ビー玉日記 | きのう もくじ あした |
2004年06月26日(土) 戦うオーケストラの宣戦布告 都響支援ネットワーク・コンサートに行ってきた。 (都響が現在直面している問題の詳細はコチラ) 普段の仕事をこなしながらの、忙しい合間をぬってのコンサート開催。 都響の楽団員だけでなく、日本の他の楽団やソロで活躍している音楽家が応援で駆けつけた。 演奏家も裏方も全てボランティア。つまりノーギャラ、ってこと。 このコンサートに誘ってくださった楽団員の方はこのところずっと楽器以外のこまごまとしたことで睡眠不足が続いているとメールに書いていた。 それでも、頑張る、とも。 そんな手作りの、急仕立てのコンサート。 中身は本当に濃くて、言葉で全てをうまく言い表すことはできない。 こういう気持ちは、その場にいた人にしか理解できないかもしれない。 人に何かを訴えるために開かれたテーマのあるコンサートは初めてじゃないけれど、こんな風にたくさんの人たちの熱い想いをまともに浴びたのは初めてだ。 ヴァイオリンの小林美恵さんの凛々しい演奏、ステージの上で伸びやかに声を響かせたソプラノの澤畑恵美さんに、最後まで姿を見せることなく舞台裏から歌いかけるテノールの吉田浩之さん。 もの悲しい旋律に心の奥底の怒りを表明したジャズピアニストの佐藤允彦さん。 別のコンサート終了直後に駆けつけた中村紘子さん。譜面も持たずにピアノの前に座ってショパンの「革命」を披露。(パンフレットには、名前だけで作曲者も曲名も空白になっていた。) 音楽室で休み時間に、ピアノが弾ける人がさらっと練習曲を弾いていたみたいに、中村さんにとってはなんでもないことみたいに見えた。だけど胸の中に燃える想いを吐き出すような、強い演奏だった。ピアノに触れていない時は上品で温和な方、という雰囲気なのに。 さすが。カッコイイ。 どの曲を聴いても、音楽で食べていくということは只事じゃないな、と感じた。 これだけのレベルじゃなくては、ステージに立ってお金をもらうことの許されない世界。厳しい。 もうここまで聴いたら、これだけでも充分満足だと思った。 だけど、すっかり最後の一曲にやられてしまった。 ラヴェルの「ボレロ」。 正直に言うと、今まで私はこの曲が好きではなかった。 同じフレーズをずーっと繰り返すだけ。「カノン」と「ボレロ」は面白くない曲、と思っていた。 打楽器にとって「ボレロ」は最初から最後まで同じフレーズを同じテンポで続けなくてはならない(しかも最初は囁くような小さな音からはじまり徐々にクレシェンドしていく)曲で、人間メトロノームにならなくてはならない、ものすごい難曲。 学生の頃選曲で挙がるたび、即答で断固拒否してきた。 私には無理。それだけの腕も根性もない。緊張で死に至る。 その苦労をしてまでやるほどの曲でもないと思っていた。 ……恥ずかしながら。 今日の演奏を聴いてわかった。 「ボレロ」のよさはCDでもDVDでもなく、本物を見なきゃわからない。 各楽器が自己紹介をするようにソロで同じフレーズを歌ってつながっていく。 一人ずつ音が重なっていって、徐々に気持ちが昂ぶっていく。 ちょっとずつ人の手を借りて力を得て、百人力、勇気百倍で勇ましく戦いに臨む戦士の行進曲みたいに聴こえてきた。 最後には2階席の私のところまでオーケストラがそのまま歩いて迫ってきそうだった。 納得。今日のコンサートのメインにふさわしい曲は、マーラーでもチャイコフスキーでもなく、この曲でしかありえなかったんだ。 あー、いい演奏会だった。 もっと演奏会に足を運ぼう。 音楽は五感で味わうもの。 あの場にいた誰もが帰り道にそう思ったんじゃないかな。 |
