西方見聞録...マルコ

 

 

知っていることの強さ - 2005年11月27日(日)

 本日は1号さんのご友人のAちゃんを迎え、我が家のメンバーと合計5名で松尾山登山をしたり、なんかそれなりに善き秋の日でございました。

 夕方、帰宅してAちゃんと1号さんとで1局オセロゲームをなさいました。

 ちなみに我が家はオセロゲームが国技というか、家技と言うほどみんな好きです。あめでおさんとは恋人時代も新婚時代も暇さえあればオセロしてた時代があります。1号さんも保育園のころからかなり仕込んであります。(おKさんはコマを持って逃亡するのでまだ参加していません)

 そんでオセロゲームの勝つためのセオリーというのは何段階かあるんですが、まず1段階目は「4隅の確保」だと思います。そして次が「4隅を確保するために4隅の斜め方向に一つ内側には絶対自分のコマは置かない」という鉄則が存在するかとおもいます。


 で、1号さんはココまでは理解しています。このセオリーを理解しているものと理解してないものとではオセロの勝敗は残酷なまでに明白です。(以前マルコは幼稚園くらいのころこのセオリーを理解してないで、理解しているいとなんに完膚なきまでにやられた覚えがあります)

 そんなわけ本日Aちゃんは悲惨な負け方をして、1日の終わりを涙で締めくくることになりました。Aちゃんは勝気な少女なので1っ手打つごとに「これで私の勝ちは決まった!」とか「これで必殺や」とか見得を切るのですが1手1手地味な1号の4隅攻めによって追い詰められていくのが私と1号には見えていて、Aちゃんにだけは見えないのです。

 セオリーを知る者と知らない者の残酷なまでの力の差を見るおもいでした。

 現実にもこういうことってあると思います。経済とか法律とかセオリーを分かっていて戦うのと適当に手を打つのでは全然違うことになるでしょう。でもある人はオセロをやってるつもりでも他の人は囲碁をやってたなんてことはあるかもなとかも思いますが。現実では。



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私がマイノリティだったころ-エカラ送信所からの途切れそうな電波に乗って - 2005年11月26日(土)

 今日は某多言語FM放送局の開局10周年イベントに行きました。マルコはその放送局とその周りに集まっている人々にとても特別な視線を注いでこの1年半ばかり生活してきました。まあ早い話しが研究対象だったりボランティア先だったりするのですが(この頃研究してるのか、ボランティアしてるのかちょっと自分でも意識が混濁してきました)、FM放送自体には特別関心を持ってなくて、そこがやってる別のNPOプログラムが主な視線の注ぎ処だったのです。
 何となく多言語FM放送の意義には強い視線が行っていなかったのです。多分あんまりラジオというメディア自体に強烈な思い入れを持っていなかったのだと思います。

 そんで今日イベントのなかで下記のような一節を聞きました。

「阪神大震災後、間もない被災テントでラジオから流れる故郷の言葉に涙を流したベトナム人がいました。難民として海を越えて日本に渡り、言い尽くせないほどした苦労が、その涙の中にありました。」


 なんかこのフレーズを聞いてマルコはフラッシュバックする記憶がありました。
マルコが12年前アフリカの田舎の町で地方公務員してたときのことです。1週間に1度、日曜の夜に30分だけ聞けるNHK国際放送の日本語放送がどれだけ心の支えだったかを強烈に思い出したのです。

 スリランカのエカラ通信所から途切れそうな電波に乗って届けられる故郷の言葉や音楽にどれだけの孤独と日々の業務の葛藤を癒してもらったことでしょう。番組自体は非常にショウもないものもあったのですが、内容ではなくただ日本語を聞いていたのだと思います。雨季は夕方から夜にかけての豪雨で停電が発生することがしばしばあり、そんな時はろうそくの光のなかで業務報告書を書きながらラジオの時間を待ちました。

 一番気に入っていたのは「音楽をあなたに」のコーナーで、これは離れ離れになっている人同士が思い出の曲を相手に聞かせるためにリクエストをするコーナーでした。日系一世のための演歌だったり、協力隊員や留学生のためのポップスだったりするのですが、やっぱポップスの時は「を、やった。」と思って聞いたし、演歌だと「ちぇ、やられた」と思ったりしました。

 まあ今はインターネットもあるのでこんなにも日本語メディアに飢えることもないのだと思うのですが、現在のようにパソコンが普及していない時代、ワープロ一台もって赴任したマルコには結構、飢えの激しい2年間だったのです。

