うさぎ日記
DiaryINDEXpastwill


2000年10月31日(火) ハロウィーン

また、アメリカで痛ましい事故。日常的に銃のある国の日々は無い国の者からは推し量れない。
身の回りでも矛盾だらけの生活です。
個人レベルで出来る事をして、良し、とする他はない。
何をしても無駄と思える日はせめてもと、掃除する。
パンタカの故事を思って。

どんよりとした、晩秋の1日。
いきつけの喫茶店で昼食 ピザトーストセット750円



秋の陽射しに咲き誇るジニア



2000年10月27日(金) ワックスフラワー

原産地はどこなのか忘れたが、熱帯か亜熱帯。
夏にはこの樹、一杯に真っ赤な豆科の花が咲く。
ポタポタと落ちた血のように赤い花を拾うと南国らしい大まかなくっきりとした肉厚の花である。
今年はいつまでも暖かいので僅かに元気の無い花がまだついている。





全体

刈り込まなければもっと大木になっているでしょう。
まわりをコンクリートで固められてもこの勢い。
毎年、花が咲くのが楽しみな街の樹。
親樹はどこで咲いているのだろう?それとも切られてしまったのか。
遠い南国の祖先を思う。

今日は風もない暖かい晩秋。


2000年10月23日(月) 喫茶店

当地域周辺は全国でも喫茶店が多いところという。
そのせいか何はともかく、取り敢えずは喫茶店という意識が染み付いているため、
他所へいくとちょっと一休みしようとしても、適当な喫茶店が無い事に戸惑ってしまうことがある。

いつも行く喫茶店の ホットコーヒー(菓子付き) 350円


2000年10月13日(金) お会式

日蓮宗では最大の行事。
日蓮上人を偲び、法華経に会う事の出来た報恩感謝を捧げる日。
法華経に会うことの出来た喜びを表すために「万灯」「会式桜」を飾る。

道場はいつもより大勢の信者さんで一杯!本堂にぎっしり、400名くらい。
これで、夜の部もあるのです。
会式桜が華やかに飾られて導師を務められる若師匠の袈裟衣の輝きがまぶしい。

   昇堂
   開式の辞
   道場偈
   三宝礼
   切散華
   讃歎
   開経偈
   読経 方便品
   咒讃双鈑(どらをじゃじゃじゃーんとならす)
   対揚
   読経 自我偈(このときに順次焼香)
   祖訓 報恩抄
   唱題 (お題目を限りなく唱える。大勢のため反響が有り難く響く。)
   宝塔偈
   回向
   奉送
   閉会の辞
   退堂

このあと三人の先生と大師匠よりお話。

おときは松茸の炊き込み御飯 松茸の茶碗蒸 きゅりとこはだの酢の物
香の物 いちじく

おみやげは会式桜一枝 たち吉の皿6枚セットを2種 えびせんべい日1箱


2000年10月09日(月) 帰国

北京最後の日、来た時と同じように曇天
10時40分迎えの乗合バスがホテル着天津空港へ向かう。
途中昼食。簡単なうどん定食といった感じの食事。うどんは漂白してない小麦粉で作ったものなのか浅黒い。こしがあり美味。うどん好きには堪えられない。
大きな鉢に入った出てきたうどんを小鉢にとりわけ単采をトッピングして食べる。
何杯も何杯も食べる。

空港近くのヤナギ並木。枝先をおかっぱ頭のように切りそろえてあるのが面白い。
根元に防虫のために塗った白い塗料と共にユーモラスである。
どこもかしこも同じような都市風景になる世界だがこういったちょっとしたところにお国振りが表れこれが旅情というものかと感じる。

夜、無事に帰着。
日常生活を離れることは心のリフレッシュには最適だとつくづく思う。

今回の自分へのみやげ物

左 中を球形にくりぬいた内面に猫が4匹描いてある 990元。かわいい!毛先の表現など、これぞ中国といった技術である。
右 お約束の印 二つで印刻共に900元。 安いことは安いのだが機械の早彫りのため味もそっけもない印影。上の獅子がなんとも表情豊かに良く彫れている。

天津で買った菓子

これだけで12元。30個ほどが一袋に入っている。
胡麻がいっぱい入っていてくどくなく美味しい!
空港にも似たものを売っていたが日1箱14個入りで15元。胡麻は少ないし、
何より古そう。

行かさせて頂けて本当に良かった。
また行けるように精進しなくては!


