読書の日記 --- READING DIARY
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 Gregor the Overlander (Underland Chronicles)/Suzanne Collins

この本は、ゴキブリとクモとコウモリとネズミが出てくる戦慄すべきファンタジーだったのだが(私は足のあるものはだいじょうぶ)、なかなかどうして面白かった。ゴキブリもコウモリも人間がその背中に乗れるほど大きくて、死ぬほどゴキブリが嫌いって人は、本を触るのも嫌かもしれないが。

主人公のグレゴールは、2年7ヶ月前に父親が失踪して以来、母親を助けて、家事や育児を率先してやっている健気な男の子だ。ある日、洗濯室に開いていた穴に、妹のブーツ(2歳)と一緒に転がり落ち・・・。

落ちた先は「Underland」(まんま!もちろん上の世界は「Overland」)で、巨大なゴキブリやコウモリが人間と共存している世界だった。そこで、実はグレゴールの父親もここにいて、生きているらしいことがわかった。

ところが、父親は「Underlander」たちの敵であるネズミの国「Dead Land」に捕らえられているらしいというので、グレゴールを先頭に、「Underlander」たちはネズミ軍と戦うという話。

何と言っても、グレゴールの妹ブーツが、めちゃくちゃかわいい。2歳なのでまだグレゴールと言えず、「Ge-Go」というのがかわいい。周りが暗くなっているときに、ブーツの明るさで救われるのだ。

ブーツが「Go see ma-ma!」などと言うのを読んで、そうか、まだ言葉がちゃんとしゃべれない赤ん坊は、こんな風に言うのか!と、妙に納得した。まだ2歳のくせに、「おむつ取り替えて!」なんて、しっかり主張するところなんかは笑えた。もちろん「diaper」と言えないので、おむつは「diper」になってしまうのだが。

再び父親とめぐり合ったグレゴールとブーツは、無事に家に帰るので、めでたし、めでたしなのだが、「Underland」の王が、「See you soon!」と言うのが気になる。と思ったら、すでに続きが出ていた。今度もまだネズミの邪悪な王と戦うらしい。余談だが、グレゴールはしっかりしているのに、父親が情けない感じなのが、ちょっと不満だった。


2004年12月30日(木)
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 The Book of Dead Days (Book of Dead Days S.)/Marcus Sedgwick

この本によると、クリスマスの翌日から大晦日までの6日間を「Dead Days」と言うのだそうだ。というわけで、この期間に合わせて読もうと思って、ずっと楽しみにしていたのだが、いざ読んでみたら、全然面白くなかった。

主人公の名前がなく、ずっと「Boy」のままなのだが、「Boy」本人も自分の両親は誰なのか?本当の名前は何なのか?という疑問を抱えながら、話が進んでいく。マスターである魔術師の正体や、邪悪な人間だと思った医師の正体などが明らかにされていくのに、最後まで読んでも「Boy」の名前はわからない。

魔物が徘徊する期間だというので、魔法とか不思議なこととかがたくさん書かれているんだろうと思ったら、単に魔術師が出てくるイリュージョンもので、なんだ、面白くないなあ・・・と思いつつも、一体こいつの名前は何ていうんだろう?という、ただひとつの好奇心に動かされて読み終えたのに、結局名前はわからないまま、「つづく」というわけだ。馬鹿にしてる!ああ、がっかりだ!「つづき」なんか絶対読まない!

2004年12月29日(水)
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 The Various/Steve Augarde




2004年12月28日(火)
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 Christmas Sleigh Ride/Tracey V. Bateman, Jill Stengl

・「Colder Than Ice」/Jill Stengl
・「Take Me Home」/Tracey V.Bateman



2004年12月27日(月)
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 クリスマス・カロル/チャールズ・ディケンズ

カバーより
ケチで冷酷で人間嫌いのがりがり亡者スクルージ老人は、クリスマス・イブの夜、相棒だった老マーレイの亡霊と対面し、翌日からは彼の予言どおりに第一、第二、第三の幽霊に伴われて知人の家を訪問する。炉辺でクリスマスを祝う、貧しいけれど心暖かい人や、自分の将来の姿を見せられて、さすがのスクルージも心を入れかえた・・・。文豪が贈る愛と感動のクリスマス・プレゼント。


