奈良県高校受験見聞録 - 2013年03月18日(月) いや〜娘1号さん高校受験終了しました。この日記書き始めたころは5歳だったあの人も15歳で基礎教育(注1)修了ですよ。 で、まあなんというか公立学校の「高校受験」は全国で行われている営みなわけですが、県によって全然違うな〜、これは私が東京で受けた受験とは違う受験ぞ。というのが私の娘の戦いを間近で見させてもらっての感想です。 これが奈良県全県一区でおこなわれる高校受験の競争倍率なわけですが、大変倍率が低いです。京大にばかすか卒業生を送っている奈良高でも1.15倍。そんで中学校の大変きっちりしたデータ野球ならぬデータ進路指導の下、あなたの成績だと去年だったらこの辺の高校に行ってます、という目安が示され、みんな無理をしないでそのデータに従って、あるいはそのデータよりさらに安全圏に志望校を設定するので、受験生が偏らず、どのレベルの高校もみんな堅調な倍率でまとまるわけです。 ちなみに私の故郷、東京だと人気校は現在でも2倍超える倍率でしょうし、私の時代は3倍くらい行っちゃってましたから、10人で合格発表行っても3人くらいしか合格しないから、都立に落ちちゃった私も「まあ宝くじ当たらなかったわ、さ、私立行きましょ」って感じであっさり引き下がってました。 しかし奈良!15人で受けに行って2人しか落ちない。受かりやすいけど落ちた人はレアなため、それはそれで異なる大変さがあるかもしれません。今回1号さんは幸運にも落ちなかった13人側には入れましたが、仲良しの何人かは落ちた側に入った子もいました。笑う子がいれば泣く子もいるのが受験なわけですが、泣いて笑ったその先の未来がみんなにとってそれぞれに素晴らしい道でありますように。 そして、1号の中学校の友達の進路の多様性にも非常に感銘を受けました。これは子どもが首都圏の中学校や私立に行ってたら見えなかった社会の姿だな,とも思いました。 まあ今回は進路選択という作業を1号さんは中学の担任の先生と二人三脚でかなり主体的になさり、勉強も図書館通って進研ゼミの問題集といてやってました。親たる私らはあんまり役にも立たず、脇から眺めてたわけですが、なかなか本人的に「人生を考える」「勉強に取り組む」という作業に主体的に取り組めたレアな機会だったと思います。次は3年後なわけですが、まあまたまったりと乗り越えて行ってくれればと思います。 (娘の入った高校名は本人の了解も得ていませんし、一応非公開で行こうと思います。) 注1)基礎教育とは人々が生きるために必要な知識・技能を獲得するための教育活動のことで、具体的には前期中等教育までと成人への識字教育を指します。 ... むかし・あけぼの - 2013年03月09日(土) さて板友様の間で話題だった「むかしあけぼの(小説枕草子)」(田辺聖子著・角川文庫)読了。 枕草子が執筆されたころの清少納言の毎日はこうだったんでないの、ということが田辺節で語られています。 枕草子って中宮定子とその父道隆ファミリーの没落後にかかれたんだな〜。結構道長全盛の世にこれを書くってのは、骨のあることなんでないの?そりゃ、ものの「おかし」を書きとどめた文学であって政治的なことは書かれていないだろうけど、中宮定子時代の後宮のたのしさ、素晴らしさをたたえたわけでわりと「書物の意味」はいろいろに読み取れそうだ。 「むかし、あけぼの」でも紫式部による枕草子批判や、男たちが清少納言のことを「男を男とも思わず、傲慢にふるまった」とそしる場面がたびたび出てくるけど、こういうミゾジニーっぽい視線を投げつけられるってのは、女一般でなくて、「反体制の女」がされやすいんだな〜と思った(そりゃあ、体制側の女もひょいっと足元をすくわれるだろうけどさ)。 また中宮定子への一条帝への愛が風の中に消えて行ってしまわず、歴史にその存在をとどめたのって清少納言の「文学力」のおかげさまもあるんだろうな、とも思った。 「むかし、あけぼの」と同じ中宮定子のサロンの栄光と衰亡、そして一条帝と中宮定子の愛と別れを描いた小説には円地文子の「なまみこ物語」もある。ちなみにあっちには清少納言は出てこない。そのかわり道長がすごく怖い。一条帝の中宮定子への愛そのものを破壊しようとするお話なわけだけど、こういう道長だったら清少納言の晩年はもっと大変だったかもしれない。田辺節の清少納言の老後はなかなか素敵だと私は思った。 というわけで遅ればせながら、正月読書の感想を(いつの話だ!)風に紛れてしまわないうちに書いておこうと思った。 ...
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