CORKSCREW Diaries(米国編)
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2006年10月24日(火) ブログ移行化計画


以前から持っているココログ(宮部みゆきじゃなかった眞鍋かをりで有名。なんでこんなのを間違えるのだろうか)に移行を考えている。
少なくとも今年一年分ぐらいは移行してみようかと思っている。
過去5年分はとてもじゃないが移行できない。ってか容量は足りるのか。
enpituの使い勝手はなかなか素晴らしいのでこっちも手放したくはないのだが。
中途半端にやってしまうとどっちつかずになることは必至。
ってかここまでブログとか流行してしまうと昔ながらの日記サイトであるenpituはもうダメだよね。
フルモデルチェンジはさすがに期待できそうにないのはつらいところだ。

と言うことで2006年4月だけアップデート。
写真ももう少し加えてみたいが、出来るのか。
オリジナルを壊したくはないので、今の感想はコメントででも追加することにする。
アドレスは、
http://dyama.air-nifty.com/corkscrew/



2006年10月23日(月) 新しい生活


新しい生活に新しい環境、新しい出会い。

基本的に僕は新しいテクノロジーは好きだが、
(いまだに発売後2週間の初代iPodを買ったことをネタにしている。ようやく時代が僕に追いついたのさっ)
新しい環境は苦手だ。
人が代わり生活が変わり全てが変わる。
こんな生活をこの一年半し続けて、まあ旅は残り4分の1となった訳だ。

バッファローでの生活はその集大成、
になるといいなあ、ならないとまずいなあ。


とりあえず週の半分は留学生オフィスでのインターン、
半分は英語学校及び、シンガポールサマープログラムのアシスタントとなる。
基本的に僕はイベント屋なので、プログラムとかイベント推進とかやらせてもらえるとうれしい。

と言うわけだ。
UBは巨大で、MSUの数倍はある。
平気で校内で迷う。
そしてアジア人も多い。
モンタナとは違う。


一週間しかいないからだと思うけど、
僕は未だにあのボーズマンの街や空や学校を懐かしく思う。
空は俺様色だった。
イーストコーストの空は最近ずっと鉛色だ。



2006年10月18日(水) 大陸横断紀行・後編(日本の首都は、チバ! シガ! サガ!)


毎日色々とお世話になった人たちにメールを打っている。
インターン自体は5時にはきっかり終わるから、
時間自体はたっぷりあるというものの、
あれやこれやで時間はすぐに過ぎていく。
リスニングリーディングを頑張らんとあかんなあ。

10月12日
今日もう一日ミネアポリス/セントポールで過ごすことに。
と言うことで噂のモールオブアメリカに行ってきた。
確かにでかい、でかいが、思ったよりはでかくないかも。
そういやあこの日のことは前の日記で書いてたからまあいいか。
北欧のユニクロこと(と勝手に命名)H&Mでお仕事用の服を買い込む。安い。
エイミーのじいちゃんばあちゃんの家を出て、
今度は、エイミーの妹、ケイミーのアパートに泊めてもらった。
(なんつう安直な名前の付け方なんだ)
男を泊めてもええんか、と思いつつも、こっちではそんなのもありらしい。
当然部屋も別。なかなか快適だった。

10月13日
ミネアポリス→サウスベンド(インディアナ州)

朝、突然リアスピーカー左の音が止まる。
原因は未だに不明。
たぶん断線とかだと思うけど、やれやれまた調べなければ。面倒だ。
それでも片方だけでもなんとか音は出るもので旅を続ける。
ミネソタからウィスコンシン、イリノイからインディアナへ。
途中で初めて有料道路を通った。
が、こっちの有料道路は安い。
結構走ってもせいぜい3ドル。
有料道路だけに道の脇にはサービスエリア(こっちではレストエリア)があるのは日本と同じだ。(日本が真似しただけという話があるが)

夕方にシカゴのラッシュアワーにはまってどつぼにはまる。
絶対に都市では生きていけないなと思った。
シカゴを抜け出すのに2時間、そして適当なところで泊まる。
大陸横断もあと少し。あと一日。
そしてバッファローでは大雪で大規模な停電が起こっていた。
明日はどうなるんだか。

10月14日

ラストスパート。
後6時間走ればバッファローに到着。
思えばこの旅では、スピーカが壊れたとは言え、
音楽のお世話にかなりなっている。
木村に送ってもらったUnderworldを聴いてトリップしそうになり、
Arctic MonkeysやLinkin Parkにはまる。
そしてラーメンズの新・日本語学校で一緒に叫ぶ。
「日本の首都は、チバ! シガ! サガ!」

最終日はただただ走り続けてようやくのことでバッファローに到着。
まあ日の明るいうちに着いただけ良かったかも知れない。
合計、2100マイル。
同じ道を帰る? って言われたら拒否します。



2006年10月15日(日) バッファロー到着


2100マイルの旅を経てニューヨーク州バッファローに到着した。
金曜日のスノーストームで街は雪が積もり、道路は封鎖され、そして電線が切れて町中が停電していた、らしい。 と言うのも到着した頃には随分ましになっていたからだ。とは言えスーパーでは生鮮品売ってないし、冷凍食品はすべて捨てられていた。たぶん解凍しちゃったからだろうね。なんて言うか、すごい状況だ。

このスノーストームを避けられて幸運と言うべきか、残念と思うべきか、まあ幸運なんだろうけど、なんか幸先の悪いスタートだな。でも明日は仕事が休みになったから、良しとしよう。ラッキー。








2006年10月13日(金) 大陸横断紀行・前編(後編も書けるのか??)


