きっと - 2002年02月27日(水) 責了です. 二人体制とは違い,途中からとはいえ一人いるという状況は,まだすれ違う面も多 いけれど,とても楽です.あくまで仕事量の面では,ですが. 明日からは,3年間担当した雑誌に関わる最後の作業となります.何をするのも,その雑誌で最後となります. やっぱりそれは寂しいものです. ああ,やっぱり好きだったのだと,イマサラながら思います. とりあえず,私が関わる最後の号です. 最後にふさわしく,企画も立てました.取材にも行きます. きっと,思い出に残る号になるでしょう. きっと. - 願わくば - 2002年02月25日(月) もうすぐ,責了です. この責了を終えれば,今の雑誌で迎える責了は後1回です. 最後だというのに,いろいろな問題が出てきています. まあ,私に関係ないといえば関係ないのですが. もうすぐ,3月です. いろいろなことがあった,2月でした. 3月もきっと,いろいろなことがあるんでしょう. 願わくば,どうか・・・. - おめでとう - 2002年02月23日(土) 大学のときの友人が,結婚をしました. 結婚することは,去年から聞いていましたが,実際に見るまでは実感が湧きませんでした. 大学時代,よく話をしました. 卒業後は,彼女が引っ越したことも会って,ほとんどあうこともありませんでしたが. 学生時代とちっとも変わらない彼女を見て,学生時代に彼女からよく相談を受けていたことを思い出しました. 将来のことも,友達のことも. いつも元気な彼女が好きでした.おっちょこちょいなところも,見ていて楽しかった. 彼女が選んだ人は,本当に優しそうな,のほほんとした人でした. 幸せそうに並んでいる彼女たちを見ると,本当に,自分にとってあう相手をお互い選んだのだろうと思いました. それは少し,羨ましくもあり,寂しくもありました. もちろん,学生時代に受けた恋愛の話は,だんなさんにはナイショです. おめでとう.たくさん泣いて,たくさん悩んだ君だから,きっと幸せになれるよ. おめでとう. - 残される側の願いと,逝く側の願い - 2002年02月17日(日) 今日で大阪に戻ります. いつも,いくつになっても,やっぱり別れる日はいやなものです. できるはずはないのだけれど,ずっと,このままいれればいいな,と思ってしまいます. 時間は,徐々に,ゆっくりと命を削っていくものなのだと,いつも帰る日は感じます.それが,悲しくて,「仕方ない」と諦めるには,切なくて. 私の気持ちが伝わったかのように,天気は雨でした. いつまでも生きていて欲しいと願うのは,残される側の,願い出もあります. けれど反対に, 早く迎えに来てほしい,と願うのは,逝く側の願いなのでしょう. それらは,きっと交わることがないものなのでしょう. - ルーツをたどる旅 - 2002年02月16日(土) 島原二日目です. 今日は昼から法事です. 本当は,私は参加予定ではありませんでしたが,午前中におまいりにいったときに急遽参加することになりました.まあ,念のため,服はもって行っていたので大丈夫でしたが・・・. 会場は,島原市内にある,高級ホテル,南風楼. ここで食事をしたのは初めてでした.料理もおいしかった. 法事なので,あたりまえなのですが,故人の血縁関係,知人なんかもこられます. 私は故人とは直接的な血縁関係はありません.ただ,故人は私の名付け親でもありました.それを知ったのも今日ですが(笑). はじめてみる人もいます.というか,そういう人がほとんどです. でも,向こうは私を知ってるんですねー.まあ,それも仕方ないこと・・・. 法事の後は,夕方から伯父の家,まあ言えば父方の本家ですね.にいきました. まあ,いろいろあります.詳しくは書きませんが. 血縁なだけに,許せることも許せないこともあるんでしょう.私は話を聞くだけです. 今回は,どうやら私のルーツをたどる旅にもなるようです\\. - 大仕事と,懐かしさ - 2002年02月15日(金) 今日は,午前中で仕事は終わりです. 午後からは,九州の父方の実家へ帰ります. 