読書の日記 --- READING DIARY
 ⇒読書日記BLOGへ
  schazzie @ SCHAZZIE CLUB



 King Solomon's Mines/H.Rider Haggard

※画像はTor Books版

内容(「BOOK」データベースより)
二千数百年まえに栄華をほこったソロモン王の秘宝が、アフリカの奥地にねむるという。ふしぎな現地人・ウンボパたちとともに、古地図をたよりに「知られざる国」をめざした三人のイギリス人。焦熱の砂漠と氷の山を、死ぬ思いで越えた彼らを迎えたものは?未知の大陸への思いをかきたてた、秘境探検小説の記念すべき一作。


<Peter Haddock版>

Amazonで邦訳を買おうと思ったら、日数がしばらくかかりそうなので、手元にあるPeter HaddockのRetold版で読むことにした。とりあえずあらすじはわかるし、内容が気に入ってちゃんと読みたければ、原文ならウェブ上のグーテンベルグで無料で読めるし。

このPeter Haddock版は、見開きの右側に必ずヘタクソな挿絵が入っていて、電車の中などで読むのは恥ずかしかったりするのだけれど、読んでいると意外にもこの挿絵が助けになったりする。特徴のないどうでもいいような絵なので、イメージも固定しないのがいい。文庫サイズのかわいらしいPBで、以前は100円台で買えたのだが、今では一律500円で手数料のほうが高く(Amazonで)、わざわざこれを買わなくても、Retoldでないちゃんとした本が買えてしまう。でも、これは持っているだけでも楽しい本なので、一律500円になる前に、可能な限り入手しておいて良かった。


<読了>

冒険活劇として、とても期待していた作品だが、なにしろ児童向けのリトールド版だから、省略の多いこと!とはいえもともとの原文を読んでいるわけではないので、どこがどう省略されているのかもわからないが、なんといっても物語の展開が早い!砂漠で水はどこだ!と言ったかと思うと、すぐにあった!となる。アフリカの原住民との様々なエピソードも、ソロモン王の秘宝の発見も、あっという間に終わってしまう。その間のわくわく、どきどき感まで省略されてしまっているという感じ。主人公アラン・クォーターメインは冒険家だが、冒険も何もあったもんじゃないという感じだった。子供が読むにはこれでもいいだろうが、大人には全然物足りない。そもそもアラン・クォーターメインの魅力が全く描かれていない。つまりそういった人物描写も省略されている。これでは彼は英雄にはなれないだろう。やっぱりちゃんとした大人版で読むべきだった。

ただ、ピーター・ハドック社のまえがきには、この本を読んで興味を持ったら、あるいは大人になってこの物語を思い出したら、ぜひとも原書でもう一度読むべきであると書いてある。この本は、そのための準備本というわけか。以前に同じシリーズで『ロビンフッド』を読んだが、それはそれなりに面白かった。しかし今回は話がもっと壮大になるため、やっぱり物足りない。


2003年09月30日(火)
Copyright(C) 2000-216 SCHAZZIE All rights reserved.



 The Penguin Book of International Short Stories 1945-1985

「Hair Jewellery」/Margaret Atwood
「Going to Meet the Man」/James Baldwin
「The Child Screams and Looks Back at You」/Russell Banks
「Cortes and Montezuma」/Donald Barthelme
「Jacklighting」/Ann Beattie
「A Distant Episode」/Pawl Bowles
「Greasy Lake」/T.Coraghessan Boyle
「Ceil」/Harold Brodkey
「Children on Their Birthdays」/Truman Capote
「Fat」/Raymond Carver
「The Haile Sellassie Funeral Train」/Guy Davenport
「Order of Insects」/William Gass
「The Country Husband」/John Cheever
「Quenby and Ola, Swede and Carl」/Robert Coover
「The Hunter」/E.L.Doctorow
「I Look Out for Ed Wolfe」/Stanley Elkin
「Communist」/Richard Ford
「The Last Mohican」/Bernard Malamud
「The Pilgrimage」/William Maxwell
「The Deal」/Leonald Michaels
「The Tryst」/Joyce Carol Oates
「The Artificial Nigger」/Flannery O'Connor
「The Suitcase」/Cynthia Ozick
「The Contest」/Grace Paley
「Eventide」/James Purdy
「Unguided Tour」/Susan Sontag
「Children Are Bored on Sunday」/Jean Stafford
「A Friend and Protector」/Peter Taylor
「Separating」/John Updike
「No Place For You, My Love」/Eudora Welty
「Hunters in the Snow」/Tobias Wolff
「Big Black Good Man」/Richard Wright
「The Best of Everything」/Richard Yates


