ほうじ茶飲話【JOYWOW】
2003年08月31日(日)
e阪本塾、終了。
e塾が終わった。熱い二ヶ月間だった。 今日までの日々、寝ても覚めてもe塾のことばかり 考えていた。受講者も思ったより深いコースに驚くが 講師も限界近くまで脳みそ&感覚のフル回転となる。
今回はいつもに増して波乱万丈だった。 人が成長していく姿、気づきを得ていく過程を間近で 感じているうちに、言語化できない予期せぬ熱い思いに 涙腺が反応してしまう。 今夜もPCを前にして、感動のあまりぽろぽろ泣いてしまった。 モニター相手になにやってんだよ、自分・・・と ひとり突っ込みしながらも、この仕事やっててよかったぁ と、ほっとしながらまたまたうるるときてしまう。
年とともに涙腺は弱まり、 (だからといって水戸黄門で毎回泣いているわけではない) 比例してもっと人間のことも好きになっていく。
自分の仕事が好きだといえることって、うん、 ほんと幸せだよね。
2003年08月29日(金)
海辺のハプニング
e塾受講者の採点が終了して、やっと一息。 都会に住む友人夫婦と海辺に出かけた。 この友人夫婦、13年海に出かけたことがなく、 誰がどこから見ても海/太陽/夏がまったく似合わない。 ジーンズにスニーカーできたらどうしようかとまじに 考えたほどだ。<さすがにそれはなかったが。
さて、こんなふたりがどうやって一日を過ごしたか。
海が視界に入るや否やテンションが一気に上がった模様。 ビーチのカフェで食事をしながらも、海を見ていることや 素足に砂を感じていることが嬉しくてたまらないという。 風と波が強く、日差しも今ひとつ。まあでも楽しんでくれればと 思っていたら、どうしても探してきたいものがあると席を立った。 なんと。戻ってきた彼らは、近所の店で買ったばかりの 真新しい水着に身を包んでいるではないか。 真っ白な身体をした男女の水着姿、それだけでも衝撃なのに 彼らはあきることなく何度も海に入り、波と戯れていた。
今日一日で「海大好き新たな自分達」を発見をした二人は、 波遊びをしている間にこの海辺の町で暮らすことを決めていた。 来週から物件探しに入る。交通の便やショッピングなど 利便性からは程遠くても自分たちにとって必要な 「いい気」が流れる場所に出会えたチャンスを逃したくないと。 自宅で仕事をすることが多い音楽家のご主人のためにも、 もっと地に足のついた自然な暮らしがしたいのだという。
そうだね。人が生きて動いていられる時間はとても短い。 その時々で最適な環境を選んでいくことは、とても大事なこと。 出来ない理由をあれこれ並べるより、どうしたら出来るかを 考えたほうが楽しいに決まっている。
2003年08月26日(火)
本物の力
運転する機会が多いし、小物としての遊び加減が好きで サングラスはいくつか持っている。
今年の初物は6/30の茶飲話で登場させたRUDYのサングラス。 晴れの日が少なかったので、出番は少なかったが 運転中は常にかけていた。それも、夜間でさえも。 レンズの色は薄いのだが、このサングラスをかけていると 光の反射がやわらぐので、太陽光線だけでなく 対向車のヘッドライトや街灯のまぶしさにも抜群の効果。 そんなわけで、この夏RUDYは大活躍してくれた。
さて、今日。 久しぶりにNYのJ.CREWで買ったファッショングラスをかけて 太陽の中に出た。歩くこと2分。なんかおかしい。 サングラスを着用していることが苦痛。暗くて、まぶしい。 だがコンタクトレンズ常用者である私の目に、 サングラスなしでの夏の日差しはかなり辛い。 かけてははずし、はずしてはかけ、最後にはかけることを断念。 ファッショングラスのレンズはしょせん「なんちゃって」レベル であることを痛感した。
