母と娘の8月31日 - 2005年08月31日(水) 8月31日と言えば東京出身の私にとってはこどもの夏休み最後の日を意味します(北海道や信州や涼しいところは20日で始まったりするよね)。 でその日なわけです。1号さん、小学校2年生ここ3日ほど猛スパートを切って宿題に取り組んでいますがなかなか終わりません。平日は学童保育所に夕方6時半まで行ってるのですが、学童後はどうしても眠くなってしまい量がこなせないのです。そんで早起きして早朝に絵日記書いたり、夏休み新聞作ったりしてるんですが、結構大変そうです。 少し早く迎えに行ってやって、親も協力して夏休みの宿題に取り組んでやりゃあ良いわけですが、マルコ自身8月31日深夜12時締め切りの原稿抱えてひいひい言ってるのでとても仕事時間を短縮してやる余裕がないわけでございます。 さて、そして8月31日午後8時、「夏休みに見つけたもの」を絵と文章で表現すると言う課題が積み残されてたことが発覚し、何を見つけたことにするか大騒ぎな父と娘を横目にマルコはひたすら、、、、雑巾を縫っておりました。学期始めの雑巾提出です。忘れておりました。雑巾はいつも出来合いのものを買い置いておいたんですが今回はぱったりと忘れました。そんでミシンも故障していて使えなくなってましたので温泉とかでもらってくるタオルを針と糸で黙々と縫うのでございます。ばってんがゆがんでしまいましたが、まあ許せ。母は縫い物でなく書物がしたいの〜。 午後9時、娘はカラータイマーが切れたウルトラマンの様にこてんと眠りました。なんとかやっつけ仕事で夏休みの宿題は完了した様でございます。 ここでやっつけ仕事をしては2度と浮上できない恐れのある母は、締め切りまで3時間、お道具を針からキーボードにもちかえてぱたぱたぱた〜っと疾走いたします。 そこでごーごー眠っている娘よ。君の体には間違いなくわしの血が流れちょる。この泥縄愛好家なわしの血が。将来苦労するぜよ。と心でつぶやかせていただきます。こうして母と娘の8月31日な夜はふけていったのでございます。 ... 鷹は舞い降りた - 2005年08月30日(火) さて選挙だ。マルコ地元の自民党のセンセイが郵政法案に反対して田中康夫の旗の元に行っちゃったため、コイズミクンが刺客を送り込んでくれた。この前の選挙でとなりの選挙区で出て落選したミズ.ホークだ。 公示日、朝起きると町かどの選挙掲示板でホーク女史がにっこり微笑んでいた。苦痛でたまらん。 女が保守で生き残るには、男に媚を売らねばならないということか。彼女の売りであるバックラッシュ的姿勢は男社会への過剰適応か?なんぞと、微笑が顔の左右でちょっといびつなホーク女史のポスターをみながら思う。ところでホーク女史って子宇部大(仮名)出なのね。同じ時代に在籍してたら泣くまで論難してやるのに残念。(あ〜デモなんかひどいこと言われて泣かされるかも。「人の痛みへの想像力が欠如」してそうだし。) どっちみちマルコは自民党には縁がないのでいいんですけど。しかし選挙カーがよく来るのよ。これがまた苦痛なのよ。 いやべつに誰のこととかは言ってませんよ。 ... 女性観のリトマス試験紙としての『愛ルケ』 - 2005年08月28日(日) この話題を出すのは非常にためらわれるが愛の流刑地問題に関して(こうやって話題に上らせるのが渡辺ズンイチ先生を喜ばせる結果に繋がるのではあるが)。 この日経新聞の朝刊連載は渡辺ズンイチの女性蔑視な世界観に根ざした物語である。とくにヒロインの人間像がなんだかものすごい。おらんそんな女は!いるとしたらエロ親父の脳内妄想の中だけだ!という描写のオンパレードなのだ。 夫のことを嫌いぬきながら、妊娠中はSEXしなくてもすむからと次々妊娠して結果的にただなんとなく3人の子の母になったという人生って、、、なにそれ? 夫のことが嫌いでも、夫の収入で生きていく事はいいらしい。離婚に向けて経済的自立という話は1mmも出てこなかった。 あげくに過去の栄光だけの現在はまったく世の中に忘れられている老作家(男側主人公)に誘われるとほいほいついていき、ぱんぱんSEXをして「こんなのはじめて、あなたってすごおい」といいつづけ(何回この台詞があったか数え切れないらしい)週に3〜4回(週末を含む)時には泊りがけで老作家とのSEXだけのデートに明け暮れる。でもあくまで慎ましやかで脱いだ下着は(事後)きちんとたたみ白いスリップだけを着用するようにいわれれば「はい」といい、とにかくアンドロイド並の従順さ(あるいは男にとっての都合のよさ)なのだ。 前作、失楽園とか原文を読んでいなかったのだがちゃんと読んでたらやっぱ信じられないオヤジに都合の良い世界観のオンパレードだったのだろうな〜。 