西方見聞録...マルコ

 

 

亀の日:黄金日記1 - 2011年04月29日(金)

 
君があんまりかわいいから、4月29日はゼニガメ記念日。 
 





 はい、つうわけで、ゴールデンウィークですね。

 姉娘は部活の春季大会地区予選があるとかで、朝の6時に弁当もって出かけていきましたよ。

 そんで2度寝もさめ、朝ごはんも食べ、暇な妹娘おKさんに、「どうすべ、今日は?」と相談したところ「亀を飼いたい」というシュールな返答をいただき、(うそ、まえからおKさんはペット熱に浮かされており、犬が第一希望だったけど、うちは毛の生えた生き物は飼えない家なので、亀に妥協してもらってたのだ)自転車でAPITA(品切れ),コーナン(筒井駅前・いました!)とまわってようやっと入手しました。

 「のんた」という名前がつきました。うちの三女です。うふ。(三女と言うほどは感情移入が難しいですね。爬虫類ですし、実は性別がわからないですね、ゼニガメの子ども)

 まあとにかく我が家ではこれから4月29日は昭和の日ではなく「カメの日」と呼ぶことにします。はい。


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10年に1度の聖霊会 当日編 - 2011年04月22日(金)

 さて、10年に1度の大祭、聖霊会(しょうりょうえ)当日の模様を実況したいと思います。

 ちなみに後で知ったのですが前夜4月21日も夕方6時から「蜂起の儀」という行事があった模様!聖霊会の翌日郵送されてきた法隆寺機関紙「聖徳」に載ってました!
 くう!知ってれば前夜も行ったのに!10年後は前夜祭(蜂起の儀)から必ず行くぞ!待ってろ、10年後の法隆寺!!(でもなんで「蜂起の儀」なのかな?このへんの謂れが知りたいものです。)

 で、この日は京都の某板友えぐちゃん(全然某でなくてごめん)が朝早くはるばる京都から来てくれました〜。そんであめでおさんと楽しく3人で聖霊会見物♪と思ってたんですが、なんと前夜から1号さんがインフルエンザ発症ですよ。で、あめでおさんと交代で聖霊会見物することになったので、私は9時前から10時半まで聖霊会を参加することになりました。

 一応全体の式次第を書いとくと
1)大衆出仕
2)庭上一曲(鳥向楽)
3)開会の辞
4)総礼
5)講読登高座
6)大衆着座
7)振鉾
8)舞楽一曲(迦陵頻)
9)唄・散華
10)梵音
11)錫杖
12)神分・表白
13)舞楽一曲(蘇莫者)
14)慶讃文
15)経釈
16)読経(心経・観音経世尊偈)
17)焼香
18)購読下高座
19)総礼
20)還列
(法隆寺刊 聖徳 第208号pp8〜9.参照)

ということでした。大衆出仕で行列が会場までやってくるのに大体9時から10時までかかったので、私は7)の振鉾までしか見ることができませんでした。で、あとのレポートをえぐちゃんに任せて帰宅してしまいました。

くうう!レポートの完成は待て!10年後!!何しているのか53歳の私よ!




 で、まあ写真解説。大衆出仕の先頭の皆さん。あめでおさんのPTA役員友の夫さんがこの大衆の中に参加しているらしいです。



 お子ちゃんたちもいます。彼らは町内の小中学生なのか?この日、中学は開校記念日、しかし小学校は授業参観。ここにいて大丈夫か小学生?



 お面軍団登場。



 いつもご苦労様です。南都楽所の皆さま。




 ひそかに仏様もいます。



 輿を担ぐのは八部衆?阿修羅も肉体労働してました。




 僧兵もいます。高校生でしょうか。若かったです。




 プレスもカメラマニアも狂乱してます。
 



 もうあなた方は?って感じです。




 いよいよご一行様境内に入ってきます。中門が開け放たれ、そこから入ってきます。



 読経部隊も定位置につきます。



 2)の庭上一曲ですね。
 でこのあと、3)開会の辞、4)総礼があり、東北大震災への黙祷なんかがありました。



 5)の購読登高座ですね。講師は管主様の大野玄妙様、読師はご住職の康文様だそうです。康文様苗字知りません今度チェックしときます。  



 テントの下には南都楽所の皆さまがスタンバって本日は吹いて吹いて吹きまくる覚悟です。



 そしていよいよ7)振鉾が始まったところでタイムアウト!!
 く〜!!それでは皆さんまた10年後!!
 えぐちゃん、このあとどうなったのか、良かったら教えて!