2004年06月25日(金) ウエハースの椅子 江國香織さんの「ウエハースの椅子」、読了。 久々にこの独特のまったり感を味わった。 味わった、というととても楽しんだように聞こえるかもしれないが、実はそれほど楽しいことじゃなかった。 物語に入り込んで真剣に読みながら、イライラしていた。 苛立ちながらも、最後まで読み続けた。 物語はゆったりと進行する。 進行、という言葉すら適切ではないくらい、遅々とした流れ。 主人公の淡々とした語りが、一貫して変わらない。 山とかムラというものがまったくない。 まるで何も見るものもない平野の中の一本道を、同じテンポで歩いているような感じ。 半ばまで読んだ時、今はこの本を読む気分ではなかったかもしれない、選択を間違ったかもしれない、と思った。 だけど、別の本を手に取る気分にはなれなかった。 最後まで読み終えなくてはいけない気がした。 そして読み終わった今、苛立ちの理由をはっきりと自覚した。 主人公は自分とそっくり同じなのだ。 自分と同じものに対して、私はひどく拒絶を示すことがある。 特に自分の嫌いな部分が一致することに対して。 今この本を選んだことは間違いではなかった。 たぶんいつか自分が犯すかもしれない過ちを、この本の主人公を通して体験できた。 だから自分にはこういうことは起こらない。 もう充分感じとれたから。 この本を最初から最後まで自分の意志で読み終えて、しかもこの物語の主人公と同調してしまう人、というのは一体どれくらいいるのだろう。 Web上で他の人たちの感想を見ると、「きれい」とか「せつない」という言葉が多いけれど、それ以上の何かを感じてしまうのはもしかしたら健全ではないのかもしれない。 でも、ちゃんと私はこの物語の最後が絶望的じゃないことも感じとれた。 パンドラの箱に希望が残ったように。 私が江國香織という作家の紡ぐ言葉に惹かれるのは、自分と同じ何かを感じてしまうからだと気付いた。 見なくても生きていけるものをあえて覗いてしまった一人として。 |
2004年06月21日(月) 台風 台風の風の音を聞くのは久しぶりだ。 窓の外を吹き荒れる音に胸をざわつかせる。 住んでいるアパートは学生の頃住んでいたところみたいに木造じゃないし、風が吹いてもトラックが通っても揺れない。 ベランダが少し奥まっていて風通しも悪いので、強い風が部屋の中に入ってくることもない。 それでも。 なぜか、胸騒ぎ。 本能では怖いんだと思うけど、何かを期待してわくわくする気持ちも確実に存在している。 いくつになっても変わらないな、この不謹慎な感覚。 |
2004年06月19日(土) 真昼の電話 お昼に電話が鳴った。 相手は、中年の男性。 「奥様でいらっしゃいますか?」 「いいえ」(まだ結婚してないし) 「おうちの方いらっしゃいますか?」 「……いません」(子供の声に聞こえるのか??) 「じゃあまたかけます。失礼しまーす」 なんじゃ、そりゃ。 ていうか、あんた、誰? |
2004年06月18日(金) ESP 「ね、森崎さん。ESPってなんだと思う?」 朝、AさんがPCの画面を見ながら突然私に聞いてきた。 「アメリカのJohnからのメールに、ESPってあるんだけど……」 JohnとAさんは最新のICチップのことで以前からいろいろとやりとりをしている。 その関係のメールだと思われる。 うーん、なんだろ。と一瞬思考を停止した私。 すかさずBさんが言う。 「ESPって、エスパー、だろ?」 「えっ」 それは私も思ったけど、まさか、それだけは。 でも、アメリカだし、ありえないこともないか。 思わず顔を見合わせて3人で笑う。 「けど、X(うちの親会社の名前)ではそういうの研究する部門があるんだよ」 とちょっと脱線してマジメに話すBさんの言葉に、Xならありえるな、となぜか納得して、ふーん、と相槌。(Bさん、これは冗談だったんですか?) 「Johnに聞いてもいいんだけど、前にちょっと聞いたら“なんだ、お前そんなことも知らないのか”って感じで笑われたからやだなー」 とAさん。 それはヤダよな。 Aさんの和訳による文脈から考えると、ICチップに関わる会社とか団体とかの略称かもしれない、と私はインターネットで「ESP」で検索をかけてみた。 ESP、それは。 Electronic Sound Products。 Entertainment Software Publishing。 English for Specific Purposes。 傑作だったのは、Electric Sleeping Panda。 いろいろあるけど、どれも違う、って感じ。 そこへちょうど最近海外赴任から帰ってきたCさんがやってきた。 「ちょっとちょっと」とAさんが彼を捕まえて、画面を見せる。 「英語得意だよね。ESPって何かなあ?」 画面を覗き込んだCさん、即答。 「Especially、じゃないですかね?」 ああー、そういうことか。 全員納得。そういうとこ略すなよ。と勝手に怒ってみたりしつつ。 「よかったー、Johnに聞かないで」とAさん。 まったく同感です。 |