さてそんなひどい物語をなぜ私たちはこんなに読めたかというとこれはもうひとえに「にっけいしんぶん新聞」の功績に他ならない。作品内に満ち溢れる女性蔑視的表現をくまなく拾い上げ「こんなこと日経新聞紙上で取り上げて良いのか?」というメッセージをユーモアを交え、時には真摯に訴えつづけてくれた。この30代男性と思われるにっけいさんのガイドなくしては絶対愛の流刑地なんて読めなかった(いや別に読まなくたって良いんだけど)。日経新聞とそれを支える親父層(愛の流刑地を喜ぶ層)がいるという事実に打ちひしがれそうになりながらも、ちゃんとそれに異を唱えてくれるにっけいさんとそのブログ(すごい人気なんです)のコメント欄の住人たちのまっとうな意見にどれだけ溜飲を下げたかわからない。 そんなとき某下着メーカーのトリンプの社長がそのブログの中で愛の流刑地好きを公言し、渡辺ズンイチ先生に白いブラジャーとパンツを送ったと写真入で発表した。それに対してあんな女性蔑視な小説をまじめに支持して下着まで送るなんて、もうトリンプ絶対買わない!という非難と不買の意志表示で社長ブログは大変なことになった。 愛の流刑地をどう言う感覚で読むかというのはその人の「女性に対する感覚」が蔑視か平等かを判定するリトマス試験紙として使えそうな気がした。 ところでこの小説のありえない女主人公はSEXの最中に首をしめあって快感にしたるというプレイに耽溺しすぎて、男主人公の老作家に誤って絞殺されてしまった。本当に救いようのない人生である。残された3人のこどもはこれ以上ない恥辱の中で母が死んでいったと言う事実にどう耐えるのであろうか。なんだか生前に老作家がものすごい久しぶりに執筆し出版社から冷たく無視された小説を使って都合の良い展開になりそうな予感だが,とにかくこんな女主人公,現代社会では絶対にありえん! と思ってたところ、芥川龍之介が書いた「六の宮の姫君」がこれに近いかも。 六の宮の姫君については山岸涼子も「朱雀門」という話で、現代から解題している。 六の宮は自分からは何も動かず、結局餓死して、さらに死んでも魂がその辺をさまようという結末なのだが芥川は終章で「あれは極楽も地獄も知らぬ、腑甲斐(ふがひ)ない女の魂でござる。」って切って捨ててる。 、、、平安時代でも「腑甲斐ない」って評価ぢゃん!!平成の女としてどうよそれって? ... 流れる季節の原風景 - 2005年08月23日(火) 本日は1号さんの前保育園関係者との集会がございました。 6時集合で稲田堤駅前の魚民にて宴会でございます。ここでもマルコまたしても遠隔幹事を買ってでさせていただきました。始まり時間の1時間ちょっと前に稲田堤に到着し、1号さんとおKさんと稲田堤の駅前商店街を散歩しました。 コトブキが出来てたり、しらない店が何軒か出来てたりしたけど、グリュースゴットは相変わらずがんばっていたし、駅前のとっても品揃えがよくって、靴を心から愛している店長さんがいる靴屋さんはちゃんと繁栄していたし、マツモトこども医者はしっかりそこに看板を掲げていました。ホントは前すんでた家のあたりまで行きたいんですが、歩いて10分以上はかかるし、子ども二人連れてそこまで往復するのはチョコっとしんどいので、駅からほど近いところの昔1号さんが5年ほど通った保育園まで参りました。 途中、畑の某会員さん△帽子さんとすれ違っておおおおっと叫びあったりしながら保育園に行きます。庭から覗いただけにしようかと思ったけど、昔2年連続担任を持ってもらった某チーター先生(声が水前寺清子ににてるから)の懐かしいマッシュルームカットが見えたので、門から中に入ってみました。ちょうどお迎えのお母さんが行き来している時間で侵入は結構簡単でした。中を覗いていると長時間保育専門のパートの保母さんが「あああ!1号ちゃん!」と気付いてくれて、「せんせい!1号ちゃんが来てますよ!」と呼ばわってくれ、チーター先生だけでなく、もう一人の2歳児クラスのときの担任だったスー先生も玄関まで駆けつけてくれました。 2人がもう大きい1号をかわるがわるに抱っこしてくれて、それぞれに近況を報告し、1号が0歳児クラスと1歳児クラスのときの担任はもう移動しちゃったことを知り、お忙しい時間ですからと、さっさと帰ってきました。その間ちょうどお迎えに来た一緒に保護者会役員をつとめたOさんや私たちの次の代の会長さんだったJJくんのままなんかに会い、お互いおおおお、どうしてここに!と叫びあいます。 あの殺人的に忙しい時期に保護者会の役員のしかも執行部を引きうけたのは狂気の沙汰と思いながらも、こうして記憶と愛着が残る友がたくさん出来たのはやっぱり得がたい経験だったなと思います。 おKが「ここどこ?」と聞くので「姉ちゃんの保育園だよ」と答えると「ちゃう!保育園ちゃう!