何度か読んでいるので、前にも感想を書いていたような気がしたが、みつからなかったということは、感想は一度も書いていなかったのだろうか。

子どもの頃に初めて読んだときには、幽霊が出てくるので、とても怖い話だと思っており、ディケンズというのは、怖い話を書く人なのだなどという先入観を持ってしまっていた。大人になって読み返してみると、なんだ、いい話だったんだ!という感じで、印象が全く違った。

しかし、何度か読んでいるうちに、スクルージが自分の死ぬ場面で、誰一人悲しんでくれないどころか、そばには誰もおらず、これ幸いと物を盗んでいくものや、生前の行いに言及して、これが当然の仕打ちであるとばかりに話すものなどを見て愕然とし、改心するというところは、やはり人間は、自分の死において、もっとも孤独を感じるのだなと思った。

誰だって、当然死ぬときは一人なのだし、どんな状況で死んでいっても、死んだら何も感じないわけだが、実際(例え夢でも)その場面を目の当たりにすると、どんな悪党でも改心するのだろう。

そこに至るまでに、幽霊のおかげで、氷のようなスクルージの心も徐々に溶け出していたのだろうとは思うが、結局は自分の死に目という、あとで悔やんでも悔やみきれない場面に遭遇し、因果応報のようなことを感じたに違いない。

この話は、常に優しい心を持って、周囲の人々には暖かい気持ちで接しましょうという教訓のようにも見える。また、それだけ感じればよいとも思えるのだが、今回読んでみて、どうもそれだけではないような気がした。自分の死に目があんなに孤独では何ともいたたまれないという、結局は人間のエゴを描いているようにも思える。

自分が死んだ時に、あんな目にあうのはひどく悲しいし、絶対にごめんだと思うからこそ、周囲に優しくしようと思えるのだろう。そして、死んでから、自分の罪の重さを償わなければならないという恐怖。それもまたエゴであると思う。

けれども普段の生活では、そんなことでさえもついつい忘れがちである。最終的に自分のためではあっても、人に優しくすることは良いことであるから、この本を毎年クリスマスに読んで、忘れている恐怖を取り戻し、再び心を入れ替えて、良い人になるよう努力しようと思えればいいのだと思う。

2004年12月23日(木)
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 Room at the Inn/Kristy Dykes, Pamela Griffin

・「Orange Blossom Christmas」/Kristy Dykes
・「Mustangs And Mistletoe」/Pamela Griffin


2004年12月22日(水)
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 クリスマス絵本5冊

『Jingle Bells (Little Books)』/Armand Eisen (著), Andrews & McMeel (著)
ハードカバー: 40 p ; 出版社: Andrews Mcmeel Pub (J) ; ISBN: 0836200187 ; Pop-Up 版 (1995/10/01)


『The Nutcracker: With 25 Jewel Stickers! (Jewel Sticker Stories)』/Schuyler Bull (著), Jerry Smath (著), Schyyler Bull (著)
ペーパーバック: 24 p ; 出版社: Grosset & Dunlap ; ISBN: 0448418525 ; Bk&Acces 版 (1998/09/01)


『Christmas in the Big Woods (My First Little House Books)』/Laura Ingalls Wilder (著), Renee Graef (著)
ペーパーバック: 32 p ; 出版社: Harpercollins Childrens Books ; ISBN: 0064434877 ; Reprint 版 (1997/10/01)


『Arthur's Christmas (Arthur Adventure Series)』/Marc Tolon Brown (著)
ペーパーバック: 32 p ; 出版社: Little Brown & Co (Juv Pap) ; ISBN: 0316109932 ; Reprint 版 (1985/11/01)


『Believe』/Mary Engelbreit
ハードカバー: 32 p ; 出版社: Andrews Mcmeel Pub ; ISBN: 0740711245 ; (2000/09/01)


