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よかったね - 2002年03月31日(日)

昨日は、実家に帰りました。
2週間ぶりです。
ほんと、寝に帰っただけという感じで、特に用事もなかったのだけれど、同居している親戚が4月から社会人ということで、お祝いをしていたから、一応顔見世、ということで。

昼くらいまで眠ってから、図書館に行く予定でしたが、休館ということで、そのまま心斎橋まで出ました。
友達とのみに行く約束をしていたのですが、その待ち合わせも心斎橋だったので。

一応、3年間のお礼、ということで上司にちょっとしたプレゼントを買いました。
「癒し」とか、「リラクゼーション」というのが好きな上司のために、お茶の香炉を買いました。
ふつうのお茶でもつかえるそうです。
これに、手紙をつけて、あしたわたそうと思っています。

まだ、前担当誌の仕事が少し残ってはいるんですが一応気分的には新体制です。

夜からは、友達と合流して、友達が行きたがっていたアイリッシュ・バーへ。
外国人の人が店をしていて、あちこちから英語の会話が聞こえます。
外国(人)好きの友達が好きそうな雰囲気です。

彼女の話を聞きながら、テレビの阪神巨人戦を見ていました。
2連勝した阪神は、とても去年までとは同じチームとは思えません。
やっぱり阪神は子供のような監督のほうが合う気がします。

よかったね。


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最後の日は、花見で。 - 2002年03月30日(土)

本当なら、今日が最後の専門学校のはずでした。
ただ、一人こられてない先生がいるために4月になってからもあるらしい。

ということで、気分的には最後の授業だけれど、実質後一回あるという、変な授業でした。
授業の後は、いつものとおり、飲み会。で、その後は大阪城公園まで花見です。花見、といっても周りは暗いので花見かどうか・・・笑。

いろんな人とたくさん話した一日でした。
たくさん話して、たくさん笑いました。
もちろん、少し、気になっている子とも。

月曜日に行くライブのチケットがあたったこと、一緒に行く人を探していることを話すと「行く」というので、なんと行くことになりました。オドロキ。

こういうとき、比較的OKが来るのは、多分私がそういう対象では見られていないからでしょう(笑)。果たしてそれがいいのか悪いのか・・笑。
前に好きだった子のときもそうだったな。多分、最初に食事に誘ったのは私からだった。

何で気になるのかな。
考えてみると、前に好きだったこと共通点がちらほらと見える。
童顔なとこ、たばこを吸わないこと、そして雑学王なところ(笑)。
自分でも怖いくらい、一本筋が通っている・・・笑。

話をしていると、ホント楽しい。
会話のタイミング、話題、そういうものが楽しくて。もっと話したい、もっと知りたい、そう思う。

あーやばい。
深みにはまらないようにしないとね・・・。



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サヨナライツカ - 2002年03月29日(金)

本当なら、この日は感慨深く、感動的な日になるかもしれませんでした。
引越しがなければ。

3年間担当した雑誌を今日限りで離れます。
新しく編集部に加わった人が、帰り際に私に挨拶をしてくれたことで、この日の重さを感じた気がします。

もう、特集も、あの連載も、読者コーナーの返事も、編集後記も書くことはないんです。あの雑誌に、私の名前が載ることも。

といっても、私が企画した最初で最後の特別企画がまだ完成ではないので4月1日もまだ新雑誌へは移れないんですが。

仕事だけではなく、プライベートも忙しい日が続きます。
ひょっとしたら、今が分岐点になるかもしれません。




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真新しい自分 - 2002年03月28日(木)

今日は、ある写真家の写真展を見に行きました。
正確には、専門学校の友人がある人に紹介してもらうのに一緒についていってほしいというので、行きました。

写真展は、インドの写真がメインでした。
なんとなく、懐かしさを感じます。この写真の中に写っている人に出会ったかもしれない。そう思うと不思議な感じがします。
京都の町並みを写した写真では、私の母校でもある高校の生徒たちが鴨川で遠足をしている風景が写されていました。

その後は皆でご飯を食べに行き、そしてそのまま夜桜を見に行きました。
川沿いに植えられた桜が、ほぼ満開に咲いていました。
私と友人は途中で帰りました。友人と別れてから、私は天満橋から南森町まで歩きました。時間にしたら、小一時間くらいでしょうか。
途中で雰囲気のよさげな店を何軒か見つけました。