2003年09月27日(土)
Copyright(C) 2000-216 SCHAZZIE All rights reserved.



 透明人間/H.G.ウェルズ

内容(「MARC」データベースより)
雪どけの始まった、冬の終わり。その風変わりな男はアイピング村にあらわれた。実験道具とおぼしき荷物を大量に運び込み、いつも顔は包帯でぐるぐる巻き。謎の男は、やがて忽然と消えてしまい…。


「透明人間」って悪い人ではないのだろうと思っていたら、世界を恐怖で支配しようという恐ろしい野望を持った悪者だった。しかし透明人間になる前の彼は、そもそも色素の薄い体質であり、人と違う容姿を持つことで幼い頃から孤独であり、そこに端を発して透明になる研究を始め、ついには恐ろしい野望を持つに至ったと推測される。包帯を巻いてサングラスをした姿は異様で他人から敵視されるが、そうなる前からすでに彼は他人から差別を受けていたのだ。結局孤独なら、それを逆利用して人々を自分の意にそわせようという哀しさが見える。

ウェルズの物語は映画などでも見ているし、SFといえばウェルズというくらいに有名なので、今更読むまでもないというくらいではあるが、読んでみると、ただの怪物ものではなかったのだと気づく。透明になれたら何でも好きなことができていいだろうと思うが、透明であるがゆえの不都合は、なるほどそこまでは考えなかったなという点がたくさんあって、思わず苦笑してしまう。

周囲の登場人物がなんとなくディケンズの小説のような雰囲気で、やはりイギリスが舞台であるからということを非常に意識したが、同じSFというジャンルとはいえ、たしかにフランスのジュール・ヴェルヌ(1826-1905)とは違った雰囲気があった。

ウェルズ(1866-1946)のほうが40歳ほど年下だが、SFの先駆者的存在としてヴェルヌと並び称され、今日のSFの原型を作り上げたという意味では、ウェルズを開祖とする考え方もある。




2003年09月25日(木)
Copyright(C) 2000-216 SCHAZZIE All rights reserved.



 ジーキル博士とハイド氏/ロバート・ルイス・スティーヴンスン

※画像は創元推理文庫版

内容(「BOOK」データベースより)
深夜、ロンドンの街角でエンフィールド青年は奇怪な光景を目撃する。十字路で少女を平然と踏みつけ、高名な医師ジキル博士の屋敷に悠々と入っていく異様な男ハイド。彼は何者か?アタスン弁護士の疑念を裏付けるように、続いて殺人事件が…。『フランケンシュタイン』『吸血鬼ドラキュラ』と並び称されるホラーの古典的名作、新訳決定版。


<アンプレザントネスの文学─訳者解説より>

英米、ことにイギリス文学の伝統に、unpleasantnessの興味というものが、濃く流れている。アンプレザントネスは不愉快と訳したのでは、ちょっと何のことかwからないが、人間の生活は愉しいほうがよく、愉しからざることをなるべく避けて生きようと心がけるのが普通人の態度であり、同時に愉しからざることを避けえないのが人生であることを誰でも知っている。貧、老、病、死はみな愉しくないが、それらのほうが愉しいことよりも却って現実的に感じられるのは、実はそれが愉しくないからであろう。だがそう考えるとリアルな人生を描いた小説はみなアンプレザントネスの文学ということになり、そういうジャンルを考えることが無意味である。しかし小説の読者はみな他人が借金に苦しんだり、好きな女に逃げられたり、他人の生活のアンプレザントネスを上手に味付けした物語を料理を味わうように味わって、それを“愉しんで”いる人種だということを反省するのは無意味ではない。