 というわけで、まだまだ子どもの病気で予定の読めない日々のなかにあった2011年現在の43歳の私なのでした。




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10年に1度の聖霊会 前夜編 - 2011年04月21日(木)

 さて!聖徳太子をお祭りする法隆寺では毎年聖徳太子のお年忌を「お会式」と呼んでやってます。そんで10年に1度聖霊会(しょうりょうえ)という名前で「大祭」を行います。んで今年は10年に1度の大祭の年でした。ちなみに今回は1390年祭だそうで次回は1400年祭らしいです。

 で、ことしは3月にいつもどおりのお会式をやった後、4月22日に聖霊会が執り行われることになっております。

 お忘れかもしれませんが当ページは斑鳩のなぞと法隆寺の年中行事を探るというのが開設当初の目的でしたので(ずいぶんずれてるな)、大変目的に沿ったテーマですので前夜編と、当日編と連載でお送りしたいと思います。

 ちなみに8年前の日記ではこんなこと書いて、8年後を楽しみにしておりました。

 あ〜この半年も法隆寺の行事通えちゃうほど暇だったんだよな。8年前の私〜!今年の私も平日の法隆寺通えちゃってるよ!




 さて、地元の皆さんにはこのような高札が掲げられ、割と早いうちから聖霊会の告知がされていました。また友の会の私どもには招待はがきが郵送にて配られました。



 で、境内のいたるところにこういうポールが立ちます。



 ポールの先は龍の首がついています。




 で、前日4月21日に法隆寺行ってみると(1号さんの中学校の授業参観&クラス懇談会だったので通りかかったのですな。PTA役員くじ引きは当たりませんでした!)こんな感じでのぼりというか、旗というかがついていました。朝ここを通りかかった1号さんによるとほら貝みたいな音が聞こえて何事か行われてた様子です。




 東西の参道もこんな感じになってました。
 さあ、明日は何が行われるのか〜
 10年に1度ですよ。皆さま、次は53歳、ぜひ見ましょう皆様>聖霊会






 関係ないけどわが町の町議会選挙のポスター
 これが町の中学生の間で話題のポスター。26歳「やらせてください!」の文言に「なにをじゃ〜」と中学生は盛り上がってるんですが、町議会選挙ポスターですから、やっぱり町議会議員を、やらせてください、ではないでしょうか、、ドコに回路がつながってるのか、きみたち。


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密林すごいな〜 - 2011年04月18日(月)

コレとかコレも。

息が長く誰でも参加できる支援の仕組みつくりが上手なかんじ。




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ひとつじゃない-いろいろなグラディエーションの上で場所を選んで立てるといい- - 2011年04月17日(日)

 さて、震災以降、ACのコマーシャルの「ひとつになろう」とか「日本は強い国」とかのスローガンから垂れ流される震災ナショナリズムや政府の中高生向けメッセージとかに見えちゃうPeople in Japan=JAPANESEな感覚にちょっと苦しいものを感じている。

 (ちなみに私は今いたずらに政府批判をして震災以降の状況を政争の道具にすることには少し疑問を持っている。だからこれから書くこともいたずらな政府批判ではなく、パフォーマンスの向上を目指した提言という視点で書きたいと思っている)

 で、中高生向けのメッセージなのだが、わたしはこのメッセージの存在を某県の教育委員会に委託を受けた少数言語翻訳者の方から教えてもらった。その方は某県に多数存在している某国からの子ども達の言語サポートをしている。で、このメッセージを某国語に訳し、外国由来の子ども達、そして日本を終の棲家に選んだその子たちの父母に届けるにはかなり痛い、と彼女は感じている。私も同感だ。

 日本に住む人は日本人だけじゃない。外国にいるのは外国人だけじゃない。両者はぱっきり分かれているのではなく、すごく複雑なグラディエーションを描きながら、時と場合によっていろいろな立ち位置をそれぞれが選択して、そこに立つ、ことが許されているはずだ。