いつもは来るまで通り過ぎるところです。
たまには、ゆっくりと歩くのも、いいものです。
真新しい風景を見ていると、真新しい自分になっていく気がします。

新しい4月は、もうすぐです。



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後回し - 2002年03月27日(水)

今日は、お昼になぜか送別会もどきがありました。
誰の送別会か、もちろん私です。
かの全員が書いてくれたメッセージカードと、ガーベラとオレンジ色の薔薇を主体とした花束をもらいました。
不思議なことに、上司にとっての私のイメージだそうです・・・。

夜は、専門学校でした。
卒業課題の講評でした。
なんと、出した作品が優秀作品に選ばれてしまいました。
最優秀ではないのだけれど、雑誌に載るそうです。うーん。
これで、インタビューを受けてくれた人にも原稿を送らなければならなくなりました。

その後は、いつもの飲み会です。
やばい、と自分でも気づいています。
あの子の、正面居座っていました。

話のテンポが、昔好きだった人に似ている。
姿は全然似ていないのに。

それでも、楽しい一日だったので、悩むのは後周し。





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言いたくてもいえない言葉 - 2002年03月26日(火)

もうすぐ辞める会社の先輩をねぎらう会に、飛び入り参加しました。
正確には「ありがとうの会」だそうです。

後輩から慕われる先輩というのは、いいなといつも思います。
私はなぜか後輩というものに縁がありません。
学生時代のクラブも、私の下にはいませんでした。なぜか。
会社で初めてできた後輩は、私と同じ歳だったりするのであまり後輩という気はしません。

もうすぐ辞める先輩は、後輩からだけではなく、課も関係なく、部所も関係なく、皆から慕われます。
私もずいぶんお世話になりました。
いろいろなことを教えてもらいました。
仕事のことも、お酒のことも、遊び方も。
私にとって、社会人になってから、一番影響を与えられた人かもしれません。

辞めるのは寂しいけれど
いつかはいなくなる気がしていたから。
きっと、最後の日は笑って送り出せる気がします。

ありがとうございました。
そして、
これからもよろしく。

多分それは、言いたくても言い出せない気がする言葉です。


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戻ったのは3時 - 2002年03月25日(月)

京都まで行ってきました。
京都の桜の名所(らしい)平野神社まで。
いつも文章を見てくれている先生のお誘いです。
某新聞社の編集局長や某有名私立大学の入試課の人や某新聞社の記者や某出版社の社長などがこられていました。

とても楽しい飲み会でした。
外はまだ寒かったけれど。
桜もまだ満開ではなかったけれど。

まだまだ、自分は勉強しなければならないことがたくさんあるんだな、と。

このごろ考えるのは、どういう自分になりたいか。
例えば、人生のターニングポイントをあげるなら、私にとっては去年から今年にかけて。
環境も、状況も、気分も、かわっていく自分を感じながら、どうしても動けずにいる自分に苛立ちを感じます。

部屋に戻ったのは午前3時でした。



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千客万来 - 2002年03月24日(日)

昨日、友人が二人、泊まりに来ました。
私に用事があったので、来るのが遅くなってしまったのだけれど、それでもいくらかの話をしました。
きた友人はいつもの、大学の友人です。

直接会うのは、久しぶりでしょうか。
メールでは、まあ連絡はとっているのですが。
そのうちの一人が今は少し、たいへんです。

恋愛には、人それぞれの悩みがあるものですが。
彼女が幸せになれればいいと、願っているのだけれど。

外で一緒に昼食をとってから、今度は別の大学時代の友人が家に来ました。
彼女も、恋愛相談です。
もう、終わってしまった恋愛ではありますが。

彼女が悩んでいることも、そしておそらく彼女がこれから完全に忘れえるための道のりを、私にはまるで見えるようなのですが、これはいくら私が言っても、本人にしかできないことなので、私に言えるのは、自分の経験からの感想でしかありません。