午前中,これで最後の二人での作業の日です. いえ・・・もちろん課長はいるのですが(笑). で,3年間の中で一番しんどい作業でした. かねてより,思っていたことを,いいました. 言わずにいこうと思っていたこともありました.もういいや,と. でも.それではだめだとずっと言われていたことでもありました. 結果は,まあ,予想通りでもあり.予想外なところもあり. ま,こんなもんでしょう. 午後からは九州は長崎県島原へ. 一言で言えば,父方の親戚の法事です. 昔の家系はみなそうなのか,なかなか家系的にはややこしいので省きますが,そのおかげで思いがけない人と会えたりします. とりあえず,今日は大村にある長崎空港から島原まで母親ともども,叔母に送ってもらいました. 久しぶりの,島原です.ほぼ,一年ぶり. なんとも言えない,懐かしさです. ほとんど暮らしたことなんかないのに. とりあえず,ただいま. - 許すということ - 2002年02月09日(土) 朝、起きて昼過ぎまでボーッとしていました。 ボーッとしながら、依然取っていた歌番組のビデオを見ました。 目当ての歌手ではないけれど、結構好きなユニットのボーカルの子がソロで出ていました。 彼女の歌を聞いたとき、驚きました。 自分の境遇を歌われているようで(笑)。 「ボーイフレンドとは呼べない曖昧な関係 君のあやふやな感情で私を振り回さないで 私はもう十分傷ついた」 こんな歌詩(英語もなかに入りますが)。 そして、この歌詩のサビの部分。 「あなたを許して忘れるわ」 これを聞いたときに、あの子を許せていない私に気付きました。 あの子が悪いと、周りがいうほど私は思っていないと、ずっとそう思っていました。 恨んでていることも、ないのだと。仕方がないのだと、 そう思っているのだと思っていました。 でも、違ったんですね。 あの子を忘れられないのは、あの子を許していないからなんだと、 まだ好きだからとか、そういう綺麗な言葉で隠していても、 ほんとはあの子のせいだと思っていたわけじゃないのだと、 そんな綺麗な感情ではないのだと それに気付きました。 許せれば、楽になれる気がします。 私のこの感情は「引きずっている」分けでも「すき」なわけでもなく、 やっぱりあの子をどこかで恨んでいたんでしょう。 だから、忘れられなかった。 でも、忘れられないと私はまた傷ついてしまう。 それをあの子のせいだと、どこかで思ってまた忘れられなくなる・・・ そんな、悪循環を繰り返していたんです。 でも、もう大丈夫のような気がします。 完全にあの子を許すにはまだ時間はかかるかもしれません。 でも、きっと私にはできると思います。 あの子と笑って「友達」を演じる勇気のない私でも、あの子を「許す」事ができるのだと思います。 だって、私はもう十分傷ついたから。 あの子の携帯メールは消しました、かかってきていた履歴も、消しました。 もう、あの子へ私から連絡をすることはできません。 サヨウナラ - 舞台を見ました - 2002年02月08日(金) 今日は一日、反省しっぱなしの日でした。 今更、何をしたのか、もう書く気も起こりません。 自分で自分の傷を広げていること、 そして、懲りない自分。 今日ほど、自分を嫌だと思ったことはなかったと思います。 本当に、どうしようもない。 反省モードを引きずりながら、舞台を見に行きました。 蜷川幸雄演出、藤原竜也、白石加代子主演「身毒丸」。 舞台をいつも一緒に見に行く、会社の同僚と行きました。 彼女は私の事情を知っているのでもちろん、私の「反省」を聞いてくれました(笑)。 舞台は、すごいセットの数でした。 今まで見たどの舞台よりも、お金がかかっている気がします。 そして、アンコールの多さも。 内容は、イマイチ話に乗りきれないところもありましたけれど、でも、迫力はすごかったと思います。 特に、藤原竜也の義理の弟役をしている子が上手かった。泣くところ、怖がるところ、とても上手でした。 藤原竜也はとても背が高く、舞台の上で見るとそれが際立ちます。彼を見ていると遠近感が亡くなります。背が他の人よりも高いから(笑)。 舞台を見て、少し楽になりました。 やっぱり、舞台はいいですね。 - 映画を見ました - 2002年02月07日(木) 映画を見に行きました。 