 
 ひとつになろう、というメッセージにあるその単色な感じを受け取ると、反射的に「いやいろいろでいいと思います。」と腰が引ける。

 なんとなく日本人か外国人か、きっぱりくっきり分かれた世界観を前提に二者択一を迫られる感じは震災において、支援者と被支援者をわける感じと似ている。


 例えば岩手でど真ん中で被災しながら、炊き出しに奔走する人は被災者であり支援者だ。東京からボランティアに参加して、被災地を支援しながら、キャパシティビルディングや自己効力感を受け取る学生は支援者であり、同時により大きな輪の中では支援される存在だ。例えば原発から遠く離れているのに福島県の産物であるというだけで出荷が難しくなっている会津の農家は支援者として活躍するつもりでいたのに、風評被害によって被災者の側に位置づけられようとしている。長いスパンで言えば、阪神大震災で震災孤児になった青年は長く被災者だったが「大丈夫、生きていればよいことがある」という彼のメッセージが今東北で震災孤児となった子ども達に大きな支援となっている。

 支援者と被支援者の2極の間には意外と多くの人が存在し、その立場が何ものかによって1本の線のこちら側かあちら側かに振り分けられる。しかし、できるだけ多くの人が多様なグラディエーションの上で自分が何ものかを選べるようにすることで、それぞれの潜在能力を発揮し、それぞれの持てる力を与える側に回れることが望ましいのではないか。被支援者が支援者に変容する「触媒」の必要性を強く感じている。

 被災地の産品を購入するという活動は被災地の生産者を被支援者側から支援者側に回すひとつの道とも言える。

 同じようにPeople in Japan を日本人(JAPANESE)と超訳して、ともに手を携える仲間を限定するメッセージは潜在的な力を持つ層を薄くする。すでに多くの多様な人が復興に参加していることを認識し(例えば、東北の朝鮮学校が周辺の地域社会に、焼肉の炊き出しを行い、阪神大震災のときはベトナム語など多言語地域FM放送の実現に神戸の民団が大きな支援を行った)、多様な人々ともに成し遂げる復興を通じ、だれにとっても住みよい社会づくりへとつなげていく、今はとても大切な時期なのではないだろうか。


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今年の父の日母の日はコレでいこう〜 - 2011年04月15日(金)

 毎年、どうしよっかな〜と悩む父の日母の日プレゼントですが、ことしは
これ!で行こうと思います。

 わたしは福島(市内)ルーツの人なのです。とはいっても曽祖父が明治時代に上京し(途中、曽祖父が旧制会津中学に校長として赴任したり、中学生だった父の一家が東京大空襲で被災した後に福島市内に疎開たことはありますが)、付き合いのある血縁はすでにない状態です。しかし、私自身が学生時代、会津と裏磐梯で長期間住み込んでフィールドワークさせていただいて卒論と修論を書かせていただいたおかげさまで結縁リニューアルってかんじで現在もお付き合いさせてもらってる方が何人かいらっしゃいます。

 そんで一番付き合いが濃かった、大学の先輩で、福島県で高校教師してるMちゃん(会津でフィールドしてたとき、フィールドでつらいことがあって、やんなっちゃうと新任高校教師だったMちゃんのアパートによく転がり込んでました。あのときはごめん)と連絡を取り、「なんかわたしにできることはないかね?」と御用聞きをしたところ、

<今は「募金」より「有名人の応援」より「福島産かってくなんしょー」です。>

 というお返事でした。そうだ!支援なんて水臭いこといってねえで、公正な商取引すべ!福島ものはええぞ!ということで福島購買系のサイトを探したところが上記サイトを発見。

 私のお勧めは民宿えんどうの花嫁ささげ。なぜならココの民宿えんどうのおやじさんが私の修論に「家番号15番の世帯主」ということでものすごいよく登場するインフォーマントだから!(いや、モノもすごくおいしいです。昔、食べました)

 そんで実家の親父が柿が好物だからこれとか?

