NO TITLE...望

 

 

美顔 - 2002年06月30日(日)

今日は、中学時代の友人と、これまた中学時代の友人の姉のところへ髪の毛を切りに行きました。といっても、私は見ていただけですが。

そこで、美顔器をかったその姉の友人も来ていて、マッサージをしてもらいました。

「きれいな肌ねえ」

と誉められつづけました。
化粧をし始めたのが、はっきりいって、社会人からですからね。あまり手をかけずにいたからでしょうか・・・。

それでもマッサージは気持ちよかった。
手軽にできるパック方法も教えてもらったし。
今週からは少し早く帰れます。

うん、いろいろ楽しんでみよう。



-

アトオシ - 2002年06月27日(木)

久しぶりの、平日一日オフです。
午前は、眼科へ行き、それから母親と、私の友人がアルバイトをしているイタ飯屋へ昼食を食べに行きました。

再来月、結婚する友人もいました。
直接「おめでとう」といえたのはよかった。
これで、とうとう中学時代の私の友人はすべて結婚してしまいます。
特に結婚願望もない私は、それに焦ることもないのだけれど、どことなく寂しい気もします。

昼からは、高校時代の友人とイベントに行ってきました。
「新・人体の不思議展」
まあまあ、という感じでしょうか。
来場者は明らかに医療関係者が多い(笑)
少し、不親切な感じがする展示のような気がしなくもなかったけれど、まあ一般の日ごろ、皮一枚下のものとは無関係の人たちにとっては驚きなのかもしれません。

それから、かねてより、友人が行きたがっていた占いへ行きました。
私が聞いたのは、仕事と恋愛のこと。
恋愛に関しては、今の私は仕事のほうが落ち着かないと恋愛する気にはなりにくい時期のようです。
「今年の誕生日前後から来年までは、人生の運気の上昇とも重なって、かなりいいからねえ。もったいないねえ」
といわれてしまいました。・・・確かにそうかも(笑)。

それでも、仕事も恋愛も、私にとっては嬉しい結果となりました。
今の私が、思うままでいいんだ、そう、後押ししてもらえたような。

「大丈夫」

そう言ってもらえた感じでしょうか。

友人とは、終電ぎりぎりまで話しました。
お互い、いろいろたまっているようです。
それでも、私の意見と違った意見をもっていても、「私は違うと思う」とはっきりといえる彼女を、私はとても大切だと思います。

きっと、彼女は私にとっての「ご意見番」なんでしょう。




-

紛れもない事実 - 2002年06月26日(水)

最初で、そして最後の責了日でした。
正式な担当誌ではない雑誌の、責了日。
だから、どこかひとごとで。でも、忙しいのはわかっていて(笑)。

何とか、責了を終えたときは、やっぱりほっとします。
それは多分、担当誌であってもなくても、変わらないのでしょう。

けれど、私が「担当誌」かどうかこだわっていても、その雑誌を買う人にとってはどっちでもいいことなんです。
決して安くはない雑誌を、買ってまで読む。
だからこそ、私たちつくり手は、いつでも、最善で、最良のものを読者に送り出さなくてはならない。

だから、今回も、私にできる最善のことはしたつもりです。
たとえ、奥付の担当の欄に、私の名前が載らなくても、紛れもなくそれは、私がその雑誌を作ったのだから。




-

旅は一人旅 - 2002年06月25日(火)

海外旅行に誰かと行くとき、いつもネックになるのが
「宿泊レベル」

私は特にホテルのランクなんて気にしないし、ほとんど寝に帰るだけのようなもんだから、雨風を防げてとりあえずふつーのレベルの布団(ベッド)で眠れるなら文句はないんだけれど、一緒に行く友達はそうは行かない。

だからいつも、計画の段階で「一人旅にすればよかった」と後悔してしまうのだけれど・・・なぜか、一緒にいくことになってしまうんだよねえ・・・。

今回も、ちょっと不安。
一緒に行くことはおそらく興味の対象が違うから。
せっかくの海外、自分がしたいようにできればいいのだけれど、そううまくいかないときもある。これが、3人以上であれば、私一人が別行動をすればすむのだけれど、2人で相手が一人で行動できない子だとたいへん。始終一緒にいなければならなくなってしまう。

