ほうじ茶飲話【JOYWOW】
2005年03月29日(火)
こーちゃん、最高!
池端慎之介主演の「越路吹雪物語」を観に行く。宝塚歌劇団出身、戦後のミュージカルやシャンソンの世界で君臨した女王様の人生を綴るお話。以前から一度ピーターの舞台を観てみたいと思っていたが、ようやく実現。どんなに忙しくても、こういう時間だけは何を削ってでもひねり出す。
さて、S席で3階席というとんでもなく大きな劇場で、ステージの熱は伝わってくるものの、オペラグラスを忘れるという失態を犯した私に出演者の表情はほとんど判別がつかない。幕間にプログラムを購入し、やっとイメージを掴む。あの当時の衣装のラインや色使い、すばらしかった。もともと所作の美しいピーターでもあり、迫力と豪華さで越路吹雪にひけを取らない。ぴたりと役柄に重なっていた。
でもなにがすごいって、歌うそばから情景がわきあがるピーターのあの気迫と歌声、存在感。 表情が見えようが見えまいが、そんなことは問題外。 そしてまた本日も感涙にむせび、感動に包まれて劇場を後にする。 時計に目をやる。 うわっ!!次の約束に間に合わないっ、きゃ〜〜〜っ! ハイヒールで駅まで全力疾走。内股の筋肉が・・・・痛い。
2005年03月26日(土)
こんなに好きなのに
趣味ではないが、実は、胃薬を飲むことが好きだ。 我が家の胃薬はずいぶんと昔からの指定銘柄である。 微粒だし、後味爽やか、よく効くと、文句のつけようがない。
今宵久しぶりに胃薬を飲み、この上出来な薬の状態に いつものように感動し、家人に向かって感想を述べた。 「これさ、本当にオイシイ。私、太田胃散大好きだなぁ」
家人は淡々という。 「どんなに好かれても、名前間違えられちゃ、 胃薬も浮かばれないでしょ」
・・・ん?はっ!・・・・そうだった!! うちの胃薬は大正漢方胃腸薬だった。
2005年03月23日(水)
威風堂々
中村勘三郎襲名披露、昼の部を観に行く。 で、今回のオドロキは松本幸四郎。 今までは、歌舞伎役者というよりも、松たか子と染五郎の父、 ラ・マンチャさん、柳澤教授、ギャルソンという認識だったが、 平家女護島で俊寛を演じる姿に釘付となり、「あ、松本幸四郎さんってこの人だったのね」と認識違いを悔い改めた。 桶は桶や、歌舞伎舞台にいる俊寛・幸四郎の背後には王様のレストランもアマデウスも浮かばなかった。見事!
そうそう。幕間に通路に立ちはだかって写メ(携帯のカメラをこういうらしい)を振りかざすおばさまたちの、他を省みない堂々とした立ち居振舞いも見事にあっぱれだったことも付け加えておく。
2005年03月21日(月)
ふと
PC前で仕事をする三連休。 ふと、BGMを山下達郎に変えた。 変えた後に「あ、春なんだ」と気がつく。 無意識なのだけれど、冬の間はTATSUROの出番が一切ない。
早く仕事を仕上げて、気分もうららかにしなくちゃね!
2005年03月18日(金)
願い
風邪が治ったとたん、夜討ち朝駆け状態に突入。 一ヶ月分の仕事に忙殺されている。
コンサルタントである以上、契約期間が過ぎれば なにがしかの成果物を残しクライアント会社から離れていく。 ではあるが、そこは人と人。 まして研修などを手がけていれば、まっすぐに私を見つめる いくつもの瞳に一つでも多くの何かを残したいと必死に考える。 仕事だから、ではなく、心から 掴んで、伸びて、自分の思うところに進んでほしいと願う。
さて、今日もがんばろうっと。
2005年03月13日(日)
やっと復活
長引く風邪も、やっと回復の兆し。 今日は倒れこむことなくたまっている仕事に手をつけた。
NY留学から日本に戻ってきているオーストラリア在住の友人と 会う約束をしているのだが、約束の日に起こる彼女の気管支炎、 私の風邪、悪天候、彼女の花粉症etc. どうにも会えそうにない・・・笑。
ほぼ半月を風邪で棒に振りました。 けっこう仕事の追い上げ厳しいです。 みなさんもくれぐれもお気をつけくださいね。 さ、今週はフル活動!!