本物を知れることはとても嬉しいことなのだけれど、 同時に手元にあるかわいいサングラス達がただの置物に なったことをも知らされてしまったわけなんだよね。 ・・・・涙。
2003年08月25日(月)
マーガレットの怪
春先の茶飲話にも書いたが、我が家の庭には ピンク・マーガレットの鉢がみっつある。 マーガレットは挿し芽で増やす植物なので、 たぶん同一の株から育ったはずだ。 我が家での生育条件も同じだった。 にもかかわらず。
鉢Aはなにをやっても虫がつく。すぐ隣にあるふたつの鉢 にはなぜか移らない。花も結局一度の開花で終わっている。 鉢B、鉢Cは夏直前まで同じ成長速度で数度の開花を迎えた。 ところが冷夏に入ってからというもの鉢Bは葉の成長と開花を ぴたりと止めた。日差しの強い今になっても同じ状況。 鉢Cは誰にも止められないほどの成長ぶりで、A/Bの三倍近い 葉のひろがりと活力。現在も何度目かの満開中。
同じ枝から育てられても、これだけの差が出てしまうことを 個性というのか、抜きん出ているというのか、虚弱というのか。 鉢を見比べては熟考することが、この頃の日課である。
2003年08月23日(土)
思い出のマクドナルド
たまたま目にしたマクドナルドのCM スモークドビーフサンド『ニューヨーカー?』編 思わず「が〜〜、うそっぽーいっ」と口をついて出てしまった。 んー、嘘だからCMとして成立しているわけなのだけれど。 実態とあまりにかけ離れすぎていて、背中がかゆかゆになった。
まず、ニューヨーカーはあんなに洗練されていない。 みんな体裁は気にするくせに、都合よく自分の行動を 人が見ているわけがないと信じているし。 そしてなにより米国のマックは超まずい。なんたって、 味がなにもついていない。味が欲しければ ペッパー&ソルト、ケチャップ、マスタード、マヨネーズ等々 自分でやればいいでしょ方式。パンもパテもまずいし バリエーションもない。いつも一緒のメニュー。 それでも米国人にとっては愛すべきふるさとの味だと思うが、 日本人には合わない。LAでオーダーしたバーガーを一口齧って 捨てた友人がいる。それほどひどいのだ。
日本と味が違うのはマックばかりではなく、ケンタッキーも サブウェイもスバロウもぜーんぶぜんぶ別物だ。 どれもこれも、NYの初期時代に味わったまずさがいまだ 口に残っていてどこにも入る気がしない。 日本人は、それと知らずにとても贅沢な生活を送っているのだよ。
2003年08月21日(木)
美しい言葉
本棚に「すぐに役立つ手紙の書き方」という本がある。 手に取ったこともなければ、開いたこともない。 私の本ではない。多分、NY時代のルームメートが日本から 持ってきていた本なのだろうが、なぜか私の手元にある。 ただこの本、どこを探しても発行年月日が見当たらない。 出版社はつばめ書房。もうないに違いない。
なかの文例集を読んでいると、もう今ではまったく使われない 耳にもしないような美しい敬語や丁寧語がざくざくでてくる。 最初の章の「手紙を書くときの心得ときまり」という項に 箇条書きで9つの注意がある。そのうちのひとつ、 「敬語は正しく使う」を紹介する。 断っておくが、いたってまじめな本だ。
『最近、敬語の使い方がたいへん乱れています。特に奥様方に多いようです。なんでも「オ」をつければよいというものではありません。意味のない敬語の連用はやめましょう』
笑ってしまった。なんという時代のずれ。まえがきを読んでみたら 「最近、電話がいちじるしく普及した結果、手紙をかけない人が 多くなっています・・・・」という一文があった。 いったい、いつ頃の本なのかと探して手がかりを見つけた。 どうやら1959年あたりに発行されたもよう。 なるほど。美しい言葉でつづられた文例ばかりで当然だ。 この時代は本当によかったのかもしれない。 へたな本よりずっとためになる。大事にしよう。