2000年10月08日(日) 天津へ

朝6時半起床 7時朝食。 
コーヒーショップの改装が終わり庭を見ながらバイキング。宴会場より狭くなったためか混雑。7時半には入口に長蛇の列となっていた。
母とTさんは万里の長城と明の十三陵へバスででかけ、私は天津へセダンでもう一人の男性と出かける。
万里の長城の1日コース670元
天津1日コース1060元

天津まで約一時間半。男性は大阪から靴の原料買い付けに何度か来ているという30歳代の人。
ガイドの呂さんは26歳独身。
王さんのデジタル映像をみせたら「会社で一番助平なオトコ」といって笑う。

天津水上公園 1950年代に出来た新しい公園
天津は戦後急速に衰えたそうでかっての華やかさは微塵も無い。
呂さんは中国近代史が専攻だったとかで水上公園の長閑な空気の中、熱っぽく袁世凱について語る。
当時の複雑な政治分布図は単純な政治機構になれた国民には理解し難いものがある。
食品街へ行き昼食。名物の点心を頂く。美味。
食品街は10年前に出来たというアーケードになっていて面白みは無い。
店の数も少なく品物もさして珍しいものは無い。ここで天津名物という餅菓子を買った。
午後は周恩来が若い頃天津で学んだのにちなんで出来たという周恩来記念館へ行ったところ休館。
天津には周恩来も学んだという南海大学があり、北京大学と共にエリート校の双璧をなすそうだ。

古文化街
規模が小さい。めぼしいものは何も無い。

古文化街の中ほどにある、呂さんお奨めの海賊版CD屋。

一枚10元のCDを物色する呂さんと大阪の男性。

天津は期待外れだった。帰り北京まで爆睡。
呂さんと運転手さんの中国語会話が耳に心地よい。純粋の北京ッ子を誇るだけあって呂さんの中国語は綺麗だ。意味は全然わからないが音がきれい。

2人が帰るまでホテルの周りを散歩。
日本大使館のあたりまで歩く。木が鬱蒼と茂った地域で歩哨の兵士があちこちに見える。
デパートの前を歩いていたらいきなりカタログ片手に駆け寄ってきて中国語をまくし立てる者がいる。どうやら高級マンションを買えというらしい。
中国人のマダムと思われたのか?中国人らしく鷹揚にしかしきっぱりと無言で手を振って立ち去る。

デパートの食品売り場のダチョウの卵。120元。

2人も無事帰り、夜はホテルの中華レストランで食事。
万里の長城は天気に恵まれ絶景だったとか。ホッとする。
2人の買い物を披露してもらい楽しむ。
夜、マッサージ。勧められるままに何と3時間!
母とTさんもこの夜はマッサージを頼んだとか。


2000年10月07日(土) 北京は霧の中

朝、5時30分起床。6時朝食。
コーヒーショップが改装中のため宴会場でバイキング。客の9割は日本人である。
7時ホテルよりタクシーで頤和園へ。30分程で到着。
メーター70元、チップ10元。
早くも切符売り場はほどほどの混雑振りである。入場料8元。

中は8時でこのくらいの人出。これが10時近くなると芋を洗うような混雑になる。
二人を急がせて順路を回るが光緒帝が幽閉された玉爛堂も西太后の居室も閉鎖されていた。
先回(5年前)には自由に入れたその他の建物も門が閉じられ入れない。
石舟も入れない。余りに入場者が多いので傷みを防ぐためなのだろう。
園全体が何となく荒れた感じである。
そのかわりに、とにかく土産物屋が増えた事!池のボートの増えた事!

先回行けなかった蘇州街へ行ってみた。入場料10元。
チマチマして期待はずれ。
それでも二人は初めてみる歴史的庭園に大満足で写真とビデオを撮影しまくっていたのでホッとする。
霧が深く池の風景は全く見えない。
エプロン式の衣装をつけて宮廷婦人になって記念撮影もした。20元。