2004年06月17日(木) あわてるOLはもらいが少ない あわててメールを送って大失敗する、ということの絶えないダメOLとは私のことです。 またやっちまいました。 朝、受信ボックスを見たら、「XX Rest」(XXは某システムの名前)というタイトルのメールがあった。 なんだ、Rest(休息)、って。ウィルスメールか? よく見ると、Ccに自分が所属しているグループアドレスがあるために受信トレイに入った、自分自身が送信したメールだった。 あれ、私、何送ったんだろ? とそのメールをチェックしたら、思い出した。 「Restructuring(再構築)」と書くのにスペルを一応確認しようと思ってるうちに先に本文を書き出して、うっかりそのまま送ってしまったんだ! なんだよ、Rest、って……。 頭にRestが渦巻く。 せっかくずっと気になっていた用件が片付いて、送信後はすっきりした気分で「私ってやればできるじゃん!」などと内心自画自賛していたのに。 あほだ。 一番困惑するのはきっとこのメールを受け取った人たちだよね。 「何、Restって?」と朝から思っているに違いない。 すんません。 |
2004年06月16日(水) 魅惑のスパイス 辛いものって、一切ダメだったんだよね。 子供の頃の私。 バーモントカレーの甘口を、辛さのあまり泣きながら食べてた。 (その横で弟は大人と同じインドカリー辛口を平らげていた) 「カレーの王子様にしてよ」と泣きながら訴えたら、却下された。 カレーライスが子供の好きなメニューNo1だなんてまったく理解できなかった。 ハヤシライスの方がうまいじゃん、って思ってた。 年とともに少しずつ慣れて多少は食べられるようになっても、辛いものは苦手だった。 大学の先輩の結婚式の二次会がタイ料理だった時は、涙と鼻水で完食なんかとても無理だった。 そう、あの頃までは確実に苦手だった。 その私が韓国料理にはまる日がくるなんて、一体誰が想像しただろう。 会社の近くの韓国料理の店に同じ部署の人たちと出かけた。 ランチで来た時、私はここの「ユッケジャンうどん」に惚れた。 スープが鼻水が止まらないくらい辛いのに、辛い中にもちゃんと味があることに感動した。 今度は夜に来ましょうね、と言っていたのをようやく実行に移したわけだ。 キムチは、正直言って苦手だったんだ。(生のニンニクが苦手) でも、今日は結構食べちゃった。 しびれた舌をクールダウンさせるお酒の助けは必要だったけどね。 そして、本日のメインディッシュは、蟹チゲ。 蟹のだしがいっぱい出てて、シーフードな感じのスープが喉ごしに刺激的。 最後はうどんを投入。 これがまた、たぶん半分冷麺の材料が混ざった透明な麺で、噛み応えがあって、硬め好きな私の好みの麺なわけで。 大満足な夜でした。 そもそも私が辛口の食べ物を食することができるようになったのは、5、6年前に泣きながら食べた「四川チャーハン」がきっかけだった。 あれを食して以来の劇的な味覚の変化に自分自身が一番驚いている。 |
2004年06月14日(月) LIFE is not so long 以前の勤め先の役員が亡くなったことを聞いて、仕事の後でお通夜にでかけた。 朝、目が覚めたら、隣で眠っていた人が(昨日まで普通に一緒に生活していた人が)亡くなっていた、というのはどういう感じなんだろう。 私なんかは本当に遠い他人だから、「苦しまないですんでよかったのかな」とか簡単に思うだけだけど。 人生は短い、とは思わない。 でも、そんなに長いものでもない。 人の死に出会うと毎回そう認識する。 明日の私。一週間先の私。一年後の私。 それすら予測つかない。何の計画も無い。 先日ある年配の男性に「それってヤバイよ」と奇異な目で見られた。 えっ、ヤバイのか、とハッとした。 ということは、みんな先のことを決めてるのか。わかってるのか。 でも、ヤバイって言われてもな。実際わかんないし。 と、ちょっと開き直りつつ。 今のままダラダラ生きてるのも、確かに無駄だね。 そろそろマジメに考えよっかなー。(既にめちゃくちゃ不真面目) |
