西方見聞録...マルコ

 

 

8月31日 - 2007年08月31日(金)

 全国のお母さんが小学生だったり中学生だったり時には高校生だったりするお子さんを怒ってなだめてすかして宿題をさせる8月31日です。

 mixiのほうの日記、結構たくさんの母友が怒髪天を突いています。

 その様子を読みながらワタクシ、マルコはなぜか「ごめんなさい」とつぶやいてしまうのです。毎年8月31日は秋の学会の抄録原稿の締切日なんですが、3年連続ホントにぎりぎりまでできません。データがしっかりある年はある年なりに、ない年はない年なりにほんとに出来ないんですわ。なんか病気の一種なのかな、この泥縄依存症(注)は。

 1日でも早くあげて子どもを保育所だの学童保育所だの休ませてポルトヨーロッパにでも連れ出してやりたい、と思いつつ全然駄目なんですわ。絶対締め切り寸前まで終わらなくて、今回なんて午前0時回っちゃいましたわ。

 昨年締切日を1週間誤解して、早めに締め切り設定してて、その前に書けたこともあったけど、締め切りまでまだ時間が有ると知ったその日からその時間ぎりぎり使ってドラフト練り直しちゃうしさ。

 そういうわけで、1号さんやおKさんが宿題ぎりぎりになっても母は怒らんぞ。一緒に涙目になって母は母の仕事で徹夜するので、徹夜の友くらいはしてやるぞ。え?うれしくない?そだよね〜。



(注)泥縄依存症とは、締め切りをクリアしたときの開放感が病みつきになってしまってより大きな開放感を求めて仕事の難易度を上げてしまう病気。
マルコが発見して命名。



 


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葛城山下山 - 2007年08月26日(日)

 奈良盆地を西側からのぞむ葛城山といえば、役の行者、小角のホームグラウンドっつうか、修験道を開いた場所ですね。

 そんで夏休み最後の日曜日ちょっくら葛城山でも登るべえ、と家族打ち揃って桜井線とか和歌山線に乗り継いで御所市にいきました。

 途中で御所市の御親戚をたずねるノロさんと娘さんのMちゃんに会いました。なるほど行者の縁者だったのか(違

 で、まあ暑いですからね、近鉄御所駅まで歩いて丁度いい時間のバスがないのでタクシー様で葛城山ロープウェーの駅まで運んでもらいました。そんでロープウェーに乗りました。安易です。


 
 そんでロープウェーでしゅるしゅるしゅるっと標高1000メートルの山頂付近まで上ります。ロープウェー駅を降りると気温は確実に6度ほど下がってるらしくひんやり秋です。高原です。



 眼下には奈良盆地一望です。ロープウェーの山上駅から山頂までは徒歩15分です。山頂に至るまでの道は結構家族連れや熟年カップルで楽しい雰囲気でした。




 はい山頂。山頂に行く途中にある白樺食堂で持ってきたおにぎりを食べました。山頂の向こう側には大阪湾もはるか神戸の六甲山地も見渡せます。

 

 
 じゃあ、降りましょう。って来てまだ30分も経ってないので、それはつまらんだろう、と山頂のすぐ下にある国民宿舎「葛城山高原ロッジ」を偵察しました。コレは泊りがけで来たら夜景とかすごいことになってそうです。葛城山に夜景を見るツアー、ぜひ開催したいもんです。ススキのシーズンがいいかな?

 そんで少しハイキングしようよってことになって自然探索路と野鳥の楽園に行きました。こうロープウェー駅ー山頂とかのメインストリートを外れると一気に人が居なくなります。広い山は私たち家族のためにあるの〜ってかんじ。このへんのレジャー地のゴージャス感は人でごった返してる高尾山や筑波山では味わえません。



 
 で、2時のロープウェーで下山しました。駄菓子菓子戦いはここからだったのです!!ロープウェーの登山口駅、むわっと暑いです。でバスが40分後までありません。あめでおさんが言います「じゃ、JR駅まで歩きましょう。くだりですから、あっちゅうまです」

 ちゅうわけで一歩一歩むわっと暑くなる下界に向けて歩き出しました。
 ↓の写真は歩き始めて割りとすぐ、満車じゃないのに満車と言って車をとめてくれない駐車場の図。



 で、歩きました。1時間ほど。暑かったです。子どもはサンダル履きです。40分後出発したバスに追い越されました。

「おとうちゃん、タクシー乗ろうよ〜」
というと
「いやいや夏を満喫しましょ〜」と灼熱の御所市をばんばか歩きました。夏の満喫はアスファルトの照り返し出じゃなくってビーチに寝そべって生ビールのみながらいたしたいものです。