2003年08月20日(水)
さよなら Gramercy Park Hotel
グラマシー・パーク・ホテル。 1983年開業、マンハッタンの閑静なエリアにあるホテル。 ちっとも綺麗ではないのだが馴染み深いホテルで オールドスタイルなバーには、なにかとよく出かけたし そこでの不思議な出会いもひとつふたつではない。
なんとこのホテルが一年前にスティーブG.という ロキシーなどをプロデュースしたパーティーキングに 買収されていたことを今日知った。 彼は、この趣のあるバーをニューヨーカーが盛装して 出かけられるクラブに改装してしまった。 夏期は水曜だけの営業、その名はコバルト・クラブ。
永遠に形を維持することが出来ないと理屈でわかっていても、 自分の愛していたものが変わっていく事は やはり身が切られる思いがする。
2003年08月19日(火)
聖人ゆえの苦労
先週金曜から毎日「あさってには晴れ」という天気予報を 見続けている。今朝は木曜には晴れる予報だったが、 今見たら金曜日に変わっていた。 むぅぅ、ぶちきれそう、だ。
が、ここはひとつ大人になって、閑話休題。
若い僧侶と車の話をしていた時のこと。 彼は私の車について「レトロで、私はとても好きですよ」 と語った。・・・レトロって、別に私の車は昔懐かしいほど レトロではない。古いデザインをもじったものでもないし いったいどこを指してレトロと形容しているのか 思いあぐねた。彼が去ってから突如「!」納得。 彼は「レトロ」の意味をはきちがえているに違いなかった。 どのようにかはわからないけれど、それが一番自然な答えだ。 袈裟を身に着けていると、みな知識や徳望がすぐれている ように思えてしまうのだが、それはこちらの勝手な思い込み。 思い込まれる僧侶の方も、きっとそれなりに苦労が あるに違いないよね。
2003年08月18日(月)
平成版三種の神器
カーナビ(Car Navigation System)/ 携帯電話 / パソコン 以上の三つが、平成版「三種の神器」だそうだ。 自前のパソコン購入は1997年、携帯は2001年と 取り込みの遅い私がいうのもなんだが、 カーナビのどこがいいの? 確かに「あれば便利」品なのだろうけれど 地図さえあればどこでも行けるし、 普通の生活であれば必要性が感じられない。
細い道や自然にあふれた田舎ではほとんど役に立たないし 渋滞迂回路として示した道のほうが混んでいることも よくあるらしい。マシンも三年経てば骨董品扱い。 ニョキンと突き出るアンテナを、大事な車の両サイドに 無理やり取り付けて、まるで方向音痴のレッテルだ。
カーナビに恨みはないけれど、車のアンテナを見るたびに 「ださー」とつぶやき、運転手を想像してしまう私にも 問題はある。でも、キライはキライだ。 あのアンテナは、ださすぎる。
2003年08月17日(日)
お盆総記
雨に振り続けられたが、 家族・親族の距離をいちだんと近くさせた 喜怒哀楽に満ちた2003お盆ウィークが 本日を持ってつつがなく終了した。
強風にあおられながらの迎え火、大雨の中の送り火で 途中で「以下省略」してしまった行事も続出だったが こういう法要事は気持ちの問題なのだ。 お厨子や墓にこまめに手を入れ拝んでいると なにやら亡母が笑っているような気もするし、 これですべてよしとする。
家族・親族・先祖・墓・供養。 私もそうだったが、どれもこれも若い時分には、 言葉として知っていても意味を考えぬ単語だった。 昔の人が続けてきた行事や言い伝えには必ず根拠がある。 そんなことを身をもって知る年齢になったわけだね。 もちろん、今回背筋の寒くなる体験もあったけれど、 そんな話はまた別の機会に・・・・笑。 ご先祖様の供養、努努(ゆめゆめ)忘るる事なかれ。
2003年08月15日(金)
今日の事件