話を聞きながら、いらいらするところがあるのは、どうしてでしょうか。
彼女を嫌いなわけではないのだけれど。

今の彼女は、相手に恨みをぶつけようとしてるようにしか、私には思えないんです。
確かに、それだけのことを彼女はされているんだけれど、それをしても彼女にとって、何の救いにもならないのだということを、彼女自身が気づかなくてはなりません。
それは、一筋縄ではなく、とても時間がかかることで、たいへんですが、おそらく、彼女にはそれが必要でしょう。

人に恨み言をぶつけるほど、自分の汚い面を見なくてはならなくなります。
そして、それに耐えられるほど、彼女は強くない。
その分、自分の時間を費やしているのだと言う子とを、早く気づかないと。

私が、あの子を責めなかったのは、
プライドの問題です。
相手に恨み言を言って、追いすがるような「女」にはなりたくなかった。
そんな、三流の「女」になるくらいなら、もう一度、あの子を好きだといったほうがましだと、私自身感じたから。
自分が好きになった相手を嫌いになりたくなかったからでもある。
自分が傷つけられた相手を好きだったのは、紛れもなく自分自身だから。その相手を責めることは、そのまま、自分の未熟さ(確かに未熟なんだけれど)と、自分の間違いを認めることになるから。

プライドの高い私には、そんなことはできなかった。
もちろん、彼をまだ好きだという気持ちもある。

でも、私は許そうと思った。
忘れるためにはそれが必要だと思ったから。
許すことなく、相手を忘れてることは無理だと思った。
自分の相手への気持ちがマイナスであっても、プラスであっても、それがある限り、忘れる、つまり「ゼロ」にはならないと思ったから。

早く気づいてほしい。彼女も、
彼を許さずにいることは、そのまま自分を責めていることにもなるのだと。

がんばれ。
私はいつでも話を聞いてあげるから。
そこから早く、出ておいで。


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ひとつ、気づいたこと - 2002年03月23日(土)

今日の授業には某有名雑誌の編集長が来ました。
世間一般で言う、「かっこよくて、流行の先端を行く雑誌」の編集長です。
授業の内容は、いつもと同じ、過去の企画の裏話。
その後の飲み会でもやっぱり人気でした。特に、女性からは。

でも、なんとなく私には違和感がある。
決して嫌いな雑誌ではない。ただ、
「ああ、この雑誌に似た編集長なんだ」
という印象。

そして、ひとつ気づいたこと。
「雑誌」という性質上どうあれ、私は、読み返されるものを作りたい。
「雑学」が必要ではない、といっているのではなく、「必要」な知識を与えられるものを作りたい。

ブランド志向は、世間にあふれているブランドの鞄だとか、服だとか、そういうもので十分だ。それを助長させるようなものを作りたくはない。
雑誌が、「ブランド志向」を脱しない限り、そこから脱する日本人はいないんだろう。

こうおもうのは、私が天邪鬼だからだろう。
いつになったら、中身のない「ブランド志向」に気づけるときが来るんだろうか。


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迷っているわけではなく - 2002年03月22日(金)

飲み会でした。
いつもの場所で。
いつも緊張するのですが、さすがにもうなれてきました。

自分の夢が、かなうという瞬間。
それはとても幸せで、そしてとても怖い瞬間。
そっから先の未来を、私はまだ描けないでいる。

迷っているわけではない。
いずれは、いきたいところではある。
タイミングを計るのが難しくて、まだ頷けないでいる。

そう。迷っているわけではないんです。



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失恋したらすること - 2002年03月21日(木)

昼まで眠ってから、掃除をしました。がんがん好きな音楽をかけて。
掃除をするのも、料理を作るのも、皿洗いをするのも、好きです。
音楽をかけながらできるから。

今日見たドラマで、失恋した女の子が部屋に帰ってきて掃除をするシーンがありました。そしてそれから、お風呂に入って、泣くんです。
とてもよく、心情が理解できました。
この脚本を書いた人は、きっとたくさん失恋をしたんだろうな、と思いました。

私が失恋したとき、なけない私にある同僚が言ってくれました。
「お風呂にゆっくり入ればいいよ。そしたら、温かくなって、なけるから」
ドラマの中の彼女のように大泣きをすることはできなかったけれど、少しだけ、泣けました。少しだけ泣いて、少しだけ、すっきりしました。
もう、1年以上前のことですが、まだ覚えています。
「どうしようもないんだ」
ということを、最初に理解した瞬間かもしれません。