帰り門前の雲助タクシーと攻防を演じ、ようやくまともなタクシーを掴まえて帰る。
ホテルで昼食。
午後は三輪車で胡同巡り。一人420元。

午後のガイド 劉さん23歳

これは愉しかった。
鼓楼に登る。先回何も無かった楼上に土産物屋がびっしり出来て楼の大きさを感じる事が出来なくなっていたのにはがっかりする。

胡同の一般家庭を訪問。
床が石畳でガラス戸、ガラス窓の様式なので一同冬の寒さを思い浮かべて驚く。
暖房はストーブだという。
この地区は保存地区になっているという。
恭親王府の花園を見る。ここも人出が多すぎて荒れた感じ。
かって美人と謳われた人が老いて何かの拍子に美人だった面影をふと見せるような・・・そんなたたずまいである。
流転の王妃といわれた愛親覚羅浩さんを偲ぶ。

夜の食事は予約してあった釣魚台へドレスアップして出かける。
3名で4680元。(飲み物、サービス料別)
門からエントランスを真っ暗な並木道を走る事しばし。左側にぼんやりと池とライトアップされた堂が見える。やがて玄関。特に目印看板はなし。
ハンサムで上品なボーイが車から降りるのに手を取ってくれる。
中に入ると格式に圧倒される思い。さすが国賓をもてなす雰囲気ではある。

食事は個室でサービスを受けながらするのだが、庶民の悲しさ、かゆいところへ手が届くサービス振りが却って落ち着かない。
味もろくに判らないが上品な料理。


帰路、国慶節の名残のライトアップが美しい北京の街を愉しく帰る。
夜、11時よりマッサージに来て貰う。一時間290元で2時間してもらった。
若い女性でなかなか上手。明日の晩もどうかというので予約する。
結局寝たのは一時過ぎになった。スプライト32元。





2000年10月06日(金) 北京へ

連休を利用して北京へ遊びにいく。
同行は母と母の40年来の友人Tさん、女性ばかりの3人旅である。
3泊4日 ニューオータニ長富飯店に宿泊しJTBの現地オプションを利用することにした。
大連空港着バスで北京へ向かう。約一時間半。

現地、青年旅行社のガイド王さん
例の如くバスの中で両替が始まる。
1万円=750元

そのままホテルで3人降りるつもりでいたら
「もし、予定が無ければ景山観光へ行ってからホテルでどうですか?無料にしますよ。」と、王さんが小声で提案。
寄り合い乗合の14名の他の人は皆オプションで景山観光を申し込んであるようで、我々3人だけをホテルへ降ろすのが手間なのだろう。
有り難く申し出を受ける事にする。
私は以前に行ったことがあるのだが母とTさんは初めて。

景山の土産物屋

頂上に上がったが、あいにく曇天で故宮はぼんやりと霧の中に沈んでいた。

夕刻、ホテル着。二部屋予約しておいた筈がトリプルになっていてゴタゴタ。
日本とやりとりして結局追加料金を払ってもう一部屋取り直す。
母は中国は2度目、Tさんは初めてということで夕食は「天橋楽」でショーを見ながら取ることにする。一人470元。

「天橋楽」
客が入るたびに入口の中国風の扮装の男が大声で歓迎の言葉を叫ぶのが雰囲気を盛り上げる。
中はオール日本人。
料理は意外に美味しく、北京ダックもちゃんと出た。
以前、JTBがやっていた長富飯店の「北京の夕べ」よりは、はるかに良い。
建物は古い芝居小屋。
全体にそれらしく、それらしく拵えてあるのが日本で云えば「はとバス江戸の夜」と、いったところか。
中国はこう!と、いったイメージを確認させられているようで、おかしくもあり、
しかし素直に楽しい。
Tさんも母も「中国らしい。」と大満足。
夜、10時ごろホテルへ戻り早々に休む。
ホテルのショップは夜11時までやっている。



2000年10月01日(日) 朝顔

デジカメの練習で朝顔を撮影してみた。


一日の法座
お話は先生お2人 住職。
お一人は36歳になる息子さん(妻子あり)のお話。息子さんは生活上に問題があり、現在高野山で修行中。いわゆる「頭を冷やしてこい」の修行中。
お一人はご主人が病の中で法の力で安らかに病(口腔癌)を受け止められるように
なったというお話。
住職は陀羅尼品の解説の続き。

聴聞の人数は日曜のせいかいつもより多い。250名くらいか。

御ときはカレー いちじく 青菜の和え物 香の物
おみやげに洋菓子の箱を頂く。

夜はめっきり肌寒くなった。
秋は人が懐かしい。
横になって眠りに落ちるまで今まであった人々、心に残る人々を想う。
何人かは既にこの世にはいない。


桃青 |HomePage

My追加