りかちゃん-命の重み - 2002年10月30日(水) さて、秋祭りの日に金魚すくいでもらってきた3匹の金魚は白い斑点のできる病気になって次々と死に、この日最後の1匹も死んだ。 初めて飼ったペットではあったが、こうスチャラカ死なれては命の重みを知るどころではない。 何とか娘1号に金魚を通じて命の重みを感じてもらいたい私は、最後の1匹に名前をつけさせた。娘1号は自分の娘を産んだらつける予定の「りかちゃん」と言う名前を惜しげもなく与えた。 しかしりかちゃんは体中白い斑点を作って死んだ。 娘1号はりかちゃんの死体を前に「かわいそうに」とつぶやき目を伏せ、3秒後に、「サ、次の金魚を飼おう。」とドライに言った。 金魚の死体を埋める土をマンション住まいの私たちは持たない。そこで家族で近くの「新池」と呼ばれる沼に金魚の死体を放しに行った。 新池にはたくさんの青鷺が群れ飛んでいた。りかちゃんは青鷺に食べられて 大自然の炭素循環に身をゆだねる。 りかちゃんを沼に捨て、家族みんなで手を合わせて 「どうか成仏してください。南無阿弥陀仏。」 と声を合わせてお祈りした。 次の日、私たちは近くの観賞魚センターで、金魚を2匹買った。 一緒に白斑病の予防・治療薬も買った。 ... 人に歴史あり - 2002年10月29日(火) さて新居の(1月経ったら新居でもないか)隣人にK氏というすっきりした1歳女児を養育中の御婦人がいる。 K氏は専業主婦さんだ。 何かの拍子で私がその昔、青年海外協力隊員だった話をしたとき、彼女はさらりと言った「私はヤマギシにいたのよ。」 ヤマギシと協力隊を一くくりにして論じるのはなかなか乱暴だが日本社会から飛び出し、また再加入した者同士、1度飛び出して帰ってこようと思うと、日本社会って奴は厳しいよね。という線で話があった。 何食わぬ顔でマンションで専業主婦している人々も、まあいろいろと歴史を抱えているのです。 ちなみにヤマギシでの体験的物語は大変面白い。私のケニアぶいぶい物語よりいけてるかも。 ... 初心 - 2002年10月26日(土) 将来のことなどつらつら考える。 24歳のとき大学院の修士課程を修了して以来、国際協力関係の仕事をしてきた。 関西でもそれ関係の職場に就職するか国際協力を研究する大学院の博士課程への進学を考えている。 さて、そうしたキャリア形成の先には何があるのだろうか? いつか途上国の現場に長期赴任したい。(この6年間、短期出張は繰り返してきたが、年単位の赴任は24歳から26歳までをすごしたケニア以来していない。) 現在0歳と5歳の娘たちが、5歳と10歳になったらそれは可能だろうか?あるいは10歳と15歳になったら?夫@あめでおを日本に残して娘をさらっていこうか? 私のキャリア形成のいく末には、この家族の(1時的とはいえ)分解が待ち構えているのか? そんなことを悶々と考えつつ引越し荷物を片付けていたら、ケニアでの2年間私が夫@あめでお(当時は恋人@あめでお)にあてた手紙の山が出てきた。 ケニアでの活動、ケニア人との葛藤、協力活動の方向性への疑問、ケニア史上初めての複数政党による選挙に伴う世情の乱れ、さまざまなことが書かれていた。そして手紙の最後には必ず 「日々は楽しい、しかしあなたに会えないのが寂しい。1日も早く会いたい」 と言う趣旨の言葉が書かれていた。 私はケニアではじけつつ、寂しかったのだ。 あめでおと離れて寂しかったのだ。 だから帰国して様々な進路の可能性の中からあめでおとの結婚を優先し、その結婚を維持できる方向で職業を選択したのだ。 今、再びはじけたいと思い、キャリアの形成の方向性を思案しながら、昔の手紙はあの日々の寂しさをまざまざと呼び戻す。 どちらに進んでいくべきか、悩む。 ... 草食獣の群れの中で - 2002年10月21日(月) 職安へ行った。高齢者とヤングが多かった。 受付のおば様も面接してくれたおっちゃんも、雇用保険給付の説明をしてくれた兄さんも大変感じが良くて有能な人々であった。しかし、失業者の群れは大変面白かった。 「405番の方どうぞー」と呼ばれてカウンダ−をガンと蹴りながら座るヤンキーの兄さん。経験も資格もないけどヘルパーがやりたいと主張し続けるおばあさん。受付のおば様に大変親しげなタメ口をきく一見浮浪者風のおっちゃん。私もその群れの中の一人として正しく就職活動をしてきた。 神戸を通勤希望圏に書いたら面接官のおっちゃんに 「神戸なんて遠すぎる。『奈良の人なんていらない、こっちの人間でやりますわ』といわれるのがおちや。」と一くさり説教をたれられる。おっちゃんは説教せずにはおられん体質のようだったがそれもまた、いとおかし。 自己都合退職ながら、夫の転勤で遠隔地にきて不可抗力の退職ということがはっきりしているので 1週間後から雇用保険給付が開始されることとなった。 そしてハローワークから出ると突然腕をグイッと引っ張られる。満面の笑みを浮かべた小奇麗なおばさんが 「どや?いい仕事あった?もしなかったらここで私とはたらかん?」 おばさんがくれたチラシには「生命保険のセールスレディー募集」とあった。失業者の皆様と比べて生保ヘッドハンターのおばさんは額がてらてらしていて “肉食獣” と言う印象でした。 帰宅して娘2号の面倒を見ていた夫とタッチ交代。 昼から出勤の夫の後姿を見送りながら、職安と縁のない人生を送る夫に対しまた一つ経験値を高めてしまったわが身を思う。 ... 不惑の手前 - 2002年10月17日(木) そういえば昨日は私の35回目の誕生日であった。 