英人のいうunpleasantnessはもう少し限定された意味である。というのは、すでに愉しからざることが人生の本質により近いことを認識してしまえば、だからこそ、人生は愉しいと空景気をつけないで、おたがいに愉しからざることを内に耐え、少なくとも社会生活では愉しくはないまでもできるだけ愉しからざる人生の真相を暴露しないように生きてゆこうと努力するのが、彼らの考え方であり、生き方である。ある場合、それは他の国民には、虚飾とも、偽善とも、狡猾ともみえるかもしれないが、こういう考え方、生き方が、彼らの富、彼らの良識、彼らの民主主義、彼らの労働運動や福祉国家建設、彼らの愛国心等を育て、また特色づけてきたことも疑えない。コモン・センスとか、ジェントルマン・シップとかいう言葉の内容が、そこに根ざしている。

英米の大衆が廉価版で買って一晩で読み捨てる文学の特質、すなわちそれらに共通する魅力の性質を一言で言い表そうとすると、それはunpleasantness(不愉快)という魅力なのであって、そうした特殊な刺激を求める読物が、もっと日常的な現実生活の諸相を追求するいわゆる“純文学”よりも一段低い眼で見られていることは、英米でも日本と変わりはない。事実イギリスではshilling shockerとかpenny dreadfulsとか、この種の小説に対する蔑称があって、その蔑称にふさわしい駄作が年々大量に生さんされている。しかしこうした嗜好そのものは前述のようにイギリス人の本来の性向に根ざしたものである以上、こうした通俗小説の形式をとって発表される作品のうちに、しばしば眼をみはらせるような傑作、名作がまじっていることがあるのもまた、驚くに当たらぬことである。

ロバート・ルイス・スティーヴンソンは、まさにイギリスのこの“不愉快”の文学の古今を通じての第一人者である。そしてこの『ジーキル博士とハイド氏』は上に説明したアンプレザントネスの原理を、もっとも巧妙にフィクションの形で提出しているという意味で、彼の最高の傑作ではないが、最も重要な作品の一つである。つまりこの作で彼が彼自身の文学だけでなく、英文学の強い一面──したがってイギリス的知性の一面を、もっとも的確に定式化してみせた。


いかにも英国的な書き出しの文章がいい。この物語では、主人公はアタスン氏ということになるのだろうか、彼の外見や性格の描写が明瞭で、読んでいて気持ちがいい。続いて、ハイド氏の出現を友人から聞き、ミステリアスな雰囲気を感じさせつつ物語が徐々に始まって行く筋書きも、いきなり犯人が殺人を犯す場面から始まるような現代のアメリカものとは違って、いかにも古風で英国っぽいと感じる。

内容は知っているものの、ちゃんと読んだことがない、あるいは読んだかもしれないが、すっかり忘れ去っていたという物語だが、解説を長々と引用したのは、ジキルとハイドの二重人格についての物語ではあるが、結局徐々に悪のほうのハイドが勝っていくという状態が、まさに人間のアンプレザントネス嗜好を表していると思ったため。人間が善でいるためには、不愉快なことも我慢して生きていかなくてはならないが、悪に徹してしまえば、それそのものが愉しからざることなのだから、良心などに縛られることなく生きていける。そういう人生は、社会からは認められないが、良心などかなぐり捨ててしまえば、生きていくには楽である。そして読者もまた自分は善であるとしながらも、他人の悪には興味を持ち、心の奥底の自分の悪の部分で愉快に感じるのだ。というわけで、単なる怪奇ものではなく、娯楽読物などとも言えない、人生の哲学もしっかり語られている名作だった。

2003年09月23日(火)
Copyright(C) 2000-216 SCHAZZIE All rights reserved.