 地名が櫛羅(くじら)とかあって、かっこよかったです。>御所市



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帰省中雑感(1)記憶捏造 - 2007年08月17日(金)

 マルコは大変記憶力がいい人だという自己認識を持っていた。

 そんで実家メンバーは「自分の記憶力はいまいちだ」という自己認識の人々の集まりだった。そんなわけでよく昔の話をするとき実家の人々はマルコに「ほらあれはいつの旅行のときだっけ?」などと事実確認をするのでクリアな頭の持ち主を自認するマルコは「私が小3のときじゃなかったっけ?」とかってこう生き字引って言うか大鏡の大宅世継(おおやけの よつぎ・190歳男)のような気分で適当に自分の記憶に頼ってご託宣を下さってたわけだ。

 駄菓子菓子、私以外はみんな覚えてないことを私が答える、というのはなんていうの検証されない実験結果を延々と学会発表してるみたいなそういう不穏感が付きまとう。

 そんで私の記憶は本当に正しいのか常々検証の必要性を感じていた。

 この前の帰省時に「このまえみんなで泊まった熱海の旅館はなんて名前だっけ?」という話になってマルコは迷わず「碧水亭」と答えた。そしてみんなも「マルコがそういうのならそうなのだろう。だってマルコだもの」と話が終わりそうになったので、まてよ?と思ってマルコは念のために「熱海・旅館・温泉がすごい」などをキーワードにGOOGLE君に聞いてみた。するとなんと旅館名は「水葉亭」だったのだ!

 なんでそんなまことしやかな捏造をしてそれを自分で信じてたのだろう。奈良に帰って、その当時の1号さんの宿題「友達いっぱいノート」に旅館の仲居さんにサインしてもらってたのでそのページを探してみる。するとその仲居さんの名前が「碧さん」で「水葉亭 碧」。と署名してたのだ。

 まあ間違いの出所はなんとなくわかったのだけど、マルコは自信たっぷりに捏造記憶を家族の歴史として皆様に語ってたわけだ。

 記憶に自信のある人、というのに出会ったら疑いましょう。検証しましょう。マルコもこれからは自分の記憶を疑いながら生きていくよ。こういうのって無知の知っていうの?ちがう?


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便秘解消に見る故郷のありかに関する一考察 - 2007年08月15日(水)

 

(お断り)本日は尾篭な話です。お嫌いな方はどうかこのままほかのページにいっちゃってください。




 あれはまだマルコが花も恥らう20代のころ、あめでおさんとの結婚を一本背負いでキメ、当時大阪にお暮らしだったあめでお実家になぜか3泊もかけて挨拶に行き(指輪買ってもらったりとかいろいろしたのだ)あめでお両親とあめでおさんにがっちり脇を固められて、東京に戻ってきて東京の某ホテルでこんにゃく、、じゃなくて婚約会食を(本人+両親)X2をしたことがあった。
 こうやって書いてみると恐ろしくコンサバだな〜

 あめでお両親が出てくるまではすごくラジカルに結婚話が進んでたんですが、結婚話の存在にあっちが気づいたらいきなりコンサバ系に舵が取られたのでした。

 まあとにかく、4日ぶりで東京に戻ってきて品川のビル群が見えてきたときそれまであめでお実家でぜんぜんピクリともしなかったマルコの腸がもこもこと動き出し、わが両親との待ち合わせ場所の実家最寄り駅についたら5日間くらい滞ってた便秘がすっきり解消されたなんてことがあった。

 故郷というのは、人の腸を蠕動させる存在なのだな〜と当時花も恥らう20代だったマルコは片頬にふっと笑みを浮かべさせて思ったものであった。

 さて時は流れ、今やマルコは30代ももう少しで終わり、夏恒例の東京帰省を2泊3日で終えて1号娘はまだもうちょっと老親の元に置き去りにし、甘えん坊で暴れん坊のおKさんだけつれて、西への新幹線に乗った。

 京都駅で別方向から関西に帰ってきたあめでおさんと合流し、みやこ路快速に乗って懐かしい奈良を目指した。なんか今回の帰省はテーマが食い倒れだったこともあり、実家行ってるのに滞在中ずっと腸の動きがいまいちだった。