思い出してると、切なくなってくるな。
そう思っていると、あの子からメールがきていました。
受信したはずなのに、すぐに削除のフォルダになぜか移動になっていました(笑)。

携帯番号とメールアドレスを控えるのを忘れていたからもう一度教えてくれというものです。
携帯のメールにおそらく携帯番号を教えてほしいと送って戻ってきたのでしょう。あの子に教えた携帯メールのアドレスは、この間東京にいっているときに変えましたから。

まだ、好きなのかどうか、本当にわからないんです。
好きかもしれない、と思い始めている子のおかげで、少し忘れてきた気はしますが。
でも、たとえ、「好き化も」が「好き」になっても、この恋もどうしようもありません。残念ながら。

どうせなら、あの子を好きだという気持ちと、新しい子を好きかも知れないという気持ちが、相殺して、私のなかでなくなればいいのに。

それでも、君からきたメールを見ても、どきどきすることはなくなったんだよ。
ただ純粋に、楽しいと、それだけ思えるようになったんだ。





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楽しい水曜日 - 2002年03月20日(水)

今日は楽しい水曜日。
授業の後は、相変わらずの宴会へ突入(笑)。
会場の近くの店はいっぱいのため、梅田まで移動しましたが。
とても楽しい飲み会でした。

移動する間歩きながら、ちょっと気になっている子と話していました。
うん。やっぱり、楽しい。
話のテンポがやっぱり似てるんだよなあ。笑

もう少しでこのクラスも終わりです。
でも、このクラスでよかったな、と思います。
今度は花見をするそうです。誰が幹事をするんだろう(笑)。

楽しみ。
もうすぐおわるのがやっぱりちょっと、寂しい。







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タナボタ - 2002年03月19日(火)

なぜか、今週は曜日の感覚がありません。
月曜日だった昨日は火曜日に、火曜日の今日は月曜日に思えて仕方がないのです。
・・・狂牛病かな。

イギリスに行っていたとき、ちょうど向こうの狂牛病ブーム(?)でした。
思えば、平気で牛肉を食べていた気がします。ステイ先の家では出るのは鶏肉くらいでしたが(ちなみにホストマザーはベジタリアンだった)。

そういえば、イギリスにいたときには私はロシア人の子が好きだった(笑)。
今で言えば、ディカプリオに似た感じの4つ下の子でした・・・笑。
私の好みはやっぱりかなり偏るらしい・・・。
彼は何をしているかな。
私のことを思い出してくれているだろうか。
イギリスにいたときに20歳の誕生日を迎えた私は、クラス全員からバースデーカードをもらった。
自分たちの母国語で「誕生日おめでとう」とかいてくれたカード。
もちろん今も大切にしまってある。

急に、それが見たくなった。
あのころの私は、先を考えることもなく、まだ漠然と毎日を過ごすので精一杯だった。
先のことは、何とかなると思っていた。何とかなったのだけれど。

一人っ子の私は、結局本当に諦めるということを知らない気がする。
いつだって、ほしいものは、どんな形であれ、いつの間にかてに入っていた。
それは、親に買ってもらえるような「もの」ではなくて、自分が努力をするもの。
そういう私を、高校時代の友達は「タナボタ式の人生」と呼ぶけれど(笑)。

何をしても、どうしても手に入らなかったのは、あの子の気持ちだけかもしれない。

















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捨ててこられたら。 - 2002年03月18日(月)

やる気がでません。
これから2週間、忙しくなるのがわかっているのに、なぜか、全くやる気がでない。

皆忙しく仕事をしている中で、仕事のことを考えていない人はどれくらいいるのかな。

やらなきゃいけないこともわかっているし、
やることもすぐ手元にあるのだけれど。

沈んだ気分なのか、
浮かれた気分なのか、
全然そんなことすらわからない。

誰か助けてくれないだろうかと思っても、
自分でどうにかするしかないことも知っているから。


同僚にとっていてもらったインド、ブータン、ネパールの紀行ものの番組を見た。
どうして、あんなに懐かしくなるんだろう。
知っている土地でもないのに。
インドは、かなり好きな国だった。
行く前にあった不安は、行ってすぐの興奮に変わった。
朝日が昇るガンジス川は、泣きたいくらいにきれいで。こんな風景を見たら神様がいるんだと信じるようになっても仕方がないと感じた。
にごっているはずのガンジス川の水が、朝日に照らされてまるで輝いて見える。