2005年03月12日(土)
この日を忘れない
「ものすごくおいしい台湾料理屋があるんだよ」 このセリフに触発され、万難を排して挑むべく、一ヶ月前から今日の食事会予定を組んでいた。が、祈り虚しく、私の風邪菌はあいかわらず活発、泣く泣く前日にキャンセルを入れた。今回の風邪による「おいしいものキャンセル」は、これで三度目だ。早く治そう!
気を取り直して、晩ご飯の支度にかかる。 ちょっとでもおいしいもの食べたいものね。 と、思っていたら携帯にメール着信。
「若竹と豚の角煮。これからメイン級のレシピが続きます」 「返信無用。ワタリ蟹の画像送る」 「メバルの蒸し煮。ガッツく人々」 「鳥の三杯酢」 「花粉症だけど今は絶好調〜」
台湾料理に舌鼓をうつ優しい友人たちから実況中継。 キミタチ、ほっんとイヤナ奴等だなぁ〜(-_-;) このお返しはいつかしてやる。
2005年03月08日(火)
いつのまにか
お隣の生垣、沈丁花がずらりと6〜7分咲き。
もう、春なんだね。 そういえば風もやさしい。 あ、そうか。 世の中はそろそろ春休みに入っていく時期なのか。 なにやらほんわりと、いい気分になごんだ一日を過ごす。
2005年03月07日(月)
進化?
ひなまつり以降、風邪をこじらせてしまっている。 週末を棒に振るどころか、仕事さえままならない。 インフルエンザ検査には反応しなかったのだけれど、 日々症状が変わる今回の風邪は手強い。
ぼうっとしたアタマで新聞を読んでいたら在日30年の アメリカ人(日本語で執筆している)作家の記事で 「NYやワシントンより東京のほうがずっと都会的で、 目を離すと知らない街に変貌している」という文章に目が止まった。 そう、私は、この感覚をとてもよく知っている。
NYに住んでいた頃、よくこんな風に尋ねられた。 「マンハッタンなんて緑のないところによく住めるね?」 「世界の中心だから世界一エキサイティングな街だよね?」 「マンハッタンは汚いだろう?」 「ここはスピーディーすぎる街だよね?」 どれもこれも、YesでありNo。東京のど真ん中で暮らしていた私にとって、マンハッタンは緑にあふれた楽園だったし、世界一「都市化」されていてスピーディーで汚いのは東京だった。
今も、10年後、20年後でも、地殻変動や戦争がない限り、マンハッタンに行けば、私はきっと懐かしさで胸が一杯になるだろう。店の佇まいが変わり新しいアパートが建ったとしても、街の持つテイストは同じだと断言できるから。でも、日本はそうはいかない。今、私に懐かしさを感じさせてくれる佇まいを残している場所は数箇所のみだ。これもいずれは変わっていってしまうのだろう。
日本には、芯がない。 なぜ、すべてを変えてしまうのだろう。進化という名のもとに。
2005年03月03日(木)
ひなまつり
タイトルとはまったく関係ないが。 今日の午後、待望のPCが届いた。
このノート、名前を何にするかは決めていなかったのだが、 知人のRちゃんからタイミングよく「この名はいかが?」という 命名メールが届いた。その名を「ゆかP」という。笑。 なんとも抜け加減がよくって、即決。 ちなみに彼女のノートは「ぽこさん」というらしい。
主人の私は大風邪で絶不調であるが、かねて用意の ARTISAN & ARTISTのPCバッグに入れられやる気満々のゆかP。 これ以降、コノコが歩みをともにしてくれる相棒かと思うと 赤いボディが妙に頼もしく見えちゃったりして。
2005年03月02日(水)
学ぶ気持ち
今朝の朝日新聞。 『81歳定時制高校生 あす卒業式』
大正生まれ、高等小学校しか出ていないこのご婦人、英語はABCからひとつずつ、数学も、理科もなにもかも、ついていくことがどれほど大変だったろうかと思う。その一所懸命な姿に触発され、担任の先生は勤務の傍ら大学院に通って専修免許をとり、中学で不登校だった男子生徒は尋ねられた数学の問題に答えてあげようと一生懸命勉強したという。
朝からうるると感動した。 こうやってみんなが仲良く前向きに共存していけたらいいのにね。 なんで今の日本はそれがうまく出来ないんだろう。 間に埋められないほどの大きな隔たりがあるとは思えない。 ジグソーパズルのピースとピースの掛け違い、 きっとその程度のことだと信じている。
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