同僚と。 「千年の恋」という、源氏物語と、紫式部の人生をテーマにした映画。 私は、結構好きでした。 ところどころ、「何じゃこれ」と思うところもあったけれど、「源氏物語ってこういう見方もあるんだなあ」と思いました。 見ながら、色んなことを考えました。 この時代はどう見ても「男性上位」の社会でした。 女性の仕事は専ら男性を楽しませることと、子供を産むこと。家を守ること。 それなのに、この時代の代表としてあげられるのは女性が多い。もちろん、藤原道長のように、「社会的な」業績を歴史に残した人も、沢山います。 でも、物語、随筆、歌、などの「文化的」な面で名前を残しているのは、女性です。 そこまで考えたとき、向田邦子さんが書いていた文を思い出しました。 「女性が地図を読めなくていいのだと思います。女性が地図を読めるようになると、それこそ、あちこちで戦争が頻繁に起こることになるかもしれません」 それが正しいかどうかは分からない。 けれど、少なくとも、「男性の役割」「女性の役割」がある程度のルールをもって決められていた。そういう社会では、ある程度世界でも秩序が保たれていたような気がするのですが・・・。 - 一番好きな仕事 - 2002年02月06日(水) よく,笑いました. 講義の後,皆でのみにいった居酒屋で. 最近,飲みに行く回数が増えています. 今日は講義でインタビューをしました. インタビューは仕事がら,なれています.でも,インタビューされる側にはなれていません.それでも,相手のほうがもっとなれていなかったので気を使いながらインタビューされていました. 目を見て,インタビューをすること 相手が言葉に詰まったら,言葉を変えて,相手が答えやすくしてあげること そういう,小さなことに気を使いました. もちろん,記事を書きます. 早めにしないと忘れてしまうかもしれませんが. 記事を仕上げるのは苦しいけれど,それでもやっぱりこの仕事が好きなんですね. 書いているときが,一番幸せだとおもうから. - とりあえずは,そういうこと - 2002年02月05日(火) 今日は一日企画を考えながら,仕事をしていました. なかなか頭の中ではまとまらず,家での持ち帰りとなってしまいました. 映画を見に行く予定でしたが,延期です.雨も降っていたし. 帰ってドラマを見ました(もちろん仕事もしましたが). 日韓共同制作のドラマです.昨日と今日,二日連続のドラマでした. 日本から深田恭子が,韓国からは韓国人の男の子(名前忘れました)の恋愛ドラマです. 同じものを,韓国でも放映するらしい.深田恭子はドラマの中で韓国語を話していたけれど,それが上手いのかどうかわからなくて,また,果たしてあのドラマは韓国ではどうなのか,知りたくて,韓国人の友人にメールを久しぶりに送りました. 恋愛ドラマとしては,さほど新しいものではないけれど,日本と韓国の違いなんかは上手く描けていたんではないでしょうか. 所々見ていなかったので(笑)相手の男の子の両親の日本人への感覚なんかはわからないところがあったのですが. 自分の周りが動き始めていると感じます. それはふと見たドラマの中のせりふに感じたり,本の中の文字で見つかったり. 動きたいのか,動けないのか. 結論は出ているんですが. とりあえずは,そういうことです. - そんなもの - 2002年02月04日(月) あまり,何をするでもなく,一日が終わりました. 先週のあの怒涛のような飲み会が続いたおかげで,あまり曜日の感覚がありません(笑). とりあえず,今日ですべてが一段楽しました 私が,今の雑誌だけに集中することはもうおしまいです. 再来週からは,新しい人が来て,後は少しずつ,引継ぎをしていくだけです. それはちょっと寂しくもありますが,それでもまだしなければならないことはあるのでそんな余韻に浸っていることもままなりません. まあとりあえずは,目の前にあるものを片付けていきましょう. - フィギュア - 2002年02月03日(日) 今日は,高校のときの友人と,プロのフィギュアスケーターのショウを見に行ってきました. 会社からの福利厚生の一環でもありました. フィギュアを見に行くのは,2回目です. 