なきたくなる気持ちを私はあのときに捨ててこれたらよかった。







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たぶん - 2002年03月17日(日)

実家に帰っていました.
帰るたびに感じることは,「私が生活する空間ではなくなっている」ということ。
何が変わっているわけでもないのだけれど、そこは,確実に,着実に,私の色はなくなっていく.
仕方がないのだけれど.

ひとつ,物事が終わって,何か気が抜けた気がするけれど,毎日の生活はまだ続いている.
パソコンのように,リセットして,最初からやり直しができるなら。
そう言う子とを何度も考えてきたけれど。

リセットをすれば、何かが変わるだろうか。
私はきっと、リセットをしても私だ。

たぶん。


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もうしたくない - 2002年03月16日(土)

ようやく、課題を終える事ができた。
ほんと、ぎりぎりだったけれど。

午前中、会社は停電なので、昼くらいに会社に行き、課題の打ち出し。写真を整理し、ようやく、完成。
自分で書いた文章を冷やして読むほどの時間がなくて、今回はちょっと厳しい。
どうなるのかな。

まあ、授業の後は、恒例の、呑み会。
楽しい呑み会だったと思う。

でも・・・ヤバイなあ。
話題のテンポが似ている子がいる。あの子と(笑)。
まだ、好きではない。そこまでは行かない。
彼には、彼女がいる。

不毛な恋愛は、もうしたくないんだ。



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4月からの楽しみ - 2002年03月15日(金)

今日は、仕事が終わってから、社長との食事会だった。
もちろん、1対1ではない。
全員で4人。私の同期が2人、一つ下の後輩が一人、私よりも下だけれど、社歴は一年上の子が一人、そしてうちの会社にいる中国からの人が一人。女性ばかりの会だ。

依然、社内報が終わる時の慰労会でも行ったステーキハウスでの食事会だった。そういえば、あの時はまだ私の同期は全員で3人だった。そして何より、前社長が生きていた。
あれからもう1年以上がたつんだ。

食事会は、ほぼ思い出話に終始した。
私たちがそれぞれ入社した頃の話。
前社長の話。
何のための会だったんだろうかと思うけれど。

明日提出の卒業課題があるおかげで、食事会の後は会社へ戻った。
私の同期の一人も一緒に。
そうしたら、今度私の上司になるひとが残っていた。今日でようやく増刊が終わったらしい。
「飲みに行かない?」
行きたいのだけれど、課題はしなきゃいけないし。
ということで、私の同期と先に行ってもらって、私はあとから合流。

2時間弱一緒に飲んでいた。
面白い人だと思う。多分、今までの上司の中では一番私に合う気がする。
仕事の話が主だったけれど、この人の下でできることは、嬉しいと思う。

今までやってきた雑誌を離れるのは、正直淋しいし、理不尽さを感じることはある。
けれども、これからの私のことを考えると、新しい雑誌、新しい領域を見ておくことは、とてもプラスになることなんだと思う。

4月からは、ちょっと楽しみ。
その前にやらなきゃ行けない仕事は山ほどあるんだけれど。




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お酒がつれてくるもの - 2002年03月14日(木)

お酒、というのは、私にとっては危険物だ.
思えば、お酒で未だかつてどれくらい失敗したかしれない.

お酒を飲むと、気分が緩やかになる.
今までくよくよしていたことが、突然吹っ切れたように、なんでもないことの内容に思えるときがある.

でも、間違えてはいけない.
それは、お酒、があくまで体内で見せている幻想に過ぎない。
ひとたびお酒が対外に出てしまうと、後には気持ちの悪さと、自己嫌悪しか残らない.

お酒というものは、つくづく怖いものだ.
そして、特別大好きだというわけではないけれど、単に「飲める」ということでつい
つい自分を過信しすぎてしまう.