2004年06月13日(日) 在庫整理と危険品発見 部屋を片付けていて、本棚の上で埃をかぶっていたプレステのソフトを発見した。 「パラッパラッパー」と「ウンジャマラミー」。 元PSY・Sの松浦氏がプロデュースした音楽ゲームだ。 過去に人から中古でプレステの本体を譲ってもらったが、しばらく遊んだら調子が悪くなってしまいゲームの進行に支障をきたすようになったので、引っ越す時に廃棄してしまった。 プレステを持っていた頃に買ったのが先の二つのソフトだった。 普段短編小説ばかり選んで読んでるのと同じで、長いものは先が気になって他のことに支障をきたすか途中で飽きて放り出してしまう可能性が高いので、人に借りたもの以外は手を出さなかった。 久々にそのソフトの存在を思い出して、やりたい気持ちがうずうずしてしまった。 しかし。 ここであの「生活破壊マシン」を買ってはいけない。 ホントに生活を破壊するのは確実だから。 今日は全部終わらなかったけど、溜まりにたまっている本とCDを整理して売りに出そうと思う。 段ボールで送りつけると査定してお金に変わる分はどこかに寄付してくれるという、私のように「要らないものを捨てたいがなんだかもったいない」という人間にうってつけな仕組みがある。 それほどお金になるようなものがあるとも思えないけど、ただ捨てるよりは多少はマシだよねぇ? さて、いくらになることやら。 →リサイクル本、CDの寄付 |
2004年06月12日(土) 禁止区域 今日は踊りの勉強会でした。 お化粧の人に来てもらって、第2回白塗り大会。 今日は舞台ではなく普通に和室でやったので、観客と誓いから薄めにしとくね、とメイクのおねえさんに言われたものの。 それでも濃いわけね。 髪型は「お化粧するんだから、前髪は上げて、貧相に見えないようにちょっと髪型にボリューム出しなさい」と指令があったので、朝、美容院でやってもらったんだけど(充分に長くはないので自分で崩れないようにセットできる自信がなかった)、これがまたやばかった。 「着物の髪型って老けて見えるからねー」って、私が何も言わないのに美容師さんに先に言われた。 年下のYちゃんには「旅館にいそう」とか言われるし。 女中ってことかい、と突っ込んだら、女将だよ、とフォローなんだかわからない返しをされた。 私はデコ出し禁止なんだってば。 「かわいいじゃない。普段からそうしなさい」とは師匠だが、私は母と「イヤー!!」と合唱。 ありえません。 (携帯で写真を撮ってみたら、中村玉緒に似てる気がしたのは気のせいだろう。気のせいに違いない。) 肝心の踊りの方はどうだったかというと、まずまず? 3つくらい「やっちゃった」というところがあったけど、私にしては緊張しすぎず、一応なんとかなってたか、という感じ。 でも。 同じ曲を長くやってるわりにこのレベルではまずいんだろーな、と反省してます。 怠け者の弟子でごめんなさい。精進します。 |
2004年06月10日(木) 傘がない 傘がない、って歌がどんな歌だったか思い浮かばない。 それはさておき、本当に「傘がない」。 今使っている長い傘は、化粧品を買った時におまけでもらったフリルの傘(!ありえない)と500円と安価なだけあって一回濡れると次開いた時にしわが伸びない貧相な傘。 フリルの傘にいたっては、この前巻いて止める紐のマジックテープが取れてしまって、仕方ないから結わきつけて止めている。 年頃の娘にあるまじきダサさ加減にうんざりしている。 ちょっとハレのお出かけの時に、このままでは対応できない。 どんなにいい服を着ても傘がこれじゃあ恥ずかしすぎる。 お店に置いてあるのは安くてちゃちい傘ばかりで、どれも使い捨てっぽい。 もう500円の傘の実態は理解できたので、今度は少々値がはってもステキなものがほしいかなと思うこの頃。 テレビでやっていたのがきっかけで、インターネットで探してみた。 なかなかいい感じのものがある。 よし、ここらでちょっと新調して、雨が待ち遠しい気分を味わおうかな。 |