前は長野オリンピックの前哨戦,NHK杯を見に行きました. 長野五輪のゴールドメダリスト,イリヤ・クーリックも来ていた試合です. 彼はその後,プロに転向したような話も聞きましたが,実際は何をしているのかな.プロになったのなら,おそらく一層表現力を増したであろう彼の演技を見てみたいものです. 今日は伊藤みどりも,八木沼純子も来ていましたが,私の一番のおめあてはエレナ・レオーノワ. ペアの彼女の演技はいつもドラマチックで,ロマンティックで,見とれます. フィギュアのシングルも好きだけれど,私はドラマ性が強くて,ストーリー性も高いアイス・ダンスや,ペアの演技が好きです. 初めて今日はプロの演技を見ましたが,とても楽しかったです. 「性格は,氷上で出る」 そういわれるとおりだと思います. 失敗してもなぜか見ているだけでこっちも楽しくなるスケートをする選手は,確かにいます. 伊藤みどりの演技もそうでした. どちらかというと,芸術性よりもダイナミックな印象を受ける彼女の縁起でしたが,それでもなぜか見ていると楽しくなってきます. それは,笑顔がとても似合うからかもしれません. いろいろなスケーティングがあるのだと思いました. 私は一度もフィギュアスケートをしたことはありませんが. それでも,今日のショーは,そんな私でもとても楽しめました. もちろん,寒かったのですけどね. - とりあえずは - 2002年02月02日(土) 昨日,一緒に飲んでいた先生の最後の授業でした. 皆,先生がいなくなるのを残念がっていました. 先生が言うように,このクラスは,まとまっていると思います. 多分,いいクラスだと思います. こうして,授業の帰りに先生とのむことはないんだなあと思うと,ちょっと寂しいのですが, でも,もうすでに再来週また会うことになっていましたね(笑). いろいろと,お世話になりました. これからも,いろいろとお世話になることと思います. とりあえずは,お疲れ様でした. - 出ている答え - 2002年02月01日(金) 今日は,本当は早く帰って映画を見に行こうかと思っていました. けれど,食事のお誘いが入って,迷いましたが,行きました. 誘っていただいた相手は,今行っている専門学校で文章講座を担当している某新聞社の方です. その方は,とても穏やかに話されます.そして,私たち生徒が書く原稿をとても誉めてくれます.もちろん,だめなときは指摘されますが. 「記者はね,人から教えてもらう職業なんだよ」 その人から教えられたことです. なぜか,記者になると何でも知っているかのような態度をとる人がいますが,「それは何も知らないことをさらけ出しているのと同じだ」とその人は言います. 私が書く文章を,いつも誉めてくれます. 「安定したいい原稿だ」 そう言ってくれます. 「でも不思議と時々幼さが出てくるんだね」 そう言って,笑います. その人に,指摘されて,私の性格がとても文章に出ているのだと気づきました. もちろん,仕事柄,自分の感情を出すことなく記事を書いてきました. 客観的な表現を心がけ,主観的な表現は意識的に,避けてきました. それは,どうも普通の文章にも出ていたようです. 「外科医のような文章だね」 と,言われたこともありました. それでも,その人は誉めてくれます. 「感情を抑えた,落ち着いた安定した文章だ」 と. 「あなたは記者向きじゃない」 別の人から,そういわれたこともありました. それでも,やっぱり私は書くことが好きなんです. 新聞社のように,決まった定型しか書けなくても,それでも,私は書くことさえあるなら,それでいいのだと思います. 書くことを,苦しむことはしょっちゅうあります. どうしてこんな仕事を選んでしまったのだろうと思うことも. それでも,後悔しないのは,私が好きだから. 先生,先生がいってくれた言葉は,私にとってとても励みになっています. 今日,言ってくれた言葉も. とても,嬉しかったのですが,もう少し考えさせてくださいね. 本当は,出ている答えなのですけど. -
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