あの子に一番最初に告白をしたのも、思えば酔ってだった。
けれども、不思議とよっているのに、記憶をなくしたことはない。
忘れたい記憶も、思い出したくない気持ちも、お酒は呼び出すだけ呼び出しておいて、体から出るときにはまるでそれを置き土産のようにおいていく。

いっそのこと、あの子に会いたい気持ちも、声を聞きたくなる衝動も、泣きたくなるくらい苦しかった記憶も、そして、できることなら、君といて楽しかった記憶も、みんなみんな持っていってくれたらいいのに.










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帰ることのない人と、伝わることのない思い - 2002年03月13日(水)

もうすぐ、専門学校も終わりです。
長かったような、短かったような。
仲良くなった人たちもいたけれど、おそらくこの講座が終わってから会う人というのはほとんどいなくなるのでしょう。

仲良くなった一人の女の子は、ある保険会社の受付をしています。
ある日、一人のお客さんが自殺をしたのだそうです。
その人は前日に彼女が応対をしたお客さん。
何があったのか、そのお客さんが彼女のところにきたときにはすでに死ぬ覚悟をしていたのか、今となってはもうそれはわからないけれど。

「死ぬのがわかってて契約しに来るねんで、どんな気持ちなんやろ」
ショックを受けた彼女がいった言葉です。
その言葉が、私から離れません。

今いる自分が、明日にはもういない。
明日の自分は今日の自分を思うことはできないのだということです。

死ぬことを、勇気のあることだとか、それしか方法はなかったのだとか、いうことはできるのだけれど。
それでも、違う方法がなかったのかと悔やむのは、残された人たち。

いつも、どんなときも、私は君が好きだったのだと、伝えられなかった後悔と、これから一緒にいるはずだった時間を思う。

思っても、帰ることのない人と、伝わることのない思いだけが残されたまま。









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何もなく過ぎていく日 - 2002年03月12日(火)

最近は,気がつくと一日が終わっていく気がします.
仕事に集中しているからかもしれません.

今日は特に変化もなく,日曜日のインタビューのテープ起こしをしていました.なかなかたいへんです.
面白い話はたくさん聞けたのだけれど,さて,どこから手をつけようか,というのが正直なところです.

まだまだ考えなくてはいけないことがたくさんあります.
やらなきゃいけないことがあるのに,そういうときに限って予定が入っています.一週ずれていたらなあ・・・.

何もなく過ぎていく日が,今は必要な気がします.
それはこれから先,多分何もなく過ぎていく日を懐かしむような気がするから.
大丈夫.何もなく過ぎていく日がこなくなっても,
私は変わらない.


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たくさんの「ありがとう」 - 2002年03月11日(月)

東京最後の日です.
そして,私が今の雑誌でする最後の取材の日でもありました.

取材は昼からで,ホテルをチェックアウトしてからは,駅の近くのファーストフード店で時間をつぶしていました.
天気は快晴で,空は真っ青で,店の窓から見える大学の校舎はきれいで,そんな風景を見えいるうちに,気持ちは転機とは逆に沈んでいきました.「東京」へのコンプレックスのおかげでしょう.そして,それが原因で何人かの友達に愚痴めいたメールを送ってしまいました.

昼からの取材は,施設取材です.
急遽,お願いしたにも関わらず,快く,引き受けてくれたところです.
そして,取材は,最後を飾るにふさわしく,とても素敵な人たちに会うことができました.
婦長さんも,先生も,皆明るくて,行動がすばやくて,そして,すごくプロ意識のある人たちで.
本当に,本当に,この施設が最後でよかったな,と感動しました.
そして,私もこういう人になれればいいな,と,そう思えた人たちでした.

本当に,本当に,この施設でよかった.
最後に,こんな素敵な施設にこれて,本当に,よかった.

夜,部屋に帰ってからは,珍しい人から電話がありました.
かけてきた理由がはっきりわからなくて,それでも楽しくてしばらく話していました.
4月から,彼は東京に行きます.
「毎週帰ってくるわ」
などと,まるで2年前のあの子のようなことを言っていました(笑).