 「言葉は心の故郷なのだ。」ということがなんだか生々しく思い出されました。

 ところでバイリンガルの2世にとっての言葉という故郷はどうなるのだろう、とも思いました。それは2つになるのか、あるいは1つを選ぶのか、もしくは自分なりに構築するのか。人の数だけ故郷のありようも異なるのだろうと思います。2世の人々が到達する新たな地平が豊かであるためにマイノリティにもマジョリティにも解決すべき課題がいっぱいあるな〜、なんぞと思ったりしました。


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笑顔の記憶 - 2005年11月21日(月)

おKさん3歳7ヶ月児、現在歯科通院中である。
町の保健センターの歯科検診を1ヵ月半後に控え、なんかやばそうな歯を先手を打って治してもらっとこうという腹である。

診断の結果、軽度のものばかりだがなんと5本も、虫歯にやられてしまっているという。

乳児の虫歯は母の責任、なんて嫌なこという人もいるがおKさんの場合は明らかに本人の強欲の結末。とマルコは思っていても世間は認めてくれまい。

しかし歯医者さんは大変優しく、「子どもの歯はやわらかいので虫歯になりやすいんですよ。基本的に虫歯は虫歯菌のせいです。」との暖かいご託宣。ありがとう、ありがとう。

優しい歯医者さんはおKさんにも大変優しく「おくちあけられる?あけられるか。かしこいな〜おくちあけてくれるKちゃんを先生は大好きや。」と、とにかく「先生はKちゃんを大好きや」を連呼し、「イタイ」という言葉を極力排除し「こそばい」という言葉に置き換え「Kちゃん、こそばゆないか?」とききながら治療してくれる。

おKさんも「おKさんのことを大好きな先生」にあいに週に1辺月曜の朝、せっせと歯医者通いに精を出しているのである。とにかくおKさんに「歯医者さんは優しい先生に会えるいいところ」という初期認識が形成されたのはまことにめでたい。

それにしても私の住む古い町は近代的な優しいな先生と前近代的な居丈高な先生が混在している町である。そして優しいさー居丈高さは、医者としての腕の上手いー下手と密接に結びついている場合が多い。

この町で腕のいい優しい先生の見分けはとても簡単にできる。町の老人が大挙して押しかけている混雑医者は腕のいい優しい医者であることが多い。医者通いのプロは名医・良医を見分ける目と情報伝達のネットワークを持っているに違いない。


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夕方の電話 - 2005年11月14日(月)


 帰宅しててんやわんやに夕食の準備をしているとき、電話が鳴りました。

 我が家に電話してくるのは両家の祖母か不動産屋の福屋工務店くらいのものなので、(後はAちゃんのままか)たいてい1号さんに電話を取ってもらいます。その日は1号さんと何かと張り合うのがこのごろのマイブームのおKさんがとりました。

「Kちゃん、おばあちゃんから?」
ときくと
「うん、そう」
というのでフライパンから手が離せなかったのでそのままにしておきました。

 おKさんはエルザさんから電話だとたいていアタックナンバーワンのテーマを始めから終わりまで歌いとおすのが習慣です。しかし今日はうたいません。ただ「Kチャンそう言ったじゃない〜」とか謎の言葉をぶつぶつ言っています。おや?とおもっていると1号さんが「おK、そろそろ姉ちゃんに代わって」と受話器をもぎ取り、思いっきり甘い声で「おばあちゃ〜ん♪」といったあとでへんな顔してマルコを見ました。『ねえ、全然違う電話だよ』

 『ありゃ不動産屋からか』と思って電話を変わるとそれは近所の某大学の学部長からでした。マルコが夏ごろに専任講師の公募に応募していた大学なのですが、『専任じゃなくて非常勤ですけど来期からよろしく』という電話でした。

 まったく大変失礼致しました。非常勤採用にも文句の言えたもんじゃりません。

 まあそういうわけで来年は2大学1専門学校で通年授業を8コマ引き受けることになりました。
 
 あめでおさんの持ちゴマ数が前期8コマ後期4コマだそうなので、前期8コマ、後期8コマのマルコのほうがたくさん授業することになりました。しかし年収はあめでおさんの半分以下ってのが正規雇用と非正規雇用の格差という大変今日的問題をはらんでおります。

 「なにがそんなにちがうのでしょう?」とあめでおさんに質問すると
「正規教員は大学経営という大変な職務をになっています。」と厳かにご託宣をくださるので「ではあめでおさんは具体的に大学経営のためにどのようなお仕事をなさってますか?」と重ねて聞くと、しばし考え、「阿保ほど眠い会議をがんばって寝なかったり時々寝たりしております。」とのお答え。