 サンクチュアリ/ウィリアム・フォークナー

内容(「BOOK」データベースより)
ミシシッピー州のジェファスンの町はずれで、車を大木に突っこんでしまった女子大生テンプルと男友達は、助けを求めて廃屋に立ち寄る。そこは、性的不能な男ポパイを首領に、酒を密造している一味の隠れ家であった。女子大生の凌辱事件を発端に異常な殺人事件となって醜悪陰惨な場面が展開する。ノーベル賞作家である著者が“自分として想像しうる最も恐ろしい物語”と語る問題作。


フォークナー自身が、“自分として想像しうる最も恐ろしい物語”といっているというので、どれほど恐ろしい話なのだろうか?と興味津々で読んだのだが、書かれている事件、事柄は、今や日常茶飯事となってしまっており、当時はセンセーショナルな物語であったのだろうが、現在では「エンターテインメント」小説にもよくある話となってしまっているところが、別の意味で恐ろしい。

フォークナーはヴァージニア・ウルフ同様「意識の流れ」を描いている作家と言われているが、ウルフよりはストーリーもしっかりしていてわかりやすかった。それでも難解であるというイメージは拭えない。それに、レイプや殺人などの事件の明確な描写がないため、いつ、どこで事件が起こったのか、何度も読み返さなくてはその部分を特定できなかったし、解説を読んで初めて、そんなに酷いことがあったのかと気づいた始末。

「想像しうる最も恐ろしい物語」である割に、読後、何の感情も呼び起こされなかったのは、そういった出来事に慣れすぎてしまった現代の社会のせいなのか、はたまた私にこの作品を読み取る能力がないのか・・・。連続殺人鬼の話などを、エンターテインメントのミステリとして読んでいる昨今では、この程度の話では何も驚かない。そういった事件に注目するのではなく、もっと登場人物の「意識の流れ」に注目すべきなのだろうとは思うのだが、全然そこまで入り込めなかった。



2003年09月16日(火)
Copyright(C) 2000-216 SCHAZZIE All rights reserved.



 真夜中のサヴァナ─楽園に棲む妖しい人びと/ジョン・ベレント

内容(「BOOK」データベースより)
サヴァナ、それは「北米一美しい街」と評判の、アメリカ南部に眠る"楽園"である。しかしその住人は妖しさもとびきりだ。由緒ある大邸宅にたったひとりで暮らす男、見えない犬を連れて散歩する老人、数々のミスコンを制覇した女装の名花…そしてある日、これら一癖ある人びとの日常の平穏を破る、奇妙な殺人事件が起こった!クリント・イーストウッド監督映画化の、実在の街と事件に取材した傑作ノンフィクション。


著者のベレントがサヴァナに惚れ込み、しばらくの間、ほとんどサヴァナに滞在し、人々の取材をしている間に殺人事件が起こり、後半はその裁判の模様を描くノンフィクション。

「事実は小説より奇なり」という言葉を実証するような話ばかりで、こんな町に住んでいたら、絶対退屈しないだろうと思う。そこにアメリカ南部特有の妖しい不気味さも加わって、雰囲気もたっぷりなので、ノンフィクションとはいえ、ファンタジーでも読んでいるような感じさえする。

後半、ベレントが滞在中にたまたま起こった殺人事件が中心になってくるが、「奇妙な殺人事件」と書いてあったので、アメリカ南部らしく吸血鬼にでも襲われたか?と思ったが、期待は外れて、ごく平凡な殺人であり、犯人もはなからわかっている。それが故意に殺したものか、事故なのかといった裁判の行方を追うのが面白いといったところだろう。