 奈良駅で大和路快速に乗り換え、右手に薬師寺の塔を見て、さらに大和郡山を超え、青々とした田んぼが視界いっぱいに広がると、腸がもこもこ動き出した。そんで法隆寺駅ですっきりしてしまった。

 あめでおさんに11年前の東京に帰ってすっきりの話とあわせて、法隆寺に帰ってすっきりの話をして「故郷はあそこではなくここにシフトしつつあるのだね〜」としみじみと語ると
「あの時もわしはあんたの隣に座っていましたが、そして今回も思ったのですが、故郷というのは臭いものですな。まあ少々臭くても住めば都になってきたようでよろしかったですな」

と微妙に寿がれました。


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燈花会2007 - 2007年08月09日(木)

 暑いです。酷暑です。


そんな鹿も水に飛び込む酷暑の1日、私ども1家は奈良公園に参りました〜。



 そんで太陽が南中する12時に奈良公園内の旧万葉植物園、現神苑の前にある春日荷茶屋にて東京から御出馬されたマルコ実母エルザさんとその夫(マルコ実父)と待ち合わせでございます。そんでここでそうめん食べました。春日荷茶屋の中庭にはなんと竹製の流しそうめん機材がセットされてました。いや、マルコたちは流れてるんじゃない普通のお椀にわだかまってるそうめん食ったんですが。




 そんでそうめん食って、神苑でがっついてる鯉にえさをやった後、春日大社に行きました。なんか行事やってました。何か始まりそうでしたが待ってても始まらなかったので次へ。




 今日は2月堂で「およく」という行事があって1回参れば4万6000回分参ったのと同じ功徳が積めるそうで、げっぷの出るほど功徳を積みました。そんでそんな晴れの日なので福引なんかをお寺がやってました。1等はDVD機材ですわよ奥様!で娘1号とおKさんがそれぞれ500円の寄進をして福引券もらってトライ!1号サンはバンソコ、おKさんは花火をGetしてはりました。



いつもの無料休憩所ではなんかみたらし団子とかいろいろ売られてました。慎ましやかに祭です。

 そんで2月堂から裏参道とおって東大寺大仏殿エリアまで戻り本日宿泊予定地奈良公園内の江戸三に行ってお風呂とご飯を食べました。

 なんか今日の春日大社ー2月堂コース、いつも、1号サンの喘息定期健診後に子どもと一緒に散歩するコースなんですが喜寿の老人には結構きついということが判明しました。すんません若者(っつうか中年?)基準でコース設定して。
 そんで江戸三、いつも奈良公園散歩中なんかかやぶき屋根の家があるな〜と思ってたんですが中はすごい近代的でした。クーラーがガッツリ効いてテレビは薄型液晶テレビでした〜。そんで夕食は激ウマでございました。




 そんで本日のメインイベント燈火会に参上します。燈火はポスターには「燈花会」とかかれていました。へえそうなんだ〜。 で私たちはいっぱい燈花会やってるエリアがあるんですが、その中の「浅茅が原会場」と
 

「浮見堂会場」に行きました。浮見堂のある鷺池では何台ものちょうちんをつけたボートが行きかっていて、ゆらゆらゆれて動くちょうちんが大変幻想的でした。




 そんで朝目覚めるとそこは鹿の巣。朝っぱらから2児を連れてマルコとあめでおさんは飛火野に牛乳パックで作ったブーメランを飛ばしに行きました。



 さらに10時にチェックアウトしたあと、浮見堂に再び行ってみるとまるで昨夜のことは夢のようにしっかり片付けられた鷺池周辺でした。



 その後東大寺の大仏さん見て、戒壇院で四天王さん拝んで、天極堂で燈火会ランチを食べて、そんで帰ってきました。

 1号サンはこのとき、エルザ夫妻とともに東京へとお旅立ちになり、おKさんとマルコあめでおトリオで家に戻ってきました。しばらく我が家には幼児だけしかおりません。

 いやいや暑い1泊2日の旅でした〜


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フリーズ中 - 2007年08月07日(火)

 すいません。見切り発車で申し込んだ学会発表の抄録締め切りをカレンダーで見つめて毎日胃が痛いです。でも元気にしてます。<とくにオフ会の計画を考えてるときとか。


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