へそおもい

2020年02月28日(金) 春の風が吹いた

きょうは
カラフルな方々が
尋ねてきた日。

我が家に心地よい風が吹く。

夕方には
オットとやっているユニット
ふやよみで、
五右衛門風呂のうたを
五右衛門風呂で歌う動画をとる。

今月は
最低2曲の動画を撮る
という目標だったのだが
月末ギリギリになって
やっと一曲撮れた。

もう一曲は明日だ。

やりはじめると
おもしろくなってくる。

何事も
調子に乗ることが
肝要。

すっかり
エネルギーが
満ちてきた。



2020年02月27日(木) ピョリリータボップ

ヘトヘトだ。

心も身体も
枯れている。

理論的な言葉を使わず
感覚で伝わる人と会いたい。

ピヨーポポロ
と鳴いて踊れば
ポポポピョベベベ
とかえしてくれる。

ただそれだけで
わかりあえる。。。
そういうこと
人間ってできるんじゃないかと思う。

わたしは言語が非常に苦手で
正確さに欠ける上
頭の中も衝動的なので
誤解されやすい。

生まれてこの方
誤解されるのには
もう慣れてはきたけど。

やっぱり
伝わらないとか
決めつけられるとか
悲しくてさみしいことだな。

プウボメメロロポン
で通じ合いたいな。
お家に帰りたいな。



2020年02月26日(水) 山笑う

はぁみちゃの笠利ライブツアーの後は
はなちゃんちの一泊お客さま
そして
確定申告。。。

毎朝
筆ペンで今日やることを
リストアップして
できたら赤ペンで
チェックしていく
という
そんな日々。

ぐるぐると
上の方で回転してて
大切なものを
取り落としやしてないか
後ろを振り返り振り返り。

夢では
悪気はなく
自分の衝動的な性質故に
友だちを傷つつけてしまって
怒る友だちを
抱きしめて謝ったり
いろいろ忙しい。

だけど
お天気は最高に気持ち良い。

ほどよい陽射し。
すぐ乾く洗濯物。
青空を背景に
クスクスと
笑いはじめた山。

踊る新芽たち。
いろいろな鳥たちの歌が
聴こえるようになり
ご飯の準備中にコバエが飛ぶ。

わたしは
島では
今の季節が1番好き。



2020年02月21日(金) サドゥーに車を壊される

最近リアルな夢をよくみる

きょうの夢では
怪しげなサドゥーのような人に
魔術をかけられそうになった。

目を閉じたら蛇が見えたので
これは危ない!
と気がついて

こちらも
声を出して
口からでまかせ
めちゃくちゃ魔法言葉で
かけられそうになった魔術を撃退。

なんとかその場は切り抜けたが
怒ったそのサドゥーのような人は
わたしの車のタイヤを外し、
穴を開けて
何かオイルが外にこぼれるように
壊してしまった。

仕方なく
壊れた車を
薫と2人で持ち上げて
(夢なので持ち上がる)
車の修理屋さんを探して
石畳の街を彷徨う。

途中
休憩した家で
大きな地震に遭い
目が覚める。

魔術を
かけられてしまったのだろうか

目が覚めると
副鼻腔炎がひどく
体調が悪い。

地震で
石造りの建物が
もろもろと
壊れてゆく様が
記憶に残っている。

かみさま
今夜一晩眠ったら
身体がすっきり
治っていますように。

明日明後日は
ライブなのです。



2020年02月20日(木) うんこを探す旅

リアルな夢を見た。

どこか知らない町に
遊びに行っている。

坂道の多い町。
坂の中腹あたりで
集まりがあって
その途中で
わたしはトイレに立った。

トイレは屋外にあって
扉は布切れ一枚で仕切られている。

落ち着かないと思いながらも
わたしは大便をした。

用を足している途中で
友だち親子が
隣のトイレに来た。

布の隙間から丸見えなので
急いで布を引っ張る。

なんとか用を足し終え
トイレを流した途端

バンッと音がして
トイレが爆発した。

え?
この町のトイレはこういうもの?
と思ったが
隣のトイレにいた友だちが

これはおかしい
大変だ!
とあわてている。

わたしのうんこと紙が一緒になって
ポンっと空中に舞い
坂道の下に転がり滑ってゆく。

周りにいた人たちが
あわててわたしのうんこたちを
追いかける。

この町は清潔だから
汚してはいけない感じなのだ。

2人ぐらいの通行人が
追いかけてゆくので
私もその後を追いかけた。

しかし
私のうんこたちは