ただ、サヴァナの住人はみな魅力的で面白いのだが、著者のベレント(語り手)の存在が目につきすぎるかな?という感じがした。ベレント自身は面白くもなんともないキャラクターなので、サヴァナの奇人・変人との比較対象としてはちょうどいい普通の人であるのかもしれないが、彼が会話に加わったり、口を出したりするのは余計なことのような気がした。できることなら黒子に徹してほしかったという感じがする。ベレントが面白がって頻繁に登場させているオカマのシャブリも、今では特別奇妙な人物ではないし、出すぎの感があって、食傷気味。本全体としてはとても面白い。

巻末に、訳者の真野さんのあとがきのほかに、青山南さんの文章も掲載されていて、アメリカ南部ファンには嬉しい。この本と合わせて、南さんの『アメリカ深南部』という本を読む(見る?)と、さらにサヴァナの雰囲気を詳しく知ることができるので、お薦めしたい。



2003年09月15日(月)
Copyright(C) 2000-216 SCHAZZIE All rights reserved.



 ゾエトロープ[noir](B+)/フランシス・フォード・コッポラ編

1997年の創刊からはや6年。「優れたストーリー」を求めて映画監督フランシス・フォード・コッポラが立ち上げた季刊文芸誌『ゾエトロープ・オールストーリー』は、全米の若き才能に向けて自由な表現の場を提供し続けている。『ゾエトロープ・オールストーリー』を経て、すでに人気と地位を確立した作家も少なくない。このコッポラの理想郷ともいえる雑誌の中から、今回、日本オリジナルのベスト版第三弾となる本書には、厳選した七編を収録。
─カバーより

<目次>

●Alicia Erian アリシア・エリアン
「You」/You

●Karen E.Bender カレン・E・ベンダー
「Anything for Money」/金のためなら

●Karl Lagnemma カール・ヤグネマ
「Zilkowski's Theorem」/ジルコフスキの定理

●David Benioff デイヴィッド・ベニオフ
「The Affairs of Each Beast」/それぞれの獣の営み

●Rick Moody リック・ムーディ
「The Creature Lurches From the Lagoon : More Notes on Adaption」/ラグーンから忍び寄る怪物

●Toure トゥーレ
「A Hot Time at Church of Kentucky Fried Souls and the Spectacular Final Sunday Sermon of the Right Revren Daddy Love」/ケンタッキー・フライドソウルズ協会の熱い日々、そしてダディ・ラブ師の華麗なる最後の日曜礼拝

●Francine Prose フランシーヌ・ブローズ
「The Witch」/魔女(あるチェーホフの物語にちなんで)


今回は、リック・ムーディの作品を除けば、全部面白い作品だった。これまでの日本版「ゾエトロープ」も、そこからお気に入りになった作家もあったし、それぞれ特徴があって面白かったが、3冊出ている中では個人的にはこれが一番好きかも。

リック・ムーディをなぜ除くかというと、彼の作品だけ、小説ではなく自分の映画製作に関する話といった感じだったからで、このアンソロジーに入っているのが不思議といったものだったからだ。

デイヴィッド・ベニオフは初の長編小説『The 25th Hour』が映画化され、まさにコッポラの「ゾエトロープ」的発想にはまった作家だろう。そういった意味では、ここからどんどん面白い作家が巣だっていくのを、読者も楽しみにしたいところ。年末には[noir]と対の『ゾエトロープ[blanc]』が出版される予定なので、また新しい才能に出会えることを期待したい。個人的好みとしては、アリシア・エリアンとトゥーレの作品が特に面白かった。


2003年09月13日(土)
Copyright(C) 2000-216 SCHAZZIE All rights reserved.



