本格的に、はがき作成ソフトを使ってみたんですが、結構時間がかかっちゃって、できあがったのが実に今朝の四時だか五時だかでした(^^;)。今は頭が痛いです。あうあう。遅くまで起きていると、てきめんに痛くなるなあ。

これから宛名書きしておくって…相手方にとどくのはいつになるのやら?
そういうわけで、わたしから年賀状が来ていないと怒っているみなさま、年賀状がとどいていないのは、あなただけではないのです…。
しくしくしく。

こんなわたしにも、一月一日に間に合うように、年賀状を書いていた時代があったんですがねえ。はあ。遠い目をしてしまうわ。

年賀状がすんだら、岩崎書店からとどいたゲラをやらねばなりません。
「お正月は、遠くに行ったりはしないんですよね?」という、念押しの電話と友にとどいた、再校ゲラでございます♪

あたた。頭いたい。でも、年賀状、早く書いて(でも一枚一枚、言葉を書き添えちゃうからこれがまた時間がかかるんだよね)、ゲラやらなくっちゃ。



2001年01月01日(月) 浜崎あゆみ♪

明けましておめでとうございます。
とかいって、年越しは、弟の放送してた地元放送局の年末のラジオの特番きいたり、友だちと長電話したりしているうちに終わってしまいました。
今年も…いや、去年もになるのか、ややこしい、レコード大賞と紅白歌合戦を見ましたが、レコ大はまあともかく、紅白のシナリオがあまりよくなくて、見ていて何度か背筋が寒くなりました。最初は、「紅白のパロディー」をしているのかなと思ってみていたのですが、だんだんマジだと気づいて…。
歌の前後のコント、シナリオを書く人を、民放からひきぬいてくるとか、もっとどうにか考えた方がいいと思います。ていうか、紅白は毎年楽しみに見てるんだから、もっとおもしろくしてほしいの(泣)。

レコ大、紅白と続けてみるうちに、わたしはすっかり、浜崎あゆみに洗脳されてしまい、ついに、なんだったかCDを一枚買ってしまいました。豹みたいなかっこうした、「あゆ」さんの写真がジャケットに載ってるやつです。
しかしどうしてこのお嬢さんは、うたっているときとしゃべっているときで、人格が別人のように見えるのでしょうか?
「seasons」をテレビできいたとき、まじで涙がこみあげてきてしまったんですが、そういうのって、ひさしぶりのことだったんですが。
詩で泣けてしまいました。「ぼくらは限られた季節を幾度かくり返し」とか、そのへんのあたりです。

ちなみに、大晦日に長電話した相手である友人は、浜崎あゆみの詩の世界がわからんといっていました(笑)。いわく、「情景が見えてこない」と。
いわれてみてそのとおり、彼女の詩って全部話し言葉で、ドラマも描写もないのです。
でもそのあたり、聞き手が好きに詩の世界に入れるということにもつながるので、感情移入しやすい歌だといえるのかもしれないなあと思いました。
そういうのって、けっこう強いかもしれませんね。
聴く側の想像に、すべてをゆだねちゃう歌って。



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