坂道を下って2つ目の交差点を過ぎたあたりで
どこかに消えてしまった。

責任を感じて
うんこを探す旅が始まる。

建物のひしめき合う
石畳の狭い道を歩く。

昔ながらの民家の庭先に
きれいな文字が書かれた習字紙が
干してあったり
そうと思えば現代的なコンビニがあったり。

わたしのうんこはどこに
逃げていったのだろうか。

ゴミ集め屋さんの女の子に出会う。

うんこは落ちてこなかったか
聞いたところ
そういえば
あったかもしれないという。

彼女についていくと
坂道の1番下まで降りて
そこを横切る川を泳ぎはじめる。
この町では川が道なのだ。

わたしも彼女に習って
川に飛び込む。

川は汚くて
カニの死体がいっぱい浮いてて
すごく嫌だった。
みないふりをした。

川をすこし泳いで
橋の下にある建物に入る。
入り口は狭く入るとすぐ階段。

この中に拾ったゴミたちが
置いてあるらしい。

階段を登ると
ゴミ守りのおじさんがいた。

そこは
なにかほっとする空間で
やっと安心できる場所に来たと思った。

そこで
目が覚めた。

わたしのうんこたち
どこへいったのだろうか。



2020年02月19日(水) 出勤仕事つづき

今週は
毎日出勤の仕事。

車の運転が続くのと
頭と気をつかうので
身体がかたくなってくる。

ずっと昔から
この仕事は
自分の身体に向いてないと
思いながらも
ずっと続けているのは
何故だろうか。

向いていないのは
言葉を使うところ。
わかりやすい言葉で
報告したり
組織の中で動かないと
いけないところ。
わたしは極端に言葉が苦手だ。

言葉を発する瞬間に
本当のことを
切り取らないと
いけなくなる。
そこには痛みが伴う。

それなのに
やめられないのは
守られた非日常空間で
その人の心の世界に寄り添い
泳げるから。

泳ぎながら
一緒に
光の粒を拾い集めて
祈りをとばす
そのおもしろさがあるから。

ここが本当の世界だと
思える部分で
呼吸できるから。

どうしたものか。
そろそろ変えていきたい。



2020年02月18日(火) カニに夢中

思い立ったら電話をかけてくる
おじさまのお友だちがいる。

今夜も突如電話がかかってきた。

先日買った本に
「お、これは!」
と思う言葉が載っていたという。

「いいですか、、、」
はい。

しばらくの沈黙。
期待の音。

「努力は
 夢中に
 勝てない」


おお。

これは、、
わたしにとっての
カニですね。

「はい。
この言葉を
伝えるべき人に
伝えられてよかった」

ありがとうございます。

「はい、では。
それが言いたかった」

そう言って
電話が切れた。

努力は夢中に勝てない。

いまのわたしにとっては
カニだ。

死ぬまで
夢中になって
生きていたい。。



2020年02月16日(日) カニキュン

カニのホームページを作って、
2020年2月22日に公開する。
という目標を旧正月に立てた。

カニの物真似をして!
と言われたら、
おそらく人は皆
顔の横でピースサインをするはずだ。

そう、
指をチョキの形にして
2本立てるはずだ。
2という数字が並ぶ。

さらに、カニという言葉の中に、
に、という響きも入っている。

2が並ぶ数字は
カニの数字なのだ!

2020年2月22日を逃すと
次に2が並ぶのは、
2022年まで待たねばならぬ。

…というわけで、
いま必死で
慣れぬパソコン作業に
没頭している。

カニの写真を整理して
扱うのはしあわせだ。

写真の中のカニたちと目が合うと
胸がキュンとなる。

冬場はカニたちも
冬眠するらしく
あまり見かけることがない。

淋しい冬の間に
カニを愛でながら
撮りためた写真の整理をするのは
理にかなっているのだ。

カニにキュンキュンしているうちに
寝違えと四十肩の合体も
大分和らいできた。



2020年02月14日(金) 四十肩と寝違えの合体

世界はキラキラのままだが
今日は
自分の身体がポンコツに。

夏からの四十肩が治ってきたと思ったら
数日前に同じ側の首を寝違えて、
それがだんだん響いて
今朝からとうとう
治りかけの四十肩と合体!!

だいたい
ロボットなども、
合体すると強くなるものだが
寝違えと四十肩も例にもれず
合体してパワーアップ!