 クジラの島の少女(B+)/ウィティ・イヒマエラ

「小さな勇気が世界を変え、女の子でもヒーローになれる」─ウィティ・イヒマエラ

ニュージーランドのファンガラの地で、一人の少女が生まれた─その名はカフ。クジラ乗りの先祖をもち、代々男を長としてきたマオリの一族に、初めて娘が授けられたのだ。しかし跡継ぎを切望していた、長である祖父は、カフをどうしても受け入れられない。頼もしく優しい祖母や叔父、そしてニュージーランドの自然に囲まれ成長するカフ。やがて彼女に不思議な力が備わっていることに、二人は気づく。一方、頑な祖父は跡取りの男の子を探しているが、上手くゆかない。そんな時、いつもそばには笑顔のカフがいた─。

そして運命の時は、突然、やってくる。クジラの異常な大群が浜に押し寄せた。かつてないマオリの危機に、一族全員が結集する。もはや為す術もない状況の中、クジラの声に導かれるかのように、少女は一人、海へと向かった・・・。

マオリの少女が起こす奇跡が、国境を越えて感動の涙をもたらす。ニュージーランドの国民的作家が描く、愛と奇跡の物語。

─カバーより


クジラとかイルカとかが出てきて、少女が出てくれば、無理やり感動させようとする話ではないかと疑ってよみはじめたが、予想に反してさらりと読めた。ただ、頻繁にニュージーランドのマウリ族の言葉(?)がそのまま書いてあるので、それが邪魔といえば邪魔。あるいはそれがあるから雰囲気が出ていいのか?雰囲気は出ても意味はわからないわけだから、ただの文字の羅列にしか思えないのだが。

この話は、「女の子だってヒーローになれる」というのがひとつのテーマなのだが、こうした南の島の話というのは、「女性」は非常に軽んじられていると感じる。というか、女性の役割は子供を生むこととしか考えられていないようなところがある。だが実際にこういった物語の中で、最も強いのは女性だ。この物語も例外ではなく、一番力を持っているのは一族の長である祖父の妻、つまり祖母である。力強く、愛情に満ち、そして情にもろい。まず例外なくそういった人物である。こうした祖母のもとで、心優しい少女に育った主人公のカフは、一族の伝説に込められた最後の救世主となるのだ。ここに登場する人たちは、みな「いい人」ばかりで、その意味でもほのぼのとするのだが、次第に迫ってくる文明の波や、世の中の嫌なことを経験するのは、カフの叔父である。彼だけがニュージーランドから外に出て、そういった文明の悪い部分を目にする。そして、だからこそカフの純粋な姿をより愛するようになる。

そして随所にクジラたちとホエールライダーの伝説をちりばめてあるのだが、それはカフの一族にとっては伝説ではなく、事実として、太古の昔からその言い伝えにしたがって生きてきた掟のようなものだ。陸ばかりではなく、海の中にも文明は押し寄せてきており、行く先を見失ったクジラたちは浜辺にあがって集団自殺する。自然を操ろうとする人間の思いあがりと、拒否しようとしても、嫌でもやってくる文明の波。だが、少女カフがホエールライダーになることにより、再び一族には未来が見えてくる。

しかし、これはとても不思議な物語だ。神話や伝説をもとにしたファンタジーのようでもあるが、現実もしっかり描かれている。そのかけ橋となるのがカフなのだが、彼女がクジラに乗って海に潜っていくところは、自分も水の中に潜っているような気がして、息が苦しくなるほど。カフは生き返るのだが、それは死を経て生き返ったのだろうか?それとも真のホエールライダーだったから、死ぬには至らなかったのだろうか?ファンタジーなのか、現実なのかよくわからないため、そんな疑問が残った。それに考えてみれば、私は本物のクジラを見たことがない。どれほど大きいものなのか、感覚として見当がつかない。なんとなく感動したとも言えるし、疑問がたくさんあるため、完全に理解していないとも言えるので、複雑な思い。


2003年09月11日(木)
Copyright(C) 2000-216 SCHAZZIE All rights reserved.



 The Perfect Summer/Luanne Rice

<SUMMER COLLECTION>

幸せで完璧な夏の日、主人公ベイの夫が姿を消す。彼の所有しているヨットには、おびただしい血のあとが・・・。そのうえ、銀行の副頭取であった夫には、横領の疑いがかけられ、その捜査のためにFBIまでもが動き出す。事件か?事故か?あるいは殺人か?