保育園はここちゃう!」と泣き叫びました。そうかおKの保育園はここではなく、あそこなんだね。と稲田堤の記憶を共有できないおKを1号と二人でしみじみと見つめ、私たちのこの場所はすでに私たちにとって夢でしかないのだという事実を確認します。 そして夢の保育園を後にし、駅前まで戻り魚民にて、カラオケ宴会ルームを借り切って0歳児からの1号の同級生仲間のとその母と父がうちそろい、宴会を持ちます。 のんでしゃべって今度は奈良で宴会!と口々に叫び「そりゃあ不可能なんじゃないの?全員公務員と1部上場企業勤務と助産院づとめという超激務の母なんだからさ。」と思ったけど、夢だっていいじゃないと皆で盛りあがりました。子どもたちも最初もじもじしてたけどすぐに打ち解けて何事か遊び出した模様。 夢だっていいじゃない。この場があったから、いつも誰かが後ろで応援してたから、私たちは新しい場所で新しい一歩を雄々しく踏み出せたのだから。 ... 消費の夢に酔いたいの - 2005年08月22日(月) この日千葉にあるネズミ―ランドへ行った。 ずっと姑宅に泊まっていた1号さんが前日から舅姑に連れられこのネズミの国に行っていたので、マルコとおKさん1日遅れでここに参入し、一緒にちょっこり遊んだ後、1号さんとおKさんを引きつれて目白の実家に帰るという手はずになっていたのである。 無事に再会できた。久しぶりの1号さんはわりとクールであった。 さてネズミ―ランドであるがあいかわらず消費の夢に消費者を誘う仕掛がゴージャスかつ上手である。本当に何もかもが高い。そして買ったものはほとんどがランド内でしか使えない。そこのでかいグーフィーの耳付き帽子をかぶってるおにいさん、あなたは本当にランド外でそれを着用する機会がありますか?冷静に考えてあなたのその出費は意味がありません。意味がないというより家計的にきっと大打撃でしょう。そこで一万円札使ってるおねえさん、決してあなたは億万長者ではないのに(推定)なんだってそんなにパーっと使っちゃってるんですか、現実に戻ったら絶対後悔しますよ。 そう、でもみんな夢の国で消費の夢に酔いたいのね。帰ったらそこには問題を先送りしたことによるより甚大な赤字が待っていようとも。 え?わたし?わたしは別に凄く行きたかったわけじゃないけど姑舅が1号さんを連れていくって言うし、1号さんはおかあちゃんが来てくれなきゃ行かないって言うし、そんでいったんですから、お財布なんて1度もあけませんでした。みんな払ってもらいました。ありがと〜昭和2桁超初期のがんばりやさんたち。 ところでアジアからのお客さんがいっぱいいた。サリー着た人もスカーフかぶった人もいた。中国系の人もいた。みんなきてくれてありがと〜。でもこの前開園した香港ディズニーランドが軌道に乗って、さらに上海ディズニーランドがオープンしちゃったらみんなそっちに行っちゃうんだね。 危機に立つ日本経済の象徴のような夢の国でした。 ... 磁場発生2 - 2005年08月21日(日) んで続き。日付的にはこっちのほうが正しいです。 投稿者: ぱるた 投稿日: 8月26日(金)10時07分46秒 お疲れさまでした〜 目白オフでは楽しい時間をありがとうございました。次回はフルで参加できるよう準備したいと思います〜 > 明日から平常運行ですわ。っつうか来週中に某締め切りが2つほどあって > サマードリームが一気に冷却していくのをかんじます。 本当ですねぇ。我が家では、宿題の積み残しが多数発見され親の私だけが焦りまくっております。 > ♪あがささん > ところでmixiのあがさ日記、ちょっと感動して読んでます。 そうそう。こんなところに書かずにミクシに書けと言われそうですが「あがさ、鮮烈デビュー!」って感じでした。 > いとなんの速射砲会話は幼いころから経験してたんですが > それにアレだけくいついていける殿方が地球上に存在していたことを寿ぎ > 神といとなんに乾杯ですわ。 かえすがえすもいとなんさま&いとなん夫様とお目にかかれなかったことが悔やまれます。マルコ一族は皆速射砲会話なんでしょか。それよりマルコちゃんよりもずっとすごいんでしょうか。次回は是非とも。>いとなんさま ======================== 投稿者: ドレスデン 投稿日: 8月26日(金)22時24分20秒 昨日から名古屋の実家にいるドレスデンです。 あ、お礼を申し遅れました。目白オフでは大変お世話になりました。 皆様の高れう゛ぇる会話にタジタジとしながらも、意義深い時間を 過ごさせていただいたことを感謝しております。 子どもたちに思いっきり懐かれつつもイヤな顔1つせず、相手を してくださったあがさ様、有り難うございました。 ======================= 投稿者: ぴよた 投稿日: 8月26日(金)22時42分13秒 目白オフ主催のマルコ様、大変楽しい企画に参加させて下さって どうもありがとうございました。そしてお疲れ様でした。 うーん、私も二部行きたかったな。でもぱるたさんと一駅ご一緒 できたのも「うっふっふ」でしたわよ。 ======================= 投稿者: R隊長 投稿日: 8月28日(日)19時57分58秒 言及されてましたか(^^; 言及ありがとうございます>ぴよたさま ご無沙汰ぶっこいてもうしわけないでがす。 しかし、出会いが純粋にネットなぴよたさんと大学同級生のようこさんと 面識はなかったながら高校の後輩のマルコさんが同じ空間に集った空間を、 はたから指をくわえて伺うってのも不思議な感じですわ。 #前回の目白の逢瀬のときはもっとネットっぽい感じでしたけどね。 #ようこさんが絡むと現実世界ぽくなるのか(笑) ======================== そんではつぎにMIXIのほうに寄せられた参加感想なんかをサルっと ぱるた2005年08月21日22:24 今日は楽しいひととき、ありがとうございました。ぴよたさん、Yokoさん、どらりんぱせりさん、お目にかかれて光栄でした! ル プティ ニ、とっても良いお店でしたね。また行きたい。 またマルコさん帰京のおりにはお声をかけてくださいませ。 取り急ぎ御礼でした! ================== どら 2005年08月21日22:56 いやー楽しゅうございました。ありがとうございました。 お初の皆さんが多かったんだけど、そうとは思えなかったにゃー。また来年、かな? ところで「多言語・多文化倶楽部」構想練りましょうね ================== あひる2005年08月21日23:33 激的な午後でした。ひさびさに「文化」に触れた思い。あ〜わたしこんな毎日じゃいけない、と、怠けた心身にカツいれて、一日も早くマルコファミリーの一員になれるよう精進いたしますので、今後もどうぞよろしく。 ================== ダイヤ2005年08月23日10:45 すんげー楽しくかつ盛り上がり有意義だったのですね。 いいなーいいなー。 緑板でのレポートが楽しみです。<けど書くヒマないかな? ================== というわけでした〜 皆様ご参加多謝&ご出演多謝ですわ。 またやろう>みなさま。来年私たちはどんな場所に立っているかね? ... 磁場発生1 - 2005年08月20日(土) さて!掲示板で参加者を募って、ムギ畑のチャットルームに突撃し、マルコの東京人脈の濃い部分が結集した目白オフが8月21日開催されました。 なんつうか濃かったです。前半はカフェでお茶で、後半 イタ飯はで食事でした。イタ飯屋はマルコ小・中学校の同級生のママがオーナーなのであ〜る。会計の時ちょっくら店の人に聞いたらちゃんと現在も同級生のママがオーナーだった。あいかわらず美味しいし良いお店です。 まあそんで濃い濃い参加メンバーの皆様からの参加感想書き込みを掟にしたがってサルベージ致します。 まずは関連記事のある ぴよた日記のご紹介。まとめるの上手いです。 あとどらちゃんのmixi日記にも記事がありますのでmixi招待状のほしい人は言って下さい。(そんでどらちゃんとお友達になってください)。 では緑掲示板からサルベージ ============================= 投稿者: あがさ 投稿日: 8月22日(月)12時00分54秒 昨日はありがとうございました>幹事マルコ&ご参加の皆さま緑色板がそっくり目白へ移行したみたいで、おもしろかったです。 元気いっぱいのようこさんに再会できて本当に嬉しかったです。 15年ぶりくらいでしょうか。 カフェ(昔会社帰りに夫と待ち合わせた場所でした、そういえば)とシャーク(小学校のクラス会でトランプを持ち込んでお店の人に注意され、 それ以来足を踏み入れていませんでした)。どちらも有為変転の激しい昨今の目白通りの中では長命なお店ですね。 残念なのはワインがすっかり回ってしまい、前半で伺ったおもしろそうなブログやURL情報が記憶から落ちてしまったことです。メモっておくべきでした。 ============================= 投稿者: いとなん 投稿日: 8月23日(火)07時58分56秒 21日のオフ会では最後の最後に 美国出張帰りから直行の私および、 出迎え荷物持ちの連れ合いの2人の 乱入をお許し下さり、ありがとうございましただ。 皆さんにはちと御迷惑だったかもと反省しておりまする。 あの楽しい会で私はテンションの最後の一滴を使い果たし、 お陰さまで時差をものともせず、夜はあの後10時から 7時間ほどしっかり寝ました。 