お盆で親戚が泊まりにきている。 墓参りや法要やらを終え、今日はなんの予定もなかった。 表はどしゃぶりだし、一日家でのんびりだと思っていた。
が、知らぬ間に話が盛り上がり 日比谷に映画を観に行くことが決定していた。 嘘でしょ?!と叫んだところで、もう、全員本気で 帰りは銀座でお鮨だね、なんて言い合って わくわく支度に取り掛かっている。 電車が止まるかもと何度か伝えたが誰も聞いていない。 彼らだけを行かせるわけにもいかず、もう乗るしかない。
場面変わって、駅。 電車は上下線とも見事に止まっていた。 ここまで来て「行けないことを目で確認」しないと 納得しない彼らは、横で苦笑い。 しかし、おさまりがつかずタクシーで行こう!と 言い出す始末。この雨じゃ、片道3万くだらない。 なんとか取り押さえ、なだめすかしてあきらめさせた。 ビデオ屋で彼らが観たいという「たそがれ清平衛」を レンタルし、茶菓子を用意しようやく帰宅。
さすがお盆、たたじゃ済まないように出来ている。
2003年08月13日(水)
海を見ながら昼からまったり
そんなイメージを実現すべく、雨だろうが曇りだろうが 四の五の言わずに夏の間に時間を作れ!となり、 本日晴れて有職婦人4名が海辺に集った。天気もバッチリ。
婦人Aは一時間早く待ち合わせ場所に着いてしまった。 理由は不明。駅前でコーヒーを飲み、なにもない駅周辺で 時間をつぶす。そのわりに集合に遅れる。 婦人Bは決定権を持つクライアントが逃げたようで所在不明。 クライアント捕獲のためにまったり半ばで一路新宿へ。 婦人Cは優雅なワンピースで現れ、イメージに最も近い いでたちだが、帰路ケーキの大量買い込み(家族数の2.5倍分) をしたため落選。
上記3名+私は、雰囲気のある海辺の小屋で、なんと あたりかまわずやんややんやと両手を打って爆笑し、 大声で話しまくるという開放の時間を過ごした。 あとで思い返すとかなりはた迷惑だったかもしれないが、 そんななか婦人BとCはスタッフにいい男が多いと チェックを入れることは忘れていない。 婦人Aは、ハイピッチでごきげんさんになっていたため いい男も眼中に入らなかったらしいが。
結論。このメンバーではどうがんばっても 「まったり」はむずかしい。
2003年08月11日(月)
体感覚の抵抗
数日前に夏になったばかりだというのに、 なぜもう残暑なんだ? 暦の上というのは理解しているが 体感覚がそれを許さない。 今日のTVお天気ニュースでは、「秋雨前線か?」という とんでもないセリフまで出てしまっていた。 ああ、*くわばら、くわばら。
夏がこのまま終わってしまうのは、いただけない。 今年気がついたのだが、私は夏が大好きなのだ。 日本の超寒い家に住んでいるからなおさら 夏がいとおしくて仕方がない。 このまま秋になられたら、衣替えして出された 夏服たちの出番が少なすぎてかわいそうだ。 庭で開花したプチトマトだって日照不足なんだから。
逃げる夏から身体が目をそらしているようで、 曇りや雨になると眠くて眠くて・・・。 身体の隅々から「夏需要」の悲鳴が聞こえる。
*落雷を防ぐという呪文(じゅもん)。 多くは「くわばら、くわばら」と重ねていう。 いやな事を避けようとする時にとなえる呪文。
2003年08月10日(日)
天晴れ日本晴れ
起床一番、台風一過でこの夏初めての真っ青な空を目にした。 こういう空の下だと、暑かろうが汗だくだろうが 瑣末なことはどうでもいいほどのんきになってしまう。 久しぶりに茶飲話を更新しながら、己の上機嫌ぶりに苦笑。
さてさて、ド暑い午後にはまた海まで行こうか。 ゆっくり本でも読もうか。 とにかく。何より最初に大汗かきながら掃除をしよう。 せっかくの日本晴れ、 無駄に使っちゃあ、お天道様に申し訳ない。 おいしいビールのためにいざ働かん!