まるでミステリを読んでいるようだが、これはジェントル・フィクション。こんな状況の中で、夫の昔の女性関係の疑惑が再度浮かび上がってくる。彼の失踪とその女性との間に関連はあるのだろうか?

ベイの夫ショーンが死体で見つかり、悲しみに沈む家族だが、さらに追い討ちをかけるように、FBIからこれは殺人だと聞かされる。銀行の金を横領した疑いも晴れないまま、ベイと子供たち3人は悲しみを乗り越えようとするが・・・。

で、ここで出てきたのが、オーガスタ・レンウィック。どこかで聞いたことがあると思ったが、全然違う小説でも同じ名前はありうるだろうと気にせずにいたら、先日読んだ、同じくLuanne Riceの『Firefly Beach』に出てきた、主人公のお母さんだったのでびっくり。

「1969年のクリスマスに、クッキーを焼いている母と幼い娘二人。母のお腹には三人目の子供。しかし、突然銃を持った男が現れ、自分の妻を奪った彼女達の父親に復讐するため、子供を殺すと言い出した。結局男は復讐が果たせず、自分に銃を向けて自殺する。幸せな家族を襲った突然の恐怖」

というあの話だ。このクッキーを焼いているお母さんが、オーガスタ・レンウィックで、あの話の中ではブラックパールのネックレスしかつけていなかったが、実は宝石をたくさん持っていて、財産の管理をショーンの銀行に頼んでいたというわけで、これまたびっくり!『Firefly Beach』のほうでは、特に人づきあいもなかったのに、ここでは結構社交的だし。

結局、あの話とこの話は、ご近所の話というわけだったのだ。なおかつ、オーガスタの家の家政婦をしているのが、ベイの親友のタラだというのだから、世の中狭いのねという感じ。続きものでもないのに、こういう設定は珍しいだろう。で、せっかく登場したからには、オーガスタ・レンウィックは何か重要な役柄なんでしょうね???


<読了後>

Luanne Riceの小説は、人間関係が複雑だ。きっかけとなる大きな事件があり、それに関わる人物があれこれ登場し、その輪の中でロマンスが生まれ、結ばれて行くという流れ。今回は事件の占める比重が大きくサスペンスタッチで、事件の真相は最後になるまでわからないのだが、サスペンスにしては退屈で、事件の流れも結末も中途半端。人が殺されたり、子供が行方不明だったりしている時に、愛を語りあっている場合じゃないでしょう!という状況もしばしばで、なんとも歯がゆい話だった。

『Firefly Beach』にも登場したオーガスタ・レンウィックについても、なぜこの人を再び登場させたのか、全く不明。ここでの役割は、全然別の人でも十分可能だし、わざわざオーガスタを出す意味はどこにあったのだろうか?ただ単にご近所だったからとしか思えない。またオーガスタのキャラも前作とは全く違っていて、ますますオーガスタ・レンウィックである必要性はないと思える。

興味深い事件を物語のきっかけにするのはいいのだが、それをきっちり描ききっていないところに大きな不満を感じる。事件そのものではなく、そこに関わる人たちの愛と友情を描いているのだとは思うのだが、しかし読者は事件の成り行きや結末を知りたいと思うだろう。それがほとんど曖昧で、消化不良気味なのだ。読後に大いに不満が残るし、途中は退屈だ。なんとか良いところをみつけようと思うのだが、とりあえずは思いつかない。読み終えることができてほっとしたという1冊である。



2003年09月10日(水)
Copyright(C) 2000-216 SCHAZZIE All rights reserved.