ありがとうよ! ========================== 投稿者: ダイヤ 投稿日: 8月23日(火)11時28分4秒 (前段略) それにしても目白オフ、楽しかったようですわ。 帰省があと5日ほどズレてればのう。残念ですわ。 ========================= 投稿者: どらりん・ぱせり 投稿日: 8月23日(火)21時56分35秒 どもども、先日はありがとうございました。 あがささん、mixiでぱるたさんが書いてくださってることがその「記憶から落ちてしまった」ことの一部かも知れません。ご招待しますので、いらなかったら無視してください。 いとなん様 お目にかかれてうれしゅうございました。でもやっぱご夫婦似てるよ〜 でも夫さまと「コナンくん」が似てるわけではないのよね。不思議。 ========================= 投稿者: マルコ 投稿日: 8月24日(水)13時45分40秒 ♪磁場オフ>あがささん、いとなん、どらりんさん どうもどうも〜すごかったですな。 1次会は真ん中のスタンドが邪魔だ!向こう側の人の顔が見えん!って感じでスタンドを取り外そうと工作までしてしまいました。でもできなかったけど。1次会は畑のものすごい会員番号の若い人々が集っててちょっとどきどきしました。 ぴよたさんの鮮烈デビューって感じもしました。なんとなくぴよたさんのものを見る目って安定しているのですわ。ぴよたさんと私の出会いを語るために「R隊長って方がいて!」とR隊長についても言及してしまいました。 あと「ようこさんようこそおかえり」って感じもありました。 なんかすごく長い間あってなかったんだなと、改めて実感ですわ。この前は大森オフで大森の自治会の事務所みたいなところでやったのでしたな。あのころ私は稲田堤をはなれてまさか奈良県民になろうとは。そしてようこさんがアメリカ留学を成功させて帰ってくる未来が待っていようとは。ゆめにもおもいませんでした。そしてそれはこれから5年後の自分が見えていないのと全く同じなのですが。 そしてコンタクトつけずに行ったという作用もあるかもしれませんがぱるたさんは京都のときに輪をかけて、ものごっつう若かったです。 ドレスデンとこのおじょうちゃんは昨年大阪であったときには椅子の上で踊ってたのに今年は4時間の長丁場をいい子に過ごしており1年というときの流れが幼子にもたらす成長の偉大さに胸が熱くなりました。おKさん来年にはいい子に変身してますように。 あひるさんことコダックさんには結構強引にお誘いかけちゃったんですが光臨していただき多謝ですわ〜。こんごともよろしうう。 あがさ>前半で伺ったおもしろそうなブログやURL情報が記憶から落ちてしまったことです えっとですね1つは「ぴよた いいことあった」で検索するといいですな あと「reikona」でけんさくするとお勧め珠玉HPに到着いたします。 あとなんだっけかな? 自己紹介レジメからあがささんの記事が抜けてて失礼いたしました。 やさしいあがささんは「私も全国オフで3人くらい抜かしちゃったから」と慰めてくれましたが「100人中の3人」と「9人中の1人」では罪の重さが違います〜。 全国オフの自己紹介レジメを私が担当した日にはおそらく10名ほどの人がレジメから漏れちゃうことでございましょう。最後あがささんと語り合った目白駅前ビルコマースの行く末もなんか地元民の集いって感じでようございました。 2次会はやっぱ、いとなんが新婚の新郎をご披露してくださったことでしょうか。 本人の時差ぼけ防止にもお役に立てて誠によろしかったですわ。 でで、やっぱどらちゃんとは熱く激しく語り合えたぜって感じがしました。 何でこんな風に世の中なっちゃったんだろうって私たちの問いにぴよたさんが「『教えない』ってことの効果が出てきたってことですよ。」といわれて激しく腑に落ちる部分がありました。 ダ>それにしても目白オフ、楽しかったようですわ。 >帰省があと5日ほどズレてればのう。残念ですわ。 ダイヤさん来年はぜひ!ですわ。 (以下次号) ... あなたのいない夜 - 2005年08月18日(木) さて、掲示板のほうでは話題になったけど、姑が来て去り、1号さんがさっくり姑に連れられ東京に行ってしまった。そんなわけで18日から1号さんと再会する予定の22日まで我が家はおKさんひとりっこ状態である。 快適である。 子どもの数が減ると大変身軽になる。本音を言えば聞き分けのいい1号さんより、この、この!おKさんが連れて行かれるとものすごい身軽になること請け合いなんだが、この人はまだだれも引き取り希望者が出ないので、マルコが基本的に携帯している。 