小馬鹿なさっかの処刑人日記
GET TO HEAVEN.
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2003年03月31日(月)
うごいています。

睡眠欲に溺れてしまいそう。ぶくぶく。


4月は新入生を歓迎すべき季節です。
というわけで僭越ながら私も学生の特質上、
サークルの立看板のひとつを作成いたしました。


パソコンで描いた絵を拡大・分割してプリントし、
それを並べてベニヤ板に貼りつけます。
去年まさしくそれを行った同輩・たすく先生は、
私にとってかけがえの無い、頼れる技術指導者でした。
彼は私の電話に出てくれませんでした。


3月30日、締め切りを破っていた私は、
副団長のキリングハンドに怯えたり、
副団長のキリングハンドに怯えているフリをしたり、
副団長のキリングハンドに怯えたりしていました。
私用で横浜に寄り、おつかいで新宿に寄った後、
やっと4時頃、学校で絵を張る作業を開始。


絵を張り合わせていくと、なんと、不足部分がありました。
まさか。
血の気が引く思いでした。
家に忘れてきたんだろうか、まさか…。
横浜で落としたんだろうか、まさか…。
とにかく自宅に電話をしましたが、忘れ物は無いとのこと。
泣きそうでした。


そこへ、電話口のおかんが一言。
「ええやん一枚くらい。どーせ背景のとこやろ。要らんって!」
心の拠り所を失いかけていた私は、口から先に瞬間同意しました。
「なるほど、そーやな、要らんな! ほなええわ、じゃっ!」
会話終了。


白い視線を浴びてうっとり。


副団長「…もう僕は関西人を信用しない…」


さて、そのような経緯で消えてしまったミッシングピースですが。


別の紙の裏側に、両面テープでくっついておりましたとさ。


副団長はキリングハンドすら繰り出してくれませんでした。
(偉大なるボケに対して、礼節に欠くことですよね)
てか、君も一緒に探したけど気付かなかったじゃないか…。
私だけ白い視線を浴びてもう笑うしかない。


なんだよ、うっかり者の何が悪い。(←逆ギレ)
結果オーライでいいじゃんか。
こーゆーもんは気合いで作るんだ、気合いで。
気合いが伝わればそれでもういいんだ。
善人なほもって往生をとぐ、いはんや悪人をや。(←混乱)
眠い。




その頃、隣の廊下では。
命知らずの団員数名が満面の笑みと共に、
キャスター付の椅子に人を乗せて押したり、
拾ってきたローラースケート付スニーカーをはいたり、
(何故か前後2つもローラーがついていて停止が難しい)
ひたむきに速度の限界を開拓していました。
輝かしいその雄姿はまるで、単なる中学生でした。




その夜、闇にまぎれて数枚の立看板を掲出すべく、
団員たちはコソコソと大きな板をエレベーターに詰め、
コソコソと本部キャンパスへ向かいました。
しかしキャンパスの門が閉まっていました。
仕方なくちょっとうろたえた後、
その辺の別のサークルの立看板の裏に立看板を隠して、
我々は何食わぬ顔でそのまま夕食に出かけました。





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2003年03月30日(日)
悲しみ重ねて大人に…

人類の大部分が目を覚ますべき時刻に、
目を覚まさない私が布団の中にいた。
昨日意識を失ったのは午前4時。やがて気がつくと昼。
連日こんな暮らしをしている自分に嫌気がさし、へこむ。


気を取り直して、学校に提出する「クラス希望届」を書く。
これはクラス割りの際に参考される書類で、
希望クラスと、そのクラスを希望する理由を書く欄がある。
内容が熱いほど、希望のクラスに入りやすいらしい。
私は悩んだ末、希望クラスを修正液で訂正した。
迷いが明確に現れた希望届が完成し、へこむ。


気がつくと事務所が閉まる5時まであと一時間と少し。
ぎりぎりまで悩んでいた私が悪いのだが、
身支度もそこそこに、
着信のあったバイト先に折り返し電話をかけなおしたり、
ちょうど来ていた母親の客に丁重な挨拶をしたり、
車のいない道で赤信号を待ったりしていたら、
事務所に間に合う最後の電車の発射ベル。
扉が鼻先でプシュー。
ガタンゴトン。




  もろびとこぞりて むかえまつれ
  久しく 待ちにし
  主はきませり 主はきませり
  主は 主は きませり


(解説:さっかは自分のアホさに驚き、呆然とした)