5年前の三十路突入誕生日は娘1号の出産6日後で世界中が私の誕生日を忘れた。 今年は夫がケーキとプレゼントにコーヒーメーカーを買ってきてくれた。感謝。 娘が言う。「もし引っ越したのが全部夢で、今も川崎の家にいたらいいのに。」 母もそうだったらいいと思うことはあるが、それでは前には進めない。もう私たちの現実は回転をはじめている。 ... 主婦との遭遇 - 2002年10月15日(火) さて入居した新スイートホームは新築マンションのはずであった。しかしたくさんの原住民が住んでいた。 マンションは5階建ての既設部分と3階建ての新築部分が接合している。私たち一家は新築部分に入ってきた。 3年前に建てられた既設部分に暮らす人々は多くが専業主婦で皆仲がよい。 そしていきいき、というかぎらぎらしている。 私自身が抱いていた主婦のイメージとはかなり遠い。 それには理由があった。 既設部分に住む人々にとって入居2年目のある日、突然、新設部分のマンション建設がはじまった。事前にはA4の紙1枚で新しくマンションの拡張工事が始まることが短く告げられただけだったと言う。隣接する工事現場の騒音振動の中で住民は暮らさねばならなかった。 「工事現場で暮らしてるみたいだった」とはおとなりさんの言葉。 そんな中、住民は連帯し、大家さんや建設会社との話し合いや慰謝料の交渉が始まった。現在も慰謝料の交渉は続いている。つまり戦いの最中に私たちは問題の新設部分に引っ越してきたのだ。 ここの人たちは自らの生活を防衛するために戦いのさなかにいる人たちだった。 それでも私たち一家(かなり微妙な立場だ)を歓迎し、今日は5家族の奥さんが夕方うちに遊びにきてくれた。そして戦いの話を面白おかしく話してくれた。 主婦も悪くない。 そう思う秋の夕暮れ。 ... 帳尻を合わせる - 2002年10月13日(日) 奈良公園に鹿を見に行ってきた。 「奈良には町に鹿がうようよしている。楽しいから行こうよ」 と引越しを渋る娘1号を説き伏せてココまで来たのだ。 やっぱりお出かけはまずは鹿見物でしょう。しかし鹿もはアレだけいると鳩のようですわ。 鹿を見て大仏を見て国立博物館の地下のおしゃれなカフェテラス(葉扶泰夢だっけ?)で食事をして帰る。 娘1号はその道のり約5キロを歩きとおした。 えらい。 母の手が途中で鹿せんべいくさくなったので「だっこ」と言えなかったらしい。 これからずっと鹿せんべいくさくありたい、と思う母であった。 娘2号は抱っこ紐に揺られてぐうぐう大仏のような顔で寝ていた。 これもえらい。 しかしお食事タイムにうんこをしてしっかり帳尻を合わせていた。 ... 聖徳太子はトトロのリズムにのって - 2002年10月12日(土) 法隆寺の秋祭りがあり、地域の保育園にいっている娘1号も法被着て参加した。 聖徳太子と小野妹子と聖徳太子の奥さんの扮装をした人々の後を娘1号の保育園の子らがトトロの山車をひっぱって行列する。 なんかファニーな感じ。 トトロの音楽にのって聖徳太子が歩くと言うのもねえ。 解散後、金魚すくいなど屋台を冷やかして帰宅。勢いで3匹の金魚を飼うことになる。近所の観賞魚センターで水槽や空気ポンプなど一式買う。 家で子ども以外の生き物をはじめて飼育することとなった。 ... 運動会、老人が炸裂する町 - 2002年10月05日(土) 今日は娘1号の運動会。4日間慣らし保育で1ー2時間通っただけで、いきなり運動会。 過酷だと思った。 しかし保育園キャリア5年は伊達ではなく、娘はいかなる競技も淡々とこなしていく。フィナーレのリズムダンスだけは練習できていないということで不参加を申し渡されていたが 「わたしはコレは出ないんだよ」 と納得して見学していた。立派。感涙。母は親ばか涙の海に沈む。 親ばかなのは良いとして、保育園文化の地域差をかなり感じた。 まずは開会式。前の園では園長が子供向けにお話していきなり始まったが、今度の園では町のVIP(助役とか町議会議長)が保護者(有権者)むけに長々と演説し、 その他の来賓が一人一人丁寧に紹介される。さらに園長もまず保護者向けにお話をし、子供向けにちょろっとだけお話してやっと運動会が始まる。 長い大人向けの時間の間炎天下で子供はずっと気をつけをしている。こうやってなんか楽しくない集団生活を学んで学校嫌いの子供が生産されるのかと母は一人得心した。 また2世帯同居が主流なのか核家族で見学している人は少ない。祖父母参加競技(!)の玉入れでは「大丈夫か、じいさん」という雰囲気の御老人が飛び跳ねて、たまいれしていた。 老人が輝く町ということか。 高齢化社会にあっては正しい町のあり方ということか。 ... 10月総括 - 2002年10月01日(火) いやー、やってきました、関西。濃いわー。 何が濃いのか今ひとつわかりませんが お江戸とは違う神様が治めている領土ってかんじがします。 とにかく言葉が違うのが異国って感じを引き立てます。 家から法隆寺の五重の塔がみえて夕方にはゴーンて音がします。 でも法隆寺は入場料が(拝観料って言うのか?) 1000円もするため、まだ中まで入ってない。 外庭から中をのぞきこむだけですわ。 町民優待券とか友の会とかは無いようです。 注)ちなみに法隆寺友の会はございました。この日記を書いて舌の根も乾かんうちに11月に入会しました(補記2004年1月4日) ...
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