首も肩も
ちょっと大きな動きになると
イテテテテ!という羽目になる。

さらに、
気温が上がったせいか
持病の副鼻腔炎がひどく
目の裏に膜がかかったようになり、
さらに生理のダルさも重なって、
こんな状況のことを
もう泣きっ面に蜂というのではないか。

こういう日もあるのだ
仕方がないのだ。

調子が悪い自分は
人を不快にする、
体調が悪かったり
調子が悪かったりする自分は
存在してはいけない、、、
という思考が
もう随分子どもの頃から
植えつけられているため、

体調が悪いと
とたんに
自信がなくなり
人前に出る資格なんてない!
と自分が自分を攻め始める。

そんな
ややこしい習性があるので
人に会う仕事中は針の筵だったが
なんとか乗り切った。

夫にも
無事に今年も
ウンコ型チョコを渡せたし、
きょうはもう
寝ることにしよう。

こんなに調子は悪いけど
世の中はキラキラのままだよ。



2020年02月13日(木) キラキラ

このところ
なにやらそこらじゅうが
キラキラしている。

やることがいっぱいで
同時並行で
途中までやりかけの道具たちが
家中あっちこっちに
散らばっているので
物理的には
混沌としているのだが。

そこらじゅうが
キラキラしているのだ。

散らばった洗濯物まわりも
洗っていない台拭きのあたりも
ミシンやパソコンや布やノートが
一緒くたに置かれた
ちゃぶ台周りも
キラキラしている。

出会う人たちも
キラキラしている。

その人が
淋しい声を発していたり
毒を吐いたとしても
強烈にキラキラしているのだ。

ナンダナンダ
このキラキラは。

空にできた
裂け目から
キラキラが漏れ出てきているよう。

その空の向こうから
なつかしい匂いがする。

こじ開けて
こじ開けて
不器用な手で
こじ開けて

宇宙の鍵を
こじ開けて。



2020年02月11日(火) 星空のむこうまで

夢の中では
父は元気だった。
起きあがって話すことができた。

でも
医者にはもう長くないと
言われているのは
現実と同じだった。

母はやつれていた。
これまで
ずっと一緒にいた父が
いなくなるということを
わかって
かたくなになっているのか。

ひとりの世界で閉じていて
外からどう触れようにも
その世界に居続けるのだった。

わたしは
とても距離の遠い
娘だった。

親子って
こんなに遠いものだったのか
縁が薄いものだったのか
わかった。

と完結していて
悲しかった。

目が覚めて
わたしは
悲しいんだな
と思った。

寂しくて
悲しいんだなって。

こういう時は
空が味方。

星空の向こうまで
蟹に連れていってもらおう。



2020年02月10日(月) ガジュマルの木に寄り添う暮らし

家仕事。

畑のタンカンを収穫した。
おひさまのひかりが
春のにおい。

タンカンたちは
昨夜の満月のように
輝いていた。

クバの葉っぱで、
お風呂用の手桶を作った。
ネットの写真を見様見真似で
手探りで作って、
とても疲れたけど、
お風呂での使い心地は最高だった。

クバのいい香りで
身体も清められた。

安く買った麻の布で
シーツを仕立てた。

慣れぬミシンで失敗もしたが
寝心地はよさそうだ。
調子に乗ってお客様用も
今から仕立てようか。

家をとっても気持ちよくしたい。
気持ちのいい場所をつくりたい。

昔から夢みていた
大きな木のあるお家って
この家のことだと思う。

家に寄り添う
ガジュマルの木。

こうして
思い描いたことと
現実がまじりあって
人生の風景ができていくのね。

ゆかいな景色にしたいね。



2020年02月06日(木) ややこしいイキモノ

このところ
同じような心乱されることが
やたら続いていた。
心乱され祭りの季節なのか。

心乱されては
その相手に対して
批判的な気持ちになったり
どう対処したらよかったのだろうか
考えて疲れたり。

そしてまた
大きい祭りがドンとやってきた。

今回のは、
自分の感情が強烈で、
びっくりした。

もしかすると
こんなに偶然にも
似たようなことが
続くということは

この心乱され出来事を通して
わたしが何かに気づく必要があるのかもしれない。
気づけよ気づけよ
と言ってるのに気づかないから、
大きな出来事をボン!と
起こされたのかもしれない。

これは、
相手の問題なのではなく
わたしの中の何かが
起こしているのかもしれない。

夕飯を食べていた時、
唐突に
忘れていたことを
思い出した。

今回感じた強烈な感情は、
子どもの頃、
とっても欲しかった靴を
我慢した時と
同じ質のものだ!!

家族で買い物に行って
ずっと欲しかった靴が
目の前にあったのに
母親に気をつかって
要らない、、、と我慢して。

それなのに
小さい妹はなにも考えずに
無邪気に欲しいモノを欲しいと言って
すんなり買ってもらっている。
その時の複雑な感情!