 いやいや1個1個の単価が低いからいっぱい選べるな。とにかく行ったことのある町村も、通り過ぎただけの町村もどこも過疎に悩んではいたけれど緑が滴るように美しく、青々とした水田を渡る風の心地よさは最高だったし、きっとそれはこれからも変わらないことを信じ、祈りながら購入いたします。で、折に触れ、購入し続けます。

 そのほかこういうのも(盛岡)こういうのも(茨城)あるようです。他にもいい情報があったら教えてね。

 


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攻めの家事 - 2011年04月06日(水)

 さて、暇ができた。博論も終わってるので何かに追われていない暇時間。

 幸せである〜。

 もちろん執筆関係の宿題はいろいろ抱えてるんではあるが、でも急き立てられ、攻め立てられているわけではない。自分論文を執筆する時間を十分にとることができなかったこれまでの1年と比べれば、日中に自分の論文を書く時間が取れるなんてパラダイスだ(今までは早朝3時から6時を時間を自分研究時間に当ててたんだが、これも職場仕事に侵食されることもしばしばだった)。あとやっぱり博論抱えてるときは、何してても心はどっかで博論プレッシャーを抱えてた。

 で、仕事に追われる毎日からも、博論プレッシャーからも開放されて、幸せなので家事なんかしてみる。すごい久しぶりで台所がきれいだ〜。洗面所もトイレも磨いてみる。いままでは「こんなことしてる場合じゃないわ!D論書かなきゃ!」ってかんじで最低限というか生活が維持できるだけの「守りの家事」をしてたんだな〜。

 今年は必要以上に家事しちゃう「攻めの家事(&育児)」も目指してみよう〜。

 とりあえず、おKさんとツクシ摘みに行って、ツクシのはかま取り作業して、今夜はツクシの佃煮なのだ。

 狩猟採集活動ってのは攻めてる感じするね〜。





 あ、でもツクシ摘みは博論抱えてようが、なんだろうが毎年やってたな。なんだ結構攻めてたじゃん>自分。


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冒険世界 - 2011年04月05日(火)

 さて、おKさんの春休みがあとわずかである。いつもは東京の実家に送り込んで、祖父母に遊んでもらうのだが、今回そういう算段をすることができないほど母マルコが疲弊していたので4月の初めはマルコ&おKさんは奈良でまったりすごした。

 で、おKさんの春休みの思い出つくりと、マルコの退職で(去年より)暇ができたお祝いをかねて、二人で早起きして日帰りでココに行くことにした。

 


 日本最大のパンダの生息地アドベンチャーワールドだ!

 現在、ココには7匹のパンダがいる!最初に2匹中国からもらって、11匹殖えて(合計13匹)、増えた11匹のうち4匹中国に返して、最初にもらった2匹は寿命で死んで、そんで現在7匹。計算あってる?くわしくはココ

 群れ群れといるパンダ、、すごい〜。(ちなみに上海雑技団のパンダはラッパ吹いて自転車運転してるけどさ!)




 動物エリアも充実。サイにこんなに大接近なんてアフリカのケニアでも不可能でしたよ。ウォーキングサファリがお勧めです。あと鉄道で行くケニア号もお勧め(両方追加料金なし)。




 動物ふれあい広場では「マーラー」という南米のげっ歯類とかと戯れることができる。このほかおKさんはキツネザル抱っこコーナーとかも体験。触れ合える動物が一ひねり効いてますね。

 行きも帰りも「オーシャンアロー」とか「くろしお」とかいう特急でいったんだけど、車窓から見える海が泣けるほど青く美しかった。海はこんなに美しいのに、この海とつながった場所で起こった数々の悲劇に思いをはせる。

 途中「この海岸はアカウミガメの繁殖地として有名です」なんていう車掌さんのアナウンスが入る。この美しい海の、その中で暮らす生命もまた健全なまま、わたしたちはおKさんの世代にこの海を託すことができるのだろうか。 


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3月32日、瞑目するなかれ、といわれる - 2011年04月01日(金)

 この日、(ホントは前日契約終了なんだけど仕事が終わらなくて1日残業し、)1年間契約の仕事を終え、宮廷を辞す。まあポカもあったけど、それなりに渾身の1年でわが青春に悔いなしってかんじでござんす。

 駅への道鴨川の向こうの夕焼け空がとてもきれいだった。いつも必死で駅と職場だけ往復してたけど、この町がこんなにきれいだったとは知らなかった。

 この日の数日前に某公立大学で、研究員ポジションを拝命。辛くも「主婦」の肩書きで論文書いちゃうというとんがった事態は避ける。肩書き、主婦にもちょっとかっこよさを感じてはいたけど、かっこいいのは根性がいるのだ。

 あと某様からちょっと不思議な場所でのボランティア教員の打診をもらったので、研究員時々ボランティア、忘れたころに2児の母、という肩書きで今年度はやっていこうとおもう。よろぴく〜。
  


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