5時に5分遅れたため、事務所は閉まっていた。
5分。
人生のうちのたった5分。
その5分の使い方を誤った私。


事の優先順位というものを、
常にきちんと脳内で整理していれば、
このようなことは起こらなかった。
自己分析の後、へこむ。


とぼとぼ帰宅。





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2003年03月25日(火)
REMEMBER

ある日の部室にて。
姉を持つG君1号は、小さい頃よくお姉さんに、
「お前は橋の下で拾われた」と言われていたらしい。
うちの兄貴も昔よく、同じことを言っていた。
首をひねる我々に対し、
弟を持つG君2号が、おもむろにこう語ってくれた。
「小さい頃の兄貴なんてそんなもんだよ」
G君2号は弟に、同じことを言っていたらしい。
「焦って必死で否定する弟が面白かった」


そういえば小姐(シャオチエ)も、
弟を怒らせておいてトイレに鍵をかけて籠もり、
足を持ち上げて一切の反応を絶つことで、
焦って必死に呼びかけてくる弟を楽しんだそうな。


どいつもこいつも。


しかしまあ、中学生にもなれば、下の子供にも知恵がつく。
兄や姉が理不尽であることを理解し、
不満を覚えるようになるのである。


その頃の兄妹喧嘩の内容を抜粋しよう。
(どの方言で言ったか記憶が無いので共通弁で記述)


私「うちのにーちゃんは頭オカシいって、
  私の友達みんな言ってるぞ!」
兄「お前が外で歪曲したこと言うからだろバカ」
私「実際オカシいから言われるんだろ!」
兄「うわー、外で愚痴言ってんのサイテー。浅はかー。
  俺の友達には、お前がバカだってことは有名だ」
私「それもお前が言わなきゃ有名になんねーことだろ!」


……。


なんちゅうお互い様感あふれる兄妹か。





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2003年03月20日(木)
三舎戻って二歩戻る

ぎゃっ、前回更新したのって、3月5日じゃないかっ!


えーっ、てことは、なんだ、落ち着け私。
今日が学部の成績発表の日、つまり3月20日だから、
20から5をひいた差を求めたい。
0から5は引けないから、十の位から1借りてきて、
結果十の位が1になって、一の位は10−5だから5で……


よって差は15日。


……。


な、なーんだ、思ったよりたいしたこと無いじゃん。




私は元気です。




というわけで、一大引越しムーブメントを巻き起こした後、
やっと生活も安定してまいりました。
自宅PCのネット環境も、このとおり、
アナログ回線ながら復活いたしました。
やんややんや。


そしてこの時期とは、
引越しのドサクサで忘れていた用事が再発掘されたり、
引越しの後始末的に発生する住所変更的業務が大量発生したり、
ひつじ陛下の御生誕記念日がもうすぐだったり、
学部成績発表&科目登録だったり、
家庭教師派遣会社に出す報告書がたまってたり、
泣きたくなるよな夜が
全ての世界を埋めつくしても
君とならば
どんな悩みも
きっと分かち合えるだろう♪




……春がひとを駄目にします。




リピートアフターミー。




春がひとを駄目にします。




「また〜、責任逃れしてっ」とは、高3時の担任の言葉。





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2003年03月05日(水)
部屋とプレステと私

私は今、時折WEB日記をつける生活をしているわけだが。
高校生の頃は、フツーの手書きの日記をつけていた。
それが何かの拍子に発見されるたび、
私は懐かしい思いを胸に、その小さな表紙を開く。


平凡な高校生活が綴られた過去の記録。
今見ると、もはや全てがビミョーな話のタネだ。


例えば、1997年6月20日、金曜日。
この日は「ファイナルファンタジータクティクス」の発売日だった。
台風のため高校は午後から休校となったが、
私は暴風雨の中、予約しておいたコンビニへ自転車で急いだ。
その後、兄に奪われることを恐れて秘密裏にプレイ開始。


6月22日、日曜日。FFTの存在が兄貴にバレる。
兄貴はペンダントを掴み、ダウジングで私の部屋の捜索を決行。
見当違いな所を探しつつ、「オープニングだけでも見せろ」としつこい。
しかし私は一歩も譲らず、FFTを隠し通した。


6月31日、月曜日。さっかのテスト前の姿が明らかに。
「昨日は多くの時間を英単語に費やしたがあまり覚えていないうえに、
 プリントからしか問題が出ないことがハンメーってゆうか、
 私の昨日は何だったのか、ああ空よ、ああということを言いたい」
壊れかたが今とあまり変わっていない。


9月2日、火曜日。
「朝■君の話し方は大槻ケンヂに似ていると判明」
この日私は、帰宅するや否や風呂に入り、すぐさまゲーム屋へ行った。
「体が活動的になっていたのである。しかし新品うりきれ。
 中古なんていつ入るかわかんねぇ。ちっ。トラバターくえ。
 あちこちまわってやっと中古のポポロクロイスを買う」
ここで、「トラバターくえ」という気になる言葉が登場する。
これは当時、一部の人間(約2名)が多用した一種の悪態で、
トラがぐるぐる回ってバターになったものを食え、という意味だ。
わかりにくいけど、とりあえず命令形だし、悪態っぽい感じがする。