おKさんもいつも自分の頭を抑えている、5学年年上の姉がいないので晴れ晴れと開放されている。そうなのだ、家族というのは一緒にいるのも良いが、離れているのもまた良いものである。 来夏はぜひ姉と妹と二つセットで持っていってほしいものである。そんなうっしっしなことが実現したら、もう「何して遊ぼう高砂や」という気分になるに違いない。 1号が東京へ向けて旅立った日の夜、毎日食卓に並べるご飯茶碗も1号の分だけ、奥にしまった。このご飯茶碗はつぎはいつしまわれるのだろうか。来夏の帰省時か?そして林間学校や修学旅行、大学進学で下宿するとき、あるいは就職して独立するとき。さまざまなご飯茶碗のしまわれ方が想像される。 この姉妹が本当に独り立ちして、永遠にうっしっしな状態が訪れる日、ちゃんとうっしっしと喜べるマルコでありたい。ついでにうっしっし〜という声の残響だけ置いて、シニア協力隊とかJICA専門家とかになって爆烈的にはじけられる自分であるために今宵もなんだか役に立つんだかたたないんだかわからない研究を重ねるのである。 ... 論点はそこではない。 - 2005年08月15日(月) さて降って湧いたような話だが、選挙である。 コイズミくんは郵政造反議員の選挙区に刺客候補を送り込んだり、織田信長を気取ってみたり、相変わらずポピュリズムっぽい煽動がとってもうまい。世論は律儀に(というかまんまと)郵政をクローズアップしているよう。 でも今本当の緊急課題はそっちじゃないと思う。 コイズミ君が靖国に行かんかったり、自民党のホームページからジェンダーフリーバッシングのページへのリンクをはずしたりして郵政以外の論点を巧みにぼかそうとしているけど、いまここにある危機は反ジェンダーのバックラッシュであり、腐奏者(仮名)の教科書採択であり、総じて偏狭なナショナリズムの高まりだと思う。 (ところで靖国参拝20万人ってどういうことよ?コイズミ君本人が行かなくても、あの行く行かないの騒ぎはこれだけの宣伝効果があったのね。まったくおめでとうございます。) もし私が杉並区民だったら、どうしただろう。教育難民という選択肢がかなり現実化するような気がする。(ところで我が家の関西移住はイシハラ君の某大学解体と密接に関連しているのだけど、私たちってイシハラ難民だったのか〜!) 杉並区民、大田原町民は教育難民化することもできるけど、まず腐奏者(仮名)教科書を選択肢の少ない養護学校に採択させたという東京のやり方には本当に気分が悪い。 とにかく声を大にしてNoといいたい今日この頃せっかくの選挙ですので、幸い選挙権がある私は大声でNoといいたいと思います。でもYesを大声でたくせる代替案がいまいちってのはほんとつらいっす。って研究室の後ろの席のアルゼンチン人の友達に言ったら、「そんなん世界的現象です。第2政党がしっかりしてたらとっくに政権交代してますわ。」って笑われた。そ、そうか。そうだね。 ところで都議会でこういう選挙参考サイトが作られたのですが、いま、全国的にそれをやろうという動きがあっるようです。反ジェンダーの動きに対抗するメーリングリストで情報交換がされていますのでもし興味がある方は反ジェンダーの動きに対抗するメーリングリストへの参加の仕方をお教えしますのでDMください。 ところで件のMLで紹介されてたページ↓ 結構参考になりますな。頭にhをつけてごらんください。直接リンクはるとなんか怖そうなので。 ttp://www.nipponkaigi.org/reidai01/Activities(J)/meibo.htm ... イガウエノ - 2005年08月13日(土) お盆です。まあね、いろいろと社会関係の網の目の中で生きる社会的動物として何事かする日ですな、あはは。 本日はまず名張のケア付マンションで暮らす、あめでおさん祖母(うちの子らにとっては唯一生き残ってる曾祖母)に会いに行きます。まあ私は孫嫁なんで孫と曾孫とひいばあさんの楽しい対面をサポートすりゃいいんですが、ひいばあさん今ひとつ孫のあめでおさんを認識できないので、自慢じゃないがかつては4世代同居の大家族で育ったマルコが老人通訳を買って出て、いろいろ説明して差し上げる。 そんで楽しい対面も終わり、さあそろそろ帰ろうか、と思ったところひいおばあ様が「いっちゃんはいくつになった?」 ときかれます。 「いっちゃん」というのはあめでおさんの伯母さんで今年60になる方。あめでおさんが「60歳ちやうか?」と答えると、ひいばあさんはワタクシ、マルコの顔をまじまじ眺めて「あんたいつまでもきれいやな〜」と光栄にも誉めていただきました〜。 、、、、まあ60歳としてはマルコ37歳はきれいなのでございましょう。 