2004年12月21日(火)
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 天体の孤独/藤枝るみね

内容(「MARC」データベースより)
個人所有の〈別荘〉から緊急コールが出ている…。パトロールのロジャーとハルはすぐに〈別荘〉に向かった。コールタイプから一人暮らしの所有者の死亡ということだったが、〈別荘〉に到着した二人は、別の生きた人間が潜んでいることに気づく。


だいぶ前に、ブックオフで100円で買った本。でも、新書版サイズの小さめのハードカバーで、この表紙。なにか不思議な感じがして思わず買ってしまったんだけど、ずっと読まなかった。日本の小説はめったに読まないのだが、このところ日本文学づいている(というほどでもないか)。

で、いざ読んでみたら、設定はSF(SMじゃないよ)なんだけど、ホモ系の話だったんだな。

ああ〜、このマンガチックな表紙って、やっぱりそうだったのか!って感じ。なんでそれに気づかなかったのか・・・。前に読んだアン・ライスの<眠り姫>シリーズもこういうマンガチックな表紙で、思いっきりホモ&SM(SFじゃないよ)の話だったし。

やっぱりこういう顎のとがった切れ長の目のマンガが描かれている本て、そっち系なのかあ〜?こういうマンガが表紙に描かれているだけで、レジに持っていくのが恥ずかしいのに、性癖もそっち系と思われたらまずい!(^^;

そっち系の性癖がまずいんじゃなくて、そういう性癖は、それはそれでどうぞお好きにと思うが、私にはそういう性癖はないってこと。ネット上にもあふれているこういう絵、私は好きじゃないんだけど、男の子がこういう絵に夢中になってたり、自分でも描いていたりするのを見ると、ちょっと気持ち悪い。

でもこの本の中身は、期待していなかった割には案外面白かった。問題のホモ系の描写もいやらしくなくて、さらっと読めたし、状況設定もきちんとしていて、文章もしっかりしている。よしもとばななとか、例のウィスキーのおまけについてくる女性作家たちの文章より、よほどまともだ。

言っていることもまともで、この状況なら同性同士で愛し合うのもありかな?と納得させるところもあって、なかなか上手い作家だなと思った。ジャンルはSFのエンターテインメントだとは思うけど、面白ければなんでもいい。最近あんまり面白くない本が続いたので、ちょっとすっきりした。


2004年12月20日(月)
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 沈黙のメッセージ/ハーラン・コーベン

内容(「BOOK」データベースより)
スポーツ・エージェントのマイロンは、プロ入りを控えたフットボール選手クリスチャンの契約金の交渉を請け負った。ところが、オーナーはクリスチャンが恋人の失踪に関係があると疑い、契約金の引き下げを要求する。マイロンが調べると、彼女の父親が数日前に殺されたことが判明した。その直後、クリスチャンのもとに当の女性のヌード写真が…ナイーヴでセクシーなヒーロー誕生。アンソニー賞に輝く話題の新シリーズ!アンソニー賞・最優秀ペイパーバック賞受賞。
※画像は原書 『Deal Breaker (Myron Bolitar Mysteries)』/Harlan Coben


ハーラン・コーベンは、話に乗れば一気に行くのだが、これがまたクソ(失礼!)だらけの小説でうんざり。前にも書いたが、F言葉を何でもかんでもクソ(失礼!)と訳すのはやめてもらいたい。

ハーラン・コーベンは、元FBIでスポーツ・エージェントの<マイロン・ボライター>シリーズが人気があるようなのだが、個人的にはシリーズ外のほうがまだいいかもと思う。ジェットコースター・ノベルで、たしかに一気に読ませる手腕は認めるが、主人公はユーモラスな人物であるという設定にも関わらず、ほとんどのジョークが笑えないというのが気の毒。それが面白いという人もいるだろうけど、私には今いち。こんな余計なことを書いてないで、早く先に進めて欲しいと思いながら読んでいた。

で、前に読んだ 『唇を閉ざせ』 でもそうだったのだが、結末がどうも納得いかない。500ページ以上も書いてきて、最後これですか?って感じ。ユーモアにしても、話の結末にしても、あまり頭のいい作家とは思えない。私は1作でうんざりだな。とにかく汚い言葉が満載で、やはりクソ(失礼!)だらけのジョージ・ソウンダーズも真っ青って感じ。

それに、ハーラン・コーベンの描く主人公には、全然ヒーローがいない。カッコイイ活躍なし。胸のすく展開なし。ミステリの主人公がヒーローばかりとは限らないけど、シリーズものの主人公に魅力がないと、続きを読みたいという気にはならない。でも、あと3冊ある。。。うげ!