旅行に行くときって、一緒に行く子の価値観の違いは重要になるだろうなあ・・・。
それとも、私がわがままなだけなのか・・・。

ああ、やっぱり旅は一人旅に限るなあ・・・。



-

サラ金に手を出すな - 2002年06月24日(月)

母親から電話があった。
「サラ金には手を出さないでね」

・・・突然何を言い出すかと思えば、どうやら親戚の誰かがサラ金に手を出して(案の定)返せなくなって借りにきたらしい。
なるほど。

でも、サラ金に手を出すほど不自由しているわけでもなし、多分「分相応」な生活をしていると思う。
サラ金を借りてまでしたいものも今のところ、ないし。

多分、私がお金を借りなければならないほど困ったときに、真っ先に借りに行くのは、当の親だから、大丈夫でしょう(笑)。

お金を借りてまでしたいことって、なんだろう。
旅行?買い物?
でもきっと、どっちもどれだけお金があっても満足しないもんなんだろうと思う。

それでも、お金があればいいな、と思ってしまうんだろうなあ。みんな。




-

映画らしい「映画」 - 2002年06月23日(日)

映画を見に行きました。
先週に引き続いて2本続けてのはしごです。

1本目は「トゥーランドット」。
えー、まず、プッチーニ、オペラ、トゥーランドット、のどれか一つにでも興味がなければ、観るのはお勧めしません。
確かに、舞台セットはすごいし、衣装はすごいし、音楽もすごいし、それはわかるんですが、肝心の「西洋と東洋の融合」というキャッチがどうも弱い・・・。
「西洋と東洋」の違い、を踏まえてから見る分には面白いのかもしれないのですが・・・。
タダ、映画の最後、すべての演奏を終えた瞬間、スクリーンの中の観客のように、思わず拍手を思想になりましたけれど。
そうです。音楽は、いいんです・・・。

すべてを「流れ」で捉えたドキュメンタリーになっているため、そのどれもが要素的に弱くて、「インパクトとなる」シーンが思い浮かびません・・・。
あまり、これを作る意味がなかったような・・・(それをいってしまえば終わりですが・・・)
しかし、あの大人数を、いかにまとめるか、というような視点からは、面白いかもしれません。

2本目「Jazz Seen/カメラが聴いたジャズ」。
久々の、ヒットです。
映画の3分の1が写真を映しただけであるにも関わらず、最初から最後まで、引きずられるように見ました。
ウィリアム・クラクストンの被写体への愛情、写真への愛着、ジャズへの愛敬。
見終わった後に、思いがけず素敵な人に会ったような、そんな映画でした。

私は、ジャズにそれほど詳しいわけではありません。
写真にも、それほど造詣が深いわけでもありません。
けれど、それでも映画の中のクラクストンの写真も、ジャズも、私にはとても馴染み深いもののように思えました。

彼の写真と、ジャズの演奏シーン、彼の幼少の頃の回想シーンと、そして、彼について語る周囲の人のインタビュー。
分類してしまえば、それだけなのに、それだけのシーンを上手く配合して、きれいに並べ撮った、そんな映画でした。

ドキュメンタリーもので、必ずしも正統派の「映画」ではないのだと思いますが、久しぶりに他のどの映画よりも「映画」らしいものを見た気分になりました。

スケールでは、「トゥーランドット」の方が大きいのですが、鑑賞後の記憶に残るのは、断然「Jazz Seen」のほうです。

ああ、いい日だったなあ。



-

人工の街 - 2002年06月22日(土)

今日で、取材は終わりです。
名前すら知らない先生ばかりの、学会でした。
それでも、話を聞きながら、新しい連載を考えたりできるのが、不思議です。
ああ、やっぱり、私はこの仕事が好きなんだなあ、と感じます。

帰りのモノレールから、人工の街を見ました。
住居の建造物はもちろん、その間をぬうように流れる川も、歩道の両側や、あちこちに植えられた緑も、人が、人のために人工的に設計したもの。