あはははは(笑うしかない) その後、伊賀上野にあめでおさんの伯父さんをお訪ねして一緒に買ってった柿の葉寿司を食し、1時間程歓談。そこであめでおさんとの親戚関係対面事業はおしまいにして家族4名でイガウエノをめぐる旅に出かけました。 あ〜これまでイガウエノって常にあめでお方親族とともに歩いてた町なんですが、核家族で歩くと今までセピアだった景色が総天然色に変わるような心地がいたしました。 んで、まずは決闘鍵屋の辻に。鍵屋の辻を知らない人は隆慶一郎の吉原御免状とかかくれざと苦界行とか読んでください。たしかどっかに出てきたはず。 次にその近くの墓にお参り。手押しポンプ井戸があったので2児は五月とメイになりきってトトロごっこ。 さらにそこから町の文京地区(小中高と学校が密集してるの。高校は横光利一や平井堅や椎名きっぺいが卒業しているのだ。)をぬけてお城の高台へと登ってまいります。これはあめでおさんがせみの抜け殻を1号さんにくっつけて遊ぶのでマルコが取ってあげているところ。1号さんはせみの抜け殻、さわってもOKですが、おKさんにそれをやると激しく泣き叫んで大変な騒音です。 日本一高い石垣のあるお城から町をのぞむ。 ついでといっちゃなんですが、お城ものぞむ。 そんで本日のメインイベント。忍者屋敷へ。ガイドのクノイチさんは結構テンション低めで淡々と説明してくださるんですが、正式に訓練を受けている公務員のクノイチだけあり身のこなしとか、どんでん返しの実演とか、素人に出来ない動きをしてらっさいました。 忍者ショー。こっちは演劇集団の方々でした。ラストサムライとかにも出たんだそうです。結構面白かったです。外国の方が大喜びでビデオとってました。好きだね〜彼らこういうの。 俳聖殿に似せた電話ボックス。珍しゅうございます。 その俳聖殿が真似たという芭蕉の姿。似てます?? ま、そんなわけでいろいろな方面に家族サービスな一日が終了したのでした。めでたしめでたし。 ... だつどわ2で「転換期の作法」を見に行く。 - 2005年08月12日(金) 木曜と金曜に予定していた仕事が木曜の夜中に終了したので金曜の午後、国立国際美術館の転換期の作法をみにいった(「詳しくはこちら」をクリックした後「展示作品」って所をクリックすると作品の写真画像があります)。 あっこっちも画像があるハンガリー大使館のページ。 ハンガリー、ポーランド、チェコ、スロバキアから10人(組)のアーチストの作品が出展されていた。いずれも90年代以降の作品ということで激動の東欧の「今」を切り取る作品群というのかな、凄く面白かった。比較的遠い存在の中欧、東欧が一気に近くなるっていうか(とくにアゾロって言う4人組のお兄ちゃんのビデオ作品はなんかそういう「ちかしさ」に満ちてたような)。 この前の蹴上経験の余韻もあって、なんだか映像による表現がとても気になる。ポーランドの聾学校を舞台にした「歌のレッスン1」ではたとえ音の無い世界にいても徐々に音楽を楽しみだすこどもたちの解放されていく様子とかとても心惹かれた。 マルコ的には町の中の結構厳しい環境にある子ども達や売れない絵描きさんを映像で表現したチエルナという作家の映像作品に興味をもった。彼の「アート作品」と「ドキュメンタリー」の違いって何かな?と考える。この展覧会に行く直前にOur Planet TVの活動について聞く機会があって、わりとアワプラに意識が行ったまま展覧会に行ったからかチエルナが表現したロマの女性の生活「はざまのヤシカ」が、もしドキュメンタリーだったらどうなるかな〜と考えた。きっとアートのほうが見るものに解釈がゆだねられるって側面はあるかな。 あと、ネーメトという作家の表現がなんか面白かった。 今回はこの展示を指揮したキュレーターさんが一緒に回ってくれていろいろ解説してくれたのだけど、すごい贅沢だ、と感激した。関係ないけどキュレーターさんが途中「分娩台の苔」に水やったり、観覧者が動かして体験できるアート作品の微小な傷をすばやくデジカメで撮影してたのとかも裏方が仄見える貴重な体験だった。 今後この10人(組)のアーティストたちはどんな活動の展開をするのかな。ネーメトがどんなおばあさんになるのか。そして中・東欧は今後どんなポジションの地域になっていくのかな、と地下3階の展示場から吹き抜けの天井を見上げる気分で未来を思った。 ... 竹取の翁、面が割れる - 2005年08月07日(日) 日曜日、お昼までみんなでごろごろして昼ご飯にそうめんを食べた後、1号さんの宿題「アイデア貯金箱」の大検討大会があめでおさんと1号さんで持たれ、今年は竹を素材に貯金箱が作成されることになった。そんで午後の日盛り、法隆寺の西側の竹林にみんなで竹を取りに行った。ここは住宅地からいきなり昼なお暗い竹林に突入する珍しい竹GETポイント。