2004年12月19日(日)
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 姉の歌声を探して(BOOK PLUS)/リサ・ジュエル

カバーより
イギリスの人気女性作家が贈る、大人色のシンデレラ・ストーリー。
はじまりは、長く消息を絶っていた姉の急死。知らせを受け取った妹のアナは、信じられない思いで彼女が最期を遂げたロンドンへやってきた。元ポップ・スターで、自分とは正反対の社交的な美人だった姉のビー。けれど彼女の住まいは期待を裏切られるほど味気なく、侘しいものだった─。遺されていたのは知らない男にあてた一篇の詩と、手つかずの大金。いったい、姉に何があったのだろう?彼女はなぜ、死んだのだろう?

ビーの親友たちに出会い、姉の真実を探る中で、片田舎でわがままな母親に縛られていたアナの人生は、急激に溶け出してゆく。そして知るのは、大きな悲しみに包まれていた姉の孤独と、アナにとってはじめての、心からの愛。


シンデレラ・ストーリーなんて書いてあるから、楽しい話かと思ったら、冒頭から死臭の漂うくらい話だった。最後はハッピー・エンドになるのだが、どんなに明るくしても、最初に嗅いでしまった死臭が抜けず、ずっと不気味な感覚がつきまとった。話としてはいい話だと思うのだが、汚い言葉も多く、女性作家なのにそこまで書くか・・・といった感覚になってしまい、非常に残念。

主人公の恋人になる男は、絶対守ってやるというタイプで、なかなかいい感じだったんだけど、身長180センチで、3日もオフロに入らなかったり、シャンプーをしてなくても気にならないような主人公には、まるで共感がわかなかった。そもそも、身長180センチの女の子の気持ちが、私にわかるはずもない。羨ましいと思うばかりだ。身長が違うと、絶対に世界観も違うだろう。

話の構成は面白いと思ったのだが、主人公の姉の親友(黒人のスリムな女性で、やはり身長が180センチ)のしゃべり言葉が関西弁ってのが、ずっこけ。彼女には訛りがあるらしいのだが、訛りといえば東北弁というのも能がないなとは思うけど、ロンドンで黒人が関西弁とは・・・。これは英語より読むのが難しかったかも。

2004年12月18日(土)
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 我が罪/宗方慶司

内容(「BOOK」データベースより)
意識と無意識の間に存在する、一つの罪。人がその真実に気づく日は訪れるのだろうか?罪からはじまる四部作第一弾。22歳の新鋭が鋭くも静かに描く。

内容(「MARC」データベースより)
受け取ったことすら忘れていた自殺をほのめかす彼からの手紙。手紙を受け取った3日後、彼は事故死した。10年の年を経てのしかかる罪の意識。無意識とはもっとも重い罪であるのか…。罪からはじまる4部作第1弾。


2004年12月17日(金)
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 Going Home/Danielle Steel

From Publisher
In the sunswept beauty of San Francisco, Gillian Forrester is filled with the joy of a love that will surely last. But a painful betrayal forces her to flee to New York and a new life. There she discovers an exciting new career and a deep, enveloping passion...only to have her newfound happiness shaken to its core. Now Gillian must choose between her future and her past, to find in the deepest desires of her heart the one way, the only way of...GOING HOME.
※ダニエル・スティールの第一作目


かなり前にバーゲンで買ってあった、ダニエル・スティールのPBだが、表紙が真っ赤で背表紙が金なので(上の画像とは違う)、なんとなくクリスマスっぽいと思って読んでいた。