それに、どれほどの意味があるのかはわからないのだけれど、空しさを感じました。
私が、東京に行くたびに、「何もない街」だと感じるように、
きれいで、整備されているのに、どこか、空虚な感じを受けるのは、私が「余所者」だからでしょう。

けれど、人の手で作られた街はどれほどきれいでも、どこか、風景から浮いて見えるんです。



-

予想していた後悔 - 2002年06月21日(金)

私は、自分でした選択を後悔しないと言った。
けれど、でも、やっぱり
後悔は、してしまう。

それは、「予想していた」ことかもしれない。
後悔することを、予想して、選択したこと。

そういう選択肢も、あるんだ。






-

取材が好き - 2002年06月20日(木)

責了前です。
どれだけ、落ち着いて見えていた編集部でも、やっぱり責了前はばたばたします。
しかも、明日から取材なのでなおさらです。
週明けが少し怖かったりします。

明日からは取材です。
私が好きな取材です。
一人も、知っている先生がいない、どこか、寂しい学会でもありますが。

それでも、やっぱり、取材がすきなんです。



-

囚われていたもの、なくなったもの - 2002年06月19日(水)

いよいよ、配属が決まりそうです。
私は多分、希望どおりの編集部への配属となりそうです。

今度の上司は、とても部下に対しての扱いが上手いのだと思います。
この人の下にいたら、「がんばらないと」と思ってしまうのです。
そう、大丈夫。この人なら。

部屋で昔とったままにしておいたビデオを見ました。
私が、好きだった子に似ているアイドルが出ているコント。

以前、あんなに好きだったはずなのに、この間雑誌でその子を見たときに、いつもと違う自分の感覚に、気づきました。

まるで、あの子を見ているような、そんな錯覚に囚われていたのに、写真を見ても、画面の中のその子を見ても、なんともない。

ひょっとすると、本格的に私が変わったからかもしれない。
あの子に、囚われていた私の中のものが、なくなったのかもしれない。

そう、思いました。

ああ、もう大丈夫。
ね、もう大丈夫だよ。君はきっと忘れてしまっていたかもしれないけれど、私はようやく君を忘れているようだ。

それを少し、寂しいと思う自分も確かにいるけれど、
そういう自分に納得している私もいる。




-

差し伸べられる手 - 2002年06月18日(火)

大学時代の友人とご飯を食べに行きました。
彼女はついこの間、大好きだった彼氏と別れたところです。
別れたという結果はメールで聞いていたけれど、そこに至った理由は、聞いていませんでした。
彼女が自分で話したくなったときに、話すだろうと思ったからです。

そして、今日会いました。
本当は、夏に行く旅行の話をするはずだったんですが、やっぱり彼女の話ばかりになってしまいました。

彼女を見ていると、私は羨ましく思います。
誰かを好きになること、自分を責めること、誰かを羨むこと。
彼女は、とても素直で、正直で、私にとってはとても大切な存在です。

彼と別れた自分を彼女は責めています。
「自分に足りない点があったから・・・」
でもね、それは違うよ。

例えば、誰かを好きになって、付き合い始めるのに、それは最初、どちらかの片思いから始まるものだけれど、別れるときは平等なんじゃないかな。
別れようと思ったほうは、それ以上相手を好きでいようとする意志を放棄しているし、別れられるほうは、相手を引き止めるだけのものがなかった。
だから、おあいこ。
どちらか片一方だけが悪い別れって、ないんじゃないかと思う。

彼女は言います。
「すべてにおいて上手くいくA子を妬んでしまう」
でもね、それはとても自然だよ。

誰かを羨むから、自分も努力しようと思う。妬みや羨みに取り込まれてしまってはいけないけれど、自分がどうしようもなく、上手くいかない状況になったとき、上手くいっている「誰か」を羨むのは、とても自然なんじゃないかな。