 なるほど〜それはたいへんです。がんばってください。

補足:あーでも、あめでおさんによると講義と研究はわくわくして、会議は気分が落ち込むそうです。わくわくだけで生きていけるのは大変うらやましい、ともいっておられました。そうかもな〜。わくわく。




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進化する子どもたち - 2005年11月13日(日)

 日曜日、1号さんの小学校で授業参観がありました。ここはおKさんとあめでおさんと3人そろってGoでございます。授業参観後、体育館でこの地域で吹奏楽の金賞を取った某高校の吹奏楽部の皆様によるファミリーコンサートが開かれました。小学生たちは学級ごとにすわり、保護者は保護者席でファミリーコンサートを観覧させていただきました。

 いや〜すごかったです。なんつうか最前線の進化のしっぷりと申しましょうか。
とにかくこのあたりでは随一の実力を持つ吹奏楽部が演奏するのですからそれなりに彼らだって実力を発揮したいでしょうに、徹底して彼らはエンターテナーに徹したのでございます。しかも女子高生2名のMCはあまりにも堂々としており、そのまま芸能プロダクションに連行しようかと思いました。

 曲目はアニメメドレー、ピンクレディーメドレー、イントロあてクイズ、校歌合唱、世界で一つだけの花を全員合唱、そして最後にマツケンサンバ全員合唱アンド舞踏。どれも見事に色物。さりげなくシベリウスのフィンランディアが紛れ込んでたりなんかしないのです。徹底的になんというかこども向け、ファミリーむけなんです。(ピンクレディーメドレーって親世代を狙ってるよな)

 金賞受賞の吹奏楽団員たちはアニメメドレーではいちいち自作の紙製着ぐるみをまとい、イントロあてクイズでもさまざまな演技をいちいち過剰に演じ、子どもたちも先生も保護者もこんなに盛りあがって良いのかというほど盛りあがらせていただきました。

 最後のマツケンサンバではレイザーラモンHG姿の男子高校生が「ふぉ〜」と現われ『われらのマツケンを呼ぼうぜ!』みたいなかんじで会場を鼓舞すると金の衣装をまとった男子高校生が会場の一番後ろから激しく腰を振りながら登場するのです。(ちなみにHGが登場したとき、うちの1家はNHK教育テレビしか見ないのであの黒皮の服を着たお兄さんがなにものか、1号さんもあめでおさんもわかりませんでした。マルコだけ朝日新聞紙上でカレが『親父の背中』という欄に出ていたのを読んでおり、某畑で下品なTVを子どもに見せたくないという投稿を読んでいたので、彼が誰か知っていました)。

 でとにかくマツケンサンバにあわせて「みんなおどろう!」と呼びかけられ舞台上で踊っているマツケンやバックダンサーの振りを見ながらみんなで躍らせていただきました。

 余談ですが色物的な役目をすべて男子がになっていたのにも注目しました。女子もピンクレディーメドレーでは踊っていましたが制服の上からカラフルなマフラーを巻いただけで、下品にならないようにすごく注意されていたと思います。それに対して男子はかなり下品な汚れ役もになわされていて、なんか時代は変わったな〜とおもいました。きっとずっとはにかみがちに指揮していた顧問の先生が良い先生なんだと思います。

 なんとなくクラッシックに触れる機会を提供されるのかと思っていましたが予想外の展開でした。でもとてもとても面白かったです。こんなに楽しかったのは久しぶりという感じでした。

 帰り道あめでおさんは『学力低下というけれど、そして確かに低下しているというデータもあるけれど、学力を失った分、たしかに何か違う能力を子どもたちは獲得している。その力がなんなのか、それを捉えきれずに、ここまでの教育改革を全否定するのはまったくの間違いです。』とマルコに語りました。そう、たしかにあんなに1000人を超える聴衆を前に堂々と演じられる芸達者な高校生はマルコの時代にはうじゃうじゃはいなかったです。ちらほらはいたけど。



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それはちがうよトットちゃん - 2005年11月12日(土)

 なんだか古い話になって恐縮でございます。ちょっとこのごろ無意味に忙しかったので日記滞っておりました。

 さてマルコの愛読日記のうちの2つ
いいことあった日記MagMell Diaryであいついでユニセフについて取り上げておられました。10月の末のことです。マルコ的にいろいろ思うことはあるのだけど一番、「ううむ」と思ったのは両日記が取り上げていたブログ(このブログはリンクはりません。こういうまことしやかなトンデモ情報普及に荷担したくないので)中の文章で