途中でクリスマスの描写もあって、当たらずとも遠からじという感じだったが、第一作目ということで、状況設定が幼稚だなという感じは否定できない。一作目だからしょうがないとも言えないが、今でも設定の甘さを感じるダニエル・スティールだから、まあ仕方がないか。

とはいえ、主人公ジリアンの行動にはあきれ果てた。相手のクリスの節操のなさにもびっくり!紆余曲折を経て、結婚の約束までこぎつける二人なのだが、このままうまくいくはずがないと思っていたら、やっぱりね。。。


離婚をしたジル(ジリアン)は、5歳の娘を連れてニューヨークからサンフランシスコに引っ越す。そこでスタイリストの仕事をし始めたジルは、仕事の初日にカメラマンのクリスに会い、出会った初日にもう恋人状態。会社の人から「クリスはやめておいたほうがいい」と釘を刺されたにも関わらず、すぐに同棲【恋は盲目!】。

ところが、ある日仕事から帰ってきたジルが目にしたものは!なんと若い女と自分たちのベッドでメイクラブしているクリス【なんてクレイジーなんでしょ!】。腹を立てるジルに、クリスは「ぼくだって若いんだから、楽しみは必要だ」と開き直る【楽しんでもいいけど、家でやるなよ!】。そんなクリスの態度が理解できないジルは、家を出る。

しかし、離れてもクリスが忘れられず、結局また会うことに。しばらくして、ジルが妊娠したことが判明したが、クリスは「なぜ避妊しなかったのか」とジルを責め、中絶をすすめる。結婚など今は無理だと【だったら、自分が気をつけるべきだろう】。

絶望したジルは、一人で産むことを決意し、クリスと分かれて再びニューヨークに戻り、生活のために雑誌社に勤め始める。そこで知り合った上司のゴードンと深い仲になり【妊娠しているのにも関わらず!】、娘が一人で寂しいと言うのも構わず【ああ、無情!娘が憐れ!】、ゴードンとの逢引を重ねる【ゴードンは金持ちだからか】。その間に、クリスは元カノとよりを戻して一緒に住み始めていた【アンビリーバブル!】。

そんな折、クリスが仕事でニューヨークにやって来て、ジルのアパートに滞在する【よくもしゃあしゃあと!】。当然ゴードンは怒り心頭。とはいえ、お腹の子どもがクリスの子であることは事実だから、優しいゴードンは身を引く。そうしながら、いまだにゴードンに未練のあるジル【懲りないんだなあ】。

そうこうするうち、クリスが元カノと別れたことを知ったジルは、やっぱりクリスを愛していると思い、再びサンフランシスコに引っ越す。そこでクリスはジルにプロポーズをする【なぜ急に!?】。すべてが順調に行き、結婚式を明日に控えたジルに、不幸が襲う。クリスが仕事中の事故で、急死したのだ【オーマイガッ!ていうか、やっぱりね】。

不幸のどん底に落とされたかのようなジル。悲しみに沈んで、一生立ち直れないかと思っていた矢先、フランスに行ったゴードンから、夏にフランスへ来ないかと誘われ、迷った挙句、ジルはフランスへ旅立つ。ゴードンに抱きしめられて、「I'm Back!」と言うジル【立ち直りというか、変わり身が素早い!】。


最高に悲しい結末のはずなのに、実際はハッピーエンドになってしまい、これじゃあんまり都合が良すぎるだろうって感じ。なんだ、これ?それに、妊婦が大もてだなんて、聞いたことがないぞ!お腹の中にも子どもがいて、5歳の子どももいるのに、それをベビーシッターに預けて、毎晩ニューヨークのナイトライフを満喫しているなんて、信じられない。

こういう話が受けてしまうのも、アメリカならではなんだろうか?私はロマンスものも好きだし、それはそれで楽しんで読んでいるけれど、この話は登場人物が皆、大馬鹿野郎だと思う。こんなの有り得ない!と叫びたくなった。私の本音はすべて【】の中。

2004年12月12日(日)
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 冷血/トルーマン・カポーティ