2100マイル(3160キロ)にも及ぶ大陸横断の旅はようやく終了した。
ミネアポリスで一日過ごしたけど、4日間は走りっぱなしだった。一日500マイルかー、キロに直すと800キロ、我ながらよく走ったもんだと思う。


10月10日

早朝に出発して、
モンタナの母、デフニィにお別れとお礼の品を渡しにいく。
本当は前日でも良かったのだが、やっぱり出発の朝に訪ねて行くのってなんかドラマティックで、最後の最後にデフニィに会えて良かったなあと思う。
後半は頑張ろうと心の底から思った。

ボーズマンを出発するのが遅くなってしまって、出る頃には8時半を回っていた。そして東へ東へと車を走らせる。ルート90からルート94へ入る。ビリングス、マイルズシティを経てノースダコタへ。ついにモンタナを離れてしまった。たぶん今後モンタナに戻ってくる可能性が極めて少ないであろう現実を考えるととても寂しい。でも振り返っている暇も無くノースダコタの州都、ビスマークへ走る。ビスマークに着いたのは午後7時。外は暗く雨が降っていた。考えられる最悪のパターンだ。しかも前日寝てないから頭痛までしやがる。
それでも一日580マイルを走破。


10月11日

ノースダコタとミネソタの境目ぐらいで雪が降っているらしい。10月にスノーストームなんて信じられないが、この時期だから道がスリッピーで走られないと言うことは無いだろう、と思いたいところだ。雪が降るのは二日にわたってらしいので、なんとかこの日のうちにミネアポリスには着いてしまいたい、が焦りも禁物という状況だった。

ノースダコタのフラットな道は何にも無くて素晴らしいがそれでも何マイルも走っていると飽きてくる。そしてついに雪が降り始め、カーブでトラックに追い抜かれる際にスリップしてしまった。こえー。幸いにして周りに車いなかったから何とかなったけど、死ぬかと思った。カーブで抜いてくなよと言いたい。

でもミネソタまで抜けたら、後は快適だった。最後の最後にミネアポリスのラッシュアワーに巻き込まれ、道に迷うまでは。。。

でもなんとかセントポールのエイミーのじっちゃんちとばっちゃん家に到着。そう、ミネソタにはうちの元個人教師エイミーの祖父母ちゃんと妹が住んでいるのだ。そしてそれぞれの家で泊まらせてもらう僕。こんなストレンジャーを泊めていいのかと僕が心配になってくるが、アメリカという国は本当に一期一会な国で、そういうのもアリらしい。現実として、セントポールでの一晩は、とても楽しかった。エイミーのばあちゃんの健康が心配だ。そして若かりし頃の写真は女優みたいで綺麗だった。
              



2006年10月12日(木) The Mall of America


1000キロ走ってようやくミネアポリス。
今日は一日ミネアポリスでモールに行って買い物をし、(ほんまにでかかった)
科学博物館でアイマックスシアターをみてきました。
バイキング、がテーマでアイスランドの映像がいっぱいあってなんだか幸せ。

ってかミネアポリス、雪降ってるよ。
寒いよ。
まあだから滞在を延ばしたんだけどさ。
アメリカって、よくわからない。
今年の冬は寒くないといいなあ。



2006年10月10日(火) 荷物を積み 別れを告げ 朝焼けの海に帆を張った


と言うまさしくそんな気分です。
現在午前7時。
モンタナからニューヨークへ28時間のドライブに、出発します。

みんな本当にありがとう。
忘れないよ。



2006年10月08日(日) 別れの季節


刻一刻とモンタナを離れるときが近づいている。
思えばあっという間の半年間だった。
最初はスローペースで始まったのに、
最近じゃあっという間に過ぎ去っていく。
夏が過ぎてモンタナでは秋も終わってしまった。
そうして日本に帰ると、またいつもの日常が始まるのだろう。

ここでいろんな人に出会った。
カザフスタン人に会ったりなんて日本では考えられなかっただろう。
カザフスタンは僕にとってまたひとつの特別な国となった。

それだけじゃないけど。

明後日の出発に備えてパッキングはすべて完了。
本当はもっとセンチメンタルなんだけど、そんなことは言ってられない。
後半が本当の戦いだ。




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