2023年12月20日(水) |
平和な世界をつくるために |
仕事帰りの車の中で ラジオのニュースを聞くと 気分が悪くなる。
戦争のニュース。 辺野古の基地の移転が進むってニュース。 わたしの住む街に さらに弾薬庫が3つ建設予定だというニュース。
家に帰り着くと 白熱灯の灯りの下で 今は仕事に余裕のあるオットが 夕ご飯を作ってくれている。
今夜は豆腐のステーキ。 平和だ。
仕事帰りにコンビニで買った安ワインをあける。
豆腐ステーキが美味しすぎて 夫が食べ終わっても ちびちびと千切るように食べてワインを飲む。
カウンターで片付けをする夫が めちゃくちゃイケメンにみえてくる。
イケメンだからお兄ちゃんにワイン奢るよ!
と言って 飲んでいたワインを茶碗に注ぐ。
そう 我が家は安ワインは茶碗で飲むのだ。
きょうは イケメンのにいちゃんと ワインを飲んでいい気分。
オットをほめることは 自分の世界を褒めるということだと知る。
いつもわたしは オットに褒められて複雑な気分のなるのは わたしが褒められてるのではなく オットが自分の世界にいるわたしを褒めているからだとわかった。
自分の世界の登場人物が素敵なのは 素晴らしいことだし それを褒めたたえて生きていくことは 平和だなって思う。
わたしの世界にあるものは わたしの内側にあるもので それを変えれば 外側も変わると わたしは信じてる。
ラジオから嫌なニュースを聞くのは わたしの中にその嫌な要素があるからであって わたしの中のそれを変えることが 世界の平和につながるのだと なんとなく思う。
魂に関しては わたしは本当に劣等生だ。
もうあんまり時間がないから がんばって向き合って弔って 平和な世界に生きるのだ。
まいにちが飛ぶようにすぎてゆく。
9日のラジオ収録とライブ連続の日、 家を出て車を発進させたところで 思いっきりバックで友だちの車にぶつけてしまった。
友だちの車も わたしの心も 思いっきり凹む。
その衝撃で 魂がぬけたのか 自分がいないような腑抜け感が 続いていた。
こういう時は やたらYoutubeやSNSを 意味なく見続けてしまう。
そうしたら さらに空虚な気持ちになって 悪循環。
昨日やっと 自分が戻ってきた感じがあって 朝の瞑想もちゃんとできるし オンラインの時間も 意思でコントロールできる この感じが戻ってきた。
魂がいない間の自分のことを 嫌になるパターンが多いのだが そういうのもうやめよう。 すべてゆるそう。
さて きょうは 学校の仕事の勉強会で 支え合ってきた同業のお仲間に 来年仕事を辞めることを伝えた。
とてもあたたかでいい方ばかりで、 お伝えするのに勇気が必要だったけど、 伝えることができてホッとした。
この9年間 離島でのこの仕事をする中で 実践してきたこと 感じたこと 学んだことを なんらかの形として 残していこうと思った。
やりたいことがいっぱい。
雨が降っている。
昼間はとても穏やかで 優しい気候だった。
庭のガジュマルの木の気根が少しずつ伸びていてうれしい。 たくさん気根を地面に落として大木になったらいい。 空の下に見事なガジュマルがみえた。
いまやっているいろいろな活動からつながるご縁が 朗らかに繋がってゆくのが楽しい。 豊かな気持ちで暮らしを紡いで それがいろんな人たちの喜びにつながったらいい。
バリ島の航空券を検索してみた。 「いけんことない」と思った。 現金の余裕も必要だ。
自分の魂とズレのない生き方をしたい。 自分の魂に対してなんの後ろめたさもなく シンプルにクリアに生きたい。
自分の世界を愛することから それははじまる。
愛おしい自分の世界に祈りを宣言して あしたは 愛おしい自分の世界で目覚めよう。
おやすみ
激動の数日間を経て あしたは新月ひと呼吸。
1週間ほど前に感じていた 世界は自分だという感覚が うすれている。
頭でわかっているのと 感覚でわかるというのは違う。
とても眠い。
あしたは惑わすものが たくさんある。
この世界は自分でしかないことを 自作自演であることを 忘れさせる麻薬のようなもの。
惑わされるな。 気をつけろ。
落ち着いて 目を大きく開いてみること。
うらやましいと思ったり 他人に期待したり そんな気持ちがでたら 挑戦する時だ。
自分を信じること。
あしたは 素敵ないちにちになる予感がする。
おやすみ。
2023年12月06日(水) |
いつか会えるかな やさしくなりたいな |
きのうから 世界が自分のようだ。
今日お会いした人たちは 自分の内側の自分の一部のように感じる。
その感覚を邪魔するものもよく見えた。
それは プロとしてちゃんと仕事ができたと 評価されるかどうかという思考。 よく見られたい ちゃんと見られたい 評価されたい いい人でいたい 正解のコミュニケーションをしたい できる人でいたい
そんな人の目を気にする思考が現れる。
これは幼少期から 身につけてきた 根深きもの。
一見自分を助けてくれるようで しあわせを邪魔しているのだ。
そう。 世界はわたしなのだから 人目を意識することは必要ない。 そもそも人目などない。 究極に ここには自分しかいないのだから。
わたしがすべきは ただただ 今の自分ができうる限り 自分の世界を大切にするということ。
そうしたら とてつもなくここちよい しあわせな人生がやってくるのだ。
「いつかあえるかな やさしくなりたいな」
かつてのわたしが かいたうたの祈りが 届いたかもしれない。
運転をしていたら 唐突に優しい気持ちがやってきた。
自分の世界の登場人物が 自分の世界にあるものが すべて自分の一部だと感じる。
自分を大切にするということは それらすべてに誠実に接して 大切にするということだ。
そんな風に思うと 自分が出会っている世界のすてきさに うっとりしてくる。
自分のこの身体ひとつで できないことを このわたしの世界にいる みんながやってくれている感じがする。
わたしができないことをできる人は わたしができない代わりにやってくれていて それはわたしの一部なのだから なんて素敵なことなのだろう。
世界の素敵さに目がいく。
出会う人ひとりひとりの おもしろさに目がいく。
出会えていることに 感謝の気持ちが湧いてくるし その人を大切にしたいと思う。
この環境を大切にしたいと思う。
いやな目にあったり ちょっと苦手な人も それも自分の一部なのだから 向き合って味わって空や風や川や海に流せば 世界はより良くなるとわかる。
そこには 評価や比較はない。 正解も不正解もない。 ただただそのまんまの世界が 在るだけだ。
とても心地よく感じる1日だった。 ブッダってこんな風に 世界を見てたのかなって思った。
全然違うかもしれないけど これまでのわたしからしたら 今日のこの感触はブッダレベル!
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