>頂いた募金は一円も無駄にしないで現地に届けたい(黒柳徹子・談)

の箇所。

 それはまあそうなんだけど、それではいけないのだよ(←結局どっちだ)。トットちゃん。という思いが喉元までせりあがってまいりました。

 トットちゃんの言説は市民活動に対する無理解な人に良く見られる傾向の言説でございます。ちょっこりこんな世界の片隅の日記で批判させていただきたいと思います。

(間違いその一) 事業費と管理費について
現地に一円でも多くって?
えーっとお金だけもってったらなにもかもうまく行くと思うのは大間違いです。お金が確実に必要とする人に届くにはそのお金を流すシステム作りが肝要です。で実際に「被支援者が裨益するお金の部分」(一括して事業費)と「その事業を円滑に管理するための人件費や輸送費や募金を呼びかけるための広報費、事業がうまく行ったか次回への反省点はどこか確認するための事業評価費等などの部分」(一括して管理費)の2種類のお金が必要になるわけです。管理費にしっかりお金を取らないような団体の活動は信用してはなりません。日本における市民活動への寄付行動を見ているととてもこの事業費偏重、管理費軽視の傾向が見て取られます。欧米などの市民セクターが発達しているところでは寄付の50%管理費とかは当然です。それに納得して市民は寄付をするのです。(北欧では70%管理費とかそういうところもたくさんあるのですが、まあそれはちょっとやりすぎのような気もします。)
日本の寄付者の感覚として管理費が10%、20%であってもゆるさん!みたいな傾向があり、この傾向を体現し、助長しているのがトットちゃんの呼びかけなのであります。政府のODAで管理費と事業費の析出をさせて御覧なさい。ものすごい管理費だと思いますよ。あと国連とかもすごそうですね。でもそっちには文句を言わずに莫大な税金を差し出しているのに、民間への寄付行為となると寄付金への過剰なまでのオーナーシップを発揮するのはなかなか面白い日本人の心性だと思います。

(間違いその2)民間の国際協力機関にドネイションする意義について。

 先進国の人間が国際協力NGOに資金提供する目的と言うのはなんでしょうか。いっぱいあると思うけど私が重要と思うのは主に次の2つのことです。

1)北から南へのオールタナティブな資金の流れを作り出すこと

2)NGOにアクセスすることで南の情報が北側に伝わり、その情報をもとに南の状況を改善するために北側市民として出来ることを考えるきっかけにすること

だと思います。2)の方は一般には開発教育と呼ばれています。「北側市民に出来ること」というのは例えば「消費者として世界経済ひいては南の国に与えている影響に気付き、良い消費を行うことで、南北の不均衡を是正する」。あとは「定期的な寄付行動を行うこと」。また「そうした自分の知った事実を周囲に伝えていくこと」。なんかでしょうかね。

で、日本ユニセフ協会という日本の民間NGOへの寄付行為について考えると、日本ユニセフ協会は「2)の開発教育」に関して大変に優れた団体なのです。このページを見てください。学校の先生なんかが途上国の状況を話す時このページはすごく頼りになります。

 また日本ユニセフ協会の職員のみなさんは私がお話しを聞いたときはスタッフ全員が学校教師経験者で、そのすぐれた説明能力で全国の学校へ出張講演を行ってました。日本の学校に対して組織的に開発教育を行っているんですわ。またユニセフ本部が開発した参加型の開発教育の教材を日本語に翻訳・出版するなどしており、これも大変優れています。マルコも専門学校でも大学でもそうした日本ユニセフ協会が紹介している教材を使って参加型のアクティビティを実施しています。

 とくに「コーヒーゲーム」という南米のコーヒー農家がグローバル経済の中でいかに翻弄されるか、コーヒー農家になって4年間の収穫をしながら国際企業と渡り合い、年間30ドルのもうけを出してどうにか長男だけでも小学校にやろうと格闘するというゲームがあります。これを行うと南北経済の中でいかに一次産品の生産者が不利な条件の中、生産活動を行っているか良くわかります。たいていのプレーヤーは年間30ドルのもうけが出せずに、借金のカタに自作農から小作に転落してしまうという大変楽しいゲームです。そして日本がアメリカに次ぐ、世界第2位のコーヒー消費国としてそのコーヒー農家の苦しみにいかにダイレクトに関わっているかもわかる仕組みになっています。
 この教材を講義で使うようになって以来、マルコは家ではコーヒーはフェアトレードコーヒーをなるたけ飲むように心がけていますし、私のこの講義に出た学生の何人かはフェアトレードコーヒー愛用者になっています。
 とにかく日本ユニセフ協会は豊富な資料をもとに数々の優れた開発教材を日本社会に提供しつづけており、マルコはその点でこの団体を高く評価しています。日本ユニセフ協会自体への寄付だったら進んでしようと思います。