電話を切ってから,ふと気づきました.
昼間,彼にメールを送っていたことを.
少し,落ち込んでいたメールだったので,きっと彼はそれを心配して電話をかけてきてくれたのだということを.
言葉では,冷たくても,そういうところがとても優しい.
本当に,いい人です.しょっちゅうしょっちゅうあっていたわけではないけれど.
それでも,私にとっては会うと元気の出る人でした.
とても優しくて,恥ずかしがりやだから,それを態度では決して出しません.

ありがとう.

私は,いろいろな人に支えられています.
ブルーになっても,悲しくなっても,「大丈夫?」と声をかけてくれる人が,私にはいたのだということを,ついつい忘れてしまいがちですが.

「東京に行ってもがんばってね」
という私に,
「おまえもがんばれよ」
なんて,おおよそ,彼からそんな優しい言葉,いまだかつて聞いたこともないのに(笑).

ありがとう.
本当に.

私の最後の取材の日は,たくさんの「ありがとう」で終わりました.









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そんなふうに過ぎていきます - 2002年03月10日(日)

今日は,昼からある戦場ジャーナリストの方とお会いしました.
ずっと知っていた方ですが,お会いするのは今回が初めて.とても,緊張しました.

不思議な,人でした.
一見すると,とても戦場に行って軍(たいてい政府軍と対立していたりするほうの側についている)に同行しているようには見えません.
物腰は柔らかだし,話し方も,穏やか.
それでも,いろいろなことを聞けました.私のほうに,受け止めるだけの知識とキャパがなくて,それが残念でなりません.せめて,もう少し対等に話をできるくらいの知識は備ええおくべきでした.

今までで一番難しかったインタビューです.相手の方にずいぶん助けられました.本当に,ありがとうございました.

東京最後の夜は,そんなふうに過ぎていきます.
寂しいのは,街中にいるとき.
大勢の人が自分の周りにいても,誰も自分を知らない.他の地域ではそんなこと思いもしないのに,東京では,それが,悲しくて,そして,寂しい.

どこかですれ違っているかもしれない.どこかでニアミスをしているかもしれない(実際はそんなことあるはずないのですが)そんな思いをずっともちつづけるのは,本当にしんどいです.

早く,あの部屋に戻りたい.









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探す人は - 2002年03月09日(土)

夕方まである学会の取材をし,夕方からは久々に合う大学時代の友人とご飯を食べに行きました.

彼女と大学時代,特別仲がよかったわけではありません.
多分,話すのは卒業後のほうが多いくらい(笑).でも,なぜか彼女とは考え方がよく合います.
いい面も,悪い面も(笑).

東京は,やっぱり苦手です.
どこかでいつも,探しています.
友人とカフェでお茶をしていたとき,一人で入ってきた男性を見て,息が止まるかと思いました.
あの子にそっくりなんです.
私が,好きだったころの,あの子.
驚くくらい.その人が,タバコを吸い始めて違うと気づいたくらいです.

いろいろなことで,疲れました.
会う筈も,ないのに.


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あの子が知っていたころの,私 - 2002年03月08日(金)

おそらく,仕事がない日もこれが最後です.
今週末が過ぎれば,記事を書かなければならない日が続くからです.
明日からは,東京です.

東京は,いまだに苦手です.
あの子のこともあるし,他にも.
それでも,どこかであこがれている面もあるのでしょう.

で,明日からの取材に備えて,靴を買いに行きました.
取材用の靴.
ずっと前からほしかったメーカーのものです.こういう理由でもないと,なかなか買えません(笑).
また黒ですが.黒い靴と茶色しか,私の靴箱にはありません.夏に向けて,の靴なら,他にもあるんですけれど.

さあ,明日からは新しい時計と,新しい靴でがんばりましょう.
もう,あの子が知っていたころの私ではありません.


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時計を買いました. - 2002年03月07日(木)

午前中,休みました.
起きたら9時前だったので・・・笑.
いつの間にか,目覚し時計を止めてしまっていたようです.これだから一人暮らしは,怖い・・・.