そして9月21日、日曜日。文化祭の二日目。
「美術室で、赤に白抜き文字の『シャア専用』うちわを作成」
当時の私の頭の中は、所詮こんなものだった。


「おばけやしきに行くと、ニュータイプの安藤先輩が、
 ベールで顔を隠したワケのわからんカッコをしていた。
 もう一人同じような人がいたので、2号と名付けた。
 私達はニュータイプ安藤先輩に安内された」(←誤字)
私達、とは当然、私と友人バカ(作戦名)の約2名を指す。
当時の我々は、連日行動を共にしていた。
(ちなみに二人ともZZガンダムをビデオに録画していた)


「マイムマイムは熱いので参加。
 私の右にいたクマちゃんは、隣の男子群に引っ張られ、
 ガーッて走ってっちゃったので、私は手ェはなした。
 付き合いのいいクマちゃんは、転びそうになりながら、
 男子どもと一緒に炎に影を刻み、光のふちどりとなっていた」
無駄に文学的。
うちの高校には、マイムマイムの時に可能な限り炎に急接近し、
可能な限り高く跳ぶや否や可能な限り遠く離れる、という、
激しくもあわただしい伝統があった。


そして、そんな興奮も落ち着き始めた10月23日、木曜日。
「帰ってからはFFタクティクスをやった。
 アルテマのラーニングはつらいし、死ぬ。
 兄貴がコントローラーうばうから、つかんでわめいて、
 その後にポポロをやり、闇の世界まで進む。
 なんか母ちゃんが塾へせかすので、
 『せっかち』とか言って放置しておいたら、
 彼女は時間を1時間まちがっていた」




最後に、ある日の日記の最後の言葉を引用しておこう。
「なんだか日記とは、これすなわち、スッゴク人に見せたくない」


……この数年後、私は日記をWEBで公開する人間と化す。





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2003年03月03日(月)
BURN BABY BURN

ピアース・ブロスナンは確かに頑張っている。
しかしいかんせん「女は皆★俺に陥落!」感に欠く。
ボンド役はやはり、TV版の初代が最強だ。


だから今日放映された「ワールド・イズ・ノット・イナフ」も、
特に興味深く思ってはいなかったのだが…。
敵役にロバート・カーライル。
あぁくそぅヤラレタ。2時間カーライル見ちゃったよ!




って、急にこんな話をされても、
一般読者の方々にとっては何がなにやら、だよね。
テヘッ☆ ゴメーン☆ ユルシテ☆


じゃ、もっと一般的な話でもしようか。
例えば、おかん。うわっ、一般的ィ♪
うちのおかんは以前、板橋実氏から夏みかんが届いた時、
「そうや! これから板橋さんを、板橋みかんさんと呼ぼう!!」
と言い出した。
……板橋さんは、あなたの知り合いではありませんが。
「なぁ、これ、本人にゆっといてや、な、なっ!」
……言ったら私が変だと思われますが……。




結局言ったけどさ。(←ネタに弱い)




しかもさらに後日、おかんは言った。
「板橋、みかんが、みのる!」
……。
「板橋、みかんが、みのる!」
……おのれ、二度までも。
「これ、ゆっといてや、な、なっ!」




この人を野放しにしているのは誰ですか?





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2003年03月01日(土)
帰宅後折り返し聖地カナーンへ

長旅から帰還した私を待っていたものは、
壮大華麗な自宅移送計画でした。(←引越し)


計画成功の暁には、定期は安く、学校は近くなり、
東京めぐりはグーッと楽になってしまいます。
なんという、なんという素晴らしい魅力でしょうか。
私がつい熱心に計画準備に打ち込んでしまうのも、
当然の成り行きだとは思いませんか。


私がつい、日記の更新を怠ったとしても、
当然の成り行きだとは思いませんか。
引越し作業をその言い訳にしたとしても、
当然の成り行きだとは思いませんか。


てーかさー、
みんなこだわるけどさー、
日記ってさー、
そんなに更新しなきゃだめー?




(作者が殴られている間、しばらくお待ちください)




わかった。
旅行記は、これから追々埋めてゆく。
約束する。
腹は止めてくれ。
うっ。
背中も止めてくれないか。
ぐっ。
ぐはっ。




(作者が蹴られている間、しばらくお待ちください)




さて。


平和裏に話もまとまったところで、
引越し後のさっかに期待してください。
きっと日記を更新してくれますから。


輝かしい未来がそこにあります。
だいじょうぶ。
私を信じて。
棒読みではないですヨ。
私ニホンジンアルです。
カメニモマケズ。
ハナセバワカルー。





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 noted by さっか