でもね、A子にないものを、君は持っている。
いつでも、どんなときでも君に差し伸べるための手を持っている、友達。
A子に残るのが、誰かに買ってもらったブランドの鞄だとしたら、君に残るのは、見えなくても、君が必要だと思ったときにそばにいてくれる「誰か」。

それはね、今まで君が周りにしてきたことの「お返し」なんだよ。
私がしんどいとき、つらいとき、話を聞いてくれた。
だから、今度は私が話を聞いてあげる番。

大丈夫だよ。
今はしんどくても、君はきっと笑える。
だって、君にはいつでも差し出される手があるから。

すべてが上手くいって、「そんな時もあったよね」って、卒業旅行の思い出と一緒に思い出して笑える日がきっとくるよ。
最後に君は、きっとまた笑える。





-

祈るばかり - 2002年06月12日(水)

今週は、あまり料理を作る気になれません。
ということで、野菜サラダ生活です。
日曜日に遊びにきた友達たちが置いていったカンチューハイとスナック菓子はあるんですけれど・・・。

一年に何度か、訪れる日が、もうすぐくる。
その「感覚」は唐突に、けれど確実にくるもので。

それだけは、これだけは、何年経っても、何度経験してもなれません。

早く、その「感覚」がすぎてくれるよう、ただただ、私は祈るばかりです。
まだ、私にはその感覚と面と向かう勇気はなくて。

だから、祈るばかり。


-

ニンゲン、っちゅーことで - 2002年06月11日(火)

人と話し合うことが、キライなほうではありませんが、
疲れる、というのも事実です。

以前は、「どうせ言ってもわからないからいいよ」というのは逃げだと思っていま
した。
けれど、どれだけ話してもわかってもらえないことも、どれだけ話を聞いても納得できないことも、あるんです。

もしくは、私が「わかってほしい」とか「わかりたい」と思う相手ではないだけなのかもしれませんが(笑)。

どれだけ話しても、交わることがないラインがあることをこれほど明確に認識したのは久しぶり、というよりはほぼ初めてのことかもしれません。
お互いに、最大限に譲り合っても、最後のところで譲り合えないライン、というのがあるもんなんだと。

ま、それも人間っちゅーことで。


-

迷い - 2002年06月10日(月)

早く帰って、することはたくさんあるのに、やっぱりぎりぎりまで後回しにしてしまうのは、いつになっても直らない。

やらなきゃいけないというのではない。
自分で決めることだから。
誰に強要されているわけでも、誰が決めるわけでもなくて、私が自分で決めることだから。

わかっているのに、後回しにしてしまうのは
まだ、迷ってるからかもしれない。


-

くらくら - 2002年06月09日(日)

舞台を見に行きました。
鴻上尚史の「幽霊はここにいる」。
ああ、やっぱり舞台はいいなあ、と思いました。

みるだけじゃなくて、実際に自分も参加したくなる舞台、というのを見たのは初めてかもしれません。
もっとも、最後のほうは、私は谷原章介氏しか見ていなかったけれど(笑)。
いや〜かっこいい。身長高いし、声もいいし。最高。
舞台を見ながらくらくらしました。
どうしたら、彼に会えるだろうか、なーんて真剣に考えたりもしました・・・笑。

でも本当に、舞台はとても面白かったんです。
裸の大様のようなお話でしたが。
「値段は、その値段で買う人がいるから、それだけの価値で見られるんだ」
まさにそのとおりです。

夜は、友人が部屋にきて一緒に日本対ロシア戦を見ました。
どれだけ稲本がかっこよくても、中山がすきでも、

でもやっぱり谷原章介氏には勝てない。
かっこいい・・・。


-

「楽しい」の伝染 - 2002年06月08日(土)

夕べから実家に帰っています。
色々、物を取りに買えるためと、日曜の約束が実家からの方が近いためです。

ほとんど、一日中寝ていました。本当に。
起きると阪神戦。

負けてしまったけれど、でもやっぱり今年の阪神は見ていても楽しい。
何だろう。何が去年と違うのだろう。
シロートの私にはその違いが分からないのだけれど、多分、選手が野球を楽しいと思っているんじゃないか、なーんて思ったりします。