2004年06月09日(水) 「普通」の人 鷺沢萠さんの「ウェルカム・ホーム!」を読んだ。 この人も、「フツー」ということについて考えた人だったんだなあ、と思うと興味深く、親近感が沸いた。 以下、考えても意味のないこと↓ 普通、ってよく言う。 それが全ての基準みたいに。 だけど、何をもって普通とするか、それはハッキリしていない。 おまけに、人によってそのスケールはまったく違う。 不思議だなぁ。 「おおよそ平均的」って意味なんだろうけど、その平均自体の尺度がないってこと。 長い帯の中の大部分が「普通」で、両端が「特別」そんな感じ。 人はなるべく普通であろうとする。 目立ちたがりやはわざわざ「特別」な領域にいくかもしれないけど、大抵はそうだ。 目立ちたくなくても、なぜか「特別」になってしまうことがある。 自分は普通だと思っていても、人の基準では「特別」ということになっていて、思いがけず。 「普通」=「誰でもそう」ってこと。 でも、「誰でも」って誰なんだ、という話。 ……はぁ、意味ない。 やめよう。 とにかく、本当は、同じ人は一人として存在しない限り(たとえクローン人間だって一人の個人ではない)、それぞれが違う人生を生きてるし、違う物語をもっている。 それを「普通」って一言でくくるのは難しい、ってこと。 |
2004年06月08日(火) 怠け者のわがまま 昨日の日記にも関係しないでもないけど、今みたいな余裕のない世の中って、私みたいなハンパもんには非常に生きにくいところだ。 日々ゴハンを食べて、たまには有給を使って旅行に出かけて、ということができるくらいのお金だけ稼いで、できるだけ仕事より生活を大切にしたい、と思っている。 思っているけれども、現実は残業だらけで、会社の比率が本人希望の倍以上大きい。 キャリアなんかいらない。 肩書きは必要ない。 部下なんかほしくない。 給料が上がらなくてもかまわない。 雇う側から言ったら最悪の従業員だ。 甘えるな、って叱られるだろう。 私って怠け者。 たぶんこんなことを思っていられるのは、私が女だからだ。 女って、自由。 気に入らなきゃぱって辞めちゃえるだけの決断力と度胸と身軽さと無責任さがある。 (そうは言ってもそろそろ受け入れ制限をクリアできない年になってるので慎重にならなくては、と最近自重している) 男の人は、たとえ独身の人でも、いつでも誰かを養えるくらいの甲斐性っていうの?を持とうと努力している気がする。 偉いなぁ、がんばるなぁ、とつくづく思う。 こんな私でも、結婚しようがしまいが、いつでも自分の食い扶持くらいは稼げる女でいたいと思う。 誰かに養ってもらおうと思ったら本当の怠け者になって何もしなくなるだろうし、それだけは危険だもんねぇ。 ……わがままだって。 |
2004年06月07日(月) 財布の紐VS音楽 不況だとか経営不振だとかになると、組織は無駄を省こうと躍起になる。 景気のいい時には気にもとめなかったことに目くじらを立てて、無駄だと言う。 会社で「無駄を省け、投資は控えろ」とうるさく言われ続けて「財布の紐を固く締めても出すとこ出さなきゃ入ってこないよ」と舌打ちしていたら、いずこも同じ、というよりもっと現実的に厳しい立場に立たされようとしている人たちがいた。 学生の頃にお世話になったプロの楽器奏者の先生がいる。 今でも時々コンサートに誘っていただいている。 以前はフリーランスで活動されていたが、今は都響(東京都交響楽団)に所属している。 今週お誘いのお手紙をいただいたコンサートは、都響というオーケストラを守るためのコンサートだった。 景気が悪くなると、スポーツとか音楽とか、お金を稼ぐことに直接関係のないようなところにしわ寄せが来る。 会社所属のバレーボール部の廃部とか、オリンピックに出るのに練習するための場所もお金もないとか。 確かに、スポーツや音楽で空腹は満たされない。 だけど、スポーツを見て一生懸命応援して、ドキドキしたり笑ったり怒ったり喜んだり、とか。 好きな歌やきれいなメロディを聴いてリラックスしたり励まされたり、とか。 そういうのって生きていく上で必要なことじゃないかと私は信じる。 日々ちゃんと食事とってても、ビタミン剤飲んだりするでしょ。 そういうもんだよ。絶対。 景気が悪い時だからこそ大切なものを守る努力をしなきゃいけないんだろうな。 もっと気軽に足を向けるようにしないとね。 都響ジャーナル |