カバーより
アメリカ中西部の片田舎の農村で、大農場主クラター家の4人が惨殺された。著者は、事件発生から、ペリー、ディックの2人の殺人者が絞首台の露と消えるまで、犯人の内面の襞深くわけ入り、特にペリーには異常なほどの感情移入をして、この犯罪の本質に鋭く迫っていく。細密な調査と収集した膨大なデータの整理に5年間の全生活を賭けて完成した衝撃のノンフィクション・ノベル。

●画像は原書 『In Cold Blood: A True Account of a Multiple Murder and Its Consequences (Vintage International)』


11月のブッククラブの課題本だったのだが、12月になってやっと読み終えた。文庫版で約550ページくらいの本で、厚いといえば厚いが、特別に分厚いというわけでもないのに、なぜか遅々として進まない本であった。進まない理由のひとつに、翻訳の日本語がどうもすんなり入ってこないというのがあった。昔の古い翻訳は、みなこんなものだとも思うのだが、内容は1950年代から60年代のもので、初訳は1967年だから、これもまた特別に古いというわけでもない。

現在では、惨殺事件はこれまた珍しくもないことだが(嘆かわしくも)、カポーティの時代には、かなりショッキングな事件であったのだろうと思う。しかし、カポーティがこの事件に興味を持ったのは、犯人のひとりであるペリー・スミスに、尋常ならざる好奇心をかき立てられたせいではないだろうか。本書の冒頭から、すでにカポーティのペリーへの思いは明らかである。

犯人のペリーとディックが、なぜクラター一家を惨殺したのかという理由は、二人が述べた理由以外には書かれていない。なぜ?という疑問は大いにあっただろうが、ノンフィクション・ノベルというからには、作者の推測はご法度だろう。それでも言外に、ペリーの精神的な鬱屈によるものではないかというカポーティの意見は読み取れる。

この本の感想を書くにあたって、事件の内容や、犯人について書くのは見当違いだろうと思う。それについては本書の中で、カポーティが事細かく描いているのだから、今さらここに書くまでもない。だから、なぜカポーティがこのような作品を書いたのか、この作品で何を言いたかったのかということを考えるほうがいいのだろうと思う。

これまで読んだカポーティの作品は、ほとんどが<イノセント・シリーズ>といわれるもので、そのシリーズは、個人的には大好きである。そのイメージがかなり強いために、他のイノセントでない作品が受け入れられなかったりもする。例えば、遺作である 『叶えられた祈り』 などは、こんなカポーティは読みたくない、知りたくないと思うほどだ。私にとってカポーティは、あまりにもイノセントなイメージが強すぎるのだ。

だが一方で、カポーティが根っからイノセントでないことも知っている。親の愛情に飢えたエキセントリックな人物であり、「早熟の天才」と言われているように、ある意味で狂気と紙一重のところにいたことも知っている。単なる個人的な好みとしては、そんなカポーティには目をつぶっていたいと思うのだが、この『冷血』で、目をつぶっておきたいはずのカポーティが、ペリーという殺人犯の姿となって、よりにもよってカポーティ自身の手で、あますところなく暴き出された感じがする。

そういった意味で、カポーティはこの作品で大きな冒険と賭けをしたのではないかと思える。ペリーという人物が、読んでいるうちにカポーティのイメージと重なり、カポーティはほとんど自虐的なまでに、自分自身を描いたかのようにも見える。おそらく、事件を知ったカポーティは、そこに自らの姿を見たような気がしていたことだろう。親の愛情を知らず、周囲にいじめられ、捻じ曲がっていったペリーの心に、自らの経験を重ねたことだろうと思う。

そう考えると、カポーティがこの事件を取り上げ、特にペリーに感情移入していったのは、なるほどもっともなことだと思えるのだ。作品を書くにあたって、幼馴染のハーパー・リーに調査を手伝ってもらったというのも、彼女以外にはできない仕事だったからではないだろうか。幼い頃のカポーティの状況を一番良く知っているのは、彼女だろうから。