 大魚の一撃/カール・ハイアセン

内容(「BOOK」データベースより)
R・J・デッカーは以前マイアミの一流新聞社専属のカメラマンだった。写真の腕は一流だったが、持ち前の一本気な性格のため新聞社をやめ、現在は私立探偵稼業で糊口をしのいでいる。住居はトレーラー、唯一の財産はカメラだ。そんな彼のところに大財閥のデニス・ゴールトが仕事を依頼してきた。バス釣りトーナメントで行なわれている不正行為を暴く証拠写真を撮って欲しいという。すでに同じ仕事を請け負った男がひとり殺されている。しかし報酬額5万ドルにひかれたデッカーはさっそく問題の釣り師の本拠地へ乗り込み、新聞社時代の友人ピクニーの協力を得て調査を開始した。が、その直後ピクニーも何者かに殺された。捻りのきいたユーモアと軽快なテンポに乗せて放つC・ハイアセンの第2作。


600ページ近くあるミステリだが、途中退屈もせず、最後まで面白く読めた。
「バス釣りトーナメント」というメインの筋に、政治の汚職、環境問題などがからみ、登場人物も多く、人も次々に殺される。それが散漫にならずに全部きちんとまとまるのがすごい。先日読んだ『ストリップ・ティーズ』も、またミステリではないが『HOOT』でも、政治がらみの大物が必ず悪いやつで、フロリダの美しい自然を金儲けのために、平気で破壊していくのだ。どの作品にもこういった環境問題は必ず提示されており、ハイアセンのとぼけたユーモアにあはは!と笑いながらも、考えさせられることはたくさんある。ミステリに社会批判、風刺がプラスされた作風と思えばいいだろう。


<魅力的な登場人物>

本書では、魅力的な人物がたくさん登場する。まず主人公のR.J.デッカー。彼は元カメラマンの私立探偵で、短気で怒ったら何をしでかすかわからない男。離婚した妻を今でも愛していて、現在はひとりでトレーラー・パークに住んでいる。

デッカーからガイドを頼まれたスキンクは、長髪を三つ編みにし、髭をぼうぼうに生やした巨漢で、過去になにやら秘密を持つ隠遁者。バス釣りのガイドをしながら、道路で車に轢かれた動物を拾って食べているが、実はすごい前歴があった。頭がおかしいと思われているが、自然をこよなく愛する心優しい男。

ジム・タイルは黒人のハイウェイ・パトロールの警官。これもまた巨漢で力持ち。スキンクに忠誠を尽くしている。ただし、タイルはスキンクと違って、あくまでも冷静。ハイアセンは力持ちの大男を描くと、とても魅力的なキャラを作るようだ。

そして、『ストリップ・ティーズ』にも出てきたアル・ガルシア刑事。これは今更言うまでもないが、強烈な個性の持ち主で、個人的にもお気に入りの人物。本書では少しおとなしかったかも。

この4人がタッグを組んで、問題に取り組むさまは、非常に愉快だ。それぞれの個性がそれぞれの役割にうまくはまり、読んでいるほうは痛快な気分になるし、どれもカッコイイ2枚目のキャラではないので、笑いも十分。しかし、彼らは全て、愛すべき正義の男たちなのだ。

また、悪役たちもそれぞれ個性豊かで、どこか喜劇的なキャラばかり。言うまでもなく、彼らは皆、サイコパスではない。ハイアセンのミステリには、サイコパスや陰湿な精神異常者は出て来ない。欲に目が眩んだ、バカものどもばかりといった感じだ。

そして本書では、マイアミやフロリダの自然の描写がたくさん描かれており、その光景が目に浮かぶようで、楽しかった。今度はぜひともエヴァーグレーズに行ってみたいと思う。ちなみに私は釣りは数えるほどしかやったことがないし、海釣りばかりでバス釣りは経験がないが、それでも十分に楽しめた。釣りが好きな人ならさらに面白く読めるだろう。


2003年09月05日(金)
Copyright(C) 2000-216 SCHAZZIE All rights reserved.
初日 最新 目次 MAIL HOME


↑参考になったら押してください
My追加

Amazon.co.jp アソシエイト