2004年06月06日(日) 訪問者 夕方、突然家のチャイムが鳴った。 宅急便や通販の予定もないので不審に思い、ドア越しに聞いてみたら、ある宗教団体の方だった。 「違う宗教に入っているので」と断った。 このやり取りをご近所に聞かれてたら、「あの子は何教なんだろう?」と思われたかもしれない。 |
2004年06月05日(土) Beautiful Dreamer 先日、大学の就職活動準備の時期に受講していたセミナーの課題作文が出てきた。 添削してコメントを書いてくれたのは元・某大手出版社の編集者で、自分の文章が人にどう読まれるのか客観的に知ることのできるいいチャンスだった。 5回分の作文はどれも割といい印象で見てくれたらしく、そう厳しいことは書かれていない。 さすが編集者らしく、指摘は的確にポイントを突いていて「なるほどな」と何度もうなずくようなことばかり。 その中に、「素直な文章で好感はもてるけどインパクトが弱い(=個性不足)」というコメントが、言い方は違うけど2回出てくる。 確かに就職試験ということを考えると「目立つが勝ち!」なので、いかに人の心に強く印象を残せるかが大切なのだ。 当時出版社への就職を考えていた私は、それを読んで、漠然と「出版社に行くのが自分にとって本当にいいのか」と疑問に思いはじめ、最終的には少し方向を変えて印刷会社への就職を決めた。 (それがいい選択だったかどうかはさておき)結果的には出版社にかじりついたりしないでよかったと思っている。 仕事で文章を売り買いするようになったら、書くことを嫌いになったかもしれないと思う。 当時の私はなんとなくそう感じたから方向転換をした。 編集者になったら、仕事用の文章はうまくなるかもしれないけど、こんな風に自由な文章を書くことはなかったかもしれない。 今の自分が仕事以外のところではなるべく仕事から遠くはなれていたいと思うように、仕事以外で作文したいとは思わないかもしれない。 今となっては全てが「かもしれない」だけど。 私は自分の文章にインパクトを求めない。 物語にも突飛なシチュエーションやぶっとんだ登場人物はなるべく書かない。 基準は自分自身だから。 物語の世界に自分が入れないようなものは作れない。 自分の知らないことを書いたらいかにも嘘だから。 強いて言うなら、個性がないことが私の個性なのかも。 みんなの中に埋もれてわからないように隠れていられるのが、得意技。 文章でお金をもらうことはなくても、たぶん私は一生夢想することをやめないと思う。 「ああだったらな」「こうだったらな」「もしもあの時こうしてたら……」って考えるの好きだから。 |
2004年06月04日(金) 名古屋行き 昨日の夜、19:20発21:00着(時間は大体)のぞみで名古屋に来て、宿泊。 名古屋までって2時間もかからないのね。ちょっとびっくり。 子供の頃に九州のおばあちゃんのところに行くのに新幹線を使っていた(東京−博多間)印象が強くて、新幹線に乗ると遠いところに長い時間をかけて行く、ってイメージなんだけど、そんなことなかった。 名古屋駅って乗り換えでしか使ったことなかった。 初めて外に出た。 ビジネスホテルがいっぱいあった。 なんか名古屋を象徴してるみたいだった。 たまたま名古屋出張者が多い会社に勤めてるから勝手なイメージをもってるだけか。 仕事はいろいろと大変だったけど、まあなんとか無事終了。 3時には無罪放免となった。やった。 偉い方と二人で東京まで帰ることになった。 いろいろと気を使われる方で、かえって私の方が気が利かず、申し訳なかった、カモ? ずっとおしゃべりをしてたんだけど、残り30分くらいは二人とも就寝してしまいました。(ちょっとアルコール入れちゃったしね) そうそう、会社の人に「名古屋に行くならとりめし(駅弁)がオススメ」と聞いていたので、とりめしを買って帰った。 おいしかった。 やっぱり私はどこに行っても食べ物だな。 いいのか、これで? |
2004年06月01日(火) 雨の季節 雨の季節がやってきた。 紫陽花が鮮やかな紫色をして咲いていた。 駅の階段を降りると、一斉にいろんな色や形の傘が広げられる。 霧雨、大雨、小雨、土砂降り、雨の種類はたくさんある。 どれもそれぞれ長所と短所があって好き。 |
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