2003年08月09日(土)
赤とんぼ
先日、役所前の池で初めて赤とんぼに遭遇。 名前どおりの真っ赤なボディに目を奪われた。 赤いとんぼが本当にいたのだと再認識している自分が おもしろかった。
歌のイメージなのか、勝手な想像なのか、 赤とんぼは秋のものだと思っていた。 調べてみると、本によって「秋」だったり「夏」だったり の季語に分類されている。実際に目の当たりにしていると 疑いようのない夏の風物詩に思えてくるから不思議。 人間の意識はかなりいい加減だね(笑)
2003年08月08日(金)
生の幸せ
知人のMちゃんから、『ゴールドコーン』という 生食が美味しい大分産とうもろこしが送られてきた。 昨日はKさんからおいしい枝豆と産直すだちを頂いて 旬野菜にかこまれてうはうは状態、 たたみかけるようにとうもろこしの到着で 大げさでなく女王様気分に浸る。しかし。 旬野菜ひとつで天に昇る単純すぎる自分をちょっと反省。
クール宅急便で届いた箱を開け、 おもむろに皮を剥いてかじってみた。 うううぅ!!!!本当に甘くておいしくて・・・ 単純な言葉しか出てこない幸せを朝一から味わわせるとは! あまりにも鮮烈な感動だったので、 かかってきた電話すべてにとうもろこし営業をしてしまった。
私の思考回路は、やはり単純である。
2003年08月06日(水)
現代人病
常に正解を探そうとすること。
つい10分前まで楽しい計画について話し合っていたのが タイムスケジュールとか、予算、企画なんて言われると とたんに眉間にシワが寄り、難しい専門用語や熟語を 繰り出しはじめる。 自分の意見が間違っているのか正しいのか、 みんなから賛同を得られるかどうか、 「出来る人」とみられるかどうか、 そんなことだけが重要事項として脳みそを占めだす。
そういう脳みそになってしまうと、 楽しい計画をなかなか創れなくなっちゃうよね。 大事なことはひとつだけ。 「わたし」が今楽しいかどうか。 「わたし」がわくわくどきどきしているかどうか。 眉間のシワにはさよならしよう。
2003年08月05日(火)
一日が終わってみたら
素敵な夏休みを過ごしていた。
起床、朝食(マンゴージュース/コーヒー/トースト)後に 仕事と洗濯に軽く掃除。 午後、思い立って海辺のカフェに足を伸ばし、 波打ち際で生ビールとベジタコライス。 帰り際にお盆用の買い物。あまりに暑いので、 「アイスの実すっきりフルーツ」を購入して食べる。 帰宅して、従兄弟から借りっぱなしになっていた DVD「ジョンQ:最後の決断」を観る。 (金八先生SPを見逃していたことに気づくが後の祭り) 鉢植えに水遣りをしいていたら、近所に住むレイチェルが 今年三度目になる自家栽培プチトマトを大量に届けてくれた。 晩ご飯はあっさりサラダ、鶏のから揚げ。生揚げの和え物。 洗い物を終えてしばらくすると、Tさん来宅。 二時間ほどマッサージを受ける。 その後PC前で少々仕事をしてから、入浴、就寝。
ベッドの中でふと振り返ってみたら、 とても気持ちがいい一日だったこと、 充足感が濃い気分であることに気がついた。 予定を入れていたわけではないし、休みでもなかった。 強いて言うなら、ほんとにたまたま今日が 「理想的な夏休み@2003」になってしまっただけなのだ。
2003年08月04日(月)
その後の経過:黄金の腕
茶飲話の更新再開です。お待たせしました。
PCお休み中に、一年ちょっと通ってきてもらっている 鍼灸指圧整体師のTさんに助けを求めた。 触診するやいなや「こりゃ、辛かったでしょう」と、 オイルマッサージにお灸を施し、右則頭部から 右の肩、背中にかけて50本以上の鍼を打たれた。 ひどく複雑に筋が緊張しているために、腰上部の 表層からほぐして痛みの親玉を見つける作業なのだが、 右半身をもいで捨てたい!と真剣に思うほどの痛みと苦痛で 全身脂汗、うめき続けた二時間を過ごした。 彼女は背中から丹念に鍼を打ち灸で暖めながら、 痛みの筋を浮き出させ、最後に「見つけたよ」と声に出して 首筋の深みに太い鍼を打った。「!!!!$#@&*」 それこそが延々と私を苦しめていた親玉の正体で、 疼痛とともに身体中の力が抜け落ちはらはらと泣けた。 痛みのためではない。よくぞ見つけてくれたという 感動の涙だった。 どうやっても口に出して説明できない部分の痛みを 数日間抱えたあげくのようやくの一鍼だったのだ。
鍼を打った翌日は、患部にゆるい痛みが残るのが通常で 今回も同じだった。もう、この痛みは消えないのかと 憂鬱な気分は残ったが、彼女を信じて就寝。 その翌日。どこにも痛みがない。 まるであの日々が嘘だったように治っている! この日ほど、彼女の存在を神様に感謝した日はない。
「これからは、しっかり身体の管理を怠らずに行います」 と、仏前で誓った私だった。
ところでこの筋緊張性頭痛って、ほとんどが男性に出る 症状らしい。うーむ、またハンサム度があがってしまった。
2003年08月02日(土)
しばらく
休憩します。数日ね!
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