 駄菓子菓子、NGOに資金提供する意義の「1、北から南へのオールタナティブな資金の流れを作り出すこと」に関しては日本ユニセフ協会は既存の国連団体(国連ユニセフ)にお金を預けるというだけで、オールタナティブなお金の流れを創出するにいたってないのが、つらいところです。国連のお金の流れは基本的に2国間援助のお金の流れと現在そう大して違いません。相手国政府からその下の自治体へとお金をおとしていく方法です。政府の利益供与に繋がれない先住民や被抑圧的な位置にいる最も支援の必要な人々にはお金は流れません。そして税金からODAというかたちで、すでにお金が流れています。ODAには2国間援助と並んで国連拠出金も払っているのでそんなに何重にも同じルートでお金を落とす必要はないのではないかと思います。というのは援助資金の流れにはたくさんの落とし穴があるので流れるお金のルートは出来るだけたくさんあったほうがどれかはたどり着くのです。すでに利権が発生してしまっている公的ルートよりもそれこそ直接現地NGOとのタイアップでお金が流れていく民間の国際協力団体の方が効率良く草の根にお金が届く確率は高いと私としては思います。(まあこのときよく団体を吟味することをお勧めします)今お勧めなのは日本のNGO御三家(JVC、シャプラニール、SVA)と外資の2台巨頭(プランインタナショナル、ワールドヴジョン)でしょうかね。マルコの古巣もオールタナティブなお金の流れの創出という点ではなかなか健闘してます。ここでは名前を書かないけど。

 まあそんなわけで、トットちゃんが一円でも多く云々と仰ってるのは、何重にも、とっても間違いだと思います。1人のスタンドプレーで世界の貧困は解決しません。お金のながれのシステムつくりと貧困につながる先進国の消費行動への警鐘という2つの大きな目的を彼女は見失い、貧困問題に取り組んでいる訳です。

 たいていNGOに寄付するのと同時に途上国の情報を伝えてくれるニュースレターの類が団体から届けられますのでそういうのは良く読みましょう。ちゃんと情報を出している団体は良い団体です。そしてそのニュースレターから感じて、今途上国の問題の原因となっている先進国の過剰消費について考えて行動を起こすのがよろしいんではないかと思います。

 いろんな立場の人がそれぞれできる消費行動の変容に取り組んでみては良いんではないかと思います。

 寄付行動も消費行動の変容も両方とも微々たるものですが、ちりも積もればなんとやらなので積もらせていきたいっす。

 トットチャンの訴えは積もらないところがポイントです。

追記:なんか長々と書いた後でトットちゃん発言の何にマルコが熱くなって怒ってるのか背景が伝わりにくいとおもったので、私が怒ったトット発言が載ってるブログのURLも載せときます。
ttp://ameblo.jp/ika-ring-fuck-wb/entry-10005278993.html




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錦秋 奈良公園 - 2005年11月05日(土)

1号さんの喘息定期検診プラスインフルエンザ予防接種(家族全員)のために、今日は今日とて奈良に参りました。

そんで診察・接種後奈良公園に参りました。錦秋でございます。
まずは1年に1回開廟している興福寺の北円堂へ。いつも人が入れないポイントなんですが、今日は賑わってますな。我が家は興福寺友の会のメンバーなので招待券持ってます。



興福寺五重の塔もなかなか見事でございます。


鷺池のほうにいって、


30分700円のボ−トに乗りました。マルコは幼少期、石神井公園でボートこぎの腕を磨いたので私がメインこぎ手を勤め、1号さんも時々こぎました。浮見堂への橋の下をくぐったりたのしうございました。ちなみにあめでおさんは産まれてはじめてボートに乗ったそうです。


飛火野のあたりを歩いて


万葉植物園(現在は神苑と改名しました)に行き、あめでおさんが朝焼いてあまったパンを鯉にあげました。


し、しかし鯉が上陸してくる〜って勢いで餌にくらいつき、そうかこうやって生物は水中から陸上に上陸したのか〜ってちょっと勘違いしてしまいました。


木の葉の間から見上げた青空。


最後は二月堂から奈良盆地を望んで、おしまいでございます。




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