林に入るとひんやりと涼しい。でもいつも蜂がいるのであんまり奥まで入っては行けない。まあそこで適当な太さ細さの竹をGETし、法隆寺まで戻ってくる。 竹を自転車のかごに置いた後、あまりの暑さに門前の喫茶店のソフトクリームを食べに行く。ここは家族経営のとても気分の良いお店で、あんまり混んでない中途半端な時間に行くためすっかり顔を覚えられている。「いつも家族でお出かけできて良いね。」とうちの子らに語りかけてくださるので「いや〜お出かけしないで町内をうろうろしているだけとも言えます。」と答えておく。 ソフトクリームを食した後、「法隆寺をみっちり散歩してのどが乾いたらお寺の休憩所の自動販売機でジュースをかってあげる。」という条件に引かれ、1号さんとおKさんは勇んで法隆寺境内へ。門のところや手を洗うところなどで散々遊んだ後、五重塔・金堂・講堂の3点セットが鎮座するお金の払うエリアに行く(友の会会員の私たちはタダ)。 ここには青い作務衣の寺男さんが多数いるのだが、彼らが口々にあめでおさんに「今日は家族一緒か?」「良かった。心配したんやで。」と声をかける。 はて?家族一緒で良くって心配したとは何事でござろうか? これまでもわが家族はこれ以上は行けないというほど毎週末法隆寺に通いつめている。しかし週末と言うのは比較的客も多く、家族連れもたくさんいるので寺男さんらも私どもを特定の家族としてアイデンティファイはしていなかった模様。ところがこのところあめでおさんはおKさんを保育園に連れていく途中、朝8時に法隆寺に行き、開門と同時にお金を払うエリアに突入し、「おKさんと法隆寺」と言う題名で写真をバシャバシャ撮ってたらしいのだ。 毎朝、朝1番にやって来る父子。友の会会員証を持ってるからタダで拝観できるからと言ってそりゃまあちょっと目だったのかもしれない。 その上、昨日の6日。マルコは1日神戸の方で謎活動に従事し、1号さんはAちゃん一家に連れられて信楽の方に遊びに行っちゃったので、所在無いあめでおさんとおKさんは再び二人で法隆寺行って1日中遊んでたらしい。 これは目立つ。 寺男さんの間では「かあちゃんに逃げられた不憫な子連れのやもめ」と言う定説が出来かけてたのかもしれない。 まあそういうわけで、寺男さんたちに暖かく見守られながらゆっくり拝観したわたしたちであった。でもこれだけ面が割れちゃうとおKさんが法隆寺の国宝の門柱とかにうっかり傷でもつけた日にはばっくれて逃げるなんて事が不可能になった。 清く正しい拝観姿勢を宿命づけられてしまったよ。とほほ。 ... 研究会のち、お茶会 - 2005年08月05日(金) で、準備が早めに終わった研究会@神戸。大過なくやり過ごした。 そんでそのあと京都の誤作動図書館にずずず〜っと移動して畏友のさるとるさんとこれまたなかなか大物、人権派ライターのYokoさんにお会いしてお茶。 私の人生において結構Yokoさんというお名前の方は重要人物が多い。中学校3年生の時の親友もYokoちゃんだったし、子どもをはじめて妊娠した時は桐島Yokoのエッセイを死ぬほど読んで何か、目前に迫る大渦巻きに備えた。アメリカのYokoさん(すでに帰国した?)とは現在の研究の方向性変更にあたってかなり影響を受けたりした。あと現在の共同研究のチームリーダーもYoko先生だ。きっとわりと多い名前であるというのは確かなんだけど、Yokoという名の人と出会うと、いつもドキドキする。 そんで私たちが何を話したかというと一言のキーワードでくくると「被抑圧者と教育」というなんかパウロ・フレイレっぽい話題でごわした。 、、、、さるとるさんよ、たまにはわたしらもまじな話をするのよね!ってかんじでしたな。時にはまじにならないとね。おほほ。でもすごくワクワクするお茶会90分1本勝負でござんした。 ... だつどわ - 2005年08月04日(木) 我が泥縄しなかったから、8月4日は「脱・ど・わ」記念日。 5日に研究会の発表があった。恥ずかしながらワタクシ、いつも発表準備はぎりぎりで、発表直前にプリントアウト完成!ってかんじで発表会場に駆け込むのでございます(これは学生になる前のNGO職員時代も一緒。てめえが講師の講演があるときとかも絶対移動中の乗り物の中で話すことチェックとかしてました)。 しかしこの日、私は違いました。3日夜に発表準備が終わったので、4日は1号さんとおKさんの学童と保育園を休ませて弁天町のコナミスポーツクラブのプールズ行っちゃいました。勢いあまってお向かいにすんでるAちゃんもさそって行っちゃいました。 ああ、これをきっかけに泥縄人生から脱出したいぞ、我は。 ...
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