わたしが我慢に至るまでは
いろいろな家族内での関係性や
それにまつわる出来事が
影響しているのだが。

簡単に言えば、

律儀にいろいろ考えて
正しいと思って
行動しても
馬鹿を見る。

一生懸命よかれと思って
考えて行動した結果
悲しい気持ちや惨めな気持ちや
孤独な状況になってしまう。

空気の読めなさや
言葉を額面通りに受け取りがちなところなど
わたしの生まれ持った
発達障害的な性質も影響している。

一気にいろいろなことが
ぱあーっとみえてきて
あの頃の感情があふれてきて

夕飯の南瓜を食べながら
ポロポロと涙が出てきた。
横で汁をすすっていた
オットも大慌て。

あれから
随分生きやすくなってきた。

外側の常識と
自分の常識は違う。
わたしは世間ではマイノリティーだ。

我慢はしない方がいい
自分がまず楽になることが
周りを幸せにする。
頭で考えるよりまずは行動

わたしなりに
この世で
自分が楽に
ちょっと変人として生きる道を
開拓してきた。

それは結構
しあわせな出会いに溢れ
楽しい道だ。

それでも
今回みたいに
まだ出てくるものがある。

洗い流せずに
ひっかかっていたカス。

結構大きなカスが
わたしの中に残っていて
外に出たがっていたのだ。

やっとたどり着けた。

この頃
繰り返し起こっていたことが
伝えたかったのは
このことだったんだ。

すっきりと
明るいひかりが
胸の中に差してきた。

夕飯の大豆たちも
光にあたって
ひとつぶひとつぶ
万歳しているようにみえた。

万歳している大豆たちを
そのまま
口に放り込んだ。

横ではオットが
ご飯の鍋をこそげて
幸せそうに
食べている。

わたしは相変わらず
ややこしいイキモノだけど
こんなイキモノも
この世にいてもいいよね。

お腹の中で
大豆たちが
キャハハ
エヘヘ
ウフフと笑っている。



2020年02月04日(火) トンネルの名前

出勤はいつも車。
だいたい平均片道1時間くらい走る。

今日のように
帰りが遅くなる日は
運転しながら
眠くなる。

特にトンネルの中を走る時に
眠くなるので、
トンネルに名前をつけることにした。

今日の帰りに
今日の職場から我が家までの
トンネルの名前が
ほぼできた。

職場を出てしばらくしたら
まずは
ヘゴトンネル。
ヒカゲヘゴの幹の中を
通っているイメージだ。

その次は
パスタコンビのトンネルで

スパゲティトンネルと
マカロニトンネル。
マカロニトンネルは
マカロニみたいに短い。

そこから
ペーッと子どものベロみたいな
短い坂道があり
しばらくゆくと
今度は長めの

大腸トンネル。

大腸トンネルを抜けて
次は
大腸の後の超短いトンネルなので
肛門トンネル。

そこを抜けると
便となって
外の空気に触れられるのだ。

そこから
少しクネクネすると
まっすぐで長くて新しいトンネル。
このトンネルは本当に味気ないので
普通の名前で呼ぶことにした。
網野子トンネル。

最後のトンネルは
ねずみばあさんトンネル。

昔好きだった絵本
「おしいれのぼうけん」に出てくる
ねずみばあさんが
壁に映っていそうなトンネルなので。

トンネルたちには
ちゃんと本名があるのだが
自分でつけてあげると
愛着が湧いて
トンネルを走ることも
好きになれそうだ。

それでは
おやすみなさい。



2020年02月02日(日) 衰退しゆく町を抱える

久しぶりに
フォーカシングのセッションを受けた。

関西に住んでいた頃は
毎月のように受けていたのだが
移住してからは、
わたしが関西にきていて
先生とタイミングの合う時のみになっている。

わたしには
その先生のセッションが
とても合うようで、
毎回
冒険の末
自分の中から
思いもかけない答えや手がかりを
得られるのだ。

今回も
貴重な1時間だった。

最後にわたしがみたのは
廃墟になってゆくミニチュアの町を
両手で抱えている
自分の姿。

その町は
もうどうにもできない。
人間が工事したり
お金をかけて建て直したり
そんな小手先で
コントロールするものではない。

良し悪しでジャッジできないこと。
町がうまれて繁栄してまた衰退してゆく
それは自然のサイクルのプロセスに過ぎない。

衰退するプロセスは
ちょっと苦しいものだが
それも経過する必要があるのだ。

その町を
二本の腕と膝で抱えているわたしに
必要なのは
空とのつながり。

頭のてっぺんから空へ
さらに空の向こうの
もっと広い世界まで
一本の柱が
つながっている。

その柱を大切にしながら
そこにわたしが存在していることが
大切なのだ。

空の向こうの世界は
安心と信頼に満ちている。
そのうたを聴きながら
ただここに存在すること。

いろいろあるけれど
まずは、それが
今のわたしにできることのようだ。

昨年から
ずっとモヤモヤしていたものが
少し落ち着いた。

空の向こうを
信頼しよう。


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はたさとみ [MAIL]

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