選手の「楽しい」がきっと、見ている人たちにも伝わってきているのではないでしょうか。


-

セーフ - 2002年06月07日(金)

朝。時計を見て今日ほど焦ったことはありませんでした。
時計の針は9時30分をさしていました・・・。
フレックスでも、10時までには入らなければならないので、かなり「やばい」時間です。

とりあえず、化粧は会社ですることにして、服を着替えてダッシュ。
駅まで、1メータほどですがタクシーに乗り、会社に着いたら9時50分。
さすがにこれには私もオドロキです。

時間が経つにつれ体中がきしむような痛み・・・。
もちろん、昨日のテニスのせいです。
久しぶりの筋肉痛・・・。
それでも思ったほどではないというのは、まだ若い証拠でしょうか。


-

テニス - 2002年06月06日(木)

今年初のテニスです。
実は、会社のテニス部に所属しています。しかし、まだ2回しか出席していません(3年間のうち)

去年の最後の練習に参加したきりで、もうすっかり忘れていました。
でも、段々慣れてくるにしたがって、やっぱり楽しくなります。
ソフトをしていたので、動体視力というのはいい方だと思います。
ボールの落下地点、バウンド、そういうのが読めるので、たまに追いつくことはできるんです。
問題は、体力(笑)。

特に2時間もしているとだんだんとラケットを持つ手の力が弱くなってきます。
最後の方は、ラケットを飛ばさないようにするので精一杯です。

それでも、やっぱり体を動かすのは楽しい。
もちろん、明日の筋肉痛なんて、覚悟済みです。


-

ショーモナイオトコ - 2002年06月05日(水)

冷戦二日め(笑)。
といっても、もうどうでもよくなりました。
この辺、飽き性が反映されてます。

どうでもいい奴にどう思われようと関係ないし、
どうでもいい奴に割く時間ももったいないし、

誰かに確認してからしか自分の意見すら、言えない人に
「ものごとの公平性」なんて判断できないんだ、
ということがわかっただけでも、収穫なのでしょう。

少なくとも、文章でご飯を食べようとしているのなら、
せめて、自分が書いた文章に矛盾がないかどうか、
「冷静に見る」ことぐらいしましょうね。

ほんと、ショーモナイオトコ。



-

傷つかない。 - 2002年06月04日(火)

悩み、というのは人それぞれだと思いますが、
私の場合は、多分ずっと同じようなことで悩んでいる気がします。

公の場で発言する勇気もないくせに
公の場で発言する相手を笑い、非難するのは
羨望の裏返し、というやつでしょうか。

自分の発言に自信も持てないくせに、他人の発言を笑う。
そんな奴のためになんて、私は傷つかない。

私は、私のために発言しているのだから。


-

憂鬱なMONDAY - 2002年06月03日(月)

月曜日はいつも、どこか気だるさを残したまま訪れます。
土日に遊びまわっていたときには、単に体が「しんどい」だけなのですが、
土日にゆっくりしている週明けに限って、その気だるさはやってきます

一人のときと、家族でいるとき、そのバランスが私には大切なんだろうなと、今は感じます。
完全に一人でいることはできない。
完全に「家族」でいることもできない。

でも、それはそれでいいのでしょう。
それが、私だから。

どれが正しいかという形なんて、興味ないから。



-

夢のなかのカナシイ気持ち - 2002年06月02日(日)

一日のほとんどを、眠って過ごしていた気がします。

夢の中で、私は小グループで旅行に行っていました。
そのグループの中に、「私が好きだと思われる人」がいました。
はっきりと、誰だかわかりません。

タダ、私が好きな人がそこにいて、
でも、その彼にはもう結婚した奥さんがいる、という話です。

彼に話かけながら、彼を冷やかしながら、悲しい気持ちでいっぱいの自分がいました。
目覚めてから、その気持ちと、そして彼を好きだったときの、切なくて、どこか、ふわふわとした感触だけが残っていました。

夢だと知りながら、それは多分私が自分の意志で見つづけていた夢だと思います。





-




My追加

 

 

 

 

INDEX
past  will

Mail Home