2004年12月07日(火)
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 わが心のディープサウス/ジェームス・M・バーダマン、スティーブ・ガードナー

<カバーより>
ブルースの魂と、ミシシッピを胸に──街に流れるベニエとチコリコーヒーの香り、川面にこだまする蒸気船の汽笛、そして果てしないデルタの平野は季節に鳴ると真っ白な綿花で覆われる──南部出身の二人が望郷の思いとともに描く、アメリカの中の異郷。


現在、日本在住、早稲田大学文学部で教鞭をとるジェームス・M・バーダマン教授は、生粋のアメリカ南部生まれ、アメリカ南部のネイティブである。だから、よそから観光で訪れた人間にはわからない、南部の根底にある感覚を持ち合わせている。そんなバーダマン先生が、故郷の南部を旅した時のエッセイと写真集。

私が、「こういう写真を見たかったんだよね」という、まさにアメリカ南部らしい、きっとこんな風景に違いない、あるいは、こうであってほしいと想像している風景が、この本には載っている。カメラマンのスティーブ・ガードナー氏も南部生まれで、その二人が組むと、彼らの心の奥底にあるノスタルジーまでが、文章と写真に溢れてくるようである。

早稲田のアメリカ南部映画祭で、さんざん南部の食べ物についての講釈を聞かされていたが、先生、やはり食いしん坊だったようで、どこに行っても食べ物の話がついてまわる。アメリカの食べ物はまずいという先入観があるが、そこで生まれた人にとって、まさに南部のホーム・クッキングは、「おふくろの味」ということになるのだろう。いかにも暖かい心のこもった、おいしそうな料理の描写が続く。

また、ミシシッピ河とは切っても切れない南部の生活が、うわべだけのものでなく、良い面でも、悪い面でも描かれている。まさにマーク・トウェインの「ハックルベリー・フィン」を髣髴とさせる場面だ。ジャズやブルース、各種のフェスティバルについても、趣味としての音楽や祭りでなく、その土地に根ざした南部の人たちの日常がうかがえる。

そして、ところどころに南北戦争や黒人奴隷といった南部の歴史が散りばめられた文章は、やはりそこで生まれた人にしかわからない悲哀のようなものを感じさせつつ、またバーダマン先生個人の故郷への思いと繋がって、胸を熱くさせる。

掲載されている写真も素晴らしい。光と影のコントラストが、「ディープサウス」という言葉とあいまって、奥行きのある深みを感じさせる。

2004年12月06日(月)
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 その名にちなんで/ジュンパ・ラヒリ

内容(「MARC」データベースより)
「ゴーゴリ」と名づけられた少年。その名をやがて彼は恥じるようになる。進学を機に、ついに改名。生まれ変わったような日々のなか、ふいに胸を刺す痛みと哀しみ。そして訪れる突然の転機…。ふかぶかと胸に沁みる長篇。


例によって不思議な感覚にとらわれている。インドから移民した人たちの話だが、前作の短編集 『停電の夜に』 でも感じた奇妙な感覚が、いまだに抜けない。アメリカに渡って、アメリカ式の家に住み、アメリカ人と同じように生活しているのだが、その中で相変わらずサリーを着ていたり、毎日インド料理を食べたりしているというのが、なんとも不思議なのだ。というか、その民族性に、こちらが慣れないのだ。

そこには、宗教の違いとか、文化の違いとか、いわずもがなの事実があると思うけれど、これはアメリカの小説なのだと思いながらも、でも違う。なんとも奇妙な感じがして仕方がない。アメリカにおける、ほかの民族には感じられない独特の感覚がある。

インドのサリー姿の女性は、痩せていようが太っていようが、皆エキゾチックできれいだなと思うのだが、先日1台の車に5、6人がぎゅうづめになって乗っている光景を見て、なんて濃い空間なんだろうと思った。一人一人は、サリーもきれいだし、彫りの深い顔が美しいのだが、集団になると、まるでそこがブラックホールのように密度が濃くなっている感じがする。