ということで,半日だけ働いて,早めに帰ってきました.
しかし,まっすぐには帰りません.
時計を買いにいきました.
いえ・・・目覚し時計ではありません.腕時計です.
ずっと使っていた腕時計は,成人式のお祝いにもらったもので,その時計の電池が切れたのが,去年のこと,それから約4ヶ月,腕時計なしで過ごしてきましたが,今週末の学会にさすがに時計がないとまずいかもしれない,ということで,急遽会に行きました.
いろいろ店を回りましたが,結局時計専門店で見た,クロアの自動巻きの時計に決めました.
自動巻き,というところにちょっと迷ったのですが,一つくらい,そういうものを持っていてもいいかな,という好奇心と,それ以上に心惹かれるものがなかったから.

帰ってきて,ゆっくりとその時計を眺めてみました.
黒い文字盤にシルバーの針.ロイヤル・りリーのこれまたシルバーのワンポイントがついています.
本来はメンズですが,それほど大きくもなく,かといって,華奢でもなく.ハードすぎもせず,遊びすぎもせず.オンにも,オフにも使える時計です.

この時計は,これからどれだけの時間を私と過ごすのでしょうか.
できれば,この時計が刻むのは,私にとって幸せな時間でありますように.












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インタビュー - 2002年03月06日(水)

かつてこれほど,仕事がない日があっただろうか,というくらい,仕事のない日でした.
ああ,たいへんだった.

夜は,専門学校です.
今日はDTPの話.私ですら,現場でそういえばきいたことある,というような専門用語がバンバン出てくるんですから,おそらく他の人たちにはちんぷんかんぷんだったでしょう.皆,終わると疲れてていましたから(笑).

その後は,案の定飲み会.
今の時期,話すことはもう卒業課題です.
結構進んだ人も,まだ何も決まってない人もいて,結構差が激しいようです.
私は,今週末がインタビューです.前後に東京での仕事を入れて,仕事にかこつけて,自分の中でのメインはインタビューだったりします(笑).

食事の席で,ある子と話をしていました.
見た目は学生のようなんですが,話すとしっかりしている.私と同じ年の生まれだけれど,学年はひとつ上です.
彼も,いろいろなことをしてきた人です.
そして,多分私よりもいろいろなことを知っている.
話していても,やっぱり,楽しい.

他にもいろんなキャラの人がいます.
もうすぐ,この講座も終わりです.






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離れていく人 - 2002年03月05日(火)

今日は迷っていた飲み会に行ってきました.
本当は他の用事もあったのだけれど.

学生のときと,社貴人になってからは飲み方が変わるものだと,最近思います.
それは,一緒に飲む相手にもよるのでしょうが.
学生のときからの知り合いとは,当時とあまり変わりません.
最近は,少し落ち着いた,多分学生のときなら敷居が高くて入ることもできなかった店に行くようになりました.ほとんど連れて行ってもらうのですが(笑).

社会人になって,お酒の飲み方というのを教えてくれた人がいました.
その人とは,私が一人暮らしを始めた後くらいからは飲みに行くことはほとんどなくなりましたが.
いろいろなことを,教えてくれた人でした.
いろいろな経験をしていて,何でも知っていそうなのに,いつも,迷っているような.そんな人でした.私にとっては.
そして,いつも楽しそうにお酒を飲んでいました.飲むと,眠ってしまうのですが(笑).
それでも,彼女と飲みに行くのは私にとっては今の会社の楽しみのひとつだった気がします.今はもう,ほとんどありませんが.

彼女がいなくなるまでにあと何回のみにいくことがあるのかはわかりません.
ひょっとすると,もうないかもしれません.

でもきっと,私は彼女を忘れないでしょう.
お酒を飲むたびに,思い出すと思います.彼女に教えられたいろんなことを.

私が一緒にお酒を飲みたいと思う人はいつも,私に何かを教えてくれる人で,
そして
私から離れていく人です.







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君の左側 - 2002年03月04日(月)

何か,ふわふわとした間隔をずっとさまよっている気がします.
それはきっと,テレビの中に,君によく似た面影を見たからかもしれません.
もうすっかり,忘れていると思っていた,顔.

どれだけ,時間がたっても忘れることはないということなんでしょう.
いつも私は君の左側に座っていました.
恥ずかしくて,君の顔を正面から見れない時期もありました.
左側から見るk身の顔を,私はきっと忘れないでしょう.

君の左側には今は誰がいるんでしょうか.

次に会うことがあれば,私はまた君の左側に座るんでしょうか




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