うまく言えないのだが、インド系の小説(ほとんど読んだことがないので、ジュンパ・ラヒリの小説と言ったほうがいいかも)には、そういった密度の濃さを感じる。アメリカで生まれた子どもたちは、アメリカ式の食事をしたりしていて、キッチンにはアメリカのブランドの食品が並んでもいるのだが、そこに、どうやっても消せないカレーやスパイス、タマネギや唐辛子、マスタードオイルの匂いが存在する。

日本人がアメリカで暮らしても、やはり日本食は食べるだろう。たまにはキモノも着るかもしれない。でも、インドの人のように、かたくなに母国の習慣を守るということはないだろうと思う。「郷に入れば郷に従え」というようなことわざは、インドにはないのかもしれない。

ジュンパ・ラヒリは、奇想天外なことが書いてあるわけでもないのに、淀みのない文章で一気に読ませる、とても上手い小説家だと思う。日本語版の読みやすさは、翻訳家の力によるところも大きいだろうとは思うが、一つのパラグラフが長い割には、途中でうんざりすることもなく、流れるように進んでいく。およそ女性作家らしからぬ作家(これは褒め言葉だ)だと思う。

ただ、当たり前かもしれないが、どうしてもインドの匂いがつきまとう。だからこそジュンパ・ラヒリなのだと言えるのだろうが、私はその部分に、いまだ奇妙な感覚を消せず、なにやら落ち着かない気分になる。

そんな感覚にずっと包まれながら読んでいたが、この小説は「面白かった」と表現すると、なんだか違うような気がする。感動とも違う、胸が痛くなるような小説だった。

本当は、二つの大陸で生きたインドからの移民ということについても書くべきなんだろうけれど、個人的には主人公のゴーゴリというよりも、その両親のアシマ(母)とアショケ(父)のほうへの感情移入のほうが大きく、自分の両親について、ゴーゴリの両親のように、彼らにも彼らの人生があったのだなどと考えたことがないという事実に愕然とした。私は父や母について、父と母であるという以外に、ほとんど何も知らないのだ。

以前、父の短歌帳を見たときに、心臓をぐっと掴まれるような衝撃を感じたことを思い出した。弟が結婚するときのことを詠んだ歌に、「息子はなんて楽しそうなんだろう、自分の青春時代は戦争ばかりで、あんなに楽しそうにすることはなかった」といったようなことが書かれていた。その時、父にも弟と同じ年頃、同じ感情を持った時代があったのだと、青天の霹靂みたいに思ったのである。戦争が、父のそういった青春を全部奪ってしまったのだと、自分のことのように悔しい思いがして、涙が出た。

ゴーゴリの両親同様、私の両親も見合い結婚だったから、恋愛もせずに結婚するとは、一体どんな感じなんだろう?と不思議にも思っていたが、昔はみなそうだったんだくらいにしか思っていなかった。しかし、そういう結婚をして、家族を大事にするという責任感は、今の人たちよりもずっと強かったに違いないと思う。恋愛だろうが、見合いだろうが、結ばれる運命というものがあるならば、恋愛が絶対条件ではないはずだ。もっと強い絆があるに違いない。けれども、父や母にそんなことを聞いてみるようなことは、ついぞなかった。

そんな風なことを考えながら本を読んでいたら、ゴーゴリの父親が死んだところとか、プレゼントされた「ニコライ・ゴーゴリ短編集」に書かれていた父親の文章を、ゴーゴリがまるで初めて見るかのようにショックを受けながら読んだところとか、子どもがいかに親のことを知らずにいるかということを思ったら、本当に悲しくて仕方がなかった。その父親は、穏やかで責任感のある立派な父親だった。嫌で嫌でたまらなかったゴーゴリという名前にも、実は深い、深い意味があったのだ。

『停電の夜に』 の表題作では、そのへんのロマンス作家ならば、堂々と長編小説に、それも上下巻にもしてしまうような話を、無駄をそぎ落として短編にまとめあげた手腕はたいしたものだと感じたが、今度は長編ではあるが、なおかつそうした短編がたくさん詰まっているかのような感じを受けた。

2004年12月02日(木)
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